あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
6/01 水 10.0   スタバは何かとお得であるということを知った…今さら?(^_^;)
同じ値段でも容量は他店より多いめやし、レシートもっていくと100円でオカワリできる制度とかあるらしい!
 バイト通勤経路にスタバがないのが惜しい…あるといえばあるが状況的にムリヤリになる(-_-)
 
6/02 木 10.0   そろそろ梅干し漬けまひょか(*^_^*)
今年は6`以上仕込む!
 とりあえず2キロ、某所にてGET☆3Lサイズの良品♪
 
6/03 金 10.0   ひとは、日の出とともに起きるのが最も健康的であるようだ…特に、目の使い方(*^_^*)
起きていきなりの電気スタンドや蛍光灯が、いかに目に刺激的なものであるか…年を取らないと気がつかないことかもしれないが(-_-;)
 よって、夜明け前起床すぐの勉強(読書)は好ましくない。ウオークマンでできる語学学習か、おつとめか、「朝日に向けてRUN」か、もしくは開き直って明るくなるまで寝ておくか(-_-;)
…本日は4番目を選択。しかし理想は3番目…よっしゃ、来週からは!ヽ(^o^)丿
 
6/04 土 20.8   天安門事件から27年とか。
概要がわからんとゆーわけではないが、わからん。
「わからん」の意味が違うのだよ…そこまでアホちゃうで。
 「民主化」とゆー、コチラ側にとって都合のよろしい展開の象徴的大事件であるから「記念日」のように毎年報じられているが、未だに情報封鎖されたり運動家が意図的に弾圧されている現状をみると、実際には「かの国はほとんど変わっていない」という風に見えてしまうのである。
 といいつつ、ジワジワと「それでも抑え込めきれない事態」になっているのは、このネット社会の展開によるところ大なのであって、だからこそあの事件は27年経った今も大きな意義を持つものとして世界から評価を受けているのだと思う。すなわち、天安門事件は「大きなきっかけ」ではあったかもしれないが、逆に言えばそれ自体は「きっかけ」というだけのことであり、具体的にはさらに続々と実効力のある戦いが挑まれ続けている中、そんなことばかりいつまでも報道してる姿勢が、まずは「わからない」のである。
 フーさんやリュウさん、ダライ・ラマ14世など、その運動をノーベル平和賞レベルで評価(ある意味、威嚇)されるような展開があっても、ビクともしないような体制も、またフシギで「わからない」点でもある。その自信、どっから来るのか?その大いなる「中華思想」の源泉はどこにあるのか?…いわゆる「格義仏教」の時代にはそれが成立していたとすれば、わたしには個人的にそれを追求する余力が持てず、これまたまったく「わからない」問題となる。
 そして…いずれ仮に、「民主化に成功した」とされても、それが完全な「民主化」となり得ているのかどうか?という点が最大の「わからない」である。新疆ウイグル・チベット・広西・寧夏・内モンゴルの人々が、尊厳もヘッタクレもない扱いを受けてきた事実から見る限り、それは特定の民族に限って展開されるにとどまるのではないか?という懸念と疑問が永遠に残るように思う。見せたいものだけを見せられて安心しているだけならば、それは「変わらない」どころか「事態の悪化」に進む危険すらあるのである。
 あーわからん(-_-;)
 
6/05 日 0.0   雨だからゼロ(-_-)キリッ。
夏用のサンダルGET(TEXCY)。
 なんと7回目のヘビーローテーション(*^_^*)
 最初から「ベスト」に当たったからこうなるのか、「そこから先」に踏み出せない性格なのか…まぁ靴くらいのことで深刻に考える必要もないわな。
 
6/06 月 10.0   観往、おバカばーじょん終了宣言。
まずは世界地図撮影完了(*^_^*)パシャリ!
…「撮影」とゆー意味がわかるアナタは、かなりの観往ツウ!(^_-)-☆
 「おれ、トーダイ卒!」と聞いてスゲーッ!とゆーと、実はそれが「東海大」だったり「東洋大」だったりするという自虐的ギャグは関東圏にしか通じないかもしれないが…くだらないようでいて結構ウケル「○○卒ネタ」は、全国的にあるようだ。略称にするがゆえに該当対象が複数化するのである。
 最近、「シンダイ」とゆーのが「神戸大」のことであると聞いたのだが、これは関西圏だからのこと…東日本で「シンダイ」といえば「信州大」か「新潟大」である。また、もし漢字の略称で「神大」とかけば、それは間違いなく「神奈川大」となるであろう。「リッツ」なんてゆーたら「ナビスコかい!」と突っ込まれるかもしれないし、「キョーサン大」と聞いたら「京産大」より「共産大」とまずは変換される可能性が高く、「やばくねぇ?」なんていらぬ心配を受けるかもしれない(-_-;)
 実はワタクシの母校も、省略すると「キョーダイ」になる…もはや学生たちの間では鉄板ネタになっているのかもしれないが、このことに気付いたときはひとりでバカウケした(*^▽^*)ギャハハ!
 コツは、唇に挟んだゴマをひと粒、静かに噴き出すように音を出してから「キョーダイ」とゆーことです。ウソを言っているわけではありませんが、相手は勝手に誤解するでしょう(^o^)丿
 …「おバカばーじょん終了」とゆーたそばから、これかよ…(゜_゜;)
 (注:ちなみに、文中の「ゆー」は、わざとやっていることです、念のため)
 
6/07 火 10.0   昨日の京都新聞一面に掲載の記事。
疾患や障害のある女性に強制的に不妊手術が展開されたという話。1953〜75年という「ごく最近」のことである。
支援団体は、「謝罪と救済」を求めているという。
それはそれとして、「そうなるようになっていた時代であった」ということは、あらゆる意味で決して間違えてはならないところがあると思う。
 「人権」を盾に、あれこれ運動するのは結構だ。しかし、そういう人たちに問いたい。あなた方は、どう考えても自分で子供が育てられない状況にある女性が産んだ子供の人生そしてその家族のすべてに責任が負えるのか?ということだ。そういう肝心なところをすべて「外部委託」した上で理想論をまくしたてることなら誰にでもできる。
 1953〜75年という時代は、心身障害者に対して「今現在」では考えられないほどの「差別と遮断」が展開していた。当人並びにその家族一族が、社会に対してどれほどの緊張と遠慮を強いられてきたか。また、将来に対してどれほどの不安と恐怖を感じていたことか…その深さや重さを少しでも解消するためにすがる術は、たとえ「犯罪行為」に等しいものであったとしても第三者が全否定できることではないとわたしは思っている。
 今回の記事に強調されている「強制」という言葉がどれほどの意味を持っているかはわからないが、少なくともそのこと・その時点で「人生を救済された人」は確実にいるはずだ。そうした「悲しい事実」を看過して、現代的思潮を基準に置いた評価はされるべきではない。
 (注:ちなみに、文中の「障害者」は、現在のそれと違うことを承知の上で表記しています。「害」としてさんざんいたぶられ続けた経験上、その同じ口が「碍」だの「がい」だのに言い替えしていることへの違和感をぬぐい切れていないからです。)
 
6/08 水 10.0   今年はアジサイがことのほか鮮やかに咲いてますなー(*^_^*)
去年とは大違いや。
 植物にも「調子イイ・ワルイ」の波があるようだね。
 たまたま、タケノコが「隔年で豊作」の傾向にあると聞いたばかり…「1年に1回」といいつつ、実際のバイオリズムは2年に1回の周期なのかもしれない。わたしは「12年に1回」程度だがー(-_-;)
 
6/09 木 10.0   わたしは「ひとまわりちょっと離れた世代」との相性がめちゃ悪い。
その例にもれず、な現象が再び(-_-;)
誰でもそうかもしれないが。
 今のところ、奇跡的に「OK」だったのはひとりしかいない…いろいろ鑑みるに、年下世代で「イイカンジの相性」を感じるのは今の大学生あたりかと思う。
 なんやかやゆーて、「親・子くらい」の年齢差があると、そこにはなにか通底する感性や感覚があるように感じられるのである…経験上。
 
6/10 金 10.0   SKTは、完璧に理論化された言語であるという…そやし
本来そこには「不規則な変化」などというものは認められないはずで、仮に例外があるならば、その点をしっかり特記・明記すべきなのだ。
たとえば動詞第一種活用のいくつかのように。
 √as(ある)のimpf、2nd・3rd(PA)の変化が、本来の変化則とは違う変な活用をしている…ここにひっかかり、本日の朝の通勤は中国語講座をキャンセル、歩きスマホのアホよろしく参考書を眺めながら、その謎を必死に追っていた。
 結局それは「これはイレギュラーな変化です」ということであったのだが、それがわかったのは伝統ある文法書からではなく、まったくの一般人(ある意味驚異的天才)の開設するサイトの解説によってであった。
 とことん納得しないと先に進めないこの要領の悪さは今に始まったことではないが、「基礎・基本」といいつつ、初心者・素人が躓きがちなところをあっさりスルーしているような文法書にも問題ありなんとちゃうか?と思うのである。
 SKTには、ほんまに苦労させれた。しかし、こういうアホが長年かかってそれを「モノ」にし始めている今、ここまでの経過経緯は「サルでもわかるSKT」みたいな参考書を出版できる布石となり得たのではないか?なんて思ったりする。
 少なくとも、家の事情か何かでいやいや仏教系大学に入り、単位のためにいやいやSKTを受講している学生たちには、親切な講師になれそうな気がする…ならへんけど。
 
6/11 土 20.0   1日、ハウスマヌカンもどき。
…とか言っても今の若い世代には通じひんか。
 今風に言えば、「ショップ店員」ってやつか。
 これまでいろいろな「販売」にかかわってきたが、それでもファッション系には縁がないだろうと思っていただけになかなか楽しい出来事であった。まぁファッションゆーても、ちょっと特殊なジャンルのもんやったけど。
 
6/12 日 20.0   よりにもよってマクドとは…という複雑な思い。
あれを買収するのは7回生まれ変わっても無理な話だ。
 ひとりの人がこれまで生きてきた中にある思い出深い場所や建物が、そのまま残っている確率というのはどのくらいものものだろう?
 わたしについていえば、最初の小学校の特徴ある外壁の色が変わり、一時住んでいたある場所は平成の大合併で町村名すらなくなり、中学校は移転、最初に入った高校は廃校、住んでいたアバラ屋は駐車場に、働いていた工場やビルは消滅、そしてイマノワタクシが形成される「原点」となったふるさとはマクドになってしまった。
 諸行無常。しかし、今もその場所に立てば、わたしの目に映るのは「あのときのまま」の光景なのである。
 
6/13 月 0.0   シフトではないがちょっとした用事があり、バイト先へ(-_-;)
三千院あたりまでRUNしてから行こうかと思っていたが、雨なのでNG。図書館経由。
 やっぱし、同世代の人との話は落ち着くわ。
 
 
6/14 火 15.0   ガラパゴス諸島はエクアドル領。
エクアドルは、南米大陸の左上くらいにある国だよ。
 地図を見直しても、Wikiを見ても、この説明は間違っていないようなのだが、「違う」という見解がこの世には存在するらしい。
 世界は広い。
 
6/15 水 15.0   この数年、わたしの映る写真に「ある傾向」がある。
 
ちょっと気になるので、プチ鑑定を試みる。
 やはりそうか。
 
6/16 木 10.0   1メートル超に育ったミニトマト
しかし、確認できているトマトの数は5個(-_-;)
 しょせんバケツで育てるレベルはこんなもんかー?と思いたいところだが、できている人はできていることを考えると、おそらく何かが足りひんのである…日照か、肥料か、愛情か…(-_-;)
 そんな中、今年着手したアサガオの育て方からヒントを得た。もしかしたら、ある程度伸びてきた段階で「摘心」し、枝分かれをさせることが有効なのではないか?と。
 わたしのようなミニトマト栽培者はかなりいるので、この点に注目してよその鉢を観察してみようと思う。ドロボウと間違えられへんように気ィつけんと(-_-;)
 
6/17 金 10.0   とあるところに、しゃれた八百屋を発見した。聞けば、半年前からあったそうな…灯台下暗し(-_-;)
販路を見いだせない個人農業家の「作品」が集められている。むろん、無農薬・減農薬等のコンセプトである。
 「こじんまりと生きる」…そんなライフスタイルがこれからの主流になるような気がする。っていうか、すでにジワジワとそうなりつつあるような気がしている。
 ある程度、年齢を経た人の行きついた余興的人生の展開としてはこういう考え方も以前から存在していたが、最近は、若い人がその価値や意味にボチボチ気付き始めているように思うのである。現代は「閉塞的な社会」だのなんだのとネガティブに表現されるが、それは既存の概念を基盤に据えて、「今までのように進展しない」から比較的にそのように思われているだけなのであるということがよくわかるというものだ。
 「企業サラリーマンとなって財力や名誉をモノにする」というかたちを人生に当てはめることが難しくなった今、「だったらどうすればよいのか」ということに対する答えを、若い人はたくましくも次々に表現しだしている。概観としてそれらは約半世紀前の「個人商店」の復活に他ならないのだが、従来と違うのは、それがどれだけの頑固な信念やこだわりをもって展開されるものであっても、賛同者や支援者が必ずそれなりに集まるということである。これは昨今のネットコミュニケーションの発展に寄るところ大なのであって、この意味で、やはり小林会長の「C&C」構想は素晴らしい先見の明であり予言であったと思う。
 人道に外れず、欲を張らず、自分に等身大の人生を正しく生きていこうという思いさえしっかりしていれば、そのまま生きていくことが可能な世界。そのうち、「名誉」だの「権力」だのというコトバ自体が死語になるのではないだろうか…実際にはその兆候が「ようやく見え始めた」ばかりで、それがアタリマエという完成形に至るにはあと100年はかかるかと思う。それが見られずに人生が終わってしまうのはなんだかさびしいような気もするのだが、せめてその「一端の表現者」くらいにはなってから死にたいものだと思ったりする今日この頃である。
 
6/18 土 38.0   大原野・善峯寺
このコース、なかなかヨイぞ。
 道中、家庭菜園らしき畑の「トマト」をちょくちょくと観察したが、枝分かれさせて育てているような工夫は見当たらず…うーん、謎は謎のままだ。
 
6/19 日 0.0   雨だからゼロ(-_-)キリッ。
ようやく、「ライムギ100%パン」をゲト。
 まずはこのパンに、ハチミツとバターをちょこんとのせてパクリ。そのあと、カップヌードルのリッチなんとかとコンビニの冷凍焼きおにぎりをパクパク。そのあと、プレーンヨーグルトをちょいと。
 はっきり言って、「食べ物の味」を感じたのは最初と最後の品だけで、あとは「なに食べさしてくれてんねん」な食感。
 厳密な意味で、「食べ物とは何か」「食べるとは何か」を、ごく自然に教えてくれるカラダが形成されてきたようだ。良い傾向である。
 
6/20 月 21.0   また大原野に行きたいなー!行っちゃおうかなー!…なテンションでRUN(*^_^*)
ここのところの調子のよさ、マジヤバイなレベル…第二のピークやったとしたら、もったいない気もするがしかたない(某計画いまだ留保中)。
とにもかくにも、今はSKTが気にかかる…義務や強制ではなく、かなり積極的かつ趣味的な感覚で思っているところが、つい数か月前と違うところだ。
よって、適当なところで引き返す。
 「100日やってみてダメなことは、さっさとあきらめて切り捨てよう!」と決意したのは数か月前。
 実はそのとき、内心で筆頭に上がっていたコンテンツが「SKT」であった。なんだかんだ言ってこれが仏教学の基礎の基礎であり、これがなければ五十音も知らずに作文を書けと言っているようなものなので、もしダメならもう学問自体をやめちまえ!という気でいたのである。
 以降、じぶんではそれほど緊迫した背水の陣を敷いたつもりはなかったのだが、どうしたことか「解決」への道程が仕組まれたように開けてきた…その不思議に乗って、今モクモク、チャクチャク、ニヤニヤと歩を進めている次第なのだ。
 「学問」だなんだといっても、そもそもその成果は「一般に言われるところの功績」なるものを期待してのものではないし、実際そんなことを目指しているようでは真の意味での「仏教学」とはなり得ないのではないかという気がしている。マンシー先生には及ばぬが、ジョクチョーよりマシなあたりまでには到達したい。
 「わかるひとにはわかる」範囲のものは、ほかの優秀かつ環境に恵まれた学生に任せる。「わからないひとにわからせる」ところに、わたしの真の目的はあるのだ…「難しいところ」を越えて再び俗世間に戻る「廻向的学問」の必要性…やはり、いくら時間がかかっても成し遂げたい魅力が捨てられない!
 
6/21 火 0.0   雨だからゼロ(-_-)キリッ。
朝7時から勉強開始。やる気まんまんヽ(^o^)丿
 ふっと、「浄土教の究極」に関することを入力し始めて、ヤバイヤバイ…と慌てて消した。今までどんな本にも書いてない(と思う)ある切り口のネタであり、安易に公開すべきことではない…いずれ1200円くらいで出版しますのでお楽しみに☆(希望的予告)
…というわけで、話を変える(*^_^*)
 数日前から、ネットニュースでAKB総選挙の話題が持ちきりだ。世代が違うせいか、キャバクラ女子大生バイトの顧客獲得合戦もしくは部活動のレギュラー争いくらいにしか見えないのだが、そこには「一票の格差」だの「経済効果」だのもっともらしい論説が展開され、ある意味、「国民的アイドル」と呼ばれるだけのことはある、たいしたもんだと思わされるのである。ほとんどの人は一々のメンバーを知らず、それぞれがどんな活動をしているのかなどまったく知らず、興味もない。わたしなど、「彼女らの歌」として「♪およしになってティーチャー(オニャンコの曲)」が浮かんでしまうくらい認識がハチャメチャである…「国民的」といいつつ「国民不在」であるその実態は、まさにホンモノの政治とそっくりではないか(*^。^*)アハハハ。
 しかし…この一連の動きについての「ドン」である秋元康は、ひじょうに興味深い男である。思うに、彼はずいぶん若いころから「サトリ」をひらいて完成している…世の中の現実というものを思い知り、ゆえに、「ならばこの際、遊びに遊びきってしまえ」というスタンスで人生を謳歌しているというパターンなのである。「さとり」とゆーと、沈思熟慮と無欲のスタイルばかりが想定されるが実はそんなことはないわけで、その点、それなりに年を食えばだれでも言えるようなことを、時代の波に乗ってもっともらしくご高説ぶって語るようなあの坊さんもどきの品のないバーさんよりもマシな存在であろかとも思うのである。
 ここで言ってることは、秋元が野猿に提供した「Be cool!」という楽曲を聞いてみれば、理解されるであろう(きっと多くの人に)。
 
6/22 水 0.0   便利使いはNG!
…とは思っているのだが、なんだかんだと安請合いしてしまうのは怪舎員時代と変わらず…あかんわ(-_-)
 「何度同じことを繰り返せば気が済むのか」
…これは、最近ワタクシが日常生活のアレコレについて反省するときの重要な「着眼点」となっている。
 会社組織運営における矛盾、人間関係におけるあるあるネタ…いつもまとわりついていた、そして誰にでもどこにでも起こることに、おきまりの怒りや不平不満、グチを垂れているようなありかたに時間を消費するのはもったいない…っていうか、そんなムダな余裕はもうありませんぜ!という心境なのである。
 よって、今回の「便利使い依頼」についても、そこに様々な問題があるように思うのだが(正社員同士ならイチャンモンつけているだろう)、そこは抑えて、「まぁ新しいことをやれるのはイイコトやなー」くらいに関わろうと思う。それとは別に、じぶんの「人が好すぎる」らしき習性は修正が必要なのかもしれないが(^_^;)
 
6/23 木 0.0   「排水の陣」を敷く。
「背水の陣」ではない。
 妙に体重の数値が増えている…(-_-;)
 明らかに、老廃物ないしそれを含む水分が調子よく排水されていないための現象だ。実際、足はむくんでる感じがするし、全体にだるーい感じがする。
 かくなるうえは、一刻も早くこの「要らん水分」を除去するべく、即効性のある軽ジョグやじっくりおつとめをしたいのだが、こういうときに限って雨が降ったり、バイトが詰まっていたりと…うまくいかねぇもんだ(T_T)
 
6/24 金 10.0   別に戦闘モードにならずとも2s落ちてた…人体の不思議。
よって「排水の陣」、解除。
 ネットニュースの脇に、「ケビンベーコンが語る人生を変えた10本の映画」というタイトルを見つけ興味津々でクリックしたが、10本のうちに絶対入っているだろうと思っていた『告発』(Murder in the first:1995)がなくてガッカリ(-_-;)…と、改めてよくよく本文を読めば、それは彼本人の出演作が対象というわけではなかったのであった(*^_^*)
 ケビンベーコンといえば、ヒット作『フットルース』に多くの女子高生が熱狂し、体育の創作ダンスでもあの曲に合わせてムリヤリ踊りまくるような(もはや創作ダンスの意図など無視)グループも現れたほどの人気であったが、わたしのケビンベーコンに対する注目は『告発』の名演技からはじまったのであった。「すべて事実」と言いながら実は大いに脚色があるストーリーであるらしいがそれはさておき、犯罪そして刑務所での暴動等々を起こす極悪非道な人間が、その最期に自ら「勝利」を宣言して死んでいくという経緯に、不思議な感動と深い意味を思い知らされたものである。
 似たような視聴後感が残るものとして今一つに、ジョージクルーニーの『パーフェクトストーム』がある。とんでもない嵐に荒れ狂った海にあえて船出し、案の定飲み込まれてしまう直前、仲間たちと「俺たちは勝ったんだよな」と語る、あの潔さのある「人生のキメ方」を見せたラストの映像とセリフは、今でもしつこく脳裏に残っているのである。
 犯罪者、死…というような、一般に「よろしくないこと」がそのまま「勝利」となるような人生というのは、悲しく切ないものであるが、現実には少なからずこうした物語が存在すると思う…古くから「負けるが勝ち」という言葉があるごとく。「図らずもそのようになってしまった」結果に至るまでのあれこれには、見逃してはならない「正しさ」も散在しているということを、こういう映画を見ることによって深く学んできたような気がする。
 しばしば「性格悪い」とか「変人」とか言われるワタクシである。じぶんなりにはそれ相応の配慮や反省をもって生きているつもりでも、それが周囲に不快感や迷惑をもたらしているとすれば、これもある意味では「犯罪」である。また、一般に言われるところの「女性らしさ」に照らしても、それらしい社会的(生物的)役割をまったく果たさず現在に至る。これもまたある意味での「不道徳・非常識者」であろう。しかし、未だ全世界のだれからもそっぽを向かれているような状態にあるわけではないし、ごく少数ながら諸般の事情を知る強力な理解者も存在する。そしてなにより、ここまで愚か者のワタクシを、アミダちゃんが注目していないわけがないという安心は心強い。
 ゆえに、わたしもこの人生の最後には「勝利」を宣言できるような気がしているのである。
 
6/25 土 10.0   朝から走りに出て、家かえって洗濯はじめて、もう9時過ぎてるやん!
図書館開館と同時にへばりつくんじゃなかったんか!やる気あんのかテメー!
…と、ヤクザもーどでじぶん自身を脅してみる。
 はい、すみません、今日は洗濯干したらSKTと、論文の章立てと、索引検索やります…自宅で。
 (実際、本来は図書館に行かないと閲覧できないレベルの貴重本が、自宅に収蔵されているってのもスゴイことだが)
6/26 日 45.0   @嵯峨嵐山
A図らずも宇治
明らかに「とろけるチーズ」の入ったスープのつけ麺…そりゃないよ(-_-;)
最近、ラーメン屋の「当落」が激しい…(-_-;)
 どこにいっても「ますたに系」だった20年前の京都ラーメンが懐かしくもある。
6/27 月 0.0  
6/28 火 0.0  
6/29 水 0.0  
6/30 木 0.0  
走行距離 314.8  km