ヨッシー  
地域 : 石川    年齢 :
一言 : 
<2012.01.11>日々進化          <2012.01.11>日々進化          <2012.01.11>日々進化          <2012.01.11>日々進化          <2012.01.11>日々進化          <2012.01.11>日々進化          <2012.01.11>日々進化          <2012.01.11>日々進化
月日 距離 内容 タイム メモ
4/01 月 0.0  
4/02 火 6.5   自宅〜O地区〜S地区
0.27.04
4/03 水 0.0  
4/04 木 6.5   自宅〜O地区〜S地区
0.26.53
4/05 金 0.0  
4/06 土 3.5   K市Cコース
0.14.44
4/07 日 9.5   K市SC(室内)
0.44.57
4/08 月 5.5   自宅〜JR駅 K市Cコース
0.24.15
4/09 火 0.0  
4/10 水 0.0  
4/11 木 0.0  
4/12 金 0.0  
4/13 土 6.5   自宅〜O地区〜S地区
0.26.16
4/14 日 20.0   加賀温泉郷コース試走
1.41.35
4/15 月 0.0  
4/16 火 6.5   自宅〜O地区〜S地区
0.26.26
4/17 水 6.5   自宅〜O地区〜S地区
0.27.38
4/18 木 0.0  
4/19 金 3.2   K市Aコース
0.14.25
4/20 土 1.5   小学校グラウンド7.5周
0.06.52
4/21 日 42.2   加賀温泉郷マラソン
3.57.07
朝から小雨が降り続き、この時期としては異例の気温が低い中、9年ぶりのフルマラソンに挑戦した。とにかく力を貯めていくこと、景色・観光名所を見ながら少しでも楽しく走れるよう心掛けた。走る前は同級生のT君や、尊敬するMさん、マラソン仲間のTさんなど多くの人と話すことができ、割とリラックスしてスタート台につくことができた。5km地点23分51秒。下って登るコース区間であり、まずはここで消耗しないよう、リラックスして走る。走破タイムは予定通り。10km47分25秒【5〜10km 23分34秒】。この区間は、6km過ぎから一気に500mほど下るコースでありその後はほぼ平坦。8km過ぎからは完全な追い風となり、タイムが稼げる区間だ。気象条件やコース形態を考えれば、もう少しいいラップがでてもおかしくなかったが、特に問題なくクリア。15km地点1時間11分38秒【10km〜15km 24分13秒】。この区間は田んぼ道が続いた後、後半は山代温泉を中心した旅館街、商店街を駆け抜けるコース。さほど感じなかったが、少しずつ登っているようだ。途中、驚いたのは娘と息子が親と共に応援に来ていたことであり、これはかなり刺激になり力も湧いてきた。併せて、暖まってきたのでスタート当初から被っていたニット帽も子供に手渡した。多少ラップは落ちたものの走るリズムはそれほど変わりなく、コースを考えればイーブンペースで推移。20km地点1時間36分15秒【15km〜20km 24分37秒】。この区間は、高台のコースから途中ゆっくり下り、その後少しずつじわじわと上りはじめ、山中温泉街の中心部「菊の湯」を折り返すコース。ほとんど平坦地点がないので、ペースを落とすことなく、我慢できるかがポイントの区間。少しずつ足に負荷が来ているのを感じ始めたが、メチャ無理することなくこの区間も何とか5分/km以内で持ち堪えることができ、いよいよ地獄の後半に臨む。25km地点2時間1分24秒【20km〜25km 25分09秒】。この区間は15km〜20kmのほぼ逆区間となり、いよいよ魔の向かい風が待ち受けるコース。24km付近までは順調に推移していたが、このあたりから何となく足幅が狭くなってきている異変を自覚し始めた。1kmのラップも5分はおろか5分30秒近くかかり、いよいよ試練の時を迎える。30km地点2時間29分59秒【25km〜30km 28分35秒】。この区間から、完全に足が棒立ち状態になった。おまけに向かい風の影響を受け、ほとんど周りの景色が目に入らないほどの厳しい状態となった。心肺機能はほとんど大丈夫なのにも関わらず、ここまでの落差が発生するのがフルマラソンの恐さと感じた。そしてついに、エイドステーションと30km地点が目前に控える地点で立ち止まる事態に陥ってしまった。ただここ時点では、まだ3時間30分のペースメーカーには抜かれてなかったので、心が折れないように強い気持ちを持とうとした。35km地点3時間07分51秒【30km〜35km 37分52秒】。全く足が動かなくなり、太腿の痙攣や強い張りのほか、寒さで手が悴むなど悲惨な状態となった。途中、大会関係者である親戚のSチャンとばったり沿道で会ったが、顔では笑えるものの足は全然動かなかった。この区間は、数百m単位で歩いたり走ったりの繰り返しとなり、31km手前で3時間30分のペースメーカーに抜かれ、以降はその姿はだんだん遠くなり、もはや事態は次の4時間のペースメーカーにさらされる危険にまで陥った。また、ここまで十分に補給していた水分だけでは足りなくなり、スタミナまで完全に消滅しかかっていたので32km過ぎの片山津温泉エリアのエイドでは、温泉玉子のほか、フルーツ、チョコレート、キャンディーとあらゆる物を口にして、このパワーを完走につなげようと気持ちを入れ替えるしかなかった。しかしながら、走っていても後方からくる人達に抜かれっ放しでそんな自分が虚しくもなった。今回マラソンの中でこの区間は一番苦しかった。40km地点3時間44分05秒【35km〜40km 36分14秒】。相変わらず、走ったり歩いたりの繰り返しだった。36km過ぎのエイドでは、チョコの7〜8個程度持って速攻で補給した。幸いだったのは、35km過ぎ位から太陽が照り出し、冬のような寒さが少しずつ消えかかってきたことであり、だいぶ力にもなった。残り5km付近からは、ゴールが近づいてきたという奮いたつ気持ちが芽生えてきて、栄養補給のおかげもあり、徐々に歩く時間も少なくなり、急な上り坂以外は踏ん張って走れる状態になってきた。しかしながらこの5kmは平均7分/kmかかり、また38km過ぎの足指の痙攣発生での立ち止まりもあって、悔しいことに39km過ぎで4時間のペースメーカーにまで抜かれてしまった。ただ意地でも4時間切りが最低条件だと思っていたし、何とか7分/km平均でしのげば4時間を切れるという計算をしていたので、抜かれてもペースメーカーが見える位置で踏ん張ろうと決意した。ゴール3時間57分07秒【40km〜42.195km 13分02秒】。40kmを過ぎて、このマラソンの終止符を迎えると思うと、最後にきて不思議と力がまたでてきた。全く普通には走れなかったが、少しずつ離れながらもペースメーカーが前に見える位置にいたのと、9年ぶりのフルマラソンをどうにか完走できそうだという安堵感で、残り2kmを悔いのないように駆け抜けることができた。残り500m付近では、知り合いのNさんも大きな声で声援をおくってくれた。この区間は坂道が大きく2ヶ所あったが、何とかこれを歩かずに通り抜け、ついに子供2人が待つゴールに辿りついた。走り終わった時は、呼吸面等心肺機能は全く大丈夫だったし、これまで走ったフルマラソンに比べて、割と楽に歩くことができたので、何故もう少し我慢できなかったのだろうという反省の思いが募った。しかしながら9年ぶりのマラソンだし、この1ヶ月ちょっとの練習内容ですら15〜20km程度の練習を数回しか走っていないということ考えれば、この結果は仕方がないだろう。また10年以上前ならもうフルマラソンは走りたくないと思ったものだが、最低目標の完走とサブ4を達成したことで、次なる目標としてまた来年走ってリベンジしてみたいという気持ちが芽生えてきた。そのためには定期的に20〜30km程度の距離を練習でこなしておく必要性を強く感じた。本当にいい経験になったし、歩くという苦しい体験の中から、マラソンの醍醐味を感じさせられるいい大会であった。ちなみに大会終了後の抽選会でちょっとした記念品が当たったというにも驚いた。
4/22 月 0.0  
4/23 火 0.0  
4/24 水 5.5   自宅〜JR駅 K市Cコース
0.27.14
4/25 木 0.0  
4/26 金 3.5   K市Cコース
0.16.56
4/27 土 8.0   K市駅伝コース
0.36.37
4/28 日 0.0  
4/29 月 7.2   K市神社〜トンネルコース
0.34.46
4/30 火 0.0  
走行距離 142.1  km