あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
2/01 金 10.3   「厳格なRUN距離計測モード」スタート!
何年ぶりよ?…お弁当づくりも本日スタート!
要求されているのは「健康弁当」なのだが、創作意欲モリモリで「くまモン弁当」をつくってしまった(^。^)
実はワタクシ、「流行」と言われる以前から「キャラ弁」「デザイン弁」がスキなのでした〜♪ウキウキ。
本日またもや、不思議な「くまモンとの出会い」!…なんと、マツモトで「くまモンエプロン」を発見したのである!(゜o゜;)キノウマデハナカッタノニ?
1/26の記事に引き続き、これまた「ボクのキャラ弁つくってくれてありがとうだモン!」とか「お弁当作りがんばって!だモン!」とかいうようなタイミングで…3度も続くと、これはもはや「偶然」ではないような気がしてきたゾ。わたしとくまモンは、よほどウマが合う…いや、クマが合う間柄?(^。^)
実は昨日、「京都ロフト」に「くまモングッズコーナー」があるということを知ったばかり。バイト先に極近なこともあるし、覗いてみようと思いながらすっかり忘れて帰ってきてしまったのであった。しかし、「じぶんから進んで近づいてグッズをGETした」というよりも、「くまモンの方からやってきた!」という感じの今日の出来事のほうが、何倍もウレピー♪のである☆(*^。^*)
・・・・・・マジメに考えるに・・・・・
この数十年、どれほど多くの予算を使っても、学識者や文化人がゴタクを並べても、美しいスローガンでキャンペーンを張っても、成功した事例があったようには思えない「地域活性化」が、理想的なかたちで実現・展開したケースは「くまモン」が初めてのことではないかと思う。言い換えればこれは、関係者の「本気度」の違いなのだろう。何の特徴もない「ただの黒いクマ」がここまでの人気と盛り上がりを見せたのは、既成概念や見栄を排し、まさに「なりきり&捨て身の覚悟」での関係者の取り組みの成果なのだろうと思う。
聞けば、この「くまモン」を主役とするキャンペーンは、「くまもとサプライズ!」をテーマに掲げ、今まで地元の人も気づかなかったような「熊本よかとこばい!」を発見していこうという企画でもあるらしいが、サイトやヨウツベなどを見ると、それは既に「熊本観光活性化」などという小さな枠を超えて、「人々がフツウに生きていること」の素晴らしさを教えられるようなことが多々あるのである。
「まうごつすごかけ〜ん!」は、実はどこにも誰にも当てはまることなだということを訴えうる、その象徴として、「くまモン」の存在感は末永く続いてほしいものだと思う。
2/02 土 19.1   鞍馬寺。
何回か行ってるはずだが、「転法輪堂のアミダちゃん」は知らなかったゾ!…っていうか、見てたのかもしれないけど。
「目に入る」と「見る」、または「見る」と「観る」には、たいへん大きな違いがあるのだということを改めて実感。
「アミダちゃん」は、いよいよ本気でワタクシに接近しはじめたようだ…この意味は深い(-_-)
あれほど憧れていた「京の観光」をようやく実現した行商人たちが、そろそろ郷に帰ろうと話し合った。土産話もぎょうさんできたし、これでえええやろ、と。
ある女の誘いを受けて京に上り、長らく下鴨に滞在しながら京のまちを堪能した男たちは、若狭の国へと歩き始めた。
途中に、「鞍馬寺があるで、ここにもよっていこか」…というのが、今の状況である。
…人が読んでもわけのわからん話です。あくまで、ワタクシのメモ。
2/03 日 10.3   嵯峨清凉寺。
この寺は、浄土宗系の寺院であるのだが、名物は「内臓のある釈迦如来像」。しかしそれがご安置されている本堂から「な〜むあみだ〜ぶ」のお念仏が聞こえてくるところがユカイユカイ、ダイヤモンドユカイ♪(*^。^*)
本筋から言えば「こちらが本堂」であるはずの「阿弥陀堂」は、かわいそうなくらいヒッソリしたもので…と、いつも思っていたのだが、本日、このお堂のタタミがきれいに新調されていたのを見て、なんだかうれしくなったのであった。
2/04 月 0.0  
今のバイト先は、あらゆる意味で「未知の世界」、または「異次元世界」である。
そこから知ること・考えることは多々あるが、決して「そこに入り込もう」という意欲も憧れも持てないところが、「あくまで仕事」として割り切る上では重要な役割を果たしている。
「キライこそものの上手なれ」とは、一般に言われるところの「好きこそものの上手なれ」とまったく正反対の意味になるが、こと「仕事」においては、むしろ「キライ」「苦手」なことを対象とする方が、良い意味での緊張感や冷静さの持続が可能となるという点において有効なのである…ということを、ワタクシはかねてより提唱してきたものである。
このことが、改めてそのとおりであると思えるのが今のバイト先。そもそも、事業自体が「マジキライ」なジャンルであり、誰がほめたたえ推奨しようと否定的にとらえてきた世界なのである。「就労条件がピッタリなので頑張りたい」というほかに妙な情熱もわかない、この冷めた感じが、学問第一(であるはず)の生活の中の仕事という意味でも最高な環境なのだといえそうだ。
実際、その業界人口は減少の一途をたどっており、数年後・十数年後には「とてもなくヤバイ」状況になりそうな気配であるという。しかし、その「ヤバイ」が身につまされるような数年後であってはならないとも思う。…道は、いかように開かれるのか。
2/05 火 8.2   西京極界隈。
もう少し行けばよかったかな?
時間も格好も気にせず、やりたいままの気分とペースでできる「RUN」というものを趣味にしたことは、一般的な視点からみれば「間違いだらけ」だったともいえなくもないわが人生において、数少ないベストチョイスのひとつであった…と思う。
京の老舗・千總の先代(先々代?)女将には、習い始めた「茶道」の稽古場で、「あの人、いつも同じ身なり(着物)で来たはる」との陰口を耳にし、「私は着物を見せびらかしに行くのと違う、茶ァをならいに来てるんや…あほらし!」と、さっさとその稽古をやめてしまったというエピソードがあるらしい。いろいろとしがらみも多かろう土地と時代と立場を負う人でありながら、なんともイキな判断力と行動力の持ち主であったことだろうと感心する話だ。
似たような傾向は、わたし自身2年ほど前に体験レッスンで行った「乗馬クラブ」にも感じられたことであった。「乗馬」自体はれっきとしたスポーツであって、筋力トレーニングや精神のリフレッシュに相当効果があると思うのだが、ああいう組織に属すると「それだけ」では済まないややこしいことが付いて回って、結局差し引きゼロ(またはマイナス)の負担にしかならないように感じられたのである。どの道も、必要以上に「ひと」や「組織」が関わってくることによって、せっかくの「本質的な良さ」を見失わせていることが多いのは残念なことだ。わたしとしては、茶道も乗馬もある程度は入り込みたい憧れの世界でもあるからして、いざじぶんが始めようという時期に至った頃には、そのような点が改善されてくれていれば良いが…と思うのである。
その点、「RUN」や「登山」というものは、よほど極致的なレベルを求めない限り、どこまでも「単独」での実践が可能であり、まさにストレスフリーの開放感あふれるスポーツであるといえるだろう。これはある意味、「自己修養のチャンス」であるともいえるのである。そこには「絆」だの「人の輪」だのというステキなものは発生しないが、そんなものは本来、日常の会社生活や家庭生活あるいは、あくまで対個人的な関わりの中に見出すべきものであると考えるので、偏りや不足を感じることはない。
むしろ、まったく孤独に放り出されたような環境の中で、モクモクと「走り/歩き」ながら「考える/感じる」ことの大きさと価値に、わたしは重きを置く。実際、この10数年のわたしは、そうした中からよりよく形成された部分が大きいと感じる面が多々あるからだ。
2/06 水 0.0  
基本的に特定の宗教信仰を持たない人に、「わたしは仏教を研究している」と言うと、「いったい仏様は何を言ってるんですか?」という質問を受けることが結構ある。彼らは何気なく尋ねているのだが、これはまさに「究極の問い」なのである。
このような場合、わたしも敬意を込めて「究極の回答」を返す。
「ホトケサマは、実はな〜んにも言ってないんです。」
「ブッダ=目覚めた人」とは、元々オシャカサマに固有の代名詞ではない。しかるべき修業を積み、「そこ」に到達した人がすべて「ブッダ」の呼称で呼ばれていたことは、文献上からも明らかなことなのである。そもそも「そこ」とは、万民の正確な理解に資するための言語表現が不可能な境地なのであって、ゆえに数多くのブッダたちは「わかったがゆえに語らず」、自受用法楽のまま死んでいったのである。
最初は、オシャカサマもそれでいいと思っていた。ここまでは彼も他の「ブッダ」と同じだったのである。では、なぜ現在オシャカサマだけが「悟りのスター」になっているのかといえば、それは、本当はコトバにできないことを「なんとかして伝えよう」とムリヤリな挑戦を決意し働きかけたからに他ならないのである。元々コトバにできないものを説明する作業というのは、あくまでそれを感じ取るための「方法」「事例」を用いた一元論に過ぎない。(不謹慎ながら)全盲の人に「赤」や「青」を説明することに等しいのである。すなわち、現在数多くの宗教宗派が「いかにも」なありようで説いている教えは、「ホトケの教え」「究極の真理」そのものではありえない。むしろ、コトバを追い、形式を強要することで、人々を「そこ」から遠ざけている側面もあるほどだ。
2/07 木 12.4   学問さえなければ距離は伸びる。RUNさえなければ勉強時間が伸びる。
ワタクシにとって、どちらも正しいことであり、択一ができない…しかし贅沢な悩みである(-_-;)
今さらこんな問題が問題になるということは、かの学部生時代には、いかに学問への取り組みかたがいい加減であったかということを示すものである。
若い時代にはそれでもよかった。しかし、四捨五入すれば50代、余命20年を予感するワタクシには、もはや旧態依然は許されないのである。
恒例「ノリコ・あるく対談」。ごく近所のマンションで飛び降り自殺があった等、新情報入手。
他、話題はかなりディープなテーマに至る。互いに、抱える事情は異なれど、「同世代の女性」としての本音トーク炸裂。人生においては、いくつかの「ターニングポイント」を迎えるタイミングというものがあるが、年齢・健康状態等を基軸にした行動力を考えた場合、「大きな転換」を決意するならこの数年が「最後」なのではないか?ということで合意。
巷間…特に震災以降…、「絆」というものがいかに美しく素晴らしいものであるか、「ひとの幸福」というものを語るにあたっていかに必要不可欠なものであるかということばかりが強調されるようになった。もちろん、それはそれで正しいことには違いないが、それはあくまで一側面であることを忘れてはならないだろう。おそらく現実には、「絆」というものがあるがためにそれが苦悩の根源となっているケースの方が多いとわたしには思われるのである。「親だから」「子どもだから」「夫/妻だから」…そうした意識に縛られることが起因する不幸な事件や人生の迷妄は甚だ多く…というより、ほぼすべてが「絆の呪縛」に端を発するとも言えるのではないか。
ワタクシ自身の人生を顧みた場合にも、この「絆」というものがどれだけ「純然たる自己追求」を遅滞させ、また苦痛の根源になってきたか…と言わざるを得ない経緯をもつ。数十年にわたる煩悶の末、RUN並びに仏教学研究という二本柱の「方法論」を行使し、結果としてくある結論に至ったのがようやくここ数年のことである。それは、具体的に口にするのが憚られるほど、一般論からみれば反道徳的であり、非人間的であり、「罪人」であるという自覚で今を生きる。「わたしには、仏教が必要であり、そしてまごうことなき仏教者である」との確信をもちながら…説明は省略するが、これは決して矛盾することではない。
極言すれば、一般世間が「正しく美しく素晴らしい」と認識するところに則って生きられる、またはそれを目指せる人には「仏教」は必要ない。そうした道徳常識を外れて迷える人にこそ、「ホトケの光」は差し込まれているのである。「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」の意は、一般常識を超えた次元で認識されるべき「仏教の核心」をついた金言であり、軽々に引用・乱用されるようなものではないと強く主張したい所以でもある。
2/08 金 11.3   鴨川。
10年前、ぶだはっへの通学RUNで鴨川を北上していたあるとき、「10年後はここを毎日走ってたりして…」と直感したことがある。しかし当時の状況ではそれは「まさかね」の領域を出なかったことである。
ところが10年後の今、それは空想のまま終わることのなかった現実となっている。もっとも、「毎日」ということではないが、それはただじぶんがそのようにしているだけのことである。
「10年後の自分はわからない」…それはまったくその通りである。
16歳のときには考えもしなかった世界に身を置いていた26歳、26歳のときには想像すらしなかった変化をした36歳…しかし、「36歳のときに想像した46歳のわたし」ということについては、「当たらずも遠からず」の部分が多い。少なくとも「京都で暮らしている」という、夢とも目標ともつかない次元で描いていた光景は間違いなく実現しているのである。
この調子で、今想定している「56歳のじぶん」が迎えられれば良いが…と思ったりする。
2/09 土 18.8   またもや鴨川。
「浮生若夢」(李白)…人生は夢のように儚い(短い)という意であるが、そもそも「人生」というもの自体が「夢」そのものなのではないか…等々思う今日この頃。
今見ていること、感じていること…ひとは当然のように「生きているからこそ」のこととしているが、果たしてそれは真実なのだろうか…。
もしかすると「今のわたし」は、過去の…たとえば小4のときクルマにはねられたとか、24で脳の水がなくなったとか、40目前で食道がんか?と言われたような…時点で既に「植物人間」となっていて、実際肉体はチューブだらけの状態なのに、脳だけが勝手に京都で暮らしていたり走っていたりしているだけのことかもしれない。その真偽を誰に尋ねて確認したところで、それすら「夢」であれば意味のないことなのだ。
あるいはまた、過去に「ひどい(楽しい)思いをした」と記憶しているあれこれは、実は寝ている時に見ただけの光景を勝手に現実とつなげていだけのことなのかもしれない…横浜にいた、新潟にいた、秦野や相模原にいた、東京タワーやレインボーブリッジを両手に抱えられるような景色を眺めながら仕事をしていたことがあるかと思えば、今はそれが東寺五重塔と京都タワーに代わっている。毎月数十万単位で給与振込があっても気にもならなかった日々もあれば、時給を掛け算して記帳に行き喜んでいる今もある。なにより、あらゆる意味で「わたしをつくってきた」はずの弟が今は「いない」。一々すべてが、「その時それが現実と思っていたがゆえに」の感覚や記憶に過ぎないと言えなくもないのである。
…たまたま昨日と同じコースをRUNしたせいか、アタマの中が「to be continue」な内容になった…しかしこのことは、仏教学における「唯識」や「阿弥陀仏信仰」を考える上で、ひいてはじぶんの人生全体をとらえていく上でひじょうに価値のある「じぶんなりの感性」であると思っている。
…てなことを考察しながら帰ってきたので、うちに着くやいなや手にしたのは『般舟三昧経』の資料、そして『摂大乗論』となった。後者はともかく、前者はしばらく封印するはずのモノだったのに(浄土教研究関連は入りだすと止まらない)…。蔵語・独語・『律蔵』…MUST事項山積みの現在、これも「できていない」のはただの夢、とならないか…などと俗的な締めにて。
2/10 日 27.7   東大寺。
公朝先生の「戒壇院」は、比叡山のほうだった…ということに気付いたのは、500円払って「戒壇堂」に入った後のことだった。時すでに遅し(-_-;)
しかし、かれこれ12年ぶりにもなろうかという四天王との再会も、それはそれで一興。
奈良国立博物館の平常展は、「さすがは日本仏教の原点の地」と思わせる仏像が数多い。中でもお気に入りなのは、ほぼ2等身?という感じのボッテリしたアミダちゃんの像である。申し訳ないが、小学生(ないしはわたし)がつくるとこんな感じになるかというようなヘタクソさを感じる。しかし逆にそれが故のかわいらしさと親近感を抱かせるのである。
「○○時代に遡る」と判定されるこうした作品は、たいていが「それらしい評価」を受けて珍重されるが、中には、その時代の子どもの粘土遊びの作品とか、どっかのオッチャンが書いた落書きとか、実はなんでもないものが含まれているのかもしれない…てなことを考えると、現代のわたしたちがナニゲに書いたメモやイラスト、手作りの飾り物や日用品なども、何百年も後には「重要文化財・貴重資料」の位置づけに変貌し、なにかしらのメッセージ性をもつ可能性があることになる。そんなことも含めて、昨今なんでもPCのデータ処理でコトを済ますありようには一考を要する点があるように思えるわけである。
2/11 月 17.2   超うまくないものと超うまいものに遭遇。
「超うまいもの」は、北白川「伊佐夫」の塩らーめん。
「拳」「鶴武者」とココが、京都塩ラーメンの三大聖地である(本日現在)。
「超うまくないもの」とは、ある宗教団体活動との接触。
混沌・混乱・四方八方…まるで、「クラブ(昔でいうディスコ)」にでも紛れ込んだかというような光景。脳内は完全に「サイケディリック模様」である。
そして、「恐怖と後悔」を全身に背負ったような黒いオーラを発する教祖。
目ざめよ!これは「宗教」ではない!…と、叫びたくなるような思いがした。しかし唯一、「それがそれとして存在する意義」という最少最低限のポイントを見いだせたことは、わずかながらの救いであった。
「生きた結果としての死」
「死を前提とした生」
同じことを言っているようだが、実はその意味は大きく異なる。言うまでもなく、宗教信仰の世界が追求すべきなのは後者であり、仮にもその指導者・僧侶を標榜するならば、なおさらその姿勢やありようを示す努力が求められるところであると思う。それがたとえ「ハッタリ」「虚勢」であっても。しかし、その見栄さえ張れずにオタオタヨボヨボしている指導者・僧侶のなんと多いことか。
先日も、とある浄土系寺院の住職と親しいという人からこんな話を耳にした…住職は「なんやかや言うてもアナタ、わたしは死ぬのが恐ろしい。死にたくないんや。」と言っていたと。まるで、「だって、人間だもの」という相田みつを風の言い訳が聞こえてきそうな…これはその住職の本音なのであろうが、仮にも浄土系寺院の人間がそれを言っちゃぁオイシマイよ。ということになぜ思いを致せぬのか、わたしには不思議でならない。また、なぜそれほどまでに「死を怖がり、現世にこだわるのか」という点について、あさましい理由が想像されるだけにひじょうに嘆かわしいところでもあるのである。
2/12 火 0.0   化粧水・乳液・美容液・下地・コンシーラ・ファンデーションの機能がこれひとつで!というBBクリームなるもの、巷の評判もすこぶる良く、一度試してみたいと思っていたが、当初は「某国産」だったので敬遠していた。
(単に外国産はイヤということです、念のため)
が、それもつかの間、国内メーカーでも同じものがバンバン発売されるようになり、ついに、ワタクシ愛用のメーカーでも登場したので、早速試供品を取り寄せてみたのであった。(*^。^*)ワクワク…。
がっ、本日バイトに出るのに使ってみようかと、いつもながら出発スレスレにそれをヌリヌリしてみたところ…
ウギャァァァア〜ッヽ(゜o゜;)/アタフタアタフタ…
濃すぎ!濃すぎる!…まるで、これから宝塚はてまた歌舞伎の舞台にでも出るのか!っていうような、顔面真っ白状態。それでなくても「真っ平モード」の顔面が、さらに二次元化に近づいてしまったノダ★慌てて石けんで落とそうとしてもハジかれた挙句、クレンジングで適当に消して、いつも通りのヌリヌリをやり直し…で、あわや遅刻?の事態となってしまったのであった(間に合ったけど)。結論、どうやらワタクシにはBBクリームは扱えないようである。
…「化粧」というからには、そりゃぁ細かいシミやソバカス様のものはきれいに消えてくれた方が良い。それがこのBBクリームに含まれた「コンシーラ」の役割なのだろうが、何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのであって、ことに「そういうものがあってアタリマエ」の年齢に至った人間の顔にとっては、「少しくらいは見えた方がご愛嬌」というくらいに考えた方が自然なのだろうということを学んだ次第。
2/13 水 10.2   一般に、「輪廻」は仏教のオハコ思想であるように解されている。むろん、これをその通りとして仕事をするボンサンや、学者もいるが、原初的にブッダは「輪廻」を否定している。
ブッダ以前のインドにおける思想体系の主たる概念であったから、無視できず意識上にあって語られることはあっても、それ自体を「あるもの」として説いたかといえばそれは違うだろう、というのがワタクシの立場である。院入試のときそのように回答して合格したところをみると、決定的に誤った見解でないとだけは言えそうだ。
良くても悪くても、もう二度と「人間」に生まれなくてよい、というのがワタクシの現在の心境である。つまり、心情的な面においても「輪廻」には否定派である。そんな深層心理が働く故か、二条城だの御所だのをグルグル回り続けるRUNには、まったく面白味を感じないし、実際、自発的にやったことはほとんどない。
…「今日のRUNコースは、二条城前を通過して北上し、千本を戻ってきた」ということを書きたいがための、延々とした「前フリ」を記しました(^_^;)
ちなみに、わがぶだはっの公共PCコーナーの愛称は「サンサーラ」…「輪廻」の梵語である。
なるほど、今やPCに向かえば、どんな情報でもたやすく手に入り、あるいはまた、絶え間なく見せられる各種商品のCMなどで、「もっともっと」と必要以上の欲望も駆り立てられる時代。換言すれば、「勝ちながら生きる」「優越感に浸って生きる」ためのツールが群れなして設置されている場所と言うことができるだろう。
人間、欲望があるからこそ「生きる」ことができるのであるが、その必要以上の肥大化は「生きる」ことに不自然な執着をもつことになる。そのよるべきところとして、「前世」や「来世」が実在するかのように想起され、「輪廻肯定」につながっているのだとすれば、「PC=サンサーラ」はひじょうに深く、ある意味で「皮肉」ともいえるナイスなマッチング&ネーミングだということになるだろう。いやぁ、さすがぶだはっ!(*^。^*)
…って、ホントの事情はどうなんだろう?
2/14 木 13.4   七条界隈で収めておこうかと思ったが、かの国の「ピーナンタラ」を思わせるような排ガスの白い空気が気になり桂川コースに脱出、淀まで。
途中、ビッグカメラでヨドバシカードを出して店員にガン見され、京阪ではSUICAを出してはじかれ…の大ボケをカマした(-_-;)イヤハヤ。
「格言」や諸々の「理屈」「定義」等、それそのものは知識としての吸収と記憶によっていくらでも使用可能なのものなのであって、そのままを語れるからと言ってどうという能力や人格を図り得るものではない。おそらく、故・児玉清氏が指摘したのもこのようなポイントにあるのだろう。
「アタマのいい人」「魅力ある人」または「人格者」と真に呼ばれるべきなのは、そうした「コトバ」たちを完全に我がモノとし、適宜意訳的に解説できたり、例示をしながら説明できたり、そしてまた、そういう「コトバの呪縛」を離れて、自由な言動所作のとれるひとのことをいうのだろうと思う。
要は、自ら「それ」を用いてあれこれする「演繹性」ではなく、他者とのごくフツウなやりとりにあって自然に「それ」を彷彿とさせる「帰納性」があるかどうかが重要なのである。
昨日、ある専門知識について解説を乞うべくメールをした旧BOSSから、早速の返信が届いていた。その内容たるや、自分やワタクシの実態をアゲサゲしながらの例示を引き、大いに笑いを誘いながら正確な理解に資する「カンペキな回答」であった(*^。^*)カンシャ!
戦中戦後の混乱に巻き込まれた世代の中にあっても、比較的(いや、かなり?)「ボンボンタイプ」な経緯をもち、「一流系の大学」を出て「一流系の企業」の役員として生きたその人に、いつなんどきいかようにしてそのような「魅力」が培われたのか興味深いところながら謎は解けないままであるが、ひそかに「あんな老人になれたらいいな」と目指すところ・学ぶところの多い人格者である。
一般的な「役員と秘書」というイメージとは程遠く、本音炸裂・暴言頻発・感情暴発も甚だしいシッチャカメッチャカな付き合い方をしていた職場時代を越えてなお、「ダチ」のようなやりとりができるというのは、もとより旧BOSSの心の広さによるところ大なのであると思われる。その意味で、わたしは当時すでに「わたしのアミダちゃん」に出会っていたのかもしれない…ただ気が付かなかっただけで。
…って、こりゃまるで「弔辞の原稿」だわな…まぁ実際、「余命いくばくもない」ことは確かだから、準備しておくにこしたことはなかろう(*^。^*)ナンチャッテ。
そういや今日はバレンタインデー…これは、京都の妖しい熟女から届いたチョコレート代わりの「あま〜いメッセージ☆」としてお受け取りくだされ。ゴマダンゴヨリ、ウマイゾ。
2/15 金 0.0   雨。
栄中時代から数えてなんと33年ぶりに「レインウェアで完全防備」の自転車移動。
やっぱしなんだかんだ言っても、通勤には自転車が一番だと翻意し、ついに「雨でも自転車」が復活してしまった。
堀川通&御池通を使えば、まぁまぁ安全だということで…(^_^;)
この「雨にもマケズ」の意欲は、最近の体調変化の影響のひとつであるかもしれない。
前代未聞、恐怖のMAX体重から、いつの間にか5キロ減!(゜o゜)ウヒョ〜!…って、それだけ減ってなおまだ「マンマルシルエット」の現在、いったい何キロまで増えていたのか?なんてことは、いくらアケスケぶっちゃけなワタクシであっても公言するのは憚られるので省略…(-_-;)まぁ、「贅肉=毒」と考えているワタクシにとっては、物理的にだけでなく気分的にも「軽く」なったことはうれしいことである。
しゅ〜る之助に付き合って、「朝抜き&手作り弁当&玄米夕食」のスタイルになってからわずか2週間チョイ。偶然か必然か、しゅ〜る之助は「血圧が下がった!」「体重が史上最低!」とか、挙句の果てには「この調子で髪の毛も生えないかな?」などと誇大な夢を抱くに至っているが、ワタクシの場合、体重が減ったことと朝のオトイレ事情がよくなった程度の月並みな効果しか現れていない。ただ、それとは別に実感するのは「新陳代謝の回復」。この季節に半袖Tシャツで寝ても大丈夫、日中も、セーターorシャツ1枚で十分!という、「ホッカホッカ体質」が戻ってきたということである。これが玄米のせいであるのかどうかは定かではないが…。
思い起こせば、体調もアタマの働きも絶好調だった旧あるくだっしゅ時代には、「朝抜き&手作り弁当&ビールと具だくさん味噌汁」の食生活を送っていたのであった。今の状態はまさに、あの当時と同じなのである。まったくもって「低燃費体質」であることを改めて感じるし、逆に言えばこの数年、どれだけムダな燃料を補給してきたのかということを反省させられる。もしかしたらこれは、ワタクシだけでなく、現代の日本人のほとんどに当てはまる反省なのではないだろうか。
2/16 土 27.0   琵琶湖岸。
最初にここをRUNしたのは、もう8年ほど前になるか…毎度のことながら、この景色にまみえると「神の国近江」というキャッチコピーをつけたくなる場面にでくわす。
「神」といってもそれは、「ナンチャラノミコト」とか「ホニャララノオオカミ」のような固定的な存在を指しているのではない。
その意味では、「ホトケ」と呼ばれる存在をも包括した、とてつもなく大きなモノに出会ったような気持ちになるのである。この湖岸との景色との衝撃的な出会いが、かつて「京都で暮らしたい(湖岸をRUNエリアにしたい)」という原動力のひとつになったことは間違いないものとして記憶に残るところである。
いわゆる「パワースポット」なるネーミングをもって話題になるポイントが続出している現在、その多くは「神社」を中心に据えて語られることが多いが、実際にはそんな建物自体に何らかのチカラが備わっているというわけではないとわたしは思う。
おそらくそれは、その地域全体の地形や気候の条件…標高や風向・気温・湿度・地下水・土壌の組成等々、また、樹木や岩石の配置などの自然条件が重なって醸し出される特質的な「気」があって、そしておそらく、現代人よりははるかに動物的で野性的な感覚の鋭かった人々が敏感にそれを察知した結果、そこが「聖域」のように扱われたのが本来的な根拠なのではないか、そしてそれを「神仏の住まい」として象徴的に表現した結果が「神社・仏閣」となっているに過ぎないのではないかとわたしは常々感じている。つまりそれは、「神(仏)が住んでいるようだ!」とか「神(仏)が住むにふさわしい!」というような比喩的な表現が形になったというだけのことであって、神や仏が実際にそこにいるなんてのは後付けの商売ネタであると考える方が正解だということになるだろう。
この「琵琶湖岸」のいくつかのポイントをはじめ、某県某所の名所(3か所)などに「それ」を感じたときから、わたしは上記のような主張を持つようになった。そしてその法則をもって、同じような空間に時折遭遇する。
…アップルだのJavaだのipadだのという近代感覚には程遠い分、まだ「自然児の感性」が残ってくれているがゆえの現象だとすれば、それはそれで十分ありがたいことである。
2/17 日 0.0   「安くて、気楽で、ただ目的が達成されればいい」の骨頂。
「豊かになった」と言われながらその実、日本人ないし日本人の商感覚は、どんどん貧しくなっているような情けなさ。
これ以上は書くまい。そして、今後は決して近づくまい。
2/18 月 0.0   雨。
最近、映りの鮮明になったTVが普及して、細かい肌のキメまで露わになるようになったことが、女優さんたちを悩ませているらしい。
…そんなことは、違う世界のハナシとして意に介さず、であったが、まさかワタクシに同じ運命がやってこようとは…(-_-;)アセアセ。
しゅ〜る之助がデジカメを買った。
早速撮影された「お弁当写真」を見ると、携帯カメラでは出てこなかった「ウインナーの照り」や「たまご焼きのコゲ加減」がメッチャ鮮明で衝撃が走った!(゜o゜;)ウヒャー!
最近は、わたしの表情や姿が被写体になることが多いことも合わせ、にわかにミョ〜な緊張感と意欲がモリモリ出てくるのである。現在、休日のRUNなどは日焼け止めオンリーで活動しているが、今後、「休日RUNこそバッチリフルメイク」が必要?使用を断念した「すべてを白く覆い隠すBBクリーム」はやっぱ必需品?…なんちゃって(*^。^*)
2/19 火 10.2   人類の起源は、「ミトコンドリア・イヴ」と名付けられたアフリカの一女性にあるという。とんでもなく遠い時代の、とんでもなく遠い国の人の遺伝子が、現在を生きる人々すべてに共通しているというのは面白い話だが、そこまで遡られてしまうといまいちピンとこない。
ただ、現在この世に生きている、「形式上にも事情的にもまったく縁のない人」の中に、「もしかしたらどこかでつながっていた?」と妙な直感が働くことがある。つまりその人とは、「ミトコンドリア・イヴ」を持ち出すよりははるかに近く濃い関係性を持っているということだ。
もちろん、かくたる証明が不可能な感覚的な次元の話だが、あくまで「ひそかに楽しむ」レベルにおいての興味は尽きず、また、なにやら不思議な励ましを得るような気分になってうれしいものだ。
むろんそれは、「有名人になるといきなり親類や友人が増える」というような類のものとは異なるし、じぶんの好きな偉人・芸能人などを恣意的に当てはめようとするものでもない。
実際わたしの場合、「それを感じる」人物とは、残念ながら小田和正でも紀子さんでもオシャカサマでもなく、「いかりや長介」「沢田雅美」「麻生太郎」という、ナンジャラホイ?な組み合わせである。太郎閣下はともかくとして、他2名はそれを語れば「…(゜o゜)…」という反応を受けそうな気がするところが、逆に信憑性を高めているようにも思うのである。まずは「なんだか血が騒ぐ」ような親近感を覚えたことにはじまるこの3人、「なぜ?」を突き詰めていくと、「親戚です」と言ってもまぁ納得されるかも?というほど、血縁者に「外見的orオーラ的類似人」が存在する事実に繋がる。特に太郎閣下については、かれこれ31年一切接触がない「オヤジ」そのものであり、TV報道で目にすると、ある種の複雑さを持ち合わせながらも懐かしい(ちなみに生まれもキッチリ1か月違い)。また、一般人同士でも「私の知ってる人とそっくり」という指摘を受けるというようなとき、その人と自分はかなり遺伝子的に近しい間柄となるのだろうとも思う。
…巷間、「ご縁がある間柄」「気になる人」を語るとき、「前世で夫婦だった」とか「前世で飼い犬だった」とか、エバラ風オトギ話を持ち出すことが多いが、同じ「根拠がない仮説」ならば、それを「遺伝子」に置き換えて考える方がまだ科学的でマシなのではないかと思う。「類似した遺伝子が呼び合う」とか、「自分にはない遺伝子を補完するためにその人を求める」とか。この手法を用いれば、何をどうしてもこの世から消えることのない「人間関係における競争や軋轢」なども、説明理解しやすくなるのではないだろうか。さらにこのことは、仏教思想的上におけるいたずらな神話性を排除した、科学的な再構築にも資する重要なポイントになるように思うところである。
…諸般の事情さえ整っていれば、「遺伝子研究」に進んでいたかもしれないと思うほど、学生時代にハマりまくったこの分野。それをもって現実社会に役立つ働きを担う人間にはなれなかったが、思わぬヒラメキと考察によって、わずかながら「じぶんに役立つ努力の結果」となって生かされていることはありがたいことである。
2/20 水 10.3   NBのシューズのモデルチェンジは、携帯並みにクルクルと。
年1回はちょっと早すぎな気がする…。っていうか、せめて3年分くらいはそのまま定番的に扱ってほしいのですわ。
今使用しているW1040は、少しばかりFIT感が足りず(特に足首部分)…。
「W965」の「なんじゃこりゃ〜!」という衝撃的な履き心地の良さを体験して以来、ずっとこのシリーズを愛用しているが、以降何となく1年おきに「いいカンジ/ちょっとなぁ…」を繰り返しているような気がしている。NBがどこをどういう風にチェンジしているのかまで精査しているわけではないので、きちんとしたことはわからないが、今年(もう昨年か?)のはハズレっぽい。
あくまで個人的な感想。
2/21 木 9.4   (左記距離とは別に)
税務署その他2件の役所関係。
最近は、「態度の悪い役人」に会うのもまれなことになった。良い傾向だ。
「正しい日本国民であること」を日々心がける以上、万が一にも脱税のような事態になってはアカン!と確定申告へ行ったのだが、逆に、そのまま徴収しておいてもらってかまわない程度の税金が還付されることになってしまった。ありがたいというか申し訳ないというか(-_-;)
思わず、税務署の人に「そんなつもりで来たんじゃなかったんですが…スミマセン」と言ったら、「いえいえ、ありがたいことです」と逆にアタマを下げられた。恐縮の至りです(>_<)
「うぎゃー!」と叫びたくなるほど、税や社会保険料を天引きされていた時代、その日々は「仕事!仕事!」で、地元図書館に行ける時間もナシ、少々具合が悪くても病院に行く時間ナシ、それどころか住民票のある場所にまるまる1か月帰れないようなこともあった。読みたい本は購入、ケガや不調も市販薬…要するに、「支払った税金で賄われているはずの公的サービス」なぞ、ほとんど受ける機会がなかったということだ。
実は、税金の額が極小すなわち「仕事をしていない=お金がない=でも時間はある」という状況にある人ほど、「借りれるものは図書館で」とか「市の開催する教養セミナーへ」とか「仕事を探しに職安へ」とか「些細なことでもすぐ病院へ(タダの場合すらある)」という風に、「税によって成立している各種サービス」の需要度・利用度が高くなるのである。そうした人々がどうこうということではなく(ケースバイケースだし論点も多種多様なので)、単純にその事実から言えるのは、「資本主義・日本」といいながらこの国には、「慈悲と共生」という意味においてもしっかり成熟した一面を持っているではないか、ということである。我も我もというように「貧困だ」「格差だ」とギャーギャー騒ぎ立てる前に、この国にはそうした「やさしさ」が細やかに展開しているのだということを見直すことは重要だろう。「与えられているやさしさ」に感謝し、報いるための努力や知恵を個々が働かすことができるようになれば、「バブルの記憶」や「景気政策」ばかりに頼らずとも、「豊かな日本」はその真の意味からをもって再構築されるだろうと思うのである。
ワタクシは現在、「学生」ならびに「主婦もどき」ゆえに「バイトおばさん」という身分にて、納税についてかなりラクチンなことをさせてもらっている。かの怪舎員時代の実績を思うと、まぁこんな時期があってもイイかな?という感じで甘んじているが、それはあくまで「今は暫定期間」と思っているからのことである。幼少時よりこのかた、「日本国民であったからこそ生きてこられた」という人生を歩んできたといえるワタクシにとって、あとヒトフンバリの「報恩」の働きを…という思いは、「納税の義務を果たす」という以前に、じぶんの人生に対する責任であり、また、希望であり目標なのだ。
2/22 金 0.0   三条大橋の上で、中国人観光客と中国語でケンカした。最近覚え始めたばかりのわずかなセンテンスしかないのに、我ながら(いつもながら?)度胸のあるこった…と感心しながら。
…と思ったら、目が覚めた。夢だった。
しかし翌朝、「昨日の夜、中国語勉強してた?」としゅ〜る之助に聞かれてビックリ。夢とは言え、中国語はマジで発声してたらしい…(゜o゜;)
外国語をマスターしようとしているとき、無意識に「○○語で独り言をいってる」とか、「○○語で考えていた」なんて現象が起こると、ある意味「第一関門クリア」ということだ、と聞いたことがある。寝言もその1つに加えることが許されるならうれしいが…
よりにもよって、英・独・蔵・梵より後にはじめたはずの中国語が一番先に効果アリとは…やっぱ同じ東洋人だからかなぁ…イヤ、サテハ?(-_-)
話は変わるが一昨日、近くのスタンドに灯油を買いに行った。18g満タンの灯油をぶら下げて五条通をエッサホイサと歩く姿は、道行く人々にたくましく見えたか哀れに見えたか…実際、すれ違ったオッちゃんに「スゲッ、頑張ったはるなぁ!」と応援とも哀れみともつかない声をかけられたりしたが、そんなことはど〜でもよい。それと念のため書いておくが、これはしゅ〜る之助にいたぶられているがゆえの成り行きでもない。実はワタクシ、「歩いて灯油運び」というこの仕事、中学生のときからの得意ワザなんであるv(^o^)v
当時…雪国地域で灯油など「配達車から大量購入」がアッタリマエの中、ポリタンひとつの都度買いを「あえてからだひとつで」やり遂げることは、ワタクシにとって「ビンボーを意地で乗り切っているぜ!」という実感と気概を得るに象徴的な、また尺度的な行為であった。あるいは、その姿を見せることで「娘は負けていない」という喜びと安心を母親に感じさせるためのガンバリであったと言える面もある。ややほろ苦い背景を発端にしたことではあるが、ときを経た今、それは「ただ元気で頑張っていた少女時代」の記憶の再現を楽しめる絶好の機会として変貌しているのである。…てなわけで、年に数回あるかどうかのチャンスをしゅ〜る之助に奪われまじ!と、サッサとフライングして単独購入に出かけたという次第。
「ゆがんでいる」「変人」と言われてまえばそれまでだが、どうやらわたしには「きつそう」「大変だ」あるいは「イヤだ」「キライだ」「不本意だが」と思うようなことに取り組むときほど、必要以上に気合いとテンションが上がり、むしろ猛然と挑戦する性質があるようだ。そして、想像以上の結果や付加価値(ある種の快感への変化など)をそこに見いだしてきたようにも感じる。RUNについてもそれが当てはまる(当初のわたしにはギャップのありすぎる富士登山競走を目標にした)からこうして続いてきているように思うし、また、他言語より中国語が急に身につきだしたのも、これが影響してのことのように思えるのである…ッテ、ナンデ?(^_^;)
…ともあれ、30数年前のわたしへ…
なじらっ!まだまだ、おったぁ頑張れてるてっ!
ただ、2日後に腕と肩がパツンパツンになっているってのは、ちょっとカラダが負けはじめてるサインかも(>_<)ウヌヌヌ〜ッ、マケテタマルカ!マダマダ、キタエルゾ!
2/23 土 10.0   移動距離はかなり長かったが
まともにRUNしたという自覚が持てるのはせいぜいこの程度
数多く伝えられる妙好人の中、唯一大和(奈良)に名を残す清九郎さんであるが、その経緯は「純粋・素直で心優しい貧乏人」であるからこその挫折や悪さを覚え、しかし阿弥陀仏への信仰によって立ち直った…というものであり、「阿弥陀仏」を何かに置き換えれば、現代の「不良少年更生の物語」ということもできる単純明快なところがある。ゆえに、ワタクシにとってはイマイチ強烈なインパクトに欠ける存在なのであるが、その信仰心の表れとして語られる「薪を担いで御本山まで90`の道のりを何度も歩いてやってきた」というエピソードには、ググッと惹かれるのである。
彼の担いだ薪の重さは、「救われない凡夫としての己の罪」を思い知る重さでもあっただろうし、しかし同時に、御本山へ向かっている信仰の喜びに消し去られていたものでもあるかもしれない。日記も伝聞も残っていない今となってはその真相を知る由もなく、また、彼の姿をそっくりそのまま真似るなんていうこともできないが、せめて事実に近い状態でその道のりをなぞり切ってみたいと思う…いずれ。
2/24 日 0.0   若い子には「斬新」「ある種のカッコよさ」になるファッションや行為も、オジさんオバさんがやればただ「だらしない」「みっともない」だけのことになる場合が多い。
ものの言い方や振る舞いについてもしかり。若い子なら「元気やね!」ですむところも、単なる「下品」になる場合が多いのである。
ゆえに大切なことは、「じぶんは既に歳を取っているんだ」という自覚を徹底的に抱き、細心の注意をはらって行動すべきということである。
ある程度の年齢になると、「年齢のわりに云々」というオホメ評価を無差別に喜びがちだが、その内訳には、「いい歳して…」の蔑みが含まれていることも少なからず。せめて、その区別くらいはきちんとつけられるくらいの落ち着きは持ちたいと思うのである。
2/25 月 0.0   「あってほしいものがなく、なくていいものがある」
それは「身長と体重」など、わたしには若いころから痛感させられることの多いツブヤキであったのだが、歳をとると、もっと細かいあらゆる点で、そういうことを感じることが多くなるということが、ヒシヒシと迫ってくる今日この頃。
しかし、もともとネガティブ思考の傾向が強かったワタクシは、健康状態や生活環境がいくら向上しても、「それがいつまで続くわけではない」という「諸行無常の不安」というものを絶えず持ち合わせてきたおかげで、それが「メンタルトレーニング」になってきたようなところがあるように思う。今にしてみれば、これは貴重なことであった。
現在、年齢を起因とする細々とした身体的トラブルを感じても、それによって「歳を取るのはイヤだ・怖い」というような全面的な拒否感や恐怖感はほとんどなく、「変わった」すなわち「新しく加わったわたしの要素」として、ほぼWELCOME状態で受け入れることができているのである。ワタクシは、それを「老化・退化」とは呼ばない。だから、むやみにそれらを元の状態に戻そうとお金や時間をかけて努力する気もない。どうしたって、20代30代レベルに回復するはずはないのだし、その時代の状態を維持したまま一生を終るなんていうのも、ちょっとつまらないような気さえするのだ。
2/26 火 0.0   いつの間にか、どこもかしこも「オールインワン」
「BBクリーム」も同じようなものだが、これはそれ以前の基礎化粧品がひとまとめになったというもの。
化粧水・乳液・美容液・下地まで…これまで、それぞれ単品でバカ高い出費をしていた人には、ほんまにお気の毒な展開ですわ。
ワタクシがそのような機能的クリームの存在を知ったのはごく最近のこと、しかもスッゲーお値段がヨロシイお品だったので、これは専売特許の特殊開発品か?などと思ったりしていたのだが、よくよく世間を眺めれば、むしろその方が主流化してるかのような勢いで、あちゃこちゃのメーカーが販売しているのであった(-_-;)
おそらく業界では、ずいぶん前から考えられ、商品化も可能なモノであったのだろうと思うが、「目的別に売りつけてナンボの世界」にあっては、これはタブー商品だったのだろう。20年以上前、「録音可能なカラCD発売」がノビノビにされていたという都市伝説と同様に。
まぁそれはさておき。過去、一度だけ「乗せられて買ってしまった」基礎化粧品シリーズを、3年以上経ってもまだ使いきれてなかったような「ズボラお手入れ」だったわたしも、最近ようやく「まぁ少しはマジで気にした方がいいかな?」という風にはなってきた…おりしもそのタイミングに、「これひとつで!」というラクチン商品が市民権を得る位置づけに至ったことはありがたいことである。さて、どこのメーカーのを買うべぇか?
2/27 水 0.0   出ました!「正統派京都人」との遭遇!
「ぶぶづけでもどうどす?」を真に受けてはいけない…という、かの有名な「おつきあいの鉄則」の典型例のようなやりとり。最初、あまりに遠慮するので「言われたとおりにします」的な反応をしたのだが…(゜o゜;)オイオイ、チョットマテヨ!
…と、少し間をおいて、「いえいえ、そんなことおっしゃらずに…」と言われたことに逆らったら、なんとそれが正解だった!(-o-;)ホーッ、キキイッパツ!
わたしが自覚する限りにおいては、これが初体験の「心ウラハラ京都人」との出会い?…確かに、これが連日めぐり来ることだとしたらチョットシンドイことかもしれない…とは思った。その点、自治会もな〜んもないマンションで京都生活をスタートし、特別な団体や会合にも縁のない日々だったことはラッキーだったのかも。
まぁ、京都人の全員が全員、そんな風ではないことはわかっているし、細かいことに要らぬ神経を使う必要などまったくナイ話なので、今日のこの出来事は、ちょっとした「楽しいサプラ〜イズ♪」というところ。
2/28 木 14.2   月締めにて「キリのいい数値合わせ」RUN。
こんなことができるのも、新携帯搭載の機能のおかげ(*^。^*)
「マジRUN」計上記録…200越えはしたが、実感としては「もう少し、必要ですな…」である。
走行距離 240.0  km