あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
4/01 日 30.7   木津加茂で出会ったことば。
「父母に呼ばれて仮に客としてきて
 心おきなく帰るふるさと」
…「生きる」ことをあれこれ飾り立ることばは世に多いが、これほど「安心と落ち着き」を与えられる名言は数少ない。
かつて近江今津の寺院でみかけた
「恥ずかしや 親に抱かれて親探し 
くたびれ果てて 親のふところ」
に続く、個人的大ヒット作である。
この句で唯一「ひっかけ問題」となり、人々によってさまざまな解釈を許す可能性があるのが、「仮に」というところである。
ひとつには「この世に生きている自分は仮の姿である」という理解であるが、はたしてそれは妥当だろうか。今が"仮"なら、"真の自分"はそれとは違うところにあるものとなり、そこには自己否定や逃避の感情が内包される。それが、「心置きなく」などという穏やかな気持ちで「ふるさとに帰れる」ものなのだろうかという疑問が生じるわけである。
「今の私は本当の自分じゃない!」というアンニュイな思考が、ひじょうに一般ウケする概念だけに、「仮の姿」ということばもその方向で理解されやすく、ある意味で全否定できない側面があることは事実だが、少なくともこの句において、さらにこれを仏教思想的に解釈する上では、それは明らかな誤りであると考える。厳密に言えば、「如来像思想」では"真"と"仮"に類似する概念を持つが、それは「真の自分は"隠されている"」という意味合いであって、決して"真"と"仮"を二元的に(別存在)にはとらえていないのである。
わたしはこの句に読まれる「ふるさと」を「浄土」と解している。そして、「仮に」とは、「たまたま」「何気なく」というふんわりとした意味として解するのが適切であろうと考える。
たまたまこの世にやってきて、そのままの自分をそのままに存分に生き、帰っていく。ということである。そのすべてを支えているのが「阿弥陀仏の慈悲」に裏打ちされた「安心」なのである。
この句、誰が詠んだか知らないが、袈裟着てエラそうに踏ん反りかえっているボウサンより、よほど優れた信仰者であり、その体感者であろうと感じる。
わたしにとって、仏教学としての理論から入りこんだ「浄土教」の世界。レポートと試験が終われば忘却してしまって構わなかったはずの阿弥陀仏に、ここまで魅力を感じ、追求心を維持させているのは、こうした名もない人々の「思い」に支えられてのことなのである。
…と、いうようなことを考えながらRUNした後の「天ラー第二弾」は、「第一弾の彩華」に比べてイマイチだった。(脈絡のないシメで終わり)
4/02 月 0.0   日々の考察のメモ(1)
これはRUNとは関係ない日常脳内作業の一環。
特に女性において、他人から「若いわね」と言われることは、悪いことではない、というより喜ばしいこととされているが、最近わたしはこのことに少しばかり違和感を持つようになった。
仮にそのように評されても、現実として20代と同じ外見を持っているわけではない者が「若い」というのは、裏返せば「その歳らしさが欠如している」ということにも通じるからで、その意味ではむしろ恥ずかしく、改善すべき外観づくりや言動が要求されていることを示してはいないか、と思うからである。
せっかく「45歳と半年」を迎えた現在、わたしはそこに過不足のないありかたを追求したい。情熱や勢いに溢れ、ハジケや失敗も多いが許される20代の10年が決して取り戻すことのできない時間であるのと同様に、40代の10年も「そこまでたどり着いたなりの日々」を過ごせる貴重な10年であるはずだ。
これは、ことRUNに関してもしかり。「若いうち」にはまぁ大目に見てもらえるような「ワルノリ」や「開き直り」は、多くのジョガーにも散見されるところであるが、厳に留意していきたいと思っている。
4/03 火 0.0   日々の考察のメモ(2)
これもRUNとは関係ない日常脳内作業の一環。
千本通で、信号のないところ(「わたるな」の標識のある場所)を、バアサンが「小走りモード」で渡っていた。本人は「大丈夫」と思ってやっているようだが、はたから見るとその動きはまったくモタモタして、ヘタをすると転倒(自爆)しかねないような情けなさである。おそらくこの人は、このようなことを若いころから日常茶飯事のこととしてやってきたのだろう。しかしその「実績」たるもの、意識上はそのままであっても、身体能力はもはやそれについていけていないのである。この自覚のなさから生じるギャップが、失敗のモトとなり、はてまた恥ずべき行動として人々の目には映るのだ。
このバアサンの姿は、はからずも自身への戒めとなった。外での言動に限らず、飲食するものやその食べ方飲み方、着るものの色や形に至るまで、「これまでと同じであること」を反省なくそのままに基準としてはならない。「今までそうだったから」は、あらゆる意味で見直され、来たるべき「変化」に向けて発展的な取捨選択や改善をしていくべきだろう。
【注】通常は「お年寄り」「おばあさん」と表記するくらいのマナーと品性は心得ているつもりであるが、今回の描写に関しては「バアサン」が妥当であろうとの判断によりこのようにした。じぶんも、知らないところで「ばあさん」「ばばぁ」と呼ばれることのないようにしたいものだ。
4/04 水 0.0   ★★★★★★
★★★★★★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
4/05 木 10.0   朝起きて、「走りに出ようかなぁ」とごく自然に感じた。
ムラムラでもなくムンムンでもなくヨイショでもなく、ただホワワワワァ〜ンと、そういう気になったこの感覚(ナガシマ風擬態語のオンパレードだなぁ)。
この感じ、なんと2001年7月26日以来11年ぶりである。少なくとも今朝に限っては、かなりいい方向にカラダが回っている。続くとよいが。
ここの数年の体調不良もあって、悪く言えば「負の方向」で、しかし良く言えば「静の方向」で、じぶんのカラダと向き合い直す時間を過ごしてきた。ここまでのありようをすべてひっくるめてガラガラポンする必要があったのである。ここまでの何が必要で、何をそのままにしておくべきか、あるいはどういう風にアレンジして残すべきか。
ユルユルダラダラしているようで、内心かなり深刻に取り組んできた問題に、そろそろ光が差し始めたような気がしている。
4/06 金 7.0   ふと思いついて、御所へ。
二条駅から「140円ワープ」につきRUN距離減。
御所の桜の花はほとんどナシ★まだ咲いていないのか、散ってしまったのか、見回った場所が悪いのか…。
二条城あたりはきれいに咲いてるんだけどねぇ。
久々に802でヒロ寺平を(昨日は電池切れで聴けなかった)…と思ったら、聞こえてきたのは山添の声!(゜o゜;)ナ、ナ、ナント!
そういえば改編シーズンの4月、ヒロの番組は終わってしまったのかぁぁぁ〜!と、ショックだったが、帰ってきて確認したら、変わったのは金曜日だけで、月〜木は今まで通りだった(-。-;)ホ〜ッ。
それにしてもここのところ、町家の改築やら警察署の再編(廃止合併)やら、あちこちの寺院で大改修やら、「新しい変化に向けて準備中状態」のような場所がやたらと目につく。「今までのままではいけない」「よりよく変わるのだ」というかのような京都のまちのありようは、そのままズバリ、今のわたしが心がけ始めていることでもある。警察はともかく、寺院の大改修は10年近い年月をかけてじっくり進められている(ちなみに知恩院さん御影堂は8年だ)。それらが新しくなって再び姿を見せる頃、わたしのささやかな心がけも何かの「実り」をなし、その喜びを共にできるようにあらんと願うものである。
4/07 土 22.8   吉祥院にできた天ラー「彩華」支店へ。支店だが、「天ラー本店」より格段うんまい(*^。^*)
しかし、「生ビール」は「発泡酒?」の疑惑あり。食事メインの店では、最近このようなことが多々あるようなので、要注意だ。
RUN中、寒風のせいか紫外線のせいか、「目」が異常に痛めつけられた。「発泡酒?」も災いしてか(わたしは発泡酒を飲むと頭痛が起こる)、帰宅後は疲労度高。
景色が良くてもサングラス必携、並びに「食事メイン飲食店」では瓶ビールが鉄則。ということを、今後は留意しよう。
4/08 日 29.7   宝が池から、「京都マラソン」のコース後半をなぞる。
京都ハーフと同様、「京都」と銘打つにはなんだか物足りない、「ムリヤリフルにしました」ってなコースだと思った。少なくともこのコースに1万円かける気は起こらない。たとえ景品がNBのシューズだったとしても。
しかし、「違うな」と思ったのは、それがどういう場所やコースであれ、「走っている」こと自体が楽しくありがたいと感じたことである。これは間違いなく、「カラダが感じた意識」であろう。通常「途中でしっかり食べたらそこ止まり」であるはずが、ますたにラーメンを食べてなお、快調にRUNできたあたりは、以前よりも何かが強化されたようにも感じることだった。たまたまのことかもしれないが、喜ばしいことである。
しかも、終始サングラスを着用していたら、「目の不調」もなかった。不調とはいえ、今のところは微々たるものだが、こうしたことの積み重ねが緑内障その他のリスクを高めているかもしれないという危険性を自覚することは、年齢的にも必要なことだ。
4/09 月 0.0   ノーRUN。ただし不調とかそういうことではない。
「走りたいなぁ感」は健在。
「人生の救い」だとか「悟り」なんてものは、どこまでもとことん自分を生き抜く中にようやく得られるものであって、難解なことばや理屈の理解や、非日常的な所作によって起こるものではない!…ということは、既に学部卒業論文の主旨として展開したことだが、それが単に「勝手な自論」でないことは、数多くの小説や映画をはじめ、京都に暮らすなんでもないオジちゃんやオバちゃんが証明していることである。本人や世の中が気が付いていないだけで、人やまちのありようそのものそのままが、「悟り」であり、また他者にとって「救い」でもあるのだ。
…だというのに、あろうことか『般若心経』を持ち出して、人の生きざまをグダグダと批評するヘンな映画が新作DVDとして出回っている。救うはずの仏教が、かえって人を惑わす典型例に他ならない。嘆かわしいことだ。たとえ役者の演技であっても、えっらそうに講釈を垂れるボウサンにイラついた(だから途中で見るのをやめた)。
人がそれぞれ生きる中そのものに、仏教の真理は存在する。理論はそれを仮に表現した結果論なのであって、「知ってよし」でも「目指す」ものでもない。しかしそこに理論が成立してるからこそ、人々の拠り所となる仏教がある。仏教は、ある意味、永遠のパラドックスなのだ。このことを理解し前提におかない以上、ボウサンとて「真の仏教者」にはなり得ないだろう。「ブッダの対機説法」の意義を、よくよく研究してほしいものだと思う。
こと映画に関していえば、こんなものより『深夜食堂』『はやぶさ』『ケイゾク』『星守る犬』みたいなもののほうが、よほど仏教の真髄を伝えている。芸人でいえばキミマロ。RUNも例外ではない。いつぞや、このサイトの表紙に「走禅一如」という言葉をお書きになったメンバーがおられたごとく、小難しい字面を追うよりもRUNしたほうがよっぽどマトモな「仏教的修行」に通ずるものがあるのだ。
4/10 火 7.5   西本願寺・図書館(ポスト返却)・鴨川・東本願寺。
走り始め、「なんだかカラダが重いなぁ」と感じた。早くも不調の波が?と不安がよぎったが、それは図書館のポストに本を返却して解決する「重さ」だった(^_^;)
しかし現状のわたしは、常時米袋(何キロかは省略)を背負って動いているようなものなので、その負荷から起こり得る故障には注意したいと気づかされた。
今朝の802より。カンザスシティバンドというグループの「新しい町」という歌を聴いた。被災地を意識していることは間違ないのだが、内容は、そういう場所に集い生きる人を淡々と描写しているに過ぎない詩。しかしむしろそこに強い人間力を感じさせる「本当のうた」だと思った。
「何かに向かって」とか「何かを立て直す」ということの結論ではなく、まさに「今」を生きる人間がつくっている「進行形・ing」の町の姿そのものが「復興」を意味しているのだという、地に足の着いたものを感じさせる。
おきまりの「絆」だの「愛」だのという言葉は一切ないが、これぞまさしく「名曲」であると思う。ふだん興味のない黒人バンドノリの曲だが、良い出会いをしたものだと思う。
先日、烏丸高辻東入ルで京都新聞を音読していたホームレスが、今朝は烏丸松原角にいた。軽く15個くらいにはなるエコバック様の荷物は、相変わらず彼を囲みながら置かれていた。
新聞をスラスラ読めることといい、「ありえねぇ!」と思われるほどの大量の荷物をひとりで移動させる体力(あるいは知恵)といい、ヘタをするとカラダに鞭打って家族のために毎日働くそこらのオジちゃんオバちゃんよりも秀でているように思われる。なぜこれが、通常一般の労働力として生かされないのか?本人の意思はもとより、これほど頻繁に目につく存在をそのまま放置し続ける行政の看過・怠慢はどうにかならないものかと思うものである。
この日本は、真に「どうにもならなくなった人間」を見殺しにしない。否、しようとしてもできない仕組みを社会制度として持っているのである。。そんな国に、本来ホームレスなどという存在はあり得ないはずが、なぜ現にあるのか。このような存在には、いわゆる「知的障害」の領域に属する人の割合も多いと聞く。であるならば、なおさらこれらの人々は(少なくともこれほど大量に、という意味で)「存在してはならないもの」として、あらゆる方面からの働きかけが必要なのではないのか。彼らのありようをそのままに認め、炊き出しを「釣り」にしながら布教活動をするような宗教団体や市民団体の思想は、どこかに自己満足と欺瞞があるようで、わたしには好きになれない。
かくいうわたしが、なぜこれほど「ホームレス問題」にナーバスであるかには根拠がある。それはとりもなおさず、わたし自身が「いつそのようになってもおかしくない」危機感を抱き続けるような過去(もしかして今も?)を持っていたからであり、また、知的障害を持っていた今は亡き弟が、万一最後に残されたときのその後の姿の「想定内」であったからである。つまり、一般的な社会正義や福祉思想を通り超えた自分自身の問題だったということなのだ。
わたしにとって他人事ではないこの問題は、「そうはならない」「そうはさせない」という緊迫した人生展望をもって努力してきた自分へのある種の賞賛、また、「そうならずにこられた」ことへの様々なあたたかいご縁へのありがたさを感じる機会なのであり、また、今後のありようへの教訓ともなるわけである。
…蛇足ながら、わたしがよく意識する「愛国心」とは、上記のような社会制度に守られて生きてきた(そうでなければ「45歳と半分だ」などと悠長に人生を語ることもなく、とうの昔に消滅していた)ことへの「報恩」を意味する個人的狭小な性質のものであって、黒い車に乗ってガーガーがなり立てたり、国会に乗り込んで騒ぎまくるような輩のそれとは違うのである。「おまえは時代が違えば全共闘だったな!」とのたまった、迷門伊志田高校の某先生、ご安心を。ついでに、延々24年に及んだ「迷門伊志田卒」の最終学歴は今や「佛教大学卒」に変わってるゼ!(…って、こんなところ見てるわけないか!)
4/11 水 7.0   東寺。
西本願寺前で、修行中の「尼僧フクチャン」にバッタリ。見るたびに、あの僧衣には憧れる☆
「和装」をガッツリ日常に取り込むには、やっぱ僧侶になるのが一番の早道?
…って、なんとまぁミーハーなんでございましょ(*^。^*)テヘッ。
五重塔を後ろに控えて満開の桜の風景は、今まさに「絵葉書」になるような美しさである。薄くかすみがかった中に、塔の威厳と桜の色のやさしさがあいまって、包容力のある浄土を想起させる。
かの恵心僧都源信の説く「観相念仏」を現実的に言えば、生きているうちに「浄土の風景」を想像しまくって脳裏に焼きつけ刷り込みを繰り返すことで、死に際してそれが浮かび上がりその恐怖を消す、という方法論、いわば「イメトレ」である。とすれば、今このような美しい風景を「浄土のようだ」として見ていることがすなわち「観相念仏」のひとつになり得るわけである。たとえそれが「真言宗」寺院のつくる光景であったとしても。
○○宗だの○○教だのカテゴリを作り、いらんことまで人々に押し付けているのが現在の宗教環境の現状だが、信仰とその究極的な感得については本来、個人それぞれに自由な思考回路を許すものであるのだ(正しい仏教的思考の行き着く先は皆一緒)。
だから真言エリアで浄土を感じても「かめへん!かめへん!」(訳:OK、OK!)なんである。
とまぁ、なんだかんだいいつつも、法的に守られた「信仰の自由」があり、かつその選択肢も多岐に広がるこの国は、それ自体幸福で美しいのだということをつくづく感じる。
職場のある人いわく、「子供のころ足が速かったんやけど、中学の時競走に負けて"アカン"と思った瞬間に、頑張る気持ちがプツンと切れて、高校の部活は文化部にしたんや。あのとき陸上部で頑張っておけば今頃もっと体力あったんかなぁ…」
…「○○しておけば」「○○しなければ」ということばは良く耳にするが、もしその時々、「その過去」と違う事実を過ごしていたら、それが原因となって死んでいたかもしれないし、病気や障害など致命的なことを負っていたかもしれない…そんな可能性を考えてみたいところだ。「今、こうしてここにある」という事実は、過去のすべてが「是」であったからこそのものと考えるとき、それを感謝することこそあれ、「後悔」するというのはまったく意味のない、間違った発想であることになるだろう。「やるべきだったかもしれないことをやらなかった」「何もせずゴロゴロ寝ていた」あるいは逆に、「反対を押し切ってやった」「無理かもしれないと思ったが挑戦してみた」ということも、すべて「今のあなたがあるために正しかった」のである。
今ここにある事実が成立した過去の時間は、「自分という存在が維持されるためにしかるべくして起こってきたこと」の堆積である。それは、「意志」や「意識」というような二次的なものより以前に、「タマシイの力」ともいうべき奥深いところから発せれ続けたメッセージの受信のようなものといえるかもしれない。とにかく「今、ここまで生かされた」という事実を、まずは誠実に受けめる謙虚さが必要だろう。真剣に考えるべきなのは、「だからどうするか」の一点に限られるのである。その結果、何かを変えたり、新しく何かをはじめたりすることも、やめることも、ゴロゴロ寝ているだけのことも、これまたやはりその時点での「生きるためには正解の選択」なのだ。
正直な話、走る気がまったく失せていたこの数年も、それは「富士登山競走」という大目標を消したからなんていう小さな理由からではなかったような気がしてきた。「沈滞」していたのにはそれが必要な「何か」がわたしの心身にあったからで、むしろそれが「健康的に」意識を支配していたからこその日々であったのだろう。「走れるときはそれが必要で、走らない時にはそれが避けるべきことだった」ということであって、その後者をごく自然に選択していたということである。このような時期にまだ「富士登山競走」へのこだわりがあったら、壊れていた「何か」があったかもしれない。であるならば、「タマシイの声」が素直に聞ける状況を図らずも先んじて作っていたことは、わたしの「生」への強運あるいは幸運を意味していることになる。ありがたいことである。
ある種の「運命論」のような論述になったが、人間には、人間のみから後天的に発生する一般常識や理想論では解釈しきれない複雑さがある事実を考えるとき、このような概念も「じぶんを考える」のには必要な視点のひとつにはなると思う。
付言すれば、ここでいう「生きる」とは、単に「その生命の維持」という次元におけるものである。「成功」「名誉」「財力」など、社会的相対評価を持ち出したとき、この論は成立しない。とはいえ、何事も「命あっての物種」であるのだから、これはその根底をなすものとしてやはり無視はできまい。実際、どんな権力者や財産家であれ、いざとなれば恐怖や反省の焦点がここに帰結するのである。むしろそんな「相対評価の勝利者」よりも、細かな失敗を重ねながらも地道に生き続ける庶民のほうが、よほど「人間としての原点における健康的な智者・勝利者」ともいえるかもしれない。
4/12 木 7.0   東寺ふたたび。
スタート時間が遅く(6:30過ぎ)、まちがすでに動き出している中のRUNなので…ということを良い口実にして、そのペースはまさに「歩くに毛の生えた=あるくだっしゅ」である。しかしそれは「丁寧に走る」ということへの新しい楽しさと価値をもたらしたように思う。
閉じられた東本願寺の門前ではしばし静止。2001年、学部1回生の冬の夜、「文化」から「学」に転籍する意志を決定づけさせる出来事が起こったあの「不思議な場所」が、工事中となっていた。
再びあの門扉に手を触れるとき、わたしはどういう「わたし」であるだろう。
そういえば、東寺にはその時期になると蓮の花でいっぱいになる池(堀)があること思い出した。もし、桜と一緒にこれが咲いていれば、ここはますます「浄土風景」というに相応しくなるわけだ。
とすれば、「絵的」にこの池はもう少し延長した方がいいな、さしずめこれは「西方浄土、ただいま工事中」って感じ?やっぱ、真言宗だからそのあたり未完成?…などと邪念がワクワク沸いてきた。
つまるところ、昨日は「観相念仏」を感じた同じ風景に、今日早くもイチャモンがついたというわけだ(^。^;)
感動とか喜びとかいうものは、「一期一会」で収めるからこそ、そのままに美しく続くのであって、それが繰り返されたり慣れてしまったりすると、すぐにかたちを変えてしまう儚いものなのだということを、ほかのもろもろの事象のことを含めて感じた次第である。しかし、それはそれとして、昨日のあの感覚は大切な記憶の風景として留めておきたいものだと思う。
しかし考えてみれば、「真言宗」寺院にこのような「バーチャル浄土」があるというのに、肝心カナメのご本家、浄土宗知恩院さんには蓮池すらないのが今さら不思議になってきた。所依の経典『観無量寿経』にも示されるごとく、浄土宗においては一切衆生の浄土往生に、蓮の花は「必須アイテム」であるはずなのに…そういう意味では、むしろこっちの方が「西方浄土、現在工事検討中?」みたいな感じだわ。アハハ…(^。^)
5〜6時台が中心だったRUNが、わずか1時間ずれただけで、目に入ってくるものごとは全く違う。
通勤通学の人々が中心となってまちを動かす時間帯、最近やたらと目につくのは「カラダにピッチリ張り付くような黒いスーツのおねえちゃんたち」である。10年くらい前までは、「就職活動学生の定番」であったはずのその姿は、今やOLの正装・企業制服としても展開しているらしく、「若いおねえちゃん=黒いピチピチスーツ」という暗黙の公式ができたかのようである。「学生orOL」の差は「スカートorズボン」くらいしかなく、それらが同じ時間帯にウジョウジョいる風景は、決して良い時代ではなかったある時期の我が国並びに中国あたりの「国民服」のような感じで、なんだか気味が悪い感じもする。
多くの人がそれをヨシとして取り込んでいる以上、これは「今風・最先端のおしゃれ」には違いないのだが、その風潮形成の発端は「いかに少ない材料でデザインをつくり、コストを減らすか」という企業の思惑を根底にした「扇動」に過ぎないのである。それでなくても、この苦しい(といわれる)現代の若者にはずいぶん堅実さがあり、オシャレにも安価で合理的なものを求める傾向が強いと思う。それを良いことに、無難な色かたちばかりを供給するような企業姿勢であり続けて良いものなのかどうか。「ひとつの原則がありながらも、そこに遊びや冒険を楽しませるようなモノ」をどんどん出して、もっと若い時代を楽しませてあげてほしいと思う。グレーもピンクもブルーもあっていいじゃないか。選挙のウグイス嬢からイトーヨーカドーのレジ係まで、「それだ」とわかるド派手な色彩を競うように身にまとわせていた時代を、せめて若い世代には回復させてほしい。中高年が見て「地味できちんとしている」と評価されるような若者ばかりの世の中は、どこか不健全で異常であるように思われてならない。
その意味で、今春の入社式に「スーツを一切禁止」したという高島屋のコンセプトは、こうした現状を打開する兆しを見せてくれたようで頼もしい。ユニクロやアオヤマあたりがいつまでもひとり勝ちをしているようでは、不況(といわれる)の時代とそれに伴う閉塞感など、抜けられるはずはないのだ。
…とまぁ、よくも起き抜けのRUNの最中にこれだけのことを考えられるものだ、と、我ながら呆れるというかなんというか。しかし「RUNは脳の血流も大いに促進する」というのは本当で、朝一のこれがスイッチとなり、その後の研究活動がスベリよく進むのは事実だ。スベリが良すぎて、内容もスベリまくっている気がするが(-_-;)
4/13 金 7.0   東寺みたび。
浮気を続けているとアミダちゃんがひがむので、そろそろ「春早朝の東寺詣り」はシメにしよう。
本日久々に、知る人ぞ知る「東寺電波ねえさん」に遭遇。
「なぜあんな風になったのか」「どうしてそういうことをするのか」ということが、すごく理解できてしまうわたしは、やはり「そういう世界」と親和性が高い(あるいは、高かった)のだと思う。
ある精神科医によれば、あのような病は「加害者が罪に問われない殺人」であるという。まったくもっともな定義である。しかしこの際、加害者も被害者もひっくるめてそういう不幸を発生させないために、仏教はもっと社会的実効性をもった働きを発揮しなければならないのに…と思うと、その世界で右往左往しているわたしは、ある種の責任と焦りを感じる。ただのくだらない小さな人間だが、「だからこそ」の何がどこまでできるかの問いかけをさらに続けたい。「気ままでヨシ」のRUNとは違って、こちらのペースは少し上げていかなければならないのだろう。
【余談】
ブッダ出家のきっかけとなったとされる伝承「四門出遊」において、ブッダが「南」で見たのは「病の苦」の姿であった。図らずも、わたしのRUNスタート地点から見た場合「南」に位置するこの東寺において、同じく「病」を見たことは、ブッダの追体験のような気がした。まったくもって単なるこじつけ・偶然だが、3日目にして「自分の浄土ばっかり見ている場合ではないぞ」というかのような現実問題への引き戻しに遭ったようで、意義深く感じるところである。
「前世」だの「来世」だのいうことが、あたかも仏教の根本的理論であるかのように思われ、またそれを触れ回って商売のネタ(水子供養・葬式法要など)にしている現代仏教の実情はまことに嘆かわしいことである。あの〜ぅ、おシャカさんはそんなこと言ってませんから(ーー゛)!…そのあたりの詳しい事情はややこしいのだが、端的に言えば、おシャカさんの思想哲学は、「今、生きている自己」というものしか対象にしていなかった。「前世は?来世は?」なんて質問には「今日、耳、日曜!」(古いっ!)で、知らんふりだったんであるよ☆(これを「無記」という)。
それでも敢えて、「今の自己存在以外」に「前世」「来世」ということばを説明しようとするなら、それは「遺伝子」の話に置き換えることが最も適切だろう…というところに、わたしの結論は最近落ち着いている。つまり、自分の親が「自分の前世」、子どもが「自分の来世」なのである。いわゆる「生まれ変わり」は、なんらかのかたちで「ある個体の形状性質や思念」が継承されていることを根拠に語られているものである。それは、「人のことより自分の肥満体を何とかした方がよさそうなスピリチュアリストなる人物」があれこれしゃべっている通りである。「あなたは何千年前の嵐で死んだ漁師だったから、海が怖いのです。」なんて、いかにももっともらしいが、んなこと持ち出さなくても、「彼がああだったから自分もこうなっている」的な考察は、親の姿や生きざま、その言動の実績を見りゃ〜たいてい解決や想像がつくはずなんである。また、自分を見れば子供の能力程度も諦めがつけやすいってもんだわな、ってな感じなんである。「違う」ように見えるのは、生きた時代が少しずつズレていて、その時々に与えられる環境やチャンス、時代の要請と適性のマッチング加減が違うから起こることであって、仮にまったく同じ条件下に「3人」が置かれれば、その反応や様態は、ある程度「ブレンド」されているとはいえほぼ似通ったものになるだろうとわたしは予想している。
そもそも、どこぞのお姫様だったろうが、郭のお女郎だっただろうが、言われたところでそんな記憶がひとつもないのだから今更どうしようもないことだ。翻って、「絶対にこの人生を忘れない!」と死んでいったところで、「ジャーン♪、○○の○○だった私でーすヽ(^。^)/」と生まれることもない。そんなところに「今の自分」の原因や結果を求めるような思想はまったくもって無意味なのである。それどころか、「今の自分から分離した別次元の何か」を現実に取り込もうとすることこそが、いわゆる「精神病」の温床のひとつになっているのでないかと思うと、それは看過できない重要な社会問題ともなるのである。
だというのに、そういうことを「あるある!」としているボウサンが、この国の大半を占めているのが、現代日本の「仏教」の実態なのである。そりゃ〜、治せるはずの病気も治らないわな。ということで、「現状の仏教(宗教)」には、もはや現代の実情には追い付けていない現実が露呈されているわけである。いまや宗教の側こそ、「しっかり生まれ変わらなければならない」のだ。えらそうに旧態依然の講釈を垂れている場合ではない。
…今日は、「東寺電波ねえさん」との接触を引き金に、九条烏丸あたりでわたしを追い抜いたジョガーを追い抜き返すためにダッシュした自分(いつものクセ)が、まるで「目の前を移動する物体を見ると追いかけずにはおれないネコ」のようであると感じたことなどから、「精神の病」並びに「前世(来世)」をキーワードに、仏教ベースで思考するRUNとなった。
☆ちなみに、RUNに関するクセで見る限り、わたしの前世は「ネコだった?」なのだが、日常生活では「掃除機」や「ドライヤー」の音に異常な不快感を覚える、まるで「イヌ」のような性質がある。まぁネコにせよ、イヌにせよ、「ヒト」に転生できた今生があることを見ると、それはきっとカシコイペットだったに違いない(^。^;)…という具合に、あくまで「ジョーク」、あるいは子どもへのシツケのおとぎ話としての範疇であれば、こうした類の話も楽しいものである。わたしの主張はこんなところまでを批判的に論じているものではないことを付言しておきたい。
4/14 土 15.0   天神川、嵐山、嵯峨清凉寺
桂川に入ってから渡月橋まで、「こんなに短かったのか!」と感じた。よくよく測定してみりゃ、2`にもならない距離を、今まで「なんかキツイ!」と感じることが多かったのはナゼだろう?(-_-;)
なんにせよ、よい傾向である(^。^)
今年から、「くろちくのガーゼマフラー」が、わたしの新RUNアイテムとなった。
本日は、既に1本使用中のところにもう1本、ということで再び嵐山店に立ち寄り。店員は、「こんなオバちゃんがこんな使い方を?」という感じで見つめていたが、こんな風に実用性とファッション性を100%生かしているお客サマも珍しいんでは?(*^。^*)
「冬でもないのにマフラー?」なファッションが流行している。巷を観察していると、それを愛用しているのは「わりと高年齢層」に多いような気がする。オシャレの最先端は20代から、であるはずなのだが、基本的に「いかにあちこちを露出して見せるか」が重要な世代にはウケていないようだ。
つまりこれは、「オシャレ」というよりも、首や胸元をわずかでも紫外線から守ろうとすることを求める世代の「必要に迫られて発生したモノ」であるといえるのだろう。最近、イイ歳こいて「女子」を自称し、「いつまでも若い!」を目標にすることが中高年女性のテーマであるかのように扇動する風潮が強いことは「いかがものか」と思うことが多いが、このように「年齢を認めた上で」、それを変に開き直らず、より美しく見せようとするようなモノが出回るのはイイコトだろうと思う。
RUNをしていると、紫外線はもとより、ザックのベルトの首回りへの接触など「肌ストレス」(ヘタをすると擦り傷になるデリケートなワ・タ・シ♪)を感じることが多く、10年以上前から「豆絞り手ぬぐい」が定番アイテムだったわたしにとって、こうしたものが季節感をはずれたファッションアイテムになったことは喜ばしいことである。
RUNウェアについて他のことをいえば、かつて「おしりのライン丸出し」だったタイツに、「その上をスカートでカバー」するようなかたちになったウエアが近頃流行しているようだ。女性ランナーのボディラインに、汗より涎を流すアホランナーがいる事実を知るわたしとしては、特に若い女性ランナーにとってはひじょうに良い改良であると思われる。わたし自身、実際まだ手を出していないが、そのうち着用してみたいと思う。ただしそれは、もう少し「それらしい体型」を回復させてからの話で、それまでこの「カタチ」が継続販売されていれば、かつ、そういうカッコしても違和感ナシであれば、の話だが。
4/15 日 29.2   御所、鴨川ズンズン、知恩院さん、事故現場、ジュンク堂
いわゆる「京都の桜」の主要ポイントのいくつかを通過した。万城目学いわく、「天候、満開、自分の都合」がすべてそろって桜の美しさを楽しめたのは、5年の京都暮らしのうちたった一回であったと。わたしにとって「その一回」が今日であったようだ。とすると、次回は50歳過ぎの春になるが、RUNをしているかぎりその間隔は狭められるだろう…と期待。
10年間、まったく顔と名前が一致しなかったであろう「担当学生」だったわたしが、いつのまにか一瞬すれ違っただけで「元気に頑張ってるの?」と笑われる存在になっていた(金曜日の偶然の出来事)。
かくいうわたしも、その教授のご自宅に観葉植物が5鉢並んでいることをRUN中に観察できるほどの「近さ」ができている。
「通信学生」には普通ありえないこの接近感、「京都で暮らす」ことがもたらしたささやかな「ニヤニヤ」である。小さなことだが、じぶんの気持ちづくり、ひいてはこれからの「じぶんづくり」には貴重なことだらけだ。年収ン百万を捨てただけの価値は、十分にある。(今期学費不足分2万円借りますが、月末即返済できる程度の財力はまだあります。)
なぜかこの時期、京都市内で恒例となったかのように起こる同じような事故。今年は祇園で起こってしまった。しかし被害現場はもとより、犯人が死亡した地点にも同じように花が手向けられ、手を合わせて祈る人々が多くいたのは印象的であった(同じ場所に被害者もあったらしいが、共に冥福を祈られているのだろうと思いたい)。
もし生きていれば、彼は「狂気の殺人者」(伝えられている「原因」を指した表現でなはい)として断罪され、まさに「生きながら殺される日々」を送ることになっていただろうことを思うと、まことに不謹慎ながら「これでよかったのかもしれない」と思わなくもない面がある。
どんな凶悪な犯罪者であれ、冷酷な権力者であれ、その「死」をもって人々はそれ以降、感情的に激しい追及をしなくなる。これは、俗にいう「死ねば仏」という古くからの概念が人々に植え付けられていることの証左なのだろうと思う。
元をただせば、「人が死ぬと祟る」「死はケガレ」と忌み嫌っていた風潮は、日本における原始宗教いわゆる「カミ」の存在が大きかった時世にあったことだ。まちの果てに腐り果ててなお放置されていた遺体に手をかけ、経を読み供養することで、思想的に「死者」を「仏」に格上げしたのは、国から認められない(資格や権威を与えられない)名もなき私度僧たちの働きかけによるものであった。つまり、今のように「死者に対するやさしさ」を持てるようになった日本人の源泉は、「カミvsホトケ」の戦いの結果にあるのであり、人々は無意識の中にも「ホトケの教え」をその遺伝子に受け継ぎながら今の世を生き続けているということになるのである。
仮にも「仏教僧」を名乗る人々が(ある意味、カミ信仰や既存の貴族向け仏教への抵抗活動のひとつとして)展開した死者供養は、最も身近な恐怖であった問題から人々を救った「仏教のはたらき」として映ったことだろう。日本において「仏教=死者供養」が切り離せない原点となったことは「なるべくしてなった歴史的事実」ではある。先日も記したとおり、「前世」「来世」並びに、その境目をなす「死」について、本来「仏教」としてはその詳細をあれこれいう明確な論を持たない。「本来の仏教ではないが、日本においては仏教である」というこの矛盾は、その間にある「文化的アレンジ」がなしたことであるといえる。「ブッ」と音読みする仏教が、日本においては訓読みで「ホトケの教」と呼べるごとくの変容を考慮して理解しなければならない要素が包含されているのである。
このように、「死ねば仏」は、仏教的に厳密に言えば決して正しい定義ではないが、「そのように思う」ことで、後を生きる人間の心や環境が穏やかに整うのであれば、それは「宗教的」あるいは「人間社会」としては実効的なものとして認められる概念のひとつになり得よう。それが、多分に誤解を含んでいるとはいえ「仏教」という名の大きな後ろ盾を持ってきたからこそ、現在まで持続成立しているというのであれば、それは百歩譲った次元で、少なくとも日本においては「仏教」なのである。それが純粋にそして謙虚に「生死」を捉える人々をつくっていくならば、究極的には「本来の仏教」につながるところもある。その意味では、「なんだかおかしなことになっている日本仏教」であっても、それを全否定する意志をわたしは持たない。
よって、やはり問題として帰結するのは、このような「タナボタ」「オマケ」のようなコンテンツを「中心教義」とし、戒名だの何だのと半ば恐喝ネタのように小道具をちらつかせるボウサンたちのあり方であろう。「○○をしなければ成仏しない」的な説法は、死者の扱いをかつての「カミ世界」のそれに逆戻りさせる危険もはらんでいるのである。そんなことがまったくのデタラメであることは、戒名も葬式もせず、装束すらRUNウエアで固めて送り出した我が弟が、残った姉に様々な教えを授けることこそあれ、何らの障りも齎さないことを見れば一目瞭然である。
4/16 月 1.0   RUNナシ、としようとしたが、なんだかボヤ〜ンとしていつもの「サエ」がないので、ちょっとばかり。
しかし、同じところをグルグルってのはやっぱり性に合わない(-_-;)
3週ちょっとでウンザリ。
五条通りで、オムツをした(らしいオシリのふくらみをもつ)おじいさんが、2回に分けて信号を渡り切る光景を目にした。「本人の意志や能力」が、社会のスピードに追い付いていないのは気の毒なことではあるが、だからと言ってそういう人々をひっくるめて所願満足の社会になることはあり得ないし、またあるべきではないだろう。この矛盾を、本人個人がどう認識していくか、あるいは世間全体がどう譲るかが、今後の高齢化社会のテーマになるのだろう。
…てなことを大きく考える風はまったくなく、このおじいさんは「まったく、歳とるとカナンなぁ…」と、わざと人に聞かせるように照れ笑いしながら、コツコツと歩を進めていた。
【ただひたすら、自分のできることをしっかり認めながら、じぶんのペースで前を向いて生きる。おかしな諦めや開き直りはなく、ただひたすらに。】
巷間よく言われる、「生き方」への美しいスローガン的文言だが、それは得てして「これから何かデカイことをやってやろう!」てな野心を背景に語られていることのほうが圧倒的に多い。だから、必要以上にカッコよく受け取られたり、あるいは時に反発されることばともなるのだ。しかしそんなこととはまったく違う世界の中で、このおじいさんはただ「じぶんがあるがままに」動いているその姿のみで、大事なことを体現し、また他者に大事なことを示し尽くしている。まったく、これほど過不足のない重要な「教えの姿」があるものだろうか、と、わずか数十秒に感動的な光景に接したわけである。
「60、70過ぎても、フルマラソンで完走できた!」等々とそのパワーを誇示するお年寄りもそれはそれで素晴らしいことではあるが、そのような「特殊な幸運」を見せられずとも、今日のおじいさんのように十分カッコイイお年寄りは町中にいくらでもいる。いやむしろ、淡々となんでもない日々を暮らすお年寄りの姿にこそ、学ぶべきものを見出そうとする意識が、わたしたちには必要なことではないのか。そのようなところを、しっかり見つめられる日々でありたいと改めて思う。なお、このような風景に出会うたび、天台の「諸法実相」はまったくもって適切な「この世のとらえ方の表現」だと感じるところでもある。
4/17 火 7.0   五条坂を頂点とする東山界隈。
約3年に及ぶ工事中、公園に移動していた五条の「まんまる牛若&弁慶像」が、お約束通り元の位置に戻っていた。「五条河原町横断歩道途上」という、ドライバーはもちろん歩行者ですらゆっくり鑑賞できるポイントではないような場所が、「正規の位置」であるというのが、改めてつくづくフシッギィ〜なのである(-_-)???。
実際、牛若&弁慶というよりも、子どもが遊んでいるようにしか見えないあの像は、「あんまり有名になってほしくない存在」なのかもしれない、その結果としての扱いなのでは?…と邪推。
心なしか、「タクシーの運転がテイネイ」であるように思えた。松原通の建松商店街交差点には赤青の信号がないのだが、すべてのタクシーが"厳然とした"一旦停止そしてユルユル走行であったのは、通常からみて「奇跡的現象」なのである。こういう習慣は、「喉もと過ぎて熱さ忘れる」でないように継続してほしいものだ。(それにしても、あの時間帯にあれほど大量のタクシーがあの道を通過するのはナゼだろう?)
一方、802からは石巻の仮設住宅で、中年男女が密室で死亡していたとのニュース。そこが「石巻」「仮設住宅」でなければこのように報じられることがあったのだろうかという、申し訳ないがどこでも起こっているようなニュースである。これは、「被災者=不幸」の意識が「喉元もと過ぎても忘れられていない」がゆえのピックアップになっているであろうことは想像に難くない。
無論、被災地への意識を持ち続けることは必要だ。しかし、あれから1年を過ぎて、注目すべき視点がどんどんズレ始めていると思う。孤独死やらペット問題やらの前に、「ガレキのこと」はその後どうなっているのか?…ミサイルや消費税をはじめ、アイドルの卒業だの妊娠だのくだらない話題にも隠されて、肝心なところは知りづらくなっている。それこそ、「喉もと」どころか全身全霊で皆が深刻に関わり続けていかなければならない重要課題であるのに。
802で、かけたCDがイントロで切れるハプニングあり。しかしさすがのヒロ寺平、まったく慌てる様子はなく、トラブルもそのフォローもすべて「聴かせて」しまうあの技はまさに「プロ」そして「おとなの冷静さ」であると思った。わたしなど、いまだ「後から考えればどうにでもなった」ような伝票や伝言のミスにいちいちテンパっているような「バイトのオバちゃん」である。それはある意味、新鮮な「社会人、リ・スタート」の体験でもあるのだが、早くも2年超の職場にあっては、そろそろ「昔取った杵柄」風の大胆さや冷静さを発揮できるように努力した方が良いかもしれない…てなことを考えた。ただしその「出し加減」はある程度。過去の実績そのままにやりだしたら、あの会社つぶれる。ってか、その前にクビになる。ってか、「前はこうだった」に固執すること自体、「おとな」のやることではナイ!(^_^;)
その点、そういう「仕事への全身全力モード」をしっかり制御するだけの別の「自己内キャパ」が、現在は学問研究によって占められていることはありがたい。そんなことを考えながら、先日出した「ブッダの悟り」に関するミニ論文を脳内で反芻し、改めてその出来に自己陶酔してしまった(*^。^*)。「80点以上はめったにつけない」と豪語していた先生から90点をもぎ取ったその論は、ドえらい極論であったはずなのだが、それが「一つの仮説」として認められた評価が、全般に凹み気味だった機運を転換させたことは事実だ。
というわけで、本日より気持ちも新たに「ヤクチュウ」にはまろうと思う。もちろんそれは「薬中」ではない。また、「訳注」するほどの能力があるわけもない。「翻訳中毒」の略である(^_^;)クダラナイギャグ…。
テーヴァナーガリー文字文章をローマナイズし、日本語訳をして英訳と対照する…明らかに現状のじぶんの能力限界を超えている作業は、まさに「中毒症状」を呈する危険な作業(?)であるのだが、やらねばねば…なんである(-_-;)
いかにも「仏教らしい文字、文章」と対峙し、なにやら「崇高な悟りの理論」にたどり着けそうな作業に思えるが、どっこい!それは、僧侶になっても離れた愛妻が忘れられず、非行を繰り返す愛欲ドロドロの仏弟子の物語なのだ。難しいのは文字と文法だけで、その内容たるや日本語になりさえすればどこの誰でもわかるような三面記事のようなもの。失礼ながらある意味くだらないような気もするが、反面、「仏教の最初」が、いかに人間くさい、地道な物語の蓄積であったかを知るには貴重な作業となろう。やるべし、やるべし!o(^。^;)Oフ〜ッ。
4/18 水 7.0   アミダちゃん、ゴメン!…で、また東寺。
「あの時代」にSKTがスラスラスイスイだった空海ちゃんにちょっとしたお助けを乞いに行ったのでした(^_^;)アヤカリ、アヤカリ。
ところで、東寺道室町は、いつ行ってもふと足を止めてしまう良い香りが漂っている(発生源不明)。この香りは、わたしの香コレクションにはないものだ。もしかしたらこれが、あの名香「堀川」か?(゜o゜)
早いとこ、松栄堂に行ってみよう☆(^。^)
朝の東寺大師堂は、お年寄り憩いの場?
ばあちゃんが、嫁の悪口爆裂トークしたり、自費出版の本を誰彼なく配りまくったり(もらった)…まったくもってお元気なことこの上ナシ。空海ちゃんも苦笑いしていることであろう…。
こんな光景は、病院の待合室でも見せられることがあるが、それよりははるかに微笑ましいことではあろう。無駄な社会保険費を使うわけでなし。静かに祈りの時間を過ごしたい人にはいい迷惑だけど(-_-;)
ちなみに本日も、「東寺電波ねえさん」健在!これが間接的機縁となって、「Icchantika(一闡提)」の問題が脳内に急浮上した。
大乗仏教上の大問題であるところだが、個人的にもこの10年以上イマイチ明確な自論(結論)が確立できないでいるものだ。…しか〜し!今はSKTが優先!なので、この考察はまたもや後回しに(-_-;)
…って、いいながら、RUN中ずいぶんしっかり思索してしまった(^。^;)チェンジ、゙チェンジ!
「信じる者は救われる」はキリスト教の宣伝文句だが、それはキッチリとした「神と自分を結ぶ契約」が前提となっているものだ。詳しいことは知らないが、おそらく「洗礼」などの儀式に象徴されるところがそれに該当するのだろう。
「誰でも死ねば浄土に往生しまっせ!」なはずの浄土教ですら、浄土宗ではホ〜ネンちゃんが「月影の至らぬところはなけれどもながむる人の心にぞすむ」なんて詠んじゃうごとく、やはり「阿弥陀佛への執心」と絶え間なき「称名念仏」を求めているわけで、これもまたひとつの「契約」と言える。
その点、ブッ飛んでいるのは同じ浄土系でも「真宗」。いちおう「南無阿弥陀仏」はあるけれど、それをしつこく唱えるとかそういうのはナシに、「ただ信じればそれでヨシ」というところまで救い上げちゃっているわけだからこりゃスゴイ!(゜o゜;)ウヒャー!…となるわけだ。しかし、こうした「究極の教義」が中途半端に誤解されることで、超カンタン!コンビニ感覚の救済のようにとらえられることがあっては、断じてならないとわたしは思う。刑務所の死刑囚に対する教戒師には真宗僧侶が圧倒的に多いと聞くが、それがお互いに「どれだけ残虐な犯罪者であってもそのままOK!」のような感覚で扱っているとしたら、これも隠れた「宗教の大問題」である。
真宗の説く「信じれば救われる」は、上記のように一見は「対・阿弥陀仏との契約不要」を思わせるが、実際に「信」というものを確立するということは、「この自分で大丈夫だ」という絶対の安心を自分自身の中にもつことから始まるものである。そのためには「じぶんの精査と反省」そして「生き方への留意努力」は必要不可欠なプロセスとなるのである。その葛藤や苦悩を、現実社会の中で生きながら自身の中に受け止めていく作業は、やもすると静かな環境に守られた中でそれを行なおうとする禅よりも厳しい修行といえるかもしれない。しかしだからこそ、ひとたびそこに行き着いた「信」は、今を生きる自分に矛盾も過不足もない「信」となり得る。そして、その果てに必ず見えるはずの「阿弥陀佛」に、心置きなく救済されると「信」じる自分を獲得するのである。
よって、真宗における阿弥陀仏信仰に「契約がない」というのはあくまで外的(二元的)・表面的にそう思えるだけなのであって、実はどこの何より内面的かつ厳しい次元で、「自分と、自分のありようにおける油断なき契約」を求めているということになる、とわたしは思っている。付言すれば、昨今このことを最もわかりやすく人々に説いたのは、高尚な僧侶でも学者でもなく、あの不幸な事件から10数年を戦い抜いた本村洋氏である。「罪の事実のみによって死刑となるのではなく、その罪の重さを真に自覚し納得した上での死刑であってほしい」…巷間軽々しく言われる「悪人正機」の、その奥義を、そのまま現代語訳したような言を発するに至った氏のこれまでを、心から慰労し尊敬する。残念ながらあの死刑囚の教戒師はキリスト系の人らしいが、いずれにしてもその刑は、そうした氏の思いに少しでも近づいたかたちで執行されることを願うものである。
思うに「真宗」は、他様々な宗教宗派において説かれる救済性とその方法論を、ものの見事に総括した究極を説いている面がある。鈴木大拙や柳宗悦など、その道の第一人者の多くが、真宗に関心を寄せていたこともうなづけるところがある(柳田国男は毛嫌いしていたらしいが)。もっともわたしは真宗門徒ではないし、現状の真宗をそのまま認めるようなこともないが、わずかながらの学究成果と45年の自身の経緯から、そのように感じている。
しかるに、その真宗が所依の経典としている『無量寿経』に、阿弥陀の十八願として「Icchantika(一闡提)」が現れていることが、謎として残るのである。このあたり、どのように解釈されているのか、今度フクちゃんに聞いてみよう。
☆そうそう、「契約」といえば、昨日とあるところで「ポリスマロン」(京都府警新マスコット)に握手を求められてしまったぞ!どうやら、わたしの組織する「かわいいものクラブ」に入会したいようなので、契約成立!…近々、京都府警売店にお迎えに行こう!ヽ(*^。^*)/キャハーッ!
4/19 木 7.0   朝ナシ、夜RUN。
またもや東寺(^_^;)
「ヤク中」にも関わらず「RUNする気になる」とは、ずいぶん余裕があるもんだ!
っていうか、余裕がなくてモンモンしている気分を吹き飛ばせ!ってな心境です(^_^;)
ベランダから見える「ライトアップ五重塔」もステキ☆だが、間近でドドンと目に入るのも、これまた迫力と威厳があってヨロシ。
ふと、高台寺のライトアップも見たくなったが、グッとこらえて「ヤク中」に戻る!o(-_-)o
…このあたりが、「旧あるくだっしゅ」とは違うところだ。
4/20 金 0.0   雨だから、というより「ヤク中」症状継続につきRUNナシ。
夕方、ぶだはっへ。通学生の集う場にチョイと顔を出す。
確かに、「まったくダメダメ学生」であることには違いないのだが、そんなわたしにも「絶対誰にも負けていない」ことがひとつだけある。
それが、仏教を学ぶきっかけでありモチベーションであり、もはや義務であり責任でもある。
いや、学費払っているから権利でもある(^_^;)
君は、泣きながら飯を食ったことがあるか?…「生きるのがイヤになった」とさんざんに思いながら、それでもコンビニかなんかのお弁当を買い込んで口に入れ、耳の奥から響いてくる咀嚼の音を聞く。「死」を意識しながら「生」のために食べている自分に気づかされ、その矛盾が悔しいのである。そんな姿、誰にも見せるもんじゃないし見られるもんじゃないが、みじめでみっともなくて情けないことくらいは想像がつくだろう。様々な事情から、「死」と「生をつなぐ食」との葛藤を体験することは、自己内面的なこととはいえ、ある意味で現代社会における究極の「戦争」であろうと思う。
…かつて、第二次大戦を体験されたある仏教学者が、「戦争を体験しなければ、真に仏教を知ることはできない」と仰せになり、学生運動直後あたりの当時には大いに物議を醸したそうだ。「では、仏教のために戦争を肯定するのですか!」と。しかし、その学者の真意には、「真に仏教を求めるだけの心構えを整えよ」というものがあったはずで、「戦争」とはあくまで「自己内におけるじぶんだけの激しい挫折や葛藤」というものへの深い思索を求めることを意図する表現であったように思われる。なんだかんだいっても高度成長期の安定した土壌で、サイケやアンニュイ等「ただ時代に流され、与えられる中でしか自分を見つめられない」学生たちにはイタイところを突かれた一言であったのだろう。それを無意識に防御した結果が「戦争肯定?」という回避的な反論になったのだと思うのである。
この真意をもって、「仏教を求める、ないし学ぶ」ということについては、まず何より先に「戦争体験」が必要であるというこの学者の意見には、わたしは大いに賛同している。個々の心身に「生と死」を感じさせ、その恐怖や苦悩を現身に思い知ることが「戦争」のもたらすものであるという意味で。そうした「戦争」を体験した者が、きちんと導き導かれる「仏教」でないから、今の仏教は「仏教でない」のである。
僧侶の家に生まれ、基本的な生活上には何らの心配もなく生まれ育ち、(そうした環境もあって)能力を伸ばし続けてこられた学生だけが評価されて仏教を語る…そういう人は、それはそれで素晴らしいことであり、それ自体を批判するつもりは毛頭ないが、実際、そうした世襲・限定的な循環が、今の「仏教を仏教でなくした」世の中を作り出したのであると思う。ここで、それとは違う誰かが何かを切り込まない限り、「生きた仏教」「「生きるための仏教」は真の意味で再生しない。…と、ある学生を見て思った。
4/21 土 25.0   彩華開店に合わせて羽束師まで(^_^;)
羽束師には、かつて魚市場があったという、その石碑が建っている。海から50キロも離れた場所に魚市場というのは、世界でも唯一の存在だったそうだ。
ここが「都」でなかったならば、誰がそんな苦労をしてまで市場を開いたものか。ヤマシロ国のままだったら、ありえないことであっただろう。また、都であったからこそ、仏教寺院もワンサカあり、それを追い求めて移住してしまうような人間もいたりする(^_^;)
この際、イワシやアジがいまだに少ない京都のサカナ事情は、大目に見ることにしましょう…。
現在も、この京都には公衆トイレがとにかく多い。観光者はもちろん、あちこちRUNする人にも安心の設備でありがたい。本当に借りちゃっていいんですか?みたいなキレイなところがほとんどなのは、贅沢で申し訳ない気さえする。っていうか、便座がホカホカ温かいところまでいくと、公衆衛生上から見た場合、細菌が繁殖しそうで、かえって不潔になってしまうんではと思うほどだ(^_^;)
というわけで、「和・洋」の二種類が完備されている施設の場合、わたしは「和」のほうを使用させていただく。「和」を使うにはちょっとした体の運動能力が必要ですな。というより、「おなかが出っ張りすぎている」と、うまく使いこなせないというか(無論、わたしはそこまでいってないが)…でもって気が付いた。家でも「和」があたりまえだった時代、実は「トイレする」ことは「じぶんの体型を自覚するバロメーター」になっていたんだなぁと。そういう大事な態勢が整わない体型になることをごく自然に制御する仕組みが、昔は日常生活の中にたくさんあったんだわ。考えてみると、現代生活というのはあちこちでそういう機会が奪われている。掃除機、洗濯機、食洗機に取って代わっているそれらは、かつて腕や腰や足を細かく使わなければできなかったから、それが効率よく機能するかどうかが常に判断できていたわけだ。それが今じゃ、肥満とかタルミとか、病院で数値を見せられて初めて自覚するみたいなことになっている。いろんな機械や道具は「人間が快適に」のために開発され続けるけれど、本当に「快適に生きる」ためには、ちょっとやりすぎてしまっているのかもしれないね。
かといって、そういうモノを拒否できない現代生活にあっては、RUNというのはやっぱり重要な役割を果たしているんだ、と、つくづくと思う。走り具合で「ヤバイ」「イイカンジ」の感覚を日々つかんでいくことで、細かいところまで「じぶんとの会話」を続けていきたい。…と、エッラソーなことが言えるまで、RUNモードは復調したようだ。ヨッシャヨッシャ!(^。^)
4/22 日 10.1   ひとまち交流館(展示見学)・伊勢丹(カリス成城)・東寺国宝館
10年ぶりに「千手観音ちゃん」に再会。あれは国宝館というより、観音堂というほうがふさわしい。常時開館して皆の参拝をしやすくしてほしいなぁと思う。
戦争のために疎開&自宅を破壊された結果として、現在の広い五条通はある。そうした史実についてもっと詳細な事情を知りたかったが、主催者の主要テーマは「だから戦争は…」という方向の反戦運動モードだったのが残念。
そもそも、終戦間近に行われたこの大工事は、本当に「戦争」だけが理由だったのかという「発展的政治戦略」のにおいもしないわけではない。いずれにしても、住んでいた場所を追われる・なくすということについての、もっと情緒的な部分を深めた内容を期待していたのだが。
それはそうと、そこでもらってきた戦後間もなくの古地図に、家一軒の敷地分が「便所」となっている一角があるのを見つけた(ある一区画に2か所だけなのだが)。このあたりの民家の自宅内にはトイレがなかったのだとすれば、それはどうした理由なのか?はてまた、これぞ後に続く「公衆トイレ」の原型なのか?観光者が「ちょっと貸してください」というのを避けるための、町内会のアイデアであったのかもしれない。それともまさか、名字が「便所さん」(゜o゜;)?!…謎だ。
京都駅駅前で「あしながおじさん育英会」の募金を訴える学生の集団に遭遇。かつては「交通遺児」に限って展開されていたはずが、最近では自殺やその他の事故で親を亡くした学生も対象になっているようだ。なんにせよそれ自体、30年以上前からしばしば目にする団体並びに光景であるが、わたしはここに寄付をしたことがない。
学生当時は、「そのカテゴリから外されている」だけで状況的に同じであったからであり、近年に至っては「ことばや声は切実でも、実態が伴っていない」ように感じられることが多いからである。もちろん、そうした学生たちが「普通一般の学生」より大変な状況にあることは重々承知している。しかし、「勉強するために本当に苦しい思いをしている」として立っているはずの彼らが、なぜ年代的に不要であるはずの茶髪や化粧をしていたり、最新のスマホを持っていたりできるのか。また、今日の光景に限って言えば、雨模様の中、彼らはおそろいのユニホームのようなカッパを着こなしていた。何かが違うのだ。むろん、いたずらに哀れさを誘うような姿をしろというのではない。しかし実際、「本当に大変な状態」というのは、本人たちが「ベストな外観」を努力してもなお、まだ何かの「不足」を人々に感じさせるものであるはずなのだ。
今にして思えば30年前、校章をつけた学生服姿で町田駅の連絡通路に立ち、自分のことばで自分と仲間の現状を訴え助けを求めていた男子高校生の必死さが懐かしい。部活を諦めアルバイトをしている友のこと、定期券を買えずに自転車で通い続けること、友達と普通の付き合いができない悲しさ。「それでも勉強だけはしたいのです!」の一言が、真に迫る説得力をもっていた。今、耳をそばだててもマニュアル化したことばの連呼しか聞こえてこない中での援助には、どれだけ真の「共感」や「理解」そして「激励」が込められているのだろう。
4/23 月 5.0   「やらないよりイイでしょ」程度だが、やってみた。
「やらないよりよかった」くらいの効果はあるものだ。
「1日20キロ以上がスタンダード」「スタート・ゴールは違う地点」な日々が長く続いたあるくだっしゅにとって、いつしかそれは「RUNにおける最低条件・定義」となっていた。
「5キロ程度じゃRUNしたうちに入らない」とか「そのへんグルッと往復するようなのはつまらない」とか…思えば、知らず知らずのうちにじぶんの中に巣食っていたそういう思いが、「RUNそのもの」を成立させない状況にしていたところがあったように思う。
しかし実際、やってみれば汗はかくし、全身のテンションにはイイカンジのスイッチが入る。思い起こせば11年前、通勤RUNを始めたときの距離は7キロ弱…今とほぼ同じ距離だった。それでも、八王子駅についたときのあの「カミにでもなったか」のような清々しい達成感があったことを久々に振り返り、そして反省した。
【執着を捨てる】
仏教において、最も根本的に求められる「考え方」は、日々の生活の中で生かし続けてきたつもりでいるが、じぶんにとってこんなに肝心なところで見失われていたわけだ。
もはや、「あの頃よ再び」とは思わない。今のわたしは「あるくだっしゅ・ゼロ」の状態である。爆RUN時代の、あのなんとも言えない感覚を記憶的背景にはしながらも、「今は今」として始動する。ここから、どこまで伸びるか、伸ばせるか。
…と、謙虚に見せかけておいて、「かなりイイセンいくんじゃね?」という至極実感的な感触を全身で感じている今日この頃。ヒャハハ(^。^)
4/24 火 7.0   清水坂頂点を中心とする東山界隈。
鴨川では、そろそろ川床の設置が始まるようだ。観光客の憧れの風景のひとつらしいが、地元民によれば「あんなん、虫が多くてかなん!」…もちろん今年も行く気はありません。
「あなうれし 行くも帰るもとどまるも 我は大師と二人連れなり」
弘法大師にゆかりのお寺を巡りませんか、のポスターにあった歌が目に入った。
東に来ても、空海ちゃんが追いかけてきたような…(^_^;)マタ、イキマスカラ〜。
中高年の、「お遍路さん」がブームになって久しい。先日も、東寺には伊予鉄の観光バスが早朝からやってきて、白装束のオジちゃんオバちゃんたちがゾロゾロ参拝していた。しかし、すべてがすべてではないにせよ、彼らは、「お遍路さん」とは名ばかりの観光旅行を楽しんでいるに過ぎないようにしか思えない。長い時間とお金をかけて遊びに行くことへのある種の罪悪感を「宗教的行為」にかこつけて言い訳している、あるいは、「なんちゃって気分」を味わっている、というようなところか。
そもそも、遍路とは「自らの足で歩く」ことが何よりの基本である。白装束は「信仰のポーズ」ではなく、旅の途上で死んでしまった場合の「死に装束」を意味する、すなわち「決死の覚悟で臨む修行の旅」なのだ。孤独な、そして極限の緊張と恐怖の中にこそ「同行二人」の気づきは齎されるものである。数十人が一緒になってバスに乗り、せんべいをかじりながら世間話をしているような「単なる旅人たち」には、白装束も「同行二人」もあまりにも不釣り合いな、もっといえば不謹慎なアクセサリーなのである。
以前、大きなザックを背負った初老の男性が、一人黙々と五条通を歩き続けている姿を目にしたことがある。しばらくするとコンビニ弁当を路上に座り込んで食べていた。鉢巻の「日本一周」を見つけなければホームレス同然の風であった。何を目的に始めたことかはわからないが、事実上、その男性のほうがよほど「お遍路」に近い世界にあるはずだ。そこまで極端な事例を持ち出さずとも、今生きているその場所で、いつもと変わりない仕事を地道にこなし続ける人々はすべて、立派な遍路の要素を包含しているのだと思う。格好でなく、方法でなく、理屈でなく、「じぶんを真剣に生きる人」に、大師様はお近づきになり、近く遠くで見守りながらともに歩んでくださる。「あなうれし」は、そこに気が付いた人すべてに共通する歓喜なのである。
なお、この歌の極意は、浄土教における「阿弥陀仏対じぶん」の世界にも通底するとわたしは考える。「阿弥陀仏と大師様が一緒」が意味するところは、もはや言語表現不能。っていうか、長くなるので省略。
…ところで、またもや起こってしまった亀岡ツッコミ事故。無免許だの少年だの言わずとも、この京都の車の運転の荒さは常々感じているところである。車の運転だけでなく、京都が「ハンナリ・ホッコリ」なんぞというのは誰ぞが拵えた大ウソのキャッチコピーなのである。この狭い土地の中でひしめくように生きる人々は、おしなべて貪欲であり、ある意味自己本位であり、そのくせ気取りがあり自尊心が高く、人見知りや排他性はハンパねぇ。しかし裏返して言えば、京都ほど素直に人間くさく、人間ならではの「生」が群れ、ひと・世間・社会というものが身近に感じられる「わかりやすいまち」は他に例を見ないのではないかと思う。他者の非を見ながら、「そういうところは、じぶんにもある」という認識や反省がすんなり促されるような、「平らになれる時間」が流れているのである。そんな風に、「人間の持つ救われないサガ」がそのままに現れ、日々織りなすまちだからこそ、その対極の「大きな救い」の象徴である浄土教総本山をはじめとする大寺院や、まちをあげての大きな祭り等がバランスよく成立しているのではないだろうか、という見方がひらめいた瞬間から、わたしはこのまちが面白くてたまらなくなった。わたしは今、当初とは全く別の意味で、この京都を「わたしが生きるにふさわしい、愛すべきまち」と思っている。よって、狭いロージを爆走する車の危険も「織り込み済み」として、RUNにもよくよく気を付けていきたいと思うものである。
4/25 水 0.0   昨夜勉強のし過ぎ…ではなく、DVDの見すぎで起きられず(>_<)
朝RUN人および学生にあるまじき愚行!
けど面白いし、ある面でひじょうに役に立った(^。^;)ジコベンゴ。
一見フツウの少年や若者が、実は超人的な能力をもち、思うままに世を支配しようとする…「SPEC」のような内容のドラマは、ある意味青少年にとって「有害」だと思う。
わたしはオバちゃんだからダイジョブだけど(^_^;)…といいつつ、「スッゲー!こんなことできたらいいなぁ」なんて思ってしまっている瞬間があるのだから、いろんな意味で「発展途上」の思考回路にこうしたものを与えるのはちょっと考えモノかも?少なくとも、「○○○○に刃物」といわれるごとくの影響を受けてしまうような子どもにとって。
昔わたしたちが子どものころに見せられた「超人」「超能力」的存在は、たとえばウルトラマンとかアトムとかドラえもんとか、決して「ヒト」の形を取らない姿で登場していたように思う。普通の女の子に見えるサリーちゃんも実は「魔法の国」からやってきたわけだし、秘密のアッコちゃんは「魔法のコンパクト」を使うからそれが成立していたのであって、あくまで「ヒトそのもの」はその基本的な限界を越えないものだったのだ。
「超人」「超能力」はその文字通り、「ヒトを越えた存在」に託されていたはずが、いつしか「ヒトそのものがそうした力を秘めている」ものとしての展開を見せ始めている、その典型がドラマ「SPEC」なのである。「SPEC」とは「仕様」を意味するが、このドラマにおいては、人間の脳にはまだ顕在化していない未知の超人的能力の仕様が「誰にも備わっている」可能性を強いテーマにしている。それを前提に、そうした能力をもつ者による人の殺傷やコントロールが行われ、なおかつ「世を支配する資格者」と自称させて描いているのである。「娯楽ドラマ」には違いないのだが、そういう虚構を含めて「真に受ける」ことの多い世代(の一部)には、ひじょうに恐ろしい影響力、あるいは妄想の追認になってしまっているのではないか、また、おかしな方向性での「可能性の模索」によって、一個の人間としての精神的な成長遅滞を及ぼすことが懸念されるという視点において、これは決して「健全なドラマ」とは言えない性質を持っているような気がする。同じ能力を持っていても、それが正義のために使われているところも、なんでもないダサイおじさんがその経験上素晴らしい人生観を説くシーンも、ただ情熱と体力でぶつかる人間の強さも描かれている、その部分を、若い世代には等しく正しく見ていてほしいものだ。おかしな方向へ思考が傾くくらいなら、「戸田エリカ、マジかわぇぇ〜」とか、くだらないツイッターしているほうがまだマシだ。
…「人間の脳は、わずか10%しか使われていない」というのは、わたしが学生のころから言われていた。だから、他の部分を使えるようになれば、もっと成績が伸びる!みたいな感じで。しかしごく最近では、「使われていないところは所詮使われないようにできている」という消極論が頭角を見せ始めている。このことについてわたしの経験を踏まえて厳密に言えば、「勉強しているときはその部分の脳」「RUNしているときはその分野の脳」という具合に、その時々に必要な場所が活性化し、他の部分は休息モード、というような役割分担をしながら均衡を保っているような気がする。それぞれに「うっそー?マジ?」というような奇跡的な成果や閃き・発見が起こることは確かにあるが、それは「そのことにいかに集中しているか」という程度に関わることであることも実感している。つまりそれは「超人性」というよりも「超前提」「超固定観念」というくらいの、ごく内面的な「超"個"人的奇跡」の範囲を越えないのである。ほとんどの人は、そのレベルの奇跡との出会いの積み重ねによって希望と可能性を感じながら生きている。それで良いのだと思う。人を支配する、操作するなんていうことを望み実行しようとするようなことは、もはや「能力」ではなく「病」なのである。
図らずもこのことは、仏教をはじめとする各宗教が少なからず説く「超人性」「超能力」「奇跡」への考察につながることになる。「泥に唾をつけて盲人の目に塗り、見えるようにしてあげた」イエスちゃんとか、オデコのほくろみたいなの(白毫という)から光を放って人を救っちゃうおシャカさんとか。また今ひとつに、「じぶんにはあり得ないと思っていたはずの言動ができてしまう」という意味では、「唯識(阿頼耶識)」の理論的問題にも関連する課題となる。
アリャリャ…実は「SPEC」をどうこう言う前に、2000年も前から人はそんな話に翻弄されてきているのであった!(>_<;)ヤバイ!
…っていうか、こんなことを考えたおかげで、わたしの論文研究の考察範囲もまたもや広がってしまったではないか!これぞ、「集中したゆえの超前提の奇跡」だっ(>_<;)ヤバイ!
まったく、奇跡なんぞ、ろくなもんじゃない…(-。-;)フ〜ッ。
4/26 木 7.0   東寺・京都中央郵便局(通帳記入)。
長いこと謎であった「東寺道室町のイイ香り」の件(18日参照)、本日なんともアッサリ解決。
「オイオイ、まんま、お香屋があるやんっ(゜o゜)」…という結論であった。今さらその存在に気付くとは、まったくもって「ヒトの目」というのはアテにならないっていうか、「見たいものを見ている」に過ぎない、イイ加減な機能であるかということが、いちいち心理学のテキストで解説されるまでもなく実感できるところである。
なお、あの香りの銘柄は、やはり「堀川」である可能性が濃厚。
毎度おなじみの東寺電波ねえさん。
目にするときはたいてい、お堂に向かって『般若心経』を唱えているか、おそらくどこにも通じていない携帯電話で雑談を聞えよがしにしゃべりまくっているか、どちらかの行動をしている。
出会うたび、心の痛むところである。
俗にいう「心の病」のひとつとして、「摂食障害」というのがあるが、あのねえさんのような人の病は、同音異字の「接触障害」と表現するべき症状なのだろうと思う。通常一般生活における「娘」「姉または妹」「学校の同級生」「職場の同僚」といった自分の立場が、何らかの事情によって「正しく行使できない」環境状況に置かれていたか、または個人の生まれながらの特質の問題として、そうした立場を自覚認識する能力が不足していたのか。
いずれにせよ、そうしたことから普通一般の人間関係(接触)を結べない結果、彼女はその防衛機制として「自分を閉ざした」のであろうと思う。しかし、それでもなおどこかで「自分を理解してくれる存在を探し求め」ながら、そして「自分も世間の人たちと変わりない存在である」という思念は残り、彼女なりの努力(たぶんもはや無意識に)をしているからこそ、仏に祈りもし、そして「仮想の友人」に語り続けるのだ。彼女の場合、いわゆる「精神病者」が時に殺人を犯したり自殺をしたりする可能性を感じさせない様態であるのは、異質そしてわずかではあっても「この世間とつながっていたい」という希望が消滅しておらず、それに支えられてのことでなのであろうと思う。
そのように考えると、はたから見てどんなにおかしくとも、彼女の生命は彼女なりの「必死」そしてそれなりの「幸福・満足」を生きていることになる。難しい経文をムラなくハリのある声で唱える能力、事故のニュースや天候を引き合いに「相手」を思いやるやさしさ…ある時点までは、ごく普通の健康で真面目な女性だったのだろう。誰が、何が、彼女を今に追いやったのか。
わたし自身、ここまでの人生の主たる人間関係のほとんどにおいて、「父」であり「母」であり「男」であることをじぶんのありように課し続けることで、ようやく社会世間の中でのアイデンティティを保ってきたように思われるところがある。「オンナ」「ムスメ」を意識することはすなわち敗北を意味し、「わたしって何?」「自分探し」など悠長な模索など許されるような猶予はなかった。それを是とすることで、じぶんを守ってきたのであると思う。根深い次元で「じぶんの思うままに生きられない」「世間のいう一般的なありように乗れない」という思いが人生全体を変えた、その源泉は、つまるところわたしも彼女も全く一緒なのだ。幸か不幸か、わたしの場合はかろうじて「通常社会生活の波」に引っかかっているが、実態としてかなり「変わり者」であった(ある)ことは認識している。彼女の場合は、その「変わり者」が「病」として公認されているだけのことなのである。
ある精神科医いわく、「精神病患者というのはそれ自体、その個人のためにも社会のためにも必要な存在である。」…これは、まことに深い意義をもつ言葉であるとわたしは理解している。動物においても、およそ「群れをなして生きる世界」においてはしばしば「異端の存在とその行動」が認められるのだという。大局的な視点でとらえれば、「一般と異端」は様々な意味において相互関係をもちながら、結果としてひとつの社会を形成維持しているのである。
そのような中、わたしはじぶんを、「一般・ふつう・正常」になりきれず、さりとて「異常・病気」にも認められない「マージナルマン」であると思っている。しかし、それは決して特殊なことではなく、この世には数多い、しかし目に見えないまま存在する「第三の世界」ともいうべきものなのだろうと思う。「平常の世界」の問題は法律や常識・風潮が解決し、「病の世界」は医学・薬や社会制度が解決する。しかるに、そこからはじかれるところで「ふつうに笑いながら、実は苦しんで生きている」人々に働きかけることができる、換言すれば、彼らにこそ必要なものとして意味をもち価値を発揮する、その最たる位置にあることこそが、仏教の真の「あるべきよう」なのだと思うものである。
「見えない・気づいていない・隠れている真の需要者たち」に対し、供給者であるはずの側にはその資質も体制も欠損だらけであるのが現状である。何をどうすればよいのか、解決のつかない深い問題であるが、このことは常に念頭に置きながら研究を続けていきたい。
4/27 金 7.0   図書館(期限ギリギリポスト返却)、鴨川チョイ。
この時期、この時間帯の「東行き」は、グラサンをしてもまだまぶしいくらいの日差しになる。オバちゃんの目の健康にはヨロシクない。
よって、コース検討もしくはスタート時間変更を要する。(^_^)ニヤリ。
京都の大路小路の「碁盤の目」は、あたかも「方眼紙に書いたごとく」のイメージがあるが、実際は「大路」でも微妙なクネリがある。
たとえば大宮五条の交差点など、車が「そのままカンペキに直進」した場合、渡った先では、片側のタイヤ分くらいが歩道に突っ込むことになるのである。似たようなポイントは、この京都にはかなりあちこちにある。
信号待ちで歩道スレスレに立っていると、じぶんに向かって車が襲ってくるように見える。こちらとしては正しくルールを守っているつもりでも、危険度はかなり高いのである(>_<;)アナ、オソロシヤ。
この微妙さは、いわゆる「錯覚」に属する程度のようにも思われ、このことが運転者に影響していなければ良いのだが…と少し心配にもなる。用心せねば(-_-;)
金曜日の802が、ヒロ寺平でなくなり、ちょとばかり調子が狂う(-_-;)ツマンナイ。
それはともかく、番組中のニュースで、あの亀岡事故の被害者の電話番号を教えたとして、新たに小学校の教頭が謝罪したということを耳にした。わたし世代が子どものころは、「家に電話があれば電話帳に番号が載るのはアタリマエ」のことであったし、学校の連絡網や住所録の扱いを含めて、やかましいルールなどなかった。それどころか、父親の職業まで公開されてたもんね。考えてみれば大らかな時代だったもんだ。…もっとも今は、知られた情報がどれほど広範不特定に流用・悪用されるかわからない時代。慎重な用心があったほうが安心ではあるのだが、そうした風潮の中で、かつては簡単にこなせていたはずの「ささやかな心遣いややりとり」のチャンスも消されている側面があることはさびしいことではある。
話は戻って、そもそも、「誰かに迷惑をかけたら、素直に謝る」というのは、幼児にも教えるべき人間関係上の「基本的お約束」である。その意味で、事故の加害者(の親)に被害者の連絡先を尋ねられて教える、というのは、長年「教育者」として生きた人の道徳観からすれば当然の行為であったと言えるだろう。それが「謝罪」という展開に至るについて非難されるポイントになるのは、あくまで「現代の時流を配慮していなかった」という落ち度に絞られるべきであるということを、見る側、考える側は留意しなければならないと思う。
このように、今や、電話番号や住所などの「個人情報」は神経質なまでの「秘匿事項」であり、それが少しでも侵されるような事態が起こると、マスコミは烈火のごとく騒ぎ立て、視聴者もそれに同調する。しかしその一方で、事故や事件の死傷者を救出・搬送する「消防隊員」は取材に応じて(恥ずかしげもなく顔出しで)、「口から泡を吹いていた」だの「足はほぼ切断状態だった」だの、不幸な惨状をベラベラしゃべりまくる。それこそ人の尊厳に関わるはずの究極の「個人情報」は、そのままなんでもないように報道され、そして受け入れられている。大いなる矛盾ではないか!ザケンじゃねぇよ!(ーー゛)…と、いつも思う。っていうか、このことは前にも書いたわな(つまり、怒り継続中)。
このような「矛盾」がいつまでも現れ続けるのは、それが「個人情報」という同一基盤のことであっても、「対自分」の緊密さの感覚(実感度)に、深浅の差があるからなのだと思う。電話番号や住所の問題は「自分にも関わる危険性が常に大きい」、しかし、事故や事件で死んだり傷つくようなことは「まさか自分が」の次元すなわち「限りなく他人事」であるから、個人としての問題意識の俎上にのらないのである。「明日は我が身」の意識に立った時、それは等しく「晒されたくない自分の情報」となるはずだ。そのような視点で、正しい情報授受のモラルを築いてほしいと厳に思うものである。
思うに、一個の人間が、ある物事や事象の正否や好悪を判断そして行動するとき、その資源(根拠)となることは所詮、その人のそれまでの体験の事実やその感得の内容が蓄積された範囲を出ることはない(おぉ、これぞ阿頼耶識!)。前述の「教頭」も、「教育者のみ」であり続けたからこのような事態を招いたといえるだろう。また、消防隊員については職務遂行の意識のみが先に立つがゆえに(とはいえ大いなる勘違いだと思うが)、あのような行為を繰り返すのだろう。しかしこのことは、「わたしだからこうなった」「あなただからそうなった」という風に、誰にも起こり得る失敗の(あるいは成功)の法則なのである。このことを謙虚に反省しながら、日々ありたいものだと思う。
その上で、いかに「他者を理解し思いやり、そして世の中を思うか」のための、幅広く深みのある付加価値をつける努力が、今ここより先の「勉強」なのであり「仕事」なのであり、すなわち「毎日をよりよく生きる」ことになるのだろう。 
4/28 土 7.0   東寺。すっかり「夏準備完了!」な風景に模様替えしていた。
お堀にいたカモの親子をじっくり観察したりしたのに、帰ってきた時間はいつもより早かった(゜o゜)アレ?
どうやら、今日のペースはなかなかよろしかったようだ。
っていうか、にわかに体重が減り始めた効果?
ヽ(*^。^*)/キャハー!ウッキッキー!
前髪が伸びてうっとおしくなってきた。昼間、美容院に行くことに絡めてRUNしようと考えたが、RUNと組み合わせるには相応しいことではない(汗まみれの状態では店員さんに失礼)だろうと思い直し、やっぱり朝RUNにした。
前髪だけの処理など、以前は自分でザクザク切って満足していたものだが、最近はなぜかどうにもうまくいかないので美容院さんにお任せしているのだ。
手先が不器用になったのか?と思ったが、ふと見つけた30代半ばの頃の証明写真を見たら、トンデモねぇくらいガチャガチャの状態(-_-;)
不器用だったのは、むしろ「女性」としてのじぶんを見る「目」のほうにあったのだろう。
とはいえ、20代の頃にまで遡ってみると、それはそれなりにきちんと全体が整って見える写真が現れる。…「若さ」というのはあらゆる「ヘン」を取り込んでしまう「輝きパワー」があるのだなぁと思う。
なにはともあれ、それなりの歳になった今、それなりのことを意識できるようになっていて良かったと思う。
ラジオから、いまだ頻繁に「アラサー」だの「アラフォー」だのというコトバが聞こえてくる。
わたしには、年齢をあいまいにしたがる意識というのがよく理解(共感)できないこともあり、たかだが2〜3程度の歳の数をごまかして何の意味があるのか不思議でならないのだが、「流行語」というにはその旬をとっくに超えたはずのものがいつまでも使われ続けているのは、その需要が絶えないだけの一般意識があるからなのであろう。(かつて、中年世代を「実年」と呼ぼう!というキャンペーンが全く相手にされなかったこととは対照的である。)
まぁなにがどうであっても、わたしは「45歳半ですが、何か?」という感じである。
ところで、そんな「アラサー」「アラフォー」からやや遅れて、それ以上の年代にも「アラ」が冠された表現が現れ、これまた今なおしばしば耳にするところである。
ありがちな「遊び半分の展開」には違いないのだが、偶然にもそれが、別の視点からとらえると「妙に意味の深いコトバ」にも転じているのが、60歳の還暦周辺世代を指す「アラ還」というものだ。
この「アラカン」…仏教学上にも同発音の「阿羅漢」というものが存在する。小乗仏教において、「悟りの最高位」にあることを意味する、すなわち「人間として完成した存在」をいうものである。大乗仏教が興って以来、「誰でもホトケになれる!」てな思想がハバをきかせるようになってしまったので、「人間の域を越えずに、あくまで人間として修行した結果の完成」ということが軽視・不完全視されるようになってしまったのだが、実は「阿羅漢」のほうがよほど、人が生きるに現実的な内容をもっている、とわたしは思っている。
「阿羅漢」は、「三明六通」という能力を備え、それを適宜の判断をもって行使することができるようになるとされる。平たく言えば、「一般には見えないもの、聞こえないものが見聞できるようになり」、「自分と他人の過去や将来を見通すことができる」ような力のことをいうのだが、よくよく考えてみればこのようなことは、「悟り」だの「完成」だの大げさに考えずとも、ある程度長い時間を真面目に生きた者であれば知らず知らずのうちに身についていることである。たとえば、数十年に及ぶ職人仕事が見せる技とか、自分の娘に向かって「あんな男ではアンタ、幸せになれへんで!」とか言うようなことは、日常よくある「その力の発揮」の典型だ。また、自身の人生における過去を反省し、だからこその今を認識し、よって来たるべき将来を冷静に覚悟することができる、否、していなければならないであろう年代が、「アラカン」と称され周知されるようになったことは、「喜ぶべき不思議の偶然」であろうと思うのである。
60歳前後になったとき、単なる「アラ暦」であるか、それとも「阿羅漢」になれているか…。これは、「世間の言葉遊び」が生んだ、人生における新しい指標であり、評価基準となるべきキーワードであるといえるだろう。ぜひこちらの思想の方も広まってほしいものだ。そうなれば、「若い時代のまま」を継続したようなハシャギ・悪ふざけやムリを含む「元気がヨシ」とされているような今の風潮は、まったく逆転することになるだろう。その波にのって「いかにも沈思熟考」を気取リ装う「なんちゃって阿羅漢」も増えるかもしれないが。
わたしは、「その時」がどのような価値観をもつ世の中であれ、本当に「阿羅漢」というにふさわしいじぶんを迎えたいと思う。
そこまで、あと15年もない。
4/29 日 33.1   柳生街道経由奈良国立博物館
ホ〜ネンちゃんをモ〜レツに批判した解脱上人というひとの特別展を見に行った。
ふたりの相違点の大きなポイントは「戒律」の扱いに関するところにあるようだが、突き詰めていくと結局は同じようなところに結論がいきつくような気がするわけで…いずれにしても、ネットマスコミもない時代、これほどまでに「伝わり、残されているもの」を築いたエネルギーは素晴らしい。
柳生街道は、京都のトレイルにはない明るさがあり、気に入っている。
中でも興味を惹くのは「誓多林町」という名前の地域があること。かの祇園精舎が建てられたたれたら「ジェータ林」と関係がないとは思えないネーミングは、いついかなる人によってなされたものか。
4/30 月 20.0   原谷、御室
(なんかカーソルがうまく動かないので、書き込み意欲なくした。)
走行距離 316.1  km