あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
4/01 木 0.0   新年度を記念して、
100キロ走った。
…本日は、エイプリル・フールである。
実際には、まったくRUNしなくなって1ヶ月以上を越えている。よって、肥えている。どちらの状況もそろそろ自分的許容限界を越えている。RUNできる心情的条件の復活と天候回復を乞うている。
(以上、現代的に言えばラップ風味、文学的に言えば韻文風味にて表現)
4/02 金 0.0   フル出勤のバイトは通常モードに戻った。学問研究にもいちおう時限的制約はなくなった。RUNできない理由はないはずだ。
…しかし、雨だった。
@選手にならずとも良い。「サスケ」のような肉体能力が身につけられないか。(老後の事故防止に向けてかなり重要度高)
A選手にならずとも良い。キロ4分の「ターボRUN」を10キロ維持できないか。(単なる体験として、できたらおもしれぇ〜程度、重要度低)
B修士・博士にならずとも良い。仏教の現代的翻訳作業、仏教の現代的再生の仕事を全うできないか。(ライフワークとして、緩やかながら重要度高)
…文章にすると大げさになるこれらの目標であるが、そのために「今やるべきこと」はまったく簡単であり、単純である。しかしだからこそ難しい。
「クネクネ体操」「とにかくRUNしてみなよ」「SKTテキスト、1日1章消化」
4/03 土 24.5   @ご用足しRUN。本日の場合、入手した荷物が貴重品すぎて変則的なコースとなった。
Aベタな京都観光ウォーキング。ギオン・東山界隈…1日に2回も同じポイントを通過するとは!(~o~;)
@鴨川⇒写真屋さん⇒知恩院さん⇒P社⇒堀川通北上⇒とある旅館⇒大徳寺・細見酒店⇒(大徳寺前から洛バス101系統にて烏丸五条)⇒関西では「マクド」と呼ばれるマック⇒P社
Aしゅ〜る之助記載に同じ。
@「高級仕上げの記念写真」「2000本限定の幻の名酒」、このふたつを携えてのRUNというテーマのため、どういうコース取りをするかしばし悩んだ結果、「ビンよりは、紙を先にしたほうがマトモだろう」ということにしたのだが、実際手にした写真が思ったよりデカ過ぎ&酒ビンは重すぎ…で、予定していた「通しRUN」を大幅に変更した。はじめて乗った「洛バス」はコンセプト的には観光用乗り合いバスなのだが、あるくにとっては正真正銘の「楽バス」だった。
A人生のうちの「たった1回、たった1日」かもしれない人々が、京都のまちをそぞろ歩く季節となった。この時期この時間帯は「桜見物」よりも、すれ違う人々の人生模様を想像しながら歩くほうが楽しい…などと思えるのは、すでに「名所が名所でなくっないる」地元暮らしの余裕なのだろうか(~o~)
4/04 日 0.0   奈良にてチョイウォーキング。
アーナンダ君、るしゃ君、留守番聖観世音ちゃんとご対面。10年に及ぶ友情関係に感謝を捧げると共に、今後もヨロシク&あつかましい依頼をぶっつけてきた。
「選ばれたい」「特別な人になりたい」「ひとより抜きん出たい」…「じぶん」というものを正しく眺め、平和に生きるためには、まずは一番排除しなければならない「欲望」である。
最近の薬師寺にはできないことのようだが、わたしにはできる。少なくとも心がけることはできる。
よって、あるくはRUNにおいても、そんなジャンルを避けていくのだろう。これからずっと。
4/05 月 0.0   おとといの、いきなりのRUNでたるんだカラダにカツが入った。
足はもちろん、肩や背中まで筋肉痛ナリ(>_<)
よって、唯一フル活動できる「脳」を使って学問した。
今のあるくにとって、SKTは英語より難しい。テキスト見たあと英文を見ると「まるで日本語?」のような理解度で読めるのだ!…なんて書くと、スッゲー語学力!なわけだが、実はそれだけSKTレベルが低いだけのこっちゃ…SKTはあくまで序章、ほんとうに必要なのはpariである(-_-;)ミチノリハ、ケワシイ。
4/06 火 0.0   苦節5年(~o~;)?、昨日ようやく発見!
通勤RUN中、ちょいとJ−WAVEで聞いて以来、RUNするたびに離れることなくついて回ってきたノリ。これは「あるく的RUNにおけるスーパーBGMだ!」と思ってきた曲だ!
「検索ワード」を変えて探したら、プロモ付きで出てきたヽ(~o~)/
今回は、そのプロモの画像ですら、わたしの「RUNにおける心象風景」を見事にイメージしている最高傑作だった。
おりしもRUNから離れて久しくなった(1ヶ月程度だけど)卒業式の夜、出かけたおすし屋さんで一番に流れてきたのも何かの縁。
「あるくだっしゅよ、復活セヨ!」…戻るべきステージは、見えている(-v-)ニヤリ。
(特別サービス!「その曲」をブログ公開中!)
4/07 水 0.0   目下、イメトレ中(^_^.)
RUN必携アイテムを失っているため
「お金のことはともかく」というほどカッコつけるつもりは毛頭ないが、わたしはこれまで働いてきた中で、「お金そのもの」が常に一番にアタマに渦巻くような状態で仕事をしてきたことがないように思う。一枚の伝票をめくること、一本の電話を取ること、お客さんに対応すること…そういったひとつひとつの動作に喜怒哀楽を感じながら、「じぶんがここで動いている」という感触がまずは楽しく、その積み重ねの結果としてお金がついてくるという感じだ。
あれやこれやナンダカンダとグチャグチャありながらも、終業後の開放感・爽快感・充実感もたまらないね。
世に言う「仕事運」とは、いかに楽して、かつ自分の思い通りにコトを進めながら大金を稼ぐか?ということが目的に立って語られるように思うが、どうやらそれはわたしには該当しないようである。しかし、それとは違う意味で、わたしは「仕事運」にはかなり恵まれていたのだと思う。
4/08 木 0.0   またもや、イメトレ中(^_^.)
あるくにとって「最適なRUN環境条件」を組み立てなおしてる最中である。
人はみな、「これさえなければもっとうまくいくのに…」と思う人間関係や義務を負っているものだ。
中でも特に多いのは、「仕事さえなければ、1日中そして毎日自由に好きなことができるのに」というもの。しかしほとんどの人の場合、これは「正解」ではないと思う。根本的に「なんの制限も受けずに気ままに過ごす」ことは不可能なことであり、「あれこれ不自由な中をヤリクリして楽しんできたこと」は、いざ「さぁさぁ、いつでも好きなだけどうぞ!」となると、意外と面白味がなかった…なんてことも多々あるものだ。
かつて、「よくもそこまでの思いをしてRUNしてるもんだ!」と職場の人に感心されていた(呆れられていた)あるくのRUNも、この数年は「その気になればいつでもOK」の状態にあった。そのときの思いや実態がまさにそんな感じだったのだ。
しかし、ここのところは違う。むしろ、過去の状態よりもいろんな意味でタイヘンなところがある。そこをクリアして、あるく的に過不足なく楽しめるRUNとはいかにあるべきか…(-_-;)
…な〜んちゃって、実はそれほど深刻に考えてるようなハナシじゃないんだけど!(~o~;)。…「RUN」にあれこれ細かいコリクツを並べて取り組むようになったらオシマイヨ!
4/09 金 0.0   7週間前紛失したハードコンタクトレンズを買いに行く。
京都駅前だっちゅ〜のに、電車でGO!…イゼンナラ、カンガエラレナイコウドウデアル。
どう調べても、この京都には立川より安いお店はナイと判明し、過去における予算から4000円オーバーを覚悟して出かけた…。
…んがっ…
「コンタクトレンズは高度医療機器」という建前がある。購入には必ず検査や医師の診断が必要だ(実際かなりイイカゲンなもんなんだけど)。
ということで、レンズ代金+診療費の総額がいくらになるかというのが最終的に問題になる仕組みになっている。
その診療費は立川では3000円強だった。よって、同じくらいに値踏みしていたそれが、今回はなんと980円(゜o゜)エッ??…「激安店」とゆ〜のが、「ただ転んでいる」だけではない、しっかりどこかでモウケているカラクリがあるのだなぁということを改めて学んだのである。で、結局のところ、京都でも立川とトントンの買い物ができたことになるとゆ〜わけだ。
京都に来てから、あるくにとっての「必要不可欠アイテム」のあれこれが、何かと割高感のある状態になっていたのだが、今回はニッコリ安心。ぜひ、この調子で、いいカンジの「Runグッズ店」もできてほしいものだ。…京都に来たれ!アートスポーツよ!
4/10 土 9.6   コースはしゅ〜る之助に同じ
天神川の桜は美しい。特に葬儀会場前の風景は見事なものだ。「彼岸に旅ゆく人」に、最も美しいはなむけの風景であると思う。
「死ぬこと」は忌み嫌うべきものではない。誰もが迎える、避けることのできない「アタリマエのとき」なのだ。
たまたま今、そしておそらく次の瞬間も「生きている」だけに過ぎない、その通過と継続にある時間というものの中で、いかなるものを見て聞いて、そしていかに感じて、考え、言動するか。…この点を間違えないようにさえすれば、自身にとっても周囲の者にとっても、「死」は満足して受け入れられるものになるはずである…。
4/11 日 0.0   選挙に行って、メガリボン!
はっきり言って、出来レースのような京都府知事選挙だった。しからば、おまけのオタノシミを享受しよう!ということで。
たまたまネット情報で見つけた、「投票済証と引き換えにメガリボンプレゼント!」に乗って、三条商店街までウォーキングした。たまたま手に入っていた、あちこちのお店の無料券も使って、買い物も。
う〜ん、なんて「京都人らしい」1日であったことよ!o(~o~)o
4/12 月 0.0   雨だ…(-_-;)
本日またもやイメトレとなった。
「京都人の郷土愛」の強さは、他に類を見ないほどのものがある。それはそれで大切なことではある。しかしそれもあまりに度を越えると、「愛」は「執着」となり、とんでもない排他性を言動に醸し出して不快極まりなく、ひどいときには人としてどうか?と疑問に思うようなレベルに及ぶことすらある。…残念ながら、そういうことを強く感じる人間がわたしの知る範囲にも数人いる。今も昔も、京都が京都のみで独立存続しているわけではないことは明白であり、自らもどれだけ他府県のあれこれとあらゆる関係を持っているかもわきまえずに、タダひたすら京都至上主義に陥っているというのは、どうみてもみっともない。ヘタをすると、同じ京都内についても、あくまで個人レベルで関係のない(あるいはカンにさわる)ような物事でしかないにもかかわらず、「京都では」とくくりつけてあーだこーだと批評するに及んでは、ウンザリすることこの上ナシ。
…仏教では、「愛」というものも「苦の原因」として位置づける。しかしその「愛」が現実の人の世に必要なこともまた確かなことである。要は、その「愛」が美しく感じれらるか・醜くなるかの「境界線にあるもの」を賢く見極め、表現するあり方が問われるのだろう。
…それが「京都人の責務」でもあるかのように何事につけ「自分中心の京都愛」をひけらかす人に接するたび、彼らの嫌う「よそさん」が感じ語る京都のほうが、よほど心温まり、穏やかになれる「郷土愛」であろうかと感じるものである。
「あなたが好き・あなただけなの・あなた以外何も要らない!関係ないわ!」なんて「愛」は、恋愛ホヤホヤないし新婚数年程度の若いカップルにのみ許容される熱病のようなもの。本当の「愛」には、醜さも怒りも苦悩もあって、それらを認めながらさらにその中に見つけられ、培われていくものである(「親の愛」が顕著な事例であろう)。そういう、冷静さと幅広い見解意識と赦しの包含された上での「愛」を表現するおとなでありたいと思う。
4/13 火 0.0   「ひとり外食」といえば、立ち食いうどんだの吉野家だのが定番だったワタクシにとって、「ドリア」なるものがオーダーして15分以上待たされるシロモノであるとゆ〜前提はなかった(>_<)…やってきたのが業務開始3分前。これをもってしても食べるには、のどから胃まで大やけどを覚悟するか、遅刻するかしか選択肢はナイ…あえなく、お持ち帰りとなり、ドリアは結局社長の胃袋に収まった…(>_<)
しかしこのことで、社長からは、ある喫茶店の2000円タダ券をもらってしまった。「タダ券消費のための行為」が、かえってそれを増やしてしまうとは…とんだ「わらしべ長者」状態であるが、もちろん半分くらいは社長にお返しになるような買い物をしようと思ふ。
ここのところ、「気がつけば京都にいる」「気がつけば原始仏教の学術書を読んでいる」というように、「京都の地に暮らしていること」ならびに「じぶんにとって最重要課題である学問」を、ごく自然のこととして自分のものにしている感じで過ごしている。本来意識することなど不要なものに対して、どれだけ緊張し、あるいは特別視をしていたかが今になって反省されるところでもある。
思えば、「あるく的ロングRUN」においても、これと同じように「気がつけば(まだ)走っている」という感覚になることが多い。この感じで、3つとも「じぶんにとってアッタリマエのこと」である時間を有意義に過ごしたいと思う。…よっしゃ、明日は都合よくRUNに相応しいコースの取れる用事も重なったし、いっちょ行きますか!
…と、思ったのもつかの間、午前中に洗面台の工事が入っていることに気がついて、計画倒れとなってしまった(>_<)。
昨年末から待ち続け、ようやく実現のハコビとなったこの工事、管理会社のとんでもなく対応が原因でこうなったものだ…この会社が「ISO」を取得しているとはナントモイヤハヤ。一時、審査員資格まで持って関わっていたジャンルであるが、その当時からこのシステムの有効性(本質的な業務への実効性)には疑問があった。「気がつけば矛盾と違和感」の連続だったなぁ。こういう、上記とは逆の意味での「無意識の現実」の体験は、今でこそ貴重な経験であるといえるが、現実に続けていなくてよかったと思う。
4/14 水 0.0   …っていうかぁ〜。
別にカミサマホトケサマじゃないのでぇ〜。
たまにはすっげーむかつくことを思い出す瞬間があるのだ!ガオーッ!!!
(たぶんRUN不足症候群)
4/15 木 0.0   【京都における「三大○○」】
「モノ・コト」と「ヒト」、その興味深き連関性…。
@「よいこと・悪いことはすべて半分半分ずつ」
A「あるものごとを成立させる為に存在する「必要悪(的事象)」というのは、やはり消え去るものではない」
B「それがいつまでもそこに存在するのは、それを必要とする人的事情が確実にあるからである」。
…あらゆる側面において普遍的な真理であろうかとも思えるこれらが、京都の生活風景においては随所で具体的に展開されており、「学びのきっかけ」になることがとても多い。(~o~)ヨシヨシ。
@京都は「ひとり当たりの医者の数」がダントツの日本一であるという。そういや思いつくだけでもかなりの数の「それなり規模の病院」がうじゃうじゃしている。いざというときこれは心強い。しかしそんなありがたさのウラで、「京都の国民健康保険料金」はこれまた日本一であると言う…★(-_-;)そのときそのひとの事情によって、どっちがイイのかワルイのか、難しいところである。
A旧住所サガミハラと同じ国であるのか?と思いたくなるほど、京都には「おまわりさん」ならびに「交番」が多い。…在住・観光ゴチャマゼな人口の多さ、名誉をかけて死守しなければならない各種建造物の多さ、狭い小路の多さ、交通ルールやマナーにおける「無法者」の多さ…等々、犯罪トラブルの可能性の絶え間ない日常に対応した結果なのだろう。しかしここで、「京都のおまわりさんをサガミハラ並に削減しよう」としたら、どれだけ多くのおまわりさんが失職し路頭に迷うことになるのか…つまるところ、「なければよいこと、本来なくなることが理想であること」も、「それがあるから生きている存在」を生み出す要因となっているわけだ。このあたりの複雑性については、考えているとおもしろすぎてキリがナイ。
Bおまわりさんもさることながら、とにかく多いのは「郵便局」!…「あっ、寄るのを忘れた」なんてことがあってもそのままお進みください、間もなくこの先に…の間隔で存在することは、マジでブッタマゲルのである。さて、田舎に一軒しかないような郵便局までつぶしにかかっているような郵便事業の動きの中、未だ整理縮小のウワサすら聞こえない「京都の郵便局事情」はいかにして成立し、そして維持されているのか?…「京都人は、手紙好き」なわけでもないし、理由は「貯金・保険」の方にありそうだ。忙しい職人の気軽な個人取引の場、「お国のもの」という絶対の信頼性…何事においても無駄なく地道に堅実に過ごそうとする京都人気質がつくり、そして守られているからこその現象ではないかと想像するのである。
昔々の「町名変更騒動」もしかり、京都人にはいざとなると行政も役人もなんのそのというようなパワーと結束力があるようだ。発展的に考えると、これは「すっげー民主主義」。…「行政のやることだから仕方ない」とあきらめが先にたちがちな人の多い世の中に、反省を促すような姿であるともいえるだろう。アッパレジャ!ヽ(~o~)/
…以上、これはあくまでこの3年の「京都RUN」において獲得した成果をレポートしたものであります。
4/16 金 0.0   「ハッピー輪転機」クルクル♪な1日o(~o~)o
ひとつひとつはなんでもないことでも、重なってみるとけっこうイイカンジ!だったりするのである。
きちんと32系統バスがやってくる⇒府立図書館でおもしろそうな本とジャンジャン出会う⇒またもや32系統がジャストタイミングでやってくる⇒京都中心部をドライブ気分♪⇒気さくなマスターと奥さんのいる喫茶店でランチ⇒3年以上見つからなかった「理想のヘアブラシ」に再会(もち、お買い上げ)⇒社長にお返しをしたら予想以上に喜ばれる⇒ちょっとヤッカイな仕事が減った⇒チェンジしたスーパーは今日も良い品お買い得⇒電車に乗って通勤OL気分♪⇒けっこう残業(定時オーバー)したのに、しゅ〜る之助帰宅までにご飯とお風呂の支度バッチリコン!
「RUN」は入ってないけど、雨だったしシカタナイ…ヨネ!(~o~;)
4/17 土 0.0   御室に花見
いちおう京都の名所、ひとつくらいはおさえといたほうがいいだろう。
ほぼ電車移動。…といいつつ、少しは歩いたので、ナンボが距離カウントされてるかと思って、しゅ〜る之助サイトをノゾキに行ったら「ゼロ」だった(>_<)アリャリャ〜★
4/18 日 9.1   鴨川と三条(詳細はしゅ〜る之助に同じ)
「この程度じゃ…」と思うようなRUNでも、10キロ近くいってる。
このあたりが、「なんとなく走ってたけど、やっぱりやめちゃった」っていう、おばちゃんダイエッター的ランナーとは違う、あるくだっしゅのソコヂカラ?…と、じぶんを励ましてみたりする(~o~;)
4/19 月 0.0   「RUNしないあるくだっしゅ」なんて…
クリープを入れないコーヒーみたいなものだっ!
…と、遠い昔のCMコピーを重ねてみたりするが、まったくもって意味ナシ。
4/20 火 0.0   やる気ねぇ〜…
現状、RUNには、あれこれ悪条件が重なり過ぎている…最後の「グッズ的難関」がなかなか解決できひんのぇ…
こんなとき、つくづく「富士登山競走は偉大だった!」と感じる。もし、現在のあるくにもそれが課せられていたとしたら、難問奇問ブッチギリのパワーを発揮している最中のはずである。
しかし今のあるくにはそれはそこまで必要ない。よって、取り組みが少しユルイ。
4/21 水 0.0   旅RUNの前に、関西圏の地図の学習が必要なようである…(-_-;)
わかっているようでわかっていない…トチカンというものの落差が激しすぎ。
@「勝浦」「白浜」、似たような地名のある紀伊半島を、房総半島と同じように考えていた。房総は千葉一県、紀伊は三重と和歌山…スケール違うっしょ!
A「淡路島」を、直線で縦断したらフル程度?と思っていた。実測したら、島内のみでしっかりウルトラモードっ!
B「快速姫路行き」なんてのがバンバン走っているから、姫路なんて東京〜小田原くらいのもんでしょ?と思ってしまう…。大阪越えて、まだその先なんて、なんかピンとこない…
関東における「あるく旅RUN」もその計画のモトはといえば、20代のころドライブでキャッキャッ♪と巡ったドライブコース、その上書き保存みたいなものだった。つまり、関西圏においてそのような「青春の思い出」がまったくないので、ネタはおろか、詳細の位置関係・距離感などがまったくの「白紙状態」なのである。これはイタイ。
かつての「旅RUN」の地域は、もはやコテコテに地元コースと化し、しからばどこに?のアイデアが浮かばぬ…「おいしい海の幸、キレイな風景、100キロ以上」のコースはどこにあるんじゃ〜っ?
4/22 木 0.0   雨だ。
職場までは、ちょうどよい距離のウォーキングコース。
しかし、迷わず電車でGO!
これだけRUNナシが続き、「バッテリーはビンビンだぜ!」のはずなのに、「どうしたんだ、ヘイヘイ、あるく!」(~o~;)
現在の職場は、「京都生まれの京都育ち」ばっかりである。(厳密にいうと、ホンマの「京都人」とは、京都中心部からごく限られた範囲に出生・生息する者をいうとの説もあるがそれはさておき)
そんな人たちの雑談や営業トークは、もうアッタリマエのごとく「京都なまり」や「京風言いまわし」が炸裂しているのであるが…
少なくとも関東圏では「俗語」的扱いであり、どちらかと言えばあまり良い印象には受け取られないため、業務上の会話などには決して現われることのないはずの「ある言語表現」が、この京都ではその区別なく使用されているらしいことを最近察知した。
それは「シャベル」(スコップではない)という言葉である。
「お話できますか?」は「しゃべれますか?」、「○○さんが、しゃべっていた」、丁寧にいうときにも、「しゃべったはった」なんである。アハハハ(~o~;)
少し前、何かの拍子に「あるくさんがしゃべってた」と言っていたのを耳にしたとき、なんだか「仕事をサボってなにやってる!」的な指摘を受けたように感じてしまったのであるが、どうやらこれは勘違いのようである。
いやはや、「よそさん」たるもの、「どすえ〜」「そやけど」「そやし」なんていう以外の意外な「方言の落とし穴」に、まだまだ汗ダクになりそうである。
4/23 金 0.0   『あれか、これか』byキルケゴール。
美的生活と倫理的生活がど〜したこ〜したのコムズカシイ内容はさておき…
人生において、「性質の違う価値」にであったとき、ひとは必ずそのいずれかを選択しなければならないということには大いに賛同するものである。
こんなんなるくらいなら、昔のほうがマトモだったかも?と思ってしまうこともあるくらい、いまや「どんな女性」にも、社会人・主婦・母親等々ありとあらゆる「社会的立場」に選択肢が与えられている。この点では、これからはむしろ男性のほうが「解放運動」をすべきかも?思うほどだ。
しかし人間1日24時間。それらをすべて選択してカンペキにこなそうなど無理な話。だからこそ、パートタイムがあり、育児休暇があり、扶養控除があり…なのである。この制度をありがたく受け止め、「少しずつ謙虚に、遠慮しながら」過ごすことこそ、ひとつの「かしこい女性の生き方」であろうと思うのだが、どうにもそこのところを大きく勘違いし、「あれも、これも」のためにその時々に都合よく立場を切り替え、自己主張をする女性が増えてしまっているような気がする。なげかわしいことだ。
繰り返し言う。本来「あれか、これか」でしか成立しない人生において、「あれも、これも」を欲することは間違いなのである。
かくいうあるくだっしゅも、現在「主婦もどき・社会もどき・学者もどき」の3足の中途ハンパなわらじを履いている。いずれも「もどき」であるにも関わらず、どれか1足をはけば、他の2足はまったく感知しないほどに意識から遠のく有様である。4足目の「ランナーもどき」など、入り込む余地すらない。
…って、これはこれで放置できない大問題なんだけどっ(~o~;)
4/24 土 10.6   コースはしゅ〜る之助に同じ。
4/25 日 9.8   コースはしゅ〜る之助に同じ。
4/26 月 0.0   みな一様に口をそろえ、「それは京都人ならでは、や」という…。
しかし、全国ビジネス水準からみて、それは「オツボネのイジワル」でしかない。
何事につけ(特によろしくないことを指摘したいとき)「遠まわしにモノをいう」ことは、京都人の特徴であるということは重々承知している。んがっ、そういうのをよりにもよって「ダイノオトコ」が職場でやると、ただの「ギャクギレ」のモトになるだけだ。とりあえず、これも「郷に入りては郷に従え」のひとつとして収めておくが…ある意味、あるくとって「ちょっとしたスイッチ」が入った1日であった。
4/27 火 0.0   雨だ。
またもやオシャレに電車通勤。そしてまたもやフルタイム出勤モードで、OL気分。
レポートや語学の習得について真剣に話し合う学生もいれば、だらしなく大マタ開きでどっかり座り込み、パチンコや合コンのハナシばっかりしている学生もあり。
マーカーでテキストにアンダ−ラインをひきながら読んでいる学生もあれば、人目憚らずバカグチあけてアイラインをひいている学生もあり…「大学生の就職難、内定率60%」という昨今の現状を、不景気のせいばかりにするのは間違っている…と、たった一駅の電車内風景から推測する。
4/28 水 0.0   RUNはしていない。
しかし、RUNによって培われた「力」は、存分に発揮している。
どれだけ走ってもヘイキのヘーだっ!という時間を多く過ごしたこと、また、「RUN中はほとんど給食ナシでOK」という特性(あんまりホメられたことじゃないかもしれないが)は、現在「勤労」という尊い所作にガシガシ生かされているのである!ヽ(~o~)/
本日9時入りで18時まで、途中休憩30分。この間、まぁお見事にアタマと手足を「仕事」とゆ〜ものに投入していたわけで…
この持久力のスゴサは、決して「仕事愛」でもなんでもない…間違いなく「RUNによる基礎」が単に応用展開されたに過ぎないのである。アッパレジャヽ(~o~)/
しかし一方の、「食べなくてもなんともない」…のほうは、「単独長距離RUNによる給食難」に適応すべく体が変化したことに加え、おりからの「老齢化」に比例して基礎代謝が落ちていることがひじょうに大きく関与していると思われる…これは問題だ!(>_<)
4/29 木 25.0   ブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルン…「あるくMAX」、ならし運転開始なのだっ!
ついでにいろんなご用も足しちゃうところがスゴイネ!
あんなものに迎合するくらいなら、すっぱりRUNなんかやめちゃうほうがマシだね!と思う風景ひとつ。
やっぱし京都は「タカビー接客」のまちだ!と感じる風景ふたつ。
さて!
あるくは、京都で、RUNで、どうするか?…いよいよ、「起動」である。
4/30 金 0.0   いい区切りの日付に
ある意味、新しい「ホトケ」と出会う。
なんにせよ、懸命に生きているひとのそのままの誠実さというものは、それだけで何かを教え、与えるものである。
走行距離 88.6  km