あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上56歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
8/01 金 10.0   例えば市販の総合感冒薬でも、服用をやめてから3日は間を開けてから来てほしいと…これ、献血の話。
ましてや、医者から処方された抗生物質だのステロイドだのバリバリ使用中とあっては、こりゃしばらくアカンやん(>_<)
これで、「血液不足になりやすい年末年始」に献血に行くサイクルが崩れた…なんか残念。
もっとも、1キロも走らんうちに「気管支焼けた感」が出るような体調の血液では、「薬漬けNG」以前にアウトだろうがね。
8/02 土 20.0   かつらがわ
50も近くなって、ようやく発見した、あるオシャレネタ。
テキトウな値段…もっと言えば、ある程度の人が気軽に入手できるレベルの「バッグ」には、同時期に発売されているブランド新作品の模倣デザインであるケースがメチャクチャ多いという法則。
良くも悪くもそれが現実。その事実に遅まきながら「気づいた」ことはとても貴重なことである感じている。あとはそれを自分がどのように受け入れ判断するかであろう。
見る人が見れば「なんちゃって商品」であることが一目瞭然のモノを、開き直って持てるような感性はわたしにはない。それなら元々そういう路線から外れたタイプのお気に入りを探すことのほうに意義を感じる。
「月並みな」「ひとと同じように」という生き方をしなかった(正確にはできなかった)47年の価値観は、大いにひねくれているのであろうが独特なのである。
8/03 日 22.0   早朝から開園中の植物園へ
朝顔目当てで行ったら、ついでに「バオバブ」の花も見られた。ラッキー(*^。^*)
「回復までには長くかかります」と宣告されたとはいえ、かれこれ2週間超となる味覚障害には、「食べるの大好き」なわたしにとってある意味人生の何割かの楽しみを奪われたような切なさがある(>_<)
人間の五感のうち、どこを失うのが一番つらいか?という問いは、これまでしばしば自らに投げかけ考察してきたことであるが、その際俎上にのるのは「視覚」「聴覚」の優先性比較がほとんどであり、「嗅覚」についてはほとんど意識していなかったことに気付く。いや、「見えない」「聴こえない」よりははるかにマシではあると思うのだがね。
仮にこのまま、この調子の味覚が続くとすれば、何事もなくおいしくいただいた最後の食事は、「宵山の海鮮一式」となる。あぁよかった。
8/04 月 12.0   バランスボール効果テキメン。
ついでにいうと、味覚治療のために処方された漢方薬が、別の効能も発揮してくれてるおかげで「RUN的体調」もベリーグッド。
雨の心配さえなければ、北山トレイルにでも行きたい勢いだ。
8/05 火 10.0   ユリの花粉というのは実にしつこい。
うっかり手に付けようものなら石けんで洗ってもなかなか落ちひん黄色がシミついてかなん。
こんな枯れたおばちゃんにしがみついても、花なん咲くことないし、あきらめてさっさとはがれておくなはれ。
8/06 水 12.0   いわゆる「京の老舗・名店」なるもののほとんどが通勤圏内にある今日この頃。
ネットやガイドではそれほどでもない「知る人ぞ知る」なところが結構あるものだとわかる。
でもって、そういうところほど、日常生活に密着した良心的価格の良品を扱っていたりする。
福寿園やよ−じやみたいなところとは違う落ち着き感があって、地元生活者としては使い勝手がよい・・・てな場所がワタクシにも増えてきたわなぁ(*^_^*)
8/07 木 12.0   「恥の文化」が消えつつある日本。
それは同時に、「恥ずかしいと思う」「赤面してうつむく」「うろたえる」というような反応の仕方を人々から忘却させた。
代わって身についたのは「キレる」という、あくまで自己正当性を追求してやまない行為である。
まぁ、その自信をもって勝手に生きてろ、という人種か。若い世代ならいざ知らず、年寄りにこうしたのが増えてる傾向はいやはやである。
8/08 金 12.0   朝も早よから、まるきのパンを買い食いさせている母親&その娘(小6程度)。旅行者と思われ。
「ほら、もっと大きく口開けて、こっち見て!」
パンをほおばる姿を画像に撮りたいらしいバカ親は、少女を縁石に立たせ、よそ見させ(カメラ目線を要求)、口を大きく開けろと・・・おおよそ、女の子がモノを食べるときのシツケとは真逆の指導をしていた。あきれることこの上なし。
何を誰に見せ、何を残したいのか知らないが・・・子供が逆らっても厳しく教えなければいけない「シツケ」の役割を忘れ、「やりたい放題」を奨励するような親の有り様を見せられゲンナリ。
ビデオ録画やらツイッター・ブログの蔓延で、おかしくなっているのは子供ばかりではない。むしろ、新しいおもちゃを与えられてはしゃぎまくっているのはいい年したオッサンオバサン。
昔なら、持っていてもなんとか誤魔化し隠せていた幼稚さや非常識さがあふれんばかりに露呈するサイトや発言も数多い。
8/09 土 0.0   「これまでに経験のないような」が気象を表現するうえでの流行語になっている最近。
はて、わたしにとってのそれは、「いつ以上の状況に見舞われたき該当するか」を、遡って考えてみた。
18歳、小田原駅浸水時の強行突破の件。22歳、雲取山の暴風雨。23歳、丹沢表尾根単独行時の暴風雨。26歳、北岳暴風雨。…とまぁ、ほぼ「山」での体験が比較対象になるので、何が起こってもまぁなんとかなる下界での異状など、精神的にはどうってことないと思われる。
8/10 日 7.0   六道珍皇寺。
その存在を知ってから15年にして初めて、正規手順に則ってのお参り。
台風で早々と露店がかたずけ終えているのに焦ったが、偶然のご縁で無事、高野槇をGET。
ついでに、スギモトのオバちゃんにも遭遇。まるで幽霊にでも遭ったのような奇声発してもーた…境内のみなさまゴメンちゃい。
これまで、先祖をテーマにした雑談や考察のネタにしかしてこなかった「チョウさん&コハチロー」と、たまにはマトモに対話してみるべか、ということで、お迎えに伺った次第。双方とも、親が幼少時に死亡した「幻のじいちゃん」である。当然のことながら、彼らは孫たる私の存在を知る由もなく、言ってみれば不審者による強制連行に他ならないのだが、まぁお盆だし京都だしええか、ってことで。
この時期、どこにいけば彼らに直接ご供養申し上げることができるのかはわかっているが、ゆえあってそれが叶わぬので、めんどくさいからこっちに来てもらうことにした。五山の送り火まで、ゆっくり京の夏をお楽しみくだされ。
8/11 月 7.0   勘三郎は、亡き父親が「ハエ」になったという…何かの折に自分の周りをブンブン飛び回り、励ましたり気合を入れたりさせたのだそうだ。
わたしの場合、チョウさんとコハチローは「トンボ」になっているようである。
本日、烏丸御池某所に外出して帰宅するまでの間、何度も2匹の赤トンボが随行した不思議。挙句、家の中まで入ってきたのにはビックリギョーテンやった(゜o゜)
…チベットでは、先祖がミミズや虫になって生まれ変わることを信じ、どんな生きものも乱暴に扱わないという。それがウソかホントかなどはこの際関係ない。世の中のありとあらゆるものが、過去現在未来の自分を作り支えているのだという感謝と敬愛の念がそのような観念を形成しているということ自体、美しい人間のありようだと思われるのである。問題になるのは、そうした「つながり」をタタリだの呪いだのという脅迫に結びつけ、宗教的商売に転じた場合のみである。
8/12 火 15.0   AM3:00というのは深夜か早朝か…
まぁどっちにしても、五条通に限って言えば、町のあかりや車の通りもそこそこ、必ずしも「そんな時間にありえない!」というほどの危険な感覚はわかない状況である。少なくとも、同時間帯の大垂水峠よりは格段にマシだ。(^_^)シメシメ…
よくよく数えてみれえば・・・その死から、双方の祖父70年、父方祖母33年、母方祖母1年・・・ハイッ、丁半コマ揃いやした!のようなキリの良さで一致した今年。
今回の六道まいりは、「思いついた」というより「思いつかされた」というのが相応しいのかもしれないとも思う。
8/13 水 10.0   涼しい夏でうれしいわぁ・・・と思うその反面。
今年はいつまでたっても梅干しの天日干しができず心配になってきた(>_<)
それでも、ご近所には軒先などに梅干しをさらしているお宅がチラホラ・・・この際、うちも陰干しでもええか・・・。
8/14 木 0.0   下鴨境内の古本市へ。
「虫干し」を兼ねてこの時期に開催されると言われているが、今年は逆効果?
手にした本がことごとく湿っていて、かえって虫がわきそうな危険な気配(>_<)
わたしの日常の中には、いわゆる「シンクロニシティ」という現象が実に多い。最近では、ふと思い出した友人に様子伺いのメールを出したら、相手も同日に暑中見舞いはがきを投函していたということがあった(^o^;)
本日も、ここ数日なぜか頭に浮かんでいた「小学生の頃アホほど繰り返し読んだ本」が、古本市の店にひょっこり登場し驚かされたのである。
「子供の読書」というのはその人間形成に大きく影響を及ぼすというが、それは間違いなくそんな1冊であり、じぶんの目指すライフスタイルの基底部分を作った一端となっている気がする。再読したいし、記念品的価値もあるしで、お買い上げ。200円也。
8/15 金 0.0   そういえば…と、気が付いたことがある。
例年この時期、京都には毎日のようにあった「夕立」がないような…これもまたひとつの気象変化?
今日は「松上げ」が開催される日だったことをすっかり忘れて、バイトのシフト入れていた(>_<)来年は気を付けよう。
8/16 土 0.0   五山送り火決行で結構。
関係者に事故があったらしきニュースはないのでなお結構。
この大雨でも決行…という裏には、様々な「おとなの事情」があるに違いない。しかしそんな現実的なところはさておき、五山の送り火というのがお精霊さんたちが帰るためのものという主目的を考えるとき、これは何が何でもやらずにはおれまい!という思いがあるのは当然だろう。
各種サイトを閲覧すると、もし送り火が延期になったらお精霊さん延泊?中止になったら来年まで滞在?…等々考えたのはワタクシだけではないようだ(*^。^*)
8/17 日 10.0   奈良線や琵琶湖線、嵯峨野線は天候の悪化でちょくちょく止まるわけだが。
お浄土へ帰るご先祖列車は、送り火を眺めつつ無事運行…運転手のウデが違うわな。
ご先祖その他の亡者との対話をする時間というものが、この京都では仕組みとしてごく自然に与えられる…「やわらかな強制性」をもって。
一連の盆行事の中に、死というもののさびしさ、そしてタマシイの静けさとやさしさ、生死を越えてつながる縁や思いというものが詰め込まれていることを感じる京の夏。
8/18 月 10.0   最近は、日本のどこに住んでいても「ネットでお取り寄せ」ができる時代なので、「地元に住んでいるならではの得意顔」ってのはできづらい世の中だわな。
とはいえ、やはり「そこにいるから」みたいなものも少しくらいはあるわけで。
先日、とある知人家族のとある「内祝」に、めったに手にすることのできない、かつ日本らしい、なにか喜ばれるものは?…という相談を受け、緑寿庵清水を紹介した。…ら、なんと日帰り(実質半日帰り)で購入に来たらしい!(゜o゜) リッチヤナァ!
結果。先方の家族の片方が「ヨーロッパ系」だったこともあって、ひじょうに評判が良かったようだ。
清水もわたしも、「いい仕事、しましたねぇぇぇ〜」というところか?(*^。^*)ウヒョヒョ☆
8/19 火 10.0   ブックオフの割引券・・・1000円購入で1割引〜5000円で半額まで、なんともオイシイサービスを受けたような気がしたので寄ってみた。
なんともタイムリーに『スケバン刑事』全巻があり・・・メッチャ悩んだがやめた(>_<)
昔なつかしマンガなぞ読んでるヒマあるまいて。
「アマゾン」で、中古1円の商品がゾクゾク出ているような時代になったこともあり、ブックオフで価値があるのは「100円均一の棚」にあるモノか、よほど入手したい掘り出しモノである場合に限られる(わたしの場合)。
しかも京都市の場合、市立図書館の蔵書が充実しているので、そちらでもたいていの本はフォローできちゃうのである(^o^)
・・・少し前までは、ブックオフも画期的なビジネスシステムなどともてはやされたが、もはやちょっとツライ状況なんだろう。ツタヤ店舗も同様。
8/20 水 18.0   ひさびさ南禅寺・銀閣寺かいわい
4時スタート・・・先日の、3時スタートの時にも感じたことだが、どうやらワタクシにはこのあたりの時間帯がベストなRUNタイミングのようである(^o^)
長年の習慣はなかなか消えへんもんらしいわ。
ネットニュースで「山中教授が頭から氷水」とな!・・・おおかた「京都の暑さをしのごう!キャンペーン」あたりかと思いきや、世界的に展開する難病関連のキャンペーンだと。意味不明(>_<)
ガン撲滅のリレーマラソンとか、主旨と行動の合致性が理解できないイベントというのが昨今しばしばあるが、こんなものは本末転倒な価値しかないようにわたしには思える。「何もしないよりはマシ」なのかもしれないが、実際「祭り」「イベント」そして「一時的認知」、それ以上の効果があるのだろうか。
8/21 木 20.0   昨日とほぼ同じコース。疎水探検つき。
疎水の脇道は「右側」通行のこと。左を通ってもいいが、途中に現れる橋を渡って最終的には右に移動すること。
左は行き止まりやで(前回ミスったのにまたやった)(>_<)
超早朝の時間帯、鴨川沿いには「野宿の若者」がギョーサンおる。その数は人目はばからずイチャイチャしているカップルの比ではない(^_^;)
この時期、いつまた大雨洪水になるかもしれない危険を承知の上か、爆睡している度胸はアッパレじゃヽ(^o^)/。
多くは「旅行者」が宿泊費節約のために野宿しているケースのようである。ある意味、若者ならではの特権という感じがうらやましく、また懐かしくもある・・・じぶんもさんざん甲府駅や長野駅の階段とかで寝ていたので(山登りの前深夜のハナシやで)。
ひところ、20代そこそこの若造が高級シティホテルだのグルメだのを競うように利用していた時代に比べれば、正常かつ健全に思えるのである。
8/22 金 17.0   昨日とほぼ同じコース、ただし30分ネボーにつき南禅寺ヌキ。
そのかわり清水寺かいわいミニ探検つき(^o^)
もはや騒音!というほどジャンジャン鳴きわめいていたセミの数からして当然の結果なのだが、この時期になるとセミの死骸あるいはヨタヨタ歩く姿が目につく。
彼ら自身すでに「死が近い」ことは本能的に自覚してはいるのだろうが、人に踏みつぶされたりクルマや自転車にひき殺される最期は本望ではあるまい・・・と思うので、危険な場所に這っているセミを見つけるたび、付近の植え込み等に投げ移してやるのだが、「本日7匹」はその新記録である(^_^;)
(徒歩通勤途中)・・・でもって、烏丸四条あたりでまたもやヨタゼミを発見!と同時に、誰かの定期券が落ちているのも発見。ICOCAは紛失の場合再発行できるらしいので、さほど緊急事態ではないだろうがいちおう交番に届けた。
しかし、「盗難品かどうか調べますのでちょっとお待ちください」にはマイッタ!・・・もし盗難品だったら、わたしは容疑者?????
8/23 土 0.0   苦節25年?!
一度聞いただけで頭から離れず気になり続けていた「あの曲」の正体がようやく判明した(>_<)
ありがとう、キムタク!っていうか、ソフトバンク、っていうか、ネット情報社会☆
Art of noise の 「moment in love」
これまで、NHKの「日曜日美術館」をはじめとしたTV番組で、その一部が一瞬流れたことはしばしばあったが、どうしても判明させることの叶わなかったワタクシ的名曲。
早速、moraでお買い上げ(*^。^*)
それは、ワタクシの「超MMK時代」…当時、ぬわぁぁんと、一時に5人もの男性から交際申込を受けていた22歳の秋の日のことである。
ワタクシは、そのうちの1人からドライブに誘われ軽い気持ちで同乗したところ、「YESと言ってくれるまで離さない!」みたいな展開になって、延々甲府まで強制連行されたことがある。まぁ、男そのものより「助手席ドライブ」が至高の楽しみであった当時のわたしにとっては恐怖も何もなかったのであるが。ヘタすりゃ「元祖・ストーカー監禁事件」だったかもしれないことを考えれば、若さというのはなんと無防備で危険なものあろうか。…と、今さら(^_^;)
ともあれ、その「超MMK状態」の中、何らかの結論を急がれていたことは事実で、「あーどしよう?」の気分で混沌としているその心境をそっくりそのまま写し取ったような曲がカーステ(FM)から…それがこの曲だった、という次第である(*^。^*)
場所は、まだ未舗装部分の残っていたころの道志みち。雨が上がったばかりの水墨画のような山並みの風景は、今でもくっきり蘇る…そんな、恋愛ゲームの甘酸っぱさと少々の罪悪感の宿る曲なんである(*^_^*)シミジミ…
…とかなんとかいいつつ、そんな思い出の残るドライブルートのあれこれは、30代の「単独爆RUN生活」においてすべて上書き保存され、「思い出以上の過去」に塗り替えられている。今再びこの曲に巡り会い、これをBGMにしてやりたいことはRUNであり、「恋するオンナ」の再現などではない。ワタクシの奥底に潜むエネルギーは、若いころのそれから完全に変換を遂げているのである!
しっかし、「YESと言わない限り解放されない」ならば、今頃日本を100回くらい車で往復している最中であるはずが、ノホホンとこんな記録を打ち込んでいるあたり、20代ソコソコの若造の熱い発言なんぞ、いかにいい加減で信用できないかがわかろうというものである。そんなのを真に受けて結婚して、今頃修羅場になってる夫婦とか多いんだろうなと思うと、あの当時、じぶんに起こっていた現象とそれに対する冷めた感覚というのは、結果的にラッキーに転じたわけだ。図らずも、「一気に5人」が同じテンションで同じセリフを口にしたということが、言葉そのものにはだまされない環境を呈していたというわけである(*^。^*)ヨカタヨカッタ。
ちなみに、上記の一件について付言すれば、道志みち〜山中湖〜清里(星座グラス買ってもらった)〜甲府(ほうとう食べた)で、甲府からはひとりで電車で帰ってきた…という、単なるぶっちぎりドライブという顛末。アハハハハ。
8/24 日 32.0   大原野あたりフラフラ
あれこれ考え続けてきた…今からじぶんがやろうとしていることは、これまでのじぶんを否定することになりはしないか。
…「いや、そんなことはない!」とひらめいたのが2週間前のことである。
これは、ある意味では正しく、ある意味では間違っていたことを修正し、結果として「一粒で二度おいしいグリコのキャラメルのような人生」にするための、いわば「第二章」なのである。自信をもって「住む世界」を変えてみよう!…むろん、それは住所や職場を変更するなんていう俗的なレベルのことではない。「精神の置き場」の問題である。
何をどう変えようと、または変わらなかろうと、そこにアミダちゃんがおわします限り、わたしのすべては赦されている、その安心感あふれる地面に足を着けて、ドンと進もう。
8/25 月 0.0   ようやく献血(*^。^*)
日本の献血はなぜ「1回400ml」で固定しているのか?についての謎が解けた。
単に、献血センターの仕組み上の問題。
外国では、500を1回としているところもあるとか。これまたその国の仕組み上の問題。
たとえば、体重50キロの人間が一度に献血(出血)しても問題ないとされるその許容量は、理論的計算上1000mlを若干超えるくらい大量である。にもかかわらず、1回400が限界、しかも年2回(女性の場合)を限度とする仕組みは、明らかに「考えすぎ」「神経質すぎ」と言えるだろう。
「善意が仇となってはいけない」ということを配慮した結果とは思うのだが、今や欧米人と同等になったとも言われる日本人の体格や体力、そして何より「献血をしよう」とするその意識自体の健康さを考えれば、そろそろその限界値をアップさせても良い時期に来ているのではないか?なんてことを思うのである。
わずかな血液を5分にも満たない時間内でサクサク採取されるだけのことに、ジュース飲み放題、お菓子やアイス食べ放題、体内組成計使い放題、挙句おみやげまで用意され、スタッフは最上級のおもてなし風対応…なんだか申し訳ないくらいだ。
8/26 火 12.0   味覚ゼロからの回復傾向。
状況的に、「うまみ」というものをしつけされる乳幼児の状態に戻ったような気がする。
今、何より一番オイシイと感じるのは、カツオブシやシイタケの出し汁なのである。日本人にしか理解できないとされる貴重な味わいを再確認できるうれしさよ。
そこらのマダム達が必死になっている「アンチエイジング」など、愚かでバカバカしいことであるという意識に変わりはない。しかし主に内面的な問題として、最近のワタクシには「若い時代」に決定的に不足していたあれこれを取り戻せ、と、誰かから啓示を受けているような現象が続々起こっているのは事実である。
読むべきであったのに逃げていた書籍との出会い、地道に努力すれば何とかなった(少なくとも可否の結論はとうに出ていた)はずのあれこれ、等々…ある意味では、左記の「味の問題」をはじめ、「moment in love」との奇跡的再会も、ワタクシに何らかの「精神的若返り」をサポートする出来事であったように思う。否、若返りというより「リ・スタート」というのが適当だろうか。
先日、献血センターでの「体組成計」の結果も、その数値から推定される年齢が「37歳」と出た☆半年前、「年齢そのまま」であったことから考えると、これもまたひとつの「もう一歩前に進むために変化したありがたい根拠」である。
8/27 水 17.0   「なんちゃってライザップ」2週間目に突入!
そう!あの「2ヶ月で20`減!」とか宣伝しているスタジオのマネである!
・・・おっと、朝RUNコースはいつも通り(銀閣寺ヌキ)
ホンマもんのところに行く財力も時間も、なによりそれほどの必要性を感じないので、じぶん流に。
似たようなことは過去に経験があるつもりなので、それをなぞればよいのである。
他人に管理される緊張感(ストレス)がないほうが、わたしにはあっているはずだしね。なので、おそらくホンマもんではタブーなはずのビールやラーメンも適宜摂取の甘やかしアリ。
徒歩通勤途中、ナニゲに「全身チェック」できるポイントがあるのだが、本日そこで、いつものズボンの太モモ(内股)部分のわずかなシワ、そしてシャツの腹部が上品なドレープを描いてるのを発見☆少し前までパッツンパッツンだったことを考えると、これもササヤカな効果かも?(^o^)ニヤニヤ。
もっとも、ヘビロテで着回しているアイテムなだけに、布地がテロテロになってきたがゆえの現象の可能性もあるので、ヌカ喜びかもしれないが(^_^;)
まぁ今回の場合、「これで効果がないわけがない!」という状態に追い込んでいるので、いずれ「う〜ん、イイカンジ♪」になっていくことであろう。もし何も変わらないとすれば、わたしは「飢餓状態に対して超人的な適応能力をもった人間」ということになり、それはそれで価値のあることである。
8/28 木 12.0   雨のためRUNなし。こういうときは、かなりマジで歩いている通勤分をセコくも加算(^_^;)
10数年前、「骨折した方がマシだった」と医者に言わしめたネンザをし、慈恵医大でリハビリしてたときのこと。
「ひとつのことを集中してやるのも素晴らしいが、何らかのアクシデントでそれができなくなったとき、精神的ダメージが大きい。その点、他の「何か」を持っているひとは有利だ」と、トレーナーの言。
今現在のわたしの状況に照らしていえば、メインのRUNができなくても通勤を徒歩にすれば(仕事は雨で休みとかアリエナイ)その不足の何割かを補えるし、仮に双方がNGだとしても、「究極の食事コントロール」をしているから「やべぇ!太るし!」とはならない。逆もまたしかりである。う〜ん、なかなかいい連携をつくっているではないか!(^o^)
仮に、そのすべてがダメになっても、ワタクシには山積みとなった学問ノルマがひかえておる!
「うわーやることない!」なんていう虚脱感とは無縁のようである。アリガタヤ。
8/29 金 7.0   通勤ウオークで驚くべき発見!
最近、ザック・ショルダーバッグ・肩掛け等、何通りかのカバンを使用しているのだが、
どちらか一方に重みのかかる荷物の持ち方をしている時よりザックを背負ったときの方が、確実に移動のスピードが上がる!
「あたりまえやん」なことかもしれないが、それを自らしっかり実感できるというのは貴重なことだ。
・・・あらゆる意味で「上下左右バランスの取れたカラダ」というものが、いかにパフォーマンス効率を高めることであろうか、ということだ。骨や肉付きのゆがみなどもかなり影響するに違いない。
そういや、かつての「爆RUN」時代、片方のポケットに小さな鍵がひとつ入っているだけで違和感を覚えたりしたことあったよなぁ・・・
やっぱし、肩掛けや片手持ちのバッグ利用は、最低限度の小物運搬程度にとどめよう!
8/30 土 0.0  
8/31 日 0.0  
走行距離 314.0  km