あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上56歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
10/01 火 41.0   夜RUN。
ピンクの清水寺を見た(*^。^*)
市役所も、一部ピンクだった☆
チョイ肌荒れ状態につき、お日様を避けるRUNを決行したのであった。
気が付けば、まるまる1か月以上記録が途絶えていた…(-_-;)
10/02 水 18.0   2日連続でフルモード!と行きたいところだったが、やめた。
人生あと19年、何かとやること多く、RUNばっかしやってられない。
それが、10年前とは大きく違う、最近のワタクシのありようなのである。
「本気」とか「マジメに」とか「懸命に」とかいう姿は、実はそれ自体、傍目にはみっともなかったり恥ずかしかったりするものである場合が多い。しかし、そうであればあるほど、それはやがて自身にとって大きな人生の宝になるのであるし、他の誰かにとっても大きな刺激や感動になることがあるものなのである。
前者については、すでにわたし自身の体験上、大いに自覚してきたことであるが、ここ最近、後者についてもそれを実感させられる人々と多く出会う機会を得ている。ありがたいことである。
10/03 木 21.0   ハイドレ2リットルを購入。
三条市シモスゴロの会社がこれを売り出して以来、何度目の購入か…長い付き合いだ。
こんなモノをはじめ、時計、シューズ等々、ワタクシの身の回り品には「リピート商品」がとても多く、あるいは一度買ったら十数年という長い付き合いになるモノも多い。
ある意味、最初の最初から迷いや失敗なく「ベストアイテム」に出会ってきた幸運というべきだろうか。
反面、新しいモノ、珍しいモノになかなか関心が寄せられないという欠点もあるが。
近頃、ザックを背負ってRUNする人の姿は、さして珍しいものではなくなった。その上、震災避難の反省からか、まったく普通の人でも日常生活に「ザック」を使用するひとが劇的に増えているようだ…これはとても良い傾向であると思う。
…ということで、元々登山アイテムのメーカーでも、明らかに「タウン用」を意識した商品を続々発売しているのだが、ワタクシに言わせるとこの「2種類の用途」が明白に区分されてしまっているような展開が悩みのタネになっているのである(>_<)
書類や研究書のようなものを入れてもガッシリ丈夫で安心!みたいな物には「ハイドレポジション」がなく、ハイドレが付けられるようなものだとそれは山での行動機能が重視された形状や軽量化が図られていてなんとも不安な底のつくりだったり…少なくとも本日、ヨドバシのコージツにはピンとくるザックはなかった…どーしよー?
「パイネ」は、関西だと大阪まで行かないと、だし(-_-;)…京都にIBSかICI来ないかな〜(T_T)
10/04 金 18.0   「人間、食わねば体重は減る!」という、ごくアタリマエのことを目の当たりにしている。
この5日、まともなおかずはサンマの刺身・鶏皮の素揚げ・レバニラ1回ずつ。あとはテキトウ…それでも、ガッツリ走り、働き、動ける不思議。しかも、いつも以上の軽さと効率の良さで。
…ふだん、どれだけ無駄なエネルギー補給してんだか(-_-;)
さらに恐るべき実感は、ここのところ急激に「ビールに弱くなった」ことである。
缶ビー半分で、もうフ〜ラフラ、ヨイヨイ!(@o@)。
「生中4杯が元気のミナモト!」だった時代は、終わったようだ…しかし、あらゆる意味でよい変化である。
枯れ木となって廃棄寸前だったハイビスカスが花を咲かせた!
通勤途中、サプライズなあるモノをタダでGETした!
…小さなことだが、ハッピー続きな今日この頃。そろそろ、「大器晩成の運命」と言われて久しかったわが人生のラストスパートが始まったか?
…最近、こういう場所に書きたい「イイ話」がテンコ盛りに起こっている。書きたい!書きたい!…のだが、それをすることは、同時に「ある個人」のプライベートな事情や心模様を無断で公表することにもなる。このせまい京都、その気になれば「わたしがナニモノ」で、そのわたしに関わる「誰かがだれか」が容易に特定されるような危険があるので、気安くカキコすることができないのが残念だ。
表現に気を付けながら、チョビチョビ書き残していこうとは思うが。
10/05 土 17.0   で、懸案事項だった「例のザック」は、結局1,050円、紺、出町で買った。
…って、モノだけでなく色も買った場所もまったくの「リピート」である(^_^;)
中途半端な5000円なら、とりあえず要求事項を満たす1000円の方がお買い得。無輪、完全なるタウン用であり、ハイドレポジションはおろかウエストベルトもないが、このザックで数回「通学RUN」ができた実績もあり、日常使いにはこれで十分と判断されたのである。
これでも、大きな肩掛けカバンにギョーサン荷物を詰め込んで、カラダを傾かせて歩くよりは、数段健康的であろう。
…っつーか、近頃「ミレー(5000円レベル)」や「カリマー」を背負ってウロウロしている人がやたら多い(つまりは流行?)ことに反発したアマノジャクな感覚がもたらした結果ともいえるのである。
10/06 日 17.0   本日のオプション。
光徳公園にひっそりと設置されているアスレチックマシーンを使ってみる&デューク風ウォーキング。
真剣に「健康」「安全」を考えるなら、もはや「RUNだけではアカン」な状況になっていることが重々思い知らされた。
若い時代のエネルギーというのが、いかにいろいろなことをごまかし(フォローし)ながら動いてくれているかということも、同時に痛感する今日この頃。
「カラダ堅くて…立位体前屈マイナス23センチ!ガハハッ!」とかいいつつビールをかっ食らっている暇があったら、柔軟体操せい!…まぁ、具体的にいえばこんな感じだ。
じぶんの欠点や弱点について、「このまま開き直ってしまう」ことでなんとかなることと、「改善・進歩したほうが良い」ことはしっかり区別し、認識していきたい。
どうにも、ワタクシの筋力(パワー・柔軟性共に)の衰えは、たとえ年齢的な問題を踏まえても許されざるレベルにあるようだ。やばし。
10/07 月 0.0   休み。
松原大宮西入ルのある路上に、お菓子やお花がテンコ盛り…先日の、飲酒運転(居眠り?)のオヤジが歩道に突っ込み、犠牲になった少年を供養するためのものだ。
犯人は「山科の人間」だということをニュースで聞いたとき、「わざわざ山越えて人殺しに来るなよ!」と、2chのコメントのようなゲスな発想をしてしまったのだが、わたしの他にも全く同じことをとっさに思ったという人が近所に数人いて驚いた。京都の、ごく狭い範囲ごとにある「ムラ意識」というのは厳然として存在するものだが、「アウェー京都人」であるはずのわたしが彼らと同じ感覚を抱いたというのは不思議なことである。
…と、それはさておき、祇園・亀岡等、人々の記憶に残る大事故ばかりでなく、京都というところは実に交通事故が多い町であると思う。道路事情そのものの物理的な問題もさることながら、そうであるにもかかわらずクルマの運転が荒すぎる人が多いのである。国道沿いのこのマンションでは、昼夜問わずパトカーや白バイのサイレンと制止の声を聞かない日はない。あの国道16号やイチコクでもこんなことはなかったと思うほどだ。
ともあれ、そのような状況の中、RUNをしようとしている者としては、このことを重々肝に銘じ、「起こったら起こったでしかたない」くらいの覚悟や注意力が要求されているのだろう。しかし果たして、そこまで命を張ってまでやるべきことなのか…ぶっちゃけ、今のワタクシにはそこまでの情熱や必要性がないように思えないでもない。
10/08 火 12.0   通学RUN。
やはり学問の空気にまみれるのは快感である。
「富裕層」にはなれないが、「浮遊層」にはなれた…同音異義の、複雑な実感。
大学院におけるワタクシは、「若くはないが年寄りでもない」位置づけにある。
大学院における我が専攻はその特性からして、いわゆる「じいちゃんばあちゃん」に属する世代の人々も在籍している。まさに「老いも若きも」が一堂に会する講義演習は参加するだけで大変よい刺激となるのであるが、そんな状況ゆえに若干不都合が生じているのも事実である。
教授が時折、「記憶力が衰えるとか目ぇが疲れるとかは、歳のせいやし仕方ないですゎ…」と、不出来を嘆く年配の学生をかばうのだが、その指名者の中に、このワタクシが含まれることがないのである…あのぉ〜、わたしもその症状、最近ビシバシ自覚してますぅ、なのですがぁぁぁ(-_-;)
間違っても学生現役世代とは思われていないが、さりとて教授の目にはわたしはまだまだ「いくらでも無理がきく若さがある」ように映っているのだろうか…いや、それ、とんでもない勘違いですから〜(T_T)
とはいえそれは、裏を返せば「まだできるはずだ」という教授のご期待の表れであるのかもしれない…と前向き(能天気)に捉えてやっていくしかないだろう。
10/09 水 13.7   自力整体。
そして、「図らずも」の事由により、
お祓いRUN、下鴨。
雨模様やし、今日は自力整体だけにしとくべーと思っていたのに…(-_-;)
それはそうと、自力整体をじっくりやってみると、「いかにRUNだけではアカンか」ということがわかる。RUNでは必要ない、もしくはRUNで疲労する箇所が、しっかりフォローされるのを実感するのだ。
今日はとっとと用事を済ませて、学問一筋バーションで…と、昼にマツモトに行ってしまったのがコトの始まり。
きわめて典型的な手段で、トマトと牛乳を万引きしているババァを目撃してしまったのであった…(-_-;)
このような現場に遭遇したことは過去幾度かあったが、今日の場合そのせいで、何とも言えない「悪」「邪」「汚」「卑」「哀」の空気に覆われてしまい、犯人よりむしろわたしの方が「気ィ悪い」状態に…こんなことは初めてである。これが「お祓いRUN」の所以である。
じぶんの行いが常に正しいとか、穢れていないなどとか言う気は毛頭ないが、今日のこの凍りつくような嫌悪感を覚えるにあたって、少なくとも彼女のような心境や事情の持ち主よりは「あらゆる意味で高みに存在する」現在のじぶんの位置というものを感じたものである。環境や事情がどう変わろうと、この心持ちは大切に維持したいと思った次第。
10/10 木 0.0   通勤ウォーク分を加算したいが、東京怪舎員時代の往復4`かて入れてへんかったやん!…と、じぶんを戒めノーカン(-_-;)
うちのとなりのとなりのおねぇさんが、なんとぶだはっの学生だった(゜o゜)ヒエ〜!
年齢並びに在籍年数からいえば、「頭がたか〜い!ひかえおろー!」な先輩なのだが、学科偏差値と履修状況からしたら「へへぇ〜、おそれいりやす!」となるワタクシなのであった…(-_-;)
「神より授けられし仕事」…ひとはそれを「天職」と呼ぶが、苦節47年、ワタクシにもようやくそんな仕事が巡ってきたような…そんな気がしている今日この頃のバイト。たかだか週3の勤務ではあるが、その都度「これでオシマイになっても悔いはない!」と思える充実感(疲れもMAXだが)。あれこれ細かいことを言い出せば、ここもある意味「ぶっらく企業」なのだろうが、そういうことを不満にせずウキウキ出勤。これまでのバイトのように「欠点が即、文句にならない」だけでも、ここがいかに適性のある場所であるかがわかろうというものである。今後、数か月で終わるか半年で終わるかそれとも…はわからないが、ここに縁を結んだことはわたしの人生に何らかの大きな記憶的財産をつくり始めているように思う。付言すれば、「神より授けられし…」は、別方面のある個人的事情に照らしても「的を射た表現」なのである。
星占いでも姓名判断でも「大器晩成」と言われ続けた、その「晩成」の時期に突入したということか?ウヒョヒョ。
10/11 金 0.0   名前変わりました。
「かんおう」です。
イッキさん、ご対応おおきにどす(*^。^*)
10/12 土 17.1   熊本旅行という名の、「くまモン追っかけ旅」
…しゅ〜る之助さまの誕生日プレゼントなりヨ!サイコ-!&サンクマー!(*^。^*)
人間、「本当に望むものごと」に対するとき、そこに現れる恥や怒りは押しのけられるものであるということを感じる。
もちろん限度はあるだろうが…
@くまモンスクエア訪問。京都名物「おたべちゃん(チョコ)」の手渡し成功!
A熊本城二の丸広場にて開催のイベントに参加。本質的に「キライな行動」を要求される条件付きであっても、「くまモン」に接触するためなら!
B基本、ありえないっしょ!…な、怒れるダブルブッキング&対応に遭い、通常ならイスを蹴っ飛ばして帰るような状況にあっても、「くまモン」と写真が撮れるなら…の一点のために、とりあえず穏やかめにやりすごす。
なお、熊本城は、18年前の出張(海外法人社員の引率)時、駆け足で上から下へ往復しただけで終わってしまった…という「名残惜しい名所」として深く残っていた場所であったが、改めてゆっくり見学時間を獲得してみると、「見たかったのに…と思っていたのはこんな程度のものだったか?」という感触だった。「中途半端に終わった物事への思いは、勝手に増幅されている」ということを実感した。ただし、外観は眺め飽きないほどの圧巻であったことは、変化はなかった。
熊本ラーメンは、「こむらさき」にて。黒亭と山水亭はお・あ・ず・け…って、既に再訪の意欲マンマン?
10/13 日 7.8   阿蘇
阿蘇五岳の風景は、「シャカ涅槃像」に例えられると大観峰の解説…いや、シャカの涅槃は「頭北面西」で、仰向けじゃないし…とひとりツッコミを入れながら見ていたが、旅館の解説では「シャカ寝姿」となっていて、まぁまぁそれならいいか…と、またもやひとり納得した次第。
くまモンが推薦する「熊本グルメ」のポイントのほとんどを消化。馬肉入りうどん、熊本みかん、あか牛バーガー、ホックホクのいきなりダンゴ、阿蘇ミルクソフト、プリンソフト、そしてホテルの豪華ディナー!…どうしたことここのところ衰えていた食欲がモリモリ回復!
おそらくこれは、高森や白川で飲んだ「水」が起爆剤になったと思われ。
「決して飲めない水道水」の日々に疲れ切ったカラダを一気に潤すかのような「うまい水」が、実はなによりの「ごちそう」であったかもしれない。
10/14 月 10.0   阿蘇&熊本タウン再び
壮大な自然の風景は美しい。登山の経験もあるわたしはその感慨をフツウより多く受ける機会に恵まれてきたと思うのだが、今回の阿蘇の風景は「とびぬけた存在」である。
特に、「箱根大涌谷はスゲーッ」以上のものを中岳で見てしまったことは、衝撃的であった。
阿蘇をじゅうぶん堪能…いいつつ、既にこの地域も「今度はRUNで…」等々、新たなたくらみがワクワク。
熊本市街に戻って、熊本大学を見学。実はここ、ある理由があって、高校時代に受験した模試では、非現実的とは知りつつ、常に「第一希望」に置いていた大学だったのである。判定は「A」の連続であり、諸事情が許せばわたしは間違いなく「熊大卒」であった…可能性が大であったといういわくつきの場所なのであった。18年前の熊本出張時に思い出して以来ずっと忘却されていたことが、ここにきて蘇り、「熊大に行きたい」という願いが、今回コトバ上は矛盾なく叶ったという次第。
そんなことをきっかけに、これまでの様々なことを思い起こしたのだが、わたしの人生は、「完全に達成したわけではないが、叶わなかったとはいえない」ことや、「つらいことや悪いことがあっても、そこにどっぷりと堕ち切っているわけではない」こと…そんな、ある意味「あいまいなあれこれ」の連続で成り立っているようである。
う〜ん、このことは、なかなか面白い考察ネタである。…と同時に、こういう「可もなく不可もない時間」を積み重ねてきたからこその価値を、今後は大いに発揮し世に還元しながら往生に向かいたいとも思うものである。
10/15 火 2.0   …というような、「遊び&食べまくった3日間」を過ごしてました、とは決して言えない状況下での授業参加。
案の定、コッテリシボラレマシタ(-_-;)…ウヌヌ、ライシュウ、バイガエシダ!
…しっかし、あれだけ食べまくって…なのに、本日の体重計は、この数年の最低値を記録!(゜o゜)
入れた分、温泉やキレイな空気や水で毒出しできた結果でせう〜(*^。^*)
アミダちゃんは、「このままでよい」を許してくださる存在である一方、「このままではいけない」とアホのくせに無謀な努力をせっせとする愚かさもお許しくださる存在でもある。それはまさに、「♪踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら…♪」と同義であって、そのいずれの生き様を歩もうとも、どっちもノープロブレム、OK、OK!で、アミダちゃんはお見放しにはならないのである。
よって、しばし前者の方向性に身をゆだねてきたワタクシも、矛盾や迷いなく後者のありように方向転換を図ることにした。パーリやるぜ!論文やるぜ!負けてられっか!…妙なライバルが出現したこともあって、尺度も取りやすい。ショウブスタートである(ーー゛)
10/16 水 17.0   やっちゃん(当然のことながらヤクザのことではない)と、夜間徘徊。
おいっ、清水寺!10月いっぱい夜間は「ピンク」じゃなかったのか!
なんか、中途半端にうすーいピンクでガックシ(ーー゛)
今日の昼間、まつもと前の事故現場に遭遇。轢いたのは市場の業者トラックで、轢かれたのはおばちゃん。曲がり角での接触だったようだが、だからこそ、どこをどうするとあそこまで跳ね飛ばされるのかわからないようなひどい状況だった。おそらくは、トラックに相当な過失があるのだろう。それは、つい先日も記した「京都の荒すぎる交通事情」のイメージが引き起こすものなのであるが…おばちゃんは頭部から出血、意識はなく、激しいイビキの都度、口から血を噴き出していた。ようやくやってきた救急車のストレッチに乗せられる際には、頭部の皮膚が破れてダラリ状態になっているのも見えた…。
単なるヤジウマと言われればそれまでだが、わたしは、こういう光景はできる限り目に入れておきたいと思っている人間である。もとより「京都府立医大」が第三志望であった…という方向での「人体・肉体というもの」への関心もあるが、仏教学的にみても「肉体と心・魂」というものが厳然と二分している事実を知らされる思いがするからである。なんにせよ、今は幸いにも「他人事」であるこの光景は、いずれ迎えるじぶんの姿であるかもしれない…そんなことを覚悟させられるものである。
こういうことは、加害者・被害者双方とも実に気の毒な「まさか」の組み合わせで起きている…改めて考えさせられた出来事であった。
10/17 木 0.0   昨日の事故のおばちゃんは、やはり亡くなったようだ。現場に、花やビールが供えられていた。
不謹慎を承知でいえば、あれほどひどい状況に見舞われた以上、おばちゃんは「延命」せずにそれを終えたことが、むしろよかったのだろうと思う。
とかく、ひとは「死」を忌み嫌い、たとえどんな状況であっても「生きている」ことを至上のものとするが、それは間違いであるとわたしは思う。
…と、話は変わるが。
仕事上、関わりもっているお客様(あえてそのように称しておこう)が、素晴らしい目標達成を成し遂げた、という朗報が飛び込んできた。その成功のために、些少なりとも力を貸した者として、このことはとてもうれしいことであった。
人間、失敗や挫折をしようとも、「そこから」「ここから」の気持ちで進んでいく以上、必ず道はひらける。そしてさらにその道を進めば、かつての失敗や挫折は、むしろ大きな宝となって甦り、改めて自らを支える糧となるのだ。
10/18 金 16.0   近所のノリちゃんから「再来週、イコ!ゆっくり話ができる場所探しといてな!」とな。
こちらがゆ〜からムリヤリ付き合うてくれはるの?という疑念の沸く余地もない、純粋なお誘いである。「純然たる京都人」と、本音トークが炸裂できる間柄になるということが、この土地ではどれだけ貴重な出来事であるか。いやはや、オドロキである。
社交運が開花したのか…っていうほど、まぁまぁ、あちゃこちゃからこっちからやたらと誘いの多くなった今日この頃。調子に乗る気はないが、この運勢的テンションは大切にしたいと思ふ。
けど、たろべぇ、いくらなんでも呉まで来い!はムリや。おまえが京都に来い!下鴨茶寮に招待せいっ!
さて、RUN愛好者でもないのに延々このページを愛読してくださる方々から、「共通したクエスチョン」がやってきたのでここでお答えしよう。
@親の離婚で中学卒業と同時に新潟から神奈川へ→このタイミングが悪すぎて、神奈川県立の全日制受験が間に合わず定時制へ(私立なら間に合う、の選択肢は当然ながらなかった)
A1年後、全日制を受験、アテスト評点なし(自動的にマイナス15点)の勝負ゆえ、2ランクサゲ↓の普通科へ
B「鯛のシッポよりイワシのアタマ」の論理通り、学年成績はかなりヨシ。ゆえに指定校推薦枠のあった「T大」がここで射程圏内となる(→実質的第一希望)
C1年生の現社の教科担任に傾倒(今でもカミ的存在)。この先生の出身地および出身大学が「熊大」であったことから、そこに憧れを抱くようになる(→夢の第一希望)
D中学時代に厚い親交のあった友人が「京都大・京都住み志望」であったことの影響、並びに、かねてより「ひとの精神・心理」というものに関心をもち、それを理系で攻めるなら「医学部」、国立は無謀だが府立ならなんとか…という、浅はかな根拠で「京都府立医大」が浮上(←府立でも十分無謀な、しかし番外的第一希望)
Eかねてより信仰的実体験やそこから生じる疑問の払拭のために追求したかった「仏教」、それをそのまま学名にしている「佛教大学」の、名称への驚嘆と興味(←で、希望校の仲間入り)
Fイワシであろうがなんだろうが、当時新設校として「これから」の意欲満々の教員の「無謀な進学指導」に乗せられ、「某大」挑戦を勧められた学年3名のうちの一人になる(←とりあえず、模試では判定を受け続けろ!と言われて希望の対象に)
G代ゼミ・駿台・河合塾等々、皆々様々がたからの受験料支援までいただきながら受けた模試では、「第6志望」までの合否予測判定が受けられる仕組みであったため、その現実・非現実性に関わらず、上記の大学すべてが「志望校」として記入できた。
よって、
当時のワタクシの「志望大学ランキング」は、@熊大AT大B京都府立医大C某大D佛教大E慶応大(余ったので書いてみた、程度)で定着していたという次第なのである。
どーだ!書くときによって志望校が変わっている!という指摘は、間違っていることが納得できたであろう!…といいつつ、細かく過去の記述を記憶し、この場の記事を楽しんでくださっているヒマさ…もとい、御厚意に感謝します、ペコリ。
しかし、こうして整理して振り返ってみて驚くのは、実質上「なんとなく」「おふざけ」モードで書いていたこれらの志望校、一番現実味を帯びていた「T大」以外は、「そこに行った」という言葉上の意味をすべて満足していることである。つい先日の熊大をはじめ、慶応は怪舎至近の遊び場であったし、某大も何度も歩き回った、府立医大は鴨川をRUNすればイヤでも目に入る、一番縁の薄そうだった佛大は今やなんと「わが母校」である。未踏のT大にも、ちょっとした事情から今後接触する可能性が浮上しているのである。
…運命決定論というほど大袈裟なことでもないだろうが、人間というのは、大なり小なり、今後起こりうる事実に対する予感めいたものを、事前に何気なく口にしたり想像したりする能力みたいなものがあるような気がしている。その時点では、無謀・不可能・冗談に思えることであっても…「大学ネタ」に限らず、ワタクシにはそのような出来事がとても多い。少なくとも、「いつでも、何事も、前向きに上昇志向の心持ちで生きること」が、人生そのものを左右する可能性は感じるのである。
…はい、これが本日の結論。長々失礼シマシタ。
10/19 土 17.2   たしか出町まで
最後の頼みのツナ、枡形の果物屋からも「イチジク」は消えてきた…(T_T)
その果実を口にした10分後、何とも言えない爽快感が胃の中いっぱいにひろがった…ことばでは、この程度にしか表現できないが、これが人生47年(いや、あんときゃまだ46だったか)にして初めて食べた「いちじく」の感想。
あとでネットで調べたら、イチジクは「健胃・整腸」の働きをする果実だと!…(゜o゜)
何事も、「知識として知ってから実感する」というより、「実感してから後付け的に情報を得る」ということのほうが、真の意味での「実体験」と言えるのだと思う…と常々考えているワタクシにとって、イチジクとの出会いはそのことをさらに追認させる大きな出来事であったのである。
しかしながらこのイチジク、旬は9月10月の2か月限定といういまどき珍しいレアモノであるがために、せっかくマニアとなった矢先に、店頭からすっかり姿を消し始めたのだった(-_-;)
ネットでは、様々なイチジク関連のサプリだのなんだのが販売されているが、ワタクシの欲するのはあくまで「ナマ果実」のイチジクであって、お楽しみは来年の初秋までオアズケなのである。
10/20 日 0.0   雨やししゃぁない
10/21 月 7.2   通勤RUN
かつて「通勤RUN」といえば片道20キロ。
ずいぶんラクしてますなぁ…これが、今日の「おデブ化」の最大要因であろう。
10/22 火 8.0   本当ならぶだはっ行きのはずが、急きょ勤務交代。
2足(3足?)のワラジを履きこなそうとしている者同士、その厳しさは平等ではあるが、「こどもの病気」がテーマになると、やっぱそっちの対応が優先になるわな。
仕事の代わりは誰でもどうにでもなるが、「父親」「母親」の代わりには誰もなれない…わたしは、じぶんに子どもはいないが、そのことはあらゆる人間関係の中で最も重要な組み合わせであると常々思っている。よって、その関係上において不測の事態が発生したときには当事者はそのことに集中し、他のことは代われる者が極力協力する意識を持つべきだとも思っている。ただしそれは、親たるその人が、自分の置かれた立場に謙虚である場合のみである。「子供が病気だから仕方ないっしょ!」的な開き直りや傲慢さがにじみ出るようなやつなら、そんなのは「じゃぁ、子どもOnlyの生活をしなはれ!」として突き放すであろう。彼女にはそういう気配がないから、快く交代を引き受けることもできるのである。
今回、定時出社ギリギリセーフでこの話が決定したため、猛ダッシュモードで職場に突進。憚らずに距離計上をできるペースで往路征服したので、そのノリで復路もRUNにて。
10/23 水 8.0   顔が「カールおじさん」状態。
口の周りに白いカサカサがグルリ…もはや悲嘆を通り越しギャグ状態。
気候的な乾燥に、肌が敏感に反応してしまうお年頃になってしまったらしい(-_-;)
ここ数日、きちっとRUNする気になれないのは、日焼け止めを塗りたくないからである。
…というわけで、この状態を何とか改善すべく、参考までに職場近くにある某化粧品のショップに行ってみた。「今、状態が悪くて何も塗ってヘンのですぅ…」というと、店員は驚いた表情で「えっ、ホンマですか?きちんとファンデ塗ってるように見えますけど」だと。
僭越ながら、このテの会話や反応はこれまで幾度となく体験してきたことである。要するにわたしは、ツクリはともかく肌の質だけはかなり恵まれてきた人間なのであるが、それでもここ数年は急激に劣化していることを自覚していただけに、まだそんなセリフが聞けたということに「ムフフ♪状態」になってしまった次第。店員は、わたしが申告した「カールおじさん状態」をターゲットにして、あれやこれや高額な商品やエステの話をし始めたのだが、そんなことはもうどうでもよくなってしまった。まぁ、こんな状態はほっときゃそのうちどうにかなるっしょ、てな感じで…。
基本、「なにもしない」がわたしの美容上の鉄則であり、普段は化粧水・乳液すらつけない。ごくまれに、今回のようなトラブルが発生したときにのみ「基礎化粧品が必要?」とやや深刻になる程度である。したがって、バカ高い化粧品を購入しても絶対使い切ることはない…というか、1本買うと軽く3年以上はかかるような使用頻度であるので、甘い勧誘には絶対ノラないことにしているのだ。
今回も、たまたまネット広告で目にしたマイナーメーカーの「お試し980円セット」を注文し、届いた昨晩早速チョビチョビつけたら、今朝(24日)にはほぼピカツル状態が回復していた。もはや、980円ももったいなかったか?と思っている始末である。
10/24 木 12.0   東本願寺界隈、図書館、ついでに職場にチョイ襲撃。
何かの用事で五条を下がると、ついつい立ち寄ってしまう…職住接近というのは、いいようで悪い。
…といいつつ、そのおかげで「勤務交代してくれたお礼」とかで、お昼をごちそうになってしまった。ラッキー♪(*^。^*)
3年以上放置していた「京都数珠巡礼」の珠を、ようやくブレスにした…と共に、最近ふとしたきっかけ(図書館でナニゲに手にした本)で知った「パワーストーン・誕生日別守護石」を興味本位で購入した、その珠もブレスにした。いや、決して「そういう系」に頼ったり、信じたりして…のことではない。
「わたしの左腕には絶えずブレスが…」というのは、5年ほど前に「下京ウオークラリー」ゴールのクジで数珠ブレスが当たって以来のこと。以降3回、毎年「なぜかブレスが当たってしまう現象(決して「参加賞」ではない。3等賞である)」に何やら不思議な縁を感じて、イベントが終了した年からは知恩院さんなどで自主的に購入し身に着け続けてきたものなのである。これはもはやワタクシの「必須アイテム」的存在となったわけで、かくなるうえは今までの「単なるプラスチック玉のおもちゃ」から、少しグレードアップや意味づけを持たせても面白いだろうと思ったわけである。ただそれだけ。
ところが、だ。
今日作ったそのふたつを早速付けたところ…まずは、「これが守護石ってか?」と思うような薄ら暗いグレーの玉がなんともキラキラなブルーに輝き出したのには驚いた(゜o゜)さらにさらにこの後、一緒に付けている「腕時計の針が止まる」という事件が発生!…というか、ふと目にしたら秒針が逆に進んでいるのに驚きながら寝たら、翌朝止まっていたのだ。ヒョエ〜!(゜o゜;)単なる偶然に過ぎないのだろうが、マジでビビった。
こんなことは本来、非科学的・オカルトちっくな話として処理されるべきムダ話なのであるが、あくまで個人の感覚として限って言えば、今現在の「上昇・前進モード」に突入した感のあるこのタイミングに、じぶんがやったこと、かつ起こったことが、まったく意味のないこととしてかたずけられるのも勿体ない気がしている。少なくとも、このことで心情的に「よっしゃーイイカンジ!やったるでぇ!」という気合が倍増したことは間違いないことなのである。
「あぁ、なにもかもうまくいかない…」というようなドン底感の中で、雑誌の「開運ブレス」の広告を目にし、購入して「イイコト」を期待するような方向とは全く逆の、すべては「まず現実ありき」の前提のうえに象徴的に起こっている出来事として、大切に受け止め記憶したいことであると感じる次第である。
10/25 金 0.5   森羅万象の関わりの中に存在する一個の人間である以上、たかが石ころひとつ、紙切れ一枚であっても、それが人生ないしは生死を大きく左右する可能性は否めない。
その時右足を出したために犬のフンを踏んでしまうこと、信号無視をしてむしろ事故を避けられるようなこと…「微細な何かがひとつ違う」だけで、人は不幸にも幸福にもなる。これは真実であろう。
問題なのは、そうした現象を第三者が権威化・商売化する行為、並びに、そうしたことに翻弄されることなのである。
…てなことを考えていたら、これが修論テーマの主要基軸として展開できそうな「気づき」に発展。教授の意向を多少捻じ曲げることになるやもしれぬ…ウヌヌ(-_-;)
立派なことを堂々主張できるように、今は語学を征服するために精進しよう!オーッ!o(^。^)O
時計の電池交換、雨やしヨドバシはしんどいなぁ…と思いを巡らしていたら、近くにある古くさい…イヤ、京都風には老舗?…時計屋の画像がアタマに浮かび、ラッキー!とばかりに出かけたところ、開店しているのにドアが閉まっている…しゃぁないなぁと思いつつ、となりの中信ATMに入ったら、スギモトのオバちゃんにバッタリ!…で、「電池交換なんマツモトでやったはるえ〜」との「灯台下暗し情報」をGETした。このオバちゃんと会うときはなにかしらの「タイムリーなエエコト・ええ気分」を得ることが多く、まさに「福の神」のような存在である。
…でもって、修理完了して受け取った時計の画面をふと見れば、そこには偶然にも「10:56」の知らせ!(゜o゜)ウオーッ!
観往、人生47年20日目きっかりのスタートを、電池交換して復活した時計とともに切りましたでございますっ(*^。^*)
…てなラッキーモードでもって、ついでに宝くじ売り場で「ロト7」を一枚購入してみた…このあたりが、庶民というか小市民というか、「到達してない感」バリバリなんであるが…まぁご愛嬌?(^_^;)
10/26 土 43.0   この距離を出すなら、思い切って「セイクロードコース」にすればよかったか…いや、そうやってハリキリすぎると、案外途中でポシャったりするもんだ…まぁこれでいいか(^_^.)
餃子の王将はいつも満員御礼…あまりの待ち人状態に、「本日の観走賞は王将ラーメンを…」という、20キロ越えあたりから思い描いていた計画はオジャンになった(>_<)
その看板を初めて見たのは、国道16号線沿いの相模原橋本においてであった。イヤでも目につくその大きい店名とともに目をひいたのは、「餃子180円」の文字。かれこれ25年も前の話である。
おりしも世は「バブル」ないしは「バブルはじけ直後で余韻冷めやらぬ」時代。二十歳過ぎソコソコのガキですら、やれフレンチがどうのイタメシがどうの…で、「おいしいモノ=高い」が当然と思い込まされていたその時期に、「180円の餃子」はいかにもウサンくさい、アヤシイシロモノとしか思えなかったのである。至近にありながら、そこに行ったのはたった一回、「その胡散臭さを確かめに行こう」という今にして思えば申し訳ない動機であったことを思い出す。
時は過ぎて世相はすっかり様変わりし、それなりに内容のそろったお弁当ですら198円や250円で勝負し、人々はそれをヨシとして気楽に購入する時代になった今、「200円の王将餃子」は何ら違和感のないモノとなった。今では、他のラーメン屋などでそれ以上の金額をとる店は「いい度胸してるやん!」と思う始末である。
…いったい何が変わったから、わたしにとってかつての「アヤシイ餃子」は「おいしい餃子」になったのだろう?いや、おそらく「なにかが変わった」というより、「餃子の王将」の経営スタンスが昔も今も変わらないプライドを持ち続けてくれていたことに、むしろその大きな要因はあるのだろう。
「変わることの価値」「変わらないことの価値」…その細かな折り合いの中で、人や世の中は、そこに喜怒哀楽をその時々に感じるものだということをしみじみ感じる。
また、歳を重ねていくごとに、こうした「脳内あそび」のネタが増え続けているという実感が、実に楽しくうれしい。
10/27 日 36.0   鞍馬のアミダちゃんに会いに行くつもりが、なぜか三千院…(-_-;)
花園橋をクイっと曲がってしまったことが間違いのモト…っていうか、それ以前に高野川を上っていったことが根源的な間違い(-_-;)
火曜か水曜にリベンジ。ついでにお風呂セットももってくか!(*^。^*)
全国女子駅伝開催中…現在わがぶだはっは、なぜだっ?というほど下位である。まぁまだ2区だし、前田あたりがそのうち挽回するでしょうが。…それにしても、いつのまにか京産大だの光華女子だのなんてところが出場するようになっているのには驚いた。京都のRUN熱はますますヒートアップしているようである。
ところで…しばしばわたしはRUNしながら「大学通信課程の学生駅伝」というのを妄想する。「ぶだはっのタスキ」をかけ、ぶったんや学長、教授、エビゾウくん、ついでにくまモン(?)などの声援を受け、最終区間を爆走するじぶんを想定しながら意気揚々と走るのだ(たとえば昨日もそうだった)。ただし「通信課程」というくくりになると、有力ランナーを形式上在籍させてチームを作るってなことも十分考えられる。なので、登録・出場に際しては、「在籍2年以上・単位履修表提出」を義務付け、きちんと学生していることをの証明をしなければならない。メンバーには必ず中高年世代を含めること、最終区間は夜間・山RUN込の80`以上…等々、じぶんに都合の良い条件を次々空想して、ますますハイテンションに入り込むのである☆
または、「全国宗教大学駅伝」なんてのもおもしろい。佛大・龍谷・大谷・天理・PL・ルーテル・創価等々、それぞれの宗教的威厳をかけての応援合戦も見モノだろう。ムフフ。
基本的にレース志向はまったくないが、こんな風変わりな意味付けのある大会ならぜひとも出てみたい☆いつ呼び出しがかかってもいいように、モクモク頑張っておこう!(*^。^*)ヒャハ!
10/28 月 21.0   「モノ」に関する価値観が、これまで「根源的に必要な役割を最重視」という点に置かれ続けてきたことは、我ながら誠に喜ばしいことであった。
これは、生来のビンボー育ちの影響もさることながら、20代の「登山経験」によるところ大である。
それはすべて、究極的に「いのちを守る生き方」という点において、いくばくのブレもない基軸を形成していると思われる。
アーノルドパーマーのカーディガン、元々1万円の品が6500円に…という広告を目にして、一瞬「ええなぁ」と思った。正直、「たまにはこんなブランド系も買ってみようか」とも思った。しかし、いざその商品をカートに入れて「購入決定のクリック」を押す寸前で「いや、ちょっと待てよ」と戸惑い中止すること数回、すでに4日が経過した。
そこには明らかに、「それが欲しい」という気持ちと同等ないしはそれ以上の、「なくてもイイんじゃない?」という抑制があり、実際「あってもなくてもどっちでもいい」現実があるものである。よって、本日をもってこの検討は終了。
いわゆる「ブランド料」ゆえの加算より、「いざというとき本来の役割としての真価を発揮するか否か」の効力の加算に妥協・納得する方が賢明であろう。その意味で、わたしにとって信頼性が高いのはやはり「山道具屋」「スポーツ屋」における商品のあれこれなのであって、他で購入する衣料には単価5000円(ホントは3000円)以上の出費をする冒険心が起きないのである。…そのうちマムートのセーターでも探してみるか。
10/29 火 20.0   アンバー・オパール・オーカー…これ以上、たんぱく質を合成しない、つまりは遺伝子生成の終了を宣言する「終始コドン」である。それらは順に、UAG・UGA・UAGというRNAコードで表記される。
高校時代、理数系の苦手なワタクシが、因数分解とともに唯二ハマったジャンルであり、30年近く経過した今も執拗に「記憶の表」にある理論。
今にして思えば、それが「じぶん自身の存在そのもの」を象徴しているから、これほどしつこくつきまとってきたのだろう…と納得する。むろん、この終始コドンはある個体内のたんぱく質合成における話ではあるのだが、わたしはこれに拡大的曲解を施し、「わが一族(のあるひとつの流れ)」を終了させる存在であるという視点に立って認識しているのである。
「子孫が続かない」という、ある意味悲壮感漂う現実を自らギャグ化し、そして一方、「最後の挑戦」としていかに生きられるかを試されている…前向きな希望をもたらすネタでもある。
一卵性双生児というのは、生後離れて暮らしても、その行動や思考・習性などまったく同じ行動パターンをとる傾向にある…とは、しばしば「アンビリバボー」的な情報としてまことしやかに流布される。たしかにその傾向は強いのかもしれないが、それが100%確実か?といえばそうではない。実際、同じ屋根の下で暮らしても、まったくの別人格を発現している双子もいる…ということは、「コトを面白おかしく傾向づけたい」人間心理の業によって、一般には意図的に隠蔽されているだけのことである(各種研究レポートを見れば一目瞭然)。
さて、かれこれ47年を過ぎたワタクシのこれまでを振り返るに、その行動様式、思考パターンが驚くほど父母に酷似している点があることは否定できない。最近では、鏡を見るたびにまゆ毛やまぶた、額にオヤジが現れ、疲れて愚痴っぽいときにはババ親が現れ…というストレスも加味されている。しかし、それでも「彼らそのままではない」と期待しているのは、じぶんが世間一般の「かくあるべし論」に惑わされることなく、むしろ逆らうように流れてきたことにあるだろう。「嫁に行くのがアタリマエ」の時期に一企業で働き続け、やがてRUNを趣向しはじめ、いまだ学生として勉強を続け、子供はない。それ自体、わが一族に流れる何らかの要素を継承しているゆえの現象であるのかもしれないが、どれもこれもが「フツウ・アタリマエ」の上に成立しているものではないということに、「この遺伝子系統における別の何かがみえる」可能性があるというわけである。
思えば、今は亡きターボーが、「親そのままであれば…」ということとは全く逆の清々とした生き方を全うした。酒タバコはやらず、クソが付くほど真面目に働き、ささかやかな趣味を楽しみ、そして走りぬいた。わたしが…という以前に、既に彼が「終始コドンの可能性」を教え残しているのである。このことは、なににも勝るワタクシの今後の原動力であり、そして、誇りでもある。
10/30 水 20.0   人生イロイロ
ふぐ・キャビア・フォアグラ…美辞麗句で激しく賞賛されるものほど、実はなんてことない味だったりする。
同じく…親子・家族・友達・友情・愛・絆…「かけがえがない」だの「無上の」だの言われるものほど、実は人生における大きな「負債」となっていることも多い。
まぁそれはともかく、ヨーバイのファミレスの水はヤバイ。またアタッタ。
10/31 木 20.0   清朝陶磁器展。
京都国立博物館は、基本タダ入場できる身分ゆえ、なにやらわからんちんなテーマだけど行ってみた。
とはいえ、悪いモノじゃないから、それなりに教養的な収穫はあったのである。
走行距離 440.5  km