あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
3/01 火 10.0   雪だからRUN(*^。^*)ウキウキ。
ど−せ積もらずに終わるんやろけど。
 献血の結果が来た☆
 赤血球数東入ル、容積・ヘモグロビン西入ル(つまり横バイ、変化なし)。γーGTP下ル(*^。^*)ウヒョ。
 唯一…「コレステロール」のみ上ル★数値上は、これが人間ドックとかなら「経過観察」や「投薬」のレベルである(-_-)しかし現状、HDL・LDL・中性等の内訳は分からないので放置…っていうか、検査とかする気はサラサラない。食事改良のせいか、年齢によるホルモン変化の影響かと想像する。しかしさらによくよく過去の記録と比較してみると、40過ぎてからずっと数値高めであったことを発見(ラーメンうまいし、しゃぁないわ)。
 とにもかくにも、これだけ食べれて走れて眠れて遊べる(ちょっとは勉強もできる)日常を過ごせているのだからそれでヨシ、である。人間、どんな状況でも生きていられるうちは生きている。死ぬときゃ死ぬ。
 ちなみに、「コレステロール高め」といっても、全献血者をサンプルとした検査数値範囲内には収まっており、ゆうゆう「人並みレベル」である。「献血しちゃえるほどの健康人」としてはまったくOKであるのに、検診上は「異常」となる不思議を思う。健康か不健康かなんていうのは、結局誰かが決める問題ではないことを示していることがよくわかるというものだ。
 
3/02 水 3.0   猛ダッシュモードドドッ。
「時はきたり」
 仏教学研究において、「唯識3年、倶舎8年」と言われるのは有名な話である。ワタクシもその例に漏れず、「わかったようでわかっていない状態」をかれこれ15年過ごしてきたのだが(通説の5倍やん)、なぜか、ふと、急に、どういうわけか、それがこの2日で「!!!!!」とくるところがあり、各種学術書や論文がスイスイ吸い込まれるようにアタマに入ってきたのである。
 難しい理論体系であるが、わかってみると面白い。しかし正直な話、「だから何?」とわたしは感じてしまう。それを「知った」ところで、それ自体が人生上の苦悩を直接に解決する要素はどこにもなく、ヘタをするとそれを追求すること自体、仏教が本来解消すべき「苦悩」のモトとも成り得るからだ。
 とはいえ、仏教思想を学ぼうとするとき、これはとにかくにも「知る」ことが必須条件である。越えなければならなかった。でもって、越えたように気になれて良かった。
 「こんなところでグダグダしてらんねぇ!」のである…わたしは先に進む。
 点数などどーでもいい。とにかく合格させてちょー(-_-;)オネガイ!モーリー!
 
3/03 木 5.0   ここ数日のRUN不足が、それと気づかぬうちにストレスになっているフシあり・・・(-_-)
通勤の徒歩ペースが自然と軽いジョグモードになり、職場内の移動もアクティブに・・・よい子は廊下を走ってはいけましぇん!(^_^;)
 先日、地下鉄ホームで「オデコ出すのもかっこええやんなー」「せやな、わたしも前髪うっとうしいときあんねん」「やってみようかな」・・・という会話を耳にした。状況からみて、この会話の「キッカケ」となったのはワタクシの「オデコ全開スタイル」が彼女らの目に入ったことであるのが明らかで、心の中で「キャー、もっと言って!ほめてー!」と気分良くなったのであった(*^_^*)
 詳細の描写は省略するが、わたしのオデコは生え際の輪郭を含め「なんだかヘン」な形状をしている。このことは少女時代から自覚しており、ゆえに「わたしの人生にデコ出しなんてアリエナイ!」と、風で前髪が吹き飛ぶことさえ気にしていたほどだった(30代の決意ある五分刈りモードのときは別として)
 ところが、年齢を経るに従って「前髪バリバリ必須」に変化の兆しが現れる。理由はわからないのだが、前髪アリの顔に何かの違和感が生じるようになったのである。少なくとも全体の半分くらいはデコが見えていた方が表情として落ち着くというかなんというか・・・しかし、このビミョーな調整を維持するための「前髪確保」には、実につまらない経費がかかることもあって、「えーい!やってしまえ-!」とばかりにデコ出し全開を始め、現在数ヶ月を過ごしてきた次第。
 じぶんとしては、「ケチ」と「開き直り」と「度胸」の結果であるこの「デコ出し全開」であるから、外見上の印象がどうこうなんてことはもはや意識されていない・・・それが「かっこエエ」ならば、これは想定外のありがたさである。今回の出来事の解釈が正しいか否かは不明だが、この際大いに前向きな誤解をしておこうと思う。
 目下、ヘアスタイルに関するわたしの興味シンシンテーマは、「果たしてわたしにポンパドールができるのか?」ということである。技術的な問題はさることながら、「髪の毛の量が足りるのか?」という根源的なところからクエスチョンな現状…も少し伸びたらなんとかなるのか、いや、ならないのか・・・(-_-;)カミノケウスシ、キタイモウスシ。
 
3/04 金 4.0   猛ダッシュモードドドッ。
なんかこのパターン、つまらなくなってきた…(-_-)
すれ違う人の、「おばちゃん、なんか事件かっ?」という感じの視線…ある意味、朝はよから社会の迷惑やん。
年齢(外見)、場所、精神状態、どれをとっても不健全なペースかも?
 国家公務バイト日は通勤RUNを…という風にすれば、往復12キロの距離が取れるのだが、なんせそのルートが「アネサンロッカク♪」と「テラゴコフヤトミ♪」の枠にガッツリハマっているため、とてもやないがあのコマゴマゴチャゴチャカクカクブンブンの中をスイスイ走るなんて危険極まりないことはできないのである。このルートの利用法は、早足モードで中国語会話をマスターするのがベストなのだ(-_-;)
 「走れないならこの際自転車で」という考えも、有効なようでそうでもない。コマゴマゴチャゴチャカクカクブンブンは、安全に行こうとすれば結局徒歩とほとんど変わりない時間がかかるのだ。しかも「イヤホン禁止」とあっては、「ただバイトに行くためにだけ進む」みたいになって面白くもなんともない。っていうか、そうなると「バイトでこの通勤時間?」はムダ感バリバリに転じてしまうのである。
 「そんなん、堀川と御池を行けば済むことやん!」というごもっともな声が聞こえてきそうだが、これは「ツマラン」という理由で却下。わがままゆーてスミマセン(^_^;)ゞテヘヘ。
 
3/05 土 21.0   一乗寺へトロトロと。
チョイアブラ多いめのラーメン食べる。
 デパートの「○○展(○内は地名)で販売されている商品が、地元でもその通り定番名品を扱っているメーカー(店舗)であるかといえば必ずしもそうではないのと同様、最近各地でブームとなっているラーメンにもその「ウンチク」には胡散臭さが漂っているものだ。
 「ヨコハマ家系」なんてのは、いかにも数十年の伝統ある特色があるかのようにツウぶって論じている人が多いが、少なくとも20年前の地元にはそんなカテは周知されていなかったし、「燕三条系」の背脂ビッシリもそれをくくられて語られることなど決してなかったのである。住んでた者が言うのだから間違いない。唯一納得できるのは、「慶応前のジロウ系」を語るくらいのところであるとわたしには思われる。
 おそらくこれは、バブル期のグルメブームで人々に培われてしまった「食への一家言」の行き場として、お手軽なラーメンが注目されたことに端を発するものであろうと思う。「ある地域にはコレ」という勝手に定義された「きまり」に縛られる顛末になるとは、お店の人も気の毒なことだ。
 前述の、「燕三条系」についてサイトを見てみたら、燕はともかく三条は「カレーラーメン」が主流であるかのような状況に変わっていた。狭い地域で競争を避けるための棲み分けか。この京都でも、旧来の鳥ガラ醤油、とんこつ醤油に対抗するべく数年前からボチボチ出はじめた「鶏白湯」なるものが台頭し始めた。展開としては「ディープな意味での京都らしさ」があって面白いが、ますたにや第一旭、新福、そして横綱あたりの「元祖」は、この傾向に翻弄されることなくスタイルを貫いて欲しいものだと思う。
 
3/06 日 10.0   東福寺を経て深草へ。
鶏白湯の頂点みたいなラーメン食べる。
 以前は、「富士登山競争またはそれに準ずるエネルギー消費のあとに食べる」ことを許していたラーメンを、なんと2日連続で!この頻度でコレステロールが上がらないほうがおかしいのだから、わたしはやはり健康な反応をする体を持っているのである…と、都合の良い解釈をしてしまう(-_-;)
 しかし実際、「ラーメン好き」がこの地にいて、月1回だの年数回だのというペースではいられないほど、京都のラーメンはウマイ!のであるから仕方ない。前川さんは、「歳をとっていくと、そのうちラーメンなん、よう食べられへんようになるで」と言うが、それならそれでなおさら「今デショ!」という気持ちが働いてしまうのである(*^。^*)ウキャキャ。
 というか、この2日は、このくらいのことしても大丈夫!な理由がある。明日のことを考えると、ラーメン2杯でも足りないくらいや。
 
3/07 月 80.0   せいくロード再び
葛〜「東本願寺」(*^。^*)
奈良〜京都を結ぶ道と言えば国道24号…というのは「今だから」の話。その原型ですら1930年以降ということからすると、畝傍から桜井・天理を経由する遠回り道が、昔々の旅路だったのだろう。
便利な手段を使って、さらに便利に整備された道をゆく、現代人の「恵まれ過ぎ」をつくづく感じる。
 清九郎さんが今この世に生きていても、「薪を担いで歩いて行く」ことを選択しているようにわたしには思われる。その理由はいくつもあって書ききれないので省略するが総じていえば、はた目からみて「過酷な手段」であっても、彼にとってはこの上ない喜びと楽しさに満ち溢れていたものであるから、ということである。
 ふと、彼がこのWEB日記をつけていたら…てなことを考えて笑ってしまった。1日20キロの通勤(的な)RUNを基本として、たまにドカンと往復160キロの距離を出す(*)。しかしそこに書かれるコメントは、アミダちゃんへの思慕を背景にした日々の何気ない暮らしであり、どんな高尚な「浄土論」「真宗論」より説得力ある内容となっていたのではあるまいか。そうした、本当の意味での「信仰ある暮らし」が資料として残っていないことが、今なお続く宗教団体の諸問題を解決できない要因であると思うと、残念でならない。逆にいえば、「真の信仰者」のありかたとは、決して文言にできない次元に到達したところをいうのであるということを思わされるのである。
 話は変わるが、こういう長距離RUNの道中いつも感じるのは、「歩道」の状態の悪さである。歩行者は延々と一本道を歩くものではないという前提にあるつくられ方、そして、水平度などお構いなしの傾斜…クルマ優先の「余白」のように扱われていることに、怒りを覚えるほどである。昨今流行のウオーキングの旅も、こんなところをルートにしていたら、かえって不健康になりそうだ。なんとかならないものか。
【(*):注記】正確には、毎日20キロRUNと160キロ往復の時期は同じではない。
 
3/08 火 15.0   今日も朽木あたりまで行けちゃうノリではあるが、グッとおさえて…(^。^;)
RUNエネルギーのご利用は計画的に…
 「ひとが生きていた道」が好きだ。
 今ではウォーキング・ハイキングやRUNのコースとしてしか利用されることはないであろうそれらは、かつて人が「生きるため」に歩かなければならないものであった。そんなところは全国いたるところにあったはずだが、それをそれとして今なお掘り起こすことができる道が、この地域に圧倒的に多いように感じるのはありがたいことである。車やバス電車を使わずそこを通ることで、当時の人々の往来の息遣いや喜怒哀楽に共感できる時間を過ごせることは、わたしにとって極上の娯楽でもある。
 ところで、10年ほど前「今年で終わるらしい」というウワサを聞きつけ、焦って参加した「鯖街道マラニック」なるイベントは、なぜか今でも開催されていて、正直「肩すかし」を食らったような感が今に残るのであるが…まぁそれはさておき、この大会には、メインの小浜・出町間のコースとは別に、途中の「梅ヶ畑」からスタートするコースが設定されている。これは、短距離コースを設けたいがための適当なポイント取りかとばかり思ってきた(実際そうかも?である)のだが、つい先日、この「梅ヶ畑」にも大原女や白川女同様、「はたのおば」なる人々が存在し、ハシゴや鞍掛を洛中に売りに来ていた史実があることを知った。今でいうなら、ニトリの家具を延々運んできたスケールである。まったくもって、どういう体力ひいては肉体構造をしていたのか驚くばかりである…というわけで、これまで眼中になかったこの梅ヶ畑に、わたしの「旅RUNフラグ」が立ったことは言うまでもない(*^。^*)ニャハ!サテ、イツイクベーカ?
  
3/09 水 0.0   雨だからゼロ(-_-)キリッ。
「結婚って、したほうがいいんですかねぇ?」「こどもって、やっぱりいたほうがいいんですかねぇ?」
…40過ぎてその「迷いかげん」なら、せんほうがよろし!ハイ、これ正解!(*^_^*)
 25数年ほど前の一時期(バブル後半期)、「夫婦共働きで子供なし」というライフスタイルが「DINKS(ディンクス)」としてもてはやされたことがあった。子供がいることで受ける経済的・心理的制約がない分「ふたりで今を楽しむ余裕」が膨らむから、海外旅行や趣味などにお金が使える。そんなありようが理想的に語られていたのである。
 ところが今や事態は一転、どこぞのアホな老害バサアンが「子どもを持たない人に年金を受ける資格はない」とまくし立てるほどに、「こどもをもつこと」がまるで当然の義務であるかのような感を受ける風潮となった。「ママとオコサマ」が世のヒエラルキーの頂点に立つかのような社会諸般の扱い方に、わたしは日々ウンザリさせられている。
 思うに、この30年くらいの時代を「女性」として生きた人ほど、その社会的人生観に翻弄された世代はないのではあるまいか。幼少・青春期には「オンナは嫁にいって子どもを産んで家庭を守るもの」として育てられ、社会人になったら産休も育休も改善されない中「男女参画平等」とかでそれなりの業績を求められ、二者択一でやむなく結婚出産をあきらめた人が今度は「子どもナシ」であることを責められる。逆に「結婚出産」を経た人が、改めて社会に出て働こうしてもその水準は低くならざるを得ない…なんとも不運な展開としか言いようがない。
 …Nよ、今さらのようにふっと湧いて出たキミの「迷い」は、その年齢的限界による「最後の自己審判」であると同時に、「今の時流に乗ってない」ことへの不安が醸し出したものと思われる。どちらも痛いほど理解できるが、それでも敢えて言う。「迷うことなかれ、そのままでよい」と。
 ぶっちゃけいえば、「結婚」などというのは「動物的欲求を根源的根拠に自分を押し通す」ことの形式化に過ぎないのであり、それがあるかないかで一人前であるかどうかを図られるような、ひと昔の価値観はとうに消滅しているのである。実際、オトナとしての常識を疑うような人間性をもったものが結婚している事例は世に数多くあるではないか。「誰にもできないこと」をやってのけてきたキミが、「誰にでもできること」をどうこう迷うことなど、もはや意味のないことのように思うのであるよ。この際、「ここまできたこのまま」を突っ走れ!そのほうが、友人としてわたしも都合がよい。(*^_^*)マタソノウチ、ジダイハ、カワルベーヨ。
 
3/10 木 0.0   3日前のせいくロード反省会(*^_^*)
@まずは、がっつりマルプク状態の9月決行時より、スイスイ進めた感UP。
やはり体重はそこそこ軽いめがヨイと実感☆
Aこのような旅RUNの場合、視力は「自動車運転レベル」であることが必須条件であると再確認。日常生活モードの「0.7コンタクト」では、道中相当なストレスになったであろうことが予想される。
Bウエアが皮膚に密着する部分(縫い目とかも)が、こすれてすり傷っぽくなる傾向は相変わらず。だいたい40`超あたりのタイミング。今後のために、以前お世話になったディクトンを購入しようとしたが、いつのまにか販売中止(メーカー倒産)とのこと。代替商品はあるようだが、めんどくさいので手軽で安価なワセリンで代用することに決めた。
C「おつとめ」の成果でカラダの緊張がほぐれたせいか、道中にて「肩こりっぽい」違和感発生。逆に言えば、以前はどれだけ肩を力ませてザックを背負っていたかということを知らされるところでもある。これは背負い方(ベルト3カ所の締め方)で改善できると思われるので、加減を試していきたい。
DMP3は、連続再生すると電池の減りが早い。
Eスタート前の飲食なし、エイド的なものとしては水1.5リットル、ビタミンチャージ(じぶん的には反則の商品&午前中摂取)のみで完走。細かい影響はわからないが、少なくとも「食べておかないと走れない」というわけではないことは実証された。むしろ飢餓的状態のRUNであったことが、スピードとテンションを終始維持できた秘訣であるかもしれない。
FEのような状態でゴールしたあとのビールは、「完全なる水分」である(ウマイ!を感じないわけではない)。
Gこれといった後遺症(筋肉痛とか疲労感とか)一切なし。これにもDの影響があるように思われ。
 
3/11 金 7.0   もはや、「止まる」ことも「繰り返す」ことも許されない…(-_-)
そんなお年頃。
 日常の中で、ムダな…というより、明らかにじぶんにとってマイナスのエネルギーを受け取りすぎているフシあり。
 よくよく気を付けねば(>_<)
 
3/12 土 18.0   なんか南下したい気分なコース
城南宮…しかしそのあと北上して、三密堂、仏光寺、因幡薬師。
 『イニシエーションラブ』という映画が評判なので、DVDを借りてきた。冒頭、「この映画に隠されている秘密は話さないでください」と、あの『シックスセンス』と同じようなメッセージが流れ、最後の数分が謎解きになる構成も似たような感じだったが、けっこうおもしろかった。すっかりだまされちゃったもんねー(^。^;)
 舞台は30年前。「今」では決して起こり得ないことが起こっていた時代だったのだと思わされるところも面白かった。あの当時が「恋愛のお年頃」だったことは、ラッキーなことだったなぁぁぁーと、思い出したり(*^。^*)
 
3/13 日 55.0   上賀茂往復〜東福寺〜山城青谷梅まつり☆
「タコタコ通信」来る!(*^。^*)
 なんでまたいきなり?と不思議に思ってたら、「そこが桃山御陵だった」ことと関係があるらしい…ことが、なんとなくわかった(゜o゜)おおぉ、ナントイウコトダ!
 (本日の記述は、まったくもって個人的な不思議ちゃんレベルのメモ)
 
3/14 月 0.0   雨だからゼロ(-_-)キリッ。
柿チョコ届いた☆人生相談解決の御礼やて(*^_^*)
柿チョコはやっぱし、元祖浪速屋でないとアカンですわ!(*^。^*)ウメーッ。
 昔々は「その土地でないと買えない名品」というモノは多く、オイシイと評判の高い菓子類を別の土地で模倣して作って売るっていうのもアリだった。古くは伏見の「おせきもち」などが伊勢の「赤福」に類似しているのもその一例であろうし、近年では銘菓「萩の月」のマネッコがあちこちで名前を変えて登場・定番化しているケースもそれに該当するだろう。まぁ実態は似ても似つかない「大阪バナナ」なんていうのは、「東京ばなな」の名前だけ拝借した単なるシャレとしか思えないが…(-_-;)
 20年くらい前ならそれらは各々「おらがまちの名産!」とばかりにハバをきかせることもできたのであろうが、ここまで情報も通信販売網も全国展開化した時代にあっては、それが「どこの模倣品か」なんてことはすぐわかってしまう。それでも「生き残る」ためには、そこに何らかの独自性のあるアイデアが盛り込まれ、かつそれが評価されないと難しいだろう。個人的な好みで言えば、「萩の月」の完全なる模倣品でありながら、そこにリンゴソースを加えて美味しさを変えた青森ラグノオの「いのち」は、「萩の月」よりはるかに絶品である…って、催促しているわけやないで!(*^_^*)フヘヘ。
 このたびの「柿チョコ」は、東京方面であれば駅のキオスクに売っているほどフツウのお菓子であり、ワタクシこれが大好物であったのだが、京都(関西圏)ではとんとお目にかかれず…の品物であった(-_-)。少し前、「小倉山荘」で同じようなものをみつけ、喜びいっぱいに買い込んで食べてみたものの、京都らしい上品な仕上がりはわたしの「なつかしさ」を満足させることはなく、「もはやこれまで」と諦めていたのである…それが大量に届いたのだから、ウキャキャー!(*^。^*)なのだ。
 しつこいようだが、柿チョコは「元祖浪速屋」に限る!ウマイ!ウマスギル!…しかしそれ以上に、そんな「他人のささやかな嗜好」をいつまでも覚えている気遣いの細かい知人がいることがありがたいとつくづく思う。
 
3/15 火 15.0   近頃、「牛乳はカラダに悪い」というふうになってきているらしいですな…(-_-;)
日本の酪農経営がヤバイ状況になってきているがゆえの「政策」でしょうか…なんて鵜の目鷹の目な見方もできなくはないのですが…さて、真偽のほどやいかに?
 …まぁ、ワタクシはそれほど好んで(あるいは情報の影響下にあって)牛乳を飲んできた人間ではないので、結論がどっちに転んでもどーでもえーことなのですが(-_-;)
 牛乳に限らず、カルシウムが血中に放出されまくっていると、キレやボケの原因になるとかなんとか聞いたことはあり、それを防ぐためにはカルシウムとともにマグネシウムがバランスよく摂取されていないといけないとか…で、たまたま現在、ワタクシが食べている「オリジナルおやつ」の食べ方をいちおう検証してみたところ、カルシウムとマグネシウムはしっかり「つろくなってる」ことが判明した。
 ヨーグルトにローズヒップと抹茶の粉、ハチミツをマゼマゼしたもの…そこに「煎りぴーなつ」がプラスされているのである。なんかええ感じの組み合わせやなぁと感じていたことが偶然にもコムズカシイ理屈と合致しているのは不思議なことだ(*^。^*)
 
3/16 水 6.0   バイト往復のカッコウは、まるで「ガス使用量検針オバチャン」…(-_-)
深くかぶった帽子と、最近超お気に入りの「まむーとのポシェット」がその一因を担っていると思われ。
 人を身なりで判断するのは良くないといいつつも、外見から「なんとなくこんな感じの人?」という印象は持ってしまうものである。
 わたしの場合、初見の同世代の人から見た第一印象は、「若い頃から子供を3人くらい育ててきた人」「で、その子育ても終わって今はホッとしている感じ」「子どもには確実に体育会系の男子がいる」「女の子もいるかも?」「テキパキ家事をこなす主婦業のベテラン」…等々、実際にはまったくもって縁遠い世界を想像されるようである。決して「セレブマダム」「インテリマダム」のような空気は醸し出していないようだ…(-_-;)
 しかし、おそらくこれは、道行く人の大半が感じることなのであろうとじぶんで承知している。「子育て終わって健康的にお小遣い稼ぎしている検針おばちゃん」…なんだか笑ってしまうが、悪い気はしないのである。
 素質・性格・能力・体力・嗜好・習性…すべての面から見て、「わたしの等身大の人生」とは、本来そんなところに落ち着くべきだったのではないかと思う。そんな、時代的にいっても「なによりフツウ」なことがわたしには「なりよりムズカシイ」ことであったゆえに「今のじぶん」となったのであるが、それはそれでまた悪くない。ここまで来た以上、このまま行くしかないのだ。
 「検針おばちゃん」という他人の印象は、そうした「変人モードな人生」がそのまま全身全面に現れてはいないことを示しているようで、ある意味ありがたいことでもあったりするのである。
 
3/17 木 5.0   国家公務バイトの日は、やっぱり走れへんね(-_-)
しかし、片道6キロのウォーキングでまぁまぁの運動量は確保している!(*^。^*)
 しかし、そろそろ道中の紫外線が気になる季節★
 最近わかったことは、なんぼ「肌に負担の少ない日焼け止め」であっても、やはり毎日使用すると肌が荒れがちになるということだ。今年の夏は、「完全遮光帽子」で対策をこうじることにようと固く決意。もちろん、お値段ちょっとお高め…とはいっても、日焼け止め3本分くらいだから損ではないだろう(-_-)イザ、ダイマルヘ!
  
3/18 金 5.0   ダブル弁当づくり(昼&夜用)
いろんなおかずを次々パパッと作っていると、「大家族のおかあちゃんの朝」を疑似体験しているようで楽しい(*^。^*)
 かくいうわたしは本日「プチ断食」を敢行。これはもはや、体重どうこうよりも「内臓休養のため」である。
 …つい数か月前まで、しゃがむとお腹のおニクに食い込んでウゲゲ(>_<)…となっていたジーパンは、今や油断していると「腰パン」ならぬ「ケツパン」になりそうなほどずり下がるまでになった。とはいっても、今の状況は過去の「ベスト」からいうとまだ3キロ超であり、わたしゃいったいどこまで太ってたんや?と呆れるほどである。逆に言えば、ベストのわたしはどれだけスリムやったんや?であるが(*^。^*)
 ところで、全体的に余分なおニクが減ってきたことで顕著になったのは、「やはりわたしはO脚である」という事実である。
 このことは数年前、出町のヤマギワさんに指摘されたことであったと記憶しているが、鏡にうつす限り、ピッタリ両脚のおにくがくっついて隙間のない状態であったので、わたしにとっては長いこと信じがたく納得できないことであったのだ。
ところが今や…姿勢正しく直立すると、「うわーっ、膝のとこだけアカンやん!」な空間が認められちゃうんである(゜o゜;)アチャー!ヤマギワサン、ホンマドシタナ!
 若い頃にはなんとかゴマカシのきいていた「クセ」も、加齢による変化が起こる世代に突入した今となっては、様々な悪影響が出ることばかりになるだろうと思う。そもそも、いわゆる「ガニマタ歩き」からして決して美しいものではないし、ボチボチ意識的に改善を図っていきたいと思う。スレスレギリギリで気づけてよかったのかも(*^。^*)
幸いにして、わたくしはその改善方法を既に知っているのだ(-v-)…ムフフ。
 
3/19 土 0.0   「ラーメンは人なり」
そんな深いことをさりっと感じる一杯。
 何度も商売替えしては失敗を繰り返し、時代の波に乗ってようやくラーメンでなんとかなった…というお店を既に一件知っていたが、今回それと全く同じような経緯のお店に行き当たったのである。
 しかし、「何度も失敗を繰り返す」ことが「どの世代で、どのくらい長く?」という違いは結果に大きく反映されるものだと思う。A店にはまだまだ独創性と冒険心があるのに比べて、B店にはそれがない。「そつなく、無難なポイントを寄せ集めてやっておこう」という、ある種の保身とアキラメが展開しているのだ。これはなかなか面白い現象であると感じる。失敗とそれを経た成功を得るタイミングは、その人の生きる力や生き様に影響と彩りを加えていくものなのだと感じる。その違いが「ひとというもののおもしろさ」を様々にみせてくれるものなのだ。
 人生は、歳を重ねるにしたがってどうしても「保守的」になりがちなものである。今現在持っているものを壊すことなく減らすことなく、プライドや生活を維持していこうとする…逆に言えば、「今ある状況をぶち壊しててでも何かを成し遂げよう」と思える何かがあるうちは「まだ若い」とも言えるし「まだ幼い」とも言えるわけである。その良し悪しは、内容によるものであるから一概に断定できることではないが、要はそのあたりの判別と自覚が的確にできるか否か、さらにその判断に責任が負えるかどうかが「その人のオトナ度」を示すということになるのだろう。
 
3/20 日 20.0   なぜか臨時バイト。
…お金はもらうが、なんとなくボランティア気分。
今日は「お掃除片づけおばちゃん」や(*^。^*)
といいつつ、ふつうとはチョット違う「アクロバットモード」な動作を要したため、やや筋肉痛チック(>_<)イテテテ。
 「商売」というのは、よほど「ズウズウシイ」あるいは「アホ」でないとできない、という側面があるように思う…「いかにお客様のために?快適に?安全に?」という、それこそ企業スローガンになっているような志向を深追いするようではやっていけないということだ。「これでいいだろう、何が悪い!」というような開き直り、もしくはそれにも気が付かずに「なんとか形になっている」ことでヨシとしているようでなければ、やっていけない側面があるということだろう。
 「自分がお客様だったらここで過ごしたいか?」「これを使いたいか?」「これを正価で買いたいか?」…そういう視点が徹底している企業やお店というのは、あるようでなかなかないものである。あのダイマルでさえ、素人以下の知識しかない店員が、口紅のついた帽子を見落としてそのまま売りつけようとしたくらいであるから、また、同じ「インペリアル」を名乗っても、東京と大阪のそれは段違いであることからしても、「ホンモノの店・ホンモノの店員」なんていうのは実に希少価値なのであろう。
…もうずいぶん前、電車の中で耳にした就職活動中と思しきく女子大生の会話。
「わたし、デパートとかでは絶対働けない。」
「え?なんで?接客とか、超うまいじゃん?」
「うん…好きだからできないんだよ。モノを包むのひとつとっても、これできちんと喜ばれるようにできているだろうか、気になっちゃうくらいだから…ふつうの事務職にしようと思うの。」
…「好き」や「夢」や「理想」だけでは仕事は成り立たないということを、その若さでよくも「知った」ものだと感心の至りだったが、実はそういう素質を持っている人ほど思い切ってその世界に飛び込み、互いに切磋琢磨しながら進んでいく以外に、「発展」は望めないというものをまた事実である。難しいところだ。
 
3/21 月 0.0   「1日1万歩で健康維持」とは、昔からよく言われることであるが…ほんまかいな?
「やらないよりはやったほうが…」と思いたいところだが、人によっては「やるよりやらないほうが…」と思うような歩き方や骨格体型をしている人もいるような気がするのである。
 かくいうワタクシも、「RUN距離が出ない日」すなわち国家公務バイトの日はゆうに1万歩を超える距離を歩いているのであるが、それが常に「前向きな健康性」に寄与しているかと問えば、必ずしもそうとは言いきれない日があると感じている。疲れていると感じているのに歩くのか?人や車の往来にストレスを貯めるような環境でもアリなのか?姿勢やペースは意識しなくてもOKなのか?…細かい課題は多いと思うのである。
 「歩く」ことは「運動」には違いないから、多少なりともカロリー消費にはなり、体重計に乗ればゼロコンマレベルでの体重維持や減量にはなっているだろう。また、万歩計などつけていれば「10000」以上の数字が記録されることに喜びや満足を感じることもできるだろう。しかし気を付けたいのは、それらがいずれも「客観的な数値による評価にしか過ぎない」という点である。
 「健康」には、数値では推し量れない要素が多い。それだけに注目し、目標にするがゆえに犠牲となって壊れていくものがあることの方が怖い。そして、そういうものこそ、最も基本的な「健康維持のポイント」として各個人において注目されるべき要素である場合が多いのである。
  
3/22 火 20.0   3時に目が覚めた(゜v゜)
9時就寝ならアタリマエか(-_-;)
歴史のネタ本を読んでいたら、旅RUNでよく行くコース上のあるポイントについてスッゲーことが判明した(不思議ちゃんわーるどなジャンルなので詳細省略)。
…早起きは三文の徳、である。
 (左の話とは全く関係ないヨ)
 道元ちゃんには、「達磨宗」というところから鞍替え入門(?)してきた義介と義演という弟子がいた。
 道元ちゃん亡きあと、まずは懐奘という弟子が第二祖になったわけだがそのまたあと、義介が第三祖になったことでひと悶着…同じカマのメシを食い続けてきたはずの義演が、仲間の重用を喜ぶどころか「達磨宗からやってきたヨソモンが、第三祖なるなんアツカマシイのとちゃうか?」とイチャモンを付けたのである。
 この騒動が延々続いた結果が横浜鶴見の総持寺建立(曹洞宗大本山の分立→両立)につながるのだから、コトは小さいようで大きい。注目したいのは、義演がイチャモンをつけたその根拠(真意)が、コトバ通り「ヨソモンが厚かましい」という謙虚さから発せられたものなのか、あるいは、同じような経緯(ある種のウィークポイント)を持っていながらオマエだけズルイ!というヒガミから生じたものなのか…ということである。「ボンサン」というものへの期待を込めて話をきれいにまとめようとすればなんとでもなるが、事実はおそらく後者であろう。
 聖なる境涯や!サトリの境地や!とゆーたところで結局その組織展開は、お茶のかんばやしや甘春堂あたりと同じなのである…「スゴイ・偉大」なのは「そのひと」なのであって「組織」ではないのだ、ということを思い知らされるところである。法然ちゃんしかり、親鸞ちゃんしかり、ニチレンジャーしかり…この点、そういうことを見越したように「残務処理」終えて逝った一遍さんあたりは清々しいとさえ思う。もっとも、内情はどうあれ、「組織」として継承されたからこそ今に残る伝法というものがあるのだという意味では「組織」を全否定するわけにはいかないが、わたしたちが「宗教信仰」というものを捉えようとするときには、その本質を見誤らないようにしなければならないのである。
 それにしても道元ちゃん、あなたの後のゴタゴタ、どう思う?…てなことを、お米とぎながら考えていたせいで、今日のRUNコースは「それ風」になったわけなのでした(*^。^*)サテ、ドコデショウ?
 
3/23 水 20.0   「PMやや多し」の本日…知らんと爆走してもーたわ(>_<)
放射能があーだこーだと騒がれている頃には、いっしょくたにあれだけ騒がれていたはずが…。
報道の加減を見る限り、あれは放射能の件を遠ざけるための策略だったのか、と勘繰りたくなるほどだ。
しかし放射能もPMも、人々の関心と共に消え去っているわけではない!どうにもならないことではあるが、日々注目していくことくらいはしていきたいものである。
 清原がその潜伏(入院)先に張り込んでいる取材陣に焼肉弁当をふるまった(*)、ということについて、あの教育評論家が批判をしたらしい。「今は自分自身をしっかり見つめ直すことに専念すべき」とかなんとか…千差万別の個性を生かして伸ばすべき教育者が、ひとそれぞれの「反省・感謝・誠意のかたち」を見抜けていないことが露呈してしまった、滑稽極まりない話である。そもそも、いい歳したオッサンの言動を云々するなど、アンタの専門外だろーが!っての。
 とにかく最近のテレビ番組には、何かのできごとについて「コメント」なる賛否の応酬に割く時間が多すぎる。とりあえず何かのジャンルで有名になった人が、まるで「全能全知」になったかのような扱いを受け、本人もすっかりその気になって政治経済、スポーツ、文化、福祉、犯罪…等々、ありとあらゆる範囲にゴタクを並べているのである。しかも登場するのはだいたい同じようなメンツであり、所詮は「そこに収入源と名誉源を求めている出たがり」が無責任な自己主張をピーチクパーチクやっているだけなのだ。京都のニュースでも、何かといえばセンやムラタやヤマポキやオクノ…だいたいこの路線で、もう飽き飽きさせられている。
 しかし、こんなありようも、あと数年後にはなくなっていくだろうと思う。SNSの発展で、「なんでもない人の何気ない一言や動き」のほうが、どれだけ現実的な力を持っているものであるか、人々は薄々気づき始めているような気がするからだ。誰にも耳触りがよくしかし結局何を言いたいのかわからない抽象的なコトバたちは、たとえ辛辣であっても汎用性がなくても「自分だけに響くことば」を受け取る環境が凌駕していくことであろう。その時、「絆」だの「あきらめない」だのという「与えられたコトバ」に軸を置いて生きた人たちがどうなるか…今のうちに、よくよく沈思熟慮しておいたほうが良いのではないか。
【(*):注記】実際のところ、焼肉弁当を配ったこと自体が、本人の発案によるものなのかどうか明白になっているのか?第三者の策略的なパフォーマンスである可能性もあるではないか。
3/24 木 5.0   アクロバットバイト後、股関節やモモ裏やアキレス腱にちょっとした違和感(>_<)
どっか、伸ばし過ぎたか?
 伸ばし過ぎたか…といえば、どうやら髪の毛も伸ばしすぎたようである(-_-;)
 もともと、「ロングのサラサラヘアー」なんぞ望める素質はない髪をついつい伸ばしてしまうのには、ある程度長さがあった方が「束ねられるから」という以外に理由がないのである。でもって、それも毎日のように同じようなひっつめをしていると、引っ張られている部分がウスウスになっていくのであって、たまには解放させてやることが必要なのだ。
 ここのところちょっと憧れて目指していた「ポンパドール」には、やはり毛量が全然足りないことが判明したし、そもそも縦長の輪郭の顔にさらにこんもり盛り付けたようなポンパは似合うまいて…(-_-)
 若い頃には、「だらしなさ」や「その場しのぎ」を感じさせる髪型も、ある種のファッションセンスとして見受けることもできるが、それは歳をとるにしたがって「不潔さ」や「ビンボウくささ」に他ならないものになることを承知している。それでなくても化粧をしない(したくない)分「おかまいなし」の印象が強いであろう状況は、髪や服装でフォローするしかないのだ…(-_-)
 実は、わたしの「美への欲求」は、そこらへんの女性たちの何百倍も強いものがあると思っている。ただ、その視点が一般的でないためにそうは見えないだけのことなのである。「オンナはいろいろタイヘンやんねー!」というのは、趣こそ違え皆と同様の心境を保持しつつ、日々あれこれと研究や観察に余念がないのである(*^。^*)
 
3/25 金 15.0   ダブル弁当づくり…今日は朝から夕方まで、やることテンコモリやで!(*^。^*)
…といいつつ、結果を冷静に振り返ってみると、別にたいしたことやってないのである(-_-)
 国家公務バイトで、通常とは違う業務処理が2件あった。帰りに図書館寄って、その後美容院に行った。黒豆の下ごしらえをした。チョイRUNした。おつとめした。…過ぎてしまえば「別にどうってことはないふつうの1日」だ(-_-)
・・・・・
 「"忙しい"という字は"心をなくす"と書く」とはよく言ったものである。実際には一秒先すら予測不可能な「これからの時間」に、あれやこれやと想像を放り込んでいること自体が、既に気持ちを疲れさせエネルギーを消費しているのだということ、ひいてはそのことが「やるべきこと」を遅滞・停滞させる要因になっているのだということを、今日は身をもって反省したのである。
 「やるべきこと」は確かにある。それそのものは忘却してはならないが(忘れたらボケやんな)、それが「できるかできないか」は前もって考えてもムダなことである。とにかく、今現在この瞬間に「やっていること」に最善を尽くし、それを重ねていくことにしか「結果」も「展望」も見えてこないのだ。
 申し添えるが、これは「人生は徹頭徹尾、楽天主義であれ」ということを主張するものではない。「赤信号とわかっていて横断し、クルマにはねられてケガをした」というような「無配慮・無神経」の結果さえも、「起こってしまったことはしかたない」と考えるような愚かさまでをここに包含して述べているつもりはないので念のため。
 
3/26 土 0.0   またもや臨時バイト(-_-)…完全なる人助けバージョン。
お金はいただきますがー(^。^)♪
せんたくおばちゃん…延々6時間半、途中「干し」や「取りこみ」がありつつもほぼ「タタミ」に徹する。
我ながら、この持久力に驚きと関心の至り(-v-)ドヤッ。
 「働くことが好きなんやなぁ」…作業中、そんな思いがふっと湧いて出た。高校生の時にアルバイト作業中に感じたことと同じ思いが蘇ったのである。そういえば、あのバイトも「クリーニング工場の仕上げ工程現場」であった…が、これは、わたしが「せんたくもの系」に適性や興味があるというわけではない。
 つまるところわたしは、「仕事」というほどお堅い表現を要しない「働く」ということが好きなのである。決められた動きを繰り返しモクモクとこなしていく、まさに「人が動く」という文字通りの過ごし方が好きなのだ。考えてみれば、国家公務バイトもその要素が大きい。ゆえに、あれよあれよという間に3年目の長期継続がこなせたのであろう。
 「ひとり黙々作業」であるから、たとえばテレビやラジオをつけたり、MP3で中国語を勉強しながら…みたいなことも可能ではあるのだが、それが邪魔に感じられてできないことも不思議なことである。だからといってアタマの中でいろいろと雑念を巡らせているのかといえばそうでもない。そこに緊張感があるわけでも、逆に「楽しさ」を感じるのでもなく、「ただひたすら作業あるのみ」ということを坦々とこなす「ありよう」を過ごすことは、それ自体ひじょうに「安定した心境」をつくっているのである…禅寺で日常生活の細かいあれこれが「それが修行そのものである」として厳しく規定されている所以を、身をもって感得したような気がしている。禅寺ではそうして獲得しようとするものが「サトリ」とかいうものであるらしいが、俗なわたしの場合「現金」という現物支給であるところが直接的でアリガタイ(^_^;)
 ・・・・・・・・
 さて、こうしてじぶんの「しごとの適性」を結論づけてみると…実は現役時代からウスウス勘付いていたのだが…怪舎員時代、じぶんがどれほどテンパってトンガっていたのかが恐ろしくさえ感じられる。本来的に不向きなことをやらなければならない、そのプレッシャーの反動が「はじけてぶっ飛んだ観往さん」をつくっていたのだとしたら、あの20年間に、いわゆる「本当のわたし」は生きていなかったのである。
 あの当時の「通勤RUN」や「休日爆RUN」は外見上「はじけてぶっ飛んだ観往さん」の延長線上にある所業でありながら、同時に「そこにあるウソを見定め、等身大のじぶんを回復する」ためにはじまり、続いたことであったのかもしれない。その過激なまでの取り組みようが「何とバランスをとっていたのか」ということ、そして、長距離RUNで得たものがあらゆる意味での「安定」あったことを考えると、これは間違いではないと思うんである。
 
3/27 日 34.0   道元ちゃんへ会いに行くRUN
+いったん帰宅後、御所のサクラと「麺匠たか松」のつけ麺堪能RUN!(^^)!
百万遍の「つけ麺マン」を上品にしたようなお味…と思ったら、案の定両者は「同系列」のお店であった(^_^;)
少しは、舌が肥えてきましたなぁ…しょせんラーメンレベルですがー(*^_^*)
元々メニューになかったお店が流行に便乗して追加したようなケースのつけ麺はイマイチであることが多く、最初から「つけ麺が評判」となっている店では「フツウのラーメン」を頼むとスープが硬くて濃く、後味がしつこく残って困ることが多い。
【前者の例】セアブラノ神 【後者の例】かたぐるま
 30年前、静岡掛川「大門」で食べた初体験のつけ麺が、「スープと麺が別容器になっただけ」というシロモノであったという「黒い記憶」が災いして、いくら話題になっても敬遠してきたつけ麺であったが、いつのまにかそちらを好んで注文することが多くなった。なんとなーく、つけ麺は作業コストがかかっているような気がしているので、いずれ消滅していくのかなー?というのが心配だ(-_-)
 
3/28 月 20.0   今年は早いと言われるサクラですが、どこもまだまだイマイチどすな(^_^;)
「今日こそ決行」のスポーツクラブ、雨に降られて気が失せ中止(>_<)
 水着を着て、道具を背負い、献血センターに寄付する袋いっぱいの本を持って出発したとたんにポツポツ…間もなくドジャー!(゜o゜)
 正直なところ、お目覚め感もRUNのテンションもイマイチであった今朝、この上さらに水泳だのトレーニングマシンだのやっても意味ないかもなぁ…とチラホラ思っていただけに、この雨はまさに「神の足止め」のように思われたのである。実際、無料チケットの有効期限が今月いっぱいで切れるということ以外に、「どうしても今日」という理由がない…実質、明日がNGならチケットは無効になるが、もし明日もアカンかったら、それはそれでえーやん(^_^;)
3/29 火 30.0   10年以上ぶりのプールやっ!(*^。^*)
どれだけブランクがあっても泳げてしまう不思議…しかも、平泳ぎのけりは少し上達してるような…モモ筋発達?
 RUN距離は、ジムのRUNマシン込み。
 プールはめちゃおもしろかったけど、ジムはイマイチ…やっぱし、ふつうのRUNがえーわ(*^。^*)
3/30 水 0.0   はい、今日は休みます!(-_-)キリッ。
400越えとか、ちょっとやり過ぎやし。
PMひどいし。
3/31 木 0.0   各種業界では、本日を「年度末」という…んなことスッカリ忘れとったわ(*^_^:)
国家公務バイトで、超高級ビフカツサンドをよばれたのは「年度末」のおかげであった(*^。^*)アーウマカッタ!
 某所で、ナマ橋之助を見た…っていうか、超超超接近モードですれ違った(゜o゜;)
 が、驚くほどオーラなし。オツカレどすかー?(*_*)
走行距離 423.0  km