あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
1/01 日 17.5   元旦だと8時台でもガラガラでラッキー♪の烏丸通→北大路→鴨川→二条→「ニチレンジャー、やる気あんのか!」…な妙傳寺→「派手なだけで中身はカラです」の平安神宮(視線も向けずスルー)→「その節は、法然ちゃん・親鸞ちゃんがいろいろお世話になりました」な青蓮院→「おいでおいで」というから、アミダちゃんとこにも(知恩院さん)→何故か気になる「かどっこのお地蔵ちゃん」(略式敬礼)→清水寺遠隔参拝→五条坂→ローソンでクジ小吉(ポン太のクリアファイル)→うち
「京都RUN」をはじめてから、なんだかんだと丸10年。数あるコース取りの中でも、やはりこのコース(←)がBESTであると感じられてならない。
今風にいうなれば、これは、あるくだっしゅの「神コース」。もとい、わたしは「仏教の子」であるからして「仏コース」である。
何故か、ペースもテンションもアゲアゲ☆になるこのコースが、「京都市内で一番わたしと気が合う」ということは、毎々感じてきたことだった。それは、京都RUNを始めた最初の最初が、深夜バスを降りた京都駅から烏丸−北大路−佛大(帰りは鴨川)であったことに対するこだわりのように思っていたが、そうではないようだ。では、コース途上に何やら神聖な「気」を発する神仏がお住まいかといえばそんなこともない(せいぜい御所か道真の神社程度である)。
おそらくは、道の直線性による視界の安定や、程よい高低加減、堀川や千本ほどに汚れていない空気等々、事細かい諸事情の重なり合いが、良いコンディションを形成しているためと思われる。「よいRUN状態」とは、己の信念や意欲のみによるもので非ず。あらゆる事情や条件が「それ」を作っているのである。これを仏教用語では「縁起」という。「縁起」とは、本来「担ぐ」ものでも「寺社の謂れを語る」ものではない。「自己が成立していることを感じる」ために必要な真理を言うのである。
1/02 月 3.0   気分はドイツ(語学)とタクラマカン砂漠…「東洋学特殊研究T」(雨っぽいので学問DAYでぃ!)
1/03 火 10.0   くだらないことにこだわったせいでくだらないコースになった。
でも、アミダちゃんとこには行ったのでヨシとしよう。
目に見えない、またはこじつけにもなりかねないことを根拠にブラックリストを作ろうとしているようにも思われる方法論での「暴力団ナントカ法施行」の話題をよく耳にするが、そのわりに、お祭りや年末年始にアカラサマに稼いでいるテキヤは相変わらずなのはどうしたことか。彼らさえいなくなれば、「祭りのあと」の風景もあそこまで汚らしいものにはならないだろう。「昔懐かしさ」この際どうでもよい。「古い時代の悪しき慣習」がそのままに残ったような、ああいうものこそ「即処分」の対象にすべきではないのか。
1/04 水 0.0   なぜ、「最後の3問」が解けない?
名付けて、「サンスクリット・スランプ」
1/05 木 15.0   実業団駅伝・大学駅伝といろいろあるが…
「全国通信教育大学駅伝」てなものができれば、あるくも「佛大代表」になれるかもかも?
…と、思ったが、それこそ年齢国籍全く関係ない門戸の広さがウリの通信教育では、もっと確率が低くなるわな。有森やらシモンやら、とんでもないのが「学生」として在籍しちゃうだろうから(>_<)
1/06 金 0.0   「非常識・無神経人間に関するトークショー」で盛り上がった昨夜の新年会の二次会は有意義であった。
わたくしの考えは異常ではない、と、激しく同調してくれる人々もこの世には多々あることに安心した。
改善のチャンスがまったくない問題もあるが(この際わたくしの考慮からは排除し、別の場所で学んでいただくしかない)、できることはやっていきたい。とりあえず、「マンション住まいならあって当然の気遣い」ができない階上の人間に注意を促しに出動した。足音、家具の引きずり、ゲーム(たぶんウィーとかいうやつ)の動きによる振動…じゅうたんを敷いているとか、そういう配慮も感じられない「リアル騒音」に、睡眠妨害等ありながら1年黙っていてやった忍耐力をほめてもらいたいものだ。
1/07 土 20.0   セブンイレブンの「クリームチーズデニッシュ」が消えている!
期間限定品だったんか!一度しか食べてないのに。
「カロリーVS運動量」のバランスを考えて、距離を延ばしてウキウキ走ったわたしがバカでした(>_<)
1/08 日 0.0   1マイル=1.6キロなんだって…ややこしい。
脳内想像上で「移動した距離・1000マイル超」をここに計上できれば、今月はダントツ・モーレツなRUNをしたことになるのぅ。
仏教学研究者にとって、その伝来の道であった「シルクロード」について学ぶことは、関係ないようでありながら実はヒジョ〜ウに重大な基礎知識である。こうしたテーマに取り組んでいると、レポート作成に直接関わることはもちろん、別の意味での「深みある学び」が得られることがうれしい。
今回は、タクラマカン砂漠を探検したフランスのペリオ隊の史実から、「出遅れたスタートであっても、それなりの価値ある発見や成果は獲得できる」ことを教えられた。わたしゃ〜彼のように驚異的な基礎能力があるわけではないので、その意味でも「十二分に出遅れた人間」であるのだが、「それでも・それなりの」の成果はあるはずである!…「史実に隠れた人生の真理」に励まされ、元気モリモリとなった。
1/09 月 0.0   昨今の中心的コミュニケーションツールの筆頭といえば、「メール」だろう。それはそれでよい。問題なのはその使いようだ。
いい年こいたオトナが、真剣な(はずの)人生相談に、くだらない絵文字や記号をあちゃこちゃ乗せまくり…ってのは、それ自体、深刻さを激減させるものだ。受け取る側としては意味不明極まりなく、回答なし&削除である。アドレス変えたろか。
「オトナのガキ化」が、最近実に顕著になっている。ヘタにキレイな理屈や言葉だけが先行して、その実それはただの自己中心主義の虚飾・代用であったりすることも多い。
「愛」「友情」「絆」…これらが本来、いたずらに口にして語るべき軽いことばではないことは、歳をとればとるほど痛感されるはずの「回顧語群(あるく造語)」であるのだが。
「絆」のために「家族」があるのではない。「家族」があって、その関係性の中で必死に生き抜くことによって、後々ようやく「感じる」ことができるかどうかに行き着く感慨を、敢えて言語表現したのが「絆」なのだ。絵文字といい、言葉といい、「まだまだ自分を飾れる余裕」のあるひとの悩みに付き合う時間は、学問に回さしてまらいますっ…って、ここで返信してどうするよ?
1/10 火 0.0   人は誰もみな、「朝ごはんを食べないと健康に悪い」のだろうか。「1日7時間程度の睡眠をとる」ことがベストなのだろうか。
もし、そうであるとすれば、わたしは「不健康な状態にあるほうがより健康的な活動ができる」特異体質か、あるいは「人間ではない」のだろう。まぁ、言えなくもないフシはあるが。
おそらくそれは、「朝抜き&睡眠5時間弱」の生活を20年続けた習慣によって、「体がその条件で機能する」ように慣らされた結果なのだろう。この数年、「いわゆる正常なリズム」を過ごしてきたが、比較して結果的に、現在のほうが「日中ダルダル・ボケボケネムネム」なことが多い…歳のせいかもしれないが。
いずれにせよ、「じぶんにとって苦痛にならない」のであれば、一般論がどうであろうとそれに逆らうこともまた良し!なのではないか。旧リズムを復活したほうが、学問の時間はさることながら、RUNの時間も間違いなく確保できる。実際、この2日でレポートを完成させるという「ありえない奇跡」は、起こったのである。…わたしにとって真の意味での健康は、むしろそれで獲得維持できるのかもしれない。
わたしは、「ただ生きている」ことがカウントされるだけの寿命を欲しない。「活きている」ことの連続であるならば、たとえそれが数時間後に絶えようとも、より価値のあることだと考える。あとはアミダちゃんにお任せだ。
1/11 水 3.0   いろいとな期待効果と有効性に鑑み、ベストチョイスと思った羽毛掛布団を購入したが、「もっと安いので十分だった」とのコメントに超ガックシ。
…と、それはともかく。
学問関連のあることに「ひと区切り」ついた記念に、ライフの休憩コーナーでお弁当を食べてみた(つながり的に意味不明)
「誰でもふつうにできそう・やってそう」なことの中にも、自分はそれを体験したことがなかった…ということは意外にあるものだ。もっとも、スーパーの「イートインコーナー」なぞ、最近できたサービスであるのだが。日常的に利用したいとは思わないが、時間単位で居場所を変えるような今日のような日には、こういう存在はとてもありがたい。
1/12 木 15.0   三条の仮歩道が閉鎖されてたので四条まで先斗町通り南下、そのまま進んでもよかったのだが、「足裏ツボマッサージ」をしたかったので河原に戻って四条〜五条RUN…この意味がわかる人は「鴨川ツウ」で〜す。
最近、イマイチな感じだったFM802だが、今日はイイカンジ!GOODなRUNサポートありがとうござんす!
マイケルジャクソンのメドレーみたいな「ピコピコアレンジ」は、J−WAVEのミュージックマシンを思い出させるノリ。それに、歌手名は聞き逃したが、「♪今日も地球を動かしているのは、平凡な僕たちじゃないのか♪」というフレーズを耳にし、まさに「ブッダのおことばに通底する!」と、久々にイイ曲に接触したと思った。
「アヤカ」とか「アヤカ」みたいな、上から目線で世の中を悟ったように語る「スゴイデショ?的ウンザリソング」が多い最近、このように素直でなんでもない感覚で、大きなことをサラリと表現している感じがGOODなのであ〜る。
1/13 金 0.0   「年齢より若く見える」「肌のツヤがイイネ!」「いつも元気!」…僭越ながら、これは人からよく言われる「わたしの外見上の印象」である。
そしてそれは、たいていの場合、「やっぱりいつも走ったはるからやね…」ということばで締めくくられる。そこまで言われるほど走っちゃいないわけだが。
そもそも…RUNが直接、誰にも確実に「若い・元気」に結びつくものであるかどうかについては疑問があった。
RUNによって、肌が痛めつけられたり、カラダを壊したり、さらには、レース記録や仲間関係の問題で、内面的な不健康さを抱えていると感じる人をたくさん見てきたからだ。
しかし、ここのところ、「ある程度はそれも言えるかもしれない」と思える、小さな発見があった。
それは、わずか数十キロではあるがそれなりにRUNモードを復調させたとたん、この数か月「ボサボサ・バサバサ」で収拾のつかない老化を感じるようになっていた「髪の毛」に、再びのツヤ感と落ち着きが見られるようになったことだ。シャンプーや整髪剤の外的処置でもどうにもならなかった数か月の悩みが、一挙に解決した事実には、「RUNによる血行促進・新陳代謝の活性化」の効果があるといわざるを得ない。「全体が」とか「概念上」ではない、わが身に実感できたこの出来事は、とても些細なことではあるけれども、確かな「自信」であり、貴重な「真実」である
そういう意味で、やはりRUNは続けるほうがよい…としみじみ感じつつ、今日は深夜まで学問しすぎで朝目覚められず(>_<)
1/14 土 15.3   早朝の「BGM」はFM802の「RADIO IT」やヒロ寺平で決まり!なのだが、
日が昇ってから(特に休日)は、FMココロ!なのだす。
802は10〜20代、ココロは40〜50代をターゲットリスナーにしているという。
12年前に出会って以来、802がだんだん「聴けなく」なってきているのはそのせいだろう。ただ、早朝に限って言えば、6時までは音楽のみ、6時からのDJヒロ寺平はナイスなオジサマで、選曲も偏りないので未だに「イイカンジ」なのだ。
a−haの「take on me」というのは、「不朽の名曲」なんだろうか。ヘタすると30年以上経過しているはずのこの曲が、懐かしいと同時に、「今でも十分アリなノリ」で聞こえる。FMココロでは、このテのテンションアゲアゲ曲が多いのだ。今日はもうひとつ、そんな曲があった。曲名を聞き逃したので家に帰ってからネットの番組HPで調べたら、BobbyBrownの「Every Little Step! (1988)」というやつだった。
英語の歌というのは、わかって2か所か3か所程度にしか「詞」が理解できないわたしにとって、その良し悪しは、「曲」がいかに心に響くか、特にRUN中にあっては「血わき肉躍る」のテンションを持たせるかにかかっている。(そもそも英語の歌には、日本語訳を知ってしまうとアリャリャ、となるものが多いので深追いはしない)…ボビーブラウンには不本意な聴き方かもしれないが、おおよその日本人にとって、洋楽というのはこういう感じで認識されているのものだろうと思う。ものごとは、アタマで理解記憶しているものより、カラダが感じ取ったもののほうが、延々と何かを残し、また色褪せない価値を持つことがとかく多いものだ。古いはずの洋楽が、聖子や明菜のように「単に懐かしい」のとは違う刺激をもたらすのは、こうした違いによるところ大であると思うのである。
それにしても、「この曲なに?」なものを「確定」するのに、現代はここまで素早く対処できるということは驚きだ。以前なら本屋で『FM STATION』をパラパラめくって探すか、放送局に問い合わせるか、友達に「フニャフニャピー♪」と聞かせてタイトルを教えてもらうような手間があったものなのに。
1/15 日 15.3   女子駅伝(テレビで見た)で、黒人選手が登場?…「猫ひろし的手法」か?大阪ズルイ!と思っていたら、なんと大阪在住の日本名を持っている子だった。スミマセン!
ここのところ、TVなどで話題になるモデルや歌手、スポーツ選手には、「ハーフ」とか「クオーター」のような子がとても多い。「美しさ」のような評価には、その時代のニーズによるところも大きいが、運動能力のようなものは別の話だろう。
「近親婚のリスク」と、よって「血はできるだけ遠いほうが良い」というようなことををさんざん聞かされてはきたが、ここまで「遠い者同士の結婚」が増え、その子どもたちが素晴らしい能力を持っていることを見せられる世になるとは思いもしなかった。
わたくし、「新潟中越同士」&「栃木と浜松」のクオーターでござんすが、別段、特筆するような才能はございません(>_<)
ただ、じぶんのことなのでもう少し詳しく探そうとすれば、良いこと悪いことコマゴマと、「これはあっちの血だ」「これはこっちの血だ」と思いあたることは次々出てくるのであります。
RUNに関していえば、「速さはないがいつまでも走り続ける」…これは間違いなく、農作業をコツコツこなし切っていた一族である「新潟の血」を継ぐものでありましょう。
彼らはその「血」で、米や野菜を実らせ、とんでもない男子を1名(うちのオヤジ)作り出しました。わたしは何も作っちゃ〜いませんが、この「血」をもって、偶然か必然かの経緯でRUNに出会い、それが「わが人生を実らせる」一助となりました。いわば自給自足ですわな。
この流れ、どうやらわたしに「終了コドン」が組み込まれているようなので、最後の完全燃焼を目指して生きたいと思うのであります。
1/16 月 0.0   「やれる、やれる、まだやれる」
心の中で力を貯める。
そして叶える。yo!君の人生、費やした時間を讃える!
「負けたら終わりじゃなくて、やめたら終わりなんだよね!」…「continue」 by SEAMO
魂を揺さぶるような「名曲」には、ごくまれにしか出会うことがないが、出会ったら最後、それはいつなんどきにも折に触れわたしの中によみがえる。この曲は、2年前琵琶湖をRUNしていた時にNHKFM(何故か滋賀は802が入りづらい)から聞こえてきた歌だ。
その時、RUNに関する「ある野望」を決意させたこのフレーズは、現在のところもっぱら「学問」の分野に力強い働きかけをしてくれている。
恐ろしいほど時間が早く進む毎日、若くて優秀な通学院生からの明らかな遅れ、総じて力のなさ…不安材料ばかりの中で、それでも「わたしはやる」のである。
今後、「もしかしたら」の方向転換の可能性がないわけではない。しかし、今それを決めることは、「逃げ」であり「負け」なのだ。必ずや、この修論は完成させる。じぶんのために、そして、宗教上の虚構と妄想に翻弄され世に惑う人々のいくばくかでも救うために。
むろん、この歌に出会った当初に決意した「RUNの野望」も捨てているわけではない。ゆけゆけ!あるくだっしゅ!
1/17 火 5.0   アミダちゃんは、「死後の絶対の救済」をお約束くださっています。
だからといって、「このまま・そのままでもいい」ことばかりを全面に押し出すようなあり方は間違いというものです。「死ぬ安心」は、「この世でしっかりとじぶんを生き抜くことへの安心」でもあることを忘れてはなりません。
要するに、「じぶんがやるべきことは、しっかりきちんとやりなはれ!」ということなのであります。では、そこで人いかようにあるべきか?…それを教えているのが、歴史であり、文学であり、そしてまた各種宗教の「人生方法論」であるわけです。
『柳宗悦・妙好人論集』と対極にある、ヘッセ『シッダルタ』、並びに米本和広『カルトの子』との出会いによって、少しばかり心境に具体的な軌道修正が図られた感のある今日この頃なのである。『シッダルタ』をご紹介いただいた松田教授に、心より感謝。
ちなみに、本日の「5キロ」は、超爆走モードの30分弱。やりゃ〜できるじゃん!(`5チョイがまだイケルわけだ)。
1/18 水 0.0  
1/19 木 0.0  
1/20 金 0.0  
1/21 土 0.0  
1/22 日 19.8  
1/23 月 0.0  
1/24 火 0.0  
1/25 水 0.0  
1/26 木 0.0  
1/27 金 0.0  
1/28 土 0.0  
1/29 日 0.0  
1/30 月 0.0  
1/31 火 0.0  
走行距離 138.9  km