あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上56歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
3/01 火 0.0  
3/02 水 0.0  
3/03 木 0.0  
3/04 金 0.0  
3/05 土 0.0  
3/06 日 0.0  
3/07 月 0.0  
3/08 火 0.0  
3/09 水 0.0  
3/10 木 0.0  
3/11 金 0.0  
3/12 土 0.0  
3/13 日 0.0  
3/14 月 0.0   2周忌。
これが2年前だったら、どれだけパニクっていただろう…。
いまだ現在進行形の憂慮すべき事態にあって、被災者の単一個人的な涙や新しい生命の誕生を執拗に追いかけ伝える報道に強い憤りを覚える。昨夜は悲壮感漂うBGMつきのオープニングを編集して早々と震災ドキュメントを流したNHK、今朝は企業CMが復活したとたんによりにもよってクラシアンのCMを流すフジ(クラシアンの見識もどうかしている)。どんな出来事にあっても様々な考え方や動きはあると思うが、「今何が必要か、何をすべきか」の情報収集と言動に皆が気持ちを集中して進むことを啓発すべきこの時期に、あまりに無神経な行動は不愉快きわまりないものがある。
3/15 火 0.0   全国民が意気消沈していては何もはじまらない。
日常生活ができる人は、その生活をしっかり送ることが、別の側面からの復興に繋がることは間違いない。
電気を使い、水を使い、暖かく眠って翌日のパワーにすべきだろう。
しかしそれが、「わたしには関係ないことだから」ということであってはならない。直接ではなくても、小さいことでも、「そうすることが支援に繋がる」という行動の仕方はいくらでもあるだろう。
3/16 水 0.0   なぜ、とりあえず現状問題のない生活をしている地域の人間が、電池や水の買い占めに走るのか。
関西にも、「あの震災があったから」という人と、「あの震災があったのに」という人が混在している。これが現実。
この際、それが「被災地の知人に送りたいから」という理由であっても、「個人的な行動」は慎むべきだろうという気がする。「東京の友人に送るさかい、電池あるだけ売って!100個でも200個でも、金ならあるし!」…必死なのはわかるが悲しい。在庫がなくてよかった。
3/17 木 0.0   「生きる」とはなんだろう。そして「死ぬ」とはなんだろう。
かねてから考え続けていた問題について、あるひとつの現実を見せてもらっている気がする。
「死ぬ恐怖」はもとより、「生きることの恐怖」というものを、人々は絶えず同じレベルで並存させながら生きているのである。
ふだんは気がつかないだけだ。
生存救出や出産の場面…「希望」という視点では良い情報かもしれない。しかし現状においては、そんなことを延々と取材し流すべき時なのだろうか。率直に言ってこんなものは「外野にいる人間が安心したり感動するためのネタ」に過ぎない。現実には、こんな奇跡にも幸運にも見放されたような状態の人のほうがほとんどなのだ。彼らにとってはむしろ神経を逆なでする行為であるかもしれない。今はとにかく、「特定・特殊ではない大多数の人々」が必死で食いつなぎ、助け合って生きている姿や声をひとつでも多く拾い集めて流し続ける地味な報道活動こそ、最も求められているのではないか。
NHK教育の安否情報、日テレ「スッキリ」の個人メッセージ放送は、実にアッパレなスタンスであると思う。
3/18 金 0.0   単なるアホバカレベルとは違う次元で、「不謹慎」「ありえない」といわれるジャンルの感慨をお持ちの方へ。
自分ひとりと思わずともよし。それが心の底から、まさに「同苦」としてわかり合える人は意外に多くいるものです。いたずらに罪悪感を持つことなく、そのままでいていいのです。
わかる人にはわかる。かっこばかりの理屈でなく空想でなく、「ほんとうにわかるひと」がいることに安心してください。
以上、わかる人にだけわかるめっせーじ。
3/19 土 0.0  
3/20 日 0.0   久々に森本毅郎を見た。
スッゲーふけていた。たった4年なのに。
30代の1年間と、40代・50代の1年間の変化は、これほどまでに違うのかということを、改めて身にしみて感じた。
3/21 月 0.0   納骨。わたしはこれを「引越し」と呼ぶ。
20年契約の高級分譲マンションに行ったようなものだ。
これでよかった。これで、もうよい。
3/22 火 0.0   藤沢へ小田急で。
時宗総本山遊行寺へ。近隣にありながら外していた。
まちは「計画停電」の真っ最中。「これだけ」であれば、人々はどれだけ不平不満をこぼし、怒りに満ちている風景であったことだろう。しかし、誰もが冷静に事態を受け止め、「それでもできること」を淡々と過ごしている空気には感動すら覚えた。海外からも賞賛される日本人の忍耐力と落ち着きこそ、ここまでの日本を支えてきた底力であるだろうと改めて感じた。
3/23 水 0.0  
3/24 木 0.0   これほど豊かで平和な国の恩恵に何十年も浸りながら
その恩も忘れ、信用すること・あるいは諦観することを覚悟できないのはあまりにさびしいことではないでしょうか。
万全を期した上で、敢えて公表される情報を、せめて今「何事もなく過ごしている」人は、信じて冷静になるべきではないでしょうか。関西から個人的にほうれん草やレタスを送ることが、おとなのやることでしょうか。この期に及んで、「自分さえ良ければ・知っている人さえ良ければ」の行動は、信じられません。
3/25 金 0.0   ぶだはっへ、研究テーマ予備調査票提出。バスにて。
わたしの仏教学研究は、我が人生の復習であり、また、復讐でもあります。
冷静かつ平和的な手段を「道具」として獲得できたことは良かったと思います。ここまでの極めてアナログ・有機的な人生経験を、デジタル化・無機質化の態度の中で翻訳しなおす作業の第一歩が完了しました。
どうか、担当教授が我が敬愛する教授大先生様に決定しますように。
3/26 土 7.9   「わたしにはこれしかできないけど、それを平常心で懸命にやる」
最近、直接の救援やボランティアに関われず日常生活を送ることの言い訳に乱用されている。
特に、芸能人あたりからこの言葉を聞くと、「それはもういいですから!」と思う。
本来それは、どういう状況下にあろうと人間にとって至極アタリマエのありかたなのだ。
3/27 日 20.3   メールというのも、けっこうアテにならない手段である。
1/27発信のメールを、こちらでは「受け取っていなかった」。わたしの日ごろのメールチェック態勢からして、ほぼ確実に何かのエラーと思われるのだが、おかげで出来上がった茶碗が2ヶ月も先方に滞留していた。
他にも、3/11・12に関東方面から発信されたメールが、1週間近く経ってから大量に着信するなど、意外なことを体験した。
人とのコミュニケーションというもの、どんな手段を利用するにせよ、その前提にはある意味での「奇跡」「偶然」が介在した上に成り立っているような気がする。
3/28 月 0.0   「それ」がないときは、なんとかしてきた・できてきたはずのこと。
戦後の時代を、人々は個々にどうやって越えてきたのか…そんなところに、あえて思いを馳せたい。
供給があるからいたずらに需要が増える。「ことば」があるから制御できず便乗する…そんな余裕と豊かさは、まだまだこの国に残っています。ある意味、幸福です。
「マッチポンプ」というのをご存知ですか。自分で火を起こして消化し、その功績を賞賛されようとする、ビジネス界に良くある「いやらしい出世をするヤツ」の典型的手段です。もちろん、すべてがすべてではなく、良いこともたくさんあることは間違いないですが、その上であえて言わせてもらえば、「心のケア」なる美しいテーマを掲げて、画一的な理論技術で人の心をナントカしようなんていう○○士至上主義になるような世の中にはなってほしくないです。「分析やデータでできたマニュアルの慰めより、親が黙ってしっかり抱きしめてやることだ!」…これは、10年ほど前起きた「大教大事件」に際し、佛大の先生が仰った印象的なヒトコトです。
救世主探しでもするかのように、マスコミは特殊特定の「希望の星」を報じ続けるが、今、本当の「希望の星」というべきなのは、地元で炊き出しを続ける学生やオバチャン、過酷な救助活動をする自衛隊・警察・レスキュー、原発で働く作業員さんたち。決して映像には流れない人々の意欲と行動こそが「希望」で「励まし」であり「ぬくもり」であり、そして何より「ケア」なのだろうと思う。頑張れ!本当の希望の星たち!
3/29 火 0.0   インナーマッスルは重要です。
この数ヶ月、わたしは「深部筋力不全」を起こしていたかもしれません。
しかし、ひょんなことから一気に復調!
3/30 水 0.0   「犀の角」のように進んで
洗練された出会いを大切にしよう。
過去のある時期も、そういう風にやってきたつもりで、思わぬ油断で「失敗」した。しかしそれは一度だけでよい。
3/31 木 0.0   「そのままでいられては困るんです」な存在を排除する。その作業を…
「このままでいては困るんです」の筆頭みたいな存在であるわたしがスタートさせます。
ダラダラリラックマ状態も、本日まで。
走行距離 28.2  km