あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
4/01 水 24.0   新規☆
【京都EMエリア】
しかし、途中ちょっと道を間違えた(~_~;)
うち〜馬町〜お墓階段〜将軍塚〜粟田神社〜蹴上〜《南禅寺〜哲学の道〜銀閣寺》〜大文字山往復〜東大路〜二条…あとはいつもどおり。間違えたのは《 》部分。
距離はたいして変わらないが、RUN後の爽快感が違う!う〜ん、いいコースを設定したもんだ!o(~o~)O
G様(*)の予言通り、ってか天気予報通り、11時頃から雨が降ってきた★(>_<)アチャ〜。しかし、もう復路に入っていたのでそのままRUN続行。こういうとき、道行くひとが投げかけてくる視線の裏にあるのは、
@「物好きなやつ!」という蔑視
A「気合入ってる!」という感動
のいずれかにおおかたが該当すると思うが、どうやら今日のわたしに対するそれは、@Aを飛び越えた「お笑い状態」であったのではないかと思われる(-_-;)…雨で濡れた前髪が、クルリとフック型になってオデコにピッタリはりついて…まるでタムケンか横山ノックか?とゆ〜顔で走っていたんである!気がついたのはうちに着いてから…★(-_-;)トホホ。
(*)G様、とは突如現れた新ネームであるが、別に新しいカレシができたわけでも、K様がもはや"ジイサマ"であるといいたいわけでもない。ここのところ業爆につき、帰宅後気がつけば「グ〜スカピ〜」となっているK様に対し、暫定的別称(愛称)として命名したものである。おそらく今月はG様で過ごすことだろう。Gとは「グ〜」あるいは「ガー」「ゴー」(イビキ音)の頭文字♪(~o~;)
4/02 木 26.8   【京都EMエリア】
うち〜馬町〜お墓階段〜将軍塚〜粟田神社〜蹴上〜ネジリマンボ♪〜ナンチャラ神社〜七福思案処(ナニヲカンガエルノ?)〜大文字山〜銀閣寺〜鴨川〜二条…あとはいつもどおり。
本日はルート修正版!(~o~)
蹴上のトンネルを抜けてすぐからだをねじるように右折しなかったことが昨日の道間違いの原因(~_~;)。ちなみにそのトンネルの名前は「ネジリマンボ」とゆ〜、ヘンな名前である。
CW−Xのロンタイ(*)…残念ながら、わたしには合わないよ〜だ(-_-;)。
ヒザのオサラの部分に当たるべき場所にど〜してもフィットしないんである!機能的にフツウより効果大であるならば、逆効果の場合もまたしかりのはず。わたしの場合、後者に該当するタイプなのかもしれない。本格的に長距離RUNするときは、他のを使おう。
(*)ここでは、「ロングタイツ」の略語として使用したが、かつてロンタイといえば、ツッパリネエちゃんがはいた「ロングタイトスカート」のことであった。おぉなつかしき定時制高校生活(1年だけ)に咲いた青春時代☆(~_~;)
…わたしの場合、ふつうのタイトスカート(ヨーカドー780エン)でも立派にロンタイであった…ビバ!身長153センチ!ヽ(~o~)/
最近の証明写真撮影マシーンは非常に性能がよくなったらしい(~o~)。朝一でまつもと前の機械で撮影したのだが、これがもうなんと、かっわい〜い感じでできあがっちゃって、ムフムフ♪な気分なんである。今日のEMコースの快調さは、このムフムフ♪が多分に影響したと思われる、まったくもって単純な思考回路のつくりをしているじぶんがありがたい!v(~o~)vキャハハ〜♪
ほんとなら、その証明写真を貼り付けた書類をもってぶだはっに行く予定だったが、あいにく今日は事務休止日。しかたないから明日行くのだ…またもや新規コース(NMコース)を開発するのだじょ♪あぁ楽しみだなぁo(~o~)oウキウキ。
ところで…ジャイアントコーンというアイス。これは包装紙に、ここから開いてくださいというベロがあるのだが、あろうことかお買い上げシールをこの開け口をビッチリふさぐように貼り付けられて、店を出てアイスにかぶりつくまでに橋一本分(今出川橋)の時間を要してしまった。もうチョイ、気を遣って商品を扱ってほしいもんである(-_-;)…こういう「不本意な不便さ」を与えられると、普通なら「まったくなぁ…」で済むが、例えばうつ傾向の人なんかだとそんな些細なことを「じぶんを否定された・拒否された」なんて方向に結びつけてしまうものなんであるのよ。だからちょっと気をつけてほしいのねん、ファミリーマート今出川店さん。
4/03 金 28.8   新規☆
【京都NMエリア】
ずずっと鴨川〜山幸橋〜何ゆえか?ヘンな名前の盗人谷〜小峠〜京見峠〜鷹峯〜ぶだはっ〜千本〜うち
相模原なら1週間かかる学生証更新、直接持ち込みだと、その場でチョイチョイつくってハイ、ド〜ゾ!…これぞ地元の利!(つまんないことだが得した気分♪)
クマよけ鈴をガンガン鳴らしながらのキャンパス侵入、みなさま、おさわがせいたしました!(~。~;)ヾテヘッ。
これは「京都たびびと」の時代から折に触れ感じてきたことなのだが、同じ京都市内でも「北地方」には、ひじょうに純朴で親切な人柄の住民が多いようだ。悪く言えば、田舎独特の、「よそもの」に対して神経質であり、おせっかいであるとゆ〜見方もできなくはないが、実際そのおかげで道に迷ったりしないで済むのだからありがたいことだ。
ところが、いわゆる洛中(都市部?)と呼ばれる地域に入ると、これと同じような資質がどことなく違う雰囲気で現出していると思われるのである。"その場所"を知らない者に対して、「うちはこのあたりに住んでいますさかいに、なんでもよう知ってるんですわ、よそさんとは違います。」ってな感じ。…詳細はいずれブログにしたいが、これをわたしは【京都コンプレックス】と命名し、ずいぶん前から追究している。自身に関わる「まち」が、有名で、スケールがでかすぎる故に、自己存在とのギャップを埋めるべくしておこる無意識の葛藤とも言うべきか。ちょうど、偉大な父親を持ったこどもが感じる焦燥感やアイデンティテイ確立の難しさを抱えるのに等しいようなところだろうか。
京都に生まれ育ちながら、些細なまちの行事や風景をブログなどに描写し公表し続ける多くの「京都人」の存在を観察したことからも感じることである。他の土地に住んでいる人に、ここまで「おらがまち」を取材し公開する人間はそうそういないだろうことと比較しても、それは明白なことであろう。京都は確かに素晴らしい観光文化都市である。しかし、誇りと自信をもつ方向性を間違うと、いつまでも未成熟な京都人のまま…つまりは、「人間そのもの」についての価値が下がってしまうことに注意したいところである。
4/04 土 24.8   【京都EMエリア】
うち〜馬町〜お墓階段〜将軍塚〜粟田神社〜蹴上〜ネジリマンボ♪〜再び将軍塚〜知恩院さん〜鴨川…あとは京都ゴールデンハーフ
よほどのマニアでない限り、地元民でなければここまで入り込まないだろう…というエリアをコースにとると、観光シーズンもなんも関係ナイ!…なRUNが楽しめて最高♪なんである!o(~o~)Oウッキキ〜♪
将軍塚を越えたあたりから何回も現れる「知恩院」方向を示す標識に、初日から興味を惹かれていた…本日やや雨模様、山への深入りはよろしくないこんな日こそチャンス!と判断し、大文字行きをやめて再び将軍塚に戻り、知恩院さんへ下るルートを探索したんである!ヽ(~o~)/
そこは、知恩院さんの、あのデッカイ鐘にたどりつく、まことに楽しい道でございました。途中「ホタルなんとか」っていう石碑を新発見したりで…う〜ん、【京都EM】、なかなか奥が深いぞ!
…とゆ〜ことで、昨日まで【コース】と表記したところを改め、【エリア】とした。この範囲の中で取れるコースは数多くあるようなので、状況に応じていろんなルートを探りながらモリモリ楽しんでいきましょ〜♪o(~o~)Oオ〜ッ!
4/05 日 18.3   【平地コース(~_~;)】
京都新名所【堀川】の水源探し…今出川と北大路の間にあるというウワサを追ったが、視覚的に実証できなかった(~_~;)
…しかし、もし鴨川が水源であるとしたら、いずれ「鴨川のカモ」が堀川に迷いこんでしまうのでは?…と余計な心配。
どこもかしこも、桜狩り(そういえば、もみじは"狩る"のに、桜についてはそうは言わないのは何故だろう?)の人々が、どこから来るのかワンサカワンサカ。…咲いているところは咲いているよ〜だが、鴨川の超有名スポット(TVCMにもなったナカラギの道)の桜はまだまだ…でござんす。
それにしても桜など、この季節になればどこにも咲いている花なのに、誰も彼もが「○○の桜!」をめがけてわざわざ集うってのは、毎年おもしろい風景であることよ…とつくづく思う。なんとなく、であるが、「山のあなたの空遠く…」的な、人間の悩ましい一端を垣間見るような思いがするのである。
4/06 月 26.8   【京都EMエリア】
2日ルートの逆走。京都では、このルートを辿る「東山マウンテンマラニック」ちゅ〜イベントがあるらしいが、ここまで日常的に利用できれば、わざわざ参加料払ってゼッケンつけなくても、ひとりRUNでじゅうぶん楽しい♪
(RUNスタイルは完全に"あるくだっしゅモード"が復活したようだ。ヨシヨシv(~o~)v)
あっちでギャ〜、こっちでギャ〜…キミ達、生まれて初めて桜を見たんかい!ってゆ〜バカ騒ぎのおばちゃんたちがおもしろい。「感動」とか「喜び」とゆ〜ものを必要以上に他者に表現しようとする行為がいかにみっともないものであるかがよ〜くわかる。
同じ状況を与えられても、「誰か」がいないときに同じ言動が取れるか?を考えればわかることである。わたしについていえば、ひとりでも「おぉぉ〜スッゲぇ〜!」と声が出た瞬間は、人生42年半の過去に4回ほどしかない。
(知恩院さんの門、大山山頂からの「神奈川南部眺望図」、富士山八合目からの眺望、湘南の海)
いわゆる「識者」「エリート」「事情通」等々と呼ばれ、理屈をダラダラ述べているニンゲンというものを深く観察してみると、実は「そんなこと誰かが言ってたじゃん!」とゆ〜ようなことが多少アレンジされた見解であったり評論であったりするに過ぎないことが多い(富永仲基『加上説』、京極夏彦も言ってたぞ、参照)。現代における「頭がいい」とは、単なる「情報把握量の多さ」であり、それがたまたま即物的な利益(お金・名声)に結びついている人間が「成功者」と言われているだけのことだ。世間を概観的・客観的(あるいは一極集中的)に眺める余裕と豊かさのあった者の勝利、という構図なのである。しかしこんな奴に限って、真にじぶん自身に関する深刻で複雑な問いを与えられると何もできない(逃げる・正反対の行動を取る)ことが多いものだ。かわいそうに(-_-;)。
また、このような「概念リード」に翻弄されて、自身を「かくあるべし」に向かわせようと努力することが人生の成功であるとか幸福であるとか考えがちな人も気の毒なことである。「誰か/何か」の模倣・追従であるにも関わらず、それを「個性」「自由」と言って憚らない矛盾に気がつかないことにこそ、苦悩の根源があるのにね。かわいそうに。(-_-;)
…と、ここには、ソクラテスとカントちゃんの哲学、ならびに福沢諭吉の矛盾のエッセンスが含まれています。
「デカルトいわく」「カントいわく」で終わることなく、じぶん語に翻訳する「哲学の作業」とは、こんな感じです。…本日、「京都WMコース」を開拓しようとした思いを踏みとどまらせるほどにこの作業は時間がかかる…コマッタモンダ(-_-;)
4/07 火 25.5   【京都EMエリア】
うち〜馬町〜お墓階段〜なぜか霊山護国の有刺鉄線地帯〜仕方ないから円山公園・知恩院さん〜蹴上〜大文字山〜将軍塚〜またまた知恩院さん〜仁王門通〜鴨川ウロウロ〜五条〜うち
「ゼノンのパラドックス(アキレスと亀)」なんてことをウダウダ考えていたらいつの間にか道を外したらしい(>_<)…まぁRUNコースを外したくらいだからいいようなものの、ギリシア哲学とゆ〜ものはおかしな関わり方をすると一般的な人間生活からもハズレる危険があると感じている今日この頃。じゅうぶん気をつけよう(-_-;)
「マイナスイオン」だの「フィトンチッド」だのさかんに言われ、電気製品販売のキャッチコピーにもさんざん使われたのも今は昔、現在では(特に前者は)、実際にその科学的実証は得られない、いわば「なんちゃって効果」な向きが強くなった。この時、人々が注目したのは「森林浴」であり、この時期をきっかけに「登山」を趣味に持った人も多いことだろう。それ自体は良い影響が残ったことであったと一応は言える(マナー知らずの無謀者が増加したともいえるが)。
「マイナスイオン」がどうこうはさておき、「山の中に入って動き回る行為」による肉体的・精神的効果というのは、まちなかで運動するより以上のものがあるのは事実だと思われる。それは難しい用語や神秘性を用いずとも、実体感的に得られる現象からじゅうぶんわかることである。
@まず、間違いなく空気はきれいだ。
A凸凹の路面移動には、一歩一歩に注意力・集中力・緊張感・判断力を要する。そしてそれはとりもなおさず「いのちの安全」に直接関わる深さがある。日常はここまで使わないという「人間的生命力」が強化されていることであろう。
B凸凹の路面移動では、エステに行けば1回数千円はかかる「足裏刺激・マッサージ効果」がタダで得られる。
C起伏の中を移動することで、明らかに日常生活(あるいは平坦RUN)に使用する以外の筋肉部位を刺激している。
D心拍・血行には、平坦な道をRUNする以上の負荷が確実にかかっており、逆に言えばこれが「鍛え」となる。
Eかく汗の質が違う(ように思う)。皮膚から出るのではなく、骨の髄から出てくるような代謝を実感する(ちなみにわたしの場合、過激にしょっぱい)。
距離的には高尾陣馬往復にほぼ同じ、当時はこれを週イチペースでやっていたわけだが、こちらでは電車もバスも使わず数キロで山道に入り込め、なおかつ標高は奥多摩丹沢の1/3程度であることを感覚的に換算すると、毎日行って「以前とトントン」くらいの負荷になるだろうと思われる。京都の山には「変質者」が多いし、気ィつけなアカンで、と近所の皆様(4名中4名という確率で)には非常にご心配いただくのだが、とりあえずこの7日間は被害なく無事すごしておりまっする(~o~)。シカシ、ソンナニヤバイジケンガオオイノダロ〜カ?チト、コワイ。
→【対策?】こちらのほうが、「変質者以上の変質者」の風体でRUNすればいいかも?電飾人間・鈴だらけ人間・歌いまくるランナー・読経ランナー等々アイデアはたくさんあるぞ!(~_~;)
4/08 水 27.8   なぜか
【京都EMエリア】(~_~;)
今日は【EM】はごく一部にて、あとは南方にコースを取るつもりが…またまた出ました!特技「迷い道クネクネ」★
うち〜馬町〜《東山ドライブウエイぐるりん〜なぜか蹴上〜仕方ないから日向神社〜大文字山〜銀閣寺〜鴨川〜知恩院さん〜再び山に入り将軍塚〜五条》〜うち。
間違ったのは《 》部分…って、全部じゃん!o(>_<)O"ク〜ッ!
どうやら東山市営斎場に向かう道に行かなければならなかったらしいところを、クイッと曲がってしまったらこうなった…このポイントは「ネジリマンボ♪」してはいけなかったらしい…(-_-;)
しかしこのポカポカ陽気、南方には極私的にひじょうに不愉快なサルやキツネが出没している可能性はあったわけで、そのあたりを察知した知恩院のホ〜ネンちゃんに、「今日はそっちへいかへんと、いつも通りうっとこお参りに来よし!」と思し召しいただいたのかもしれない。アリガタヤ。
今出川の地図のお店で、「京都トレイル地図」新版を発見&GET(衝動買い)できたりしたし、ヨカッタヨカッタ!
…と、きわめて前向き思考にて収めてみましたv(~o~;)v
「さてどっちの道でしょ?」となったとき、やっぱ「市営斎場」なんて方向表示のほうには足は進まないものである…てな一般的な心情そのままに足を運んだのが本日の間違いのモト。ところで、「京都市営斎場」ってところは、市内在住者でも15000円の利用料がかかるらしい(12000円だったのに今月から値上げ)!
今回お世話になった相模原近辺の同施設がタダであることから考えると、市民サービスにもずいぶんな差があることがわかる。
「よそから来た人に親切に」…とは市民憲章にまでなっていて、観光サービスにはあってもなくてもいいような割引サービスがあちこちで大展開しているが、"ここで暮らしている"地元住民には案外やさしくないんだなぁ。…ってか、京都って意外とビンボ〜?(~_~;)
おそらく、またもやみっともない姿を世界にさらす結果に終わるだけだろうが、今一度「神社仏閣参拝料」に課税する議論を復活させ、検討してみてはどうか?…なんて気がするんである。意外なことであるがこの議論は、仏教界内部に直接的に位置する人々の中にも、「課税制度導入賛成」の立場を取る人が多い問題なのだ。
4/09 木 24.8   【京都EMエリア】
うち〜馬町〜お墓階段〜将軍塚〜粟田神社〜蹴上〜ネジリマンボ♪〜再び将軍塚〜新コースにて知恩院さん(結局デッカイ鐘に着いた)〜鴨川…あとは京都ゴールデンハーフ
今日は午前中「事務作業」。久々のエクセル操作に熱くなる!香典返しのリストアップにグラフもマクロも必要ないのに、余計なあそびをしてしまった…(~_~;)
かつて、「エクセル女王」の異名を誇った栄光なんぞ、この変化激しきIT時代には、もはや何の勲章にもならんのであろうな…まぁ、そんなものを本格的に使わなければならない仕事にはもう就かないだろうからいいけどネ(*^^)v
RUNのお供「雲中くん」に、しばしMP3を使っていたが、最近ラジオに切り替えている。もはや若い歌手やタレントなど、どれもこれも同じような顔に見えてしまう「違いのわからない年代」であるが、たまには芸能の最新情報に触れることも必要だ…(~_~;)
以前は、NACK5やJ−WAVEがお気に入りの局だったが、京都にきてからは専ら「FM802」を楽しんでいる。「最新情報を」といいながら、耳に残るのはやや古いミスチルだったりする。この桜井というひとの詞は、『仏教の根本思想』を現代的に翻訳し、かつじぶんのことばにしてトツトツと語るようなものが実に多く、以前から感心し注目しているひとりだ。本人がそれと意識せず、自身を生きた中で獲得してきたことばたちだとしたら、これは本当にすごいことだと思う。「現代に生きるブッダ」ともいうべきひとというのは、こんな感じでさりげなく、たまにいるものだ。袈裟を着たり、小難しい用語を追いかけて異次元風味を気取るだけの輩より、ナンボかまともである。
もう少し深いところで更に言えば、古代西洋哲学や、小乗仏教と分類される部派仏教諸学派の追求した理論とゆ〜のは現在、物理学や数学などに置き換えられて解釈を試みようとする研究が起こっている。科学的に、現代的に、証明のつく理論への翻訳である。それによって、哲学理論の限界すら指摘する学者も現れているほどだ。つまり、『生きる』ことに関する答えは、宗教的分野の専売特許ではない、閉鎖的な宗教理論だけでは解決しないということが露呈してきたわけである。…素粒子だの流体力学だの位相学だのとんでもない学問と哲学の交流現象は、ひじょうに喜ばしい現象ではあるが、これに関わって論文を書かねばならないわたしとしてはひじょぉぉぉ〜にツライ。「RUNを通じて得たみゆき流哲学論」でも新規に立ち上げてしまおうか。
4/10 金 48.0   【京都NM−Wエリア】
+【京都WMエリアちょっと】
京都産銘木・北山杉のお勉強つき!(~o~)
んも〜っ!絶好調なおもしろさ☆
で、ございましたのよ♪おっほほ〜ヽ(~o~)/
うち〜ぶだはっ(事務手続き)〜鷹峯(源光庵脳内参拝)〜古道長坂道〜京見峠(現在は名前だけ?どこに京の町が見えてるんかな?)〜前坂〜杉坂道風町〜杉坂口〜北山杉資料館でお勉強とショボイ体験実習(イチリンザシ)(~_~;)〜162号〜《トンネルを迂回して中川(ここが北山杉に関わる人々の集落)〜162号を南下するつもりが途中で菩提道(東海自然遊歩道)〜菩提の滝(北山杉に深い関連アリ!)》〜沢ノ池(密かにながら頻繁に利用される京都ドラマ撮影ポイント)〜ほとぐり峠〜福ヶ谷林道〜高雄西明寺・神護寺〜清滝川沿い渓流RUN♪〜そのまま【京都WM】へ突入〜落合〜六丁峠〜鳥居本〜わたくし一押しのおみやげ街道〜田村高廣サマに門前でお参り(二尊院)〜嵯峨清涼寺でホ〜ネンちゃんにごあいさつをば〜あとは新丸太町通りダラダラ〜千本〜うち
★それにしても、花園近くの双ヶ丘の歩道橋はいつまでたってもキタナイ。ってぇか、サビだらけでマジヤバイって感じだ。いつ架け替えるのだろ〜か。堀川整備も鴨川整備もいいけど、こういうところもちゃんとしないとね、門川さん!d(~o~)タノムヨ〜!
気まぐれ判断とはいえ、行ってよかった!と思うのは《 》部分。北山杉攻略パーフェクトコースなのであったのだ!フフフ…。
【本日のブッタマギョ〜テンネタNO.1】京都と周辺のまち・集落と結ぶ歴史ある生活道路というのがたくさんある。遠くは福井小浜と出町柳を結ぶ鯖街道、大原女が薪売りに往復した大原街道とか。今回RUNしたところも、北山杉を頭に乗せて、女が町にやってきた街道を含んでいる…本日のビックリはまさにその道に関すること。どう少なめに見積っても往復30キロはある山道(北山中川〜二条)を、なんと1日に3回も往復するツワモノが存在したそうだ!(゜o゜;)ヒョエ〜!
まるで毎日がウルトラ大会!「生きるため」に生きた人々の驚異的な力に、改めて感動したんであった(T_T)
4/11 土 15.6   梅小路公園で汽車のお勉強(お子様向け体験乗車つき)
知恩院さんなどなど
ツタヤで百恵ちゃんシリーズの『古都』をレンタル。
本来まったく興味のない川端康成作品であるが、ぶだはっの文学課題(4年前)と、北山杉のおかげで、これで2本の鑑賞をしたことになる。共に「京都つながり」のきっかけ。アリガタヤ。
昨日、中川ポイントでこのまま162南下か遊歩道かを選ぶのにしばし静止したときに…やられた!恐怖の虫さされ★(>_<)…体質的に、非常に被害甚大ゆえかなり神経質になっているのだが、まさか4月中旬の季節に襲われるとは不覚だった(まだそんな季節ではないだろうと、虫除けスプレーせず)。
ウデとくるぶし、ブクブク腫れならびにリンパまで腫れる始末である。長袖&長めの靴下にて、完全防備体制を整える時期が早くもやってきたよ〜だ。シカシ、カユイカユイ★(>_<)
4/12 日 17.6   桂川沿い。道元ちゃんの生まれた場所(久我・誕生寺)まで。
正直なところ、桂川はあんまりスキではない…のだが、それは五条あたりから嵐山に向かうほうのことで、久世橋から南のほうは明るい風景が広がる、「キョウトキョウトしていない感じ」でいいかも!と再認識したのであった。これをググッと南にいけば、奈良にも行けるらしい…なかなか、使えるかもかも!である(~o~)。
鳥羽のあたりで、花の苗を売っているお店(問屋?)発見。ペチュニアの苗がなんと1ポット75円(゜o゜)!例年、サフィニアをいくつも栽培するのであるが、今年はペチュニアもやってみよう!と、3ポット購入。
4/13 月 26.8   【京都EMエリア】
コースは2日に同じ。
ほんとは、比叡山までブッチギリ!したい気がしたが…
@京都に夏がやってきた!な蒸し暑さ
Aお葬式係事務作業処理
Bお掃除作業
C学問しろよ!というタマシイの叫び
等々によって、軽めに抑えといた(~o~)
【本日の隠れテーマ:頑張れリンパ戦争!】
2日前の虫さされによる、右ウデ脇と右足モモ付け根のリンパのグリグリが、猛然とパワーアップしている(T_T)
これを治すには、運動か安静か?…迷うところであったが、原因が明確(病気とかではない)なので、これは多少運動して血行促進したほうがえ〜んではないかい?と、ちょこっと出かけたわけだ。
…現在のわたしは、体に何か異常が起こっても、こんな風にリンパが腫れて、毒がグルグル体中を回らないようにする機能がしっかり働いてくれている。「気をつけなさいよ、でも、まだまだ生きていなさいよ!」という肉体からの励ましメッセージを受け取っているようで、本当にありがたいことである。
ずっと前、親知らずを抜いて縫った跡が、医者にビックリされるほど超回復を遂げたときにも感じたことだ。
わたしの肉体は、まだまだ「普通ないしはそれ以上に、何かができる・やるべき」可能性を与え続けてくれているのだと思う。…なにができるか?じぶん自身でも楽しみだ。
4/14 火 20.0   久々の京都ゴールデンコース
雨のやみ間に出発したが甘かった(>_<)…知恩院さんを出たら、降ってる降ってる★
でも、ちょっとばかりホ〜ネンちゃんとお話したかったのねんねん♪
ひとは死んで49日が経つと、いよいよあの世へ旅立つという…わたしは、そんなこと、いつ誰がンナコト決めたんじゃい!誰も彼もピッタリ49日なのかい!という程度の感覚しか持っていないし、現実的証明ができない「あの世」の実在に関しても懐疑的立場である。
しかし!…しかしである。もし仮に、そういうものがあったとすれば、ターボの場合それは今朝ではなかったか?と思われるような夢を見た。
…学校の遠足に出かけるターボが若いオンナ先生に、「アンタはヘンな子だからお弁当は持っていっちゃダメ」と言われたらしい。それを知ったわたしは、その先生に向かって「てめぇ!おかしなコだからって食べるのがダメってぇのはねぇーだろうがっ!」(当時はこのような問題に常にこのようなヤクザ態度で戦っていたものだ)と攻撃しまくった。そのやりとりに割って入ってきた石野先生が、「弁当くらい、もっていかなきゃダメらこって!何言ってるんらて!」と加勢してくれたことが効を奏し、ターボは無事お弁当を持ち、ニコニコ笑って遠足に出かけていったのである。お弁当と引き換えになにやら小さい白い玉を渡されたのがなんとも印象的な「謎」なのであるが…
ここには、死ぬ直前の数日間、水を飲むことも禁じられていたらしいことを哀れに思うこと、また、あらゆる彼へのイジメに対して猛然と闘い続けた「たくましいおねえちゃん」たる、わたし自身の過去の事実と、そしてターボが「どこかへ出かけていった」という、こじつけようと思えばまったくもって矛盾のない理解ができる事実がストーリーに象徴されていたのである。
偶然にも、その夢を見てふと目覚めたのは、本日早朝6時前。ピッタリ「月命日・時間」であった(-_-)。
「この世とあの世」というものが本当にあるならば、ターボの出発は早めに繰り上げられた今日であるのか…とすれば、行く先は「極楽浄土」であろ〜な…てなことを考えたら、これはよくよくホ〜ネンちゃんやアミダちゃんに歓迎していただかなければなるまいて…と、多少の雨はこの際、とばかりに知恩院さんにでかけたのであった。
…と、今朝あっちへ行ったんだなぁ、と勝手に決め付けているが、案外49日の当日にも、「みぃちゃん、またお弁当作ってよ!」なんてヘラヘラ舞い戻ってきたりして(~o~;)。まぁいいや、何度でも作ってやるからちょくちょく来なさい!
4/15 水 20.0   またもや京都ゴールデンコース。
別に、虫に刺されて山RUNに挫折したわけではない!
昨日あれだけ降れば、路面がどのくらいになってるかくらい想像できるくらいはカシコイし、学問はあるし!なのである★(-_-)
いやまいった…昨日「ターボは今朝出発した」てなことが、マジかもしれない?と思うようなことがあった(゜o゜;)
日ごろまともに訪問もしてこない朝日生命からデンワが入り、親にかけている生命保険の受取人がターボになっているが、契約者本人(わたし)に変えたほうがいいんではないか?…というアドバイスが入ったのだ。
むろん相手は、そういうふうにしないといざというとき「贈与税がかかるのでソンですよ」という現実的な根拠をもって連絡をしてきただけなのだが、ちょっと驚いているんである。実は長いことかけていたこの保険、受取人がターボになっていたことなどすっかり認識外のことになっていた。きちんと対処しなければならないことが抜け落ちていたわけである。あたかもそれを「ボクはもういないんだからちゃんとしないさいよ」と知らせるかのようなビンゴなタイミング…偶然といえば偶然。しかし、不思議といえば不思議。ついでに、「本棚に、宝くじをかくしておいたんだ!」てなメッセージがくるといいんだけど〜!(~o~;)ナンチャッテ!
4/16 木 20.0   またまたまたもや、京都ゴールデンコース(-_-;)
日本文化は「アレンジの文化」と言われるが、日本仏教もまたしかり…グチャゴチャゴチャ、あっちもこっちもかかわりまくってできている。これを的確に拾ってまとめ上げることのメンドクササよ…それがどの程度であるかは、本日のコースと距離に反映されている(-_-;)
ここのところ、あっちゃこっちゃでユーミンが出まくり語りまくり歌いまくり…であるが、なにか異変が起こったのか(-_-;)?取立てファンでもないが、世代的に「覚えようとしなくても覚えられたうた」がたくさんあって、なかなか楽しい。しかし…ユーミンファンに殴られそうなことをあえて言うが、割と冷静なリスナーからは、「彼女は自分で歌わない方がいい歌手である」とかなんとか言われている傾向が強いひとである。わたしは「別にどっちでもいいんじゃない派」だが、これはコトナカレ主義でも平和主義だからでもない。
その証拠にひとつ主張をしよう!…今年の葵祭の斎王代、ありゃなんだ!いくら白塗りで正体不明になるからと言っても、あれこそ「あなたは出ないほうがいいんじゃない?」の典型じゃないかっ?祇園祭のお稚児さん同様、何よりもまず「お家柄・格式・財力」が最優先のチョイスであることが明々白々な例年の選出。実質上ただ車に乗って見世物になるだけの存在としては、関係のない条件が最優先しているってところが、「京都どす」のイヤな部分を象徴しているようで、なんかヤダ。
4/17 金 28.0   日本仏教史ツアー京都コース(1)
鴨川〜上賀茂神社〜下鴨神社〜知恩院さん〜お東さん〜東寺〜うち
ち〜とばかり、空海ちゃんと天台ちゃんにクレームを入れたい気分になり…比叡山は後日としてとりあえず東寺に…てなことで、こんなコースと相成りました(~_~;)
わたしは肉の脂身とゆ〜のがダイキライだ。よってスーパーで肉を買うにも、この脂のレイアウトが選択のポイントになる。
だからこそ見つけてしまった不思議現象…違う産地・違う単価の表示がある製品なのに、まったく同じ模様をした切り身があるのはナゼ?ナゼ?ナゼ?…忙しいのでとりあえず今日はこの辺で収めておこう(ー_ー)!!
日本仏教史上、有名なお坊さんとゆ〜ものについて、文献を紐解いて見えてくるその人となり(生い立ちや人柄)には、それぞれに魅力があってスキなのだが、宗祖として教義・儀式的な次元にまでいたってくると、ちょっとした「お好みランキング」ができてしまうのである。
わたしの場合(本日現在)、泣き虫道元ちゃん→ジリジリ明恵ちゃん→pop空也ちゃん・一遍ちゃん・ナリアガリ行基ちゃん→鎌倉戦士ニチレンジャー→ホ〜ネンちゃん→鎌倉赤十字エイソン・ニンショー→大ボステンダイちゃん・オマジナイ空海ちゃん→エロエロ坊主親鸞…ってところか。
こんな風に並べてみると、それがいかにじぶんの性格や考え方を反映したものであるかとゆ〜ことがよくわかったりする。なかなか楽しい自己分析ゲームになるもんだ。
「日本仏教はもはや仏教ではない」と断じるひとがいる。これはかなり極論であると思うが、そういわれても仕方ない側面があるのは確かである。あくまでブッダの説いた教えを基本にすると、「これは仏教文化である」という感がないでもないがその分、選択肢とゆ〜か、自分の適性に合った仏教信仰方法を選べるという見方もできる。アリガタヤ(-_-。)
少なくともこのような恵まれた信仰風土の日本にあって、「この水を飲めば…」とか「この壷を買えば…」てなところにすがるなんてのはあまりにもったいないことだと思う。しかし(中間の理屈は省略するが)、このようなエセ宗教がはびこる素因とゆ〜ものを残したのは、これまた日本仏教であるとの見解をわたしは持っている。「功罪」というのは、どのような物事にも存在するようである(-_-;)。
4/18 土 15.8   清明神社、北野天満宮
きわめて本能的に、かつ、クールにいえば、「親」なんてのは自分の性的欲望達成の成果獲得の姿・立場である。
…てなことをこどもに言わせるような不幸な存在にはならないでください。世の中には、親子を語る美しいことばがたくさんあります。少なくともその世界の中で、喜怒哀楽を過ごせる存在であってほしいと切に願うものであります。byみゆき。for全国のお父さんお母さんへ。
不幸にしてこどもが先立った場合、かつそれが独身であった場合、その財産(貯金とか退職金とか)を委譲される権利は父母に発生する。何らかの事情で父母のいずれかと生別していても、どちらか一方がその権利を受け取ろうとするときには、他方の「委任状(財産放棄みたいな念書)」が必要になるらしい。
借金しまくりでサラ金に脅されるとひとりトンズラこき、酒飲んで包丁もって大暴れ、離婚となりゃ親権をアッサリ放棄して以降28年、まったく音沙汰ナシの男でも、こういうときは「父親」扱いとなる。いくらでもない金額の相続の委任状のために、今更追っかけ調査して接近を試み、関わりをもつなんざマッピラゴメンである。今回の件は別の手続きでなんとか進めるとして、わたしのことに関してはこういう部分をシッカリ遺言しておかねばなるまい!
「離れていても親子は親子」のような美談が世間の常識として浸透しているが、これもある種の「平和ボケ」のひとつであろう。現実にはそんなこたぁキレイゴトに過ぎないという経緯や感情を抱えている人間はたくさんいる。
4/19 日 0.0   試験(-_-;)
別名、制限時間内でどれだけ答案用紙を埋められるかの「文字書きレース」。物理的にはOKだったが、内容的な完成度はきわめて低い(-_-;)
しかし、となりの人は問題冊子を開けたとたん彫刻のようになり、以降30分そのままで退出した…それに比べれば…てなことを考えたりもするが、そんな比較は実際慰めにならん!
なまじ、書くことは書いてしまったので、なんとか合格してしまうかもしれないが、なんだか不完全燃焼なのである。試験終了後、千本北大路ローソンですぐヤケビールをかっくらってしまい、本日RUNナシ(-_-;)
4/20 月 37.6   【京都EMエリア】ならびに上醍醐寺。
調子に乗って奈良まで?と思ったが、学問あるし!…メリハリメリハリ!(~o~)
道中、近鉄伏見・京阪墨染・JR藤野…至極交通便利な界隈をウロウロした。これだけ電車に乗り放題の地域なのに、不動産の賃貸情報をみると家賃がスッゲ〜安い!(゜o゜)
神奈川で言えば、横浜と相模原に住むくらいの差が、これだけ狭い範囲で展開しているのがおもしろい。
うち〜馬町〜市営斎場に向かう道〜住宅街グルグル(つまり、迷った(~_~;)★)〜剣神社〜タカビィ泉涌寺〜伏見稲荷大社(【京都EMエリア】ここまで)〜勧修寺〜小野御霊町〜上醍醐寺〜藤森神社〜墨染〜伏見〜国道24号(奈良街道)〜京都駅(本屋寄り道)〜お東さん〜うち
伏見の赤い鳥居がズラズラ並ぶ境内が、トレイルコースになっている…こ〜いうところは、その鳥居を寄進した人名とか会社名を眺めるのがなかなかおもしろいものだ。さすがは有名な神社だけあって、全国あちこちから奉納しまくられている…横浜の、有明のハーバー♪の会社まであったぞ(゜o゜)ヒョエ〜。
なにやらエッラソ〜な態度で歩いているカンヌシみたいのに数人遭遇した。装束脱げばただのニイチャン、はっきり言ってキミらより「神に近づいている」真剣な参拝者はゴロゴロいたぞ!オゴルコトナカレ。
そもそも、神社が現代にあってもエッラソ〜に威厳を保っていられるのは「誰のおかげなのか」とゆ〜ことを、しっかりと学習したほうがいい。まぁ、それは仏教のお寺にもいえることなんざんすが…(~o~;)
4/21 火 24.8   【京都EMエリア】
コースは4日に同じ。
午後から雨という予報であったが、G様は午後と言っても10時ごろから降り出すぞ!とのご宣託。…しかしG様予報はほとんどハズレるのでアテにしなかった…案の上、ビンゴ♪(~_~;)
RUNには極力、起伏コースを含めるという暗黙の私的鉄則は、今日も守られたのである(*^^)v
「こんなところを毎日ジョギングできるなんてウラヤマシイですね〜。」と、観光客から声をかけられた…はい、京都たびびとの頃には、確かにワタクシもそのように感じておりましたです。
んがっ!それはあなた方にとって「たまに」の存在が過大評価されているに過ぎないのであって、それが日常アタリマエとなると、それほどうらやましがられるほどのことでもないザンスよ(~_~;)
「セルフハンディキャッピング」は、人間の一生にわたって関わり続ける自己防衛機制の一種と見るべきか、または、それが未成熟な時期に展開されているものであるとみるべきか。
わたしには、後者の傾向が強いように思えてならないのだが、いずれにしてもこの行為は、「他者からの評価」というもの、ひいては自己評価の一定の位置づけを守りつなぐためのものであって、「あるがまま」「諦観」の生き方を説く仏陀の思想からみると、実に無駄な心の作業であるといえそうである。
これは、今日たまたま心理学関連の文献を読んでいてぶつかったキーワードから考察してみたことである。心理学とゆ〜のは、「人間なんてしょせんそんなものなのよ、しょ〜がないじゃん!」という人間の現実のあれこれを、小難しい用語に翻訳して並べ立て、納得させている学問のような気がする。人間として生きる自分の現実を知るためには有効だが、だからこそ起こってしまう問題についてどうしようか、という範疇には回答が及んでいない。ここに限界がある。実はワタクシ、こどものころ「学校のセンセイ」の次に夢見た将来の仕事は「心理学者系」であったのだが、今にして思えば、まだ青二才のうちにそんな専門性を修得して、社会に対してアグラをかくような人間にならなくてよかった。…と、いうことで、さてどうするか!(~_~;)
4/22 水 24.8   【京都EMエリア】
コースは昨日に同じ。
行きたいコースは山ほど山にあるが、学問&家事との兼ね合いを考えるとこの距離(時間)が限界(>_<)…ってか、G様によればこれでも走りすぎ!との由(~_~;)
42歳女子と言われて普通に想定される生活とゆ〜ものからは、程遠い日々を送っている。一番大きな違いは「こどもがいない」とゆ〜点にあるだろう。そこに拘束される要素が存在しない分、好きなようにRUNして、勉強して…という自由がある。同世代にはウラヤマシイかもしれない身分だ。
しかしその分、わたしには年老いてからのリスクがある。いわば今のこの時期の自由は、子や孫から受けるはずの楽しみの、形を変えた前倒しであり、また、だからこその代替手段の構築期間でもある。
人生、良いも悪いも半分半分、人によって出方が違うだけっス。
「知恩院の七不思議」は、ある意味宗教的教唆要素のあるおもしろさがあるからまだヨシとして、京都観光における超名所あちこちの「歴史的いわれ」に関しては、実はあんまり興味がナイ。なぜならば、そのほとんどが「庶民には関係ない高貴なお方」とか、「ホントにいたんだかいないんだかわからないような(現実生活に実質的な影響のない伝説的な)事象や人物」として位置づけられた存在にまつわるポイントだからだ。そんなものより、なんでもない道標に、当然のように「明治」だの「大正」だのが刻まれていることや、「○○小学校跡」の石碑や、山の中にひっそりと祭られているお地蔵さんを発見することの方が、わたしにとってはよっぽど楽しい。
ガイドブックにも、歴史書に載らない、しかしそこに喜怒哀楽をもって過ごした多くの人間の暮らしや想いが一気に心の中に想像される。千利休もナントカ天皇も結構だが、真に学ぶべき歴史、現代人に必要な学びは、実は「ふつうに歩き、ふつうに働き、ふつうに泣き笑いして過ごした庶民の生活」の中にこそあるのではないかと思われるのである。
4/23 木 24.8   【京都EMエリア】
コースは昨日に同じ。
学問課題ようやく1科目クリア。あと2科目★(-_-;)
いくら若くて頭の回転や要領が心得られているとしても、「フツウの大学生」がサークル活動だのバイトだのに時間を削りながら、どの程度本業の学問に成果をあげているのか、その精度や完成度が実に疑問である。総論・各論・参考文献比較・考察…心を鬼にして他の事に行動を移す決意が要るほど、学問研究には深みと時間が要求される(>_<)
「死の危険から逃げる」ということは、いのちある人間にとって究極の行動である。すなわちそこには、「いのちさえ守られれば他のリスクはやむをえない」という覚悟がなければならない。少なくともそのときは、何も要らない、ここから逃げられさえすれば、という気持ちで起こした行動だろう。そのような視点で考えると、住民票をそのままに逃げたことで、定額給付金が受けられない・DV夫にすべてわたってしまうことは、矛盾であり不満であろうが「いたしかたない選択の結果」であるという見方もできるのである。ある主婦が訴え出たこと自体は価値ある問題提起のひとつになるだろうが、それを楯にいかにも給付金施策を全否定的な方向に話を運ぶことは間違いである。
例えば「DV救済シェルター」のようなところに住んでいて、DV被害や別居状態が明白に証明できるのに、給付金についての対処が取られないというようなことであれば、これは行政の配慮のなさも指摘できるところだが、そうでもない限り、国はあくまで住民票や戸籍を基準にした管理をする以外の術はないのである。個々の事情を訴えられるままに応じることで生じる全体リスクのほうが社会としては問題になる。実際、この住民票が根拠になって、なんだかんだいいながらありがたく給付金を受け取れる国民のほうが圧倒的に多いのだ。
これまでにも、様々な事情によって多くの「住所不確定」な人と言うのは存在していたはずだ。しかし、「派遣切り」や今回の「定額給付金」問題にいたって初めてそれがこぞってマスコミに取りざたされるようになった。住民票がないことで選挙権が喪失しているようなことを問題視した局がどこにあっただろうか。これこそ、日本国の運営にとって、最も根幹である問題であるはずなのに。
人間は感情の動物である。しかし、あまりにそれに依存しすぎることを発端に提起される話題というのはどこかに偏りやムリが生じる。最近のニュースや報道というものは、見る側に冷静な考察力を強く要求しているようだ。
4/24 金 27.4   @鷹峯某所〜ぶだはっ〜うち
A【京都EMエリア】
うち〜将軍塚〜大文字山〜銀閣寺〜出町タネゲンとヒャッキン〜ジョーの家〜丸太町〜(地下鉄ワープ)〜五条〜うち
@ホントは、10日の【NM−E】逆走をたくらんでいたが、行きも帰りも貴重な書籍があり、かつ、クマ鈴忘れる・雲中くんナシでは、ちょっとねぇ…と、さっさとうちに帰ったのであった。
A平成21年度のサフィニアならびにトマト苗購入♪バケツと苗を持って…というのは、かなりヘンなRUNスタイルである。ってぇか、シェイクし過ぎて、トマトちゃんの茎が折れたりしたりしたらタイヘン!なので、本日は丸太町から地下鉄に乗った。たまには電車もイイもんだ♪
@旅RUNの最中に湧き上がった、郷土史的なある疑問を解決しようと、本日【突撃取材!】を試みたのであるが結果としては、基本的に「太平洋にムー大陸があった」というに近いような仮説であったことが判明してガックシ(>_<)…しかし!「それならばどうして?」という更なる疑問が発生したのである!これはもう、北山集落に行くしかないだろう!てな感じだ。にゃはは、また旅RUNの口実ができたぞっヽ(~o~)/
A「バケツと苗」があったので、いつもの京都ゴールデンハーフを走らず、いかに早くうちに着くか…を考えた。そのおかげで、偶然にも「ジョーの家」を見ることができたのはラッキーだった。ジョーの家は普段固く門が閉ざされているのだが、御所の一般公開(本日より開催)と同じ期間は無料開放するようだ。ジョーにはあんまり興味がないし、ジョーの学校はでぇっキライなのだが、まぁこれも何かの縁、めったにないチャンスと思って寄り道したんである。
単純に不動産物件としてみると、いろいろ想像できてなかなか楽しかった。月3万円くらいなら、ぜひ借りて住んでみたい(アリエネェ〜!(~_~;))…つまり、わたし好みの家だったのだ♪。貴重な指定文化財をRUNスタイルで、しかも両手にバケツと買い物袋をもって見学しているような人間はもちろんわたしひとり。
4/25 土 17.0   京都シルバーコース
今日の場合、RUNではなく、おでかけRUNというニュアンス強し!
恵谷師『浄土教理史』、坪井師『浄土教史概論』を総本山知恩院みゆき堂(別名阿弥陀堂)のアミダちゃんの前で読むという贅沢なひとときを過ごす(~o~)
浄土教には、学問的に探り出すとまっことに謎が多い(-_-;)。ただひたすら念仏を唱えればヨシとせっかくホ〜ネンちゃんが言ってくれてるのに、そこをグチャグチャいじろうってんだから、タイヘンなのは仕方ないが…。アミダちゃん、あんたは一体ナニモノよ?
4/26 日 7.3   ニックは、いつのまにかケイヨーD2という名前に変わっていた…
売っているものは同じだからいいけど(~_~;)
大きな園芸用土買って来た。蚊蓮草の植え替え、もみの木みたいな観葉植物植え替え、サイフィニア3苗、パセリ、バケツdeミニトマト…今年の「夏ガーデン」準備万端!
4/27 月 20.0   京都シルバーコース(ただし知恩院さんまでは【京都EM】)
4/28 火 0.0   アタマがアミダちゃん漬けになってしまった…
極楽浄土は死んだ人が行く国…との概念は、日本で定着した概念。しからば、発祥のインドにおける「浄土」とは如何?(-_-;)
←こんな、根源的なところが明確にならない学術書ばかり。これだから宗学的研究者の著作物は困る。ブツブツ…(>_<)
4/29 水 24.8   【京都EMエリア】
コースは4日に同じ。アミダちゃん漬けはひとまずオアズケにして、デュルケイムの研究にうつりましょ〜(~_~;)
ただし、烏丸五条マック〜休出G様の会社まで猛ダッシュつき。
フツウのお寺ってのは、現世利益の大安売り状態かっていうくらいにアレコレのお守りってのを販売しているものだが、よくよく観察してみると知恩院さんにはそれがない。さすが、「厭離穢土・極楽往生」を説く総本山!なのである。
まぁそれはいいとして、日本に数多い「浄土宗信徒」は、いったい浄土教の「何を」よすがに、現世現実を生きているのか?という疑問がある。浄土宗においては、「よく死ぬ」ことに翻っての「よく生きる」ことが、どのように教え諭されているのであろ〜か?軽く飛ばすつもりの浄土教学にかなり深入りしている今日この頃…このままでは、気が付いたら浄土の尼さんになってた!なんてことがおこるやもしれぬ…(-_-;)ドチラカトユ〜ト、ド〜ゲンチャンノホウガ、スイナンダケド!
4/30 木 20.0   27日に同じ(~o~)
知恩院さんにて法要儀式を観察。五体投地っぽいのアリ、護摩っぽいのアリ、声明っぽいのアリ…なんかおもしろいぞ!道元ちゃんの映画(『禅』)の悟りのシーンは、蓮に乗ってピューっ浄土にでも行きそうなものを連想させていたし…日本の仏教宗派数々あれど、こういう「見せ場」は似たり寄ったり!(~o~)キャハハ〜!
仏教寺院としてその名を標榜したるもの、少なからず一般民衆に向けて仏の教えのナンタルかを「正しく伝える」義務がある!然るに、【京都EM】コース上のとある看板文句には非常な怒りを感じているのである(ー_ー)!!
「無断駐車にはお布施をいただきます」…仏教上、「布施」には「罰金」「慰謝料」などと言う意味はない、そもそも「=お金」の概念が間違いである。もっと言おう!本来であれば、仏教者たるもの究極には「無所有(ムショウ)」というものが説かれており、「これはうちの土地どす」なんてことを主張するものを持っていることが本来的にはユユシキ事態なのである。おまけに、「仏様は見ています」と!…人より先に、そ〜いうことやってるアンタが見られてるっつ〜の!(ー_ー)!!
影響ある位置にある人のこういう間違いから、人々の仏教への誤解・敬遠というものが生じる。また、本来深遠な意味のあることばを聞きかじった程度で、さもわかったように自分の日常生活にあてはめて語る人間が増えるのもこういうことが災いしている。…マジで、ペンキかなにかで塗りつぶしてやりたいくらいの愚かな看板である。器物損壊になるからできないけど(-_-;)
走行距離 667.9  km