エロガワ・マンポ(旧姓:走れエロス)  
地域 : 神奈川    年齢 : もうすぐサンデー毎日
一言 : 
幽霊屋敷から約2年半ぶりに脱走。2021年末に遂にマラソンから足を洗った。最近は平日は皇居、週末は自宅周辺を徘徊。ということで、『走れ(ない)エロス』から『エロガワ・マンポ』に改名。『コンポは1日して成らず、ステラの道も一歩から』で、スペイン巡礼の路の完歩を目指す!          幽霊屋敷から約2年半ぶりに脱走。2021年末に遂にマラソンから足を洗った。最近は平日は皇居、週末は自宅周辺を徘徊。ということで、『走れ(ない)エロス』から『エロガワ・マンポ』に改名。『コンポは1日して成らず、ステラの道も一歩から』で、スペイン巡礼の路の完歩を目指す!
エロガワ・マンポ(旧姓:走れエロス) さんの戦績
[結果]
2007/10/28    手賀沼ハーフ    結果を入力
2007/10/07    新潟マラソン (フル)    結果を入力
2007/09/15    湘南6時間マラソン    結果を入力
2007/09/09    北海道マラソン    結果を入力
2007/08/26    鶴沼ウルトラマラソン (52キロ)    結果を入力
2007/08/19    大菩薩峠登山競走    結果を入力
2007/07/27    富士登山競争    結果を入力
2007/06/24    サロマウルトラマラソン (100キロ)    8:14'35(G)  8:14'23(N)
人生、初ウルトラに挑戦ながらウルトラセブンを目指して参戦。

当初は5キロ22分半〜23分で入る予定が、周りのランナーにつられて、21分半と走定外の速さ。周りを見ると、ウルトラの帝王K気さんや昨年のサロマ女王Sさん、そして今回の♀の部断トツトップ優勝したSIさん達と、まさsに壮走たるウルトラメンバーばっかり。
30キロまでは何とかそのペースで進んだが、その後のアップダウンで徐々に足にきだして、足は踊り始め、逸心不ラン状態に。

フル地点を3時間4分で通過、60キロ地点も4時間30分で通過し、ほぼイメージ通り。残り40キロを5キロ25分ペースでもお釣りは10分で、余裕でウルトラセブンに変身できると思ったが、まさに『取らぬ狸の皮算用』で、ペースが徐々に減足。
80キロのワッカに入ってからは、足が完全に棒状態になり、ウルトラセブン変身に黄色信号が点滅。5キロ25分どころか27〜8分まで減足し、90キロ手前の折り返しでは赤信号が点滅。折り返した途端に、前から嬉々として走って来るつばめさんを発見。92キロ辺りで、つばめさんに軽く捕獲されて万事休す。

その後、棺おけを背負ったような悲惨な顔付きをしたえんまめさん(失礼!笑)や、ポカリさん、若旦那、みな♪さん、おりんちゃん達とワッカですれ違い元気を貰ったが、すでにジ・エンド状態。

来年こそはウルトラセブンを目指してリベンジ参戦の予定。

そして、最後に途中すれ違いざまに声援してくれたWebの仲間のみなさん、それと要所々々で大声援を送ってくれたemioさん、本当にありがとうございました。私の目にはemioさんがサロマの天使のように映りました。
2007/06/09    24時間リレーM in 夢の島    339キロ 総合17位
老若男女を問わず、メンバー全員が同じ思いで同じ時間を共有出来、最高の夢を見られた充実した24時間リレーM。
途中、土砂降りランやロボコン走りの困難な状況に『もうこんな駅伝は懲り々々』という後悔の念ばかりだったのに、終わってみれば楽しい思い出ばかり。また来年もみんなと一緒に走りたいという不思議な思いが湧き上がる。
スノ兄、若旦那をはじめご一緒したメンバーのみなさま、最高の夢を一緒に見られてありがとう!です。
でも、来年は『劇走ひとり』で6時間マラソンに出走か?!
2007/06/03    飛翔千葉ウルトラ (60キロ)    4:40'36
ウル練フィナーレ・ランとして飛翔千葉ウルトラ60キロに参加。

受付が7時45分までとのことで自宅を5時半過ぎに出たが、現地入りしたのはスタート10分前。
現地でスノ兄、Booさん達と合流し、いざ出陣。

朝の天気予報をみると終日曇りの予報だったので、帽子も持たずに現地入りしたが、天気予報はものの見事に外れてカンカン照りで、脱帽のまま出走。

コースは最初の1周は距離調整の為2.2キロの往復コースで、その後は1周3.4キロの川沿いの周回コースを17周するコースだが、当然距離表示もないうえ、ここのところの走り込みで心身ともに疲労が溜まり前半から足取りが重い。
何度も途中棄権の四文字が頭を過ぎるが、取り敢えず50キロまで走ろうと自分を鼓舞して歩を進める。
40キロぐらいからそれまで重かった足取りが、不思議なことに徐々に軽くなってきた。

時間は4時間40分36秒と当初の目標の4時間半を切ることは出来なかったものの、50キロ以降の『未知との走遇』でも懸念されたほど失足することもなく、自分でもほぼ満足な走りが出来た。
幸運にも総合三位に入賞したが、残念ながら表彰式&賞品等はなし。

これにて、これまでのサロマに向けての走り込み&ウル練はお仕舞い。これからは、ダッピ(脱疲)モードへ。
先週の柏崎フルの方がコースが厳しかった分、その後のダメージも大きかったようで、今回は今のところほとんど筋肉痛等はなし。
加齢とともに筋肉痛&疲労の出るのが遅くなるとのことなので、
ダメージは明日ぐらいから出てくるのかな?!(笑)

その後は、亀さんも駆けつけてくれ、スノ兄、Booさんの4人で焼肉大パーティーで、いつも通りの大炎会でした。
亀さん、スノ兄、Booさん、みなさんお疲れ様でした。
2007/05/27    柏崎潮風マラソン (フル)    2:54'20(G)  2:54'20(N)
前日、柏崎入りしたら西からの強風にビックリ。明日には風が沈静化することを祈る。
しかし、結局、願い空しく昨日からの強風が止まず、向かい風の中をスタートする。
4キロまでは海沿いのフラットコースであったが、その後、左折していよいよアップダウンのある山間部のコースに入る。往路の折り返しまでに2ヶ所に急坂(往復で4ヶ所)があり、まさに行きはよいよい帰りは恐いコース。

元々ハードなコースで記録は狙えないのは分かっていたので、あくまでサロマへのウル練第二弾として出走した。10キロまで13位、20キロで10位と、徐々に総合順位を上げていったが、上位陣も踏ん張っているようで、なかなか落ちてくるランナーがいない。
折り返し手前で、トップで快走する昨年の覇者J宮さんとすれ違い際に、お互い手を上げてエールを交わす。
その後もなかなか上位陣を捉えることも出来ず行く手の前のランナーも見えず、完全に独走大勢。
33キロから駄目押しの如く、最後の『心臓爆発の坂』と呼ばれている上り坂を何とか上りきり、後はひたすらゴールを目指す。

結局、記録は凡タイムに終わったが、ラッキーに総合7位・年代別4位に入賞。これまたラッキーセブン!
次回は、サロマで、是非ともウルトラセブンに変身!
2007/04/22    東日本国際マラソン (ハーフ)    1:23'36
今シーズンのハーフワースト記録を達成。
先週の長野フルからダッピ出来ていないうえに、強風と多くの曲り角に翻弄されて失足。今回も右足の腱を庇いながら、今シーズンのラストラン。
2007/04/15    長野マラソン (フル)    2:51'50(G)  2:51'25(N)
丸1週間ぶりのランニング。果たしてゴールまで足が持ち堪えるかどうか・・・
スタートしてから恐る恐る足を運ぶ。懸念された右足の腱&脹脛には痛みはほとんど感じないが、やはり怖くてスピードが上げれない。やっさんと若旦那のキロ4のペースメーカーを約束した手前、早く追いつかなければと気が逸るが、スピードは上がらず最初の1キロは4分15秒と予想外の亀スタート。少しペースアップしてやっと3キロ手前で併走するやっさんと若旦那を発見。ここからキロ4ペース走と走り出したが、どうも二人とも付いて来てないようなので、二人の視界に入るように一人右レーンを独走。後ろを数回振り返って二人の姿を確認しようとしたが発見出来ず、ペースメーカーを諦めて一人で走ることに。
ところが12キロ辺りで突然若旦那が追い付いてきた。やっとペースメーカー役を果たせるかと思った途端に、またもや若旦那は後退したもよう。Mウェーブの折り返しからはいろんなWebメンバーとすれ違い、お互いに声を掛けて励まし合いながら元気を貰う。23キロ地点ではWebの旗を持って一生懸命沿道から声援を送ってくれるレイチちゃんを発見。本日、2度目のハイタッチを交わす。
すれ違いざまに地元の同じ走友会に所属するムンク主将を確認したが、その差は約250mぐらい前を走る。ムンクをなんとか追い駆けるが、全然後姿は捉えられず。30キロぐらいから、右足の腱と脹脛を庇って走ったせいか、普段はなんでもない右足の太ももがパンパンに張ってくる。騙し々々最後まで右足が持ち堪えることを祈りつつ、沿道の応援者に『ありがとう!』と感謝の意を述べながら、自分を鼓舞してなんとかゴール。
今回は故障を抱えての出走でかなり苦しいレースとなったが、諦めていたサブスリーもなんとか達成出来、凡記録に終わったがほぼ満足の結果かな。
2007/04/08    横浜ロードレース (20キロ)    1:16'45(G)  1:16'42(N)
長野に向けて最後の調整のつもりが、まさに今シーズン最後の走りになったかも。
スタートして3キロ辺りで右足の脹脛に稲妻の如く痛みが走る。次週の長野Mのことを考えてここで止めるべきかどうか悩む。しかし、長野ではこの痛みと戦いながら42キロを走らねばならないと覚悟して、取り敢えず減速して完走することに。最初の5キロは何とか17'45で総合8位で通過したが、その後は足の痛みに耐えきれず已む無く自ら失足モードへ。みるみるペースダウンして、ほとんどジョギング走。
総合14位、年代別3位に入賞したようだが、それ以上に右足のダメージが大きくて、大ショック。普通に歩くのもままならず、こんな状態で長野のスタートラインに立つことはできるのであろうか?!
昨年は坐骨神経痛、今年は右足の故障と、どうも長野マラソンには縁がないようだ(笑)
ま、なるようにしかなりませんね〜
2007/04/01    行田鉄剣マラソン (ハーフ)    1:18'55
やはり関東の南の端から北の端まで縦断するのは大変だ。
6時前に家を出て、池袋駅で7時過ぎにヒロリンが無事ジョインし、行田駅に着いたのは8時過ぎ。着いた途端にシャトルバスが出発してしまい、一本見送って次のバスで現地入り。
やっと会場に着いて、受付に向かう途中で取り敢えずトイレ休憩。しかし、ヒロリンを10分ほど待っていたがあまりの長●に、諦めて白ヤギさんが設営してくれたベースに向かう。すると長●と思っていたヒロリンはすでに到着しており、どうやらすれ違ったようだった。『終わり良ければ全て良し』だったが、ベースに到達したのはスタート15分前で、あまりの忙しなさ。
10時スタートの10キロに出走のまげちゃんが、ゼッケンを付けてくれる間に急いで準備。いつものようにアップなしで、なんとかスタートに間に合い、いざ出陣。
スタート後すぐに川の土手の砂利道に入り、このままずっと砂利道かと肝を冷やしたが、その後は一般道の町中へ。コースはほとんどフラットだが、前半はあまりに曲がり角が多い。これでもかこれでもかと続く曲がり角に閉口したが、桜&菜の花が満開なうえに、天気も最高と絶好のマラソン日和で申し分なしで言い訳もなし。
5キロ18分30秒ベースを目指したが、18キロ辺りまで良いイメージで走れたが、その後失足してしまい5〜6人の集団に一気にゴボウ抜きされた。
年代別トップは14分台とダントツだったが、2位以降はみなさん18分台だったということはあのゴボウ抜きがなければ、上位入賞も夢ではなかった。桜は満開だというのに、上位入賞の夢は空しく散った。
その後は、二日酔いだというのにえんまめさんも駆けつけてくれて、熊谷駅の土手でお花見&大炎会。白ヤギさん、えんまめさん、大変お世話になりました。白ヤギさんの奥様の愛情たっぷりの手料理に、年季の入ったお父様の手打ちうどんに、お酒もガンガン進み、充実した一日であった。参加されたメンバーのみなさんもお疲れ様!&ありがとう!です。
2007/03/18    湘南国際マラソン (フル)     2:48'17(G)  2:47'12(N)
今年初めて開催されるフルMレース。前夜からの雨戸を叩きつけるような暴風に、明日は何とか風が静まるように祈りながら床に就く。朝起きると念願叶って風もなく、絶好のマラソン日和と勝手に思い込み、江ノ島に向かう。しかし、会場入りすると、願いも虚しくまさに暴風状態。web仲間と陣取りして、スタート前に、メンバーを代表して貴重品を集めて預けて陣地に帰ってみると、みんなスタート地点に発ってしまい、蛻の殻状態。焦って一人でスタート地点に向かう。途中、薄手の手袋と軍手をしながらスタート地点を目指すが、左手の軍手が無いのに気付き動揺。落としたのかと思い振り返って探したら、なんと右手に軍手2枚発見(笑)。なんとかスタート地点に辿り着く。           いよいよQちゃんの号砲で一斉にスタート。左手にはオーシャン・ビュー、目の前はマゥンテン・ビューと最高の景色に、往きはまさにランニング・ハイ状態。しかし、風向きを見誤り、往きは追い風に乗って調子が良かっただけのようで、折り返してからの帰りは、向かい風にランニング・ヤバイ状態に一転。35キロ辺りからは沿道の大声援を受けるが、背中を押されること無くスピードが全く上がらず、何とかゴール。結局、またしても凡走に終わってしまった。
今回は、初めてアディダスでトライしたが、後で確認したら何と初心者用の練習向けシューズだった。通りで、インソールがとても柔らかくて地面からの反発力が無いのにガッテン。
さすがに、このシューズじゃあ、記録は狙えないですね〜〜(笑)
2007/03/11    川崎ハーフ (ハーフ)    DNS
朝からの氷雨に、自宅雨宿り。
2007/02/04    神奈川マラソン (ハーフ)    1:18'58(G)  1:18'53(N)
前回の千葉ニューハーフでは調子が良かったものの、残念な結果に。
今回は取り敢えず、20分切りを目標にスタート。スタート直後にmacarpさんと一緒になったがあっという間に置いてきぼりにされた。最初の5キロですでに30秒以上の差を広げられ、諦めて独走していたら、10キロ過ぎから次第にmacarpさんの姿が大きくなってきて、19キロ辺りで追いついた。久々に目標の20分切りが出来て良かった。沿道ではチョビ丸さんが仲間と大声援を送ってくれました。チョビさんありがとう!です。その後、いつもの中華街で青大将さん、ヒコさん、たーたんさん達と大炎会。お疲れ様でした。
2007/01/28    勝田マラソン (フル)    2:47'17(G)  2:47'14(N)
スタートから思ったようにスピードが上がらず、30キロからズルズルと遅れだした。別に調子が悪かった訳ではないが、不完全燃走に終わる。
2007/01/21    千葉マリン (ニューハーフ)    1:07'53(G)  1:07'52(N)
久々に快走できたのに、残念無念。この悔しさを今週末の勝田(フル)で爆発!
2006/12/10    川崎フルM駅伝 (第5区:6.195キロ)    21'34
壮年の部の優勝を狙って出走。1区はトップで襷を繋いだが、2区で病み上がりのランナーが3位に後退するものの、3区でキャプテン・ムンク氏の爆走で一気にトップに踊り出る。4区もトップをキープして、アンカーの私に襷が。2位との差は100m弱とかなり緊張したが、取り敢えず前だけ向いてひたすら走る。結局、2位とは4分余りの差に開き楽勝のレース展開だったよう。
2006/11/26    つくばマラソン (フル)    2:45'48(G)  2:45'30(N)
今、持てる力はフル(?)に発揮出来たかな。前回の横浜ハーフで、大撃沈して意気消沈したが、なんとか復活の兆しが。
相変わらず、30キロ過ぎから足がバタつき踊り始めたが、それほど減足することもなくゴール出来、ほぼ満足なレース展開。
随所でwebの旗を持って大声援を送ってくれたけんさん、ありがとう!です。ベース設営およびアフターの幹事役のタケルさん、お店を貸してくれたマスターを始め、みなさん、ありがとう!です。また、次回、どこかで頑張って走って大いに飲んで、盛り上がりましょう!最後に、まげちゃん、エビスB、ありがとうございました。今度は是非、一緒に祝杯を挙げたいですね。
2006/11/12    横浜ハーフマラソン    1:21'51(G)  1:21'50(N)
レースの走りが出来たのは、最初の5キロまで。その後は、失速、失足、そして挫折神経痛が再発。アフターは中華街でいつもの大炎会。参加のメンバーみなさん、お疲れ様!でした。
2006/10/29    手賀沼ハーフマラソン    1:20'15(G)  1:20'07(N)
今年4月の長野Mで坐骨神経痛を再発させてしまい、走れない日々が続いていたが、やっと故障が癒えてきたよう。再来週の横浜Mでは、もう少しまともな走りが出来そう。
2006/10/08    新潟マラソン    2:59'16(G)  2:59'06(N)
期待に反して、最悪の天気。10分前にスタート地点に整列し、えんまめさんと歓談していたが、スタート5分前ぐらいからスコールとなり、暴風雨状態。その後も、一瞬雨が上がり晴れたかと思うと、またまた暴風雨。コースの道は水溜りというよりは、ほとんど川の如し。3000m障害ならぬフル障害レースの様相だった。
脚の調子がやはり完治しておらず、前半からスピードが出ないまま、後半はズルズル後退する、最悪のレースパターン。40キロ過ぎにマスターにも軽く追い越された。、マスターは、年代別6位入賞!おめでとうございます。なんとかザブスリーに首の皮一枚繋がったことだけが、せめてもの救いか。
2006/07/28    富士登山競争    4:01'03(G)  4:00'57(N)
8年ぶり2度目の出走。馬返し辺りですでにへばり気味。その後も疲労と酸素不足で意識朦朧の中、這いつくばってなんとか頂上へ。
2006/07/16    小布施見にハーフマラソン    1:27'57(G)
約2年4ヶ月ぶりに、目出度く自己ワーストを更新。朝、現地に向かうマラソン電車が二つ手前で車両故障でストップ。その後、下り電車の折り返しを待って、約50分遅れで小布施駅に到着。
前日の深酒からダッシュ出来ないまま、7時半過ぎのスタート。スタートから若旦那とどんどん差が拡がり、後塵も飛んで来ない。3キロ辺りからお腹の調子が悪くなり、レースどころではなく、ひたすらにトイレを探しながら走るうちに、前方に若旦那の姿を発見。今日は完敗と諦めていたが、20キロ手前で若旦那に追いつき、なんとか兄貴分の面目を維持出来た。若旦那、いろいろお世話になりました。
2006/04/29    横浜駅伝 (第4区:8キロ)    29'30
地元走友会のお気楽チームに参加。故障中につき、幻想ならぬ厳走。
2006/04/23    赤羽駅伝 (第1区:8.0975)    29'45
いかれた脚が心配だったが、何とか襷を二区のおりんちゃんに繋げた。おりんちゃん、けんさん、スノ兄ぃのお陰でトップ賞をゲット。その後の宴会はいつものように弾け過ぎた。
2006/04/16    長野オリンピック記念マラソン    2:53'30(G)  2:53'15(N)
20キロ手前までつばめさんと気持ち良く併走できたが、坐骨神経痛がまたもや爆発してしまい、本日のレースを諦めやむなくLSDに変更してゴールを目指す。
25キロ地点でキッドちゃん・リキさんの応援を発見するが、すでに迷走状態で声援に応えた走りが出来ず。
その後も、ひたすらゴールだけを目指しLSD走に終始。35キロ過ぎから沿道の声援に『ありがとう!』と手を上げながら応えながら走る。
40キロ辺りでまたもやキッドちゃん・リキさんの一生懸命声援を送る姿を発見し、思わず『戻って来れたよう!』と歓声を上げる。
レース自体は不本意な結果であったが、さすがランナーズで日本一の大会に選ばれるだけあって、すばらしい大会だった。
2006/04/02    青梅高水山トレイルラン    2:39'
昨年、5キロですでにアップアップ状態に陥った反省から最初はゆっくりと余裕を持って入る。それが良かったのか、昨年に比べだいぶ楽に完走できた。
しかし、上り・フラットでランナーをゴボウ抜きしたが、下りで見事に大根抜きされた。
もう少し下りを究めれば、タイム&順位も縮められそうだ。
2006/03/25    鶴見区駅伝 (第2区:3.1キロ)    10'33
先週の荒川Mの後遺症で、ほとんど腰砕け状態。
公称3.1`とのことであったが、逆に3`に100mぐらい短い感じ。
今の状態で`3分半を切れる訳がないしね(笑)

昨夜はビール、ロング缶を二本に自重して、二日酔いランを回避。
腰の鈍痛でバタバタ走りに終始したが、なんとか襷は三区走者に繋ぐ。
2006/03/19    荒川市民マラソン    2:54'31(G)  2:54'13(N)
週末の天気予報は『曇り時々雨』、なんとか雨よ上がってくれ!という約2万人の参加ランナーの祈りが通じたのか、当日朝には雨は上がる。

会場に着くと、戸田橋下に設営されたベースを発見。真っ青さんやnaoさん達が、当日、なんと早朝3時に横浜を出発して設営して頂いたとのこと、本当にありがとうございました。

今回は、不肖の弟分、若旦那と、サブ45を目指して30キロまで3’50/`のイーブンペースで走る予定であったが・・・
スタート後、1キロ過ぎぐらいで若旦那と一緒になり、その後併走するつもりが、若旦那はいたって調子が良いのか、私を置き去りにしてどんどんスピードを上げて前へ前へと行ってしまう。若旦那の姿も視界から消えてしまい、私はハーフ過ぎまで知合いのランナーとお喋りランで併走する。
ここまでは、ほぼイメージ通りの走りであった。

ところが、折り返し後、土手に上がった途端、それまで全く気にならなかった風が徐々に強くなる。やっと若旦那、まげちゃんに追い付く。一緒に併走しようと声を掛けるが、お二人とも前半のハイペースが祟ったのか付いて来れないようなので、一人で前の集団を追い駆けることに。
ところが、30キロ過ぎくらいからは、強風というより、まさに狂風状態。ほとんど歩くのと変わらないスピードでしか走れず、ペースがどんどん落ちていく。キッドさん、おりんちゃんの声援が背中を押してくれるが、スピードは全く上がらず。

もうタイムなんてどうでも良く、なんとかゴールまで辿り着くことだけを考え、必死に足を前に運ぶ。
ラスト2キロぐらいで、沿道に真っ青さんを発見。その後、まゆみさん、Trickyさん達にも声援を頂くが、もう気絶寸前モード(笑)

ヨレヨレになりながら、なんとかゴール。これまで50回以上フルMを完走したが、今回ほど心身ともに疲れ果てたレースは初体験。
こんなんだったら、雨の方がよっぽど良かったと思ったが、全て後の祭りであった。

その後は、いつものようにメンバーのみなさんとアフターで、大いに飲んで盛り上がった。
みなさん、お疲れ様!でした。
2006/03/05    昭和記念公園リレーマラソン    2キロ周回コースX5
毎年、なぜだか3月第1週末は大荒れの天気。かの有名な(?)佐倉朝日健康Mも、あまりの天気の悪さに開催時期を3月の最終週末に変更したとのこと。

同日、開催の三浦ハーフMの出走も検討したが、例年の悪天候のうえ超ハードなコースに怖気づいて、今年は昭和記念公園で開催されるお気楽なフルリレーMにWebの仲間と出走。
『名は体を表す』との格言通り、チーム名は『Junk Heap α&β』。ちなみに『Junk Heap』とは、『一塊の鉄屑』、つまり『ポンコツ車』の意。

各チームの第一走者はマタハリさん&タケルさん。最初はお互いお気楽駅伝らしくノンビリ&楽しく襷を繋いでいた。1周2キロの周回コースを誰が何区を何回走ってもOKというお気楽な駅伝であったはずが、抜きつ抜かれつの大接戦に、徐々にみんなの目の色が変わり、マジモードに変身してヒートアップ。
アンカーはパンダさんこと影の監督さんと私、最後までもつれ込んだが、最後は仲良く同時にゴールし、共にサブスリーの偉業を達成した。

その後のアフターは、マタハリさんの綿密な市場調査のお陰で、美味しい和食居酒屋を貸切り、たらふく飲んで食って、大いにお互いの健闘を称えあった。ご参加の皆様、お疲れ様!でした。
2006/02/19    青梅マラソン (30キロ)    1:57'02(G)  1:55'59(N)
来年から、東京で約3万人の市民ランナーが参加する東京マラソンが決定し、しかもこれまで青梅M開催の2月第3週末に実施とのこと。青梅は来年より2月第1週末に開催変更を決定したが、1月最終週末に勝田Mがあることから、自分にとって今年の青梅は最後の出走かも?

今年の30キロのスターターは、Qちゃんこと高橋尚子選手。それでなくてもスタート地点を通過するまでロスタイムがあるのに・・・。これならランナーに不評の、最近、めっきり監督業から解説者に転向したような瀬古さんの方が良かったかも(笑)

案の定、スタート地点まで約1分のロスを抱えての出発。3キロぐらいまでトロトロ登録ランナーに前を阻まれ、なかなか思うように進めず。
5キロ19分ペースでのイーブン走を目指してスタートしたものの、往路は全体には緩やかな上りで復路は下り、その間、途中、急激なアップダウンもあり、イーブンペースをキープ出来ず。

折り返し地点で、前を行くつばめさんを発見、約40秒の差、後半、何とか追い付きたいと思ったが、折り返し以降持病の坐骨神経痛が再発してしまい、左脚付け根辺りの鈍痛でドタバタ走りに。
20キロ以降は5キロ20分ペースを維持するのがやっとの状況で、結局、つばめさんの後塵を拝することも出来ず、なんとかゴールまで辿り着く不完全燃走の結果。

当日、朝早くからウィンウィンさんがベース設営、ユッカさんが幟を持参と、本当にありがとうございました。また、まゆみさん、元気百倍の一粒の甘〜いチョコ、ありがとうございました。

その後は、長野から遠路遥々参加された”りこさん”を囲んでの打上会で、いつものように大いに盛り上がった。みなさん、お疲れさま!でした。
2006/02/05    神奈川マラソン (ハーフ)    1:20'12(G)  1:20'06(N)
昨夕から突然雪が降り出し、千葉マリンに続いてレースはドタキャンかと期待したが、幸か不幸か無事決行。

昨夜は何年ぶりかの休肝日にして、本日のレースに備えた。
『備えあれば憂いなし』というのに、全く休肝効果が無く、敢え無く撃沈。

10キロまではなんとか走れたが、10キロ過ぎに坐骨神経痛が再発してしまい、左脚に力が入らず、ずるずると後退。
こんなことなら、昨夜も燃料を補給すべきであったかな?

やはり、いつもやらないことをやるのは身体には良くないことを、身を持って体験した。
2006/01/29    勝田マラソン (フル)    2:45'50(G)  2:45'44(N)
普段の行いが善かったお陰か、絶好のマラソン日和。

スタート後、ハーフまではほぼイメージ通りの19分ペースで快調の走りだったが、その後、徐々に失速モードの怪調な走りへ。
取り敢えず、エイジ・シューターはなんとか達成出来たが、やはりサブ45を達成したかった。
次回、荒川でリベンジを!

その後、おりんちゃん、マタハリさん、影の監督さん、不肖の弟分/若旦那さん、ピカチュウさん&走友さん達と駅の近くの居酒屋で打上会。
二次会は宴会電車、おりんちゃんと若旦那さん二人は途中から夢心地。
みなさん、お疲れ様でした。
2006/01/22    千葉マリンマラソン (ハーフ)    中止
前日の8年ぶりの大雪で、8年ぶりにドタキャンとなってしまった。

前回は当日の朝中止が決定されたが、今回は前日の夜決定されたのはせめてもの救い。
2006/01/08    新春川崎マラソン    1:58'01
坐骨神経痛気味で左脚に力が入らないうえに、昨年末の忘年会で飲み過ぎて、帰宅途中に転倒し右膝を強打してしまい、痛みが引かず。

そんな最悪の状態でスタートしたが、やはり懸念した通り、スピードも上がらず、後半からズルズルと後退する。
昨年の記録に比べると、5分以上遅いタイム。
2005/12/11    川崎フル駅伝 (第4区:9キロ)    36'54
フルのスプリット・タイムより遅いスピード。
完全に二日酔い状態で、千鳥足ラン。
昨年に続き二連覇を狙ったが、優勝を逃してしまった。
2005/12/04    NAHAマラソン (フル)    2:54'49(G)  2:54'47(N)
最終戦となるNAHAマラソン。沖縄入りしたレース前日はまるで夏のような天気で、日中は25度くらいまで気温が上昇。
ところが、翌日のレース当日は一転して気温が下がり、そのうえ小雨雑じりの暴風雨の大荒れの天気。スタートまでの約30分の待ち時間で、身体は冷え切って、足の指が攣る始末。こんな状態で、フルを完走できるのだろうか?

やっと号砲の鐘が撞かれていざスタート。前半10キロ過ぎから20キロまでは上りが続く。前日、車で下見をしたものの、さすがに車で走るのと自分の脚で走るのとでは大違い。ボディーブローのように、思った以上にダメージが大きく、已む無くスピードダウン。

その後は、ひめゆりの塔を過ぎると、今度は強烈な向かい風に、前を阻まれる。下り坂にも関らず、ますます失速モードへ。暴風雨に翻弄され何度も挫けそうになるが、沿道の大声援に支えられなんとかヨレヨレになりながらも、ゴ〜ル!。
タイムは今年のワーストと不本意な記録であったが、みなさん、悪天候の中、同じように悪戦苦闘したようで、順位は全出走者約2万人中、42位とまずまずの結果だった。

こうして初めてのフル三連戦は、あっけなく幕を閉じてしまった。
2005/11/27    つくばマラソン (フル)    2:47'13(G)  2:46'48(N)
中三日でのフルで、多摩川フルのダメージからどの程度回復出来ているか自分でも分からず、完走出来るかどうか不安を抱えてのスタート。

スタート前に、つばささんに声援をもらい、いざ出発!前半は、脚はなんとなく重いものの、思ったほどダメージが無い。途中、逆走して声援を送るnaoさん、ノボリを持ったおりんさん、ドキンちゃん達の力強い声援で背中を押してもらう。

ところが、案の定、ハーフ過ぎた辺りからスピードを上げようと脚に力を入れると、右足のハムスがピクピクと痙攣し始める有様。これ以上のスピードアップはギブアップ。東京国際女子Mで見事復活を遂げたQちゃんの如く、『何とか最後まで脚が持ち堪えてくれるように!』と、祈りながら走る。
かなり苦しくなった35キロ辺りで、またしてもノボリを持った女神、おりんさんを発見、ハイタッチをしてエネルギーを貰い、なんとかゴールまで辿り着く。

タイムは2時間46分48秒と思った以上の快走に、我ながらビックリでした。

その後の会場での打上&アフターは、いつものように大いに飲んで語って、盛り上がりました。
幹事役のタケルさん、ありがとうございました。
2005/11/23    多摩川フルマラソン (フル)    2:49'25(G)  2:49'23(N)
昨年までは新横浜のアリーナ裏の鶴見川河川敷で行われていた大会だったが、最近参加者が増えてコースが手狭になったとのことで、今年から古市場の多摩川河川敷に変更しての記念すべき第1回大会であった。
(と言っても、全参加者は約350名程度の超ローカルレース)

本当は3日後のつくばMに向けての直前LSDの練習の一環で走るつもりで参加したが、どうせ押さえて走ってもダメージがどこまで回復するか分からないので、取り敢えずキロ4分のペース走で走ることにした。

スタート直後から3人が飛び出し、第4位グループについて走る。ちょっと風が気になるが、それほど寒くもなくマラソン日和だ。5キロ過ぎに3位のランナーに追い付き、前を走る二人のランナーを追う。
10キロ辺りの折り返し手前で、なんとか2位の若いランナーに追い付き、あと残るは先頭を走るランナーのみ。
しかし、沿道の人の話によると、タイム差は3分ぐらいとのこと。すると距離に直すと、700mぐらいの差か?

ところが、その後の折り返しですれ違いざまに先頭のランナーを見ると、かなりヘタッテきている様子。
ひょっとして追いつけるかもと、それまで諦めかけていた闘走心に火が点き、追走開始。すると、どんどん先頭のランナーの姿が大きくなってくる。
結局、30キロ手前で追い付き、その後は先導車のオートバイを追いかけるのみ。
さすがに先導車には走っても走っても追いつかなかったが、周りの沿道の方から大声援を頂きながら、そのままゴール出来るというラッキーな一日であった。

地元のローカルな大会とは言え、記念すべき第一回に優勝者として名前を残せるなんて、たぶん人生で最初で最後だろう。
2005/11/13    横浜マラソン (ハーフ)    1:19'07(G)  1:19'04(N)
先週の柏崎フルのダメージが抜け切らず、身体が重い。

最初の5キロは18分後半で入ったが、次の5〜10キロは自分ではスピードダウンした感じはなかったものの、時計を見ると19分半。
もう今日はダメだと諦め、先頭集団を走る走友会メンバーに手を振りながら声援を送って走る。
そんな走りで、10〜15キロのスプリット・タイムをチェックすると、今度は18分を切るタイム。
なんだか訳の分からない距離表示に翻弄され、後半は脚に力が入らずバタバタ走りに終始したが、なんとかゴール。
途中、地元走友仲間からたくさんの声援を頂く。謝々!

完走後、miaさん、Mickeyさんご夫妻、志ん一さん、若旦那さん、影の監督さん達とチャイナタウンにランチ&アルコール・ツアーに出発。
Web仲間との楽しい歓談だったが、今日も完食に失敗した。


結局、その後、送られて来た記録書に、10〜15キロが265m長かったとの謝罪文が同封されていた。
噂によると去年も途中の距離表示がオカシイとの指摘があったのとのことだが、全くその反省が生かされてなかったみたいだ。
『2度あることは3度ある』で、来年も同じかな?
2005/11/06    柏崎マラソン (フル)    2:48'18(G)  2:48'18(N)
今回、初めての参加。陸連公認コースで最もきついコースとか。
そのうえ、先週の手賀沼のアフターではしゃぎ過ぎた罰か、鼻風邪を引いてしまい体調も今一つで、完走出来るか不安を抱えてのスタート。

スタート直後から、招待選手の弘山晴美選手に伴走。先週末の東日本女子駅伝の疲れか体調を崩しているのか、走りにいつもの切れがない。
3キロぐらいまで伴走したが、彼女が突如道路脇のトイレにダッシュして、離れ離れに。

その後は、10キロ手前辺りから急坂が控えていることから、抑え気味に淡々と走る。懸念していた登り坂は思ったほど急ではなく、若干スピードダウンしたものの難なくクリアー。その後は、時たま沿道の声援に手を振りながら応えて、もう一つの坂を越えて田んぼに囲まれた田舎道を走り抜け、今度は海岸沿岸の道を走って折り返し地点へ。

折り返し地点も40mぐらい登った坂の途中にあり、これまで折り返して来た選手は4人。ということは、総合5位か。しかし、その差は約4分ぐらいで、もう追いつくのは無理と諦めて、また淡々と走ることに。ところが、30キロ過ぎの急坂で一人の選手の背中が視界に。その坂の頂上辺りでやっと追い付き、追い越す。その後、40キロ過ぎには、今度は折り返し地点までトップを走っていた選手を発見。かなり体力を消耗しているようで、ヘトヘト状態。そのランナーを追い抜き、そのままゴール。
結局、タイムは凡記録であったが、総合3位、年代別でトップに入り、クリスタルの盾と新米をゲット。

帰りの高速バスは大渋滞に巻き込まれ、1時間40分遅れで東京に到着。
賞品を貰えるのはうれしいが、フル完走後の疲れた身体には、ちょっと重過ぎでした。
2005/10/30    手賀沼エコマラソン (ハーフ)    1:18'20(G)  1:18'16(N)
ナンバーの1番違いの鈍足ラビットさんと横並びでスタート。しかし、スタート直後からどんどん離される。

5キロ過ぎで大橋を渡って再び土手に出るところで、幟を持ったmiaさんを発見。miaさんの声援に応えて、再び、前を行く鈍足ラビットさんを追う。しかし、どんどん後ろ姿が遠ざかる。

その後は、ラビットさんの姿も視界から消えて、マイペースで走ることに。ところが、12キロ過ぎの坂で再びラビットさんの姿が視界に。なんとか追いつきたいとその後ろ姿を追走。再び、大橋を渡り、最後の5キロはゴールまで土手を走る1直線のコース。
18キロ地点の辺りでまたもやmiaさんを発見。ハイタッチをして、声援&エネルギーをmiaさんからもらい最後の一踏ん張り。なんとかラビットさんに追いつき追い越し、いざ大きなアーチを目掛けてラストスパート。やっとゴールと思ったら、なんとそのアーチには『笑顔でゴール!』と書かれており、本当のゴールは100mぐらい先。
もう、ラストスパートするエネルギーは無いし、笑う余裕も無し。
なんだか、『アーチにつままれた』ゴールだった。
2005/10/23    諏訪湖マラソン (ハーフ)    1:19'16(G)  1:19'14(N)
天気は秋晴れで快晴、当に絶好のマラソン日和。しかし、天気に反して、最近の左脚の状態は最悪。前日、完全休足してレースに備える。

約8千人のランナーが号砲とともに一斉にスタートする。しかし、左脚の鈍痛が激しく足が重くて全く動かず。自分では一生懸命スピードを上げて走っているつもりだったが、2キロの距離表示で腕時計でタイムを確認して、愕然とする。時計は8分を指している。ということはキロ4分。フルの1キロのスプリットより遅い。こんなに頑張って走ったのに、キロ4分。今の自分の脚の状態を考えると、これ以上のスピードアップは無理だし、この状態だと完走さえ無理かも。途中棄権の四文字が頭を過ぎり、弱気になる。

しかし、せっかく諏訪湖まで来たのだから、取り敢えず走れるところまで走ろうといつものノー天気のB型の開き直りで、気を入替えて前を追うことにする。100番ぐらいでスタートしたハズだったが、300人ぐらいのランナーにゴボウ抜きされ、2キロを過ぎた地点では400番ぐらいか。少し痛みが和らぎ、スピードアップし、だんだん気分が乗って来て、次第に前の集団に追い付き、追い越して行く。

10キロ過ぎに沿道から、100番ぐらいだと教えられる。取り敢えず、前を追って走るだけ。時折、左脚の力が抜けて躓きそうになるが、なんとか大失速することもなく、ゴールまで走り抜く。

結局、総合順位は89位、年代別は19位だったが、こんな最悪なコンディションの中でも取り敢えずサブ20出来たことは、自分でも十分満足行く実りある結果だったと自己分析。
2005/10/09    新潟マラソン (フル)    2:49'50(G)  2:49'43(N)
8月の北海道に始まり、田沢湖、そして今回の新潟と、今シーズン三戦目のフル。前回までの北海道、田沢湖と不甲斐ない走りに終わり、なんとしても今回は満足な走りをしたいところだったが・・・

前日までの大雨もなんとか上がり、まずまずのマラソン日和か。
前半は、ほぼイメージ通りの5キロ19分〜19分15秒のペース走。ただ、10キロぐらいまで、晴れ間が広がり思った以上に暑さを感じる。日本海沿いの単調な海岸通りを走リ抜ける。ところどころ沿道の声援はあるものの、応援者は少ない。海岸通りが終わると、海岸から離れて景色は一転して畑だらけのコースへ。ゆるやかなアップダウンがあるものの、総じてフラットなコース。自分のペースは遅い方ではないが、思ったほど順位は上がっていないもよう。沿道の人の声によると、22位ぐらい。まだ、前方に4〜5人のランナーが見えるが、先頭はずっと先を突っ走っている。折り返して来るランナーを確認すると、トップは南蛮連合のJソン氏。さすがに速い。

折り返し後、再び、単調な海岸道路をゴールを目指してひたすら走る。往路では全く気付かなったが、かなり強い向かい風。前を走っていたランナーが一人また一人と失速していく。その間、10人ぐらいのランナーを抜いて、35キロ地点では13位まで順位を上げる。しかし、35キロ過ぎからの河川敷の遊歩道で、二人ぐらいのランナーとデッドヒート繰り広げたが、40キロ過ぎに軽く振り切られ、結局、総合15位、年代別5位に終わる。しかし、思いもよらず、メダルと記念Tシャツ、南魚沼産の新米こしひかり1キロをゲット。

走り終えた後、若旦那さんと駅近くの銭湯で汗を流し、そば屋に直行。軽くそばを肴に乾杯をして、帰りのバスの中でも打上会を続行。
東京に近づくにつれ高速道路の渋滞が激しくり、その後の乗り継ぎ電車が無くなるのではと心配になったが、バスは予定通り池袋駅に到着して無事、その日の電車で帰宅でき胸を撫で下ろし、二日間の新潟Mツアーは幕を閉じた。
2005/10/02    東日本国際駅伝 (5キロ)    18'33 (手元)
初秋というのに、カンカン照りの天気。暑くて気力走失。またもや愚走。
2005/09/18    田沢湖マラソン (フル)    2:49'18(G)  2:49'17(N)
大会前日にクラブの仲間11人と、小岩井牧場(含む、ソフトクリーム)経由で会場入り。晴れ時々曇りの空模様だったが、明日の朝から下り坂との予報。

なんと言っても、クライマックスは後半35キロ過ぎからの急な登り坂。それまで如何にエネルギーを温存して走れるかが鍵とのこと。

しかし、前半も小刻みなアップダウンのあるコースと聞いていたので、取り敢えず、同じ走友会仲間の"世界の0184"さんの後を追走。しかし、街中をクネクネ走り、いったいどこを走っているのかも分からず状態。街を抜けて、再度湖畔に向かう15キロ以降の道で、0184さんの背中がだんだん遠くなっていく。このまま視界の彼方に消えていくかと思われたが、湖畔に向かう最後の登り坂で、逆に彼の背中がだんだん大きくなり、15番前後の7〜8人の大集団に追い付く。

湖畔の周回道路は、35キロの急坂を除けばほぼフラットなコース。少しペースアップしたら、0184さんの足音が遠ざかって行く。周りには次第にランナーがいなくなり、22キロぐらいからは一人旅状態。30キロ手前までで、落ちてくるランナーを一人ずつ追い越し、総合10位まで順位があがったようだ。そして前には、ついにつばめさんの姿が。一時30mぐらいまで追い付き、なんとか抜かせるかなと思った矢先に、35キロからの急坂。さすがに35キロを走ってきた脚には、あまりに坂がキツイ。少し登ったところで、両足に痙攣が。やむなくスピードダウンしてなんとか登り切る。登りの遅れを一気に取り返すべく、駆け下りていたらまたもや両足に痙攣が。もうこれ以上のスピードアップも出来ず、あとはなんとかゴールを目指すのみ。その間、次々に3人のランナーに追い越され、結局、終わってみれば総合13位。年代別でも、30キロ過ぎに一時トップに立ったものの、わずか『一キロ天下』で、結局2位。

でも、団体戦は昨年に続いて二連覇達成!めでたし、目出度し。

2005/09/04    千葉海浜マラソン (16キロ)    59'48
会場入りすると、受付テント近くの木陰に、タケルさんに陣取りして頂いたベースを発見。今回、初めてお会いするメンバーや顔なじみのメンバーにご挨拶を交わす。
当日の予報では、『曇りのち雨』とのことであり、何とかレース終了後まで天気が持つことを祈った。ところが祈りが効き過ぎたのか、レースが始まる頃には、雲が切れてどんどん暑くなり、猛烈な残暑。
9時過ぎにスタートした5キロレースに出走したランナーが、早くも熱中症で倒れて救急車で搬送。16キロの部に出走する為、スタート地点に整列していたランナーを掻き分けて、救急車が過ぎ去った。何だか不吉な予感が。

コースは、公園周回+海岸道路の1周8キロの周回コースを2周、ほぼフラットで、暑くなければ記録の出易いコースのよう。
取り敢えずは、スタート後は周りのランナーに併走したら、最初の5キロが18分を切るハイペース。元々スピード力のないのに、こんなスピードで完走出来る訳がないと思ううちに、1周して再度、スタート地点に。
タケルさんがデジカメを構えて声援を送ってくれる。声援に応えるべくスピードアップしたいところだが、最初からのハイペース走で急激なペースダウンを回避するのがやっと。でも、周りのランナーも暑さに相当苦しんでいるようで、前を走るランナーが一人また一人と落ちてくる。
結局、なんとか総合10位に滑り込み、年代別では2位に食い込む。

ゴール後、熱中症のランナーが次から次へと救急テントに運ばれて、救急車が何台も駆け付ける有様。こんな光景を見たのも経験したのも初めて。

webの仲間に別れを告げ会場を後にして、駅前のお好み屋で軽く打上げして、帰路についた。
今日は、本当に暑い熱い一日だった。
2005/08/28    北海道マラソン (フル)    2:52'11(G)  2:51'54(N)
この一年、この大会での自己新を目指してトレーニングを積んできた。
なんとか、これまでの成果を発揮したいところだが。

最初のハーフまですこぶる快調な走り。沿道の声援にも、笑みを浮かべて手を挙げながら応える余裕綽々な走り。
ところが、ハーフを過ぎてすれ違うトップ集団の招待選手の走りにビックリ。みんなかなり疲労困憊の様子。小島宗幸選手や早田選手も全く切れが無い。いったいどうしたの?と思っていたが、30キロ過ぎに右足の太腿の裏側に軽い痙攣が。その直後に、一気にこれまでの快調な走りが乱調に。一生懸命走ろうともがいても、どんどんペースが落ちてくる。まさかの大失速、35キロ過ぎにはスタート直後抜いたはずのつばめさんが颯爽と走り過ぎる。

その後のゴールまでの距離の長いこと長いこと。やっとヘロヘロになりながら何とかゴール。

本当は快心のレースになるはずだったのに、ただただ悔心&戒心のレースとなった。

また、一から出直しです。
2005/07/17    小布施見にマラソン (ハーフ)    1:22'35
今年で3回目とか、今回初めて、走友会のメンバーで大挙して出走。
今まで小布施町なんて聞いたこともなく、田んぼと畑ばかりの田舎町かなと思っていたら、意外と賑やかな町並に少々ビックリ。

コースは、スタート直後は果樹園や田んぼの畦道みたいな未舗装の道路で、昨日のスノーハープ駅伝のトラウマかと思うほど苦しい走り。30mぐらい前に、若旦那さんの姿が。追い付けそうで、追い付けない。
その後、腹痛からスローダウンした若旦那にやっと追い付き、小川の土手を走り、今度は町中へ。町中の路地をクネクネと走り抜ける。曲がり角が多くて、そのたびに目標となる前のランナーの姿を見失い、自分の走りも見失いそう。

しかし、後半16キロぐらいからはクネクネ道から一転して、土手の直線コースに。すると、前方200mぐらいに、走友会メンバーのボケ一休君を発見。スタート直後3キロぐらいで、颯爽と軽く抜いていかれたが、かなり失速している感じ。だんだん彼の後姿が大きくなってくる。やっぱりかなり『ヘタレ』状態。右端を抜いたが、彼は反応する元気もないよう。

タイムは不本意な結果ながら、年代別でなんとか3位に入賞。なぜかブーケと桃1個が賞品。
2005/07/16    白馬スノーハープ駅伝 (3区:4キロ)    測定不能
長野冬季オリンピックのクロスカントリー会場。梅雨の晴れ間でなんとか雨には降られなかったが、スタートおよび襷渡しの中継拠点となるフィールド内は水浸しのうえ、強烈な汚臭。ランシューズが濡れるのは嫌だなって思ったのは襷を貰う前までで、その後は足に優しいと言われるチップが敷き詰められたクロカン・コースを目指して突撃。

と思ったのは最初だけで、コースもいたる所ぬかるんでいて、力が入るのは気ばっかりで、足には全く入らず。試走の時には、つばめさんとご一緒に談ランしたからか、ほとんど気にならなかったのに、いざレースで走ると同じ坂とは思えないほどキツイ。
ということで、やっとの思いで襷を4区のランナーに繋ぐ。時計をスタート時に押し忘れてしまい、タイムも判らず。
来年は、出走取り止めかな?!
2005/06/05    東京喜多マラソン (フル)    2:54'07
今夏の北海道Mの足慣らしのつもりで出走。前半は曇りでそこそこの走りだったが、後半になり温度が上がると伴に、減速状態に。
北海道Mで自己記録更新を夢見ていたが、儚い夢に終わりそう・・・
2005/05/29    山中湖ロードレース (ハーフ)    1:22'09
以前は中学校の細い道路がスタート地点で押し競饅頭状態だったが、湖畔の広い道路に変更になっており、とてもスムーズなスタートだった。でも、やっぱり以前と変わりなく相性の悪いコースのようで、今年も3キロ過ぎできつくなる。なんとかゴールまで辿り着くといった情けない有様だった。
2005/05/22    Ekidenカーニバル (2区:5キロ)    17'54(手元)
先月に続いて、赤羽でのEkiden。曇り空だったが、走ると結構蒸し暑かった。下ろしたての真っ白なシューズが、砂埃でいっぺんに真っ黒になってしまった。
肝心の走りは、スピード練習を全くしてないので、こんなもんでしょ。その後、赤羽駅周辺の飲み屋で3次会。二次会は、かの有名な『まるますや』、三次会は『八起』でした。
2005/05/15    チャレンジ皇居マラソン (30キロ)    1:53'28
来月初めの東京喜多フルMに向けての足慣らし。当初のイメージ通り、1周19分のペースで完走出来た。

3周半ばに15分早くスタートしていた50キロのトップ集団の二人のランナーに追い越された。ふと横を見ると、その内の一人は旭化成の元実業団ランナー、佐々勤選手だった。さすがに、惚れ〜〜するきれいなフォームで、身体のブレも力みも全くない。トップ集団と併走出来たのは二重橋前辺りまでのたった半周ぐらいで、その後、あっという間においていかれた。

今年の大会は、主催者側もどうして今年はこんなにランナーが集まったんだろうと不思議がるほど、参加者が多かったらしい。しかし、参加料が3千円とそこそこする割には、ゴール後の水分補給もない。これじゃあ、来年からはナンバーなしでラントレの振りをして参加した方がマシかなとマジに思ってしまった。
2005/05/05    チビリンピック親子マラソン (1キロ)    4'15
2学年毎に一緒にスタート。スタート前列は上級生で、下級生はみんな後列に並ばせる。スタート後も親子ランナーがトラック一杯にごった返して、とても前に進めず、結局、押し競饅頭状態でゴールへ。
もう少し、まともに走りたかったが、息子は精一杯走ったようだ。
2005/04/29    横浜駅伝 (第4区:8キロ)    29'20
先週末に続いての駅伝。今回はお気楽チームDで出走。しかし3区まで若手メンバーのCチームをリードして襷をもらう。いつ追い越されるかと冷や〜〜しながら走った。なんとか逃げ切り、途中2人抜いて順位も8位まで上がったみたいだった。
2005/04/24    赤羽駅伝 (第3区:5キロ)    18'20
暑さと熱風で、またもや戦意走失。ここのところ駅伝は撃沈続きで、自信も走失。
2005/04/17    霞ヶ浦マラソン (フル)    2:42'43(G)  2:42'40(N)
家を出た時には、風はほとんどなく快晴。当にマラソン日和と思ったが、スタートの頃には温度はぐんぐん上がるし、結構、風も強くなってきた。
今回は5キロ19分15秒ペースでの完走を目標にスタート。前回の荒川Mでスタートラインを超える前に転倒するというハプニングがあったので、今回は出来るだけ先頭にポジショニングして、慎重にスタートした。
10キロぐらいからメキシコからの招待ランナー(No.34)と35キロぐらいまで併走した。そのお陰でほぼ目標のペースを維持できたよう。36キロ過ぎでタケルさん続いてかっつんさんに声援をもらい、その後naoさんに記念撮影を取ってもらい、ゴール手前2キロ辺りでまゆみさんから最後の応援をもらう。みなさんの声援のお陰で、約2年半ぶりにサブ45を達成することが出来ました。本当にありがとうございました。
2005/04/10    横浜ロードレース (20キロ)    1:14'10(G)  1:14'09(N)
翌週に、メインイベントの霞ヶ浦Mを控えて、最後の調整で出走。1時間15分を目標にスタート。初夏を思わすような暑さの上に風もあったが、最初の5キロを想定以上の速さで入ってしまい、完走出来るか不安になる。一人のランナーが抜け出してダントツトップで走ったが、その後の2位集団は団子状態で17キロぐらいまで併走。最後の2.5キロの折返し手前で2位集団がバラけ始め、なんとかその集団から抜け出し2位を確保してゴール。一人の若手のランナーがゴール直前に猛追してくるがなんとか逃げ切る。あとで、Web仲間のかっつんさんだと判明。
レース後、ピカチュウさんとラーメン屋で、軽く歓談&打上。かっつんさん、ピカチュウさん、お疲れさまでした。
2005/04/03    モントレイル青梅丘陵高水山岳マラソン (30キロ)    2:48'29(G)  2:47'57(N)
ハイキング・ランに毛が生えた程度かなと気楽に参加したが、なんどもアップダウンが続くハードなコースに悪戦苦闘し大後悔。でも『後悔、先に立たず』で、下り坂で駆け下りたら止まらなくなり、3度ほど谷底まで転げ落ちそうに。シューズもラン用で足の裏は痛くなるは、太腿もパンパンに張ってしまい翌日から3日間ほど痛くてまるでロボット歩きになるはで、地獄の苦しみ。『備えなければ憂いあり』を身をもって体験する山岳レースであった。
2005/03/20    荒川市民マラソン (フル)    2:46'57(G)  2:46'14(N)
陸連未登録の為、登録の部の次のブロックに走友会のメンバーと一緒に並んでスタートを待つ。号砲が鳴りやっと動き始めた矢先、10mぐらい走ったところで、前方に係員がしゃがんで何かしている。いったい何をしているんだろうと思って通り過ぎようとした途端、その係員が登録の部と一般の部との仕切りロープを突然いきなり撤収しようとして持ち上げて、そのロープに足が引っ掛かり、なんとスタートラインの手前20mぐらいで大転倒。倒れた時に両膝と左肘を強打してしまう。走友に助けられ、起き上がって再び走り始めたが、強打した膝と左肘に計5箇所の擦り傷ができて、そこから血が滲み出ている。

今回の荒川フルでサブ45を達成して『完全復活達成』を目標に、この半年間ラントレに励んできたのに、なんとその夢はスタートラインに達する前に儚くも散ってしまった。
2005/03/13    東京ベイ浦安シティマラソン (ハーフ)    1:19'33(G)  1:19'31(N)
先週の三浦ハーフでの玉砕がトラウマになり、スタート前は足が竦んで気分も今一つ晴れず。
取り敢えず、翌週の荒川フルの最後の調整に、1時間20分を目標にスタート。なんとか当初の目標を達成でき、一安心。
過去、渡米前に2〜3回出走したが、以前は未開発の埋立地を沿道の声援もなくただ黙々走るつならないコースであったが、今回は大分開発も進んだ新都市を沿道の声援を受けながら走れて気持ち良かった。
2005/03/06    三浦国際マラソン (ハーフ)    1:28'05(G)  1:28'03(N)
寒さと突風に、戦意走失。
約6年ぶりのワースト記録を見事達成。
2005/02/26    鶴見区駅伝 (3.2キロ)    測定できず
前日の飲み会でフィーバーし過ぎて、愚走。
2005/02/20    青梅マラソン (30キロ)    1:54'36(G)  1:53'48(N)
天気予報では、前日夜半には雨が上がり、日中は3月下旬の陽気で暖かくなるとのこと。でも朝起きてみると、まだシトシト雨。気分が今一つ乗らないまま、会場となる河辺駅に向かう。駅に着くと、なんとか雨は上がっていた。例年に比べると寒くはないが、天気予報でいうほど暖かく感じられない。今日の天気予報は『う〜〜残念!』というぐらい大ハズレ!
今日は、5キロ19分ペースで1時間54分を目標にスタート。
陸連登録をしていない為、スタートまで約50秒のロス。スタートしても陸連登録の遅いランナーのチンタラ走りで、なかなか渋滞から抜け出せず。やっと渋滞から抜け出せたのは、3キロ過ぎくらいから。
その後は、ほぼ目標通りのペースを刻みながら淡々と走る。
途中、折り返したトップの二人のランナーとすれ違う。その時は、まだ藤原選手が先頭を引っ張っていた。このまま、ぶっちぎりでトップでゴールするのだろうと思っていたら、結末は意外な結果だった。
折り返してからの20キロ過ぎ辺りにある急坂には今年も苦戦したが、なんとか乗り越えほぼ目標通りのタイムでゴールした。
今日の天気予報は大ハズレだったが、走りの方はほぼイメージ通りで的中率は天気予報以上かな?(笑)
2005/02/11    千代田区内濠周回駅伝 (皇居1周)    17'44
最近は、ただ走るだけで、インターバルやビルドアップ等スピード力を強化するラントレを全くやっていないので、自分でもどのくらいで走れるか分からず、スタート前は緊張した。
ま、そこそこの走りは出来たかな。
2005/02/06    神奈川マラソン (ハーフ)    1:17'16(G)  1:17'09(N)
地元横浜で開催されるレース。ノンビリと10時過ぎに会場入り。若干、風があったものの、そこそこのマラソン日和。
レース前日も、無謀にも25キロほど走り込みを行った為、足が重い。
今日は、ラントレのつもりでマイペースで走ろうとスタートしたが、すぐにチームメイトの白い夜さん、はまのすけクンと一緒になる。
故障上がりの現在の状況を考えると、自分より一廻りあるいは二廻りも若い彼らに併走するのは、自滅するのは自明の理。
と、思ったが取り敢えず付いて行けるところまで付いて行こうとへばり付く。結局、併走出来たのは15キロぐらいまでであった。
しかし、4人が同じ水色のランパン・ランシャツを身に付けての集団走に、沿道からひときわ大きな声援をもらい、最高の気分。
タイムも約3年ぶりにサブ20を達成出来、ほぼ満足。
2005/01/30    勝田マラソン (フル)    2:46'07(G)  2:45'59(N)
先週の千葉マリンで玉砕したことで、不安を抱えて迎えたフルM。
勝田駅に着くと北風が結構吹いていたが、それほど寒くはなく、先週よりはコンディションはマシ。
しかし、前半は北風に悩まされたが何とかガマンして淡々と走る。後半からは、風と沿道の声援に背中を押され、思った以上に快調に走れた。
前半と後半のラップ差は約1分、サブ50を達成したのは約2年ぶりと、ほぼ満足の結果だった。
2005/01/23    千葉マリン (ハーフ)    1:21'19(G)  1:21'16(N)
会場となる海浜幕張駅に降りると、雪が舞っている。北風も強く、最悪のコンディション。あまりの寒さに走る気力が失せる。
取り敢えず、チェックインして、号砲直前にスタート地点に駆けつける。
アップもせずスタートしたが、あまりの寒さからか一昨年の春に坐骨神経痛で痛めた左足に、力が入らずスピードも上がらず。
心身ともに凍てつきそうだった。ゴールの千葉マリンスタジアムに辿り着いた時、5分前に時差スタートしたQちゃんの姿を発見。ゴール後、すかさず握手をしてもらったら、その場面が翌朝のスポーツ・ニュースで一瞬放送されたとか。

2005/01/09    川崎新春マラソン (30キロ)    1:52'17
絶好のマラソン日和。
10キロ38分ペースで、1時間54分を目標にスタート。
予想以上に快走出来たが、最後の5キロで失速気味。今後の課題ですね?
5キロスプリット・タイムは以下の通り。
5/18'39・10/18'50・15/18'24・20/17'54・25/18'48・30/19'40
2004/12/12    川崎フルM駅伝 (9キロ)    34:28
いつもに増して凡走に終始。寒かった〜
2004/11/30    つくばマラソン (フル)    2:50'59(G)  2:50'40(N)
当に秋晴れで、風もほとんどなく、絵に書いたような(?)絶好のマラソン日和。3年前に自己ベストを出した相性の良い大会。と思ってスタートしたら、大きな勘違で大誤算。
今回は、前半は5キロ19分ペースで走る予定でスタートしたが、最初の5キロは予定ペースを大幅に上回る19分26秒。その後少しペースを上げたものの、19分まで上がらず、上がったのは息だけ。
後半からペースは徐々に落ちてきて、結局、盛り上がることなく凡走のままゴール。
3年前に快走した自分が自分でも信じられなくなりそう。途中から潰れた分けでもないのに。今日のレースは身体以上に精神的な疲労感の方が大。こんな悪夢は忘れて、明日からまた出直しだ。
(開催日まで間違えてインプット。11/28でした)
2004/11/07    New York City Marathon (Full)    2:49'27(G) 2:49'19(N)
言わずも知れたアメリカ三大マラソンの一つであるNYCM。
9月末に突然日本に帰国になり、シカゴMは泣く泣くDNS。
今年のNYCMの参加者が過去最高の37千人余りで、タイム順に採番された私のナンバーが340番と分かり、急遽、会社を休んで出走を決意。ラドちゃんも復活を期して参戦。
帰国準備や引越し等で8月中旬からほとんどラン出来ず、走り始めたのはこの大会の2週間前。こんな付け焼刃的なラントレでどこまで走れるか。
スタートから30k辺りまで予想以上に快調、しかしその後だんだんと両足の太もも裏側にピクピク痙攣が走り始める。ついに25マイル(40キロ)地点で、左足の太もも裏側が完全に攣ってしまい、止まりかける。しかし、ケンケン走りでその場をしのぎ、なんとかゴール。約2年ぶりのサブ50。
全出走者:37,257人中196位、年代別:3,081人中6位、日本人:597人中2位。
2004/08/25    Self-Transcendence Marathon (Full)    2:54'34
隣のNJ州のハドソンリバー沿いのレイクの周回コース。1周約3マイル(4.8キロ)のコースを8周+1周弱。
真夏の開催であったが、爽やかな天気のうえスタート時間も早く、エンジョイできた。
前半は快調であったが、30k過ぎから徐々に足にきて、やむなくペースダウン。
全出走者:750人中9位、年代別:1位。
主催者は"Sri Chinmoy"という新興宗教で、完走後、日本からわざわざこのレースに参加しに来たと勘違いされ、教祖様と並んで写真を撮ってくれると言われたが、興味がないのでお断りした。
2004/05/30    Baffalo Marathon (Full)    2:55'32
NY州の西端に位置するバッファローで行なわれたフルM。
前日、約9時間かかってマイカーで現地入り。昨年春に坐骨神経痛を再発させ、約1年間はほとんど走れない日々。
どうにか今春から痛みが少し和らぎ、回復の兆しが出始める。
取り敢えず、復帰第一戦。途中から先頭集団と離れてしまい一人旅。コースは市民墓地公園内を抜けて高級住宅地内へと。コース案内が肝心なところでなく、コースアウトすることなんと3回。途中切れそうになるが、なんとか完走。
出走者約800人中15位で、昨年10月のシカゴM以来、約半年ぶりのサブスリー。