あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上57歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
2/01 火 0.0   【リセット完了】
2・3ヶ月ウツウツグズグズしてたが、この2・3日で急激にかなりイイカンジにスッキリ復調した。心身通じて全体的に。
…にもかかわらず、気がつけばお昼12:10。ここのところ唯一の「運動手段」である徒歩通勤も遅刻回避のため自転車を使用。げに、学問と運動の両立は厳しきものなり。トホホ…(-_-;)
2/02 水 20.0   夜間(夜明け前)の鴨川は、多摩川よりググッと暗い。安全の為「あかり」は必須アイテムだ、と思う。
な〜んもせんと走ったはる人も多いけど。
『日本に京都があってよかった』
というポスターを電車やバスの中で見かけるが、その京都に毎日いてみると、そんな大げさな感慨をもつことはほとんどない。
『四条に公衆トイレがあってよかった』
…たとえ世界に名だたる京都のまちといえど、日々の暮らしの中での感謝や安心の対象というものはそんな程度のものである。
ちなみに、鴨川岸には公設がトイレとてもたくさんある。しかもとってもキレイ☆。ザッと思い出すだけでも、出町・荒神橋・四条・五条、この間ほんの3キロ程度…このことは多摩川よりググッといい環境だ。
2/03 木 12.0   睡眠3時間強での起床、2日連続はさすがにキツイ。44歳にもなりゃこの程度がフツウだろうけど。
…ってぇわけで、本日4時起床は出来ひんかったが、今日は朝から入るはずだったバイトがいつもどおり午後からになったので…☆
昼間ならではのRUNとして、仏教書古本屋3件を一気に回るコースにしてみた。
たかだかこの時間内・距離内で、研究に関する資料探索が解決する素晴らしさよ。
『日本に京都があってよかった』とまでは思えないが、『わたしの人生に京都があってよかった』は、本屋のことに限らずあらゆる意味で個人的真実である。
2/04 金 18.0   またもや昼間RUN。
何回やっても同じことだが、7時過ぎたら烏丸通RUNはアカン。
研究上の文献探しに、ぶだはっ図書館に行くべと思ったわけだが、途中「もしかしたら今日は休館日だったのでは?」との不安がよぎり、北大路から西行きの予定を東行きに変更してしまった。
でもって、帰ってきてサイトを見たら、休館は昨日までだった。タハハ…(-.-;)
…と、こんなミスを笑って済ませられるのも、ここが京都市であるからこそだ。これが深夜バスを使ってやってきての結果だったらシャレにもなるまい。
2/05 土 10.0   京漬物、ようやく入手。
この京都に漬物屋は数多けれど、アミノ酸タップリのインチキ商品でないものは、案外少ないのだ。
聞けば、現代人の味覚は「アブラ」と「化調」に毒され、それがらが含有されていないと「ウマミ」を感じなくなるまでになってしまったらしい。人間、生きれば生きるほど「壊れゆくもの」であることは百も承知であるが、それでもじぶんなりに「拒否したい壊れ方」については極力の努力をもって回避したいものだ。
2/06 日 13.6   三条商店街に「生イカ」アリ。灯台モト暗し、である。
これで往復6000円もかけずに毎日お手製塩辛が食べられるぞ。
あくまで日常生活レベルにおいてであるが、京都のサカナレベルはハッキリ言って低い。特にイワシの丸干しや鯖などの青魚や生モノについてはイイカゲン諦めの境地に入っていたのだが、三条あみたつがある限り、それも何とか緩和できそうだ。
2/07 月 18.0   昼間RUN。
この数ヶ月で異常に増加した体重は、明らかにRUN以外・RUN以上の運動を要求していると思う。
いまさら「男の目線をひくため」とか「良いRUNパフォーマンスを獲得するため」とか、そんな狭くてせこい目的のためにダイエットを必要としているわけではない。もっと大きな視点からみて、「わたしの人生に50キロ以上の重さは必要ない」のだ。逆にいえば「50キロは必要なのだが。
2/08 火 18.0   諸対策のため昼間RUN。早いとこ朝RUNに戻そう。
何をやめるにしても、続けるにしても、いろんな意味でリニューアルが必要だ。
「あるだけでまったく着ていない服」「ボロボロだけどどうしても着てしまう服」をバッサバッサと捨てはじめた、と言ったら、「それって、ダンシャリですネ!」と、どっかの輸入米の名前みたいなことを言われた。正確には「断捨離」で、今ブームになっていることらしい。ふ〜ん。
近頃は、何かというと「○○ブーム」だのなんだのと、ネーミングすることが定着している。電車がスキといえば「鉄ママですか?」、山登りしてたといえば「山ガール」…いずれもわたしが現役バリバリ全盛期の当時には「カワリモノ的扱い」でしかなかったアレコレだ。同じことでもタイトルがついて、その集団に属して群がれば、カッコイイということになるのか。大いに違和感を持つところである。
思うに、ある特定のタイトルやカテゴリ、「○○主義」といった類のものをいたずらに標榜しこだわることは、不安や劣等感、あるいは歪んだ優越感の現れであろう。
わたし自身、15年前くらいのある時期まで、そういう強力な「belong to」を求めてやまない人間だったからよくわかる。
2/09 水 0.0   積極的休養
…な〜んていうほどRUNしちゃいないですがっ。
なにごとも、「やる気はあるんだけど時間(環境・お金)がなくて…」というのは、ほぼ確実に【言い訳】。そんな状況が長い間続いている「ものこと」は、ほとんどの場合「実は才能や適性がない」か、あるいはそのひとの人生にとって「必要がない」か「危険なことであるか」の場合が多いように思う。
じぶんのこれまでにおける「RUN」「学問」とのかかわりから学んだことである。
2/10 木 18.0   「単なるパートのおばちゃん」のわりには、チョコチョコ「オイシイ仕事」を頼まれる幸運。
「広報部長もどき」「ショールームコンパニオンもどき」…いずれも、過去にいくばくかの「職務体験」があればこそ、そして「カンペキなプロフェッショナル性」を要求されないからこそ「快諾」できることである。
この、ある意味「あれこれテキトーにこなす生活」を可能にしたのは、過去の体験の積み重ねという「基礎」があるからであり、そして「そんなになんでもかんでもテンパらなくてもいいじゃん」という余裕を持てるようになった現在の心境のタマモノである。
歳をとるというのは、良い意味での妥協や余裕、すなわち新しい価値観・人生観・世界観が出来ることである。一度しかない人生、いつまでも「若いまま」「負けない」なんて意識にしがみついているのはもったいないしみっともない。…最近、そんな楽しい実感が増えはじめた「アラフォー最後の年」の日々。ついついRUNモチベもテキトーになるのである。…といいつつ、琵琶湖や淡路島1周には、何時にどこをスタートすればいいか?なんてことを、いまだにウスラボンヤリ考えている。そんなハチャメチャな若さを若干残した複雑なお年頃なのである。
2/11 金 20.0   「倒産」も「経営破綻」も同じ意味だけど、後者のほうが「まだ再建の希望を感じる印象のよいことば」なので、最近多用されるようになったのだ…と池上のオジサンに教えてもらった。
そういえば、最近の世の中は何かと「やさしい」がキーワードだ。
「障害者」は「障がい者」と、実態は変わらないままに印象だけ曖昧になったり、明らかな「肥満・デブ」が「ポッチャリ」に格下げになったり、少年期の非行犯罪行為が「ヤンチャ」になったり。
「モタモタ」「ノロノロ」「不注意」そして「都会基準で比較して思うようにならない」現象すらも、すべて「弱者」である。
それらの反動現象として、「厳しさ」「指導」「反論」など、本人の意にそぐわない他者の言動や環境はすべて「ひどい」「いじめ」「地獄」などということばに一括され、「悪しきこと」という価値観に集約されていくのかもしれない。最近の、「イヤならやめればいいじゃん」という、クソ生意気に悟りきったような若者の短絡的思考回路も、なんでもないアタリマエのこととして許され、そこから生じる問題もすべて「他者のせい」となるのだろう。
まぁどんな世の中になろうが、これからはそういう風潮の中に育った若者や子供のつくる時代になるわけで、万事「なんとなくそれなりになる」はずだ。一世代前の年寄りはイタズラに過去と比較して怒ったり嘆いたりする必要もないだろう。
「自助努力の喪失」「甘え」「わがまま」「タカリ」…これらが発する個人的ニーズに、ことばだけ・表面だけの「やさしさ」がいつまで応え続けられるのか。心しておくべきことは、現在くさるほど巷に転がりはじめた「やさしさ」には、それが「お金になるから・お金で済むから」の裏事情に端を発したものが多いということだ。まぁそれも、これからの世の中をつくるアタリマエになるのかもしれないが…いずれにせよわたしの人生は、それをじっくり傍観的に見届ける時期に入ったようだ。学問的にも思想的にも。
2/12 土 25.0   「雪の北山RUN」の誘惑を振り切り、ぶだはっに行く「模範的女子大生(正式には4月から)」。
モクモクとRUNしてひと息つくときと、ぶだはっで90円の缶コーヒーを飲みながら空を眺めひと息つくときの爽快感が、わたしにとってはまったく同質のものである。
「静」であっても「動」であっても、それがじぶんに必要でふさわしい行為であるならば、感慨のレベルというのは同じものなのであろう。
あちらを立てればこちらが立たず…ではあるが、うまいことバランスよく采配して継続したいものだ。
たまたま偶然といえばそれまでだが、あくまで個人的には「運命的奇跡」といっても差し支えないほどに、わたしの「学問研究への道」は、その特徴と方向性を共にする学者先生の薫陶を逃さず受けるご縁に恵まれ続けてきた。
「基礎教育」受講が2001年6月3・10・17日でなかったら、あのときふらりとその本に手を伸ばさなかったら、インド哲学概論のレポート添削があの先生でなかったら…枚挙に暇がないほどの「奇遇」の積み重ねである。
これはもう、適性だの能力だのいう以前に定められていた「わたしの人生ノルマ」だったんではないか…とさえ思う。そう思うと、グダグダ進まない語学習得も、「エンヤコラセッ!」なのだ。
また今日も、ある「博士論文」の閲覧許可申請を提出してきた。うまくいけば25日、新しい発見と刺激をモノに出来るだろう。楽しみだ。
2/13 日 11.7   まだある「うわさの京都ラーメン」
女子高生時代毎月1回、伊勢原駅でわざわざ降りて食べた「100円ラーメン」は、「京風ラーメンあかさたな」という店だった。
1杯じゃ物足りないくらいのアッサリ加減が、いかにも「京都」を彷彿とさせる…と思っていたものだ。その認識が「間違い」であったと気づくまでに20年の歳月を要した。
どうやら昭和40年代前後からはじまったらしい、いわゆる「京都ラーメン」は、コッテリ感タップリの味わい。ほとんどのお店に「ハズレ」がなく、水準が極めて高いことがうれしい。
しかしこのことは逆に、「ラーメンなら○○!」という固定常連を作りづらい状況にあるわけであって、お店からしてみれば宣伝や日々の精進に大変なことだろう。
ちなみに本日の「ラーメンてんぐ」も、よほどのタイミングに恵まれない限り再来店はないと思う。これがサガミハラなら、バスや電車を使ってでも行くだろうという味なのに…まったくもって贅沢なラーメン環境だ。
2/14 月 15.0   あるく、オシャレについて思考する。
そもそもコトの発端は、昨年夏RUN中にショーウインドウに写ったシルバーのRUNキャップ姿に違和感を覚えたこと。
ある時期までは「イケテル!」だったものが、いつしか「似合わねぇ〜」な色カタチに…そういうモノが発生しているということだ。
これまた、老化によるオタノシミのひとつなり。
40も後半にさしかかると、「若く見せよう」「カワイク見せよう」というトップダウンではなく、「ビンボウくさくならないようにしよう」「不潔っぽく見えないようにしよう」「妙に元気ぶって無理してるように見えないようにしよう」ってな、ボトムアップ式の思考回路が必要になるものだと、つくづく実感する。もちろんRUNウェアについては、「見た目より機能性」が優先するのだが、その中でも「色・デザイン」には今までより気を遣う必要性がありそうだ。
RUN以外の普段着はなおさらのこと。ここ数ヶ月、「今後にあるべきファッション性」についてあれこれ考えてきたのだが、ようやくひとつの方向性が見えてきた。まずは手始めに「今後、ジーパンには手を出さない」を基本に、イメージを膨らませていこうと思っている。都合よく、「今までの服」がジャンジャン壊れ始めている。いいタイミングだ。…あとはシェイプアップして、その体型を固定するのみ(←最初にして最大の難関)
2/15 火 20.0   今流行の「ホットヨーグルト」というのを試してみた。
無糖ヨーグルト100ml、はちみつ大さじ1、お湯大さじ1をかき混ぜて、レンジで1分チン♪
スッゲーマッジー。ペッペッ。
こんなん続けなきゃ美肌になれないとか言うなら、美肌いりません。…っていうか、既に「ダノンBIO」でスッゲー快調だし。
2/16 水 7.0   青汁に負けた。やめればよかった。
以前試したときも激・調子ワル〜になったのだが、ずいぶん時間が経つし、もしかしたら大丈夫になってるかも?と思ったけどダメだった。
年寄りからこどもまでオススメ健康ドリンク!のはずなのだが、あるくの場合、これを飲むととたんに心臓バクバク・めまいクラクラ…と、意味不明の変調をきたす。以前、青汁の注意書きに「腎臓の悪い方はNG」みたいなことが書いてあるのをみたことがある。たしかにあるくの腎機能はあまり褒められた水準ではないのでその影響が予想されるのだが、何ゆえ「動悸息切れめまい」の症状となるのかは不明である。
「一粒に○○が何千個分!」「○○が通常食品の何千倍!」みたいなサプリは数多いが、一般的な食生活レベルを越えた栄養素の多量摂取が、カラダのどこかにいらぬ負担をかけていることは確定的である。「別に大丈夫だけど」というのは、今は気がつかないだけか、あるいは元々そんな有効成分が入っちゃいないかのどちらかだろう。
2/17 木 15.0   佛大の通信院生先輩のブログを読んでアセル。
院生ともなると、ある意味「その道の職人」的生活を送る必要があるようだ。
しかし、それが「苦になる」「負担になる」ようなら、そもそもその学問研究分野には適性がナイということになるのだろう。
基礎力の問題は「ヒマラヤ」より高く山積みされてはいるが、書きたい論文テーマはゴマンとある。どこまでいけるか、どこまでやれるか。…それは、10年前富士山頂を目指して、まさに一心不乱であった当時に似て。
2/18 金 20.0   「旅する京都」も素晴らしいが、「暮らす京都」もまた別の意味で素晴らしい。
お家元だの住職サマだの文化人だの、そういうスゴイお方もいるが、「その他多勢」の一般庶民の生き様に教えられること多々。
「これがいい」でなく「これでいい」…京都におけるすべての歴史文化はこのキーワードによって理解できることが多いと思う。
宗教的観点でいえば、神道や浄土系の信仰層が広く厚いことも、このまちの人々のあり方と無関係ではあるまい。実に興味深いところである。
聞けばこの京都は、「老後を過ごしたいまちNO.1」だそうだ。それはおそらく、観光モードで知りえたイメージに依るものだろうが、残念ながらそれでは失敗する。「ただふつうに生きるひと」でありながら「京都はいいまちだ」と実感できるためには、完全に「過去の暮らしにおける細かな欲望や自尊心を排除する前提」が必要だろうと思う。
2/19 土 36.2   かつて「奈RUN」と呼んでいた旅RUN。
とりたて何もない30キロ超の道中をモクモク走り、行き着いた先に名所名物…これぞ、わたしの理想とする「旅RUNスタイル」なり。
親友・東大寺のるしゃ君に久々の再会(ただし遠隔参拝)。とてもじゃないが口に出来ない祈願をふたつ。
平安遷都1200年イベントと阿修羅像ブームのせいか、はてまたしつこいほどにテレビに流れた草餅屋ときつねうどん屋のせいか、奈良もなかなかの賑わいを見せていた。リニューアルオープンし展示品が見やすくなった興福寺国宝館では、テキトウに名前をつけられてると思しき「仏弟子像」をじっくり眺めることができてよかった。
2/20 日 0.0   RUNなし。旅RUNに疲れたわけではナイ。
昨夜からマジで読み始めた研究書に、アッと驚くような記事を発見したのだ。
「オシャカサマがどうしたこうした」「オシャカサマの教えはなんたらかんたら」等々、世間一般にお寺のボンサンが説教するような話をぶち壊すような作業が、これからのわたしの「研究テーマ」である。
卒論の口頭試問の時、我が敬愛する教授大先生様がふと口に漏らされた「驚くべきあのヒトコト」を裏付けるかのようなような記事が、既に1977年出版の書籍に現われていたのである。図らずもそれは、わたしの修論テーマ候補のひとつに関連することでもあって大コーフン!今日は、このテンションアゲアゲ心拍ダダあがりで十分運動した気分になった。ヨシヨシ…って、よかないか。
2/21 月 18.0   毎月恒例の和菓子づくり。その後…
せっかくの「町なかRUN」だったのに、気になっていたお店に行くのをすっかり忘れてしまった。
そろそろ修論のテーマ候補の骨組みを整理しようと思う。こういう内容こそ、「いったん自分から切り離して客観的検証ができるツール」であるブログにしたいのだが、ヘタに公開してパクられたり、考察途中で余計なコメントが入ったり(このジャンルには、いわゆる「イッチャッテル系」の輩も多いので要注意なのだ)するのもイヤなのでできない。
テキトウにPCに打ち込んで、「カナリ、イイセン、イッテマスヨー!」…と、自分だけでニンマリしとこう。
2/22 火 10.0   RUNと研究、どちらが大切かと問われれば、間違いなく後者だろう。
少なくとも今現在のわたしには。
10年前とは逆の選択判断は、ある意味過去の反省に裏打ちされるものであり、ある意味ではそこを経過した結果としての成長であるともいえよう。
間違っちゃ〜いけないのは、「だったら10年前からもっと激マジに研究に取り組んでいれば今頃ウハウハだったじゃん」ということでは決してナイ、ということだ。
今仮に学問への道を断ったとしても、あの10年の時間における醍醐味でわたしは今後を生きていけるだろうというほどの「人生におけるチカラ」になったのだから。
しかし間違っちゃ〜いけないのは、「だからといって学問を捨てる」なんてぇ気はサラサラないということだ。ソコントコ、ヨロシク!…って、誰に言ってんだべ?
2/23 水 15.0   「歴史を感じるたたずまい」が、京都にはあちこちに残っている。もちろんそれが「効果」を呼んでいる商売もあるのだが、実生活上は「かなりヤバイ」ものとして、決して足を踏み入れたくないジャンルのところもある。
たとえば、旧字体で看板を掲げている町家風の医者、屋根や柱が傾いている食堂などなど…マジコワイ。
毎日の暮らしのまちとしてみると、たとえば今度大地震がきたら、洛中は全壊するかも?ってな建物が多すぎる。
観光者のために八坂塔前の道を全面改装する前に、そういう細かいところをナントカするほうが先なんじゃ〜ないでしょうか。
其中堂でネットサイトより1000円安く稀少本をGET。以前古本まつりで迷った挙句買わなかったものが、残っていてくれたことに感謝。
しかしこの宝の山すら、天災に遭えば一気に炭の山になるだろう。
京都の「古さ」は、それ自体に価値があることと表裏一体に「世間一般平均以上の危機」を併せ持つ。ここのところ騒がしい市議選だかなんだかでは、お得意の「生まも育ちも京都のわたし」候補が「京都の町のために」あれこれガナリ立てているが、こうした細かでありながら重要な課題には誰も触れていない。「京都のまちレベル」で頸ガンワクチンだの9条だの、あるいは残業手当も満足に付かない「デッチ扱い」で働かされている多くの中小零細勤労者の現状を看過して「新規事業の創出」「京都文化の発信」なんてのは、どうにも「勘違い」のような気がしてならないのだが。
2/24 木 0.0   最近、京都の中心は河原町から四条烏丸にシフトしたそうだ。現役バリバリの商工会関係者が喜んだり嘆いたりしているのだから間違いない。
…てなことを言われるまでもなく、わたしはとっくにそういう風に思っていたが…
その京都の中心地で、よそ者・パート・オバゃチャンの「職業的三重苦」を背負ってるような人間がコンパニオンをしちゃうってんだから、こりゃハリキルわな!
RUNなんかしてるバヤイではない!
9:30〜19:00まで、途中10分ほどお弁当をいただくのに座った以外、見事に「モデル立ちモード」の立ち仕事!
20代女性を2時間交代する人海戦術の会社もあれば、年金モードのオバチャマが靴を脱いで座り込む親族会社もあれば…の中、10時間近くのタチンボをこなしたのは、まるで「ウルトラの完走」に似た達成感。
「こういう感じのほうが、実質的には将来役に立つ!」と考えながら続けたRUNスタイルは、ズバリ正解だった☆
2/25 金 20.0   「学位(博士)請求論文」というものを閲覧する。
これが、数年先じぶんにも直接関わってくる(関わっていてほしい)モノであるとは…イヤハヤ。
我が敬愛する教授大先生様の手によるその論文に触れ、実に数多くのことがわかった。
テンション上がって、『倶舎論』を借りてしまった。
@英語はアタリマエ過ぎて、もはや「できる・できない」を問われるような次元にはない。
A@と同様に、SKT・Pariはさることながら、チベット、ドイツ語、中文(漢文)の「フツウっしょ」が前提である。
B「新学説」というものは、現在「鉄板」となっている定説を批判的に再検証することからはじまるが、その作業には「資料の比較」が必須となる。すなわち、直接研究分野には関係のない周辺事情や資料も読み解く能力と時間が必要であるということである。
C現状、閲覧した論文を理解する能力は60%程度であったもなかった…トホホ。
Dやっぱし、あの教授は「タダモノ」ではない!
2/26 土 15.0   先日の「コンパニオン仕事」のおかげで、職場の好青年たちとの距離感がグッと縮まったオマケの収穫アリ。
オミゴトなまでに全員がバリバリ京都市(北・上・中・左・右)の出身で、外に出たことナイ…の人たちだ。
こりゃ相当「排他的京都人」かと思いきやまったくそんなこたぁねぇ!なフレドリーさ。「ドッシリ腰を据えて京都人してる」ひとというのは、こんな感じの人が多いような気がする。
全国誰もが知っているような名所や習慣をワガコトのように自慢げにひけらかす輩のほうが、むしろ「特殊なコンプレックスの強い」変わり者なのだろう。
そのときの会話で、3人から異口同音に「京都の水はマズイでしょ?」と尋ねられたのには2つの意味で驚いた。
ひとつには、「やっぱりそうだったのか!」と、この4年、丹沢水系の水道水の町から来たわたしが感じていたことが、地元民によって追認されたこと。
そしてもうひとつには、いわゆる「京都生まれの京都育ち」の人間が、この町に関して「自虐ネタ」を発したことにあった。
「申し訳ないけど、確かにマズイっす。」と言ったものの、お世辞抜きの正直な所感として「でも、お米はコシヒカリやアキタコマチより断然イイですよ。」というと、「そうっすか!それに、肉や野菜もけっこうイケルでしょ?」と、喜んでいた。
しかし、わたしが今、いちばん「オイシイ・ウマイ」と堪能し感動している京都とは、飾らず、正直に、地道に、真面目に、必死に…小さな会社で小さなまちを走り回りながら「生きていること」を見せてくれるあなた方の姿そのものなのです。まいどおおきに。
2/27 日 0.0  
2/28 月 0.0  
走行距離 375.5  km