あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
11/01 日 38.0   宝さがしイベントにて、山の辺の道ウロウロ。
「近江は神の国」とは、かねてより思ってきたことだが、「ヤマトの国」も負けず劣らずであるぞよ。さすがは天理教発祥の地や(*^_^*)
…で、京都は?ネェネェ、キョウトハ?(-_-;)
★災い転じてなんとやら…「ミスやトラブル」も結局は、やがて迎える「成功」のきっかけとなるものだ。
★「勝手な思い込み」は、冷静かつ客観的な思考力を停滞させるものだ。「ここぞ」というときほど、実は過去の経験や主観が役立たずになることもある。
★「じぶんのことで精いっぱい」には、肉体的疲労やストレスも、その原因をつくる一要素となっているらしい。
★「求めよ、されば開かれん」…願ってかなわないと思っていることが、相当に時間を隔てた、まったく関係ないシーンでふとかなえられてしまうことがあるものだ。
…等々、「人生の教訓」ともいうべきあれこれを一挙に「体得」できてしまうことがあるというのも、わたしを「旅RUN」の虜にし続けている根拠のひとつである。っていうか、これがために、次々あれこれのタクラミをひねり出しているといってもいいかもしれない。
 さらに、それらは必ずしも「自力のみ」によるばかりではない、大きな自然の流れから学ばせていただいたこととして謙虚に受け取ることができるのも、これが神仏の多いこの地のRUNであればこそのありがたさがあるところだ。
 人生は、「じぶんが努力し、困難を乗り越えるからできる」のではなく、「じぶんが努力させてもらい、困難を乗り越えさせてもらえるからできる」ことの繰り返しの中にある。
11/02 月 0.0   雨だからゼロ。以上。(-_-)キリッ。
15年前の「バカRUN時代」にも、「雨が降っていたら中止」は鉄則だった。
いわんや、ユルユルモードになった今をや。
 「人の視線や評論など知ったことではない」というのは、ある面では正解であり、しかしある面では間違いである。
 若い頃には、「それもカッコよさのひとつ」と自ら酔いしれることも許され、世間もそれを認める許容量は広いのであろうが、50間近にもなったオバチャンが雨にズブ濡れになって必死の形相で走っている姿など、醜態以外のなにものでもあるまい。殊に「いかにもランナー」なスタイルならいざ知らず、「万年ポニョ体型」なわたしは、その点を大いに考慮すべきところであろう。
 そもそも、そこまでRUNにこだわる理由が今のわたしには皆無である。京都マラソンに出るわけでなし、もっと言えば、毎日欠かさずやらねば体力やテンションが落ちると心配になるほどレベルが低いランナーであるとも思わないからだ(-v-)エッヘン、チョーヨユウッス。
 今日のエネルギーは、SKTと変人唯識(詳細省略)、そしてカリン酒づくりに向けるのである!
11/03 火 20.0   遠回り知恩院コース
つまり、南禅寺界隈つき。
清滝、氷室あたりに行くのには、精神的余裕が不足している…うちに帰って勉強、「お勤め」の新シリーズ習得、そしてマンガを読む時間が必要だからだっ(*^_^*)ニャハッ。
 最近、ビールがめっぽうマズイ(-_-;)。例外的に、相当な距離のRUNをこなした時のみウマイのである。今では、アルコールといえば梅酒や果実絞りのチューハイようなものが優先する。
 また、RUN中には必須のテンションガンガン音楽が、RUNをやめた途端に「クラシック」の選曲へと自然に指が動く。トロトロユルユルなメロディーに「ええなぁ…」と、マジで心酔するのである。
 「どうした、あるくだっしゅ?!」…と、ついつい旧名に戻って我が身に問いかけてしまうほどの変化であるが、その理由には十分思い当たるフシがある。
 結論から先に言えば、それは「副交感神経」の為せるワザ…人生50年にしてわたしはようやく、その機能をバランスよく生活の中に感じることができるようになったということに尽きる。
 「高ぶり興奮する」ことを止めることに、敗北や停止を感じてきた。心の底からユルユル休もうとすることは許されないと思ってきた。「あきらめることの大切さを」誰よりも肯定し力説しながら、誰よりも「あきらめずにいること」に徹底したありかたを過ごしてきた。人生の、最大最悪な課題に対して…(詳細省略)。
 それを捨てて、初めて本当に「できるようになった」と思えたことが「深呼吸」である…というのは、あまりにも単純で簡単すぎてバカバカしいほどであるが、ある意味、わたしにとってこれほど難しく抵抗のあることもなかったのである。
 そんな「静」のスタイルの対極にあるRUNはそれ自体、「そんなわたしだった時代」を支えたものであることは間違いないが、今そしてこれからのRUNは明らかにその要求内容と意味を変えていくことだろう。「あれでもあれだけ」のことがあったRUNが形を変えてなお、「それでもこれだけ」の何かを見せてくれることに期待しつつ、わたしはRUNを続けることだろう。…などと、深淵で神妙な考察をアミダちゃんに語りかけたのであった。
 なんだかんだいってもやっぱし、「うんめぇぇぇぇ〜っ!」とビールをバカ飲みできるテンションがたまには必要やしねっ(*^。^*)ガハハハ。
    
11/04 水 20.0   桂川コース(嵐山界隈)
お勤めの前にRUNしてみた。
お勤め後だとRUNがどーでもよくなることがあるが、RUN後のお勤めは「やってアタリマエ」のテンションが残っている…うーん、これは新たな発見カモ?(*^。^*)
 ここ数日私を悩ませている「右首のコリ」は、「寝たら治る」どころか「寝たら悪くなる」の繰り返し…枕の高さや布団の厚みを変えて試しているのだが一向に良くならぬのである(-_-;)
 おそらくこれは、就寝中見ている「夢」と関係があるように思う。一昨夜は「日本の未来のために一度破滅した方がいいクソジジイ(*)」が登場し、昨日は相田翔子や斉藤慶子などの芸能人と旅をしている…という、まったくもって意味不明のストーリーであった。夢の光景で感じたストレスが首の痛みとなったのか、逆に、元からあった首の痛みがそういう夢を見させたのかはわからないが、いずれにせよ不愉快なこと極まりなし!(ーー゛)
 振り返ってみれば、睡眠4時間ちょっとで通勤RUNの時間を捻出していた怪舎員時代には、夢など見ることはほとんどなかった。つまり、現在のわたしの睡眠時間は長すぎる、ないしはムダな眠りがあるゆえにこんなことが起こっているのではないか?…との疑問に至るのである。あの当時ほどのタイトさは要求する必要はないが、今のわたしにも「寝る間を惜しんでやらねばならなぬこと」はあるわけで、今後は「睡眠時間短縮」を心がけるようにしてみようかと思う。そうすれば意外なところに「RUN時間」ができるかもしれへんし。
 「夢」というのは、日中のストレスや欲求不満がそこで相殺されるとか、未来の予言とかいろいろ言われるが、「今ここにあることそのものが夢なのです」という仏教的見地からいえば、それは夢の多重構造となり結局いずれかが無意味なものでしかないことになる。そこでどれだけ美人になれようがセレブになれようが、わたしはポニョポニョ、グダグダながらも前に向かっている今ここの自分の「夢」をチョイスする。
【(*)部解説】些か下品で恐縮だが、これはそういう表現にしか妥当性を見いだせないあるクソジジイ(マタ、イッテル!)のことであるからしてご容赦願いたい。詳細を話せば誰もが同意するだけの内容がそこにはあるが、メンドクサイので省略。
 
11/05 木 0.0   国家公務バイト日は、往復12`超のウォーキングをしているのだが、そーゆーのはここに入れない★
(-_-)キリッ。
そのかわり、ガッツリ基礎中国語をインプットでっせ!
あーんど、クラシックミュージックだわさ♪
 RUN中ペースがいいと、「わたしは今、女子駅伝やオリンピックのレース中!」みたいな妄想が浮かぶことがある。そこにはご丁寧に小出監督まで解説者として登場し、あれこれわたしを褒めちぎるコメントを述べていたりするんである(^o^;)タハーッ。
 これは、もうだいぶ前からの「脳内あそび」のひとつだが、本日「クラシック&ウォーキング」の最中に初登場した妄想もこれまたスゴイものだった。しなやかな絹ドレスを身にまとったわたしがバイオリンやチェロ、ハープを弾いたり、バレリーナとなって軽やかに舞ったりする光景が次々浮かんでくるのだ(・o・)アリャリャー!
 「RUN中の妄想よりはるかに妄想」というべきそのアリエナイ姿は、イラスト化してみても爆笑モノである・・・気がつけば、ニヤニヤしながら歩いているわたしであった。
 ほどよいレベルのRUNは免疫機能を高める効果があると言われるが、ペースが落ちるウォーキングではいかに?・・・今日の「クラシック&ニヤニヤ歩き」であれば、その効果はトントンに得られることであろう。「笑い」は、その表情を作るだけでも免疫機能をぐーんとアップさせるらしいからである。
 
11/06 金 8.0   東寺コース
お勤め&カツアゲ(しゅ〜る弁当用)を後回しにしたので、超絶ハイスピードにて(ーo-;)フヒーッ!
 サプリの宣伝は飽きもせず、「今や4000万人が高血圧症!」だとか「国民のほとんどが野菜不足!」とかゆーてるが、そこまで大多数に当てはまる事象ってのは、もはや「平均」「フツウ」なんだってーの!(-_-)
 戦後まもなく「この先、3000万人の日本人が餓死する」と説いた学者がいたそうだが、結局はみんなたくましく生き抜いてきたのと同様、人間の生命力というのは理屈や知識に細かくこだわって右往左往するほどヤワなものではないし、健康維持には人それぞれ・千差万別の「かくあるべし」があるのだと思う。
 他者から吹き込まれた高血圧や野菜不足の「不健康」より、そういう情報をうのみにして不安や恐怖を感じる「不健康さ」のほうがよほど深刻だと思うが。
 
11/07 土 25.0   千本通の果て(つまり淀)コース
今日みたいな「曇り空」が、一番スキだったりする(^_^;)
 昨夜あった体重が、翌朝(お勤め後)には1キロ減っている…(゜o゜)スゲーッ!
 人間のカラダが就寝時に「つくられている」こと、また、そのためにエネルギーが有効に消費されるサイクルをもっていることを実感するところである。食べているものがどのように使われるか、あるいは不要であるかを我が身をもって知ることができるようになったのは、「1日1食」を敢行し、「完全空腹時」と「満腹満足時」の波をきちんともつことにしてからのことだ。
 少なくともわたしの場合「1日3食」は多すぎる…このことは、「バカRUN時代の食生活」の頃からわかっていることであった。食べることとその消化のために使われるエネルギーが、RUN他の活動シーンに置き場を変えてしっかり生かされているという感覚は、再び検証して今、やはり間違ってはいないようだ。
 そもそも、「1日3食、栄養のバランスを考えてしっかりと」というセオリーに従おうとすること自体、日々のストレス要素となるのであるまいか。「1日1食」にするからこそ、「何が食べたいか・必要か」の情報が「カラダからのメッセージ」として伝わってくるものなのではないか。そして、それが叶えられるから「食べることのうれしさ、楽しさ」はより一層心身共に感じることができ、ひいては真の健康体というものが作られていくのではあるまいか…等々、感じる今日この頃である。
 正確に言えば、わたしの「1日1食」には「ほぼ」という言葉が付加される。人間の肉体には、排泄・消化・形成&修復それぞれに適した「時間割」があるという。したがって、その「消化」に該当する午後しばらく過ぎから6時ごろまでの時間帯が「わたしの食べるタイミング=残り20時間弱は食べない」となるわけである。今日の場合は「よしもと見ながら何食べよう?」で、つまり、日によって実質2食に相当する量を食べている場合もあるが、単に朝昼晩のいずれかを抜くパターンよりはるかに効果が高い。このまま定着すれば、リバウンドなんぞあり得ないから体重は減って落ち着くだろうし、逆に、要らぬコンビニ買いなどがなくなって、小銭貯金は増えて増えて困っちゃうぅぅぅ〜!となるだろう(*^。^*)ウキャキャー。
 
11/08 日 0.0   雨だけど、けっこう歩いたけど、ゼロ。
(-_-)キリッ。
「天才空海の見た宇宙」とは、なんであったのか?
…さんざん足を運んでおきながら、今さら降ってわいた謎。
少なくとも、凡人があの場に「究極の何か」を求めようとすれば、サトリどころかデンパ系になるであろう要素が見えた気がする。唯一そうならない解釈があるが、まったくの私見および危険思想(過去事例アリ)にもなりかねないので省略。
 先日、薬師寺東院の聖観音ちゃんが奈良博の白鳳展に出張していた。当の寺院僧侶によれば、それは「出開帳」というアリガタイコトなのだそうだが、なんでもこじつけりゃ美談になる…という類のものでしかないようにわたしには思われてならない。今回、東寺において薬師ちゃんの足下からムリクリ運び出され、バラバラにされて見世物になった十二神将クンたちもしかり、である。
 仏像というものは、あらゆる意味において「それがそこに半永久に安置されている」ことに、真の宗教的神秘性があるものなのではないか?と、思っている。「求める者がたどり着くところ」にあるべきものが、ホイホイと旅に出てしまわれたのではたまったものではない。今はどうだかわからへんけど、かつては平等院の雲中クンたちもしょっちゅう演奏旅行に出かけては、わざわざ訪れてきた人を落胆させていたものだ(含・ワタクシ)。
 学術的見地、芸術的見地あるいは商業的立場からのからの鑑賞という面では、こうした成り行きも価値アリかもしれないが、その場合そこでは、「宗教的」な要素は語られるべきではないだろう。
 今回、講堂立体曼荼羅をグルリと観ることができたことによってわたしが明確に気づいた「謎」は、ある意味では極めて宗教的であるが、深追いして混乱するのもイヤなので、あくまで「学術的な雑談ネタ」として保存しておこうと思う。学会の懇親会のときにでも、飲みながら誰かに話題をふってみよう…のレベルにとどめておく。
 
11/09 月 20.0   清凉寺、My宇宙観修正コース。
昨日の「謎」による混乱は、けっこうわたくしを疲労させたようだ(-_-;)…フッカツ、フッカツ。
脳内ルービックキューブ状態を回復させるには、「わたしにおける絶対」の西方のアミダちゃんに基軸を戻すことが一番の近道!(*^。^*)
 最近、「お勤め」を励行して気づかされるのは、これまで長い間「自慢のポイント」であったはずの走る筋肉すなわち太モモやアキレス腱が、むしろ全身のバランスを崩す要因になってきたのではないか?ということだ。
 徐々にではあるがノビノビ・ユルユルし始めてきた体の各所の開放感に比して、太モモとアキレス腱の硬さと強さだけは依然として残り、なかなかしなやかさを帯びることができないのである。逆にいえば、この状態で今までよく大きなトラブルも起こさず過ごせてきたものだ…と、我が身の辛抱強さに感謝せざるを得ない(T_T)アリガタヤ…。
 「自分にできること」「他人より優れていると思うこと」のみに頼って過信し、その反省や検証を怠ることが、実は他の部分に要らぬ負担を欠け、結局は崩壊にすら至る危険がある…というのは、主に人間関係においてしばしば教訓的に語られるところであるが、それは「自分自身の肉体」においても言えることでありそうだ。
 「いざとなれば歩ける・走れる」というのは、日常生活における危機回避に大きな役割を果たすであろうが、しかしてそれがすべてをフォローするわけではない。また、常に緊張させ続けることが限界に達したとき、「それしかなかった」体は一気にそのすべての強さを失う。恐ろしいことだ。
 もはや事態は、健康なんていう悠長な次元ではなく、「安全のために」というレベルである。オキバリヤス、観往!(-_-;)
 
11/10 火 18.0   歯医者経由、清水寺その他秘密ルートコース
かみ合わせ、顎関節、すべて「様子見」の診断(-_-;)
「古都税」をめぐる、清水寺をはじめとした拝観拒否事件からもう30年近くになるのだなぁ。つい最近のことのように思えるのは、そういう態度に出る本質が現状維持のままだからか…(-_-;)
 医者から特定の病名や「余命○年」等と宣告されることは、不幸なことのようで実は幸せなことであるのかもしれない…としばしば思うことがある。
 どんな逆境に落ち込んでいようと、「うつ病」でない限り人は歯を食いしばってでも現状の仕事に向かっていくしかないし、「発達障害」と断定されないこどもは「迷惑な暴れまわるガキ」のまま、親は躾のせいかと自分を追い込んでしまう。しかし、たった一枚の診断書が、周囲の心ない批評をいたわりや思いやり、果ては社会制度のサポートに代えてしまうのである。その人自身にも、ある種の「安心」や方向性が得られるわけである。
 「余命○年」も同じことだ。最近、あるタレントが「余命5年」であると深刻な表情で公言していたが、考えてみればそんなことは、どこの誰にでもあてはまる可能性であり、中には5年どころか明日事故で死んでしまう「余命1日」の人だっているはずだ。それが自ら認識できず、誰かに宣告されていないことが違うだけである。
 本当に不幸だったり大変であったりするのは、そうした枠に入り切ることのできない、しかし限界ギリギリの状態にある人々や、「どうなるかわからない先行きを心配しつつ、今の生活のありようをやりくりしてなんとか生き続けていこうとしている、「その他大勢」のほうであろうと思う。
 そこに何らかの癒しや救いを与えるべく存在する働きのひとつが「宗教・信仰」というものであるはずが、やれ葬式だお彼岸だ、宗祖の御遠忌だと「死した者」にばかり重きを置いたり、リニアが京都に来なければ…と意味不明なイベントにデデンと座ってみたり…と、嘆かわしいことこの上なしである。日本宗教のふるさとともいうべきこの京都がこれでは、「信仰のなんたるか」をマトモに体得もしていない輩がギャーギャー批判するマヌケな机上の空論にすら対抗できまいて(-_-;)イト、カナシキ。
   
11/11 水 8.0   下京区内チョイコース
一昨日、来年1月のなんばのチケットが取れた件で、いまさらニヤニヤ(*^_^*)シカモ、チョーエエセキヤデ!
 座長はくまモン。よしもとから出るのはバタヤンとか安田まさじ…すっちーとかシゲゾーの方がええんやけど、いつもの半額でそれを言うのはチトぜいたくやね(-_-;)
 「新喜劇見に行くねん♪」とゆーと、そこがどんなにオカタイ職場であろうがクールにキメてるおネエちゃんであろうが百発百中で「えーなぁ!」と反応される。新喜劇で頻発するネタをマネすると、それがどんなに些細なことでも理解してツッコミ入れてくる。しばしばヨシモトを話題にして笑いをとるワタクシは、今やすっかり「関西のオバチャン」として認識されてしまっているようだ(^_^.)アメチャン、アルデー!ッテカ?
 ドリフの「チョットダケヨ〜」とか「イチョメイッチョメ!」が、当時の子供たち必携のギャグであり、おとなになってもそのノリの記憶は鮮やかであるのと同様…というより、関西ではそれが延々「現在進行形」で今なお展開中!ということになる。このしつこいまでの愛され方に潜む魅力についての考察は、某ブログ参照(とゆってもだれも知らへんやろけど)。
 とにもかくにも、関西における「ヨシモト」はコミュニケーションに重要なキーワードなのだッ!(*^。^*)
 【祝☆すっちーもGET】夜、祇園花月の「よるよる」チケットもとれた(*^。^*)
 
11/12 木 5.0   【実験】メガネなしでRUNしてみる!
【結果】ソッコー、ムリ!(-_-)
【考察】RUNというのはある意味「不自然で異常な動き」であるということ・・・だって「歩き」なら矯正ナシでも問題ないんやし・・・この位置づけを常に踏まえていることは重要。
また、こんな小さなアイテムのあるなしがRUNを左右しているということ・・・「走っている」のではなく「走らせてもらっている」、その一々に改めてオオキニサンドス!である(*^_^*)
 国家公務員バイトへ向かう途中で出会ったしゅ〜る之助に、「その服、見たことない・・・買ったんかぁ?」と尋ねられた。
・・・プププ(^。^)。これって、よく聞く「夫婦のあるあるネタ」やん!
 こういう質問をされた奥さんは、実際その服を最近買ったばかりにも関わらず、なんとなーくダンナにそれを言うのがはばかられて、「ややわぁ、これ、前からあるのんやで!」とごまかし、ダンナがたも、その真実をうすうす感じながらも「まーえっか。」で流してしまう・・・という、例のやつである。
 今回のしゅ〜る之助&ワタクシのやりとりはこれと全く同じパターンであったのだが、「前から買ってあったモノだった」ということは決してゴマカシではない!ただ、オデブちゃんで着られなかっただけなのさぁぁぁぁぁ(T_T)
 
11/13 金 5.0   国家公務バイトの日の朝RUNは、現状この距離がMAX。
チョイもの足りないが、まぁまぁ質の良さは感じるのでよかろう(-_-;)
 一般に認識されているところの「文化と伝統の京都」というのは、このまちの単なる一側面であって…というより、現実全体から見ればほんのひとにぎりの階層の人間たちが自らの位置づけを保持するためにジタバタしているに過ぎないとも言えなくない。
 元はと言えば、大陸から流れてきたしきたりや文化や芸能を「いち早く取り入れる」ことが大好きだった人々の集まる日本の首都であったこのまちは、どこよりも「新しいもんズキ」の集まりだったのである。それがたまたま「今まで残っちゃってるしー」で、「古き良きもの」てなことに表現を変えただけのことなのだ。
 と、いうことで、近代に入ってから現在までの間にも、京都には大小の「日本初」というのがしばしば登場する。古くは、「小学校・盲学校の設立(明治政府の官令より先に)」なんていう素晴らしい庶民の事績もあるわけだが、直近で起こった「小学生が大麻吸引」というのも偶然かつゆゆしき事態ながらそのひとつに数えられることとなろう。
 ここ数日、京都府の教諭が緊急召集されるなど、関係者はその「日本初」への対応に振りまわれている最中のようであるが、願わくば、それが「おきまりの教育スローガンの確認会」に終わらないようにしてほしい。この際ぜひとも、子供の世界の諸問題に全身で挑み、「日本初の真の教育改革」と呼ばれるような成果を上げてもらいたいものだ。
   
11/14 土 8.0   「五条千本下ル」のルートは、ワタクシにとっての「魔のルート」確定!
今後は徹底的に迂回するで(-_-;)
このほか、「私的・魔のルート」には、「四条堀川東入ル〜四条烏丸」「千本五条上ル〜千本三条」などがある。もはや、「スピリチュアル的になにかあるのでは?」のレベルを感じる相性の悪さである。
昨夜と今夜、2連チャンで「夜おでかけ」
昨日はバイトのネェさんとお食事、今日は学会&懇親会だ(-_-;)
「しんどいこと」「イヤなこと」は徹底排除の生活を心がけている毎日であるが、たまにはストレス風味の刺激を受けることも必要であろうか…教授先生直々の出動要請には逆らえまいて…という、ユーウツを少々抱えているタイミングにこれだよ!
 老人がしでかす諸々の「迷惑行為」「危険な行為」というのは、「年老いたゆえ」のさびしさとかわがままとかいう方向で、やさしく解釈されてしまうことが多い。わたしも以前はそういう考え方を理解できないでもなかったが、最近では大いに疑問である。否、そんな解釈を許したままでは世の中がうまく回らなくなるほど老人が増えた世相も、人々の見識を改めることを要求しているのかもしれない。
 老人と言っても、それがある日突発的に表れる存在として括られるような特殊なものではない。20年前は50代、30年前は40代…と、つまりは「社会の現役世代」として世の中のあれこれを承知し、ものごとを判断して生きてきた、その延長線上に「老人」としてあるのである。
 つまり、今の彼らの言動の原因となる諸要素は、若い頃からそのようにあったあれこれがそのままに表面化しているに過ぎない「性格・習性」ということなのであって、それが社会的に迷惑や不快感を与えることなのであれば、こどもや青年のそれと同じように扱い、しっかり注意や意見をぶつけるべきだと思うのである。「老人だから」などというのは、当人たちにとって自己主張を押し通す武器でしかないのであり、周囲の者たちには、余計な議論やトラブルを回避するための言い訳でしかないのだ。いたずらにそれを流用しまくるのは、逆の意味で立派な「差別」でもあろう。(*)
 公園の広場ならまだしも、千本という公道において、道路を塞ぐようにリールを伸ばし犬に好き放題させているジジイ!何回か見かけている顔だが、毎度毎度えーかげんにせい!「そのヒモ、短く持ってください」とゆーたら「ふざけるな!」やと…ふざけてるのはどっちのほうや!まぁ、こういうときの買い言葉で「ふざけるな」と意味ナシの即答をするようなエセチンピラ程度の威厳しか培えなかったことが哀れでもあるが(ーー゛)
 京都人的にはこういう時、「まぁまぁ、犬さんノビノビ歩かせてもぅて、気持ちよさそうどすなぁ」という例の言い回しで内実メッチャイヤミをぶつけるのが正解なのだが、おそらくあのレベルにはそれも通じまい…っていうか、その「正解」が「直球のセリフ」より先に浮かんだワタクシも、良いようで悪い変化を内面にきたしつつあるようでコワイ(-_-;)わたし自身、「いやな老人」にならんように気ィつけていかへんとアカンどすなぁ(-_-;)
 【(*):注記】ここでいう「老人」とは、一般社会において基本的生活をこなしている(つもり、も含む)自立性ある人を言うのであり、脳に病を発症したゆえの異常行動や、老齢による筋力低下が起こす所作を省いていることは言うまでもない(-_-)ソコントコ、ヨロシク!
  
11/15 日 21.1   長いこと気になっていた不思議神社へ。
まさに「境界」「結界」を思わせるムードバリバリ。
ここんとこ、仏教研究者というより、神社マニアに近い(-_-;)
 「死んでも死にきれない」…ということばを時折耳にする。「この仕事を成し遂げなければ」という自尊心に満ちたものであるとか、果ては「世界の三大珍味を食べるまでは」等々の冗談めいたものまで様々であるが、そのほとんどは、実際それを果たさず死んでしまってもどうということはないことばかりである。仕事など、実は代替や後継ができるのだし、食べたり旅をしたりというのも「残念ながら願いかなわず」の範疇なのだから。
 真の意味で、唯一このセリフが現実的な深刻さを帯びているのは「親が子より先に死ぬ」という自然の理が承諾できない人生を抱えた人、具体的には「障害をもち自立できない子供」を持ってしまった親のそれであろう。いくら財産を残し、あるいはフォローする人やシステムを頼んでみたとしても、それが本当に遂行されるのかという不安は消滅しないし、なにより情の問題として、「いつまでも手を取り目を見て、この子についていてやりたい」という思いは、一般人が乳幼児を育てる思いと同じまま、延々続いているものだからである。
 最近、RUN中に限らず、こうした親子連れをよく見かけるようになった。もはや親の方があれこれ世話をやかれて妥当と思われるほど老いているにもかかわらず、それでも子供の手をひき、叱りつけなだめては一緒に歩いている。その心の底には、解決のつかない不安や苦しみが絶えず渦巻いていることを知る者としては、何とも言い難い切なさが伝わってくるのである。そこには「ガンバレ」「負けるな」などという簡単なコトバでは到底癒されることのない重さがあることがわかっているから、わたしは万感の思いを込めて「こんにちは」「おおおきに、どうも」と、すれ違うのみである。
 わたしも、つい数年前まで「死んでも死にきれない」人間のひとりであった(親ではないが)。しかしそれがなくなったことを境に、「死ぬならいつ死んでもまぁ大きな問題はない」人間となった今思うことは、「生きる」ことと同様、否、それ以上に「死ぬ」ことに与えられている「自由」というものが持てることは何よりの安心であり幸福であるということだ。
 生きる安心や楽しさのために、ひとは次々といろいろな物事をわがものにしようとする。しかしその視点を「死」に向けると、それらは一転して不安や苦悩のモトとなる。「どう生きたいか」ではなく「どう死にたいか」という思考回路をもつことのほうが、楽に開放的に生きられる秘訣であるということができるかもしれない。
 
11/16 月 15.0   おでんつくる、おつとめする、べんきょうする…で、バイトなしでもこの距離で終了。
あーそうそう、新しい「薬用酒」もつくらなきゃ、やわ(*^。^*)
 春や秋というのは、その人それぞれが持っている「皮膚感覚」が良くわかる季節だ。ここ最近、早くもダウンジャケットやマフラーグルグルの人もいれば、軽くセーター1枚のひともいるし、わたしのように半そで一枚でOKのやつもいる…(>_<)
 怪舎員時代から「冬でも夏制服で一枚」で過ごしていたくらいであるから、生来寒さには強いタイプなのだろうと思う。今現在も、うちでは半そでTシャツでウロウロ、本当はこのまま外にも出られるのだが、買い物などのときには一応世間体を気にして仕方なく何かを羽織っていく程度である。でも3分も動けば暑くてうっとおしくてしゃあないわ…となるのだ(>_<;)
 しかし、いわゆる「更年期のお年頃」の外見が備わってくると、ちょっと歩いたくらいで汗ダラダラ…というのも、あらぬ誤解や同情を受けるようでなんだかなぁ…なのである。
 
11/17 火 6.0   今月は、リンパが熱い!
数日前まで、ちょっとした事情でリンパが腫れていたがすっかり治った。
次のリンパは「琳派展」である!…って、もう閉会間近やけど(-_-;)
 本日、近代美術館&国立博物館の琳派展ハシゴ鑑賞。
 正直な話、このテの美術にはあまり関心がないが、無料券やしまったく知らないわけでもないし…でまぁ見に行っておくか、という感じ。今回メダマの宗達の「ご落胤説」や、光悦の「スーパーボンボン人生」など、芸能ネタみたいな裏事情から眺めると面白いかも?とは思っている(*^。^*)
 今までならこういう時、迷うことなくRUNで回るところであるが、今日は雨の気配濃厚であることもあり、せっかくの「知る人ぞ知るブランド」のおニュー服も着たいしぃ〜なので、1日乗車券で優雅にお出かけすることにした。
 
11/18 水 6.0   雨の止み間を狙って…って、ちょっと降ってたが(^_^;)
昨日の「オシャレ散歩」の距離は1キロになるかならないか…にも関わらず、足首前部が筋肉痛(>_<)
明らかに、ややヒールのある「オシャレ靴」のせいや!
 この30年近く…そのほとんどを「スニーカー」で、その半分は「ニューバランスW96○シリーズ」を追いかけて履き続けてきた足は、常に背伸びをしたような状態で歩かなければならない靴には拒否反応を示すようだ。
 しかし、ヒールなどのオシャレ靴を履くのは「外見や流行」を追っているからに他ならず、足の健康や安全のためには全く無意味あるいは害を及ぼすものでしかない。現在、外反母趾その他のトラブルを抱えている人の「靴歴史」を検証すればそれは明らかなことであろう。こんなものはごくたまに履くくらいで正解なのである。
 今にして思えば、就職した企業が「製造業系」で、女性の制服や靴などの規定に関するところが「何より動きやすく、安全に」という点にあったことは幸運であった。また、あのバブル絶頂の時期に、ワンレン・ボディコン・ピンヒールなんてものは「アウトオブ眼中!」とばかりに、ヒマさえあれば登山靴でザクザク山を歩き回っていたことも効を奏した。
 それなりに年齢を経て今、「あんなことさえしていなければこんな不調にはならなかったはず…」と後悔するような「報い」を受けていることはとりあえずない。「ダサイ」「イモ」等々、当時はわたしの装いや行動に関して笑う者がいたが、そんなことに振り回されずにいて良かった、とつくづく思う。他人がどうこう批評しようと、結局それらは行く末のわたしにまで責任を負うものではなかったのだから。
 まちを見よ。今では、老いも若きも揃ったように「ザック」を背負い、スポーティーな靴や服で、いつでもハイキングに行けるような、「20年来のわたしな人々」にあふれているではないか。かつては嘲笑の的であったスタイルも流行になれば「フツウ」となる…いい加減なものだ。
 人が何と言おうと感じようと、わたしの「ベストファッション」の基準は「いかに体を解放し、快適にするか。最小限の負荷で長持ちさせるか」に尽きる。今はじめている「ある試み」も、おそらく20年後あたりには「当然」になるような予感がしている。ある意味、「流行の最先端」を走っているのは、このわたしであるかもしれないぞよ…先走りしすぎているから気づかれないだけで(*^。^*)ウヒョヒョ。
   
11/19 木 29.0   鴨川下りコース
and
なぜか沓掛に着いた!なコース
おつとめ休みでRUNしてみたわけだね、今日は(*^_^*)
and
夜RUNもしてみたわけだね、今日は(*^。^*)
 国家公務バイト出勤途中にしゅ〜る之助に遭遇。
 現役時代から毎々思っていることなのだが、うちでガサガサ・バリバリ・ポロポロ・カタカタ・ゴォーゴォーいってるひととこのひとは果たして同一人物なのだろうか?・・・というほど、外で働いているときのしゅ〜る之助は「超カッケェェェ〜!(キクタク風)」のである。自称「下京のジョージ・クルーニー」ってのもいえなくはないが、ここではそういうことと違う。「仕事をする男のオーラ」が放つ輝き・照りがカッコエェ!なのである(*)。マジで写メ撮ったりしちゃうくらいだ(^o^)
 オトコには、「外の顔/内の顔」というものが確実にある・・・ということは、怪舎員時代のBOSSたちの姿とその奥様がたのグチのギャップ等々から感じてきたことだが、それはそれは実に見事な変身ぶりである。っていうか、本人たちはそれを無意識のうちにこなしているようだからたいしたものだと思う。ほぼ一生を社会で戦い抜くための本能的な鎧というか武器というか・・・マジすげぇーよ!(またもやキムタク風)。
 世のほとんどの奥様方が、ダンナの「ゴロンゴロングデングデン」な、一側面の姿しか見られないのが気の毒だと思う。でもってその両方、その気になれば毎日見られちゃうわたしは超ラッキーなんである(*^_^*)
 【(*)注記】「輝き」「照り」とは、あくまでその直前の「オーラが放つ」の言を結ぶものであって、しゅ〜る之助のアタマが…とか、脂ぎった顔が…ということを言いたいわけでは決して、ない!そもそも物理的に「輝きを放つ」ほどしゅ〜る之助はハゲてないし、良好な食生活の甲斐あって顔もテカるほどではない(黒いけど)(^o^)ソコントコ、ヨロシク!
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【夜RUNコーナー】しゅ〜る之助夜バイト編につき実行(-v-)ニヤリ。
嵐山に行くはずが、いつの間にか千代原口(゜o゜)アチャー!→しかたないのでそのまま西進→沓掛の山盛り道路んとこ。調子に乗ると福知山、少なくとも亀岡には突入しそうな勢いマンマンなテンションを抑えてUターン(T_T)→千代原口でちょっと左に曲がってみる(嵐山方面)→御霊神社とかいうとこの水、甘くてウメェ〜(*^。^*)シモゴリョウモ、ウマイデ!→なぜか五条通に戻ってしまう→そのままワコールモードで帰着。さて、洗濯&かつ丼作りだッ!
 
11/20 金 0.0   朝、目覚めたら7:00だった!
…(゜o゜;)ウギャァァァ〜
とーぜんのことながら、RUNなし!おつとめなし!しゅ〜る之助弁当作っていっぱいいっぱいやで(-_-;)
 ある一部の風潮がマスコミにひとたび「キーワード」化されると、我も我もとそこに便乗する輩が群がるものである。「ウツ」「貧困」「山ガール」「歴女」等々、むしろそれに真には該当しないレベルや状況の人ほど、そうしたコトバにすがりつくような気がするのが興味深いところだ。
 就中、昨今かまびすしい「ブラックバイト」については、自分が働いている環境が「向かない」「疲れる」くらいのところにまでそれが流用されている感があって、実に正体不明である。ニュースで報じられるそれらは、半年間無給であったとか、寝る間も学校に行く時間も無くなったというような過激なケースが多いが、誤解を恐れず言えば、それらはいずれも「働く側が自ら作り出している事情」にほかならないのではないか。
 「騒がれているレベルのブラックバイト」のみに視点をおけばそれは確かに、雇用者の目に余る法規違反行為がその根源にあり、「社会経験の浅い学生」がその餌食になっているには違いないが、「働いたら働いた分だけお金をもらう」などというのは社会経験の深浅云々以前の常識なのであって、そこに延々と疑問も持たず抵抗・脱却もできずに過ごしている不健全な若者が顕在化しているということのほうが、長い目でみたときには深刻な問題であるといえるのではないだろうか。かつて、「職についてもすぐ辞める」若者像が批判されていたが、ある意味ではむしろこちらの方がマトモな展開であるといえるかもしれない。
 「ブラックバイト現象」をはじめとした「若者の気弱さ」は、生まれてこのかた、あらゆる痛みや苦しみ悲しみから必要以上にガードされて育った結果、何が得るべき喜びであり何が避けるべき苦しみであるかの判別すら自ら付けられない人格形成に至ってしまった末路なのではないかと思われるのである。小さなケガ、小さなケンカ、小さな迫害…そういった経験が「標本」として記憶に積み重ねられていないから、年齢だけ「おとな」になっていざ社会に放り出され、初めて受ける苦しみのひどさがどの程度であるかわからない。また、無給で働いていても、寝食が外部の何らかからフォローされているからその深刻さは実は深刻にはなり得ない。さらに、その苦痛は「誰かに取り除いてもらう」ものであり続けたがゆえに、自ら何とかしようと考える素養すらない。「ブラックバイト」というワードをもって世に問われるこの事態は、彼らがそれを頼りに自らのありように疑問をもち、訴える機会を与えたという意味では、意義のあることであったようにも思える。
 親またはそれに準ずる肉親というのは、いつでもどこまでも味方であり守護者である。かたや、世間はウソダマシの薄汚さも含めて非常に厳しいものである。相反する両者のそれぞれから、その利点欠点をバランスよく与えられ、受け入れることができているか否かが、ひとが「よい具合に生きられる」ポイントとなるのであろう。どちらか一方が極端であると、ひとは歪み、破滅する。「ブラックバイト」は、その検証と反省への問題提起となった話題であるようにも思うのである。
 
11/21 土 15.0   知恩院さんコース
「休日は行ってはいけないコース」の代表格に、ついつい足を運んでしまう…(^_^;)
だって、アミダちゃん好きなんだモン♪
 【4日にも書いたが】右首のイテテ…は、一進一退を繰り返しているが、今朝のは久々にキョーレツだった(>_<)…確実に「寝相」が災いしているのだが、こればっかりは意識的に修正できないのでいかんともしがたい。おつとめをすればなんとなく緩和されるし、いろいろな動作に直接影響はないのでまぁえーんやけど、気になるといえば気になるんである。
 こういう時、「原因」を外の何かに求めると、救いの手は満面の笑顔と共に次々現れることであろう。「この布団を使えば解決ですよ!」「枕が問題なんですよ!」「電気治療が必要ですね!」「このサプリが…」等々。しかしそれらは、むしろ全身を委ねることが憚られ、緊張で眠れなくなるであろうくらいのお値段の商品ばかり。とても手の出るシロモノではないのである…っていうか、そもそも出費を引き合いに迷う程度なら、イテテ…の症状自体がそれほどひどいものではないということになるわけだから、検討すること自体ムダなことであると判断している。唯一 、その一因と予想された歯の食いしばり&歯ぎしりを解消するための「マウスピース」は入手した程度である… が、因果関係はなさそうだ(-_-;)ザンネン。
 改めてよくよく体全体の状況を確認してみると、おつとめ励行以前にはウィークポイントであった左ヒザの痛みや左腰のハリがほぼなくなっていることに気づく。また、仰向けになると浮き上がっていた腰のあたりがしっかり布団に接触するようになっている…つまり、「治っているところは治っている」のである。ということから、想像するに…。
 今の右首のトラブルは、今まで痛みになるほど力が入り過ぎていた部分が緩んだ結果その代替として他の箇所に余計な力がかかるようになった、換言すれば、バランス上、本来もっと力が入るべきだったのにそれがなかった部分に正当な負荷がかかるようになった結果と言えるような気がする。う〜ん、われながらミゴトなポジティブ診断!(*^。^*)
 かくなるうえは、もうしばらくの間、この右首のイテテ…と付き合ってやろうと思う。右首に、自発的な筋力トレーニングをさせてやろうやないか!ということである。頑張ろうとしているものを甘えさせたり、急激な刺激を与えたりするのは申し訳ないやんか。いずれおそらく、「そんなこともあったっけ?」な話になりそうな気がする。
 「あれは右首ガン(…ンナモン、ナイワナ!)の初期症状でした」とか「首のホネがハズれてました!」てなことは万が一にもあり得る状況ではないが、そうなったとしても「そんときゃそんとき」である(*^。^*)ギャハハー。
 
11/22 日 21.0   広沢池・清凉寺・そして千代原口コース。
この前の夜RUNの時の「千代原口〜嵐山の謎を解いてみたわけだ!(*^。^*)
本日は、11:00中央市場の鍋祭りにロックオン!であった。
いや、鍋が食べたいゆーんのんとちゃうで、お目当てはくまモンショーやっヽ(*^。^*)/
が、しかし〜・・・・
 ちょうどいい感じで中央市場に到着し、くまモン舞台に突入したのだが、周囲にはくまモンオタクなオバサン3人のみ…(゜o゜)ナナナ…ナンデヤネン?!
 いくらなんでもここまでいきなりくまモン人気が凋落するとも思えず、スタッフらしき人に尋ねてみると、「くまモンがまだ到着していないので、11:00からの部は中止です」とな!!
 (゜o゜)オー(゜o゜)マ(゜o゜)イ(゜o゜)ブ(゜o゜)ゥ(゜o゜)ー(゜o゜)!(゜o゜)!(゜o゜)!
 13:00からの分は予定通りということなので、今度は東コース20キロRUNを追加して時間をやり過ごそうかと思ったが、そんなことしてる場合か!と瞬時に考え直し、あっさり帰宅と相成った次第。
 うちから5分程度の場所やし、出直せばええやん…とも思うのだが、午後には午後の「やるべきこと」もテンコモリ…なので、今回はご縁がなかったものとして見物中止とした。くまモン、またどっかで会おう!である。これはこれで、なかなか起こることのない貴重な「すれ違い」ではある。おもしろい。
 
11/23 月 25.0   千本の果て(つまり淀まで)コース再び(*^。^*)
京都市は海が遠い代わりに川は大小ウネウネしていて、各々サイクリングやRUNのコースになっていたりするんであるが、個人的にはナニゲに桂川南下コースが一番ええ感じやったりする。
これは、新幹線通る橋があることと、関係ないとは言えない(*^。^*)ケッコウ、テッチャンナオバチャンヤネン。
 東山や京都駅付近はともかく、いったいどうしてこんなところにまで?と思うようなところにまで中国人が現れる今日この頃。
 申し訳ないが、決してお行儀がよいとは言えない彼らの厚かましさに対抗すべく、わたしの日々の中国語会話トレーニングのモチベーションは高まる一方である!(-_-)
 ところで、それなりに進捗をみるようになった最近、わたしにはひじょうに納得いかないある疑問が生じている。それは、じぶんの氏名をいうとき、その漢字までもが「中国語読み」になるルールがあるらしいということである。たとえば、わたしのHNの読みは「かんおう」であるが中国語では「ガンワァン」となるのだ。さらに本名にこれを当てはめると、「そりゃ怪獣の名前かよ?」みたいなことになるんである。言うのもイヤだし言われるのもイヤだ…「カンオウだよ、カンオウ!(本名読みは省略)」と訂正を求めること必至である。
 もっとも歴史を振り返れば、日本人も「キンダイチュウ」だの「ゼントカン」だの、相手の名前を「日本語読み」していた過去がある。今さらながら、その時彼らの抱いていたであろう違和感ないしは不快感に共感するところである。日本国内においては、「名前の読み違い・書き違い」は、大変無礼なことであるとされる。それを他国の人には平気でやっていたということになるのだ。そこには「国の上下強弱の意識」が少なからずあったのであろうと思う時、中国語で日本名の発音が変えられてしまうことが「フツウ」であるとする感覚は、どこか恐怖感を覚えるところでもある。
 わたしの記憶が確かならば、ニュース報道などでこうした「読み」が是正されたのは「全斗換」大統領訪日の出来事にはじまる。「ゼントカン」がいきなり「チョンドファン」になり、最初は混乱したが、なんとなく「何かが変わってきている」感じがしたものだ。
 つまるところ、その人の名前を本来通り正しく読み書きするということは、平等かつ尊重のある友好関係のもっとも重要な初歩的条件なのではないだろうか。長年の慣習とはいえ「ニッポン」が「ジャパン」と呼ばれていることも、「ファーストネーム」だか何だか知らないが氏名が逆になる言い方も、時に疑問をもって考えることがあっても良い。
 たとえ何ヶ国語がペラペラになろうとも、わたしは「ニッポンのカンオウ(本名省略)」である…ここに込められた意義は大切に保持したい…って、そんなバイリンオバチャンになれるわけないから余計な心配やけどなっ!(^。^*)テヘッ。
 
11/24 火 18.0   起床後ただちに出発し、西を目指したものの…今日は東寺さん行くんやったわ!と思い出し、天神川で踵を返す(^_^;)
そして
改めて東寺さんコース
8日に発生した「謎」があっさり解決。ガイドさん、おおきに!
…問題の所在はまぁまぁ「にわか研究者らしい視点」であったことはわかったが、本題については「謎は謎のまま」というごくシンプル…というかテキトウな結論に至ったのであった(-_-;)
それは、「そうなってるんだから仕方ないでしょ!素直に受け取りなさい!」という、某宗教団体によくある「指導」や、屁理屈を言われた親が子を叱責するときの「かわしかた」に近い。
しょ〜がねぇ、いちおう納得しておくか…である(-_-;)
 いつの時代にも、いわゆる「天才」そして「若者」というのは「今現在」に対して破壊的・批判的な一面を見せるものであるが、仏教界における「若き天才・空海」もその例に漏れず…ということなのだろうと思った。
 既存の概念を無視したのかのような自由な「空海の宇宙」は、そこに何らの教証も主張も残していない。もはやこれは「彼のインスピレーションの表現」または「何らかの反抗的意志の表現」くらいにしか解釈の範囲を許さない。1200年の時を隔てて「ただそこにそのようにある」ことのみを見せつけるのみなのである。ある意味、東寺講堂はひとつの「芸術作品」でもあるだろう。
 案外、空海ちゃんにその真意を問いただせば、「いやぁ〜、若気の至りでやっちゃいましたよ〜、へへへ」てな感じで、彼にとっての東寺講堂は今になってみれば「ちょっと恥ずかしい黒歴史」であったりするのかもしれない。今、「天の宴会」では、各部派仏教の碩学らにその所行をからかわれて照れ笑いしてたりして…想像するとなんとも微笑ましいもんである(*^。^*)
 …いや、ちょっと待った!そういえば空海ちゃんはまだ高野山で生きてはるんやったな…ならば、この質問は今でも直接本人にぶつけられることになる。今度、高野山に突撃取材いってみるべーか!o(*^_^*)Oオッシャー!
 
11/25 水 17.0   東寺2日目
そして
2日にわたって食べるX'masケーキの予約☆
今回の小子房拝観は、「カンチイン」が工事中のための代替行事なので、次回はいつ見られるか、もしくは二度と見られないかのみられないか、なのである(-_-;)
堂本印象の、ちょっと趣向の違う名作なのにもったいない。
 日本画としてはお気に入りの画家が何人かいるが、「水墨画」に限定するとイマイチパッとしない…てな印象を持っていたわたしの感性を変えたのが印象(堂本)だった。
 すいかとか、ニワトリとか、遊びゴコロ満載の、若冲っぽい親近感が最高である。その襖絵を一間ごと、じーぃぃぃっくり眺めてきたのであった(*^。^*)
 各部屋には、「説明したがり」のシニアガイドがウズウズしているのだが丁重にお断りし、印象の世界にドップリコン。襖絵は正座の目線で観るのがベストなので、全景が見やすいところにドッカリコン。
 帰り際、上品げなオバサマとちょっとした雑談になった。そしたらオバサマいわく「失礼ですが、どちらかのご流派でお茶をされているのですか?」とな!(゜o゜)なんでも、ワタクシの「正座」の姿勢・立ち方・座り方が大変キレイでしたので…ということらしい(*^。^*)イヤァー、メッチャテレルヤン!
 オバサマはワタクシに対して、あってはならない誤解をしたわけであるが、「このワタクシ」が仮にもそのように見られたということ自体はひじょうに喜ばしい出来事であった。
 ちなみに、わたしがしていた正座のかたちは、「金剛座」という別名があるものだ。おつとめの成果で最近できるようになったばかりのこの正座は、自然と背筋も腰も伸びてしまうというスグレモノであり、つまりはこの「ピン」とした感じが、オバサマの視線のポイントになったのだろうと思う。「立ち方・座り方」については不明…公家の血でも引いてるせい?(^_^;)ナンツッテー。
 ともあれ、「南無遍照金剛」の境内で「金剛座」したらエーことあった!ってゆー次第にて(*^。^*)
 
11/26 木 5.0   まぁなんとなくやっておくか的なRUN。
今日は国家公務バイトだ(-_-;)
 デジカメや携帯の写真など、気軽にしかも美しい写真が誰にでも撮れ、かつ、それがスイッと送ったり見せたりできるようになった昨今、「絵はがき」の用はほとんどなくなっているだろうという気がする。
 実際、お土産屋でもそれほど目立った位置づけにはないし、販売数も激減してるんやろな…と思っていたが、そんな絵はがきにとってまさに「起死回生」のチャンスであるのが今年なのではないだろうか?
 わざわざ観光スポットなど出かけなくても、「ふとしたところに秋を感じる」ポイントが散在しているはずの京都で、今年は「紅葉」を感じることがない(なかった)。「そういえば、足元に落ち葉があるわ」「そういえば、イチョウがテキトウに黄色いわ」という、なんともナサケナイ状況である(-_-;)
 おそらくこれは全国的な現象なのだろうと思うのだが、「じんぶんたちのところはこうでも、京都は違うだろう」と特別扱いしてくれるありがたい他府県民は多いらしく、わが知り合いからも「京都の紅葉の写真送ってよ!」というリクエストが続々着信する(-_-;)コマッタモンダ。
 ここで「現実を見せる」より、「今年の紅葉はイマイチなので、絵はがきで楽しんでおいてください」みたいなお茶のニゴシ方をして、彼らの京都に対する期待感をそのままま温存しておくほうがオッシャレーかな?などとふと思いついたき、あぁ絵はがきにもまだまだ需要があるやん!と思った。世の中、「ひとりが思うことは同時に200人が発想している」ものであるから、今年「京都の絵はがきは京都市民に買われている」かもしれない…という次第。
 …何事にも、「事実を包み隠さず」ということが必要である場合と「あえてそれを告げずに抑えておく」ことのほうが良い場合がある。何でもかんでもリアルタイムに現状の垂れ流しが優先しているが、その一々が「京都ってこんなもん?」という意識につながってしまうとすれば、観光都市としてはダメージ大であるはずだ。ささやかながらもそれを避けようと行動するワタクシは、けっこう優良な京都市民なのであるぞよ(*^。^*)
11/27 金 5.0   まぁなんとなくやっておくか的なRUN。その2
国家公務バイトでの移動中、バスを乗り間違えた(゜o゜;)
 「今日からちょっとした新しい業務が追加される」ということの緊張感そしてその対策と緩和のために、ウォークマンで大音量からクラシックを流し、本来到着してからやるべき細かい資料チェックをコソコソやって、ふと気が付けばいつもと違う停留所の光景が目の前に…(゜o゜;)
 幸いにも1つ乗り過ごし&折り返しで済んだが、ほんの少しばかりの「業務追加指示」くらいでどんだけテンパってんのや、じぶん!ということを反省させられた。ある意味、「やるべきこと」への対応力・集中力のすごさともいえなくもない、ひとはそれを「学者肌」と笑うが、それ以前の基本事項がスルーされてしまうようでは元も子もないんである。
 
11/28 土 22.0   おいしいお水とラーメンのあるコース。
ちょっと交通費かかるけど、ここはネウチありまっせー(*^。^*)
 京都の水道水と付き合うようになってから、水の味がわかるようになった(事情は推して知るべし)。以前は「ただ評判だから」という理由で名所の湧水を汲んで持ち帰る興味半分の程度であったが、最近のそれはかなり生活に密着した真剣味が大きいのである(-_-;)
 そのワタクシに、「これだ!」と思わせる水がようやく現れてくれたのだが、日常使いにできる距離にないことが残念…(-_-;)
 
11/29 日 11.0   昨日今日と、ちょっとした「暴飲暴食」をやってみた(^_^;)
しかしこれは、決してリバウンドへのきっかけとは成り得ないであろう…(^_^.)
 「さぁ、思う存分食べよう!」とじぶんを許しても、そうそう簡単に手を出せるものが少ない…ということを、最近は感じるようになった。「好きなもの」という以前に「それ、食べて大丈夫?」という、カラダの奥底からの声が、コンビニにあふれる添加物バリバリ、粗悪な原材料を使用していることが明らかなモノを避けまくるのである。
 また、延々食べ続けると、むしろ全身に疲労感が漂い、体が硬くなっていくのを感じる(実際、柔軟度がガゼン低くなる)。…この不快感を覚える以上、わたしの食生活に「ハチャメチャモード」は復活することはないだろう…というのが、「リバウンドはないだろう」と思える理由である。
 「なんでも食べられるのは健康の証拠」というのは確かにその通りであるかもしれないが、他方、「食べられないものがたくさんある」という意識づけがあることも、もっと深い意味で健康な証拠であるといえるような気がする。
 
11/30 月 10.0   先月、「月300はいけるかも?」てなことを書いているが…
それよりプラス100の結果(゜o゜)
テキトウにやっていてもこのくらいは出るんやなぁ…(^_^)
 黒豆を煮る都合上、最終日の距離はこの程度になった。が、キリのいいところまでいったのでヨシとしよう。
 …それにしても不思議なことである。今月初め、いきなり「黒豆が食べたい」という思いがしつこくアタマに浮かび、ひと袋の豆を炊いて1週間ほどですっかり平らげてしまった。過去の経験上、「他人にごちそう」するためにはつくっても、じぶんはそれほど…な感じだったものが、ここへきて急に「好物化」したのである。本日、2度目の黒豆をコトコト煮ているのが不思議でさえある(-_-;)。
 その代り…というか、この1か月「肉」を口にした回数がそれほどでもないことに気付く。「豆は畑の肉」とはよく言ったもので、黒豆並びに豆乳・納豆がその代替を果たしていたのであろうから栄養的には問題ないと思うのだが、特別な意識や情報からではない、ごく自然にシフトしたこの状況はとても興味深い。
 巷間、長寿や健康の秘訣として「歳をとっても肉食が有効」かたや「菜食中心で」と、まったく矛盾するセオリーがあふれているが、これは結局のところ万人に普遍的な法則など存在しないことを示しているわけである。そんな中、外部からのネタにあれこれ惑わされる前にじぶん自身の要求に従うことができるのは、ありがたいことだ。
 
走行距離 401.1  km