あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上56歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
9/01 月 0.0   思想転換記念日。RUNなし。
ぬはは…その詳述などできるわけがなかろう。
【左欄とはまったく関係のない思い出】結婚・妊娠・薬物には縁がないと豪語し続けてきたわたしであるが、いちおう人間女性としての本能や機能は持っているので、「子供がいたら」とゆ〜よ〜な想像はしたことがある。今にして思えば、こんな感情がまさに体の奥底から自発的に強く浮かんだのが「25歳」とか「27歳」とか、古くから「適齢期」と言われる肉体年齢と一致してきたのが不思議なものである(具体的に感情を刺激する役割を持つ"カレシ"と呼ばれる者が存在しなかった時期であるだけに殊更そのフシギ感は強い)。心身ともに「準備OK」の状態がそんな感情を沸き起こすものなのだろうと思う。こんな大きなことでなくても、「じぶんの体の声を聞く」そして「素直に従う」という作業は、健康な一生のために必要なことであろうと思うのである。
ちなみに、その当時理想としていた「こども構成」は「一姫二太郎」で、名前は「惟摩(ゆいま)」「文殊」であった。実現していたら原発炉と同名になり、イジメの対象になってしまったかもしれない(~_~;)
9/02 火 20.0   新規開発!京都ゴールデンコース
ここで早朝に出会う人々との風景が最も「京都らしい」雰囲気を醸し出し、まさに「わたしの求めていたイメージ」を堪能できるのである。
通勤RUN当時、17キロ弱をだいたい1時間40分前後でこなしていたペースに換算してみると、2時間弱の余裕を見れば20キロ程度はいけるはずだ…との目論見から設定したコース。@加齢による体力低下A富士登山競走を目標としなくなったことから起こるモチベーションの低下B定時出社完了しなければという脅迫観念等々がない中でのこの距離とペースの維持はなかなか難しい。しかし、自由気ままな心境と環境の中でこれが維持継続できるか否かということが、「今後のじぶん」のためには重要なファクターとなることは間違いないような気がする。今、近々死んでしまうというならそれでもかまわないが、まだしばらく続く「生」であれば、やるべき大仕事は「ふたつほど」残っている。健康、あるいは「健康だ」と思い込む自負心の養成は重要だ。
9/03 水 20.0   京都ゴールデンコース
五条坂、清水坂、産寧坂、二年坂、霊山護国神社の坂…「坂」と名づくポイントはコース上数々あれど、登っている自覚はほとんどなし。
わかっているようでわかっていない風景というのは意外と多いもので、霊山護国神社にいたる坂道の途中にドドンとデッカイ観音さんの像があることに今更ビックリする。大船観音などの比ではないが、非常に違和感のある存在である。妙に新しくツヤツヤして、この京都では逆に威厳や神秘性を感じないものなのである。知恩院、清水寺、円山公園など、「いかにも京都な古い色」が織り成す光景の中にはなんとも不釣合いな、しかしだからこそ注目を集めるのかもしれないが。
9/04 木 20.0   京都ゴールデンコース
本日も挨拶代わりに手を振って笑うオジサンに遭遇。まるで通勤RUN終了後のガードマンさんと同じ風景だと懐かしく思い出す。「欲しかった京都の風景」「見たかった京都との出会い」遅まきながら、じぶんのものにしつつある喜びと共に。
東山二条にある「本山妙傳寺」とは、念仏天国と思しきこの京都で意外にも盛んに激しい布教活動が行われた歴史を持つ日蓮宗の寺院である。道行く人を見守るように立っている日蓮ちゃん像にはずいぶん前から注目していたが、なんと本堂の中に彼ら宗門徒が拠り所とするはずの「ひげ曼荼羅」が見当たらないのが不思議でしょ〜がない。それどころか、日蓮ちゃん像の後ろにはアミダちゃんとかシャカちゃんとかの像が並んでいたりしちゃってるようなんである…同じ人物を開祖としながら、東西の争いがある本願寺さんがあったり、○○派があったり、宗教団体とゆ〜のは面白い構成をしているものだが、この京都ではそれらを一挙に感じ取ることができる「宗教デパート」のような価値がある。ウインドショッピング程度でも、そこに渦巻く軋轢や鬱屈がうかがい知れて充分楽しい。
9/05 金 20.0   京都ゴールデンコース
清水坂でゴミ収集車のトラックにひき殺されそうになる。
しかし結果的にまだ生きているということは、「なにか生きていなければいけない理由」がわたし自身の中に潜在していることを示すものであろう。世の中、「どうしてそんなことで?」ということであっけなく命を落とす人もあれば、「確実に死んでいるはず」の状況に見舞われても生存する人もいる。家系的に見てもわたしは「しぶとい遺伝子」を含有しているフシはある。であるとすれば、その「しぶとさ」をただ放逸に振舞うことなく、「しぶとさ」ゆえに得る価値というものを追求しつつ、それを何らかの形で展開できる余生を過ごしたいものだ。…なんだかんだあ〜だこ〜だといいつつ、どうにも帰結する場所はひとつしかないような…そんな気持ちと希望を見出すことはできたように思う。それが42年で、というのが長いか短いか。そんなことぁ関係ないね。適当な一般論や奇麗事をいかにも独特の自論のように翻訳主張したり、その時々に都合の良い我見に固執したまま自己完結するようなステータスや肩書きを持たずにきたことがむしろ良い結果をもたらしそうな予感たっぷりだ。
9/06 土 10.3   京都うろうろ
10年間、知りながら通過してきた八条口のラーメン屋さんは、まぁまぁのセンだった。
皮膚が弱い。まったく困ったものだ。蚊に刺されればその箇所のフシの両端まで膨れるようなトラブルになるし、傷を作れば速攻で化膿する。しかしこういうやつに限って要らぬところでつまらない怪我をするオッチョイコチョイだったりするのである。
先日、ベランダのふちに引っ掛けて切り傷になった親指足の付け根。グッチョグチョである。たかだか数ミリの怪我が、人間全体の行動を左右する。なんとか走れるとはいっても、ここに力がかけられない分は別のどこかにアンバランスな負荷をかけているはずである。気をつけねば。
9/07 日 27.0   「ダイトレ」の謎が解ける。
関西ランナーがよく話題にする「ダイトレ」というもの、わたしゃ2日前まで「大トレーニング」「dieトレーニング(死ぬほどツライ)」のことかと思っていた。こんなとこでウケ狙いなんかするわけない、マジでそう思っていた。
昨今の「省略語ブーム」のもたらす弊害の典型。山と渓谷社の山地図とその解説書により、「ダイトレ」が「ダイヤモンドトレイル」の略語であることがわかったのであった。道中にあるのは「金剛山」、すなわち「ダイヤモンド」である。これを中心にしたコースであるが故の命名であろう。日常は「ゴールデン」、休日は「ダイヤモンド」と、わたしのRUNは宝石のようなコースに満ち満ちているもんである。
高尾奥多摩のコース構成に長く慣れ親しんだ身としての正直な気持ちとしては、関西のトレイルコースはどこもいまだ「イマイチ」な感触が払拭しきれないが、さすがに多くの人に愛用されるだけあってここはなかなかいい感じであった。しかし、アプローチが長すぎ、常用できないのは難点。
9/08 月 0.0   弱点補強トレーニングの成果アリ。
昨日のダイトレで意識的に作ったポーズが生きた結果、本日お休み。
「足首が弱い」のは、山RUNを意識的に初めて以来自覚しているわたしの弱点である。よって、疾走体制のとりづらいコースではこの点を補強すべく全コース「つま先立ち」での移動を励行しているのだが、このとき同時に負荷のかかるふくらはぎがけっこうカチカチになっている。しかしここで思うのは、たかだか27キロ程度の「つま先のぼり」でこんなことになるのか!というオドロキである。かなりRUNパワーが低下していることを実感するね。イヤハヤ。
9/09 火 0.0   「あれ、今日は走らへんの?」と声をかけられる。
そうです、今日もお休みです。
その有名性や先入観が影響して人々に見えづらくはなっているが、この京都というところ、日常生活上では東北やその他山奥の山村等に見られる傾向と同様、排他性文化激しき「田舎まち」であると言える。敢えて修飾するなら「偉大なる田舎都市」というところであろうか。なにか一言コトバを発しようものなら、その回答より前に「あんた、この土地のモンやないね。」という、(少なくとも東京横浜川崎等では見られない)好意的とは思えないニュアンスのお言葉を何回頂戴したことだろう。会社の異動や学校入学等、移住の大義名分(一般公的身分保証)があれば、少なくともその範囲では比較的短期間に親密な交流関係もでき、自身に存在意義も生まれることだろうが、「まったくもってどこの誰か、どういう立場かわからない人間」であったわたしには、市役所の扱いも各種店舗の対応も独特な心情手続きをもってかからなければならない場面が多くあった。「まつもと」の「いらっしゃいませ」に心潤し、道すがら「おはようさん」と呼びかけられる声に「わたしはここにいていいのですね?」と安心感を得るような心細い心境から始まった人的交流だった。しかし、ここのところようやく「それなりに心の通った会話」を楽しめる人が定着・増加してきた。そのきっかけのポイントは「RUNネタ」と「知らないことを知らないとする態度」。ゼロからのスタートと言いながら、実はこれまでの越し方にあった要素に助けられての成果だったのである。ここまで生きた以上、まったくの「ゼロ」からというリセットはありえない。少なくとも、じぶんをここまでつくってきたもの、支えてきたもの、未来への力に変えていけるものたちは、大切に残していきたいものだ。
9/10 水 17.0   京都シルバーコース
北大路まで行かないと「シルバー」となる。
このうちの付近には、日本たばこの所有地がデデンとあるのだが、そこが管理していた住宅やホテルなどの敷地がここのところ一斉に壊されて更地になろうとしている。でもって、この跡に何が建つかというのが今、付近住民の専らの関心事なのであるが、この土地に暮らして数十年というひとの取りまとめた情報によると、@平和堂(こっちではわりとでかいスーパーチェーン)Aコーナン、アヤハディオ(ホームセンター)B京都産業大学Cただのマンション…の順に信憑性が高いウワサになっているらしい…頼むから@!十歩譲ってA!(タダシスポーツショップもつけてね!)、何が何でもBはゴメンこうむる!、Cじゃつまらない!とゆ〜のがわたしの意見である。教育ごとに熱心な京都人にとってはBも歓迎モードのようだが、実際に大学生がたむろした結果、町田や八王子がどうなったかという現状を知る者としては頷けないものがある。言ったってわからんだろ〜ですが。
@であれば、1割が粗悪品に遭遇する買い物をしなくても済むようになるし、Aになれば、買い物RUNの手間が省けていい!…でも、雑貨の買いやすさで散財が増えるかも?
【ネットは怖い】ここを打っている最中、「京都に行くのでおいしいお店の情報をください」と、いきなりチャットが入ってくるから、知っている限りでいろいろ伝達してたら、結局「一緒に食事できませんか?」…京都情報をキーワードにしたアバンチュール願望者ではないか!世の中、バカが多い。
わたしをお供にすえたら最後、お食事前の脂肪燃焼に20キロはフルスピードRUNで引きずり回すよ!それでも良いならもう一回誘ってこいや!ってか★
9/11 木 20.0   京都ゴールデンコース
3週間前に買った時計。これをぶろぐで「新たな気持ちと共に使用スタート!」てなこと書いたが、早くも3週間で修理行きの不良品だった。この状態はなんなのよ?てな展開だ★(-_-;)。
やっぱし、今後のことを何かにかこつけてあ〜だこ〜だ言うもんじゃないわな。ブログとかでいちいちカッコイイゴリッパなオコトバを並べておきながらあっという間に何事もなかったかのようにあっさり前言撤回を繰り返すのがクセみたいな人とか、言ったことを言わなかったかのように編集しながらうまく泳ぐタイプの人間もいるけど、わたしはそんなのと一緒にはなりたくないしね。「意味づけ」は長い期間の結果論に表現されるべきもの…この鉄則は正しいようだ。…と、かねてからのポリシーを実体験にて反省&再確信する良い機会となった。
しかし今回のわたしの場合の釈明をさせてもらえば、マジで「精神的心機一転」が確立したのが今月に入ってからだから、今回のちょいとしたぶっ壊れ&修理(リセット)は、考えようによっては理にかなっているともいえるのだ。フッフフ〜(~v~)
(実は、やっぱりアナログメインの画面の方がよかったかなぁなんて思ったりしてたもんだから、デジタル君が怒ってストライキをはじめてしまったのかもしれない。ゴメンヨ〜、早く帰っておいでぇ!)
9/12 金 31.0   旧時計修復RUN+京都ゴールデンコース(夜編)+α(北大路橋を見逃して走り過ぎた)
時間帯・装備・スタイルすべて、あの「通勤復路RUN再び」モード!いやぁ〜絶好調だじぇ♪ヽ(~o~)/キャッホ〜ッ
☆BGMの「FM802」では、最近の注目らしい「トルバドールズ」の曲にペースが合ってゴキゲンRUN♪以前はこの時間帯、「ミュージックマシン」だったけど、同じようなペース感覚が取れたのでまぁヨシヨシ☆
【と、その前に。】今朝のTVで、デクノボーだかワカノホーだかの記者会見を見てアングリした(゜o゜;)…渦中の本人の口から「若いうちなのだから失敗はあっても仕方ない」とな!…大麻吸っておいてひた隠しにした挙句の顛末でよく言うよ…こういうセリフは、一定の常識範囲内の中で自分なりには真面目に一所懸命真剣にやってきたはずの何かに躓いて失敗したというような結果に見舞われ、真摯に反省し落ち込んでいるような若者に対して「年長者」が励ましかけるために用意されたコトバであって、若い者自らが好き勝手な言動行為をする「免罪符」のためにあるのではない(もっとも今回の場合、これを言わせたのは周囲のブレーンだとは思うが、本人の反省モードを醸し出す印象や、いわゆる「品格とかいうもの」がダイナシになることがわかってないのかね)。…テレビやドラマの影響か、最近の若い衆には「まともな価値観や体験値が伴わないコトバの先回り」の言動が表に出ることが多過ぎるように思う。ちっとやそっとの経歴体験や世間の賞賛で、すっかり人間が出来上がったかのような偉そうなこと言ってんじゃねぇよ!あとで後悔するぞ。…と言っておこう。
【で、んなことより本日の本題だ】
@もう10年以上愛用している「色つきリップ」が近所のお店から一斉撤退!まさか「廃版商品」になったのか?と心配していたブツが、河原町五条でテンコモリに陳列されていて、喜びのあまり5つもまとめ買いしてしまった!店員のノリも含め、ようやくようやく、わたしの「お気に入りドラッグストア」が見つかったような気がしているのであるo(~o~)Oヤッタ〜♪しかしあとになって気づいた…せっかくウロウロしたのに、4日前にパッカリ割れて壊れたヘアブラシを探さなかった…★
A夜の清水坂・鴨川は、かつて通勤RUNをしていたコースより断然「暗い!」ことがわかった。慣れていないこともあるだろうが、足元の凸凹感覚がつかめず非常に危険な気がした。かといって、これからの季節は朝RUNでもこの程度の暗闇をRUNすることになるわけだから、順応していかねばなりませんな〜(~_~;)
Bそこに「京都市役所」があるからだ…というのは穿った見解かもしれないが、狭くて危ない大路小路が多い京都のまちなかで、異様なものを感じるほど広々と安全に整備されて美しいのが「御池通」(河原町〜堀川通)である。この道中に年中点灯中の「キレイな青い光の飾り」があるのだが、わたしの携帯デジカメで撮ると、これがどうしても「青く映らない」のである★(-_-;)…なぜだ!なぜなんだ?…いろんなところを現実以上にキレイに見えるように撮影できる写真テクの持ち主がウラヤマピー!のである(~_~;)
9/13 土 16.0  
9/14 日 50.0   このあたりは京都らしくないけどわたしの求めていた京都の風景(または日本の原風景)+仰木峠・比叡山
このあたりを「京都スペシャルMYコース」として決定しようと思います(~o~)
さすがは最初の最初からメをつけていた「比叡山込み」のコース。ここを「みゆき的第二の高尾&陣馬ボルダー」として有効活用しようヽ(~o~)/
9/15 月 12.0   昔々、とある「誌」の取材を受け、出来上がった原稿を見せてもらったとき、本意とするところを大きく捻じ曲げた、そして、ある側面だけが妙にデフォルメされた「みゆき像」が公表されようとしていることに驚愕した思い出がある。シロウトレベルでこれだから、芸能人のゴシップなど良くも悪くもやりたい放題なんだろうということを彷彿とさせるものがあった。わたしはもちろん、「とんでもねぇ!」と喝破してそっくりそのまま改変させたが、マスコミというものは、「大多数がそのように見たいと思っていること」「自分達がこういう風に見せようと思っていること」を作り出す才能が豊かであるということを痛感したものだ。
…ということと話は関係ないようであるようなことだが、携帯やPCをもっていない人、アナログ放送しか受信できない人への、いわゆる「高級品」のCMが消えつつあると言う。そういや最近アナログTVでやってる車のCMは軽自動車ばっかしだわな。今時の時代に乗れないビンボー人は相手にしないという「効率的な戦略」らしいが…。いろいろ考え方はあって結構だが、そういう企業体質をそのまま受け入れチヤホヤしている当の本人が、別の場所(番組)では「格差が問題だ」とか「負け組みが」だとか「弱者イジメ」だとかガーガー言ってるのがなんともバカなことのように思えて仕方ない。「報道の真実」「報道の平等性」「報道の信憑性」については、見る側が賢く判断力を持ちながら判定しないといけないのだろうと思う。間違っても、彼らの作り出したコトバに踊らされて自分の人生を評価したり飾り立てるようなアホなことはしたくないと思う。
9/16 火 20.0   新規開拓その2!京都裏ゴールデンコース
昔、「やや公的色」を帯びた任務をもった部署に配属されていたときのこと。わたしはもちろん他の職員や責任者とも、いろいろなかたちで親しく関わってきた人が仕事上の話で「こころばかりのおみやげに」と持ってきた「鹿児島黒豚のヤキブタ」を、責任者はガンとして受け取らなかったことを思い出した。「気持ちを考えると申し訳ない」と後々まで言っていたが、結局あのヤキブタは、再び飛行機に乗って鹿児島に帰っていったのだ。あぁもったいなかった…と、本音では思うくらいの名品だったんだけど。
時間・勤務態度・その他モロモロの対応について、一般企業の一般人の「職務モラル」は非常に緊張したところで展開されているものだ。「1000円くらい」「タクシーくらい」だとか、「出張ついでにお祭り観光」をしょっちゅう堂々公表するような「誤解を招く甘ったれた役人気質」はほとんどない。…わたしも、「ひとつのところに20年」という長居をした人間だが、それが単なる「一般企業」でよかった…と、今にしてみればつくづく思う。
9/17 水 20.0   京都ゴールデンコース(夕方編)
フレックスを使って脱出しなければ実現不可能であった時間帯に、ノープロブレムでアタリマエのようにRUNできるありがたさよ。
【あわや、脱税者扱い?】この20年ほどイッパシの社会人をやっているつもりでいたが、実のところ様々な手続きについて知ることなく「会社任せ」にしていたかがわかるような出来事が次々起こっている。もちろん、こちらの勉強不足を反省しなければいけない面があるとしても、それにも増して役所仕事の縦割り・サービス不足が問題となっている部分が多いように思えるのである。ある人がその事情に異動を生じたとき、どのような手続きが必要となるかについては、その「可能性」の項目も含めたガイドライン・チェックリストや呼びかけを呈するくらいの施しがあっても良いだろうと思う。一般に、「税金」といえば「税務署にいけばよい」という認識があるのに、実は「所得税」「市県民税」など、細かい区分けによって窓口が違うなど、昨日まで知らなかったことだ。おかげで、「わたしゃ知らぬ間に脱税者?」の危機感を持ってしまったのだ。しかし一夜明けて区役所に行ってみれば、「京都市としては何の問題もない、相模原(他いくつかの自治体)が独自に手続きを要求しているだけ」ということがわかり、同じ日本の役所仕事に統一性すらないことまで判明した。わたしたちの生活に関わる「役所のありかた」は、むこうの都合で良いように扱われているムダやムラが多いことがよ〜くわかる。「○○様」と呼ぶなどという、表面上のサービススタイルを見せているだけでなく、根本的な仕組みの見直しからやってもらいたいもんだ。
彼らに必要なのは、一般企業ではもはや「基本中の基本・伝統のワザ」となっている「QC的改善」のレベルである。早いとこその殿様職業意識・低レベルな職務意識に全員が気づくべきだろう。気の毒なのは「それが普通・仕事のスタンダード」として意識を植え付けられ、その上で「必死にマジメにいっしょうけんめい」やってしまう、「可能性あるこれからの若い職員」たちだ。
「天下り」なんてエラそうな立場の転換に利用するだけでなく、単なる一従業員として心身ともに厳しくしごかれるトレーニングとして一般企業の厳しさを活用したらどうだ!?
9/18 木 25.0   京都ゴールデンコース(夕方編)+哲学モードでまたもや北大路橋を見逃した分
原始仏典の随所に現れる「覆われるもの」に関する考察。…I agree it!BUT…の部分で5キロ分超過(~o~;)しかしおかげで解決♪
かつては問題なかったはずの京都の大路小路なのであろうが、この現代にあっては、けっこうムリヤリそれを維持しているような風景があるものだ。「歩道として許されたエリア」のはずの場所に立っていても、向こうから通りを隔てて直進してくるクルマにとっては「オイオイ、ここは車道の続きやろ!」と思うような(思っても仕方ないような)車道の延長線上に位置していることがあったり(大宮五条とか)、信号だらけで渋滞だらけとか、一通でも歩行スペースがまともに取れない狭さとか…1200年も前の画期的道路政策も、今となってはなんとやら…である。この状況は日本一危険そうな東京や神奈川よりヤバイ感じがする。このような中をマジでRUNするのは、リスク高し!であるので、わたしはついつい川や山に気持ちと足を運んでしまうのであ〜る(~o~)
【それにしても…】「トルバドールズ」、聞けば聞くほどビートルズっぽい…(~o~;)…「人の耳に残る名曲」っていうのは、一定のコツって言うか、法則みたいなのがあるんだろ〜か?
9/19 金 30.0   京都ゴールデンコース(夕方編)+ぶだはっとその奥地観察付き
全身が「DENSOシステム」になる!行く先の人やおイヌ様や車の動向が予想通りに動き、「障害物」とならずに足を運ぶことができた。これ、久々の「野生の本能復活」。「あるくちゃん時代」にはアタリマエの機能であった。ヨッシャヨッシャ(~o~)
あれ?気が付いたらまだRUNしてるよ…ってな、無意識的RUNも復活。要は本日、ベストコンディションだったのだろうと思う。となると、昨日の夕ご飯は?睡眠時間は?今朝のご飯は?飲酒量は?RUN前の補給飲料は?現在のホルモンバランスや体内環境は?はてまた、アタマの中で考えていることやストレス状況は?…等々と、この前後の行動すべてがチェック対象となる。RUNするなら、やはり軽快モードを維持継続できることに越したことはない。微に入り細に入りの自己分析や行動反省検証は大切な作業である。何気なくダラダラ過ごしていると気にならないことでも、わたしには「RUNをしたときの調子」という尺度があるので、ひじょうにわかりやすくありがたい。年老いて、それが「RUN」とは呼べぬ速さになったとしても、じぶんを見つめる習慣としてこの「クセ」は続けて生きたいものだ。
【ところで:ビンカンな皮膚感覚について】
上記に関連しわたしが常々注目しているのは、RUNを含む日常行動の結果として現れる「皮膚状態の変化」である。全身全体を通して、髪の毛一本でもまとわり付こうものならウズウズする触覚や、ちょっとした異物(木の葉っぱなど)にも反応がある体質だが、この話の場合、対象は主に「足の裏」。2週間前の右親指の付け根の切り傷を発端に、それをかばって右側小指下部分がめくれ、更にそれをかばって今度は左側小指下がめくれ、更に更に、今日は左足かかと部分がめくれた。あぁ素晴らしきかな、この人体の神秘的な均衡保持能力!(T_T)ウルウル…と、感心していられる程度なので、「イデデデ…(>_<)」ではあっても意に介さずヘラヘラRUNを続けている。…ただし、わたしの場合は既にそのくらいには鍛えられている(恒常性がある)から言えることであって、他のひとにも同様の趣意を持って「そんなの平気だよ」とは言わない。
9/20 土 13.1   京都ジャンクコース(きわめて日常生活的なコース)
「初マック」体験から四半世紀…「ポテト」以外のメニューで「これはウマイじょ!」と感動したのは、今日のスパイシーチキンが初めてだ(*^^)v
キャビア・フォアグラ・京料理・ふぐ・ハモ…実態がたいしたことない・相応な価値がないものに限って、これぞとばかりに「形容美辞麗句」が付加されることが多い…ということは今までもさんざん書いてきたことだが、これが「もっと大きな深いジャンル」でも展開されている事実に気が付いた。世の中のすべての物事は、すべての物事を持って補完関係を保ちながら「1」「個」「存在」を確立認識させているということだ。…「何かが欠落している」「どこか不安定」だから「言語的修飾」を要するものごとというのは、数多くあるように思える。一々にコトバを投げかけられるものほど案外底が浅く、「何も語らぬもの」「ただそこにあるもの」にこそ、「ホンモノ」「正しいこと」「あるべきこと」は包含されているのかもしれない。
…現段階での主張公開は、この程度の抽象的なレベルに留めておこう。ここから先は、その条件の整った対論相手が現れたときまでオアズケである
9/21 日 0.0   雨だ…(~_~;)
大画面のTVでドラマ見まくり。上川隆也は相変わらずカッコイイ(*^^)vそれに引き換え、ジョンローンは…(-_-;)
ある京都人いわく、「京都(市内)は1000年の都やさかい、雨風も地震も、大きな被害を受けることはなかったし、これからもありまへんのや」…とんだ歴史事実の誤認ならびに選民思想である。たまたま東寺や清水寺が長いこと維持されているだけのことで、実際にはどれだけの戦があり、洪水があったことか。空襲もあったし、今にも大ズレそうなエネルギーを持っている断層だってバリバリ存在し、その数や規模は相模原在住にしてビビリまくっていた富士山バクハツの被害危機感より深刻に思えるくらいだ★…ここには、いわば「京都教」のような思想を持った年寄りというのが意外と多いようである。これがいたずらに「よそさん」意識を増幅させる根源であるのかもしれない。
一定の評価を持つ権威ある強力な「集団」への帰属意識というのは、そこから得られる安定感というものを飛び越えたレベルで悪さをすることがある。「○○一族」「○○会社」「○○会」…個人を取り巻く「カテゴリ」は数多く存在するものだが、「そこにいるから万事大丈夫」なのではなく、「そこにいる自分自身の独自性」に思いを致し自覚すことなくして、真の意味における帰属の価値というものは生まれないだろう。
9/22 月 30.0   京都ゴールデンコース(夕方編)京都ゴールデンコース(夕方編)+ぶだはっと桂川付き
「化粧」に関する哲学的考察と共に
「本当に皮膚に・体に害はないか」がいつまでも結論できないまま試行錯誤実験品を提供し続ける化粧品業界。最近ではそのCM方法も「ついに本音全開か!」というあからさまさで、その目的を「オトコの視線を惹きつける」内容に終始したコピーがあとを絶たない。まぁ、実物が不明になるほどに塗りたくって外見的に性を主張していればOKな世代はそれで良いのだろうが…(余計なお世話だが、彼女らに長期入院や災害避難所での生活の不安はないのか?)…しかし、本日考えた「化粧」とは、そんな低次元のことではない。成人・おとな・社会人・真に成長した女性…要は、イイオトコを捕まえてこどもをつくって幸せを夢見ようとか、そんなことを越えた世代の「化粧」とはなんぞや?ということである。
屁理屈や一般論ではない独自の実感的結論(具体的方向性)が今日出ましたね〜♪「外見じゃない、中身がカンジン」とはクサルほど聞いてきたが、その具体的な内容をじぶんなりに解釈したということだ。わかったら早速実践あるのみ。内容は、ン万円の化粧水なんて出費をしなくてもいいことなので、カンタンに着手できるのだっ。…じぶんの20年後を期待しようo(~o~)O
9/23 火 38.0   大原から比叡山、今回は北山トレイルコースを忠実に…♪
う〜ん、これぞまさしく「高尾陣馬ボルダー再び!」である!
しかし、帰路のきらら坂はちょいといただけない…今度は「赤山禅院」に降りるコースで、京都版MYボルダーコースを極めようではないか!ヽ(~o~)/
9/24 水 20.0   京都ゴールデンコース(夕方編)
明日、サイは投げられる。
できるか、できないか、躊躇と迷いの時間は既にナイのである!
9/25 木 25.0   京都ゴールデンコース(夕方編)+その前後に京都お買い物グルグルRUN
ジャスコでクツ、図書館で貸借手続き、京都タワーの手芸やさん
関東方面でいうところの「ユザワヤ」「オカダヤ」…、この京都版といえるお店が京都タワー地下にある。観光者向けの店舗だらけのこの界隈で、ベタベタに地元民様用のお店があるのもなんだか違和感たっぷりなのだが、まぁ便利なものだ。まるで「手芸のドンキ」ともいうべきゴチャゴチャとした陳列環境で、お世辞にもキレイとはいえないが、たいていの「ほしいもの」はそろうので重宝モノなんである。しかし…この場所に足を踏み入れたら最後、わたしの「時」は止まってしまう…これがモンダイだ。必要なモノ以外のジャンルの商品もシゲシゲ眺めてムフフ…なひと時を過ごしすぎ、気づけはタイムアウトで帰りは電車に乗るハメに…★(-_-;)
9/26 金 20.0   京都ゴールデンコース(夕方編)
本屋で「ビニル詰め」をウッカリ忘れたらしい『FRIDAY』が立ち読み放題状態に!ウヒョヒョ、ラッキー♪と、久々に誌面を覗いてみれば…
アダチユミのバカハハが、オール整形&ヌード披露とかで、その醜態をページ一杯に炸裂させていた…50も過ぎたオバハンが何を目指しているのかは知らないが、公開されたその裸体は未成熟の中途半端な少女のような貧弱さだった。「細い」「肉がない」「か弱そうな」イメージが全世代通じての「女性美の極致」というのは大いなる勘違いではないだろうか?と、この画像でヒシヒシ感じた。どこをどうしても完全復活できない「フケ顔」に対して、アンバランスすぎるラインなのである。以前、バストだけサイズUP手術したハヤシバナオコのヌードを見たときの愚かしい姿まで思い出してしまったではないか…ウエッ(>_<)★。…娘どころか孫までいるいい年したオバハンが求めるべき「美」は、開放・放出させるところよりむしろ、隠された・秘められた部分にあるものを敢えて探らせるようなところにこそ成立されているべきではないのか?この女は、事実上「母」であり「祖母」であり「成人女性」であるが、実質上は「自分勝手わがままな少女の精神状態でストップ」したままのアホであるに違いない。こんなものを「うらやましい」と思う人間もまたシカリである。
これは、RUNしようが鍛えようが、華奢になるどころか、どこからどこまで「ボボボボ〜ン!」なままの体型を改善できないわたしの「ひがみ根性」が発する批判ではないぞ。
9/27 土 15.4   南インター近くの「お値段以上、ニトリ」まで。
本当にお値段以上かどうかがわかるのはこれからだわなぁ。
9/28 日 19.8   鴨川RUN。
ニューバランスがんばってくれ〜!京都にはNBブランドのRUNシューズがほとんどと言っていいほどナイぞ!わたし、アシックスはアカンねんて。
「RUNのお供」、MP3の中身をちょっと替えた。チャゲアスや明菜の一部を削除し、中山美穂とラブサイケデリコとケイコ・リーと…そして、入れちゃったぜぃ!「トルバドールズ」☆過去にも、FMで流れてきてピンときて、MP3入りした曲(ソウルヘッド・山崎まさよし・タツローなど)があるが、今回もその類。「FMココロ」「FM802」どちらに合わせても毎日1回は必ず耳に入ってくるこの曲はおそらく最近のヒット曲なんだろうが、そんなことくらいではわたしの「MP3入りの栄光」は果たせない。では、なにがポイントだったのか?…この曲のテンポが、わたしのRUNペースに見事にマッチしたからなんである!いやぁ、長年音楽をお供にしながら、これだけじぶんのペースにビンゴ!な曲に出会ったことがあっただろうか?というくらいなのだ。
9/29 月 0.0   雨だ…ヒミツ特訓だ!(~o~)
RUN距離はゼロだが、実質上はそれより疲労したような気がする。
世の中には、想定できるはずにも関わらずそれを無視したかのように、ひとの傷つくこと・不安になることをヘ〜キで言ってのける人間というのがいるもんだ。言った以上、その記憶を鮮明に保持し、いざというときは本筋を逸脱しない正当な議論や釈明ができるくらいの自覚や自信があってしかるべきところが、本人にはハナから「相手がどう思う」という基準を外れている次元での軽い言及であるから、後になって指摘されても言ったこと自体を忘れているとか、開き直るとか、一般論で切り抜けるとか、そんな対応しかできないところが始末に負えない。それどころか、逆ギレのように自分が貶められたかのような被害者意識を持つことすらある。このような人間でも、それなりに人生を踏んだ喜怒哀楽の経緯はあるわけだが、どうやらそのレベルが違うらしい…いや、階層的表現より、「世界が違う」という言い方のほうが適切か。だから「気を使う範囲」が異なり、異世界の人との心的軋轢を絶えず生じるのである。例えば、セメント屋一族の3万坪豪邸で過ごした人間には所詮、親が明日のご飯を作れるのかというような心配の切なさをタマシイで感じることはなかっただろうし、ラサール東大を出て官僚になったような人間には、学ぶ環境すら満足に得られなかったような中で足掻いたような思いは実感できないだろう。だから、当事者からすれば「とんでもない」ことが、ドラマのセリフのように簡単に公言できるのである。しかし同時に、こんな人間に限って必要以上に「やさしさ」だの「思いやり」だの「ひととして」なんていう高尚なコトバを熟知しているように吐きまくるものである。大いなる矛盾だ。政治のような大きな世界が相手では、いかんともしがたいことだろうが、このような資質の人間にあいまみえることは、一般日常生活の中でもかなりある。不幸にしてこのようなかかわりを持ってしまった場合、その対処方法は2通り。詳細は後日、折を見てブログにて!
(公開までにはかなり時間がかかると思うので、興味ある方は気長にお待ちください)
9/30 火 0.0   また雨だ…よう降るわ!
思想転換1ヶ月経過。やりゃ〜っできるじゃねぇ〜か!っていう感じである。この調子で、「良い日々」をズンズン重ねていこう☆投げられたサイを、コロコロ転がしはじめるぞ!
ぬはは…その詳述などやはりできるわけがなかろう。
【今月の「RUN中哲学的考察」における成果】は、今後に応用継続できる大変価値あるものであった。
おりしも本日は、このWEB日記で「あるくだっしゅ」を停止する宣言をしてからちょうど満3年になる日である。わたしにとっての今日は、今月の終わり、というより「3年間の終わり」という思いが強い。
じぶんとしては「人生の二次的紆余曲折」と表現したいあれこれを経て、今の心中には「そして残った必要なもの」が、キラキラしながら明日を待っているような感覚だ。
いつ、どんな状況にあっても、変わることなくじぶんに存在し続けた「RUNは楽しい」を大切にしながら、さぁ、さらにがんばろう!o(~o~)O
走行距離 539.6  km