あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
5/01 日 36.6   山の辺の道
この時期、道中の露店はイマイチ(-_-)
…といいつつ、おいしいみかんとレモン、タラの芽はゲト(*^_^*)
 山の辺の道RUNで、しばしば訪れる「天理」は有名な宗教の聖地である。
 多くの宗教団体に見られる閉鎖性・排他性は微塵もなく、最大の本拠地点であるお堂のような場所も出入自由…ついつい上り込んで信者の「祈りの姿」に見入ってしまう。部外者が何も知らずに眺めると、あの心地良く聞こえる唱としなやかな手踊りは、見事な文化芸能のようにも感じられる。あの土地の風土があったからこそのシャーマニズム的な根源を見るような気がするのであるが、それが今や世界的な宗教となっていることは、とても興味深いところである。
 組織である以上、内部にはいろいろな問題があるのであろうがそれはさておき、「信じる」ということ、そしてそのタマシイが醸し出す所作というものは、それ自体、尊く冒しがたい美しさをもって迫ってくるものだ。
 
5/02 月 16.0   西の方へふらっと
昼は「高級ビフカツサンド」…しゅ〜る之助誕生日につき。
 京都の「ほんまにエエもん、ウマイもん」は、まだまだ「知る人ぞ知るの世界」に隠れているものだ…ということを教えられるような店。
 情報としてはネットにも上がってはいるが、よほど「シッタカの観光客」でもない限り、わざわざ足を運んで…という場所でもなければメニューでもない。地元の人しか来ないようなところに、「とっておきの美味」はあるのだ…という「違い」が分かるくらいに、ワタクシの京都暮らしも定着したようである(*^。^*)
 
5/03 火 12.0   某所の復路にふらっと
朝昼食べずでもRUNできちゃう♪
1日3食は多いとか正しいとか諸説フンプンだが、わたしには前者が正解(-_-)キリッ。
 ウホホー!(*^_^*)
 ついに、待望のポテトチップスを発見した!「ノースカラーの純国産ポテトチップス」。通販とかでなしに近所のスーパーで、ということに価値と意味がある☆
 これで、ドキドキゾクゾクしながらポテチを食べることから解消されるか?…願わくは、この在庫が末長く確保されんことを!(*^。^*)
 
5/04 水 12.0   某所の復路にふらっと
それにしても左の合谷腫れがスゴイ(>_<)イテテテテ…(原因不明)
風強し…ってか、強すぎる(>_<)
 人は多くの場合、与えられた課題そして与えられたヒントに固執して行動(仕事)の指標を定める。そこでは、その自らの言動が「周囲に承認されるか否か」が第一の目的であることのほうが大きいのではないか?…と、昨今の社会を眺めていてしばしば思う。
 既存のシステムや概念、資格制度に、これまでこれだけ多くの時間や人材を投入しながら、問題そのものは解決するどころか悪化の一途をたどるような…そんな課題があまりにも多いのではないか。
 「少し先を行く」ような直感力や行動力、また、創造やアレンジというものは得てして批判の対象になることが多く、たいていは変人・異端の扱いを受けて葬り去ろうとされる。しかし一方、そうした攻撃を掻い潜って生き延びた物事が、新しい時代に大きな影響を与えることになった事実もある。これから先の世の中の希望は、むしろそうした「斬新な感性」に頼るべきなのではないか。
 「誰々が言っていた」とか「誰々のように」とか、過去の知識情報を模倣することしかできない偏差値人間が社会の上層を形成する「現在」そのものを、見直す時期に来ているように思う…わたしは、「宗教研究」の視点からそれを追求する。
 
5/05 木 18.0   某所休みにつきドカンと…いきたいところやったが、左手異常事態につきホドホドに(-_-;)
この際バリバリ血行良くすべきか、安静にすべきか迷うところ…腕振りでの違和感はなかったが、まぁ勉強するか。
 織田信成が目玉焼きや餃子をかぶってリンクをすべっているフライパンのCM最高!(*^。^*)ギャハハ!
 ここまで安心して笑えるCMは久々やわー…「織田信長の末裔」とかオリンピック出場とか、エラそうにふるまいがちなネタ満載の人生経緯なのに、うまい具合に俗っぽいキャラが好感度大。…っていうか、「ホントウにスゴイ、真の大物」っていうのは、普段はフツウでオチャメであることが多いものだ。このことは、懐かしき我がBOSS連においてもその「20年後の明暗」がはっきり表れているところである。名実が釣り合っていない者ほど虚勢を張る。「名」にしがみついてもがいている。
 
5/06 金 8.0   雨上がり、急遽スタート(夜)
天気が良ければ「夜フル」の予定やったのに…
 明らかに「全身がむくんでる感」満載(-_-)
 1日のビールバカ飲みにはじまり、昨夜のラーメン等々、「そうなっていたしかたない理由」ってのがハッキリしているので別に気にならへんがー(*^。^*)
 つくづく「腎臓系」の機能がヨワヨワなんやわーと感じる…もう20年も前からわかっていたことなので別に気にならへんがー(*^。^*)
 季節を問わず人より「汗かき」であること、不感蒸泄が激しいことは、そのヨワヨワ部分の補完機能なのだと思う。「あちらを立てればこちらが立たず」は逆もまた真なり、すなわち「あちらがダメならこちらがバリバリ」ってなもんで、うまいことプラマイゼロになっているのは「肉体の機能相関性」にも言えてることのようであるよ(*^。^*)ウヒョヒョ。
 
5/07 土 42.0   国会図書館をめざし、財布を忘れたことに気づいて引き返す…わたしゃサザエさんか!(-_-)
(引き返したのはたぶん城陽あたり)
まぁ、コピーしようとしていた学術論文は今すぐ必要なものでもないし、今日のところは「イイカンジでRUNできました」って感じで収めときましょ(*^。^*)アクマデ、ポジティブシンキング。
 走れる力(または歩き続けられる力)というのは、貴重な「自己解決手段」そして「じぶん財産」のひとつである。
 思い起こせば、遊ぶお小遣いなどまったく持っていなかった学生時代、学校をサボって「なんだか海を見に行きたい」みたいな少女らしい想いをかなられたのも「歩く」ことが苦にならなかったであり(厚木から平塚まで往復30キロはあったと思われ)、怪舎員時代に電車が止まって人々が立ち往生する中をスイスイと出勤・帰宅できたのも「どこまでもRUN」ができたからであった。
 「お金などなくても楽しめることはいくらでもある」ということを殊更に強調するつもりはないが、「お金がなくても、お金がないからこそ見つけられる「楽しさ」や「自信」というものは確かにあるのである。
 今日の場合、小銭すら所持せず(26円(>_<))…だったので水分補給に少しばかり焦ったが、何か所か小さな公園の水道が見つけられてラッキーだった☆細かく言えば不衛生なのだろうがそんなこた関係ない…何事も、いざという時はそこに最低限あるものをありがたくいただけるくらいの心持ちでいることの方が、あらゆる意味で「もっとも衛生的なじぶん」なのであろうと思ったのであった。
 
5/08 日 64.0   国道9号ズンズン…「そこまでのつもり」はなかった千代川手前まで〜何を思ったか亀岡まで引き返す(ここが、アホなわたしらしい)〜出雲大神宮〜山ルート〜某所しゅ〜る之助襲撃
本日、なんか、プチーン!とキレましたヨ(怒りモードの類ではない)。
2007年の5月以来の感触(-_-)
 うちを出る時点では、まぁサクッと嵐山くらいまで?のつもりだったので、帽子ナシ、サポート靴下ナシ、日焼け止めテキトーな装備でスタートしてしまったのだが、走り始めたらあっという間に沓掛通過。亀岡越えて、道路標識の「福知山68q」の表示にも「まぁそれでもえーんちゃか?ニャハハ!」なテンションに相成った次第(^。^;)
 とはいえ、福知山まで行っても「帰りに特急乗って帰れる」くらいのお楽しみくらいしか思いつかなかったので、千代川ちょっと手前くらいで引き返したのであった。
 こんなことなら、いっそのこと「鯖街道」を設定すればよかったなぁぁぁ〜(-_-)…後悔先に立たず。
 
5/09 月 0.0   雨だからゼロ(-_-)キリッ。
「茂造の青春時代」を見に行く♪
 第一幕は毎度おなじみの新喜劇モードやったが、以降はけっこうマジ芝居だった。外部の劇団員とか女優とかはオーディションで選ばれたらしい…来年はわたしも?????(*^。^*)キャハハ!
 辻本の青春時代の挫折エピソードはもはや有名な話だが、そのネタが織り込まれているストーリー展開はツキナミでありながら実感のこもった迫力があった。
5/10 火 5.0   雨の止み間に!(*^。^*)
予報からみて、また降り出すことは想定済みだったので、今日はこの距離でヨカヨカ。
 「雨に降られて困ったな」ではなく、「雨が降ってもまぁえーか」
 濡れても構わない服や靴そしてテンション…「ギャハハ!久々にやられましたなー!」と笑って済ませるこの余裕(*^。^*)
 身を取り巻く物事が元々「その程度」あるいは「それなり」であれば、周囲の環境変化にいちいち右往左往、一喜一憂することなく済むのである。「雨が降ると困るモノ」「雨が降ると自分の手で持てなくなるもの」ほど、ひとが欲しがる「豊かさ」を象徴するものではあるのだけれど(-_-)

5/11 水 3.0   「それはフツウなのではない」
「ありがたき、幸せなのである」
 ジーさんが死んだの、子供ができたの…と、そりゃまぁ忙しい「一族内人事異動シーズン」を迎えている知人がいる。
 ある意味めでたい大往生でも悲しみ一杯にさめざめと泣き、つい最近まで「子どもができない」「欲しくて欲しくてたまらない」とさめざめと泣き、紆余曲折を経ながらもできたらできたで「きちんと安定期までいけるだろうか」とグズる…本人にとっては、この上ない悲しみと不安一杯の「不幸な要素」であるかのようだが、そもそも、「亡くなって悲しい」だとか「子どもが欲しい」だとか言える・思える時点で、それ以前の自分の家族関係がどれほど一般的幸福に満ちて安定していたものであったかがうかがえるところであろう。そのあたりを間違ってはいけないのであるよ。
 世の中には、「親など早く死んでほしい」「コドモなど、絶対ほしくない」と思っている人間が少なからずいる。それらは道徳的に、「言ってはいけない、思ってはいけない」ことだからこそ、対極にいる我が身を呪い、責め、苦しんでいる人がいるのだ。
 宗教とは本来、こうした人々を理解し、救い上げることに力点が置かれるべきであった。葬式だの安産祈願だのお宮参りだの、わかりやすい儀式で「元々幸福な人々」ばかりを取りこみ、簡単に稼ぐことばかりに腐心しているうちは、宗教に真の価値を発信しているなどとは言わせたくないものである。
 
5/12 木 3.0   「サトリ」とは、「それを語る」ことができなくなった状態を言うのだと思う。
だってそうなんだもん。
 ゆえに、「さとりをひらく」なんてことを目的に98000円の価格をつけ、化粧品やらサプリやらと同じテンプレートでネット広告しているようなアホな「教組」には、絶対かかわらないようにしたほうがヨイです。
 リンク貼ってやりたいくらい怒っているけど、ほっとこ(ーー゛)バカバカバーカ!
 
5/13 金 5.0   なんてこった、パンナコッタ!(>_<)
タネゲンに、「サフィニア」がない!
もうもう販売終了か?…(゜o゜;)アセアセ。
 考えてみれば、サフィニアの苗を買うのは毎年GW前後…ヘタをすると、今年は「20年目にしてまさかのサフィニアなしの夏」になるのか…まぁ、今年は「朝顔」もあるし、別に大きな問題ではないのだが、ちょっと引っかかるのである(-_-)
 はい、明日のRUNコース決定!…七条のケイヨーデーツーやっ!
  
5/14 土 22.0   嵐山・桂川経由、ケイヨーデーツー。
その後、「こんなに近くにあったのねー!」的に至近の、優れたパンやさんへ(しかし優れたパンGETかなわず)
その代り、「禁断のマグロ」をゲトした。
「近大のマグロ」ちゃうで。
(知る人ぞ知る情報であり続けるべきなので、詳細は書けない)。
 いよいよ、RUNに「UV対策」が本格化する季節になった。最近は、オトコランナーたちにも長袖を着たりアームカバーをしていたりする人が増えて驚くばかりである。「日に焼けたたくましさ」なんてのはもう時代遅れなんやろか…(-_-)
 黄色人種は「紫外線による皮膚がん発症」にそれほど神経質になる必要はないと聞いている…であるならば、「暑いならば暑いなりの開放感」で走りたいとわたしは思うのである。っていうか、「何かが身にまとわりつく面積」が大きいほど不快感バリバリとなる体質のワタクシには、「今どきのRUNファッション」を真似るなど絶対できないのである★
 
5/15 日 28.0   琵琶湖の見えない琵琶湖(^_^;)
しかし、唐崎が「西の境界」であることがわかった…(個人的メモ)
 外出許可を得たのか、ハイキング実習か…けっこうな数の自衛隊学生とすれ違った。今にして思えば「男子は全員ボウズアタマ」だったが、全体としてはどっかの大学のサークル活動集団のように見え…特に女子はその体にまだ少女っぽいポヨポヨ感が残っている感じで、まさか自衛隊とは思わなかった(-_-;)
 昔は、その職業や身分において「いかにも〇〇」な雰囲気を纏っている人が多かったが、最近は「妙にませた小学生」「オタクにしか見えない弁護士」「ただのヤンキーに見える大学生」等々、見た目では素性のわからない人が増えているようである…って、かくいうワタクシも、タダのオバチャンにしか見えない女子学生なんであるがぁぁー(^。^;)
 じぶんの過去に後悔するところは一切ない…っていうか、「後悔」をキーワードに切り出すと出生そのものが後悔になるので考慮していないのであるが、敢えてひとつというならば、「自衛隊に入っておけばよかったかな?」っていうのがある。中卒でOKにも関わらずいきなり給料もらえるなんて、ある意味あの当時のわたしには最適な進路でもあったのだわ…。
 といっても、35年も前の女性自衛隊員なんぞ、タダのお飾り・雑用係みたいな位置でしかなかったのかもしれないから、あまりやりがいはなかったかもしれないけどね…(-_-)
 
5/16 月 18.0   カイコ。 
あれこれいそがしいので、あまり距離出せない。
「あの頃のシャケ復活委員会」を発足したい(-_-)…もちろん、これは「あれこれ忙しい」の中のコンテンツではないが。
 「ダシよりアブラにうま味を感じるようになりつつある」という日本人の味覚変化が語られるようになってもう20年以上になろうかとしているが、ワタクシがこのことを最も顕著に感じるのは「塩ジャケ」についてである。
 箸でほぐした身を口に含むとジュワワーと浸みだしてくる塩気を白米に絡めて食べるあの至福の瞬間が味わえるシャケに、最近はほとんど出会えなくなってしまった(>_<)
 スーパーで売っているシャケの切り身は、手にした瞬間アブラがまとわりつき、せっけんで洗わないと落ちないほど…それはもはやシャケ本体の脂ではなく、アブラをまぶしたか注射したかというようなスゴサである。焼き上げてもテロテロで「塩で〆た」ような絶妙な硬さなどまったく感じられない。しかたなく高価な「激塩シャケ」なるものを試してみても、ただ表面に塩をキツくまぶしただけみたいな感じで、何か違うのである。おそらく、塩をまぶしてしばらく漬けておく…みたいな手間が省略されて、「それなりになればええやん」な商品が台頭するようになったせいだと思う。かつてアメ横で売っていた新巻や、ヤマヤのお兄ちゃんが仕入れて売っていたようなあの「塩ジャケ」に再会するチャンスは、もう訪れないのだろうか(-_-;)…というようなことを思っている人は、決してわたしだけでないと思うのである。
 世の「健康志向ブーム」は、何から何まで「減塩」を推奨した。減塩梅干し、減塩しょうゆ、減塩みそ、減塩シャケ…確かに「塩の過剰摂取」は良くない。しかし塩ひとつだけを集中排除したがために、何が代替しているか、添加されているかの注意に欠けている人があまりに多いのではないか。「各々が程度加減に気を付ければ良い」だけのことを、「ひとまかせ」にし本質から変容させてしまっていることの怖さを感じるのである。これは食品の味付けに限ったことではないアレコレに展開する問題でもある。
 
5/17 火 18.0   なんだなんだなんだなんだ!(@_@)
PCが勝手に動き出して勝手にWindows10になってしまったぞよ?…(゜o゜;)!
この「操られている感」、チョー気色悪い(-_-;)
…どうでもえーけど、ATOK辞書を戻してほしい…マイクロソフトの辞書はアタマ悪すぎ、顔文字もかわいくない!( `ー´)ノ怒!
 ベッキーがどうしたこうしたの一件で、ネット上では擁護論やら批判やらが大展開中であるが…30ちょっとくらいの独身女性が「恋愛のかたち」に失敗するなんてことは、いまどきの世間にはたくさんあることなのではないか?と思ったりするんである。実際、ここまでぶっ飛んでなくても、若いころの恋愛の「恥ずかしい思い出」「向こう見ずな行動」なんてのは、誰にでもひとつやふたつやみっつやよっつ、あるんではないかい?(逆に言えば、ない人はカワイソウ!な感じ)。
 んなことより、もっと身近にスゲー話が飛び込んできて、ワタクシ、目がテン状態の真っ最中…定年も近いオトコがPC上に保存していた女の写真(しかも言い訳つかないレベルのエグイやつ)を家族に見つけられて、テンヤワンヤ…な話である。やるなら徹底的にバレないようにやれ、バレたら誠実に対処しろ…その程度の鉄則すら守れずに好き放題やった報いだろう。そもそも、どれだけ気づかれないようにやっているつもりでも、「本能が先立っている行為」というのはツメが甘いものである。ちょっとした言動や所作で、見抜く人は見抜く。特に女はその能力に優れている。気を付けられよ男子諸君(-_-)
 ともあれ、「いい年こいたジジイが」…というそのみっともなさに比べれば、ベッキーなんぞどうってことないわ…な感じがするのだ。
 
5/18 水 18.0   9歳で見た映画の衝撃的な一場面、19歳でそれが芥川龍之介の『地獄変』であることを知る。
…そして49歳の今、それが『宇治拾遺物語』のひとつからインスパイアされたものであることを知る…よりによって「末尾9=苦」つながりってのもフシギ(-_-;)
カシコイ方々なら、こんなことは高校大学時代に完結している「知識」なんだろうけどネ(~_~;)
…しかしながら、こういう「出会い」もなかなか面白いもんでっせ☆
 悪評ぷんぷんで終わろうとしている「ゆとり教育」では、円周率が「×3」となり、英語の筆記体が消滅していたらしい…それならばついでに、「古文」もすべて現代語訳で学ばせればよかったんちゃうか?…と思うほど、「古文・漢文」には捨てがたい魅力が満ちている。
 「しょせん人は同じような喜怒哀楽を繰り返して生きている」「人間なんてそんなもんさ」「いかに生きることが正しいのか」等々、今にも十分通じる「教え」が、文法や作品史の理解暗記にすり替えられてしまったがゆえの「日本人の心の損失」には大きなものがあると思うのである。
 今さらながら、『枕草子』『今昔物語』『更級日記』『和泉式部日記』などツラツラ読むに、内容的には現代のツイッターやフェイスブックはてまた俗な小説と同じようなものであると感じることが多い。なまじっか「研究」だのなんだのと権威を与えるような位置づけに追い込んだ人々が「本来みるべきもの」を遠ざけさせたその罪は、文化的にも情緒的にも大きいものがあるように思う。まぁ、「仏教学」なんてのも、その典型的な領域なんであるが…(-_-;)ナントカ、ゲンテンニタチカエラセタイ。
 
5/19 木 3.0   ウオークマンのイヤホン、左右の分かれ目部分のビニールが破損して線がムキダシになっていた?(゜o゜;)ウギャァァッ−!
感電したらコワイ(>_<)
 ガムテで補強すればなんとかなるのかな?????
 イヤホンだけで5000円もするもん、簡単に買い換えできひんがな!(T_T)
5/20 金 0.0   30分ほど早出して、カフェなんぞとゆーものに行ってみる(*^_^*)オッシャレー!
イノダ本店でもよかったが、あそこは朝から超絶な混雑なのでフツーのところへ。
でもって、ちょい割高なブラックコーヒーなんぞをすすりながら、SKTのテキストをマジ勉してみる(-_-)
 聞けば、カフェというものは、お気に入りの雑誌や本なぞを持ち込んでゆっくり過ごすことをヨシとする空間、とのことである…そういえば、近所のスタバは併設の書店から未購入の本を持ってきて「試し読み」できるシステムになっているわなぁ。「商品をタダで」という感覚はどうしても納得できないのだが(-_-)アツカマシイキガスル。
 …とにかく、これまでのワタクシにとって、誰かとおしゃべりをする目的でない限り、カフェというのは立ち食いうどん屋や吉牛のそれと同じで、専ら「さっさとコーヒー飲んで退出!」であったのだが、この際、正規の方法(?)で利用してみようかと思ったのであった。こんな風に思えるようになったのは、コンビニが「100円コーヒー」を始めたから…「主目的のコーヒー」が100円ならば、残りの数百円は「場所代・滞留費」であろうことを、理屈ではなく実感できるようになったからだ。
 実際やってみると、家で「朝勉強」してギリギリに出かけるより、職場至近の場所まで来てからのほうが、気持ち的に落ち着いて集中度も高まる気がする…ふーんなるほど、たまにはこんな過ごし方もよいではないかと思ったのであった(*^_^*)
 「時は金なり」も真であれば、「金は時なり」もまた真である。こういう有効な「時間」を買うことで、学問がドンドン先に進んでいけばえーなぁと思う。
 
5/21 土 13.0   天気ヨシ、テンションよし。
…しかし、あえて「やる気の失せるコース」をチョイスする。東界隈。
今日明日は、RUNより先にやることあるべーよ、な状況。
奈良博の信貴山絵巻鑑賞を取りやめてんのに、近辺ダラダラ走っている場合じゃねぇべや!
(…と、中居に敬意を表し湘南弁表記)
 元々、ウネウネクネクネの洛内をRUNするのはあまり好きではないのだが、そういうところを敢えて走ってみると、それはそれでえーこともある…(*^_^*)
 最近、「住むまち、暮らすまち」というより、「来るまち、見るまち」の傾向がますます強まってきたこの京都では、次々とオッシャレーなホテルやレストランなどが立ち続けている。最近の建築物の流行なのか、それらはかなりの割合で外壁が「鏡」のようになる材質でできていて、そこを通り過ぎるたび、図らずも「ボディチェック」ができてしまうのである。「健康」を意識するとき、実はその重要ポイントとなる「スタイル」や「姿勢」というものは、日常なかなか客観視できるものでないだけに、この「街なかの鏡状態」はありがたい存在であるといえるのだ。
 さて、ワタクシの「オシリが大きい」は、遠く小学生時代から担任の先生に「このクラスの女子の中で一番の安産体型」と宣告されるほどの先天性と継続性がある事実である(ちなみにこれ、男性教諭。今ならどれだけ問題発言扱いになるのだろう?)。
 しかし本日、「まちの鏡」によって立ち姿勢や歩き方をしばしば垣間見るに、全体として「進化途中の猿人のような前かがみ加減」や「反り腰」があることがハッキリ観察できたのである!(゜o゜)…オオッ、ダイハッケンヤ!
 そこで、まずは背筋をピピーンと伸ばし、オシリを意識的に前に突き出すような感じで体勢を整えてみると、まずは「いつも感じているほどのオシリの大きさがそれほどでもなくなる」効果がテキメンに現れ…そしてなにより、こうすることで腹筋にグッと力が入り、おなかの肉の引き締め感がUPすることを感じたのである。また、これに伴い、足を前に出す感覚が軽くなるヽ(゜o゜;)/ …おおおおっ!なんとゆーことだ!
 ヨーガや禅などでも、おなかの中心すなわち「丹田」に力を込めることはポーズの基本中の基本となっている。前者でいえば「体内エネルギーの循環の基点」であり、後者でいえば「サトリに向かう基本点」てなことだろうか…まぁとにかくにも、「カラダを良い状態に保つ必要素」であることはまちがいない、その部分がまったくもってナイガシロになっていたわたしの日常スタイルを自覚・反省する機会となったのであった。
 これまで、いわば「田植えには最適!」な姿勢で生きてきたのであり、それ自体は「農民家系の遺伝子そのまま」であったことにほかならなかったと思えるところにはある意味感慨深いものがあるが、現状、都市生活者のわたしには「百害あって一利なし」な現象であるだろう。要改善である(-_-)☆
 今後、この点に細心の注意をはらいながら、すべての姿勢や動きをとっていくべきだろう。続けていけば、大きなオシリもキューピーなおなかも、シャッキリへっこむに違いない…いや、ぜひ!(*^▽^*)タノンマッサー!
 
5/22 日 20.0   桂川より嵯峨野のコース
RUN中にSKT変化表の暗唱ができた(*^_^*)
考えてみれば、何かをマジで「暗記」したなんて4〜5年ぶり?…ようやくようやく、やる気と実績が釣り合ってきた?(~_~;)
早朝(深夜?)3時ごろ、今季初の蚊(もしくはそれ系の羽虫)の「プ゚ゥゥゥ〜ン攻撃」を受けた(-_-;)
 なんだかんだと格闘したのだが、その間まったく眠気がない「アタマすっきり状態」であったことは注目に値する。22:00〜翌2:00の4時間は睡眠のゴールデンタイムであるという説は様々な分野から言われていることなのでその有効性を信じているのだが、もしかするとこの4時間さえ確保でき、かつ不快感ない目覚めを感じられるのであれば、「2:00起床」で活動開始としてもよいのではないか?…ということだ。
 他方、睡眠は7時間とらないと、代謝や免疫がうまく働き切らないなんていう話もあるのがチョット気になるところであるが、この際「起きられたらそれでOK」のノリで、お試しをしてみるのもえーかもしれない(^。^)
 夜明け前に30キロRUNも可能になるし、ボリュームの少ない論文くらいなら2〜3本読めるんちゃうか?ヽ(^o^)丿
 
5/23 月 17.0   「今日は国家公務バイトの日ではない」とゆーことに、これほどホッとしているのは珍しい(-_-;)
欲望の極致とその集積が晒す醜態というものには、あまり触れたくないので(-_-;)
まぁ、気分を取り直してベンキョウシマセウ。
 小金井でアイドルをメッタ刺しした男が、京都の造園業で働いていたということが判明。自宅は太秦撮影所の近くとか…近くに行けばマスコミがワラワラしているだろうからちょっと寄ってみようかとも思ったが、「だからなんなん?」でもあるのでやめといた。
 京都に住んでいながら、アイドルを傷つけに東京まで出かけて…という事件は、数年前にも一度あったことである。まったく同じパターンの犯罪が「京都と中央線沿線」という符号まで一致させて再び起こるという偶然には驚かされる。
 そういう凶悪な心をもった輩がこの近辺にいたという事実…というより、どこにいても誰のそばにもそういう人間がいるのだということを考えなければいけないというのは怖いことだ。
 
5/24 火 16.0   「ええところ」だけ、美味しくいただく後半生。
いくら「この味を理解できないとは!」とか言われても、ウナギや肉の脂身は徹底排除するのと同じようなものだ。
しかし今回ゆーてるのは、食べ物のことばかりではない。趣味・学問・人間関係等、すべてにおける決意である(-_-)
 その選択や判断を「自分本位」の基準にして、結果が間違いだらけになるほどイイカゲンな人生を経てきたつもりはないし、仮に何かが間違っていたとしても、それが及ぼす影響は若いころほど衝撃的でも長くもないだろう。
 もはや、「生きて観往、死んで観往」…どちらも「わたし」なのである。
 ・・・・・
 「あること」が自分にとって非常に有効なものであると、人はついついそれを深追いし、周辺理論や組織など「同志」を求めるようになる。しかしそれは、「自分が確かに得たもの」と必ずしもイコールではない。むしろ「余計な部分」に覆われることで、せっかく獲得した「自分なりの本質」を失うことのほうが多いものだ。自分にとって「本当に好きなもの」「大切と思えること」は、そこに自信がある限り、密かに保ち続けるほうが良い。ブッダの「自受用法楽」もまさにこのことをいうのであろう。
 RUNに「仲間」は必要ない。よほどの事情がない限り「レース」も必要ない。服も「その機能と着心地がいいから」選ぶのであって、製造者のポリシーや思想にまみえる必要はない。アサガオの花をきれいに咲かせたいが、下賀茂のアサガオ会に入会する必要はないのである。
 …最近、大変興味をもっている「おつとめ」については、その「つどい」がごく近隣で開催されていることをずいぶん前から承知している。ことは「カラダそのもの」のことであるから、自己流で実践しているゆえの問題点や修正点を確認したい気持ちがあるのだが、いざ接触を試みようと調べてみると、そこにはとんでもない「便乗商法」が絡みついて展開されていることがわかった。アウトである。
 さらにリンクを追っていったら、その「便乗商法」は、とある「大本山寺院」でも堂々展開されていることを知った。まさかの事実に愕然としている次第である。
 …まぁ落ち着いて世の中を眺めてみれば、「救い」「癒し」をキーワードにしたあれこれというのは、「究極・単一の何か」の発見や提唱によるところを発端としながら、時や人が関わり続けることで複雑になっているものばかりである。複雑になればなるほど、それは「万民に通底する有効性」を失っていく…その点によくよく留意して見定めをしていかないと、せっかくの前向きな姿勢にも、「本末転倒」な結果しか現れないのである。
 
5/25 水 0.0   あーあーあーあーあー。
はいはい、そ−ですかぁぁぁ。
 まぁこれで、未完だった「俗世にわか体験セット」をコンプリートしたということになるわな…たいへんオベンキョーになりました(*^_^*)
 あまり時間がないので、次のコースに進ませていただきまっさ。
 
5/26 木 3.0   ぜい肉が体から減っていくと…
骨と筋肉の動きがリアルに感じられるものである。
 現在程度(以下)の体格がキープされていた10年前には、こんなことを特に意識したり感じたりしなかった。
 「カラダへの追求」がますますしつこくなってきたってことか?…いやいや、「しつこく」ではなく「質・濃く」なったのである(*^_^*)
 
5/27 金 3.0   「腕は腕のみにあらず、足は足のみにあらず」
先日の「まちの鏡」での発見のとおり、歩くときに使う足はお腹や腰を伴って動いているのであり、腕の手荷物は肩を基盤に支えているのである。
 …てなことを実感とともに細かく確認しつつある今日この頃、まったくもっての偶然のタイミングで目の前に現れたのが「ボディマッピング」という話である。
 これは元々、音楽家の楽器演奏力向上のためにはじまった理論なのだそうであるが、ちょっと情報を読んでみたら、これは人のあらゆる動作の安全性や効率化にも十分に生かされる内容ではないか!(゜o゜)詳しく一読の価値アリとみて、さっそく図書館で貸出予約をした次第。
 またもや、「体験が先、理屈が後」という、わたしの人生パターンにはまる展開上に起こった出会いとなったが、じぶんが集中的に問題意識を持ったことについてそれを補完・支援するように外から何かかがやってくるというのは、ある意味での神秘体験として面白いものである。
 
5/28 土 15.0   観往ラーメン史上、最悪の店主に遭遇( `ー´)ノ
せっかくの「暴飲暴食解禁デー」に、なんということだ!
 この後、上賀茂のモチ屋にも目の前で扉を閉められ(午前営業終了?)、挙句にはお気に入りの「ウーロン茶」を売っている近所の自動販売機まで補充作業で買えずじまい!
 腹立たしさのあまり、ポテチを食べた(~_~;)
 
5/29 日 10.0   大きな顔をしてはりますが
支えられているのはアナタのほうでっせ。
 …という風が吹いている。
 丹波からも近江からも大和からも…旅RUNをするたび、いつも感じることである。
 
5/30 月 10.0   梅酒は、間違いなくカラダにヨイ…少なくともワタクシとの相性はバッチリである(*^_^*)
飲んだそばから疲れと緊張が解けていくような…翌日もスッキリお目覚め(゜v゜)パチッ!
 5年越しの梅酒を開封すると同時に、新しく3本を仕込む。しかし「一瓶一升」なので、3本では実は1年分にもならない…本当は、1年に10本以上漬け込みたいところであるが、部屋中梅酒ビンというのも無理な話(-_-;)
 商売できてしまうほどの梅酒・梅干しやぬか漬け、そして、人が見物に来るほどのタチアオイや芍薬が咲かせられる土地家屋は、この時代、どこまで「奥」に引っ込めば入手できるのだろうか?と妄想したりする(*^_^*)おぉ〜考えただけでもワクワクする☆
 そんな「自給自足的田舎暮らし」は現在のところまだまだ、定年退職者のセカンドライフかナチュラル生活志向者、ヘタすると宗教団体など、特殊な条件を持った人たちに限られたスタイルであるが、おそらく50年100年後には、むしろ「それがアタリマエ」な世界が展開しているだろうとわたしは予想しているのである。もっともこれは、まずネット環境ありきの話であるが。
 
5/31 火 10.0   先日、NHKで「シルクロード」の特集を見た…相変わらず、素晴らしい構成である(*^_^*)
ちなみに、ワタクシが実感的に把握する「世界」とはアジア圏内(ちょっとアフリカ)に収まっている…まるで、鎌倉時代以前のボンサンのようなレベルであるが(-_-;)
ヨーロッパもアメリカも「ある」ことは重々承知しているが、そこどまりなのである。ワカルカナー、コノカンジ。
 10年ほど前までは、タクラマカン砂漠ぶっちぎりの「玄奘マラソン」なんてものを妄想企画してたりしたものだが、40過ぎからは単に海外旅行としてニヤ・カラドン・ホータン・敦煌などの風景を見てみたい、なんて思ったりすることがある…っていうか、あった。
 いろいろ調べていくと、敦煌あたりでは中国の核実験が激しく繰り返され、相当な汚染が広がっているとか(-_-;)…その事実は既に20年近く前、「DEATH ON THE SILK ROAD 」と題したドキュメント番組がイギリスで製作され、世界中に発信され話題になっていたらしい。
 しかしどうしたことか日本ではそれがスルーされ、「シルクロード」「新シルクロード」そして今回と、エエトコばっかしの話題を提供して旅心をくすぐり続けてきたということになる…真実はどうなのか、仮に「タクラマカンはマジヤバイ」のであれば、なぜ「シルクロード良いとこ、一度はおいで♪」みたいなPRばかりをしているのか?…今回の特集は「謎の民」というサブタイトルがついていたが、謎の民なのはむしろNHKの製作者たちであろう。
 おそらくは、「行ってみたいな、よその国♪」のままで終わってしまう夢なのであろうが、それが「被ばくへの恐怖」というものに遮られてという理由であるとすれば、とても悲しいことである。
 
走行距離 448.6  km