あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
3/01 日 20.9   変形京都ゴールデンコース☆
足裏ツボマッサージポイント(鴨川五条〜三条あたりまでの岩石ゴツゴツコース)を逃す!しかし、なぜか腫れている左ヒザ内側をいたわるためにはGOODだったかもかも!(~_~;)
一昨日のことであったか、TVのスポーツニュースで「オグシオ復活!」とかなんとかゆ〜てるので、なんのこっちゃ?と注目したら、なんだかのCMで「見た目・コンビ名だけの復活」とのことであった。
「コンビ解消」で、涙の会見したのがついこの前のことだぞ?本人たちいわく「CMでは"特別"です」とかなんとか笑っていたが、特別扱いされてどうこういうほどの存在だと思っているような自己欺瞞が感じられて不快な印象が残る。
どうにも最近、このような世界のひと(と、そのとりまき)を中心とした、「重い意味のあることばの軽率な乱用」とゆ〜のが頻発しているように思えてならない。けじめとして表明されたことばに対して求められる忠実なありかたがあまりに無責任である。簡単にいえば、「公式に言った以上、矛盾ない行動を取れ」っちゅ〜こっちゃ。何らかの事由によってそれが撤回されるような場合には、それなりの釈明や説明というものがあってしかるべきだろう。その時々、恣意的に用いられることばたちそのものがまずは気の毒であり、さらには、その意味に対して真に覚悟と決意を込めた人々の思いというものに対して非常に失礼である。
3/02 月 0.0   超バッドコンディション★(-_-;)
具合の悪いポイントは、気管支か食道か…ってな感じなのだが、もしかするとこれは「心臓」か…シロウト判断ではあるが、塩をペロペロしてポカリをグイグイ飲んだら、ちょっとマシになったような気がする…。
病・不調の原因とゆ〜のは、実にいろいろなとこから起こっているものである。…これは科学的に証明できる範疇を超えていることだが、俗にいう「ムシの知らせ」とゆ〜のがあって、親子兄弟等の身近な肉親等に何か災いが起こると自分の体にも何やら変調を感じることがあるらしい。これがそうなのかどうなのかはわからないが、現在わが弟君が末期ガン(正確にはガンではないが似たような病)によって最期の日々を送っている。この息苦しさが彼の今の呼吸の状態であるかもしれないなどと感じたりもするのである。
わたしの人生ほぼ全面にわたり、あらゆる意味で執拗にまとわりついてきた存在が消えゆくということは、同時にじぶん自身の中のある部分が消え行くことも意味する。そんな重さに訴えられているのかも知れない。しかし、同じ条件の下、彼は彼を生き、わたしもわたしを生きた。いやそれ以上に、彼が「よく生きる」ためにじぶんにできるありとらゆることは、すべてやりきってきた自信もある。だから今さら後悔することもなければ、これ以上無理に生きてほしいという願いも持たない。すべてを越えて『そして、わたしは、ここにいる』…その事実が、正しく、あるべきことを問いかけながら、ここから先も過ごすだけだ。
3/03 火 20.0   京都ゴールデンコース☆
3/04 水 0.0   相模原行き。
おそらく生きた弟と会うのはこれが最後と思ふ。
3/05 木 0.0   ミニ論文作成集中!
3/06 金 0.0   ミニ論文作成集中!
3/07 土 16.5   京都シルバ−コース
3/08 日 0.0   ミニ論文作成集中!
3/09 月 0.0   ミニ論文完成!しかし本日の受付時間はあと1時間…(~_~;)
諸般の提出作業を考えると、いくら全力疾走しても間に合わず!提出は明日に持ち越し!
人間、ある程度の制限や期限に拘束されたほうがしっかり生きられるものだが、現在それがちょっと多すぎる感があり、やや疲労気味。
夕方、テレホンアポインターのように各葬儀社に見積もり依頼をかける。忌み嫌われる物事への冷静な作業とゆ〜のは確かに気が重いが、それでもやらねば進まぬ。わたしはやるぞ。人の間近な死に際し、気が動転し、落胆し、人に支えを求める姿を見せられるのは、ある意味幸福なことであると思う。しかしわたしはそうはいかない。
3/10 火 10.0   変形☆鴨川コース
千本−鴨川−うち
神仏習合を勉強したら、「カミサマってスゲェ〜」となるかもしれない…と思っていたけど、そうでもなかった(~_~;)ただ、日本においてカミサマを排斥・無視した上での仏教が成立しなかったことはよ〜くわかった。…という意味において「カミサマってスゲェ〜!」である。
ところで、この京都にはいたるところに「お寺掲示板」のようなものがあり、RUNしている最中にしょっちゅう目に入る「一言説教」みたいなのがある。それらはすべて、各宗派祖師のオコトバみたいなところから一部をひっぱり出しているものだ。たった一言で「う〜ん」と感じること多々ありで勉強になる…ところが最近、「鎌倉戦士ニチレンジャー」系の掲示板に、「こどもは宝」だとか「こどもを持っているひとが真の長者なのだ」とか、まるで「お子様ヨイショキャンペーン」でもやっているのかとゆ〜ことばが連発されているのが気にかかる。言ってることは確かに「真」ではあるのだが、それじゃ〜こどもがいない人、もてない人はずっと宝のもてない貧者なのかよ!とゆ〜ひねくれた解釈が成立してしまうではないか。
鎌倉戦士ニチレンジャーの遺文集を一覧すればわかることだが、彼はひじょうに義理堅く、餅の一切れ、紙の一枚の寄進にもいちいち礼状を書く人だった。「こどもが云々」のことばも、子持ちのある個人に対して送ったプライベートな手紙の中の一文である。つまりこれがすなわち、仏教的・宗教的に見て必ずしも「誰にも同じにいえる」普遍性のあることではないのだ。誰もを等しく救済する意義のある仏教とその寺院がデカデカと貼りだすオコトバにしては、あまりに世俗的過ぎ、限定的であり過ぎることを指摘したくなるんである。いわゆる偉人とゆ〜人のことばには責任がある。しかし、決して公式ではない場での発言まで、すべて信仰がらみのご金言扱いするのは、とんだ間違いであるとゆ〜ことだ。
その点、浄土宗や真宗あたりはハズレがない…今のところ。ぶだはっキャンパス内とかお東さん、五条通りに掲げてあるきったない看板にあることばも、すべて、グッとくるものばかりだ。
3/11 水 0.0   暗記DAY。
「老い」とゆ〜のは、何かとネガティブな捉え方ばかりされるテーマであるばかりに、過去と比較してできなくなったことや衰えたことが、とかくマイナス志向に陥りがちである。しかしよくよく考えればそこに、「できなくなった分できるようになったこと」が必ずあって、差し引きゼロの現在があるはずなのだ。老いとはいわば「新しい成長期」であり、乳児が自分の力でどんどん新しい自己を確立していくことと、性質的には何の違いもないのではないか。そこを前向きに捉えるかどうかが、人生全体を生き生きとさせるか否かの心理的境界線になると思う。
「それでもできること」を生かし、「どうしてもできないこと」に謙虚に素直になる。この部分について理性的に自己をコントロールしていけるかどうかが、大きなカギであると思う。わたしはRUNを一生の「人生栄養剤」として扱っていきたいと思っているが、ロンドン五輪は目指していない…って、こんな感じである(~_~;)ソリャ、ワカクテモ、ムリダッタッテ…
3/12 木 0.0   暗記DAY。
かつて怪舎員をしていたときの偉大なるBOSS(正体はただのノンベオヤジだったりするが)に、オマエはカリスマ・リーダーとかいう存在ではなく、「参謀」としての素質が大いにあると指摘を受けたことがある。当時、「スーパー怪舎員(~_~;)?」とか「日本の歌姫(-_-;)!」とか「小百合ちゃん的大女優(゜o゜;)!」など、独立したヒロイン像をイメージしていた自己評価にはそぐわず(←ハンブン、ジョ〜ダン)、フフ〜ンてな感じで聞き流していたものだが、最近になってその見解がひじょ〜に的を射たものであることが認識されてきた。思えば、今わたしが「野望」と称してひそかに願っている自分の将来像は、いくつかあるどれが達成されても、役割的には「参謀」の性質があるのである。
またさらに考えていくと、この「参謀的資質」は、幼少の頃よりじぶんに課せられた生き方そのものではなかったかとも感じられる。それは現実的には、じぶんに叶わぬ本意や願望に対しての自己解決である「言い訳」「ごまかし」「正当性への昇華(すっぱいぶどうの論理)」であるのだが、災い転じてなんとやらである。じぶんの中に培われた負の遺産を、プラスにして世間に還元し、じぶんの人生を完成させたい。必ず、うまくいかせたいものだ。ヨッシャ。
ちょいと意気消沈モードが回復してきたぞ。
3/13 金 0.0   暗記DAY。
3/14 土 0.0   暗記DAYの3日、実質上今回分は水泡に帰す。
相模原行き。
弟、逝去。40年と4ヶ月と2日。闘病が4ヶ月と2日だから、ピッタリ40年の人生ってことだろう。多くの人が亡くなるのは夜中・明け方という不思議なセオリーに反せず、早朝5:55死亡確認とのこと。パチンコなんぞやったこともないくせいに、大フィーバーの数字を並べて息を引き取るとは、最期の悪いジョ〜ダンか?
3/15 日 0.0   いわゆる一般的な葬式形式一切取らず、の密葬。
でもだからこそ、余計な人間に余計なことを言われずにやれることがある。
フツウは、お棺に入ると白い着物にぞうりを履かすそうだ。でもって、お化粧したりとかもするらしい。それらを一式人に任せて7万円追加だと。
冗談じゃねぇ!と怒ったのは金額ではなく、その突発的な申し入れ(しかも打ち合わせ後)に対してだ。元々着替えなんぞわたしがやるつもりでいた。それとなく伝えていたにも関わらず、それを無視したように最初から形式を押し付けてこようとした感じが気に入らなかったんである。本来人に任すのが当然で、それを自分でやるなら追加料金とゆ〜ならハナシはわかる。そのあたりが、良心的といえどやはり商売感覚が発せられるところなんだろう。まぁいい。とにかく着替えはわたしがやった。パジャマから着替えさせたのは、彼が知的障害オリンピックに県代表で出場したときのユニフォームだ。「KANAGAWA」の背文字に、苗字の刺繍付き。死んでからお金で買う、聞かされても覚えられないような「なんタラ信士」なんて戒名よりよっぽどわかりやすい住民票を持たせた。おカマじゃあるまいし、化粧なぞ必要ない。隠さなきゃ見られないほどヘンな顔もしてないしね。
3/16 月 0.0   火葬式
死後硬直ってのはホントにカチカチになるのかと思っていたが、不思議なことにさりげないやわらかさやぬくもりのようなものが残っているものだ。さんざん触ったのでわかったことだ。
治ったら寿司が食べたいということが叶わなかったとゆ〜ので、旅路におなかがすかない程度の折り詰めを持たせた。サーモン・いくら・イカ・マグロ・えび・多少食いちぎって口に入れてやったら食べていた。入院中、ナイショで少し食べてたらしい玉子の寿司だけはもう要らなかったらしく、口に入れようとしてもポロポロこぼしてくれた。まったく、ここまできてワガママなやっちゃ。しっかしこれ、周りから見たら遺体の前で寿司食べてるネェちゃんに見えたべぇな。まぁいいわ。あとは自分で食べな、とゆ〜ことで、醤油と箸を入れてやった。ジュースも入れたし、あとは適当に自分でエイドしながら走ってけ。
お棺には、何でもかんでも入れられると思ったら結構厳しかった。金属ダメ、プラスチックダメ、よって、RUNシューズも脱がさなければならなかったが、足のそばに置いた。これだけは、誰がダメといってもしのばせてやるつもりだったが、そのくらいはいいでしょうということでよかったよかった。
葬儀社のお兄さんが、ポケット版時刻表を持ってきてくれた。おぉぉ、そこまで気がつかなんだ!これがあれば全国どこでも旅したい放題!前日小トラブルで怒鳴ったけど、撤回。
3/17 火 0.0   (長くなるから翌日分に記録するが)
病死だし、お骨で戻ってきたら粉や灰だけなんだろうななんて思っていたら、まさに「ギョェ〜★」というくらいに、立派にそのまま戻ってきた。冗談ゆ〜てる場合ではないんだろうが、マジで理科室の標本にしてくれっていうくらいあっちもこっちもそのまんま。係りの人がいちいち「ご立派なお骨でございます」と驚くくらいだから、かなりのもんなんだろう。骨密度バリバリ、こんな風に戻ってくるなら骨壷を特注してやっておけばよかったと思うくらいだった。喉仏なんぞ、金粉かぶせたら仏像だよ。
「元気になってうちに帰りたい」という本人の希望は、最後まで守られたような気がした。ここで組み立ててやるから、自分で帰りなよ、といえるくらいのもんであった。病んだ肉体の部分を捨てて、しっかり帰宅したんである。お棺に何でもかんでも詰めなくてよかった。うちに帰ってきたけどあれもこれもなくなってるよ!と怒られるところだった(~_~;)
3/18 水 0.0   やつは最終的に「原発不明腫瘍」であった。この性質の腫瘍が脳に転移したのは世界で8例目という珍しさ。つまり最後の最後まで、どこが発端になってあの散弾銃で打たれたような転移が起こったのかわからないまま終わったんである…というはずだったが、やつはしっかり「ここだったんですよ!」というお骨を一つ残していった。これはオドロキだった。
もちろん、今の段階ではシロウト判断であるが、いずれそのうち真相を究明できるように運びたいと考えた。
3/19 木 0.0   「よく生きる」とは理解・試行しやすいが、「よく死ぬ」というのはいささか形而上的である。これを実感するためには、自分が死ぬか、あるいは自分にとって重要な人物が死ぬかによってしかわからないところだろう。
幸いなことに今回わたしは、「よく生きる」ことの本質がどこにあるか、理屈としては常々抱いていた観念を実証する経験をもった。ありがたいことこの上ない。
3/20 金 0.0   ショウゲキの事実、再確認!
過去20年のターボマラソン記録を紐解き、なんだかビックリしたのである!
20歳頃から昨年まで、ボチボチ出ていたマラソン大会の記録表を見ると、やつのタイムはすべて「キロ4ベース」でのRUNを駆け抜けていた(゜o゜;)。そりゃ、スゴイミナサマからすりゃたいしたことないが、この記録を維持するためにやっていたことがたかだか週イチの10キロジョグのみ…ってことを考えると、少なくともわたしにはできるハナシじゃないねぇ…(~_~;)スゲエェ、ターボ!たいしたもんだ!
さすがはオリンピック(知的障害)常連メダリスト!元旦マラソン一緒に出てもさっさと消えていってしまうわけだ(~_~;)
3/21 土 0.0   京都に帰ってくるのに乗る新幹線、実際には最終1本前に間に合ったのであるが、敢えて1本遅らせた。なぜかといえば、1本前のが「うにょ(700系)」で、9分後の最終は「イワモト(N700系)」だということがわかっていたからだ。鉄チャンターボは、わたしすら乗ったこともないような北斗星だの在来だのに乗った経験があるらしいが、唯ひとつ、イワモトには乗っていなかった、いずれ乗りたいと言ってたらしいのだ。これをのがしちゃならんよねぇ。
お骨の中から、にっくき原発と思しき部分をくっつけたお骨を分骨して持ってきたのだが、新横から京都までテーブルに載せて一緒に旅してきた。新幹線コーヒーを一杯ご馳走したんだが、最終便のコーヒーはやや出がらし風味でちょっと失敗(~_~;)
3/22 日 13.3   東京マラソン、お祭りではあるが、参加する以上は何から何までお祭りじゃマズイだろう。
曙はドクターストップだったからまぁマシとして、もうひとりのアホタレントが東京マラソンに出て心肺停止だかなんだかの大騒ぎ。おりしも「誰でもかれでも」になりつつあるマラソンとゆ〜ものについて何かしらの一石を投じる教訓にはなったかもしれないが、もういいかげん、マラソンに「ドラマ」を投影させる軽薄な番組ってやつをやめたほうがいいだろう。平たく言えば、年中節操なしに食べまくっているだけのデブにフルマラソンなんぞムリっていうこっちゃ。やるならやるべきことをやってからにしろって。仲間と一緒にマックに行っても、お得なセットを避けてハンバーガーとコーヒーだけでいいんです!とゆ〜くらいの日常の努力があってのRUNであり、大会というハレ舞台での挑戦権があるのだ。知的障害者といわれてもこれだけの自己管理能力があった、ターボのほうがこいつらよりよっぽどマトモじゃねぇか。こんなことなら、ランナーズにでも掲載の売込みをかけてやればよかったと思う。
世の中、生きる能力を欠いた人間とゆ〜のが実に数多くいるものだと思う。
3/23 月 20.0   京都ゴールデンコース
この地域(下京)で来週選挙があるらしい。東京なら相手にもされないようなスタイルで運動している、京都ならではのおもしろい候補者がいるが、車でホラ貝の音を鳴らしてるだけで何が言いたいのかわからない。ポスターには誤字があるし、一体何票入るだろう。記憶が確かならば、この人しょっちゅう立候補している。そんな供託金があるなら寄付でもしたほうがよほど社会に役立つと思うが…。
見たい見たいと思っていながら、なぜかDVDがなかった「黒部の太陽」が慎吾ちゃん主演でリメイクされた。このような、ごく最近でありながら歴史化した過去をふりかえるということは、現代人の生きる姿勢を正し、あらゆることを反省するに良い機会であると思う。すべての家庭に安定した夜の灯りを、という最低限の目標の下にあった仕事と、なくても何とかなるような電気機器を動かすために「もっともっと」の投資や工事とは質が違う。そんなところの差が、現代の人間や社会における諸問題の根源になっているのではないだろうか。「国がどう、将来がどうなんて関係ねぇ、ここを掘りぬくことが大事なんだ!」といった倉松班長のことばこそ、今の人間に甦らせるべき「誇りの持ち方」なのではないか。一介の個人商店が地球環境を語り、一事務員が世界経済を表現するゴタクを踏まえなければ「やりがい」「生きがい」を認識できない、他人が認めなければスグに精神が冒されるような現代こそ、実は貧しい世界であるように思う。
せっかくイイセン行ってたのに、最後に死んだ娘が描いた絵を持ち出して「彼女は生きている」だの「自然に勝つ」だのと、日本人特有の芝居くさい教訓を垂れたのが全体をぶち壊しにしていた(映画『北の零年』も同様)けど、そこは慎吾ちゃんに免じてOKとしよう♪(~o~)
…しかしながら思うのは、最近「気がついている人は気がついている」とゆ〜ことだ。先日の「相棒」最終回にもそれはあって、要は「今まできれいごとに負けて避けられてきた現実の描写」というものが随所に出始めたことである。過去にそれができた(庶民的なレベルで)のは清張サマと勉サマくらいのものだったんじゃないだろうか。今では脚本家がそれをこなしていると感じることが多い。すごい才能だなぁ。うらやましい。
3/24 火 25.0   京都ゴールデンコース
+銀行めぐり
箱入りおばちゃん(もしくは女子大生キャピッ♪)をやっているせいか、最近の法律には疎い。しかしだ。
ATMはともかく、窓口扱いさえ10万円以上の振込みには本人確認の証明提示が必要になったらしい。今時、個人レベルでもいろんな取引で10万を超えるなんぞ普通じゃないか。まったく不便な世の中になったもんだ。おおかたこの法律ってやつは、ぶっちゃけ、振り込めサギのジジババ被害を防ぐ目的を本質として始まったことだろうが、それによってすべての人が不便になるというのはなんとも理解しがたい。年寄りと言ったって小林のおじいちゃまやウズマサさん、その他モロモロのオヤジたちのように、若い者よりしっかりした人だってたくさんいる!これだけ社会問題化していてもひっかかるような人間は特殊だ。特殊を「基準」にするより、特定の管理下に置くようにしたほうがよほど適正な処置だろう。一方では知障者を一律に成年後見制度に追い込むようなことを画策して家族を悩ませながら、どうしてこれだけの問題を実際に起こしている対象者にはガンとした措置が取れないのか。どこか甘い。不健全だ。しかしその不健全さのおかげでわたしのRUN距離は伸び、ますます健康的になる。あってはならないはずのことにも、どこかに必ず「持ちつ持たれつ」の関係が成立している。そのいずれかのうち、ありがたいほうに傾いているじぶんがありがたいというところだろう。今日は通常コースにもう一回、銀行振込み仕切りなおしに出発じゃ。
【その2】「振込みに身分証明」は、マネーロンダリングとテロ資金の防止とかなんとか…ギャハハ!なんだかウソくさ〜い。まぁこれもアリなんだろうけど、とにかく10万ボーダーはやめちクリ(-_-;)
3/25 水 18.0   京都ゴールデンハーフ(二条にて知恩院さん遠隔参拝つき)+北大路・ぶだはっ+千本
【ヘンナトコロデヘンシン】コバさん、ウズさん、ヨメサン、出張くん、フサちゃん、皆様のご指摘は、もう少し幅ひろく人々のご見解を伺う必要があると思います。もちろん自分自身が「それを」どう捉えるかを決めることが最も大事。そのうち簡単に答えがでるものかもしれないし。ご心配めさるな、でございます。アリガトウ。
カントちゃんの『純粋理性批判』に真っ向ショウブのときが来た!こうなったら全集片っ端から!と意気込んでぶだはっ図書館に乗り込んだが、大蔵経並みのボリュームの文献に圧倒され、まずはもう少し入門的なところから…と薄めのところを数冊持ち帰ってきた。いや、決してその難解な内容にひるんだのではない!どう見てもあれを5冊も6冊も持ち帰ることは不可能だ!とゆ〜物理的な問題にカンネンしただけである!(ツヨガリ30%含有)。カントちゃんのゆ〜てる主旨は感性的にはビシバシ理解できてわかっているのだが、これを『じぶん語』に翻訳して論文化する作業ってのはタイヘンだろうなぁ(~_~;)。
3/26 木 20.0   京都ゴールデンコース
ぶだはっは、全国の大学通教中、最もキビシイところであるとのウワサあり(~_~;)
オラオラ〜ッ!な勢いで完成させた試験答案を出しても、90点しか取れないのはそのせいか、あるいはわたしがアホなだけか?
にわかに「次なる目標」が明確化したので、確実な卒業に向けて今後はちょいと策を練った単位の取得ワザを使うことにした。「浄土教学」「天台教学」も興味はあるが、「哲学」を選択すれば一挙両得の単位取得が狙える、とゆ〜ことで、敢えてコムズカシ文献にチャレンジしている。考えてみれば、既存のあらゆる宗教に何かしらの不足を感じたことに端を発する学術研究であったわけだから、派生的・個性的な教義に没頭するよりも、より原初的・包括的な分野に力をいれたほうがいいだろう。
区切りポイントは2ヵ月後ならびに1年後。ここでドドンと変わるか変わらないか。地味であっても今の積み重ねひとつひとつが大事。
3/27 金 20.0   京都ゴールデンコース
下京は選挙戦の真っ最中。「わたしは、走って走って、走りぬいています!」と、沿道を実際に走っている人間に向かって車に座りながら訴えられる図とゆ〜のは、なんともおもしろい。
走り抜いてれば選挙に勝てるなら、どっちかってぇと、わたしのほうが有利かもかも!なんてイジワルなことを考えてしまうのである(~_~;)
(単なる揚げ足取りのハナシデス)
最近、赤ちゃんと一緒に頑張っただとかなんとかもてはやされたランナーがいたようだ。おなかにこどもがいるっていうのは、単に「心配する家族がいる、仲間がいる」てなことを一般的に考える以上に深刻な責任があるはずだ。事後の悪影響の可能性も含め、まったく配慮に欠いた行動であると思う。母親になることは、マラソンを完走することと同等の自己満足のひとつのツールなのか?子供もいないくせにと言われたら元も子もないが、「こどもをつくる・産む・もつ」とは、その時点で"自分の人生"の半分を捨てるくらいの覚悟を持つべきと考えてきたわたしにはまったく理解できない。しかもそれを堂々と公表する/公開させるとは何たることか。こんな特殊な事例を持ち上げる(つまりは賞賛・容認する)ことで今後、「気持と意欲が先走ったチャレンジャー」が増えたらどうするつもりか。個人の勝手といえばそれまでだが、であるならば、そんなことは周囲にばれないようにひそかに行い、あくまで自己内の達成感や満足(もしくは後悔)に留めておくべきだろう。うまくいけば何でも美談扱いのマスコミにも激怒を感じる。
「○○なのに」ばかりが賞賛される東京マラソン、わたしはただ普通にRUNに向き合い、自分なりの走りを完成させた、他数万のランナーたちの人生の中にあるRUNにこそ、心からの拍手を送りたい。
この発言は、将来公式マラソン大会に「妊産婦部門」が確立する(すなわち、妊娠中のマラソンが医学的に推奨されるようになる)まで撤回する気はない。
3/28 土 0.0  
3/29 日 0.0  
3/30 月 0.0  
3/31 火 20.0   京都ゴールデンハーフ+出町商店街+御所+京都新名所【堀川】+ニジョージョー…って、これ京都観光みたいじゃん!
しかし!こんな甘ちゃんコース(わたし的に)は今日限りじゃ!(ー_ー)
【今がある原因】というものを追い求め昇華し続けた作業を終え、【今がある理由】というものを明日よりの結果に結びつける。
走行距離 203.7  km