3890
地域 : 京都
年齢 : 40代突入!
一言 :
一言 :
故障休養17ヶ月、もう1度ターフへ! 故障休養17ヶ月、もう1度ターフへ! 故障休養17ヶ月、もう1度ターフへ! 故障休養17ヶ月、もう1度ターフへ!
2007/04
月日 | 距離 | 内容 | タイム | メモ |
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4/01 日 | 32.0 | am 30kクロカンPR(5kjog+25kPR + 2kjog) |
`4分 |
午前中に30k走をチャッチャと済ませ大阪へ! 大阪城公園散策お花見。 東京の桜はもう満開なのに関西はまだまだこれからやね。 嘘のように楽しいエイプリルフールでした。 |
4/02 月 | 2.0 | jog |
今日は会社を休む。 |
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4/03 火 | 3.0 | jog |
今日も会社を休み たかった・・・ また来てね! |
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4/04 水 | 3.0 | jog |
お隣のご主人が亡くなられた・・・ |
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4/05 木 | 14.0 | am 3kjog pm 11kjog |
バッキーとグランドで |
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4/06 金 | 17.0 | am 3kjog pm 14kjog |
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4/07 土 | 16.0 | jog |
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4/08 日 | 25.0 | am 3kjog ハーフマラソン |
今朝、軽く走っていると母校の前で高3の時の担任の先生(女性で体育の先生)に出会った。22年ぶりなのに覚えていて下さり、先生の方から声をかけて下さった。(37歳だった+22年=59歳!) 今は隣の宇治市の学校におられるとのこと。今でも僕が走り続けていることを知っておられた。先生は弓道部の生徒を大勢引き連れ先頭をカッコよく歩いておられた。定年前になられた先生と母校の前で偶然出会うのも何か因縁めいたものを感じる。先生は「20年前走るのが好きで毎日この道を走っていた教え子がいたんだと、今この子たちに話をしていたところなんだよ」っておっしゃった。 お会いできてよかったです! 昼からハーフマラソン、今日は練習のつもりで走った。 |
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4/09 月 | 20.0 | am 3kjog pm 17k起伏走 |
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4/10 火 | 24.0 | am 3kjog pm 20000mPR+jog |
`4分 ラスト2000m 6分39秒 |
長女入学式、今日から長女も女子高生! 夜ペーラン。ミスター`4のバッキーと○三さんと。 |
4/11 水 | 18.0 | am 3kjog pm 15kjog |
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4/12 木 | 23.0 | am 3kjog pm 20kクロカン |
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4/13 金 | 15.0 | am 3kjog pm 6k+6kjog |
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4/14 土 | 39.0 | 30kクロカンPR+5kjog w.s pm 4kjog |
`4分〜3分40秒 |
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4/15 日 | 13.0 | jog |
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4/16 月 | 14.0 | am 3kjog pm 11k起伏走 |
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4/17 火 | 11.0 | am 3kjog pm 8kjog |
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4/18 水 | 21.0 | am 3kjog pm 18k起伏走 |
`4分05秒ペース |
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4/19 木 | 16.0 | am 3kjog pm jog(45分+10分)+3000PR |
9,56 |
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4/20 金 | 13.0 | am 3kjog pm 10kjog |
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4/21 土 | 16.0 | am 3kjog pm 13kjog(1000+500入れる) |
出勤日。 今朝の地元新聞にデカデカと載っていた。 京都陸上競技協会A理事長、逮捕! タバコを吸いながら出頭する写真入り。元校長会の会長にまでなられたお方が・・・ |
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4/22 日 | 26.0 | ハーフマラソン |
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4/23 月 | 10.0 | am 3kjog pm 7kjog |
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4/24 火 | 19.0 | am 3kjog pm jog+10000mPR |
今週のフルへの調整。 ミスター`4のバッキー、カッキーさん○三さんと。 6000まで`4分、あと3分40秒ー3分30秒ー3分30秒ー3分16秒とビルドアップ |
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4/25 水 | 15.0 | am 3kjog pm 12kjog |
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4/26 木 | 16.0 | am 4kjog pm 12kjog |
皆さん行ってきます! |
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4/27 金 | 8.0 | jog ソウル入り |
ヒルトン〜ソウルタワー |
今回シ○メ○ク○の○田先生からいただいた有り難いお話はマスターズのチャンピオンシップであった。 おこがましくも我々男女4名は(男2名女2名)日本からの招待選手という扱いで驚くほどの超VIP待遇であった。 詳しいことを何も聞かされておらず韓国仁川空港でようやく日本人4人が合流、入国したとたんのTVカメラ取材にビックリ! 更に驚いたのは次の瞬間!我々日本人招待選手のお世話係として今回大会主催者から送られてきたのは韓国外大の現役女子大生であった。 童顔で人形のように色の白い美少女系の可愛い女の子、 朴ちゃんに思わず一目惚れ、即ゾッコン! ここから日本人親父2人の私情が絡む朴ちゃん争奪戦とよこしまな四日間が始まった。 朴ちゃんに連れられてリムジンバスでソウル市内へ。 ヒルトンホテル到着後、イタリアの招待選手たちと朴ちゃんお勧めの焼肉を食べに明洞へ移動。 キムチ辛過ぎで顔から火が出そうだった。イタリアのマルコとロベルタは何も食べれない。 こんな辛いもの食べても朴ちゃんは、その白い顔色少しも変えないんだね。 その後、朴ちゃんに連れられてソウルいちの夜景スポットへ(こいつらが、いなければ・・)。 夜景を見ながら朴ちゃんと漢江沿いを歩く。 朴ちゃんは以前、関西へ来たことがあるそうだ。 大阪のこと京都のこと、たこ焼きのこと通天閣のこと道頓堀に阪神タイガースのことets・・・ 関西話で大いに盛り上がる。 その夜、ホテルへ戻り日本から持ってきた「即席!かんたん旅会話やさしい韓国語」で猛勉強!(親父に差をつけろ) 朴ちゃんとハングルで話すぞー!! 俺は何しに来たんや?? |
4/28 土 | 8.0 | jog |
ヒルトン→南大門→ソウル駅→戦争記念館→刑務所→ヒルトン |
2日目 朝食、朴ちゃんは黒のアディダスのジャージー姿で現れた(可愛いー!) 親父2人ハイエナのように朴ちゃんの両サイドに陣取る。 朝食後、日本人4人でJOG。 お昼は外国招待選手歓迎ランチパーテイー。 ドレスアップした朴ちゃんに萌え〜 朴ちゃんの隣の席へ、ダッシュ!奪取!死守!(親父すまん) 韓国、台湾、オーストラリアの選手と仲良くなる。朴ちゃんと同じ外大のお友達で台湾の通訳の王ちゃんやオーストラリア通訳の遜ちゃんとも仲良くなる。 が、ほとんど朴ちゃん一人占め。 親父が席を外した時を見計らい朴ちゃんとツーショットの記念撮影(ヌケガケその1) 朴ちゃんに関西弁教え込む。 基本は「毎度 おおきに!」 将来日本語の先生になることを目指す朴ちゃんは、とても勉強熱心であった。日本話の「さよなら」について質問責めにあった。朴ちゃんは言った「韓国で丁寧なサヨナラはアンニョヒカセヨ、軽いサヨナラはチャルガ! でも日本語はもう会えなくなる場合もサヨナラ、明日また学校で会える場合でもサヨナラ、それがとても不思議です」 「そうやね、朴ちゃん、でもね関西弁は違うよ、どんな時でも、ほな!でいいんだよ」「ほな?」「そう!ほな!」 軽く右手を上げて「ほな!」 お人形のような朴ちゃんの「ほな!」は可愛いかった〜〜っ。萌え〜〜 歓迎ランチの後は外国招待選手一行はバスでコース下見。 朴ちゃんはオーストラリア通訳の遜ちゃんと座ってしまったが通路挟んで朴ちゃんの隣をゲット(親父!先に窓側に座るからいけないんだよ・・・) ソウル市内は渋滞しており下見に5時間もかかった。 しかし5時間、コースになど、全く脇目もふらず朴ちゃんと話っぱなし。 俺の左横の窓側に座った親父は話し相手もなく寝るしかなかったようだ。(すまん!) 朴ちゃんの「毎度 おおきに!」が可愛くて萌え〜萌え〜 昨日の夜はあまりに辛かったので今夜は日本料理店へ行く。 朴ちゃんの隣は親父にとられたがテーブル席の向かいで返って話しやすかった。 今日は朴ちゃん家のキムチの味についてや朴ちゃんのご両親、ご兄弟の話、うちの子供の話や12年前に出て行った別れた嫁の話で盛り上がる。 (ふふっ親父、独身の方が有利なんだよ・・) 妄想が暴走し始めた。。 |
4/29 日 | 45.0 | マラソンを走りにきたんだった・・・ |
3日目 当日の朝になりマラソンを走りにきたのを思い出す。 もはやこのマラソンは、おまけのようにしか考えられなくなっていた。 招待選手一行を乗せたバスはスタート地点へ。 天気は快晴、そして暑かった! 今日もアディダスのジャージーを着て朴ちゃんはマネージャーのように付き添ってくれた。 韓国人の一般選手が1000数百人。おこがましく日の丸の国旗を先頭に派手派手しく、我々4人+朴ちゃんが拍手の中スタート地点へと導かれる。(何のこっちゃ?) 優勝は3000$、5位までが入賞で1000$の賞金がでる。 スタート3分前まで朴ちゃんは付き添ってくれた。「○木さん。頑張って下さいねー」 「有難う!朴ちゃん賞金取れたら指輪を買ってあげるからねー!(とは口に出せなかった)妄想は更に暴走する。。 私情レースが始まる。アフリカ選手を中心に先頭集団が形成される。 Fさん(親父)は楽そうに集団に付いていた。 ペースが上がりじりじりと集団から置いていかれる。 Fさんは遅れていく俺を見て「お先に!」ニヤっと笑ったよに見えた。 Fさんは5Kでもう見えなくなった。 15k地点の第一折り返しで計ってみたら早くも2分差をつけられていた。 気温はどんどん上がるし厳しいアップダウンが続く。 25kの第二折り返しで、ややFさんとの差が詰まってきたのが分かった。(ふふっ前半のツケがまわってきたな) 復活!追撃開始! 俄然やる気が出てきた。 暑さで潰れた外国招待選手を掃除機のように吸い拾い、そして30k、足取りがすっかり鈍くなったFさんを捕らえる。 「お前はもう死んでいる」完全に勝ったと思い余裕をかました。「Fさんこれからですよ、ここから粘って頑張って行きましょう!」と心にもない励ましをする。 ところが親父、ゾンビのように復活する・・・背中にぴたっと付かれ風よけにもされ、長〜い長〜いマラソン2人旅。 お互いの腹の中は分かっていた。「俺が先に朴ちゃんの所へ帰る」 恐るべき煩悩パワー。 「親父」それは厳しい世間を渡り歩く人生の達人、若者や女ども「親父」をなめるなよー! 気温は益々上がり体力は消耗する。給水では水を何杯も頭からかけ体を冷やす。 韓国の給水所はひどいものだった。 先に折り返したハーフの部のランナーが紙コップ、スポンジ、バナナの皮をテーブルの前に捨てて行く。ゴミだらけでアスファルトが見えない。 しかし水を取らなければ脱水してしまう。 そして何度かバナナの皮を踏んでしまう。 ヌル〜これでコケたら、まるでマンガ、いや俺の人生そのもの。 前に韓国の選手の背中が見え始めた。2人で追走。 もう10k以上一緒に走っている。 ヌルっ、親父がバナナの皮に滑った!ような気がした。「お先です!」最後の余力でスパート、突き放す。 ゴール前の直線で韓国の選手もかわしゴールする。「勝った・・・」 フィニッシュしたと同時に朴ちゃんが飛んで来た。 「○木さん。速かったですねーちょっと待って下さい」と言い残し朴ちゃんは、公式順位を確認しにすっ飛んでいった。 そして「○木さん、6位でした・・・頑張ったのに残念でしたね・・・」「うんん、ありがとう。朴ちゃんのお陰で楽しかった、頑張れたよー」「でもね、指輪買ってあげられなかったなー(とは口に出せなかった)」 妄想族の暴走は更に加速する・・・ 優勝はアフリカ人、2位がオーストラリア人(5000mのベスト13分40秒、横浜国際駅伝や福岡クロカンで日本へ来たらしい。 勝てる訳ないやん!)3位はイタリアのマルコ(36歳にして2時間18分) 4位5位が韓国人、6位が俺で親父は8位であった。 夜はこの韓国遠征の打ち上げであった。 イタリア、オーストラリア組と合同でタクシーに分乗、 明洞へと繰り出す。 朴ちゃんの隣の席、死守!右に朴ちゃん出遅れた親父は俺の左に(親父いちばんアカン席やで・・) 頭のいい朴ちゃんは、もうすっかり関西弁を使いこなしていた。朴ちゃんの「ほんまに?」「ほんまなん?」に、思わず萌え〜萌え〜萌え〜 オーストラリア人やイタリア人と話をするには、俺→朴ちゃん→朴ちゃんのお友達の通訳→オーストラリア選手→通訳→朴ちゃん→俺。とまるで伝言ゲーム。 少しづつニュアンスがずれてきているようにも思えた。 突然朴ちゃんが、俺の顔をのぞきこんで「○木さんのしぐさが可愛いー」と言った。 近くにいた日本女性のKさんに「年下から言われてる〜」と冷やかされ、もうデレデレ〜君状態。 打ち上げが終わり各国に分かれて散策することになった。 帰りタクシーを拾う時、5人で一人乗れないことに気付く。みんなマラソンで疲れているのと朴ちゃんと離れることに不安を感じていた。 仕方がないので4人でタクシーに乗ってもらうことにし、俺一人歩いてホテルに帰ることにした。親父は「そうか〜ごゆっくり笑」 と嬉しそうであった。 が、しかし、朴ちゃんは「皆さんタクシーで帰って下さい。私は○木さんと2人で歩いて帰ります」の言葉に感動!!!!の打ち上げ花火。(ふふっ、親父もう勝負はついているのだよ) ホテルに戻り、部屋で2次会。 朴ちゃんが明日提出しなければならないレポート「だろう」の使い方について皆で話し合う。韓国の日本語学には「だろう」専門の教授もいるらしい。 明日はいよいよ朴ちゃんとお別れ。朴ちゃんの住所、電話番号、メールアドレスをゲット! 明日なんて来なけりゃいいのにと真剣に思った。俺はナニしに来たんや?もうーそんなん、どうでもええやん!! |
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4/30 月 | 7.0 | jog |
ホテル→南大門→明洞周辺 |
4日目 ついに朴ちゃんと別れの日が来た。 最後の朝食も朴ちゃんの隣死守。 最終日の今日は朴ちゃん案内でソウル市内、首相官邸や世界遺産などを巡った。 世界遺産の宗朝で王様が通ったと言われる道を朴ちゃんと歩き、ツーショットの写真をいっぱい撮った。(ヌケガケ2。親父、デジカメをもってこなかったチミが悪いんだよ・・) 朴ちゃんは言った「韓国には、朴、金、李、とても多いです。でも朴同士、金同士、同じ名前同士結婚できません」 「え〜本当? 日本は鈴木、佐藤、田中、多いけど結婚できるし、従兄妹でも結婚できるよ!」 「でも朴ちゃん、○木と朴なら全然問題ないよー(とは口に出せなかった)」 妄想族の暴走は止まらなくなった。 宗朝の見物を終え、仁寺洞で昼食をとりお土産を見た。 朴ちゃんはソウルでも漢江の南の子であり、北部の地理には詳しくなかったが一生懸命案内してくれた。 日本から持ってきた、ソウルの観光ガイドを何度も頭がごっつんこするほど2人で読んだ。 朴ちゃんは俺の日本語ソウルガイドが気に入ったようだった。 ホテルに戻り帰り支度をした。 朴ちゃんが気に入った日本語ソウルガイドの最後のページに汚い字ではあるがハングルで「ありがとう朴ちゃん」と書いた。 3時にホテルをチェックアウトしロビーでこっそり「また、これで日本人を案内してあげてね」と言って朴ちゃんお気に入りのソウルガイドをあげた。(ヌケガケ3)朴ちゃんは嬉しそうだった。 いつかあのハングル文字に気付いてくれるだろう。 ホテルでお別れと思っていた。朴ちゃんは今日レポートの提出日にもかかわらず、大会スタッフの人たちと空港まで見送りに来てくれた。出国の手続きを済ませ最後の別れを惜しんだ。 ランチパーティーで日本語の「サヨナラ」の意味を2人で話したことを思い出したら泣けてきた。必死で涙をこらえ「アンニョヒカセヨ」(さよなら)と言って握手をした。朴ちゃんは「ほな!」と関西弁で答えてくれた・・・思わず堪え切れずに男泣き涙涙涙。 深々と頭を下げごまかしたが、隣にいたオーストラリア通訳の遜ちゃんに見抜かれてしまった・・・不覚。 「アンニョヒカセヨ、朴ちゃん!カムサハムニダ朴ちゃん!」 ありがとう朴ちゃんサヨナラ朴ちゃん!「朴 英○」君を忘れない! この物語はフィクションであり妄想と現実の区別がつかなくなった哀れな男の話です。あしからず! |
走行距離 | 509.0 km |