あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
12/01 木 12.0   携帯は使っていなくても1日10%程度は電池減少するらしい。
つまり、この程度ならば壊れるとか買い換えとか心配する必要ないと…店員に冷笑された気がした(-_-;)
 わたくしのガラケーは、軽くあと1年は使えそうである。ふふふふ…(*^_^*)
 
12/02 金 6.0   10年前のズボンがスルっとはけない衝撃!(゜o゜;)
細くなったつもりでいたが、まだまだやん!(>_<)
 しかし、これで明確な目標というかモノサシができたのである…来冬はこれをはきこなすワタシでいるように!ヽ(^o^)/オーッ!
 「世代的BEST」ではなく「RUN的BEST」なカラダに…あと10年はいけるとおもう!!
 
12/03 土 34.0   長谷寺・山野辺の道・天理
ここ数か月の不足を一気に解消して余りあるくらいの野菜をGET(*^_^*)
 先週の奈RUNのときもそうだったが、前夜に爆食いしたごはんが、確実に翌日のRUNエネルギーに変換していることをしっかり感じる。最近、異常なほどに「炭水化物」が嫌われているが、あれはおそらく一時的なブームで終わるように思うのである。日本人はやっぱり米だ!(^o^)丿
 
12/04 日 22.0   堀川・晴明神社・八条
わがラーメン道はさまざまな冒険を経て原点回帰傾向に…やはり、気兼ねなくホッとするウマイ一杯とゆーのは、「元祖京都ラーメン」なのである。
 昨日、天理教の参道(商店街)で買った『大工の伊蔵』というマンガ…よくよく読めば、伊蔵さんてのは晩年を天理教のTOP(ご本席というらしい)として過ごした人なんだと…いわゆる「宗教の篤信者」というのはワタクシの研究に通底するテーマなのであって、現在のそれは主に仏教系に偏っているわけだが、マジでやりだすとこりゃーとんでもなく広い世界が対象になるもんだとちょっと冷や汗ものである(-_-;)
 とんでもなく昔の、とんでもなく遠い国を相手にしてウロウロしている時間はあまりない…先に進め、どんどん進め。
 
12/05 月 12.0   かなりスゴイ深いことを考えてイル(-_-;)
っていうか、ようやく長年の疑問が解けかけてきた…(-_-;)
 小学生当時、とあるジャンルで「天才的少女」と呼ばれた…そこで生じて以来、誰も明確に答えてくれなかった(じぶんには納得できなかった)ある疑問について、回答への筋道が見えた。ごく直感的に。
 わたしの場合、この「ヒラメキ」が発生した後は展開が早い。  
 
12/06 火 12.0   なるほど、そういうことやったんか。
…とすれば、じぶんにも「そういう部分」が多分にあった。
が、「そういう点」を、なんとなく軌道修正し始めて1週間くらい経っている…だから「ヒラメキ」が生じたのか!
 
12/07 水 12.0   そういう「ヒラメキ」が起こると、あれよあれよと「それを証明する事象」とゆーのが身の回りに起こる。
 
今夜の「ウシジマくん」のDVDも、そのひとつ。
 最近のマンガは、ヘタな哲学書を越えている…と、マジで思う。
12/08 木 6.0   左の胸…ぶっちゃけ言えばおっぱいが痛い感(T_T)
さわってみるとコリコリ…マジヤバイ?(@_@)
…って、一晩で「乳ガン末期到達」とかありえないしー(~_~;)
これはおそらく、若かりし頃からしばしば起こっていた「乳腺症」の類と思われ…要は、ホルモンバランスの具合によって起こるものである。授乳という本来の用を足すことなくリスクばっかり背負っているというのもシンドイものだが、それならペチャパイ人生の方がよかったかといえばそうでもないので、まぁしゃーないだろう(-_-;)
 
12/09 金 6.0   いまさら、「こういうふうになりたい」な具体的なものは少ないけれど。
「こういうふうになりたくない」なら、きっちりある。
 だから、そうならないようにする。やれることはやる。有益なものは取り込み、むだなことは排除する。
 
12/10 土 50.0   うち〜なら
郵便配達のバイクとあわや接触事故…スレスレで助かった強運。
でもちょっとヒザをひねった感(-_-;)
 いまだに「50くらいは軽い」という耐久力のある50歳…わたしは、一般平均からみれば相当ハイレベルの体力の持ち主なのだろうということ、そして、そういう力をつくってきたこれまでというものに、少しは自信をもって良いのだろうと思う今日この頃。
 国家公務バイト先にいる「ウルトラ系ランナー」に、最近しばしばアドバイスを求められる。彼にとってわたしは半ば「師匠化」している気配があることに、気恥ずかしさを感じたりしていたのだが、この際「やってきたこと」「わかっていること」は、遠慮なく助言させてもらおうと思ったのであった。
 
12/11 日 10.0   うち〜嵯峨嵐山
帰りのランデン、パトカー仕様でもくまモン私用でもないフツウの車両だったのが残念(-_-;)
 嵐山で開催中の灯篭まつりを彩るオブジェの数々の中に、「嵯峨御流」の生け花がデデーンと鎮座ましましていた。このあたりでは、池坊とか嵯峨御流あたりのお稽古をしているほうがハクが付くようだが、わたしが選んだのは天理の山奥にひっそりと展開されている「山村御流」である。
 はやいとこ、あれこれの所用を済ませて、体験お稽古に出かけたいものだ。
 
12/12 月 10.0   昔、髪を切られすぎたことを訴える「黒髪裁判」とゆーのがあった。
ほっときゃ伸びるものやし、まぁまぁ…というところだが、若い女性にとっては、その1ミリ2ミリが人生を大きく左右するほどの心理的影響をもたらすものであるとゆーのも理解できないではない。
 かくいうワタクシの現在が、まさにその「黒髪裁判おこしたろか!」の状態…それなりの美容院に行ったはずが、「自分で切った?」というほどのハチャメチャスタイルになってしまっているんである。
 …が、災い転じてなんとやら。
 ある意味、「芸術的なスタイル」となっているこの状態に「他の諸要素(服装や態度)を見合わせる」ことで、全体の印象がセンスアップすることに気付いたのである。この数週間、今までやったことのない「デップでスタイル形成」にいそしんでいる…もちろんRUNのときは汗で流れるので放置するが、この場合は「乱れ髪もまたファッション」となるので問題なし(*^_^*)
 
12/13 火 0.0   わらわは公家の出でおじゃりますさかいに…
…てなことは冗談以上の冗談にしかならないのだが。
 こと文章、特に手紙を書くときのそれだけは、いったいどこでそんなことを身に着けたのか…という以前に、「もって生まれた前世の記憶」とでも言おうかのような格調高く気品あふれる文章を美文字でスラスラ書いてしまうじぶんがいてコワイ(・_・;)
 とんでもない自画自賛と思われるだろうが、事実だからしゃーない。お疑いなら、ためしにわたしからのマジ手紙を受け取ってみてくださいな。
 自ら読みなおした時点で、既にじぶんの書いたものとは思えないのである。どこぞのお姫様の霊でも乗りうつってるんとちゃうか?(@_@)
 
12/14 水 8.0   お高くとまっている感バリバリのご婦人が近所にいる。
朝会うと気分が少々悪くなる(-_-;)
 「親を見ればこどもがわかる」とはよく言われるが、逆もまた真なり、である。特に、まだ小学校低学年くらいの時期は、その子自身の社会体験や学びから形成される自我が少ないので、やることなすこと(と、その裏にある心模様)はたいてい親のそれの生き写しになるのだと思われる。
 すなわち、いつまで経っても「近所のひとに簡単なあいさつすらできひん」ような子は、何らかのかたちで「世間に対する必要以上の警戒心」あるいは「他人をコバカにしている」親の心情をそのまま受け取って表現している場合が多いということである。件の親娘の場合、そのオーラがバリバリ伝わってくるのでわかりやすくて面白いくらいだ。
 実は、別の場面でこういう子供ともう一人出会っている。その子の親はとりあえず愛想の良い人なのだが、いろいろ話していると彼女がいかに世の中に対して猜疑心をもって関わっているかということがわかる。上記の論理は、ここでも当てはまっているのである。
 ともあれ、「あいさつ」というものは、世間と自分を遮るドアをノックするような行為のなのであって、これが気持ちよく交わせるか否かというのは、人の付き合いにおいて基本中の基本であり、最低限のお約束である。不幸にも親からそれが教えられないこどもは、成長の過程のどこかでそれを自ら学ぶことになる。中高の部活あたりでその機会が得られれば良いが、社会に出てからようやく…では何とも情けない。
 
12/15 木 8.0   お弁当作り前のダッシュRUN☆
12/3の天理RUNにおける「チクショー問答」(自己内での思索)の完結以来、ワタクシの日常生活には大きな変化が起こっている。
ある意味では人生最大の関門を突破した感…ここからまた「開ける予感」バリバリ(^o^)丿
 ほんとうに心の底から納得し、その必要性を欲求に変えて展開するとき、そこには不思議なほどそれに適切な事物が現れるものである…ひとはそれを「奇跡」と呼ぶが、科学的にもこの現象は十分証明し得るものであるようにも思う。
 脳の集中力ひいては五感の集中力…何気なくやり過ごしているような時間の中にも、そのアンテナは鋭く働き続け、求めているものを敏感に察知するということだ。また、過去に遡って何気なく蓄積されてきた情報が一気にあふれ出して適用されるということもあるだろう。今回のケースはそれである。
 余談ながら、ワタクシの人生経緯にあるキーワード、「愛甲石田」「佛教大学」「三条」「出町柳」ならびに「市内某2か所」に関する、「点と点を結ぶような奇跡」については未だ謎のままである。これは、脳力の所作であると結論付けられるまでのものをつかんでいない…「7号館」「二条」「久多」「駒場(神泉)」「代々木八幡」あたりとの関係が明白になったころ、明らかになるのだろうか…と、じぶんにしかわからないことをメモっておく(-_-)
 
12/16 金 0.0   錦のあちこちに「ボウダラ」がぶら下がっていて、ちょっと安心した。
観光客に媚びて小銭稼ぎするような、浅ましい空気にうんざりしているところだったので。
 串に刺したタコの足や鴨ロース、1本200円をくちゃくちゃと噛みながら歩く観光客とすれ違うたびに、錦が錦であることのプライドはいずこへ…と思っていた。10年ほど前までは、日本人観光客をも「よそ者扱い」してお高くとまっていたくせに、マナーもヘッタクレもない中国人を相手にここまで「なり下がれる」ものなのかと、正直腹立たしく感じていたのである。
 しかしいくらなんでも、ボウダラまでは爆買いして使いこなすまではできまいて…アメ横あたりで「アラマキ」がぶら下がっているのを見て、同じような感慨をもった人もいるのではないだろうかと思う。外国人をいたずらに排斥する気がないが、ここは日本だ!その文化を徹底的に見せつけ、他国の人にはそれをおすそ分けする程度の意識を回復させてほしい。
 
12/17 土 30.0   うち〜柳谷かんのん
大山崎とか長岡京のほうが、京都市内より都会的な空気がある感じ…(-_-;)
 関東でいえば、新宿や東京に対する鎌倉・厚木・相模原あたりの位置づけにあるのがこの界隈という感じ。電車20分程度でその雰囲気の暮らしができるのはお得な気がする。
 
12/18 日 20.0   うち〜松尾大社
早々に掲げられた酉の絵馬を前に、家族写真を撮っている一家あり…年賀状のためだと気づいてホノボノ(*^_^*)
ペットや赤ちゃんの写真ドーンと送ってくるような自己満モノよりずっといい☆
 おそらく、人生初のアンコウ鍋を食べた。
結論:タラかタイで十分(-_-;)…よって、フグ・クエへの注目も消滅させることにする。湘南出身の中居がクエを絶賛しているとゆーので、なんとか体験したいと思っていたが却下である。
 それにしても、西日本の「白身度」はスゴイ。
 
12/19 月 8.0   うち〜桂
RUNと歩きでは、使う筋肉が違う…周知の事実なのかもしれないが、今回、その物的証拠を目にした(@_@)
つまり、足の丈夫さを維持するためには「走っているだけでもダメ、歩いているだけでもだめ」とゆーことだ。
 国家公務バイト歩き通勤用の靴は内側が、RUNシューズは外側が減る…今回、前者はあまりに「すべりまくる」ため、安全のため廃棄を考え、ふと裏側をみたことで判明したのである(ちょっともったいないから上履きにすることにした)。
 と、それはさておき…。
 昨日、ふっと目にしたNHKの「にっぽん紀行」という番組で、「これぞまさしくワタクシの理想の老後!」というべき綾部のおばあちゃんたちの暮らしを目にした。89歳で山歩き、小川をひょいと飛び越えてスタスタ歩く、仕事に「自分の責任」ということを求める、しかしそれらが決して「無理」でも「気負い」でもない。こういう、究極のありようを見せられると、果たして今のワタクシにそのような老後が送れる準備ができているのかと反省させられる。まだまだ、修行が足りひんわ(-_-;)
 
12/20 火 0.0   スマスマ録画できてひんやんか!\(◎o◎)/!オーマイブー!
でも、1時間半、しっかり目に焼き付いた感があるのでまぁええか(-_-;)
 スキャンダルを避け、プライベートを覆い隠して、ひたすら「見せる・魅せるスター」という存在は、SMAPが最後なのではないかと思う。私生活の暴露ネタやコメンテーターという名のもとに他人の批評に終始し「結局この人の芸はなんなんだ?」というような輩がテレビを占領するようになって久しい昨今、ヘタなりに・不器用なりにも歌い、踊り、演じた5人の存在感はいろいろな意味で見る人に影響を与えてきた、まさに「テレビにあるべきひとたち」だったと思う。解散…残念だ(-_-;)
 
12/21 水 6.0   「ひとにどう思われても構わない」には限界がある。
そもそも、ほんとうにそういう生き方ができている時には、そんな意識やことばすら生じないはずである。
 迷っているくせに突っ張っている。指摘されれば激しく動揺するくせに開き直ったふりをしている。
 そんな状態は、ポリシーとも生き方とも呼べない。ただ「気に入らないこと・面倒なこと」から逃げて楽をしようとしているだけの言い訳だ。そうしてその時々の単なる自己主張がすべてそのまま世間に通用すると勘違いしているだけの「中二病」が延長しているに過ぎない。
 
12/22 木 0.0   いろいろな意味で、「わが人生の結実」を感じること多し。
おおかたのことについて、「そういうものだ」が結論付けられた気がする50歳。
なんだかんだと、すべて「無意味」ではなかった…中途半端に「すべての事には意味が有る」とまくしたてる某団体の人生論レベルを超越した実感であるように思う…僭越ながら。
 それが、20代でなく、30代でなく、40代でなく、そして60や70の「もう後が少なすぎる」の時期でもなかったことが、どれほど幸運なことであるかをしみじみ実感する。こりゃー想像もしなかった展開やわ。
 怪舎員時代のBOSSが常々言っていた…現代の長寿命化で換算すると、孔子の言う「30にして立つ。40にして惑わず」は、それぞれ10年遅れにスライドしていると。あれをクドクド繰り返し聞かされたのは、わたしの人生を見据えた予言だったのか?…って、あのBOSSにそんな心眼があったようには思えないんだが(~o~)ケケケ…。
 蛇足ながら私見を付言。
 「惑わず」が確立されると、その後の「天命」「耳順」そして「心の従うままに」は、ごく自然に導かれていく成り行きとなるように思う。そしてそのそれぞれは、決して「道をはずれたもの」とはならない。「矩を越えず」とは、まさにおっしゃるとーり!なのである(^o^)丿
 日頃、「老子」を愛好しているが、珍しく「孔子」にもハナを持たせて賞賛してみた(#^.^#)
 
12/23 金 20.0   「マゴ」誕生?…年齢的には十分あり得るが、もちろん疑似体験モードなり。
なんだかんだとまぁまぁカワイゲのある子のコドモとなると、やはりそれなりのものはある(*^_^*)コレ、ニンジョウ、トイウヤツネ。
 わたしの勝手な期待は見事に裏切られ(?)、出てきたのは女の子。名づけにアドバイスを求められ、そりゃー親が決めることや言いつつも、「うるさいオババ風味」の私見はメールしておいた。
 名前はさることながら、女の子として生まれたからには【女の子であることを失敗しない人生】を送らせることが、親として一番の責任であるとも付言しておいた。
 今の世の中、「男が/女が」という時代はとっくに過ぎているし、「できることを性別によって抑圧されるような社会」が変わったことは良いことだと思っている。ただ、そういうこととは別に、性別による本来的な持ち分、魅力というものは絶対に消すことができないわけで、よほど特殊な能力でもない限り、その基準を守り辿ることのほうが「ふつうの幸福をつかむ手段」としては適切で早道であるというのは間違いない。その点を念頭において親業をやってほしいと思った次第である。
 かくいうわたしは、「ふつうの女の子であること」を通そうとしたら、ここまでの間どこかでとっくに死んでいたと思う人生を図らずも経過してしまった。そういう歪んだ流れの中にある葛藤のようなものは、体験するべきところを越えた苦悩であるから、避けて生きられるようにあってほしい。アカリが今後、身近に関わってくることが多いであろう存在であるからこそ、その願いは一層大きいのである。
 オムツ替えもダッコも、危なっかしくてできたもんやないと思うが、精神的な「生き方路線」での助言は、相手が求める限りにおいて、遠慮なくそして自信をもってやっていこうと思う。
…あ、ちなみにRUNは桂川南下コースっす。
 
12/24 土 42.0   近江舞子〜玉野浦
いやぁ、近江舞子駅周辺には段差が多い!(~_~;)…マイコなだけに?
(これ、マジな話)
 今さらながら、琵琶湖大橋の傾斜のすごさに驚く。島根だったかにも、CMに使われる何かの発射台のような傾斜の橋があったが、ああいうつくりのほうが「まっすぐ」にするより強度が高くなるとか、そういうことがあるのだろうか?
 世の中には、知らないことがまだまだ多くて…こまちゃううぅぅぅ!(*^_^*)
 
12/25 日 0.0   平安神宮にいった。
京野菜フェスティバル…こじつけるように「九条ネギを使ったラーメン屋台」開催中。
 祇園「京」のラーメン、牛タン串、中津の鶏皮せんべい…いわゆる「テキヤモノ」が好きではないわりには、どれもおいしくいただきました(*^_^*)
 帰りしな、野菜売場のおっちゃんに「おかあさん!野菜どうですかっ?」と相手がワタクシであること間違いなしの直球で声をかけられた(-_-;)…いや、あたしゃおかあさんちごて、もう「おばあちゃんやし!うひひひ…(*^_^*)」とゆーてやろうかと思ったけどやめた…。
 
12/26 月 13.0   ホントは「新祝園」までの距離を「往」か「復」するつもりやったが
「往」は気がせくし、「復」は今日の場合、スマスマ&警察24時の絡みがあるため断念(-_-;)
(録画が1本しかできひんねん)
 なんでもかんでも、交通手段の代替行為にRUNを持ち出すことに抵抗を感じるようになって数年になる。その最初のきっかけになったのは国会図書館関西館に初めて出かけた4年前だった。汗かいて突入&ウインドブレーカーで館内をウロつくことに、「強烈な場違い感」を覚えたのである。それは、ある種の「マナー違反」のようでさえあった。
 さりとて、着替え等々、すべてをチェンジして…ということを許す設備が近隣にあるわけでなし、そもそも、そんな「二重の荷物」を持ってまで走りたいか?ということもある。本日の行先は、まさにその関西館であるからして、この際「バリ知的モード」の装いで出かけてやろうと思う次第…って、「バリ」とかゆーてる時点で、早くも「知的」の程度が疑われるが(-_-;)
 「昔はそうだった」「昔はできた」ということを持ち出せば、それは「意欲の減退」「モチベーションの退行」ということになるのかもしれないが、当時と今では「与えられている条件」が違いすぎるのだから、これはあってしかるべき変化と思う。
 …ということを、迷いなく明言できるようになったのは、今月初めの「チクショー問答」完結のおかげ。そして、その衝撃的な起爆剤となったある人のおかげ。
 
12/27 火 8.0   スマスマ最終回の前半(リアルで見られなかった分)を見る。
彼らの20年とほぼ同じ世代を生きてきた人々にとってこのメモリアル番組は、自らの「がんばった時間」を振り返ることができるものでもあったと思う。
「これ見たことがある!」と「これ初見やわ!」が、怪舎でこなしていた仕事量と見事にリンクしている。
 そして今また、「これまでのことを離れて、これから先の何かを」に向けてスタートした彼らと、わたしの状況はリンクしている。お互い、がんばろーぜ!な気分だ(^o^)丿
 …それにしても、「見る人は見ている」というツイッターの情報は興味深かった。スマスマのタイトルロゴの「×」がピンクであったこと、最終回近くのゲストがイエモンやウルフルズだった理由…実績も可能性も含めて、これほどのビッグスターは過去になく、未来にも現れないような気がする。とにかく、おtかれさまでした。個人的には、特に中居とシンツヨに(*^_^*)
 
12/28 水 6.0   10年以上気になっていた「ホットヨガ」ようやく初体験。
しかし、強度も発汗も、既に体験済みであることがわかった。
RUNと自力整体の効果の方が高い…わたしには。
 他のひとと一緒に鏡の前に全身を映し出されると、いかにじぶんのスタイルがアカンものかがわかる(-_-;)
 細身でなく、顔がデカイのでバランスも悪く、「モデルをプレス機にかけたシルエット」と永久につきあっていく今後を改めて自覚した。
 ただし、これが「アニメキャラ」や「仏像」の…となった場合、ダントツに人気が出そうな形状をしているように思えたところには救いを感じたのである。これはこれで、ある意味では魅力?(-_-;)
 
12/29 木 0.0  
12/30 金 0.0  
12/31 土 0.0  
走行距離 361.0  km