tori  
地域 : 茨城    年齢 : 30代
一言 : 
ママになり2度目の復活です。まずは、ハーフ2時間切りを目標にします!          ママになり2度目の復活です。まずは、ハーフ2時間切りを目標にします!          ママになり2度目の復活です。まずは、ハーフ2時間切りを目標にします!          ママになり2度目の復活です。まずは、ハーフ2時間切りを目標にします!
tori さんの戦績
[結果]
2009/01/25    勝田マラソン    4時間1分
精神的に弱くて自分に負けたレース。
2008/11/30    つくばマラソン    4時間1分
スタート位置取り失敗レース。
2008/04/21    第18回かすみがうらマラソン    4時間13分
朝、天候は良く、熱も35.9度。前日に決めていた「棄権する条件」ではないから、とりあえず出場して、途中棄権も頭にいれて走ることにした。なにより大会の雰囲気を楽しみたい。走り出したらとっても楽しく、最初から最後までまったく苦しくなかった!しかも自己記録を26分も更新して驚いた!スターとして5キロ地点ではやくも足にまめができて痛かったけど、そのおかげかあまりとばすこともなく、常にキロ5分50〜6分で走れた。30キロ以降もペースが落ちることもほとんどなく、楽に走れた。37キロになってもエネルギーがあまり気味で、最後の2キロはスパート!!笑顔でゴール!それでもエネルギー余った。足もまだまだぴんぴんだし、体の疲労感もまったくない。こんな楽なレースはじめて。レース後の内臓疲労もなく、すぐににドーナツとけんちんうどんをたいらげ、帰りはハンバーグを食べた。内蔵も丈夫になった?練習よりも楽にレースが終わり、とても不思議な気分。総合順位:516位/1760人中 種目順位:34位/231人中
2008/01/28    勝田マラソン    4時間36分
レース前に練習しすぎて、それに加え東海マラソンハーフの影響もひきづり、左ひざを故障したままの参加。
途中で棄権になるかもしれないという思いのままのスタート。
走りだしたらそんな不安は忘れてとても楽しかった。
35キロまでは・・・。
35キロから、足があがらなくなり、ペーズががくっとおちた。
それまでは順調にきてたから「このまま落とさずいけるか?」と思っていたけど、甘かった。
35キロから、何度止まろうと思ったか・・・。
でも止まるのはいやだった。
それなのに、33通りについたことがちょうど4時間で、
ちょうど交通規制解除の時間に。。。
信号で何度ももとまる。
とまると足が棒になり、動きだすのが精一杯。
これは、無理かもしれないというのが頭をよぎる。
どうにか左足をひきづりながら一歩一歩すすみ、
やっと競技場が近づいてきた。
「あと少し、あきらめないで、一歩ずつ」と言い聞かせて進む。
ゲートが見えた!そうすると最後の力が沸いてきた!
やっとゴール!こんなに故障ぎみだったのに、タイムはどうにか更新できたみたい。完走できたことに感謝。
来年は、交通規制の前にゴールしたい!
2008/01/12    第35回東海村新春マラソン大会    1時間55分
嵐のような天気で、コンディション最悪。
マラソンをやる人がまわりに増えて、
自分以外に5名が参加。
知ってる人いると楽しいな。
目標の2時間きり達成!
人数すくないからこのタイムで種目年齢別で8位だった。
来年は6位以内に入って、乾燥芋もらうぞ!!
2007/12/09    ホノルルマラソン    4時間41分
ホノルルマラソン当日はすごいスコールで大変だったけど、無事に完走できた。
スコールの影響でタイム計測にトラブルがあり、タイムが不明の人も沢山いたみたいだけれど、
幸運にも私も姉も無事に計測できたようで完走証もらえた。
ホノルルマラソンはスタートからすごいスコールにやられてなかなか前にすすまないし、
マイル表示だったためラップを測ることもできず、しかも途中で姉とはぐれて探しながらだったし、
何の計画もできないレース展開になってしまったけど、ファンランでタイムは4時間41分だったから、
勝田では4時間30分を切ることができるかもしれないという好感触!怪我もせずよかった!
プロのランナーや芸能人も沢山いた!私が見たのは、元資生堂の吉田香織や水谷理沙?、長谷川理恵や児玉清だけだったけど、
他には、高橋克典やケツメイシや田尾監督や間かんぺいや有森裕子などいたようだ。
マラソン旅行は楽しい!那覇マラソンや北海道マラソンも出てみたくなった!ちなみに、参加人数は28000人くらい、最終ゴールの方は12時間50分だった。
諦めない気持ち素晴らしい!!!
2007/11/11       結果を入力
2007/04/15    第17回かすみがうらマラソン    4時間57分38秒
マラソンはじめて8ヶ月目
初フル
無謀な挑戦か。
でも挑戦したい!


放送でカウントダウンが始まり、
「3、2、1、スタート!」
長い長い42.195キロの旅の始まり。

混んでいてなかなか進まない。
3分後にスタートゲートを通過。
なんたって、総勢1万4千人の参加だもの。

スタートゲートをくぐるとき、時計のラップをスタート。
フルは30キロからが後半といわれるくらいきついから、
いつもよりペースを落として、キロ6分半で走る。
10キロ地点までは、10分前に出発した
10マイルの人と同じコース。
相方をさがしたけど、見つからず。

ロリータファツションのコスプレランナーが
左手に人形と籠をもって走っていた。
すごいな。楽しみ方がいろいろなのだろう。

あっという前に10キロ地点で、
10マイルの人は右に曲がっていった。
フルはまっすぐ直進。
人数が減り、少し寂しくなる。

20キロまでは、疲れもなく、
「やばい、エネルギーあまるかも」と思ってたけど、
27キロ地点から苦しくなってきて、
30キロには、苦しくて苦しくて、
キロ9分以下に落ちた。
9割方の人が、歩いていた。
私は、歩くのだけは嫌で、おそいながら走った。
早歩きに人に抜かされても、走ることにこだわった。

30キロ以降は予想以上にきつく、
「私、なんでこんな苦しいことしているんだろう・・・」と
フルに出たことを少し後悔し始めた。
走っているものの、ほとんど体は前に進んでいない感覚。
いつとまったもおかしくない状態。
両腕はしびれてきて、持参した梅干を必死に食べて、
途中の捕食のバナナや漬物も必死に食べた。
もってきたゼリーも食べても、
エネルギーが切れそうだった。
気力もなくなりそうだった。

35キロ地点にさしかかったら、
とうとう5時間のペースメーカーが来てしまった。
風船をつけたペースメーカと一緒に大量の人が走っていた。
どうにか私もそれについていくことにした。
4時間台は夢なのだと実感。
どうにかペースメーカについていこうと思っていたが、
ついていけなくなっていってあきらめかけたとき、
ちょうど37キロ地点す過ぎたあたり、
ペースメーカの風船を見ていたら、
いきなり、頭からフワッと何かが抜けた。
そしたら、呼吸がとつぜん軽くなり、
疲れを感じなくなった。
これがランナーズハイだとすぐわかった。
足は少し重いが、痛みは感じない。
というか、早く走りたくてしょうがなくなり、
ペースメーカーを追い越してがんがん走った。
自分で、目の瞳孔が開いてるのが分かり、
まっすぐしか見えず、無表情なのが分かった。
ウォークマンの音もあまり聞こえず、
まるで別の世界のようだった。
このまま、ランナーズハイのままなら
走りきれるかもしれないと希望がわいてきた。
が、途中余計な事を考えると、
ランナーズハイから抜けてしまうのがわかり、
そして、また無心になると、ランナーズハイになるのが分かる。
ランナーズハイとは、
頭の中で快楽になる神経物質が出ることで、
それが出続けるには、無心でいることが重要だとわかった。

38キロの看板の看板を猛スピードでかけぬけて、
やっと40キロの看板。
かすみがうら湖の周辺の長い旅が終わり、
一般道に出た。
「あと2キロ」の看板。
ただ無心でこのまま走りきれるように祈る。
ここでまた元の感覚にもどったら、きっと走れきれない。
「あと1キロ」の看板が見えてきた。
嬉しくて嬉しくて、泣けてきた。
そして、「42キロ地点」の看板を見て、
「あと、0.195キロだ」と希望がわいてくる。
どうかこのまま完走できますようにとひたすら祈った。

42キロからがまた長かった。
元にもどってしまわないか、不安でいっぱいだった。
誘導の人に促されるまま、左に曲がったら、
ゴールのゲートが見えてきた。
その瞬間、あまりの嬉しさに、涙がこみあげてきた。
「よくここまできた、がんばったと」と、
素直に自分で自分が誇らしく思えた。
途中でやめてしまおうと何度も思い、
完走できないかもしれないと思い、
あの苦しさに耐え、痛みに耐え、よくここまできた。
あとはゴールするだけだ。
半泣きのままゴール!
4時間57分。ぎりぎり4時間台だ。
ゴールした瞬間、感動して嬉しくて、
やっと苦しみから解放された安堵と、
限界を超えた達成感で号泣してしまった。

チップを取り外しているとき、
隣の人に「お疲れ様でした」と話かけて、
称えあったらたら、また泣けてきた。
みんなよくあの苦しみを耐えたなって、
みんなに本当に尊敬を覚えた。
特に盲人ランナーは、本当にすごい。
あの苦しみの他に、見えない恐怖とも戦いながら、
よくゴールした。
伴走の人達も、自分の疲れもあるだろうに、
盲人ランナーを支えて、
すばらしいボランティア精神だと感動。
チップを渡し終えたとき、相方が迎えにきた。
安堵感がおしよせてきて、「苦しかった」と言って、
また泣いてしまった。
だって、だって、本当に苦しかった。
「よくがんばったな」といわれて、また泣けてきた。

こうして私の初フルマラソンは終わった。
苦しかったけど、完走後の感動は、
それ以上のものだった。
今まで生きてきて、一番感動した。
こんな感動があるのだと、はじめて知った。
この感動は一生忘れない。
私の宝物。
2007/02/04    41回青梅マラソン    2時間59分34秒
マラソンはじめて6ヶ月目
30キロ
姉と姉彼と参加。
第41回青梅マラソン大会、無事完走!!!
正規記録は、

順  位  550
30kmタイム 02:59:34

関門通過タイム
15km 01:31:08 (583)
20km 01:59:01 (536)
25km 02:29:25 (531)
30km 02:59:34 (550)


スポーツ報知のホームページでの正式記録。

なにせ15,000人がスタートするから、
ゴール時の電光掲示板のタイムとは少し違ってくる。
だから、ゴール直後の完走証にはまだ名前も記録もない状態。
次の日にやっとタイムが分かった。

ゴールの時、電光掲示板を見たときは、02:59:48だった。
どちらにしろぎりぎり2時間台!!!
我ながらよくやったと思った!

練習では3時間半くらいだと思っていたし、
3箇所の関門も無事時間内に通過できたし、
そして、2時間台というおまけつきで、
満足満足!!

沿道の人達の応援、沢山の差し入れがあり、
和太鼓の応援、老人ホームのみなさんの応援、
仮装した人達の応援、青梅全体で応援をありがとう。
河辺を出発して、奥多摩の山を走り、
折り返してまた河辺に戻るコース。
かなりのアップダウンだったけど、
沢山の食べ物、給水で何度も元気をもらった。

マラソンは一人の競技だけど、
いろんな人に支えられていると実感する。
そして、自分以外のランナーも、仲間のような意識があり、
こんなに沢山の人達とともに、一つの目的地を目指して、
競いあいながら、励ましあいながら、
友に3時間の旅を完走できたこと、
こんな楽しいひと時は幸せだった。
確かに息は苦しいし、親知らずは痛いし、月の物は気になるし、
それでもとても楽しかった。苦しいけど楽しい!

練習で27キロまでしか経験していなかった私は、
最後の3キロがとてつも長い時間だった。
苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて、
何度止まろうかと思った。
でも、止まったら、再び走り出せる勇気はなくなるだろうと思い、
ただただ足を動かしていた。
声援があったからそこ、がんばれた。
人の温かい声援が、沈みかかった私に力をくれた。
「V---さん(私の番号)、もう少しだ!がんばれ!」とか、
「もうすぐだ!あきらめるな」とか、
「よく河辺までもどってきたね!ゴールはすぐそこだ!」とか、
いろんな声援がきこえた。

それにしても、東京でもこんな田舎があるとは驚いた。
とても景色がきれい。
畑もあるし、川(多摩川?)もながれて、滝のようなものもあり、
鳥も低空飛行していて、大して茨城とかわらない形式があった。
自然のちからはすごい。
コースが山をはしっていなかったら、
私はリタイアしていたかもしれない。

青梅のみなさん、暖かい応援と、たくさんの食べ物と、
ほんとにありがとう。
2007/01/08    第34回東海村新春マラソン大会    2時間6分48秒
初マラソン大会
ハーフ
マラソンはじめて5ヶ月目
姉(10キロ)と参加

前の日から実家に泊まった。
8時〜9時受付だから、7時に起きた。
私のスタート時間は10時。
レース2〜3時間前には食事を済ませておかないといけなため、
起きて速攻食べた。
姉に言われるまま、お餅を2個。きなこで食べた。
それに味噌汁とオレンジジュース。
これで昨日の夜からのカーボローデング終了。
あとは本番前にアミノ酸のパウダーを飲んでスタートする。

8時半に受付をすませ、姉とストレッチ。
姉は私にウィングを施してくれて、
残りはアップをしてくるように言われてジョギング。

アップ中、小学生低学年のがスタート。
あんなに小さくても、転びそうでも、マラソンの練習をして、
一キロも走るなんて、本当に驚きだ。

あっという間にスタート時間。
10時。どきどきのままスタート。
ありえない速さに戸惑いながら、自分のペースを守ろうと、
心をおちつかえる。
そして、無事完走!
記録は、2時間6分54秒。
怪我もあったし、年末の試走では、
制限時間(2時間30分)ぎりぎりの予想だったから、
とても不安だったが、完走してみたら2時間ちょっとで走れ、
すごく嬉しかった。
足もどうにか持ちこたえてくれて、
とにかく完走できてよかった。
39歳以下の部では20位。
年齢別ではちょうど真ん中ぐらいだった。
びりにならず、本当によかった。
総合ではよくわからない。
次回は、あと7分縮めて、
2時間を切れるようにしたい!


本当にとても楽しい2時間だった。
ランナー同士で「頑張れ!」って声を掛け合って、
個人競技だけれど、団体競技のような共有間があった。
きっと、入賞をねらうような上位の人は
そういう感じではないのだろうけど、
完走が目的の人達には、そういう仲間意識があった。
私がペースが落ちると、みんな話しかけてきて、
疲れないように、ペースが落ちないように、
同じペースの人とおしゃべりをしながら走る2時間は、
本当にあっという間だった。
みんなに助けられて走りきれ初めてのハーフマラソンだった。


私に最初に話しかけてきてくれた女の人は、
今回特別な思い入れがあったようで、
少し世間話をしあと、「聞いてもらっていいですか?」と
言ってきて、今回のマラソンへの思い入れを話してきた。
どうやら、高校生の娘さんが、登校拒否になってしまい、
うつ病になってしまい、
自殺未遂を何度もするようになってしまったそうだ。
その間家庭もごちゃごちゃで、マラソンどころじゃなく、
練習もできず、マラソン自体やめてしまおうとか
思ったそうだが、でも、ここでやめたら、
娘さんまでもう立ち直れなくなる気がして、
苦しいけど頑張ろうとおもったそうだ。
苦しさは違うけど、娘が苦しんでいるんだから、
自分もマラソンの苦しさに立ち向かおうと決意したそうだ。
涙ながらに「足をひきづってでも絶対完走する!
娘のためにも絶対完走する!」と話してくれた。
「娘がゴールで待っていているから」と
力強く話してくれた。
私まで頑張ろうと思えてきた。
あと話した人は、勝田マラソンの試走で走っているようで、
勝田マラソンの楽しさを語ってくれた。
地元開催の勝田マラソンは今回で11回目の参加なんだと
嬉しそうに話してくれた。
その他、サッカーの話もしたり、
マラソン以外の話もけっこうした。

ハーフだけで数百名いるランナーの中には、
80歳くらいの高速ランナーがいたり、
歩いている高齢のランナーがいたり、
夫婦ではしっているひと、チームで走っているひと、
一人で黙々と走っている人、
足が痛くなり途中で座ってしまっている人、
コースを間違えて走っていってしまう人、
救急車で運ばれていくひと、
2時間の間にいろんなドラマがあった。

なんか、ただのマラソンだが、
人によってそれぞれの思い入れがあり、
日々の練習のつらさがあり、楽しさもあり、
目標もあり、とても奥の深いものだと感じた。

ランナーもそうだが、
運営をしてくれてるみなさんの力も感じた。
前日から用意してくれて、当日もすごい人数の人が
運営をしてくれていた。
そして、つらい時に沿道から聞こえてくる応援が、
すごくすごく力をくれることも分かった。

マラソンは個人競技だが、
本当に沢山の人の力のもとできるものなのだと、
改めて広い目で感謝する気持ちが沸いてきた。

完走した瞬間は、
まだエネルギーが少しあまってしまったから、
へろへろにはならず少し不満で、
少しペース配分の勉強不足を感じたが、
達成感と爽快感はなんともいえない感動だった。

今思えば、マラソンを始めた頃は、
30分走るのが精一杯でしたが、
2ヶ月を過ぎると60分はしれるようになり、
今では週末2時間はしれるようになり、
継続はすごい力になるんだと実感した。
はじめは、ハーフマラソンなんてかなわぬ夢だったが、
今完走してみて思うのは、
なんでも継続していくうちに、
努力しだいで夢も目標に変わると体験した。
やる前からあきらめる必要はなく、
スポーツでも仕事でもなんでも、
挑戦してあきらめずやれば、
きっといつか力になるんだなと思った。
限界は自分できめているだけで、
可能性は無限なのだと感じた。
マラソンでの次の夢はフル完走なので、
一年かけてトレーニングしながら、
夢から目標にかえて、夢をかなえたいと思う。

次は一ヶ月後の青梅マラソン30キロ。
がんばろう。