みや
地域 : 千葉
年齢 : 団塊の世代
一言 :
一言 :
ゆっくりでも走りたい! ゆっくりでも走りたい! ゆっくりでも走りたい! ゆっくりでも走りたい! ゆっくりでも走りたい! ゆっくりでも走りたい! ゆっくりでも走りたい! ゆっくりでも走りたい!
2007/05
月日 | 距離 | 内容 | タイム | メモ |
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5/01 火 | 0.0 | 急遽小守スポO先生へ。28日(土)に右内側踝上に違和感と腫れがあり、29日(日)にはっきりと痛みを確認した。左足を無意識に庇っての状態だろうと言う。なんかそうではない気がしている。帰宅後すぐに母の元へ動いたので北千葉整形は行けず。母の言動がおかしかったので着くまで心配だった。 |
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5/02 水 | 0.0 | 潮来の温泉へ。途中佐原の街並みを散策。水郷を通り舟で江戸との商売をしていたという佐原の街並みは江戸時代にタイムスリップしたようで楽しかった。飛騨高山の様にきちっと保存体制が出来ていないのか、時々新しい家がポンと建っているのは戴けない。 |
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5/03 木 | 0.0 | チェックアウト後鹿島神宮経由帰宅。萩往還に参加の人達を来者如帰で応援する。「完踏したい」という強い気持ちが字面を通して伝わってきてネットカキコミだけでこんなに感動するかと言うほど全員のゴールは盛り上がった。 |
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5/04 金 | 0.0 | 生垣の伐採。母の病気故兄は家に来られず、植木屋さんにも妄想を持っている様子が伺えるので妹と二人一念発起してやってみる。ひどいところだけ集中してやったので3時間で終わった。 |
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5/05 土 | 0.0 | 昼頃帰宅。やはり自分の家が一番落ち着く。少し動けるかとランニングの格好をして出かけたが歩くのも痛いのだ。一体私の足はどうなってしまったのだ。昨日から喉の調子もおかしいし正直落ち込んでいて何もする元気が出ない。 |
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5/06 日 | 0.0 | 大雨。腫れている、歩くのも痛い。サロマ諦めなければいかないか。その前の8耐も、皇居も・・・。とうとうゴールデンウィークは走れずじまい。落ち込んでいる。☆ |
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5/07 月 | 0.0 | 小守スポO先生。右脚+足底が張っているのでそれを緩めることで楽になるようにしたと。別の致命的なものかも知れず、が本当に一生懸命やってくれる。北千葉整形、骨に異常なし。帯状疱疹かも知れないから皮膚科へ行った方が良いと。 |
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5/08 火 | 0.0 | 皮膚科。帯状疱疹ではないと思うが断定も出来ないと言う。初期処方が大事だから取りあえず4日分薬をくれる。ロキソニンを飲んだら痛みが少し和らいだ。では何なのだと振り出しだ。母は盛んに「家に帰る」と言う。 |
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5/09 水 | 0.0 | 来者如帰に現状を書いて助けを求めたら即専門家が詳しく説明して下さった。先の萩の時といい、来者如帰に感謝したい。母と買い物中同級生と遭遇、そのまま中学生にタイムトリップしおしゃべりに花が咲く。 |
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5/10 木 | 0.0 | 母をデイケアに送り出し即帰宅。北千葉整形へ。MRIを撮ってみないと最終判断出来ないが4分の3の確率で骨に起因している(骨折、骨膜炎)。頸骨に沿った痛み、常時痛い、腫れ、あともう一つなんだったか忘れた。ショックなり。 |
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5/11 金 | 0.0 | 訪問介護実習の日。会社でレクチャーを受けてから一人で現地に向かい現地合流。午前は要介護1の82歳独居女性。母を見ているようで楽しかった。元華道の先生で室内はお花に溢れていた。古い家にはこの方の歴史が見てとれて興味深い。午後は要介護4の94歳独居女性。子供・孫は皆アメリカに住んでいるというこの方は戦後台湾から引き揚げてきた時に千葉の海から新鮮な魚が揚がっているのを見てここに住んだという。室内は世界各国の調度品で埋まっていた。人はそれぞれの歴史を抱えて生きているんだなあと人とのふれあいが出来るヘルパーの仕事は楽しからず哉とおもう。 |
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5/12 土 | 0.0 | バンバン8耐 |
バンバン8耐。走れないのでエードを。実行委員長より人が足らないので頼むと言われていたが、なるほど中心になる人がいない・・で、私が行って良かったと本音です。いつもながら皆楽しげに走っておりそれを見て力をもらう。エードも忙しかったけれど又楽しからず哉、何でも経験でしょ。指文字習得ならず、タマセブンとは筆談にて。 |
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5/13 日 | 0.0 | どうも他人より動き回る嫌いがあるので、アキレス練習会は思い切ってパス。午前中生垣の伐採、もう1ヶ月も前から気になっていたのをやっと実行。一気にクリクリボウズにしてしまった、何又すぐ伸びるでしょ。午後美、わざわざご苦労なこった。 |
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5/14 月 | 0.0 | 今日MRIを撮りその結果やはり疲労骨折だった。骨折していた左脚を無意識に庇っていただろうこと、26年もの間ランニングをしてきてその歪みが今吹き出たかも知れないこと、年齢的に骨・筋肉の快復力が極端に鈍くなること、D若いアスリートなら3〜4週間で回復しランを再開出来るが、私の年齢ではその倍は掛かること。と言うことでサロマは絶望的、出場はしない。暫くはランニングのことを頭から抜こうかなと思っている。又ランニング出来る日を楽しみにせめて筋トレに励みますかな。 |
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5/15 火 | 0.0 | 凹んで一日家にいたが庭木の剪定と草取りに費やした。夕方水泳。今日は足を余り使わないで済んだ。 |
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5/16 水 | 0.0 | 施設実習1日目、老人健保施設「みどりの家」いきなり認知症者のフロアーに配属。それは想像以上の状態で、母のことを考えればまだ母は施設に入るべきではないと思った。第1日で自分は施設では働けない人間と自分を判断。スクールで習ったこととは大部違うやり方、状況・・全て想定内ではあるけれど大規模施設の実利主義に戸惑う。 |
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5/17 木 | 0.0 | 施設実習2日目、認知症以外のフロアー。前日とは違って全く静かで驚く。100歳で杖なく歩き耳も頭もクリアーな人、76歳で自分は何も出来ないと嘆いている人・・人生の縮図を見る想い。時間の経つのが遅く感じた一日、つまり私には楽しくなかった一日。 |
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5/18 金 | 0.0 | 施設実習3日目、デイケア施設へ。大規模施設ではきめ細かなケアは無理ではないかとの疑問が生まれる。母の行っているところはむしろ特異というべきか、有り難いところに出会ったものだと思いを馳せる。家にゆっくり落ち着く間もなく実家へ直行、案の定母は不安定であった。 |
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5/19 土 | 0.0 | 母と一緒にいるからといっても何もすることはない。母は庭に出て鉢植えの手入れに余念がない、一体どこが病気なのかと思うほど。ゆったりゆっくり時間は流れる。 |
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5/20 日 | 0.0 | 朝5時実家を出発。家に着いてからお風呂着替えて即出発、皇居50キロの応援に。10時半現地到着しそのまま反対回りに歩いて一周することに。エイドをしているOさんを激励するつもりが反対に励まされ、又ランナーを応援していっぱい元気をもらう。アフターは総勢12人、いつもながら楽しい気の置けない仲間。萩を完踏したMさんやSさんをもっと形でお祝いしてあげれば良かったと後になって思う。 |
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5/21 月 | 0.0 | 小守スポO先生。骨折なら仕方がないけど一日も早く復帰出来るように頑張ろうと言って下さった、有り難い。筋肉の固さが結局骨を金属疲労のように摩耗させているという説明は良く判った。今日は随分歩いたからか痛みが強い。実家へ。 |
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5/22 火 | 0.0 | 母、妹とランチ。妹の孫2歳のやんちゃに楽しいひととき。ちょっと前のことは何も覚えていない母に起承転結など笑止千万ということなのだろうが、それをせずにいられない自分に落ち込む。今の母を施設に入れる気持ちにはならない、と妹と確認した。が、その時はいつくるのかをしっかり見極めなければならないのだ。 |
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5/23 水 | 0.0 | |||
5/24 木 | 0.0 | |||
5/25 金 | 0.0 | |||
5/26 土 | 0.0 | |||
5/27 日 | 0.0 | |||
5/28 月 | 0.0 | |||
5/29 火 | 0.0 | |||
5/30 水 | 0.0 | |||
5/31 木 | 0.0 | |||
走行距離 | 0.0 km |