トロビ  
地域 : 三重    年齢 : 大学生20代前半
一言 : 
トロビ さんの戦績
[結果]
2007/05/02    萩往還    140キロ
誰がなんと言おうと、誰もきづかぬふりし続けようと、僕は走るのが好きです。偽りのない絶対の真実です。
2007/04/15    長野マラソン    結果を入力
ってかいたものの、締め切られてるしどうしよう
2007/03/18    荒川市民マラソン    結果を入力
湘南もいけど、ちょっと友達にあっていこうかと思います
2006/12/17    鈴鹿シティマラソン ハーフ    結果を入力
2006/11/12    揖斐川マラソン    結果を入力
むりかな〜

2006/11/04    長野マラソン    結果を入力
2006/10/28    関西医歯薬5000m    結果を入力
目標17分台前半
計画 トラックシューズを買う 9月中はペーランと坂トレ 10月はペーランとインターバル LSDは少なめとし、藤堂マラソンで総合的な有酸素能力を手に入れる 腕立ては100回握力はは300回腹筋は130回背筋は100回まで伸ばす

去年と同じ長腸靭帯を損傷しながら走った。記録こそさほど伸びなかったが、走ることの楽しさを走りにかける思い入れする涙ぐましい思いを分かち合えた気がする。
しばらく走れないだろうけど、速く復帰して走りたい!

2006/10/01    藤堂マラソン    1'33'35
大雨でも普通に人は走れるんだってことを痛感した。去年より確実に速くなってる!来年も出たかった今年で終わりらしい。残念だ。
途中から前に500m後に人影なし。視界不良。霧が山に殴りかかって空も山も白い曇天で、メガネに水滴、焦点合わず。ふわふわとした心の中を走っているようだった。途中からぼおっとしていて、走ってるんだか、眠ってんだかよくわからなかった。ついていくひともいず、(最初は付きまとわれていたが、10キロ過ぎにきえた)ペースも落ちもせず上げもせずで終わってしまった。コースアウトしながらも、終わってみるとまぁまぁな記録だが、あんまり疲れてない。
やはりペースダウンがないと面白くないきがしてきた。
三位だったので、明日中日新聞に載るらしい。
記録1時間33分35秒 (25キロ)
2006/08/27    北海道マラソン    3時間37分17秒
最高だ!あえて短くいうぞ!最高だ!


反省 LSDだけでなく、流し3本くらいは入れること
2006/08/05    西医体 3000m障害 5000m    11'53"60と18'09"68
2006/07/28    富士登山競争    4時間12分
  富士登山競争
 初めての登山競争であり、初めてエイドを使った大会
 反省 朝の食事はコンフレークかカロリーメイトゼリー四つか三つと牛乳が良い
    今回は坂トレーニング5セットだが、10セットに伸ばす
    エイドはカロリーメイトとアミノバイタルマルチエネルギーとアミノバイタル順番もこのまま
    ポーチはもっと小さくてフィットするやつ
    

 富士吉田市の富士登山競争に出てきました。
 書きたいことが山ほどありますがレースについて書いておきたいと思います。
今回初めてエイドをポーチに入れて走りました。何をもっていけば良いのか良くわかりませんでしたが、アミノバイタルマルチエネルギー2つとパワージェルを二つ持っていきました。ちなみに服装は三人とも『夢が三重る』でした。

 富士吉田市役所前(標高770m)出走
 レースが始まる30分前からざわついていた。このレースには関門があり最初の位置取りがとても大事だった。毎年選手のマナーが悪い、というので評判だった。参加者は2500人いるが、完走率は、42パーセントの厳しいレースだ。毎年やり方を変えているみたいだが、去年の酷さから、今年は去年完走者のつわものと他にわけて、つわものの後ろに他の人を分けていたが、前の組と後ろの組の間に居座って場所を譲らない礼儀知らずが大勢いた。
天候は晴れ。遠くにうっすらと富士が見えていた。あんなところにどうしてたどり着ける?と思った。
 7時半にレースが始まり、太鼓が鳴り響く。一斉にスタート、でも全然進まず、徐々にJOG。誰か倒れたらしい。先頭が詰まった。スタートから一分後にマットの上をやっと通過した。前方が混んでいて進まないから、わざわざ歩道を走って、前を抜いていく。直ぐに左折して、富士吉田のまったくもって平らでない中心商店街を走って登っていく。日照りが暑い。誰かの勧めで白のミズノキャップを前もってツバを後ろにしていた。市民の声援も暑い。場所がないからその人たちの後ろを走った。坂道は真っ直ぐ、雲をまとった富士に向かっていた。だらだらと少しずつ選手たちがまばらになったところで車道に戻った。
暑い。でも、それは馬返しまでだから、標高差3000mで気温差21だから、天候はコレでも良好のはずだから、そうおもって、ポリエステル100パーセントびっしょりで走った。
坂がきつい、でもここは一番ゆるやかなところだから、こんなところでまいるわけにはいかなかった。
いつの間にかみんないない。集団に飲まれたのだろうか?
浅間神社前の平地を、スピードアップして曲がってはまた富士に向かい、日差しのこぼれる富士の樹海の中へ延々と延びている車道に、入って行った。

中の茶屋
暑いことに変わりはないが、日差しは和らいだ。帽子のツバを前に変える。やはりこうでないしまりがない。この時点ではまだ余裕があった。道の端の端を通って、前の人を抜いたかと思えば、真ん中の空いているスペースを使って、走り抜けた。しかしだんだんポーチの位置が気になり始めた。僕のポーチは少し大きく、その中で、2500円と携帯とエイド4つと大会特製ポンチョ(ゴミ袋に線が引いてあるだけ)が、上下しては腹筋を圧迫していた。きつく閉めておけばよかったとも思ったが、それはそれで、腹筋を圧迫するのでコレでよしとしていたのだ。しかし、どうにもきつくなって少しでも楽にしたいと思ったので、右腰にバック部分を乗っけたり、次に前にしたりしていた。
坂が急になるにつれて、そんな無益なこともしていられなくなった(山は登るほど勾配がきつい)。今まで人を抜いてばっかりであったが次第に選手についていくようになり、やがて抜かれ始めた。時計を見る回数が増える。でもロード区間の終着はまだ遠く、33分しか経っていなかった。目前コースが反り返って視界の上に続き、木の葉の影に隠れて見えた。
後ろから僕の側をテラシーが抜いていった。同伴していたノロマハウス先輩が近づいてきたところで、背筋にぞっとするものを感じた。前にもあったことだ。気持ち悪さが口腔に這い上がってくる。迷惑にならないよう、集団ラインから反対のどぶ近くに移って走ったが、収まってしまった。コースが蛇行していたので、真っ直ぐ走って集団ラインに戻ったが、二人に追いつくのはかなわないことだった。少しずつ離され、やがて他の人と分別がつかなくなった。心肺機能と準備の悪さに少し恥ずかしさを覚えた。足が徐々に重くなっていく。周りの人も順々に僕を追い抜いていく。でもまだ三桁台の前回完走者がたくさんいたので、安心して抜かれることが出来た。しかしこのまま走れるはずもないと思い早いうちに給水所にたどり着けることを願った。
そのまま五分息を切らしながら走ったとこで歪曲した車道からはずれ、土道の登山道に入り、直ぐの中の茶屋の第一給水所で給水した。最初の給水所だけあって、人だかりになっていた。みな一時、ランニングを止める。ついたときに先輩たちの姿は無かった。僕も立ち止まって、スポーツドリンク一杯と塩を一つまみをとった。途端、力が湧いたように思えてしまった。しかしそれは一時的なものなのに、勢いづいて、さらに勾配増す、ひび割れて凸凹の幅三メートルの狭くなった登山道に突っ込んでしまった。

馬返し(0合目)
道は暗くなった。日はほとんど遮られ白い空がたまに覗いていた。
そんな観察をしていられたのは給水所を抜けて最初の一分だけだった。
酷い坂道にうんざりする。吐き気は無くなったが、足へのダメージが加速的に精神を崩壊させていく。
タイメックスのアイアンマンを見るが、簡単に時間は過ぎてくれない。馬返しまで目標を一時間。キロ5より遅くてよいがこんな坂道じゃ、距離は思ったより消化しているはずだと思い込みたくなる。時間は嘘を言わない。あと22分は最低限走ることになる。それより遅くなるかもしれない。そうしたらどうだろう。統計上馬返しまで、一時間6分で到達しなかった者は、完走できない。もうすでに間に合ってないんじゃないか?所詮平地を走っているだけの人間じゃないか?ろくな練習せず、やまを甘く見たんじゃないか?ペースが自分だけ落ちてるって?じゃもう高山病だろ?
そんな考えが頭のなかを次々に繰り返しまわっていった。実際周りのひとから邪魔者扱いされているんじゃないかって位次々に抜かれていく。安堵はもうなかった。山専用の重たげなリュックを背負った、筋肉はあるかもしれないが、体の重そうな親父がすいすい側を抜いていく。かと思えばひょろっとしたトライアスロン用とおもわれる、背中にポケットのついたウェアを着た人が、これまたすいすい抜いていく。僕を道の真ん中にして、脇をじゃまっけに抜いていくのだ。僕は素人か?何百人もの人が走り過ぎていく。
 道は蛇行してさらに勾配が増す。凸凹に足をとられてよろける。なぜこんなところを平然に走れるのか疑問だった。
 なかなか前に進まない。足に限界がきていた。明らかに重い。歩きたい。つりそうだ。前にもう歩いている脱落者がちらほらみえた。みな調子こいてしまった仲間か。加わりたい。両膝に手をあてる。
 いけない。歩きの体制に入ってしまった。時計が目に入る。もう直ぐ走り始めて、59分30秒を回るとこだった。「馬返しまで、とにかく歩かないこと!」web上のアドバイスを思い出す。もう一度JOGの体制にはいる。しかし、歩いているのよりペースがほとんど上がらなかった。
 足が上がらない。Ca不足か?練習不足か?馬返しまでいければ、塩がとれるが、こんなんじゃ・・・
 走ることを止めてしまった。両膝にまた手を置いて下に屈みこみながら、申し訳なくなって、顔をうずめた。
きっとあの二人は五合目八合目の関門を突破して山頂に至るだろう。でも僕は五合目にも達しないやっかいものさ。
そう思って確かに一回諦めた。しかし、
「はい!アクエリアス!」
「塩!とってください!」
そう遠くないところから、給水所の人が声を張り上げるのが聞こえてきたのだ。
顔をあげれば、馬返しの給水所が、木々の裏に隠れ、わずか十メートル先にあった。
にわかに、まだ頑張れると思い、重い足を持ち上げて、馬返しの杭を走りぬけた。
人をかきわけて、給水台に近寄り、スポーツドリンクを二杯飲み干した。
 時計を見る。馬返し(標高1450m、距離11キロ)一時間1分。気がつけば有利な位置にいた。何百人にも抜かれたのはきっと気のせいだろう。
 ここからは走らなくていいのだ。
 塩をなめる。やる気が出てきた。それと同時に足の疲労がすぅっと消えていく気がした。
 給水所をから離れて少し歩く。
 ゆったりとした階段があり、その先に鳥居があった。また森が続いている。
 急に背筋がぞっとして、気持ち悪さがこみ上げてきた。
 選手にどいてもらい階段脇の芝生のうえで、ついに嘔吐した。2.3回に分けて吐いた。今朝食べたものが出てしまった。気持ち悪い。でもそんなことは志摩で経験済み。すぐに楽になる。
 かがんだまま、鳥居を見ると、その遥か後方に富士の赤い岩肌が見えた。その先の頂上は雲に覆われて見えなかったが、
―たどり着いてやる―
僕はそう思って、ゆっくり白い鳥居をくぐった。
 距離は半分きていた。しかし標高差はいまだ2000m以上残っていた。

三合目
 樹海の暗さが増して視界が悪くなる。ランナー・クライマーは走るのを止めて小走りになった。先ほどとは違った、静かな足音が幹に反響している。
道は土に変わり、多少整備されているが、地球の地肌がにじみ出ている感があった。ところどころに落とし穴みたいな、木で四角に組まれた窪みが道を覆い、その中はごろごろとした石で埋められていることもあった。その真ん中をつっきっていく人もいたが、たいていの人は足場の悪い脇を通っていった。木製の階段を登り、丸太をまたぎ、丸太を踏みきって向こうの丸太へ飛んだ。
必然、走れるコースは少なくなり、選手を抜かすのは難しかったが、歩いて疲労を回復させながら、隙を見て微妙な加速でよい位置をぶんどり、抜かすのはそう難しいことではなかった。しかし、そうはいっても、こんな山道を後3時間以上歩き続けられるかと言えば、自身が無かったし、歩きのペースにも自身が無かった。絶えず足に疲労感が付きまとい人を抜かす気にはなれなかった。
「ファイト!」
しばらく登り続けたとき、突然後ろから声をかけられた。
「頑張りましょう!馬返しまで、いい走りでしたよ」
 みると、昨晩を同じ民宿でともにした、同じWEB日記の人だった。
「ええ、頑張りましょう」
僕はその名前のわからない人の背中に返答した。
 その人はそのままJOGと見まごうばかりの歩きで、先へいってしまった。
 岳人の勝負はこっからだった。本来ならその速さに驚嘆すべきだが、陸人の僕は、この人はロード区間が苦手で、人には得意不得意があって、僕のポジションにも達せない岳人も、いるんじゃないか。完走できても、僕よりロード区間で苦労した人がいるんじゃないかと思えて、少し安堵した
 アミノバイタルをポーチから取り出し、蓋を開けて一気にエネルギーを摂取した。
りんご味の易しい味で飲み込み易かった。
―いけるかもしれない―
 足にたまる疲労が否めない。いつか痙攣するかもしれない。つるかもしれない。それでも、いけるとこまでいってやる。そんな気力が倍加した。
 富士御室浅間神社(2合目)を通過した。物凄い古びようだ。
 途中平らなとこがある。皆、すかさずJOGでタイムを縮めようとする。僕も前のひとについてJOGした。すると不思議と足が楽になる。JOGは疲労を軽減してくれるものだった。
 それからしばらく、平地は無く、オアシスを欲する両足は、ついに三合目の給水所にたどり着いた。
 そこでアクエリアスをとったつもりだったが、ただの水だった。足の痙攣防止のためにまた塩をとった。多めに味わってみるとすこぶる不味い。過剰に摂取してしまった気がした。あまり上手に給水所を利用できなかったが、馬返しで全部吐いたのを思い出し、それよりはましだと思って先を急ぐことにした。
 五合目まで後2キロ、と赤字で書かれた看板があった。馬返しから五合目までが約五キロだったから3キロ進んだことになる。五合目の関門が2時間20分で、今ちょうど一時間半たったから、馬返しから30分、あと30分で2キロ進めそうなものだから少し余裕があるくらいとも思えるが、ギリギリでは登頂は厳しく、坂がさらにきつくなることを考えると、甘い考えは持っていられなかった。

 五合目(15キロ、2250m)
三合目を過ぎても、相変わらず富士の樹海をぞろぞろと歩き続けた。斜面は勾配を増すばかり。手をついて進むのもけったいな動作でなくなった。
気温は今まで無自覚だったが、随分下がっている。何も考えていないようで、防寒対策と耐熱対策を兼ねて、『夢が三重る』を着ていた。それはランシャツでは寒すぎることと、ポリエステルは速乾性があるからかいた汗も直ぐに蒸発するだろう、かいた汗で寒く感じることは無いだろうと、安易に考えていたからだ。しかし、実際は馬返しまでの時点でかいた汗でびしょびしょでTシャツは冷たくなっていた。森を抜けるまでに乾いてくれるだろうか。暑いのは平気でも、寒いのは耐えられない。
ぽつぽつと現れる荒廃した(実は使っているかもしれない)小屋の脇を通った。そういう場所に限って平らだからJOGに代える。JOGの勢いを長引かせて、前の人より長く走り、数人抜く小細工をそのときには覚えており、橋の上を駆け抜けた。そんなくだらない小技を連発させて、すこしずつ前の人を強引に抜き始めた。コレは競争、ハイキングじゃない。赤の他人に馴れ合い禁物。
やや遠く上方に、後ろに被だがついたノロマハウス先輩と同じ帽子を被った人がいた。先輩かと思ったが、ハーパンなどが違い、背番号が604だった。その人を見ながら、しばらく歩き続ける。周りの人は抜けている気がするが、その人との距離はなかなか埋まらなかった。やがて岩の張り出した箇所が増えてきて、手をついて安全を確保す回数が増えてきた。4合目を超えたのだろう。そう思って作戦通りポーチから軍手を取り出して装着した。素手は今後も使うから、汚染するわけにもいかないし、保護する必要があった。
そのころから604の人が木々の間を移動するのを良く見るようになり、道なりが常に蛇のうねりみたいに、右にいったり左にいったりし続けるだけだとわかった。この折り返しがどこまで続いているのだろうか、足がまた重くなっていく。ひ腹筋にぴりぴりしたものを感じ始めていた。時間も気になり、時計を見ると予定だと二時間で五合目だから、あと4分で五合目に着かなくてはいけなかった。しかし、一行に着きそうにない。ペースが遅すぎたのだろうか?八合目の関門を考えると、五合目関門はある程度余裕をもって通過しなくてはいけない。あせりから、少しでも平らになるとJOGを入れてみる。まだかまだかと時間を見、次か次かと道の曲がり角を見る。冷酷にも折り返しは続き、その先を見るごとに失望したくなる。
一時間59分を過ぎてしまった。やはりペースが遅く、平地の人間が参加する大会じゃないと痛感した。
しかし直後に大きな杭が並んでいるのが見え、それに手をかけて段差を登ると、なんとアスファルトの道路に出た。考えるまもなく大好きな車道をJOGで駆け上がって、前の人をぬかす。マラソンをやっている気分が一瞬した。30メートル進むとまた車道から、選手が外れて山道に入っていくのがみえたので後に続いた。
すると頭上から、
「もう少しだ、あと百メートル!」
という、親父の声が降り注ぎ、嬉しくなって、金網がけした段差をかけ上がった。
 広いところにでた。観衆が沸き立っている。霧が濃い。
そこは五合目だった。
 緑のマットを通過して関門を突破。ピッと音が鳴る。二時間一分だった。遅くない。予定どおりだった。
―いけるいける!負けてない!―
少しずつ勇気と自身が沸いてきた。
真っ白い霧の中に給水所が現れ、水の前を通って間違いなくアクエリアスをとった。二杯とった。軍手をポッケにつっこんで、塩も一つまみたっぷりとった。過剰な気もするが、公式な給水所がここまでだと思えば、後で何が出るか期待できないので余分に取らないわけにいかなかった。
「このペースならゴールできるぞ」、といってくれる、有難い観衆を尻目に、森に食い入る階段へ歩を進め、佐藤小屋を後にした。

6合目
軍手をポーチにしまった。7合目まで岩場はない。相変わらずどこを登っているのかわからない森の中だった。斜面も相変わらず急であったが、丸太が出てくることはなく、素直な地面で、歩きやすくなった。しかし、塩を多く取ったにもかかわらず、足にじわじわと溜まる疲労は癒えることはなく、平地にきてもJOGする気にならなかった。ひたすら耐えて歩くしかなかった。
「三重大学ですか?」
左への折り返しに来たとき、後ろからまた声をかけられる。左に振り返って見ると、5合目まで追いかけていた604の人だった。どうやら給水所ですれ違ったらしい。
「私も三重なんです」
そういわれて、僕は左目でその人の顔を見ながら
「あっ、そうなんですか。がんばりましょう」
とにこやかにいった。その人の勢いは僕を抜かしていく速さをもっていたので、
「僕と同じTシャツを着た仲間が二人いるんですよ。その二人に追いついてください」
と、付け足した。すると、
「私にも同じ仲間が二人いるんです。私がカメラを持っているんで、私が登頂しないといけないんですよ。」
 と、息をにごらせながら返してくれ、そのまま、先へ進んでいく。
そのときその人が三桁の番号であるのを思い出し、少し足を速めて追いついて、呼吸を整えてたずねてみた。
「このペースってどうなんですか?完走できますか?」
「私は去年と同じペースで五合目を通過したので、少し余裕があると思いますよ」
と、また、声をにごらせて、微笑を含みながら教えてくれた。
 安心と同時に不思議な感覚だった。マラソンではこんな長い会話はありえない。話しながらレースを続けられるというのも登山マラソンのひとつの魅力なのだろう。
 その後しばらくその人に食いついて歩き登り続けた。少し離れてはまた近づき、寄せては返す波のようだった。足元を見て歩くことが多くなってきている。いつの間にかあたりが明るくなってきているというのに気づいた。ところどころに淡い木漏れ日が地面を照りつかせている。しかし、そのときはそれだけで、てっきり天気が良くなっているのだと思っていた。山の天気は変わりやすい。
 上半身は下半身に比べ、馬返しを超えてからというものめっきり使わなくなった。心拍数はさほどいらない。そこで、予定どおりにパワージェルを摂取しようと、ジェルの口を切って口に含んでみる。しかし味の不味さは予定外だった。まるで角砂糖を溶かした濃厚すぎる水あめに無理やりチョコ味を付け足したみたいだった。歩きながらちょびちょび食べてみるが、口に含むごとにのどに気持ち悪いものをおぼえたので途中で食べないことにした。半分残したまま、水にぬれないように携帯をくるんでいた小さいビニールに不味いそれを入れた。二個目を開けることはあるまい。重量的に随分無駄をした気がした。体力がついたどころか余計に足に負担がかかった気もした。
 めげずに604の人に追従していくと、ふと夢が三重るが乾いているのに気づいた。いつの間に、と思ってTシャツから目を離した瞬間その答えがわかった。
 驚愕の景色が目に飛び込んできた。ついに樹海を抜けて森林限界に達したのである。そのとたん一気に視界が開けた。圧倒的に明るい。赤い岩壁の富士の稜線が視界の裾野から真っ直ぐ天空に向かって伸びていた。それは有形無形な雲をまとい光り輝く太陽を打ち抜こうとする矢じりのようだった。人々はありの巣のような道を空の出口に向かってつくり、せっせと登っている。スケールは三次元的にみたことがなく、頂上が山の稜線で見えない。遮る樹木は消え去り、心地よい風が吹いているのだった。
視界の左すみに6合目給水所がチラッとみえた。つくしのように三つ人が立っている。気づくと多くの人が上方から笑顔で迎え入れてくれていた。
神秘的で、夢を三ているようだった。

頂上
日照りは暖かく紫外線はきつい。風は心地よく、しけって肌寒い。
斜面は赤みを帯びた溶岩石の砂礫と、山側から転げ落ちて積もった黒々としたまたは赤茶けた大小の岩からなって歩きにくくなった。足を前に出したところで、つけた先からがらがらと崩れる。足をとられる。足底に力を込めて、一歩一歩注意して踏みしめなければならなかった。走れば返って無駄に体力を消費して、そして転ぶだけだ。次第に歩数を減らすため歩幅が広げようとして、膝を高く上げる。疲労する比重がふくらはぎから太ももに移っていく。少しでも筋力消費を防ぐために、なるべく大きな岩の、斜面に沿った上の面にかかとを下ろそうとするが、崩れ落ちて効果がないどころか危ない。それでも、WEBのアドバイスをみてかかとで接地し続けてみる。確かにつま先では踏ん張れない。
平らなところを探すと、登山道の谷側に砂礫のないコンクリートが露出している箇所があった。堤防のような落下の危険のあるそこを、604の人の二つ後ろについてそこを歩いたが、まもなくまた折り返しになって山側に帰らねばならず、そんな露出箇所はもうなかった。ショートカットして歩数を減らすため、折り返しでは必ずインサイドを大きく膝を上げて乗り越えた。また、山側に山崩れを防ぐために黒いコンクリートで固められていたため、そのコンクリの出っ張りに手を掛けて、腕力を推進力に加えたりした。地べたに這い蹲って歩くのも有効な手段だった。
何の変哲もなく、ひたすら上に向かって、歩き続けた。やがて604の人を抜き去り、いつの間にか後方に消えていった。何度も折りかえして、頂上に近づいているのであろうが、いつまでたっても山の輪郭に隠れてその姿を現さない。斜面は急になり、桃上げを続ける要領になり、縫工筋に力がかかる。ひたすら耐えるしかない。
 やがて斜面は再び岩壁になり白い岩が大きく張り出している。登山用の鎖が鉄の杭を針と糸のように通され、登山者を導いていく。
 七合目と書いた山小屋が迫ってきた。僕はへたり込んでその前の階段を這いつくばって、登る。やっとの思いで小屋にたどり着いた。しかしそこは給水所ではなかった。暖かく小屋のひとが迎え入れてくれたが、通過点に過ぎなかった。平地なので少しだけ根性を出してJOGをする。ぐるぐると小屋を回って行くと、使用につき100円と但し書きのあるトイレが見えた。世間の風はつめたい。その前の階段を通過して、連結した次の山小屋を通って行くと富士登山競争の表紙の風景がそこにあった。雄大さに感動するまもなく、軍手を再装着する。今度の岩壁は4合目とは違ってさらに急だった。もはや後ろを振り返って風景を楽しむ暇もなくなり、油断すると転落する。たまに首をあげて、前とぶつからないように気を配った。しばらくすると、また山小屋が見えた。膝に手を置きながら筋力を分散して白い石段を上がると、標高2700mと書かれた標識たつほんとの7合目があった。
「さあ飲んだ飲んだ!」
小屋の窓から巨大なヤカンをもった意気のいい親父が次々にこぼしながらも月桂冠のカップに水を注いでくれていた。給水所も戦場だ。僕は山小屋の好意に感謝を述べてそのカップを手にとっていっきに飲み干した。盆をもつ若い少年にそれを返し、JOGで走り去っては見たものの、疲労の回復にもはやはならず、足が止まって歩き出す。周りを見ると皆同じく歩いている。誰にももう余裕などなかった。
歩きながら
―いつ痙攣を起こすかわからない。でもここまで来たのだから―
そう思って、遥か1000m先の彼方を見つめた。
同じような小屋が並んでいる。偽者かもしれない。ここが果たして7合目なのかもわからない。それでも、ひたすら耐え忍んで行こう。頑張る以外にやることはないのだ。
そう思って最難の8合目への岩壁へ踏み出していく。
 ごつごつとした岩はどれも個性に富んでいて、毎回手足の置き場所を探せねばならなかった。少し登っては探し少し登っては探し、自然にみな同じコースを取りたがる。違うコースをとるのは危険だが、僕はあえて難しい箇所を選択していった。ロッククライミングとかフリークライミングとか、何であるか知らないが、要領は小さいときに遊んだアスレチックと同じだ。よく兄と競争して負けたものだ。
 鎖を掴ってそれを手繰り寄せては登り、体の重心が後ろに来ないように手をつけないで小走りで登る。でかい岩があったら安全な場所を他の選手が通過するのを待つより早く、素手を絡めてよじ登る。途中、他の選手が手を掛けるのより早く手を掛けて好位置をとったり、登山競争に出てるわけでない普通登山者の角ばった明るい木目調の杖を鉄の杭と勘違いして掴みそうになったりした。今まで使わなかった分、存分に手を使い、次々と選手を抜いていけた。足の疲労はパンパンだが、ペースを緩めるのは返って難しかった。
そんな状態でしばし登っていくと、なんと少し先の岩壁を夢が三重るのTシャツを着た人が登っているのが目に入った。帽子からノロマハウス先輩だとすぐわかった。なんども見上げながら崖を駆け上がると、数分後に追いついてしまった。
「ノロマハウス先輩!」
後ろから声を掛けるが、普段呼ばれてないから気づくわけない。
「OO先輩!」
すると、やっと気づいてくれた。
「結構余裕があるみたいですよ!」
僕は確かにそういった。でも先輩がなんと答えたか覚えていなかった。何か温かい
言葉だった気がする。
あたりを見渡してみると、テラシーの姿は見つからない。ずっと上をみても見つからない。
さすがの速さだった。
余裕があるなら一緒に行けばいいのにと思うかもしれないが、ペースがかえられず、言葉とは裏腹に上に上がるほどペースが落ちることを考えてしまい、時間内完走が危ぶまれるので、そのまま僕はいってしまった。
たまたま平らなとこにでた。前が詰まっているので少しあたりを見渡す。風が強く冷たくなってきた。腹筋に力を込めて体温低下を防ぐ。煽られて体勢を崩すが、何とか踏みとどまる。こんな風では誰か転落して頭をぶつけてもおかしくない。案の定、しばらくいくと、コース脇で頭をふもと側にして仰向けになって倒れている黒人がいた。今まさに救助されようとしている。その黒人は倒れたまま、山のひと四人に引っ張られて、八合目まで、運ばれていった。転落か高山病かわからなかったが、八合目に療養所があってほんと良かった。
 予定通りではないがアミノバイタルマルチエネルギーを再び摂取し、しばらく這い上がって振り返ると、ノロマハウス先輩の姿もどこかわからなくなった。それと同時に自分がとんでもない場所を登っていると痛感した。自分より下に雲があった。それは揺れ動き、僕たちの住んでいた世界を覆い隠しているのだった。その雲の切れ間から、ぽつぽつ人が登ってくる。人間が虫けらに見えた。
 振り返って山側を見ると、岩の間から岩と岩にまたがって数人の人が声を張り上げているのが見えた。
「塩!砂糖!」
 近づくごとにそのありがたいお声が耳にはっきり届いた。数人が岩場で手分けして、自分が持っている伯方の塩とパン、角砂糖を選手に手渡しで振舞っていた。もう机などおく場所はない。
「塩!砂糖!」
家族でやっているのか、か細く呼ぶ声もあった。本当にありがたかった。僕は軍手をとり、帽子のツバの下から紫外線できつくなった目をのぞかせて、
「塩!」
と、怒鳴って手に塩をこぼしてもらった。ついでに角砂糖をいただき、口の中で保有した。コーラも何故か配っていたが、それはもらわなかった。
山家の人に感謝し通りすぎると、八合目らしき、小屋が迫ってきた。しかしいたずらに急峻な岩肌が目の前に立ちはだかり、最大限膝を持ち上げてそれをぎりぎり登る。急斜面の連続、人などよりつけず跳ね返すための隆起、強者だけを通すろ過装置のようだ。そんな岩肌をペースを落としながらも、何とか切り抜ける。紫色の土が地面にが混ざってきた。八合目の手すりに手をかける。足がそろそろ限界だ。ふらつきながら、階段を登る。上りきると、水のはいったアウトドア用のプラスチック製のカップを並べた盆を、山の姉さん方がもっていた。のどは寒さで渇きを感じていなかったが、後のことを考え、本当にありがたく水をもらった。いっせいに応援の拍手と掛け声が前から後ろから浴びせられた。療養所の前を過ぎ一回百円のトイレ前の階段をのぼる。止まりたい気持ちに鞭をうち、あともう少し、そう思いながら小屋の平地でJOGしようとしたが、もはやどこからも力がわかず、体を揺らすだけ、真っ直ぐ進むだけで精一杯になっていた。その小屋に関門はなく、実は八合目関門がまだひとつ先の小屋と知って、やる気がなえる。大腿直筋、外側広筋、内側広筋、ひらめ筋、ヒ腹筋が悲鳴を上げている。
それでも歯を食いしばって目を力いっぱい閉じて、あきらめずに、僕は階段を登っていく。とてもゆっくりとだけど。着実にゴールを進んでいく。
―諦めるのはいつだって早すぎる。基本弱気なんだ。本当はたいていのことがなんでも出来るんだ。ただ怖いだけなんだ。だからもう少し、足が動く限り、中途半端になんでもこなせるだけじゃないはずだ。勇気を持て、それは無鉄砲じゃない―
紫交じりの似たような岩肌がさらに黙々と続く。でも、次の山小屋まではそう遠くなかった。みかけはそっちのけ、荒々しい呼吸をつきながら、たまにけだものの餌を前にして飢餓にたえる本心の叫びをあげる。今度こそ本物の、八合目の階段の手すりに右手でしがみ付いた。くたくたになって上りきると小屋の人が店先でペットボトルを並べていた。スポーツドリンクがほしかったが、見当たらず、一本500円の健康飲料水のダカラを頼んだ。五百円だというのでポーチからこの展開を予期して用意した500円玉を差し出す。ボトルを受け取ると、
「少年こっちきてから!」
そういって店の親父は僕を邪魔にならない店の軒下に移動させた。さらに易しく持ち上げて脇に押しやった。すると、いつの間にかそこにあった緑のマットを通過していた。実はすぐそこが八合目関門だった。軒下でしばらく立ち止まり、ダカラを少し口にする。キャップを閉めて、時計を見ると3時間35分過ぎだった。八合目関門が4時間10分(ほんとは四時間)だから多少余裕がありそうだ。さぁまだまだゆくぞ。僕はそう思って、ダカラを右手に重い足で、それでいて力強くまた歩き始めるのだった。

 曇天のさなかに。突風に足が沈んでいく。紫の粉塵が視界を奪っていく。なぎ払われた帽子が儚く宙をまって落ちる。体温は維持できず全身に震えが走る。遠くにかすんでみえる岩壁はか細い光を反射した氷。茫漠とあらはれては消える頭上の白い鳥居とそこを通過する重い足取り。眠たそうにしゃがみこんで頭を抱え込む若人。赤紫の斜面にたじろぐ登山客。それらを尻目にレースを続ける僕たち。叫び声をあげる。意識ははっきりしている。あともう少しだ。太ももに虚無を感じる。自分の鼓動を感じる。気力だけがたよりだ。進んでいく。少しずつ。その先に何かすばらしいものがあると信じて。まるで人生のように。僕は負けない。鳥居が近づく。僕は負けない。さぁゆこうじゃないか。霧が流れていく。
何かが欲しいわけではない。何もいらないわけではない。僕が望むいわゆる最低限の希望。ゆがめられて、偽りといわれる、ただ、苦痛が少ないだけで、それが刻々と続いていくだけで、それを幸福だの楽しいだのと誇らしげにかかげる。何が悪い。勘違いし続けよう。僕はそれでいい。僕は歩き続ける。なんでこんな大会に参加したのか、未だよくわからない。こんな苦労がしたかったのか。でも、それでいい。とても楽しかった。僕は満足だ。暴風でシャツから熱が逃げていく。空間が薄紫に染まって降ってくる。また岩壁に阻まれて集団で立ち往生。ジャンプして切り抜ける。呼吸がまた荒くなる。汗は急速に固まって風の中に消える。ゴールはまだなのか。諦めはしないけど。両膝に手を置いて砂礫を踏ん張って暗い空を見上げる。もう少しだ。WEBです、といって励ましてくれるひとがいる。同じ気持ちでレース場にいる人がいる。ひとりなんかじゃない。僕だって負けない。白い鳥居をくぐる。僕だって負けない。さぁゆこうじゃないか。霧が流れていく。
やがて、薄ら寒い風の中に、完走者を讃え沸き立つ、遥か遠くから望んだその場所に、僕はたどり着くのだった。

記録4時間12分42秒615位

サブスリー目指して明日また走ろう!

2006/06/17    関医体5000    17分55秒64
自己ベストを41秒更新!!!!今回の特徴といえば、LSDばかりせず、トラック練習にこだわってみたこと。インターバルも捨てたもんじゃないかも!
 でもここでトラック練習はまるわけにもいかない。大幅で着実に、実力を上げるには、悪魔で富士山(次回は富士登山競争)のスカイライン(稜線)ように、しっかりと基礎を作って、それから、てっぺんまで延びきるしかないのだぁ!
 あとはメガネをとって、ゲルフェザーにシューズを変えたと。
 天候は土砂降り。でも、これ以上酷い雨試合を体験することもないだろうなぁ。17分台にのったけど、先輩方にはまだまだ届かない!でも、順位が九位だったから、世間一般に通用できるみたいだ。ちょっと嬉しい。
サブスリー目指して、明日もまた走ろう!
槍はつつかんといて。
2006/05/28    青山高原つつじクォーター    45分00秒
富士登山むけトレーニングのつもりで気楽に参加。雲の上を行くって感じ。山の尾根ずっと走ってるんだから当然坂道。マラソンと登山の実力は別物らしい。
今日青山高原つつじクォーターマラソン大会に出てきました。志摩ローを越えるさらにひどい坂道でした(標高差110メートル、スタート地点が標高700メートル)。こんなローカルな難コースにもかかわらず、思いのほか多くの参加者で道がふさがっているので、よくぞ集まったな!っと感動しました。山の天気は変わりやすく、曇ったり晴れたりでしたが、心地よい突風?が常に吹いていました。今回もだらだら書かせてもらいます。
 11時15分に、最初にスタートした時に、もっと前にいればよかったと思いました。一番初めの坂が一番キツイ坂とみな知っていたのかどうかわかりませんが、ペースが遅すぎる!っと、思っても前が詰まっていて、なかなか前に進みませんでした。痺れを切らして道路端を通り、調子に乗って上り坂を勢いよく駆け上がって前の人をぐいぐい抜かしていくと、第一頂上に達したときに間違ったことをしたと思いました。志摩ローの、上りはゆっくりで、下りははやくの鉄則を忘れて大分乳酸を溜め込んでしまい、ノロマハウス先輩声援前を通過するとき、大分ひらめ筋あたりに疲労を感じました。
しかし一回上りきって、下りに入ると一面に視界が開けてきました。このコースは高原尾根沿いを蛇行していて、山の頂上をずっと走っているおり、あたかも雲の上を走っているかのような、そんな気分でした。
下っていくと最初の計測版があり、4.28でした。やはり平地どおりにはいきません。しかし次はまた上りばっかりなのに、なぜか3.56でした。でもきっと5キロの人と一緒にして看板数を減らしているのだろう、なんて思っていました。
 給水ポイントで給水して(未だこつつかめず)、どんどん坂道に突っ込んでいきます。この辺から日射がきつくなってきて(山の天気は変わりやすい)、軽装にしとけばよかったなぁなんて思いながら、全身真っ黒の覆面君を追い抜いたり、ロングジャージのとみやまマラソンTシャツに追い抜かされたりしながら、三キロ地点を通過しました。3.52
三キロ折り返し地点を過ぎると、急に人が減り、屈強なランナーズが残って争っていきます。

4.03
4.07
5.25
3.50
3.56
3.25
3.47
4.07
2006/04/28      
 陸上部の中村です。陸上部がどんな練習をしていて、なぜおもしろいのかについてひとつ説明したいと思います。
生物選択の人は知っているかと思いますが、これは有酸素呼吸と無酸素呼吸の一例です。
ATPはガソリンみたいな有用なエネルギーです。
 まず、ゆっくりとJOGをしたとき、人は有酸素呼吸だけを使って走り、1グルコースから効率的に38ATPを手に入れますが、ペースが上がるごとに反応速度があがり、ある一定のペースを超えると心臓の心拍が上がり過ぎないように、かつより速く走るためのATPを得るために、有酸素呼吸に加えて、無酸素呼吸を取り入れる。その結果、筋肉に乳酸という疲労物質を溜め込み、非効率的にグルコースを消費し、人は長くはしることができない。
 でも、無酸素呼吸を使わないで最大限有酸素呼吸だけで走った時のペースをATペースといい、このペースなら、気分良く、健やかに、乳酸を貯めることなく、速いわりに、理論上永久に走り続けることが可能なのです。この少し下のペースでなるべく長い距離を走り続ける事をペースランニングといいます。ATペースの心拍数はひとによりますが、一分間につき150位です。
ペースランニングはインターバルほど心臓に対する負荷は大きくありませんが、インターバルよりもずっと長い時間負荷を与えることが出来ます。よって心臓を大きくして肺の酸素吸着能力を向上させるためには効果は絶大です。これらの能力が上がることでATペースは上がり、より速いペースで走れるようになるのです。
 僕は、自分のATペース見つけた時、運動に対する科学理論がいかに正しく、すばらしく、きつい練習ほど効果が高いのではなくって、走りつづけること自体がいかに楽しいかをしりました。
 解説してきたことからわかるように、陸上の練習は短距離中距離長距離跳躍投擲でも、基本的に自主練です。だから、土曜の9時から12時が義務練で、他、月水木の6時から8時が自主練の日になっています。またそれゆえに練習がきついとも易しいともいえません。すべてのメニューは自分の目標にあわせて主体的に決めるべきだからです。集団スポーツのように没個性的になりえず、技術にごまかされることなく、自分の能力向上、健康維持に務めるがために、ケガをしたら共にいたわり、本姓的に飲み会がきついこと好みません。
 それと、非常に勉強しやすい部活です。
 練習を見てみたいっという人はぜひジャージで、グランドに来てください。





有酸素呼吸(好気呼吸)  <解糖系+クエン酸回路+電子伝達系>
C6H12O6+6H2O+6O2+38ADP+38Pi→6CO2+12H2O+38ATP
(グルコース)         (リン酸)

無酸素呼吸(嫌気呼吸)  <解糖系+乳酸発酵>
C6H12O6+2ADP+2Pi→2CH3CHOHCOOH+2ATP
                (乳酸)

     心拍数(回/分) トレーニング法
     180〜     インターバル
           ↑                の少し下のペース
     150      ペースランニング
     〜140
           ↓
     120〜  ↓
              LSD(long slow distance)、JOG 

自主練  月水木 18時〜20時
          義務練   土   9時〜12時
          場所  グランド
2006/04/23    志摩ロードパーティー    1時間27分23秒
絶好調!今まで一番きつかったけど、一番面白かった。たくさんの声援とロードレーサー仲間で参戦、エイドや参加者がすごく、規模のでかい大会の空騒ぎがよかった。また坂を意識することが大事と思った。ちなみに木本さんに負けた。これで三連敗。
 今日ハーフマラソンに出場してきました!なかなかいい結果がでました!非常に面白いレースでした!のでながながと書いてみました。
 参加者4000人越え(前日に刑部君のとっつぁんに教えてもらった)、ものすごいひとだかりでした。給水ポイントは12箇所でスポーツドリンクか水が選択でき、飴玉やバナナまででてました。最初は朝から雨が降っていて、高低差100メートルもあり、みんなでモチベーションが下がり、完走できるかも不安でしたが、いざ出走が近づくと、いつもの通り軽装に着替え、一番前らへんに陣取りました。気温は14度、雨は小雨、千葉ちゃんの声援と小学生?のダンスの後、まもなく11時にピストルの音が小さくなりました。
 最初の一キロを通過する前に、前を走っていたはずのテラシーが唐突にトイレに消えました。どうしたんだろうと、思いつつ的矢湾大橋の上で最初の一キロを通過しました。
4.00
今日の目標はキロ4ペースで最終的には1時間24分切りでしたが、当初から高低差100メートルはきついと思っていました。案の定最初のゆるい坂道か影響が出て、
4.07のぼり3.50くだりでした。
それどころか三キロ過ぎたあたりから、一番きつい坂が来て、急に背筋が疲労し、いきなりペースダウン。テラシーに抜き返されて坂の頂上の4キロ計測版手前で、”嘔吐”結果
6.07今日はもうあきらめようかと思いましたが、もう吐くものもないわけだし、諦めるのは性にあわないので、すぐに走りはじめました。
吐き気から回復しつつ、給水所を無視して、くだりの4.00
その後坂が長すぎるので登りは抑えることにし、逆に下りはペースを上げることにして
登り4.37下り3.44第二折り返し地点でテラシーと声を掛け合いつつさらに
登り4.32下り3,46。
そこでトライアスロン部の木本さん(藤堂以来の好敵手)を追い抜き、勢いづいて3.32
ここからなだらかな平地の変わりました。雨も止みました。そうなるとATペースを意識して可能な限りATペース近い速度にペースアップ。ものすごい気分の良さで次々と前の人を追い抜きました。テラシーに何とか追いつき3.59、3.58、3.58、千葉ちゃんにJOGしながら挨拶しつつ4.06、4.05、踏み切りで70秒とまることなく3.52、3.52、ここから疲労が回って来たが、4.04、4.10、
10キロ過ぎから誰一人にも抜かされず、気持ちよく走ってきましたが、遠くから足音が近づいて来るのを感じ、あろうことか20キロを前にして、今日は楽勝かな?っとおもっていた木本さんに追いつかれました。
4.03。その後ふんじばって、木本さんに抜かされないようにペースを上げましたが、逆に無酸素呼吸を使ってしまったらしく、ペースダウン。ゴール手前500メートル位で突き放されました。
LAST4.45
記録48位1時間27分23秒
自分としてはよくやったとおもいますが、まだまだ修行不足経験不足!
サブスリーをめざして、明日もまた走ろう!と思いました。

ピレネーめっちゃ怖かったです。○○先輩のうそつき!(笑)

2006/04/02    四日市シティ    結果を入力
欠場。足底腱鞘炎らしい
2006/02/19    津シティ    41分21秒
ケガ直ったばっかりやけど走ってみた。心肺機能は簡単に落ちないと知って感動。でもちょっとこの距離微妙やなぁ
2006/01/09    東海村新春マラソン    1時間33分18秒
成人式を無視して大会出場。ケガによる練習不足だったが、ハーフは楽しめるちょうどいい距離と知った。気温は氷点下一度。寒さ対策を練るなど、マラソンは頭脳プレーもいるようだ。
2005/12/18    鈴鹿シティ    結果を入力
雪で中止
2005/10/22    関西医歯薬5000m    18'36
トラック競技にまともに取り組んだはじめての大会。(藤堂との間がちょい近い、二日前に酒)。12,5周なのだが数え忘れてラストスパートしてない。いろいろ反省点はあったけど、自分の記録に少しずつ自身を持ち始めた。
2005/10/09    藤堂マラソン25キロ    1時間37分
初のロードレース大会。天気が抜群によく、走っているとき、壮大な景色をrunnerは独り占めしたいんじゃないかって思った。ATペースという概念すごさ。レースの楽しみ方。速くなれる明日への希望。以後ロードレースにはまることとなる貴重で運命的な大会。木本さんや野村さんなどトライアスロンの人と走った。
2005/08/18    全医体5000m    19'31
仙台まで行ってやってきた大会、とかく暑い大会で、夏は脱水や体温下げに大変だと痛感。アップも考えたほうがよい、なんて思ったようだ。
2005/06/19    関医体5000m    19'51
記念すべき最初の陸上大会。なんだかよくわからない雰囲気の中で、レースの緊張とスリルを予感しつつ、でたらめなペースで苦し紛れにはしった。でも完走後のすこやかさを照りつける赤ざめた空に知った