あるくだっしゅ
地域 : 京都
年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 :
一言 :
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)
2010/07
月日 | 距離 | 内容 | タイム | メモ |
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7/01 木 | 0.0 | |||
7/02 金 | 0.0 | |||
7/03 土 | 0.0 | |||
7/04 日 | 0.0 | |||
7/05 月 | 0.0 | |||
7/06 火 | 0.0 | 別に1週間くらい遅れてもどうってことない内容なのでかまわないが、ようやくピシッと緊張感が走ってきた…ちょうど2ヶ月後の今頃、というよりそれまでの2ヶ月間、どのように考え過ごすかで「決まる」。 さぁ!あるく、ど〜するよ??さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ… |
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7/07 水 | 0.0 | またまたおやすみ。 |
住基カード受け取り、しゅ〜るシャプー購入、ブックオフで古本170円で売り。 |
五条壬生川でヘンな事故目撃。信号待ちの地点で1台のクルマに2台が追突ってぇ、どういう状況だ?…ホントに京都は事故が多い。といってるじぶんも、今日はあわや接触事故のピンチあり(>_<)★「事故に遭わない」ことがアタリマエのことではなく、むしろ「日常における奇跡・幸運」なのであるということを、このまちではつくづく思い知ることができる。今日のこともそうだが、思えば1年前の夏、千本を自転車でカットバシながらぶだはっ往復をこなしながらヘイキノヘーであったことも、アミダちゃんのお守りがあってのことかと感謝至極。しからば、アミダちゃんは何ゆえこのあるくを危険から守り、「この世にまだまだ生きる」方向でこのいのちを残そうと思し召したのか。この意味づけを真摯に受け止め、決行する最重要ポイントが「今」である。 さぁ!あるく、ど〜するよ??さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ… |
7/08 木 | 0.0 | またまたまたおやすみ。 |
INBUDSに没頭する! |
「INBUDS」とは、「インド学仏教学論文データベース」のことで、過去に発表された関連論文のタイトル検索などができるものである。じぶんが論文を作成しようとするとき参考になったり、先行研究がないか(つまりはパクリ・ダブリにならないか)を調査するにはもってこいのシステムだ。本来ならば、こんな作業はぶだはっのサンサーラ(PCルーム)を利用すればできることなのだが、悲しいかな「卒業生身分」にはPC使用までは許されていない。したがって、あしたのぶだはっ行きにあたって「もれなく」ほしい論文を入手する為には、前日自宅での作業が必須となるのである。…いや、それにしても、これだけ膨大な量の論文データベースの検索、「PC」や「ネット」がない時代にはそれだけで数ヶ月を要する大仕事だったのではあるまいか?…現代のこどもたちが、何でもかんでも「ネットでチョチョイ」と調べて勉強したつもりでいる風潮を好ましく思わない、そういう世代のじぶんも昔の人たちから見れば、PCによる簡便性・利便性には十分恩恵を蒙っているのだ(~o~;)タハハ… |
7/09 金 | 0.0 | またまたまたまたおやすみ。 顔そり、新ショウガ漬け |
「この先数年」の「あるく的方向性」が定まりつつあり、明日からはRUNも再開? |
「福祉ナントカ論」「道徳教育」なんてぇなテキストを詰めたカバンを自分の脇にデデンと置き、その分ゆうにひとり分の座席スペースをぶんどっているアーパ−女子大生。なんとか座席を詰めようとオジサンが女子大生側に近づくと、自分の非に気がつくどころか、オジサンをにらみならがシッシッと手を振るまでの愚行を働くオマエのようなヤツに、教育や福祉の世界で生きる素質はナイ!…市バス206番、二条を越えてなお乗車中であれば、こいつがぶだはっの学生であることは間違いないことだ。ついでに、カバンにチャラチャラつけているアクセサリーの特徴から「所属サークル」までわかってしまったぞ。あぁナサケナイ。 …とまぁそんなことがありつつも到着したぶだはっ図書館では、いくつかの「目当ての論文」の所蔵がなく、急遽「京大図書館」に向かうこととなった。おぉ、さすがは西の雄・京都大学、キャンパスは全体的に東大より軽い(よい意味で)感じだったが、やはり「アカデミア〜ン♪」な雰囲気がプンプンであった。 …どうやらあるくの目指す研究テーマは、ぶだはっ図書館だけでは資料に不足が生じやすい内容らしいことが判明したのだが、それらは逆に、京大・龍谷・大谷・京女と、その気なれば1日で回れる範囲内いずれかでなんとかなるらしいことも判明した。「ここがサガミハラでなくてよかった」「京都に来ていてよかった」…そのことを、今日は学問的な面で実感した。この幸運とチャンスをムダにするなんてもったいな〜い(~o~) |
7/10 土 | 0.0 | 現在の心的・質的状況が「10年前とほぼ同じ」という不思議。 |
「人生のバイオリズム」というのは、ある。…あくまであるくの人生を振り返った上での結論だが。 |
しからば、次のポイントは「48」だ。 いろんな意味で「合致する」要件に思いあたるフシがバリバリあって怖いくらいだ。…「あと4年」という猶予さえも。 |
7/11 日 | 0.0 | 何かコトが起こってから、「反省した」「後悔した」というのは簡単なことだ。しかもそれは多くの人が共有する経緯でもあって、同情も励ましも得られ、時には芸術文化のジャンルにまで昇華されることもある。ある意味幸福な生き方でもあろう。 |
しかしそれらはまた、現状における「怠惰」「看過」「過信」といったものを経由して起こることがほとんどである。…それを知りながら同じことを何度も繰り返すのは「おとなとして/人生として」正解だろうか。 |
ちょっと、大きなことを「決めた」。学問においてもRUNにおいても、それらを含む生活全体においても。 |
7/12 月 | 0.0 | クドクドと、「欲ハナク」をあれこれを並べ立てた詩を書いた宮沢賢治も、最後の最後にサウイフモノニ、ワタシハ「ナリタイ」と「欲望」を明示している誤謬。しかしそれでいいのだ。人間、生きていること自体がそもそも「欲望」の表現なのだから。 |
問題なのは、その「欲望」の質のようなことだろう。 「ただオンナあそびをしまくりたい」「うさ晴らしに酒飲んで騒ぐ」等々の言動言及を「まぁまぁ…」とする輩はゴマンと見てきたが、それは「動物であって人間でない」のである。あるくは、そのくらいの見識は携えたおとなにはなっていると思う。 |
だから、これからあるくは「欲望のカタマリ」と化す!あるくの現状における「これでいい」は、まだまだ余地ある「べきこと」からの逃避であり、妥協であり、コトナカレの要素を多分に包含していることに違いないと結論したからだ。…じぶんにとって最善であり、かつ見極められた最小限度の「欲望」に向かって猛突進じゃぁぁぁぁぁo(~o~)O |
7/13 火 | 0.0 | ようやく関西での「RUN布石」ができたようです。気持ち的に。(~o~) |
明石や須磨が「湘南」、紀伊が「房総」って感じでしょうか。 もう琵琶湖を「海」に見立てるゴマカシはヤメです。琵琶湖は「湖」ですからっ(~o~;) |
「な〜んか妥協しちゃってた旅RUN」からステップアップします。ムフ。かなり計画が具体的になりました。ただし決行は秋以降になるかと思います。 「あるくSKTスクール」も開始。こちらはステップアップどころか第1講で早くもアップアップしてますが、なにがなんでも乗りきりまっせ☆(~o~)【カウント60】 影には英語も中国語も必要性アリアリで控えている…こういうところが、「今まで欲望をテキトウにあしらってきた結果であり、反省点であり、アセリです。 |
7/14 水 | 0.0 | 「梅雨末期」ということばを初めて知りました。たしかに、スゴイフィナーレですねぇ(~o~;) |
こうなったら、梅雨明けまでRUN休延長です。「いたしかたないこと」に心を使うのはムダですから。 |
【カウント59】 昨日、何年かぶりで「ダンベル」を持ち上げる運動をしてみました。おかげさまでなんてぇことなくスイスイいけてホッとしました。 おそらく…ですが、あるくは先天的に「筋力」には恵まれているタイプだと思います。23歳で男子山岳部員と勝負するまでは腕相撲で負けたことはなかったし、中1で背筋力は130超、脊髄の病気でフラフラな時にも握力は40を越え、看護婦さんをビックリさせました。会社で行われた体力測定でも筋力系の項目はすべてトップ、集計の人から「疑義」まがいの確認が入ったほどです。 代々の農耕民遺伝子を受けついだこともさることながら、幼少時からのふとんの上げ下ろし、近所のガキどものイジメから逃すべくターボを担いだり持ち上げたりの日々が「鍛え」となったのでありましょう。 現状、そういった能力が直接に生かされる必要性はまったくありませんが、だからと言って、せっかく持ちえたありがたい能力を「怠惰」の下に退化させるのは「じぶんの等身大の人生」にとって良くないことであるように思います。 ハリツヤが衰え、細くやせていくカラダの年代…たまに、真っ黒に日焼けしてスジスジの年配女性ランナーを見かけると、「あんな感じより、女性らしいやわらかいタルミがあったほうがいいなぁ」とも思ったりするのですが、そういう人の体力・体調は基礎的に低い。それも問題です。(何かあったとき、世間の男性から「いのちを張ってオマエを守る!」と言ってもらえるほどに極的美人なら話は別かもしれませんがっ) 結局、「じぶんにある能力を十分生かし、しかし無理なところは素直に許容する」バランスのよい結果が、そのひとのベストな体型と健康維持につながるのでしょう。ダンベル再開は、ササヤカながらその「能力維持の努力」の一端なのであります。 |
7/15 木 | 0.0 | せみの初鳴きを耳にしました。しかし先日、あるお寺さんの境内ではせみの死骸を見つけました。 |
今年のこの気候の中で、「鳴きたくても鳴けずに死んでいったせみ」たちも、数多くいたのかもしれません。 |
どういう時代や場所に生まれ、どういうタイミングを掴みながら生きるか…一生のうち、どうしようもないところで翻弄されることがあることは、せみもひとも同じです。 あるく自身にも、「こういう時代だから助かった/やってこれた」といえること、「そういう時代なのにどうして?」と思い悩むこと、双方に数々ありました。そうして「ここにいる」という結果を、これからどうしようかというところです。 ひとつだけいえることは、「このままで良いわけがない」…ある条件下での究極の幸福は、別の条件では奈落の不幸にもなる…危機感と緊張感をテコにして、跳ね上がる努力は忘れないようにしたいと思います。【カウント58】 |
7/16 金 | 0.0 | たぶん梅雨明け。ようやくRUN休明けか? |
今年の場合、「せっかく京都にいるんだから」でも「観ておいたほうがいいから」ではなく、「山鉾を見たい・お囃子を聴きたい」という極めて能動的心境で宵山を楽しみにしている♪…「リオのカーニバル」が土地の人にとって重要な働きをしている(という論文を読んだ)のと同様に、祇園祭というのは「京都というまち」に日々暮らす者にとってとても重要な意味と価値を与えているように感じられる。我ながら、ずいぶん「真実の京都観」が確立してきたものだと思う。っていうか、この1年はいかに「京都にまみれて」生活しまくってきたものかと思う。ムフ。 …今年の粽は「芦刈山」がいいかな?とにかく、カワイイのをGETするのだo(~o~)oウッキキー♪ |
久々に出ました!ここまでキョ〜レツなのはこれで3人目です! 「ちまき」についてあ〜だこ〜だグチャグチャと、延々エッラソーにレクチャーたれるオッサンに会いました。 なんでも、ちまきは玄関の中に飾らないと、さらに半紙を巻いて飾らないと、「バチが当たる」んだそうですよ。「そんなことも知らへんと粽の話してはりますのんか?」の口調と態度、ひじょうに楽しませてもらいました。…確かに「本当の扱い方」はそうなのかもしれませんが、そういう真意を前に、排他性や優越感・選民思想みたいなものがバリバリ出てくる京都人の話は聞く耳を失います。「京都」というブランドに威を借りて、自分の性格の悪さ・せまさを露呈しないようにしてほしいものです。実際、まちを歩けば野ざらし雨ざらしの粽はたっくさんありますし、外にあるから「あぁ、この人も祇園祭を楽しんでいる人なんだなぁ」みたいな感慨と連帯感が1年中続く効果もあるんです。あるくはそう思います。祭りを思う気持ちに美しさを感じます。 そもそも、飾り方ひとつでソッコー、バチを当てるだ当てないだと判別されるのだとすれば、カミサマてぇのはなんてセコイやつなんだろうと思います。その点、アミダちゃんは失敗続き、間違いだらけの存在も全部お救い下さるという…なんと大らかなお方でありましょうか。いわゆる「神仏習合」の時期、カミサマが「もう疲れた、やんなった」と言ってホトケサマの傘下になることを自ら希望したというナサケナイ伝説がアチャコチャに残っている「文献的史実」にも、説得力が増すというものです。 【カウント57】 |
7/17 土 | 0.0 | 祇園山鉾巡行見学アナバスポットまで。 |
げに、日中の紫外線の恐ろしさを知る(>_<) |
もともとマックロケ(根性が、ではない、皮膚が。)のしゅ〜る之助が、めがねヒモの跡をクッキリ首につけ、お風呂に入るとイテテテテェ…というほどに京都の夏の紫外線はスゴイ。 あるくは長袖完全防備でよかったなぁ…と思ったのもつかの間、お風呂上りに鏡に映ったセミヌード(上半身)には、シャツならぬその下の下着の線に合わせて日焼け跡が…(゜o゜;)オーマイガァァァー! 昼間RUNには、長袖という形状の他に、色にも気を使わないといけないらしい。白系より黒系のほうが無難という話を聞いたことがあるが、あれは本当のようだ。 |
7/18 日 | 0.0 | あ、「マックロケ」で思い出しましたが、かの「チビクロサンボ」の物語、あれは黒人差別がはなはだしいとかで発禁になっているようですが、あれは本当は黒人の話などではないそうです。もともとはチベット民話。「サンボ」も「サンボォゥ」と、チベット語的発音をします。チベット仏教学の権威がお怒りになっていたことを思い出しました。ついでに、SKT・pari、英語ドイツ語に追われようとしているあるくに、さらに「チベット語」が必須であることも思い出しました。トホホ…(>_<) |
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7/19 月 | 16.0 | 弥勒ちゃんに呼び出されたので広隆寺まで。 |
その前に清涼寺にも寄った。 |
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7/20 火 | 22.0 | 早朝RUN再開。(30・50) |
京都には「個人的サマータイム励行者」がいるのか?この超早い時間帯に町を歩く(フツウのスタイルの)人がかなり増えている。梅雨明け前より確実に多い。 |
連日の大雨から数日経過した今朝にあっても、鴨川はそこここで表情を変えていた。荒神橋付近は中州(っていうか川岸?)が川の半分くらいに増えていたし、今まで絶対なかった!はずの水位計がいきなり立っていたり。 いちばんの変化は散歩道コースが「砂だらけ」になっていたこと。どれだけスゴイ流れだったかよ〜くわかったのでございました。出町の亀石も東岸(高野川側)はいまだ水没状態。靴ビショビショ。 |
7/21 水 | 0.0 | |||
7/22 木 | 0.0 | |||
7/23 金 | 0.0 | ぶだはっ図書館へ |
10年前、どちらかというと「学問よりRUN」に比重があった。その時は「それでよかった、大正解!」であったことで、なんら問題はないのだが、現在のあるくにとってそれは「正しくない」。 |
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7/24 土 | 0.0 | あるく的「三大K様・芸能人編」のひとりである謙サマの映画を見に行く。 |
すっごい流暢な英語をお話になっている謙サマにウットリしたのだが、あれでもネイティブに言わせると「英語がヘタ」なのだそうだ。 |
メンドクセー。こうなったら英語だろうがドイツ語だろうが古代マガダ語だろうが、ジャンジャンバリバリしゃべってやる〜! |
7/25 日 | 9.0 | 「ダイゴ」というと「第五」を一般的には直感する。 |
しかし京都では「醍醐」を想起する人のほうが多い。「京都市ダイゴ図書館」は、「第五図書館」ではなく「醍醐図書館」なのだ。 |
京都市には、「全市民に対して半径○キロ以内に図書館があるようにする」という理想があるそうな。でもって、まぁ〜アチャコチャに小さな図書館。だけどそれだけ蔵書が分散して、利用者の読書環境としてはむしろ不便なことになっているんである。 ネットで取り寄せが出来る時代ではあるが、本には「ふと出かけて、ふと出会う」ような機会も大切。…そこで! この際施設を3つくらいにまとめてしまって、利用者がバスや電車を利用した場合、片道無料チケットを渡すとか、そういう風にしたらどうでしょう?その分、バス運転手のタッカイ給料(市バス運転手の年収は異常だと大評判)を削ればいいんだし、役人は減らせるし、よろしいんじゃないでしょうか? |
7/26 月 | 0.0 | スレスレギリギリにならないと「出来た!」気がするモノができない性質、っていうかクセ、っていうかバイオリズム?…執筆依頼原稿がようやくできた。 |
そんなことより、ちょっとむかつく本を読んでしまってイラッとしている。 |
論文というのは、同様の先行研究がないか精査もせずに「あたかも自分が思いついたこと」のように問題提起をすることを厳しく禁じている。関連研究があった場合には誠実にその旨を付記する態度が最低限のマナーである。…にもかかわらず、そのあたりをあっさり省略して、自分がいきなり霊感的にその啓示を受けたかのような書き出しで論を進める所行を、関係者ならば誰でも知っているような学者がやっていると思われる本に遭遇してしまったのである。それは、京都ではどんなジャンルでもなぜかチョコチョコ顔を出す有名人で、なんとなくウサンクサイ気はしていたのだが…地位と名誉に群がる人々が多くなると、こういうふうになってしまうのだろうか?の典型のような気がする。 フツウならこういうトンデモ本は即放棄するのだが、コトが我が敬愛する教授大先生様のご専門(ついでにあるくも)に関わっているとなると看過は出来ない。ジリジリイライラしながらでも読みきってやる(ーー;)怒! |
7/27 火 | 0.0 | 梅干天日干し(第一便)開始。ザルに移動する作業の為、早起きしたがRUNナシ。 今年は大量生産なので、2回に分けてホスのだ☆ |
都合よく内部事情が生じて、バイト時間がシフトし「2時で退出」のはずが「5時まで」に!(゜o゜;) 夕立がコワイ(オジャンになる)ので、3時休憩30分の間に「取り込み帰宅」。ただし自転車。 |
修論のテーマになりそうなアイデアネタが、いきなりいくつもアタマに浮かび始めた。「ブッダはただのナイスなジイちゃん」を証明するには好都合のポイントだ☆(~v~)ウッシッシ。 しかし勢いに乗り出すと、次から次へと降りそそぐように思いつくのが困ったところで、今度はどれを修論、どれを博論にするかで迷っちゃうぅぅ〜なんである(それ以前に、入試に合格するかどうかが問題であるが★) さらにいけないことには、ちょっと着想が変わった小説のネタまで思いついて、こっちも早く書いてみたい…てな状況。 あるくの脳は、活発に動く分野と休眠する分野のバランスが悪すぎるようだ★(>_<) |
7/28 水 | 1.0 | 電話でゴチャゴチャゆ〜てるより早い!なところにいたはるお客さんとこに、RUNで往復した。たかだか1キロ程度の全力疾走だったが、ひうじょうに爽快かつ充実感をもったのは、これがいつもとは違う「質」であったからだろう。 |
あぁ、働く=「人が動く」とは、なんというすばらしい行為なのであろうか。みなさん、この暑い中をご苦労様です。 この時期、誰しも汗をかけばそれなりの臭気を漂わすことは当然のことであり、人によってはそれが多少キツイ状況になることもある。しかしそれはヒトとして仕方ない生理現象であり、なおかつ「労働」という尊い行為の勲章のようなものである。それを… |
「くっさぁぁ〜い!」「いややぁ、ここまで来てもまだ臭うわぁ〜」 大げさなジェスチャーつきで騒ぎまくるクソガキ…その対象は、仕事を終え帰宅途中に買い物をしていると思しき汗だく作業着のオジサンであった。気の毒なことにオジサンは、抵抗することもなくカタマッテいた。臭うといっても実際は許容範囲内。なんにせよ「感じても」特別な反応をしないことは基本マナーであろう。(そういや、オトナでもそういう人との接触をブログにワザワザ公開するようなヤツもいるようだが)。 しかしそのクソガキのバカ親は、まったくのスットボケ。…コドモだから仕方ない?冗談じゃねぇ!こういうのを見過ごすことが、他の場所でのイジメや差別の意識を許すことに繋がるのだ。親子共々教育の必要アリと感じたからには…だったので、ちょっとシメといた。関西人にとって、ヤクザ系標準語(正確には湘南弁)は想像以上にキクらしい。 |
7/29 木 | 0.0 | 20年ぶりに、「定時制高校の空気」に触れた。この現代社会にあっても「そこに集う」という理由にはピンキリあるだろうがいずれにせよ、『どんな事情があれ、正しい方向でよりよく生きる道』を求めている若者にとっては究極の場所であることには違いない。 15歳のあるくもそうだった。ミッコもナツミもオーキもサトミちゃんもマブチクンも、ソーチョウもみんなそうだった。おそらく再会の機会はないだろうが、あるくは今でも記憶の中で「ウイッス!」というあのポーズで彼らに挨拶している。言い換えれば、「できるじぶん」がいる。 「心棒」につくられたものは、あの頃と何も変わっていない。 |
京都府立朱雀高校。全国定時制通信制野球大会(神宮)の府代表となる。黙っていても新聞が大々的に報道し、それなりの援助もやってくるだろう昼間の名門高校とは違い、彼らは選手自身が箱を抱えてカンパを募る。職場界隈で一件一件、必死にカンパを求めて歩く青年たちの、今の輝きを心から応援したい。そのとき電話中で、彼らの前に出てお金を渡せなかったので、直接届けに職員室に乗り込んだ。 定時制職員室は、学生が遠慮なくタムロするのがフツウの風景。明らかに不器用そうではありながら、それでもヒトミの輝きは美しい…そんな学生を何人も見て、思った。 「そういやあるくも、まだ学生じゃん!」…ガンバロー! |
いわゆる「エリート」をいたずらに批判するつもりはない。資金や環境条件が十分整った中で「限界まで挑戦する」姿や結果というのも、それはそれで人々に新しい可能性を示していく重要なものであると思うからだ。しかし、それらだけが「優秀」であり「勝者」なのであるというならば、それは明らかに間違っている。否、百歩譲って肯定するとしても、それはあくまで「ある限定条件内における相対評価」としての結果でしかないのだ。 …図らずも本日、9時間勤務のバイトを過ごした。その報酬は7200円であり、かつて同時間で2万円の収入になっていた怪舎員時代を思い出した。単純に金額を考えれば3分の1にしかならないチープな仕事だ。しかし、「充実感」という意味においては現在のほうが3倍なんてもんじゃない大きさを感じている。エコにかこつけてエアコン(ガソリン代)にまで細かくけちをつけられても素直に従い、汗まみれで配達営業に明け暮れ、「これ、ヨダレちゃうで!」と笑いながら帰ってくる営業マン。100円10円単位の取引にえらそうに振る舞う生意気なネエチャンや世間知らずのオバチャンパートにもアタマを下げ、ひとつの事業を成立させている仲間のひとりとして働く現在のあるくが見聞しているものは、すなわち「ひとが強く生きる」ことのすばらしさをストレートに教えられることばかりである。出社して新聞を読んだり、所属部署のレベルやコンセプトには程遠いレベルの世相や評論をわがことのように語って過ごすような輩をみるより、今のあるくはよほど重要なものに接し、まみれているかという思いがする。お金が云々はその次の問題だ。 つまるところ真の「勝者」とは、こうした「なんでもないこと」を淡々とこなし続けている人々にこそ相応しい称号なのであり、わたしたちはそうした「なんでもない人々」とのかかわりの中にそれを見つけ出しながら、自分も生かされるように生きることが最も大切なことなのだろうと思う。 「貧しくてよかった」「フツウでなくてよかった」…あるくは今、負け惜しみなく、心からそう思っている。 |
7/30 金 | 0.0 | |||
7/31 土 | 0.0 | |||
走行距離 | 48.0 km |