モーリス  
地域 : 京都    年齢 : どこに出しても恥ずかしい63歳。
一言 : 
金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。          金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。          金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。          金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。
月日 距離 内容 タイム メモ
3/01 日 18.0   二条城×7 ビルドアップjog
59'15 (9'41-8'57-8'41-8'19-8'07-8'01-7'26) AV 4'21/km
午前八時起床。近くの喫茶にてBモーニング。今日は3890とびわ湖毎日マラソンの観戦のため、車で待ち合わせの北堀へ向かう。到着すると丁度H瀬さんとおもち君も一緒にペース走の最中だった。車の中で寝て待っているとほどなく終了。3890の家に立ち寄りその後H瀬さんも含め三人が私の車で石山へ。運転は3890に任せたが、さすがにびわ湖毎日に出場していただけに道に詳しかった。石山の平和堂に車をデポ。平和堂で昼食後選手が来るのを待つ。びわ湖毎日マラソンは選手と沿道の距離が近く非常に迫力がある。先頭集団がやってきた時は興奮した。疾風のように先頭グループが去ったあとも後続の選手がもの凄いスピードで通り過ぎる。走っている選手全員がフルを2時間半かハーフなら1時間10分切る実力を持ったと超エリートランナーなのだから当たり前だ。3890は知り合いやK澤大の後輩が大勢出ているので応援に余念がない。そうこうするうちにハシモッチの姿が。いい位置だ。しかしかなり突っ込んでいる様子。後半大丈夫か?不安が頭ををよぎる。その後場所を3度変えて都合4回見ることが出来た。ハシモッチはやはり後半失速した模様。明らかにペースが落ちたハシモッチに3890から、絶対完走しろ!との檄が飛ぶ。驚いたのは収容車に予想以上の選手が乗っていたことだ。関門で引っかかったのか自らリタイアしたのかはわからないが、ここに出てくる選手でさえ最後まで完走出来ないというびわ湖毎日マラソンの厳しさを垣間見た気がした。やはりハシモッチは前半5千mごとのラップを16分台で刻むという突っ込み方だったらしい。後半失速したようだが、世界の強豪に混じってのその積極果敢な走りは、素晴らしかったと思う。それにしてもK澤大のランシャツを掲げて応援する3890を見て、この男は心底陸上が好きなのだとあらためて思った。陸上競技にかけた青春の原風景を、40歳を越えた今もなお追い続けているのである。熱い男だ。宇治にバック後ガストにてお疲れさまの珈琲。H瀬さんを送って帰宅。21時から二条城を快調走。
3/02 月 16.0   二条城×7 jog
1'11'27 AV 5'15/km
終日業務。ローテーションとしては筋トレであるが、明日は雨模様なのでランへ出かける。冷え込む中、二条城をゆっくりジョグ。
3/03 火 4.0   筋トレ&二条城×1
7'46-4'00/km
(午後より雨) 業務終了後遠藤賢司を聴きながら筋トレ。21時を過ぎたのでランはオフにしようか迷うも、明日は東京で走れないので二条城を一周だけ快調走。夜半12時に中井師範とはなふさイースト。師範もお疲れモード。嫁から、ワタシハアナタガキライデスのメールが来そうな予感がしたので、今夜は早く帰りましょうと帰宅午前一時。
3/04 水 0.0   東京出張にて完全休養
東京は午後より雨
午後12時過ぎののぞみにて東京。牡蠣殻町ロイヤルパークホテルにチェックイン。二度目だがスタッフの対応が気持ちのいいホテル。夕刻、仕事関係先の接待にて浅草ビューホテルへ。浅草の花街組合が主催する懇親の夕べに出席。大広間に参加者は500人以上。不景気と時代の流れで、昔ながらのお茶屋もなかなか厳しいらしい。そこでお茶屋遊びPRのために、料飲食組合が盛大なパーティーを開催したとか。さすがに出席者は金持ちそうな人間ばかりで、どうにも私は場違いな感じで落ち着かなかった。しかし年季の入った芸妓さんの踊りは楽しく、何より初めて見た幇間芸(太鼓もち)には感動した。東京で長く展示会をやっていたので、お客さんにはこうした芸人の方も多かった。しかしながらこのようなお座敷芸も後継者不足で衰退の一途とか。寂しい話だ。意外なのは舞台を見ながら結構楽しんでいる自分がいたことだ。お茶屋遊びなどしたことはないが、芸妓の踊りやお座敷芸を見ていいなあと思うのは、遊び人だった祖父の血を引いてるからか、日本人だからか。いや単に歳を取っただけなのであろう。パーティー後浅草のスナックにてカラオケ。仕事関係の偉いさんは皆年配なので唄う歌も古いのを選曲。先ほどビューホテルで舞台に立っていたというママ(推定年齢68歳)に、横顔が坂口憲二に似てるわねえ〜と妖しい目つきで見つめられた。疲れ果て最後はいつものように強烈な睡魔と闘いながらどうにかお開き。ホテルにバック後服を着たまま卒倒眠。
3/05 木 8.0   軍事演習2000×1
7'33
八時起床。ホテルのビュッフェバイキングにて食べ過ぎてしまう。何ていやしい私。重い腹を抱え中央線にて荻窪のお客さん宅へ。私と同い年の娘さんが、腎臓から塩分が出るという難病に罹ってしまったとか。塩分が血液に入り血圧が上がってしまい体中に痛みが出るらしい。難病指定されてないため、医療費が高くて大変だと話しておられた。本当に人間どこでどうなるかわからない。夕方16時半ののぞみに乗車。19時を過ぎて帰宅。速攻で着替えてグランドへ。疲れてはいるものの今日は休めない。しかしながら東京で食べ過ぎたせいかアップから体の重いこと。取り合えず2千m一本の刺激走。大したペースではないのに余裕なし。アキマヘン。練習終了後よこTの受注。やはり人気ナンバーワンは走るオヤジだった。帰宅して入浴後23時を過ぎて一人誠養軒。焼き豚と餃子でビール大瓶1本。締めに味噌ラーメン。客は私一人だったのでマスターと長話しになってしまった。ええ具合に酔おて深夜1時帰宅。体重が又増えとる。うくく。練習日記を書こうと思うもPCの前に座ったまま爆睡。寒くて夜中に目が覚め即寝成仏。
3/06 金 13.0   二条城×5 高速jog 400×1
41'40 ( 9'03-8'36-8'21-8'08-7'38) AV4'18/km                                               400(71)
業務終了後本能陸上クラブの6年生を送る会へ。一年なんてあっという間。本当に早い。今年の6年生は正直あまり印象に残っていない。要するにそれだけ走ることに真摯な子供がいなかったということである。それは子供たちだけのせいではなく、教える側の態勢にもある。いや、どちらかといえばそちらの方が大きいといえる。クラブの代表が体調不良ということもありあっさりと終了。打ち上げもないので即帰って二条城へ。ハーフの二日前に走り過ぎかと思うも5周の高速ジョグ。刺激に400mを一本。深夜丸山書店へ注文していたCDを取りに行く。フィフスアベニューバンド唯一のアルバム。名盤。ほんで又今日も夜更かしヤモリ。軍曹スンマヘン。
3/07 土 4.0   二条城×1 200m×1
200m(31)                                           シティハーフ受付会場にて網タイツマダムと遭遇。今日は網タイツではなかった。
午後、明日のシティハーフ手続きに受け付け会場のみやこメッセへ。アラキのK領さんと会う。彼は明日のレースは3分30秒で押して行くという。調子は良さそうだ。40歳なので年代別入賞は十分射程範囲だろう。業務終了後二条城。さすがに今日は軽く切り上げる。帰宅後入浴前に体重を量る。72kg。やはりちょっとオーバーウエイトだ。身長182.5cmなのだからそんなものかも知れないが、体重が1kg減るとフルマラソンで3分タイムを短縮出来るなんていう話を聞くとホンマかいなと思いつつも、やっぱりウエイトが気になってしまう。ところで明日は逆算すると6時前には起きなければならない。6時まで起きていろと言われる方が楽な生活パターンなのに。そうもいっていられないので12時に布団に入る。しかしながら眠れるわけもなく団長に寝たか?とメールを入れてみる。返事がないのでさすがに団長も寝たのだろうとようやくウトウトしていたら長女が入浴する音で目が覚めた。デリカシーのない戸の開け閉めの音にブチ切れた私は、ダアホ!ワシは明日5時半に起きなあかんねんぞ。静かにせい!と怒鳴り込み、又しても目が冴えてしまう。携帯を見るとあろうことか団長から12時54分に、今仕事から帰って来ましたとメールが入っていた。うくく。
3/08 日 24.0   京都シティハーフ
1'23'21                   AV3'57/km
コーナンで買った300円の目覚ましが頼りなく鳴った。午前5時50分起床。睡眠は4時間位だろうか。団長よりは寝ただろう。嫁を起こさぬよう細心の注意を払い、台所で朝食。ビッグカツサンド、ミックスサンド、赤飯の大福、おはぎ、トマトジュース、牛乳、珈琲。うーむ又食べ過ぎたかも。自転車にて7時過ぎにみやこメッセへ。もうグランドのメンバーは集まっていた。すぐに国領さんと合流。彼は夕べは9時に寝たという。スタートの3時間前にはきっちり朝食は済ませたということで、さすがにエリートランナーは試合に臨む準備が怠り無いと感心させられた。国領さんとアップゾーンを軽く走っていると、ハッサンと遭遇。トヨタ自動車北九州を辞めてからどうしたのか気になっていたが、今はR谷大学で走っているらしい。ハッサンと一緒にアップしたが、やはりアップのスピードの速いこと。結構汗をかいてアップを終了した。京都シティは初めてで段取りも何もわからないから、取り合えずカッキー皇帝に着いて行くことにする。さすがに蛇の道は蛇で、うまく登録者ゾーンの前の方に入ることが出来た。曇りで風もなくいいコンディションだ。ふと隣を見ると坊主頭の林君だった。スタートまでの待ち時間、伝説の男と話しながらすっかりリラックス出来た。8時45分スタート。皇帝や金ちゃんはすぐに見えなくなってしまった。ペースもわからないまま取り合えず走る。5km通過19分22秒。悪くない。とにかくキロ4分を越えなければいいのだ。10km39分7秒。鴨川左岸を走っているときに流れ板晴次の応援。有難い。折り返しの手前でペースが鈍ってきたように感じたが、後半に脚を残す意味でも焦ってはいけないと自分に言い聞かせる。少しペースを落として休むときも、気持ちは攻めろという中牧御大の言葉を思い出す。確かに苦しくなって漠然と走るよりも、ペースが落ちてきても気持ちは攻めているのとでは、コンマ何秒かの違いは出てくるように思われる。白川通りに出て花園橋のところでツッチー氏の声援でハッと我に返る。丁度苦しいときだったので有難かった。あと4kmという看板のところで逆算したら、残りをキロ4分で行けば84分を切れることがわかり懸命に地面を蹴る。白川通りに入ってからは太陽ヶ丘のF村さんと併走。うまく引っ張ってもらえた。ラストは、終始私の前を走っていた小柄な女性ランナーを抜こうとスピードを上げ、ゴール手前で抜いてフィニッシュ。時計を見ると1時間23分18秒。取り合えず目標としていた1時間24分切りが出来たのでホッとした。選手控え室に戻ると、グランドメンバーの多くも自己ベストが出たようで、皆表情が明るかった。国領さんは予定通りキロ3分30ペースで走り1時間13分台でゴール。当然年代別で入賞かと思いきや、今年は3位でも1時間11分台というハイレベルで、年代別5位という結果だった。今回自己ベストが出せた要因は、コースと気候条件が良かったこと、それとハーフも三回目になって、ペース配分や給水の仕方とかが自分なりにわかってきたからではないかと思う。取り合えずお疲れさまでした。
3/09 月 3.0   筋トレ&千本今出川まで往復ジョグ
軍曹、よこしまTシャツ柄お任せでLサイズ2枚でよろしいですか?お任せといっても柄は3柄しかないんやけど。
終日業務。筋肉痛はほとんどないが朝から喉が痛い。前日も疲れていたのに結局いつもの夜更かしで深夜に寝たのが悪かったのか。熱はないが喉がヒリヒリするのでルゴール液を塗りまくる。業務後筋トレ。21時を過ぎてマッサージ代わりのスロージョグ。やはり昨日のダメージか、走ってみると脚の重いこと。喉の痛み変わらず。
3/10 火 6.0   軍事演習2000×1
7'16                                          軍曹には汗かきオヤジ柄は必携。もう一枚はお任せで。
終日業務。喉が痛くて声が出ない。今日はオフにしようかと思うが、ひらりん君が来るのでTシャツのこともあり、とにかくグランドへ。せっかく来たのだから男子2000mに一本のみ参加。その後団長とダウンジョグ。グランドでの彼の走りからすると、ハーフでも75分台で走れないのはおかしいのだ。やはり10km以上のレースで団長のスピードを生かすには、絶対的な練習量(距離)がまだ不足しているのではないかと思われる。しかし団長の仕事もシフトが不規則で、深夜帰宅なんてのがあるから気の毒だ。特に朝の早いレースではきついと思う。O川君は男子の2千mインターバル5本に最後まで着いて行ってた。中学生で立派なものだ。京都ロードレースでの活躍を期待したい。
3/11 水 15.0   清水15kmコース jog
業務終了後久しぶりの清水コース。年度末のせいかあちこちで道路工事をしている。予算を使い切るためだというが何とかならんのか。二年坂から八坂神社、知恩院、平安神宮を抜け銀閣寺、百万遍を経由して帰宅。咳が出て難儀なことである。
3/12 木 7.0   軍事演習2000×1-1000×1
7'16-3'30                                                                                                  4月か5月に自転車で琵琶湖一周計画あり。ショーゴ君、団長、よろしく。バッキー早く自転車買うように。ちなみにバトルはやりません。サイクリングです。
業務終了後グランドへ。久しぶりにおもち君の顔。故障が長引いているらしい。走れないときも、心肺能力を落とさないために水泳や自転車のトレーニングは有効である。自転車ならいつでも付き合うから言ってくれ。よこTを着て復活ロードだ。日曜日に5kmのレースなので中学生の1000m一本に入ろうかと迷うも、男子の緩急走に2000+1000入ることにする。団長が引っ張って2千ごと3分40ー3分30を3セットという内容。体調不良だがまあまあの感じで走り終える。このハードなペーランに3890はアップもなしに参加していた。ちみが怪物なのはわかるが、気を付けないとヤバイよ。好事魔多し。支店長昇進直後にグランドで突然死なんてシャレにならん。某クラブで40代のランナーが練習中倒れて心肺停止状態になったという話を聞いて私も身につまされた。まあグランドで倒れて死んだら3890なら伝説になるが、私ならお笑い種である。軍曹も気をつけなあきまへんで。
3/13 金 0.0   終日雨                                  筋トレのみ
咳が出て眠れず
業務終了後筋トレ。雨のためランはオフ。風邪がすっきりせず咳が出る。布団に入り体が温まると咳が出て寝てもすぐに目が覚めてしまう。難儀なことである。
3/14 土 7.0   二条城×2-400×1
400(70) 咳が出て眠れず
終日業務。業務後、明日は3kmのロードレースに出るヒデと二条城へ。軽くジョグのあとヒデと400mを一本。こちとら体調不良ということもあるが、スタート直後からどんどん離されて全く歯が立たず。ヒデは63秒だが軽く走っていたのでスピードは以前より付いているように思う。嬉しいような口惜しいような気分。咳は相変わらずで頭も痛い。治りが遅いのは歳のせいであろうか。明日の京都ロードレースは本能陸上の鈴木君と細川君、それとGの小川君を連れて行くので楽しみだ。
3/15 日 10.0   京都ロードレース5km
19'38
午前7時起床。8時半に鈴木君宅で子供たちと合流して嵐山へ向かう。昨日とはうってかわった快晴。今年の京都ロードレースはかなりの参加者で、5kmも50代と女子が時間差スタートとなった。今日は子供たちのお母さんも応援に来る。いいところを見せたいのはやまやまだが、今日の体調では大撃沈は目に見えている。DNSしたろうかという気持ちが一瞬よぎるも、いくら撃沈したところでそれはそれでええやないかと考えた。そのうち国領さんも合流。彼は今回から40代になる。40代大会記録が17分15秒なのでそれをを切れとプレッシャーをかけておいた。11時に小中学生の3kmがスタート。今日は自分のレースよりもこちらが本番である。中学生は大江からきた、3千mベスト8分45秒という怪物が独走。小川君もいい位置に着けていたが、4位で入賞は逃した。GのI村君が二位。小川君、入賞は逃したが、中二でこのコースでの10分5秒は立派なタイムである。小学生の二人も力走。鈴木君は12分そこそこのタイムで、5年生としてはこちらも上出来。細川君も13分台で立派に完走した。次は私の番である。スタートのとき色白で太った若い衆数人が最前列に陣取っていた。どう見ても本気モードではない。スタートダッシュだけ飛び出て応援に受けようとする意図がミエミエである。邪魔やちゅうねん。恥を知れ恥を。私は去年の、前半突っ込み→後半撃沈パターンの反省から前半抑えたが、結局最後までペースを上げることは出来ず終わった。途中あちこちから、コーチ頑張れという声が聞こえたが応える余裕なし。最後は軍曹の前を抜けという激も空しく、ヘロヘロでゴールした。しばらくうずくまっていたら、関係者から、大丈夫ですかと声をかけられた。五十代は軍曹が独走。楽しみにしていたラストの阿修羅顔を見ることもなく余裕のゴールだった。競り合う相手がいなくて物足りなかったかもしれないが、一位は一位。素直に喜びなはれ。国領さんは17分5秒で見事大会新を樹立。さすがに大したものだ。帰りは小川君と細川君と三人でバーミヤン。帰宅後高槻の川上が来襲。二人でI'sバイシクル。疲れて自転車屋の椅子に座ったまま寝てしまった。夕刻、奈良の宇陀シティマラソンに行ってたヒデから、高校生3kmの部で一位だったというメールあり。おめでとう。どんどん武者修行に行って経験を積むことだ。
3/16 月 0.0   完全休養
終日業務。相変わらず咳が出る。京都シティハーフ以降もう一週間になるのに本当にしつこい。薬局へ咳止めを買いに行くと、薬剤師のおばちゃんに勧められたのは1500円もする咳止め液。こんな高いのは要らんと、結局龍角散を購入。夜はランも筋トレもせず完全休養。しかしながら、先週は大人しく家にいたから余計に体調が悪くなったのだと反省し、午前0時に中井師範とはなふさイーストにいるのは俺じゃないか。25時を過ぎて帰宅。今夜も咳が出て熟睡出来ず。
3/17 火 8.0   軍事演習1000×1-400×6
3'17-88-85-87-88-87-82
終日業務。咳変わらず。夕べ中井師範からお前顔色悪いぞと言われたが、やはりオーバーワーク気味だったのかもしれない。体調次第のメニューでいいわと取り合えずグランドへ。久しぶりに軍曹の顔。男子の1000mインターバルに1本だけ参加後、女子の400に入り6本。今夜も布団に入ると咳が出て寝たり起きたりを繰り返す。難儀なことである。明日は医者に行くことにしよう。
3/18 水 0.0   筋トレのみ
午前中、近所の耳鼻科へ行く。カメラで内部を見ますと、細い管を鼻から入れられ出し入れされる。喉の奥が炎症を起こしてますとのこと。薬を吸引して終了。四日分の薬を処方してもらい料金2540円也。三割負担でこれだから、実質これの三倍の料金だと考えると高いな〜と思う。業務後は筋トレのみ。今月は少しゆっくりしよう。夜半ジェイムステイラーのワン・マン・ドッグを聴く。Don't Let Me Be Lonely Tonight(寂しい夜) という切ないラブソングが秀逸。
3/19 木 5.0   軍事演習1000×1
3'06(1'27-1'39)
終日業務。本当にしつこい風邪(花粉?)だ。咳がいつまでもすっきりしない。思い切って2〜3日休むといいのかもしれないが全く走れないというわけではないので取り合えずグランドへ。パラパラと雨模様のせいか、人は少なかった。団長メニュー、2千ごと3分40−30−20の緩急走に出たり入ったりしようかと思うも、中学生のO川君と1000mを一本することにした。彼は明日記録会で3千mを走るのだが前日の刺激入れメニュー。カッキー皇帝より3分15秒位でという指示が出される。こっちははなからバトルする気も力もないのだが、スタートと同時にブッ飛ばす彼につられて1周目が87秒と突っ込む。どこが3分15秒ペースやねん・・・。二周目は脚が棒のようになりヘロヘロで終了。皇帝から、結構走れてますよと言ってもらえたが、しばらくは咳が止まらず気分が悪かった。夜は珍しく25時位に就寝。咳込んで夜中に目が覚めるも、あとは意外によく眠れてややマシな気分。やはり睡眠は大切である。
3/20 金 0.0   よこしま宴会のため完全休養
祝日なれど貧乏ヒマなし自営業者は業務。三連休のせいか観光客らしいグループ多し。夕刻よりよこしま宴会。5時間以上居酒屋にいた。時間とは感覚だ。楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。夜半より妙に冷え込む中帰宅。天津甘栗を食べて一日を終える。
3/21 土 21.0   清水ロングコース
1'44'33
業務終了後清水へ。昨日食べ過ぎてオーバーウエイト気味なのでロングジョグ。昨日あたりから市内の観光スポットは花灯篭ということでライトアップされている。これが終わるまでは二条城も東側は人が多くて走れない。いつも万寿寺通りから五条に出て清水の坂を上るのだが、今日は五条通りもいつもの倍以上の人。二年坂から八坂周辺はおびただしい人の波で走るどころではなかった。銀閣寺から百万遍、高野を抜け千本北大路へ。鞍馬口通りから千本を走り帰宅。昨日入浴前の体重は74.6kgだったが今日は70.6kg。一日で4kgも減っていた。
3/22 日 0.0   雨 筋トレのみ
休日なれど半日業務。夕刻より雨。業務後筋トレ。京都シティが終わってからオフモードが続いているためランは休み。夜半久し振りに女道家元とはなふさイースト。お坊ちゃまが念願の京都大学に合格。さぞかし幸せの絶頂かと思いきや、家庭内の軋轢から意外にも孤独な日々を送っているらしい。48歳と51歳の哀愁コンビが夜中11時に向かい合ってサントスブレンドを飲んでいる。冷え込む中24時半に帰宅。
3/23 月 15.0   千束コーススペシャル
1'10'45 (28'00-9'16-9'29-23'59)
終日業務。けだるい一週間の始まり。ストーミーマンデイ。業務終了後千束コーススペシャルへ。適当なペースでジョグ。しょうざん裏の温度計は4度。帰宅後ストレッチ&腹筋と逆立ち。入浴前の体重は71.2kg。夜半、ロイブキャナンのWhen A Guitar Plays The Blues を聴く。OVライトのカバー曲、A Nickel &A Nail がいい。
3/24 火 10.0   軍事演習400×10(rest100jog-40sec)-1000×1
83-82-82-80-81-82-80-81-81-81(20'23) 1000m-3'18
業務終了後グランドへ。体調も九割方戻ってきたので今日のメニューは400mのインターバル。尚吾君から80でやりませんかと誘われたが、レスト40秒で80設定10本は私にはキツい。レストは変えず、少し余裕を持ったペースで15本行こうかと思い一人でスタート。2本目からM木師匠が参入。M木さんはもちろんコンディショニングメニューなのであるが、師匠とやるとやはり緊張する。最後は本数がわからなくなってしまった。師匠すんません。男子は1000mを3分20で10本という強烈なメニュー。丁度400を終えてダウンしていると、ラストの10本目だということで私も乱入。いい感じで終了。
3/25 水 14.0   二条城×6 jog
55'14(10'12-9'45-9'21-9'18-8'53-7'44) AV9'12-4'44/km
業務終了後二条城へ。ライトアップ期間なので東側正門前が気になったが、平日のせいかそれほどの人出ではなかった。ラストは適当なペースで終了。夜半レオンラッセルを聴く。カーペンターズが歌ってヒットしたA Song For Youが泣かせる。
3/26 木 17.0   原谷+しょうざんクロカン坂道てんこ盛りコース
1'15'03 (16.5km) 4'32/km
終日業務。午後より通り雨。結構降ったので今夜のグランドはどうかなと思案。夕刻団長とメール。グランドはあかんやろということで、今日は私がマイコースとしている原谷〜しょうざんのクロカンコースを走ることにする。尚吾君とバッキーも合流。20時位にウチに集合して走り出した。このメンバーでは速く走らないと悪いと思って最初からペースを上げたら、尚吾君から、いつもこんな速いペースで走ってはるんですかと言われた。氷室道から原谷の上りに入って、峠までフリーで行ってくれと言うとあっという間に三人に離された。峠を越えて下りになってからは飛ばす飛ばす。特に団長と尚吾君はバトルしているのか、もの凄い勢いで下って行った。しかしこんな時間にこんな山の中で、男四人ぶっ飛ばして走っているのだから対向車はさぞかしびっくりしただろうと思う。然林房からさらに鷹ヶ峰の街道を千本北大路まで下りて又上がる。しょうざん裏の緩やかな下りも三人は飛ばす飛ばす。私でさえ4分を切るようなペースだったから、前は相当速かったと思う。若い衆は本当に元気だ。千本通りに出てようやくジョグペース。きつかったが、四人で行ったから長くは感じなかった。着替えに入った私の部屋でうだうだと話しが長引き、結局23時に解散。彼らが帰った後、部屋の中の汗臭かったこと。今度は銭湯の用意持参で来てチョーダイ。
3/27 金 0.0   筋トレ
二年前の京都シティハーフマラソンで、2時間のペースメーカーしたことがある。1時間59分7秒の我ながら絶妙のタイムでゴールし、レース終了後は何人かのランナーに御礼を言われたのも嬉しい思い出だ。ただ驚いたのは、スタート前に何人かのランナーと話したときに、ほとんど満足な練習もしないまま参加してる人が結構いたことだ。会社単位で社員が参加(新人研修?)させられていた人たちもいた。何よりびっくりしたのは、ほとんど走った経験のない人が、ハーフマラソンを完走出来るだろうと考えていることだった。案の定5kmも行かないうちに歩いている人が相当数いたが、さもありなんと思った次第である。いまやマラソンは、最も簡単に「感動」を体験できるスポーツとなった。42.195kmを走って、泣くのも人生観が変わったと思うのも個人の自由だが、それを主催運営する側は、お涙頂戴の感動をPRするのと同じ位、42kmを走るということがどれだけ体にダメージを与えるかという負の部分をも伝える責任と義務があると思う。128kgのデブタレントを走らせて心肺停止になった事故や、妊娠7ヶ月の妊婦が完走した(読売新聞はその危険性には一切触れず、輝いた女性ランナーという美談で報じた)という記事を見ると、話題になりさえすれば何でもありという主催者側の節操のなさが如実に表れていると思われる。
3/28 土 0.0   自転車例会にて完全休養
気合い入らず
終日業務。業務後、月イチでやってる自転車友達との例会にて居酒屋B&Bへ。やり手水道屋社長のご子息の自転車が完成したので、それを持ち込んで眺めながらの宴会。宴会後おっさん6名が拙宅の自転車部屋。深夜解散。酔いが覚めて妙に目が冴え、アマゾンで買った瀬古利彦のマラソンの真髄を明け方まで読む。
3/29 日 0.0   生朝原を見に行ってサボリ
四月から頑張ろう
八時起床。チタチタ喫茶にてBモーニングをしばき、自転車でT倉小学校へ。今日はスマイル21というイベントの一つで、小学生を集めて運動会が行われるのだが、ゲストにオリンピック100mの朝原選手が来るという。それで本能陸上クラブからもコーチに召集がかかったのである。生で見る朝原は意外にオーラがなかった。一朗さんの方が男前やなと思った。しかしお約束の余興で中学生の陸上部と走ったときは、最初こそは笑顔でゆっくりスタートしたものの、中盤からグングン加速して抜け出しゴールした。そのバネはさすがに凄かった。午後より大阪の友達と十三で打ち合わせ。京都へバック後三条の神泉にて珈琲。今から25年位前、会社勤めをしていた頃よく来た喫茶店だが変わっていない。今どき珈琲300円は安い。夜は中井師範のバンド、エビスの拾得ライブ。対バンは平均年齢50歳のおやじブルースバンド。客は40人位。はじける師範。ライブ後久しぶりに老安記。二日酔いでチャーハンを二度出すマスター。結局これで三日走らず。うくく。
3/30 月 17.0   洛北17kmコース
1'23'42(59'15-24'27)
終日業務。何をしているのかわからないまま弥生月も終わろうとしている。四月から大学生になる若者が入ってくるのか、近くのワンルームマンションでも引越し作業を見ることが多い。ああいう光景を見ると、大学を卒業した春、就職の決まった大阪天神橋筋六丁目の会社の寮に、親父の車で荷物を寮に運び込んだことを思い出す。天六の商店街でうどんを食べて、親父に頑張れよと言われて別れた。あれからもう26年。早いものだ。
3/31 火 10.0   軍事演習1000×3+1
3'30-89-3'30-86-3'31-3'32
仕入先の展示会にて有馬グランドホテルへ。道中桜がきれい。有馬グランドホテル、毎年来るのに、宿泊はおろか風呂に入ったこともない。業務が終了次第、中国道〜名神経由で京都へバック。精神状態悪し。それでも取り合えず業務後グランドへ。一人で400のインターバルを考えていたが、軍曹に誘われるまま男子1000mに参加。男子3分20の最後尾、3分30でもこのレストでは3本が一杯だった。一本休んでもう一本だけ走る。やっぱりまだスタミナがないなあ。四月、五月はインターバル中心の練習にして行こう。今日は久しぶりにヒデも登場。U波チームで4千の緩急走をしていた。来年は受験本番の年になるから、走るどころではなくなるだろう。今年が最後のつもりで悔いが無いようやり切って欲しい。今日は長女の19回目の誕生日ということで、帰宅後ささやかなお祝い。私の人生パターンとして、こうしたイベントの日は要注意なのであるが、果たして本日もそのパターン通りたまらんミッドナイトになった。こんがらがった人間関係の糸をほどくのは容易ではない。
走行距離 252.0  km