あるくだっしゅ  
地域 : 京都    年齢 : 戸籍上56歳、精神年齢13歳、カラダ年齢34歳(タニタ計測)、体の硬さ75歳
一言 : 
ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*)           ふっふっふ…あるくだっしゅ、またまたまたまた登場しちゃいました〜(*^▽^*) 
月日 距離 内容 タイム メモ
8/01 金 17.0   【往】 京都第一ポピラーコース+【復】第二ポピラーコース
「どうしてこんなに飛ばしてしまうのか?」と収集がつかなくなるほどハイスピードになる瞬間がある。…思えば、かつては数キロのザックを背負っての通勤RUN、今はウエストバックのみの気楽なスタイル。「飛んでしまう」のも当然か。
排除すべきもの、かたや、増幅させるべきもの…自分の中の「要・不要」がわかっていながらそれが完結達成できないストレス。ある意味、「わが人生の退化」。見方によっては「更なる進歩成長への布石」。
【本日の一言:しつけもろくにできない親は、こどもを公共の場所に登場させるな。】
…「こどもは親を親たらしめ、人間的成長を促す」などと、その役割を担うことが「大人となる必須条件」のようにいわれるが、「親となったがゆえに」むしろその人を自分本位の我儘高慢な存在に変貌させるという側面があることも、否定できないことである。重々留意されたい…と切に感じる。
8/02 土 5.0   雑念RUN
鴨川までようやく到達して、スグ引き返す。
早朝出遅れ、昼近くになってから出発。この際奈良か大阪にでもすっ飛ばすか!…と思ったが、置いてけぼりにしたK様がつまらないからと町へ出たりして、そこでオンナに声をかけられたりして、ついて行っちゃたりしたらタイヘンだと思ったりしちゃったので帰って来た(~_~;)ナンダコレハ…
【本日の一言:「対岸の家事」】
企業正社員で1日中仕事に追われている女性などは、1日中うちにいて炊事洗濯掃除するのが仕事の専業主婦を「優雅な身分」とかなんとか言っちゃったり思っちゃったりする。ところがどっこい、毎日メニューを変えて決まった時間にテーブルを飾る作業、チリひとつでイラッとくる掃除、天候を問わず乾かす知恵を働かす洗濯…これらの種々雑多な作業がひとりの了見判断にかかり、休暇も盆も正月もない労働は、OL稼業に負けず劣らず…っていうか、それよかタイヘンなものがある。所詮、「じぶんの世界にないものをうらやましく思えている」のに過ぎないのである。
過去のわたしは、つくづく「家事労働にいそしむ人々」を馬鹿にするような言動をしなくてよかったと思っている。ホッ(-。-)
8/03 日 13.7   まったく京都の○○○○店はろくなもんじゃない…と、ぶっちゃけ思うRUN(-_-;)
まぁしかし、捨てる神あれば拾う神あり…かも、だ。ドンマイドンマイ。
K様によると、わたしのRUNは「キロ5ペース」なんだそうだ。元々どうでもいい項目ではあったが、かつての通勤RUNではある程度気になっていた「スピード・時間」も、今ではさっぱりすっかりなんのことやら…である。しかしまぁこれなら、いちおう「RUN」していることにはなるだろうからいいかっ。(個人的には、すっかりダラダRUNになっているようにおもえてならない昨今である(~_~;))
【本日の一言:「寄らば大蛇の陰」】
かつては、「寄らば大樹の陰」といわれたこのコトバ、平和友好的で揺るがない強さをもつものに近づいていればこの身は安泰…ということだったのだろう。その典型例が「お国のあれこれ」であったが、それすらグラグラ揺らぎだした今日この頃。今ここで最も重要になってきたのは「個人の価値観・各々の確固たる人生観」。これを展開するに当たっては、その他大勢の「きれいごと・常識・既成観念」に頼ってばかりではならない面も多々ある。むしろ、「毒を吐き、非難や敵の多い主張や態度」にこそ、真の自己実現や正しい平和世界の実現に相応しい真髄が隠れていることもあるのだ。
木陰でゆっくりと安らぐような見せ掛けの平和安定ばかりを求めず、これまで否定してきた・されてきた世界に考察を投じてみる態度も必要ではないだろうか。
8/04 月 22.0   いろいろあって、七条桂川RUN。
調べもの1件(解決)、掃除道具探し1件(結局なかった)、ベルト探し1件(ビンゴなもの発見!)…等々、細かい用件が結構あったので。
「いつか必ず食べてやる!」…はずだった、小川珈琲のシュークリームは決意してから1年半も放っておいたら既に廃盤とな…あぁ、言うに言われぬ敗北感大。しかし、同じ高辻通りでドンキよりここを警告しろって言うような危険すぎる陳列(というより山積み)商品量の古本屋を発見できた。わが人生上おそらく初めて「身震いするほどの怒りを覚えた凶悪事件」についてのルポ書籍、100円にて購入。いまやその犯人は再びの犯罪者となっている。そのような少年を、どのように扱った内容であるか…読む前からワクワクしている。
【本日の一言:「知るから仏」】
一般に、「知らぬが仏」といわれるコトバがある。これは、一般俗社会での「平穏な生き方」のひとつとしては至極妥当な主張ではあるが、不利になること・興味のないことを耳に入れない、意に介さない、正さずやり過ごすようなあり方というのは、翻って自分自身に対する「真に正しい価値判断や見解の基準」を培えるものかどうか。現実には、「本当に知らなかった」ならいざ知らず「知らなかったふり」をして逃げ回ることすらある。そんな人間は「コずるい」「卑怯者」と呼ばれることはあっても、「ホトケ」などではありえない。ただ人当たりの良い温厚な「偽善者」に過ぎないのだと思う。良きにつけ悪しきにつけ、関わるべき情報は極力「知る」努力をし、そこから「自分はどうするか」の意思と行動をとることが、より自分らしい生き方、唯一不二の自己、すなわち「ほとけの世界」を確立できるように思われるのである。
8/05 火 20.0   わかっちゃいるけど、昼RUN(-_-;)…明日よりは、悔い改めよ!だぁぁ〜★
詰めて詰めて、詰め込んで…ガンバリましょ〜!でいきましょう♪
以前通勤RUNの時代に「4時起床」だった体内リズムが戻っているのか、最近目覚ましもないのに決まって「4:10」にパチリと目が覚める…で、「まだ時間あるかぁ」と再び寝てしまうのがイケナイんだな!明日より、このあたりを改善すべしべし!なんである。
【本日のひとこと:「井の中の蛙大海を熟知す」】
「井の中の蛙大海を知らず」とは、ある狭い範囲で一定の評価を得ている者をはじめ、生まれて以来同じ土地暮らす者、いわゆる零細企業のサラリーマン、家庭に収まる主婦など、自分の行動範囲や体験を多く持たない人間が自他共に「世間を知らない」ということについて否定的表現をするときに用いるものである。「その場で高慢な態度に終始する人間」や、「他の世界や土地に移って何かを実現しよう」と志す者にとっては、教訓や励ましとして有効な文言であるが、これは必ずしもすべての人々に当てはまる法則ではない。
職住接近の日常生活にあろうが、家の中での仕事に追われる日々であろうが、そこで与えられた環境や条件・制限、人間関係のあれこれや物事のやりとりなど、あらゆることを懸命に地道にとらえ、自分なりの力に等しくこなし続けることで得られるものは、他のどのような環境を与えられても応用展開の通用する人間観や考察力・知恵を培い、これがたくましい「生命力」となって蓄積されているものである。いやむしろ、狭い場所にあって生き抜くからこそ、逃げようのない、しかし細かい矛盾や不満を一々に解決させながら過ごす力が養えるのであり、ひいては本人の意図せぬところで無意識のうちに広範の人々の生き方に影響を及ぼすものを発揮させることになっている事例は数多いのである。「井の中から大海へ向けて」のエネルギーを軽視してはならない。
…世界平和を語り、その指針自体に即社会的影響がある大企業の仕事を遂行しながら、隣席の同僚との軋轢すらスムースに解決できない人間も多い。また、環境保護を地球的規模で語りながら、高級車を絶えず乗り回す政治家官僚と、マイ箸マイボトル・自転車通勤などを励行する一般庶民とでは、現実的にはどちらが「地球のためになり得る個人」であろうか。
まさに、「大海を知りながらそこで泳ぐ蛙にもなれない」…大いなる矛盾を呈していることも多いものである。
8/06 水 18.0   【往】 京都第一ポピラーコース+【復】第二ポピラーコース
伊吹山でのモクモク登攀RUN以来、発汗のしかたが「従来の感触」に!エエドエエド!o(~o~)O
いつぞや遭遇した「元カナグゥワ県民の青年」に再び遭遇(゜o゜)!前は夕方だったが今回は早朝。…「えっ!朝晩ジョグしてるんですかっ?」と、お互いさまの質問をお互いに投げかけ合ったのであった…しかしその真相はこれまたお互いに、「お日様が昇りきってから走るなんてできましぇん!」てなところであった。
【本日の一言:「朱に交われば真っ黒け」】
「朱に交われば赤くなる」とは、人間関係における影響について、それが良い変化をするときにも使われるが、大抵の場合は「悪くなる場合」に引用されることが多い。しかし「同類同レベル」になるくらいならまだマトモ。時には、不用意に多くの人と交わりを持ったために、個人であれば制圧されているはずの潜在した「短所欠点」が有体のままに噴出し、想定外のトラブルや悪影響を及ぼすことがあるものである。
こうなってくると、本来結束すべき仲間関係すら破壊に招き、結局は弾き飛ばされる異端の存在となり、「同じカラー」を持つどころか、他の世間からも非難を受けて致し方ないような「黒い存在」へと自己を変貌させてしまうのである。
世間では、「友が多いこと」「仲間があること」を手放しで賞賛する傾向にあるが、それが誰も彼もに適用される鉄則ではないことを肝に銘じ、まずは自身の特性をよくよく反省し見極める作業が必要であろうかと思われるところである。
8/07 木 18.0   【往】 京都第一ポピラーコース+【復】第二ポピラーコース
ビバ!朝RUN☆
やっぱりある程度の距離をある程度のペースでこなすRUN、これを1日のスタートにするとその後の「気持ちの穏やかさ」が違う!…つまりは、朝っぱらから程よく「疲れる」から、余計なことにカッカモンモンするエネルギーが発散されているんである☆(~o~)ヨッシャヨッシャ♪
烏丸北大路南東角に「憩いのベンチ」ができていた…さんざん通過していながら今朝初めての発見☆「数ヶ月ぶり・数年ぶり」なら見落とすはずのない変化も、「いつも通ってますねん」となると、細かい風景の認識度が低下するものだ。サグゥワミファラでも、新しくできた建物の以前の風景の記憶がカンタンに思い出せないことがあった…わたしも、ようやく心に「京都が地元」てな落ち着きがもてるようになってきたらしい…(~o~)
【本日の一言:百害あったら一利ある】
「百害あって一利なし」とは、昨今では「喫煙」についてよく引用されるところである。ガンその他の病気の問題、副流煙やマナーの悪さが及ぼす社会的な被害等が取り沙汰されるが故のものであるが、本当に一利もないということには、「チョット待った!」なのである。否応なくこの価格に付加されている「タバコ税」は、現在話題の「一般財源」というカテゴリの予算に配され、社会福祉や公共施設等、「すべての国民の利益に資する」ための貴重なお金となっている事実が、反面にはあるのだ。
ことはタバコひとつの問題に留まらず何事においても、「まったく何の利益にも足しにもならない」という断定は早計過ぎるのである。だいたい、「百害がある」と判明した時点で、そのものに対する警戒や注意を促す契機になることが既に「一利」ではないか。…これをもって、年金・保険料・物価等々、現在の「なんでもかんでもどうしてもいつまでも庶民が被害者」というかのごとく騒ぎ立てるマスコミのあり方にも一石を投じておきたいところである。
多くの社会的問題には、「すべてが悪」「すべてが善」と断定きしれないものがある。見方考え方によって害にも利益にもなる要素があれこれ重なって成立しているものである。問題は、自分がその判断をするに当たって「どちらの立場にあるか」ということにかかってくる。どちらか一方に態度見解を固執させることは戒められるべきことであろう。「歩み寄り」も「より平和的な解決」も、その作業を経てして初めて正しく結実するものだ。「もはや手遅れ」みたいなモンダイも多いものだが…(-_-;)
8/08 金 18.0   【往】 京都第一ポピラーコース+【復】第二ポピラーコース
頼むから、ひとやクルマだけでなく「イヌ道交法」も制定して厳に取り締まっていただきたい!(ーー;)…完全野放し、それと同然のリール延ばしすぎ等々、ここは「お犬さま天国か!」というほどの傍若無人な光景はもはやこれ以上捨て置けぬ!いきなりの登場や飛び出しは、他の通行者にケガだけでなくヘタをすると心臓ショックも引き起こしかねないものだ。イヌに自覚や責任などはもてるはずがない。問題は君らだよ、飼い主の諸君!善処を求む!
烏丸通りの「あるポイント」に近づくと、その間だけラジオに異常な雑音が入る…おそらくその店の「チタンパワー」商品の効力が道路にまで大放出しているに違いない!…服の上からでもOK、指に巻くだけで水満タンのペットがスイスイ持ち上げられるほどの威力だもん、ありえないことじゃないわなぁ〜。…って、マジでそんなことアリかな?(-_-;)ギシンアンキ…シカシ。アノザツオンハ、ナゼナンダロウ?★
【本日の一言:「自分に迷惑をかけないようにしましょう」】
「人に迷惑をかけないようにしましょう」とは、幼稚園小学校でも教え諭されることばである。もちろん間違っていることではないが、「人にイヤな思いをさせない」ということだけが基準になったとき、そこで形成・成立する人格には、極端にいえば「日和見」「風見鶏」「ひとの顔色を伺う」等々の、「評価は他人任せの自己」となりえないだろうか?…という疑問が残るのである。
その場その場で限られた枠内での「怒られるからやらない」「喜ばれるからやる」の連続では、「行動の良い悪いの基本観念」が伴う自己同一性が確立せず、誰かの足跡をなぞるだけの「こどものままのおとな」になってしまう。立派なことを言っているようで、その実現性・実効性はせいぜい「親に怒られなければ良い」「身近な友達に好かれていればよい」程度のことで、海千山千の幅広い世間に適用できる真の意味での「自己の恥や尊厳」が成立していないから、いつまでも「言われなければわからない」行動が続き、結局は「人に迷惑をかける」存在になってしまうのである。
この意味で、むしろ「自分がやがてイヤな思いをしないように」ということを主軸に立てて展望熟慮留意反省・試行錯誤をしながら過ごす方が、結局は「人に迷惑をかけず」、なおかつ「自分も清々と」生きられるものをつくる早道になると思う。やや逆説的ではあるが、この方が正しい教訓であろうと思われて仕方ない。
なお、これは今から30年ほど前に当時の学級担任が提起した課題でもある。…「人に迷惑をかけなければそれで良いのか?」…わたしの回答は上記のごとく、その20年後ようやく自分のことばとなって確立し、現在に至る。
同義語→『自分の役に立つ人間になりましょう』
8/09 土 37.0   朝RUN新規開拓コース試走、その他あちゃこちゃ。
本日のテーマは、「朝からミニ山登りが組み込めるかどうか?」…結果、「できるんじゃないの?」てな感触。ただし、「京都第4ポピラーコース」として確定するためには、該当時間に「本試走」の必要がアリ、かも(~_~;)
銀閣寺は、「丸太町」じゃなくて「今出川」を東に行った所にある…勘違いしたせいで危うくまた「道迷いみゆき」の習性が出るところだった★(~_~;)
さすがは「立秋」のあと…少し前と違って、昼間のRUNも「最初からウンザリ」てなことにはならなくなったよ〜だ。
【ところで…(「本日の一言」はお休み(~_~;)】
あくまで個人的な印象の視点から…オリンピックの開会式の入場行進をチラッと見た。各国名のプラカードを持って作り笑顔いっぱいのカチコチの中国女性の後を、好き放題にダラダラあるく選手たちの風景が全開している。リラックスしているムードこそが良いのかもしれないが、一応は「国家の代表」「スポーツエリート」としての立場にあるわけで、それなりの規律性というようなものがあったほうが美しく見えるだろうに、と思う。(わたしとしては、かつての日本の入場行進のような光景のほうが、緊張感と感動が大きかったように思う。)…デジカメやビデオで撮影するくらいはまぁアリとしても、「ケータイでおしゃべりしながらの行進」はいかがなもんじゃい?…オリンピックは「平和と自由の祭典」ともいうらしい。この現代、「平和というもの」「自由というもの」をどこか勘違いしている人間が多い風潮を、そのまま表現しているような感じで面白い気もするが。
【補足】あくまで個人的な印象の視点から…上記、同じような「ダラダラ行進」であっても、日本には「もっとシャキッとしたほうが…」と思うのに対して、北朝鮮がそんな感じで歩いていると「抑圧された感じがなくてよかったなぁ」などと感じてしまう。「ひとつの行為言動」も、その人の持つ「背景」いかんで評価が変わるものだということを、ちょこっと感じたりもした…(-_-;)
8/10 日 25.0   ウワサに名高い「生駒ボルダー」を含む、山RUNコース☆
「近畿自然遊歩道」をなぞるコースは、道路沿いである箇所も多く、ハイカーの往来も多く、安全山RUNにはオススメな感じ☆信貴山まで行けば、軽快な「ダンシング般若心経」がお出迎え!なかなか楽しいのでありました♪
「最高でも金、最低でも金」というのが両者一致した「おことば」でありながら、それがかなわない結果になったとたんに、「5回も出られたのだからすごい」とか「主婦・母親をやりながらたいしたものだ」とかいうことばかりに終始する有様というのはなんともいやらしい…本来本質的には、メダルが云々よりも、長年鍛錬を重ねたこと・条件が変わっても戦える才能や忍耐力持久力があったことが、誰もが見習うべき要素を持つ素晴らしいことなのだから、最初からそのようなところを大きくクローズアップして賞賛しておけば良かったではないか。ゴロの良いコピーが優先して大騒ぎした結果、本当に称えられるべき生き様の部分が「慰めや言い訳に聞こえる」ようにしか使用されなくなる。地道に努力すること・環境や制限に負けずに過ごすという、「ひととして大切な、学ぶべきこと」が、究極的には「限定された相対評価」であるに過ぎない「簡単な一言」に代わって安っぽくなってしまうことは非常に残念。
8/11 月 20.0   梅干しをお部屋に入れて出発!…がっ★(-_-;)
本を返しに行くのに、その本を忘れるとゆ〜アホがいます!…「雨やんで、人カサ忘る」どころじゃない、こりゃボケの第一歩か?マジヤバイ…(>_<;)
スポーツ勝者というもの、そのものにあまり興味がなく、むしろ調子に乗っていることが多い感じがあるのがイヤで「見ても冷めている」ことがフツウのわたしであるが…なぜか!今回の北島君の世界新・金メダルは心から「よかったねぇ!」と思った。前日の人と同様、「勝つことしか考えられない」という意欲は満ちてはいたが、それが本当に「現在の等身大の自信」から漏出したコトバのような強さを感じていたし、「きちんとやるため」の自己主張を曲げずに戦ったこともある(「泳ぐのは俺だ」という水着の件)。一連の取材報道に答えながら、決して「踊らされてはいない」強さがあったように思う。同じ人物でありながら4年前の「超きもちイイ〜♪」の頃には、まだ自己演出を計算できるような余裕があったような感じがしていたが、今回はそんな余力もすべて「戦いに向けられていた」ような印象があるのだ。…要は、虚飾や誇張のないひとのことばというのは「そのように伝わるものだ」ということだろうか。「かっこつけている」じゃなくて「かっこいい」…若者らしい純粋さとか素直さのようなものもしっかりもっている、好青年だな!なんて思った。ヘタをすりゃ親子ほど歳が離れているから、カレシにしたい…というのはおかしいけど、こんな息子なら持ってみたいじょ☆(~o~)
もうひとり、ちょっと心配なのは野口みづきちゃん。金メダルを取ってからも、前のメダリストと違って派手に露出することなく地味に頑張ってきたのに、ここまで来ていろいろあってタイヘンだなぁと思う。あのレベルになると「参加することに意義がある」みたいなことでは精神的に解決できないかもしれないが、たとえドンジリであっても、無理がないなら走るところを見せてほしい…でもって、テレビもしっかりその一部始終を放映すべきだろうね。
8/12 火 25.0   鴨川・ぶだはっ・オンマエど〜り
なんと★(>_<)…「関西15日は雨デス!」とは!…ど〜するど〜するど〜する〜ん?(-_-;)
目の前で誰かがクルマに接触しそうなとき、体の傷からダラダラ流血しているような人がいるとき、それを「見た人」は相手が見知らぬ人であってもとっさに思わず何らかの「声」を上げるものだ。「自分の痛みのように感じる何か・本能的な訴え」が声になるのだろう。「口にしたらかわいそう」「言ったら失礼かも」というような余裕はない。…人の体の欠点を指摘してはいけないというのはつきあい上のいちおうのマナーではあるが、「どうしたのそれ?」と言われることなどが、一々「人格の否定」だとか「プライドの損壊」だとかいうのも考えが偏りすぎだろう。相手は、「異常な事態を本当に気遣って声をかけてくれている」かもしれないのだ。…だから、スーパーの立ち話で「こどもが傷つけられた!」とかなんとか、舞台女優みたいにギャーギャーわめかないでほしいのよ。他人が見たら、「あら!どうしたの?」という声をかけるのがむしろ自然で、無視する方が「心で何を考えているかわからない」くらいに、ひどい皮膚カブレのこどもを連れて歩いているのだから…★
わたしの足は両方とも、約3年ほど(「イチバン若くてキャピキャピ♪」の時代に)膝下すべての領域が「黄色と赤と肌色のコンビネーション」という色合いを持っていた。皮膚のめくれあがり+化膿+かろうじてマトモ…のそろい踏みで、ウッカリ人目に触れようものなら120%「きゃっ、なにそれ!」とやられたものだ。でもそんなとき、「不快な気分にさせて申し訳ない」という思いのほうが先に立っていたし、なにより「真剣にどうにかしたい」と思っていたから、何か治療のヒントになる情報を引き出せないかと事情も正確に話してきた。言われて「傷つく」なんていう詩的感情など訴えているヒマはなかったのだ。
問う、「傷つけられたのは子供ではなくてあなた自身なのではないか?」「あなた自身がそういう子供を連れて歩くことを不快に思っているからではないか?」…最近、いろいろな親子の風景を見ていると、「愛情の持ち方、与え方」がどこか間違っている親が多いように思えて仕方ない。「こどもの幸せ」とコトバ上の「楯」を武器に、結局は「自分が不満なく過ごせる状況であること」が基準になっているような…(-_-;)
わたしの足…今ではほとんど肌色一色に改善した。が、15年を経過してなお、それを人目にさらすと「あっ、ここを見ている!」と感じる「変色ポイント」は残っている。けれど人は一瞬視線を止めただけで何も言わない。「何も口にする必要のない程度になっている」ということだろうと理解している。男性としては「きれいなヒト・きれいな足の女性」の方がいいはずのK様でさえ、「けっこうキレイになったじゃん」という。…多分な思いやりが含まれてのコトバであると思うが、「医者に見せた方が良いんじゃないか?」とは言われない…そこまで来たのだ…あとは、「歩ける・走れる」、それで十分だ。
8/13 水 27.0   京都ポピラー第三コース+ぶだはっ経由+第一コース
昼下がりのキャンパスライフはドキドキがいっぱい♪(~o~)
同じ本に同時に手をかけて「ドキッ★」ってな、ドラマみたいなシーンがホントにあったりしちゃう大学図書館☆坂本龍一系の好青年タイプの男子で、ちょっとおしゃべりタイムになったのだが、「何回生ですか?」とゆ〜から正直に答えたら「やっぱり…フツーより落ち着いてる感じがしました」だって☆(~o~;)…そりゃアナタ、この歳で22,3のキャピキャピと同じように見られたらその方がモンダイだっちゅ〜の!…いやしかし、彼はこのワタクシをいくつだと思って相手をしていたのであろ〜か?(~o~;)
「ほ〜ねん研究家」の彼とはジャンルとしてはまったく違う立場にあるが、同じように「学業成就」を志す者同士、その熱意や向上心はちょっとしたシゲキになったのデシタo(~o~)O
8/14 木 34.0   @久々にと〜じ、お東さん、みぶちゃんコース、鴨川つき
A京都第二ポピラーコース+千本チョッキコース
@鴨川沿い(左岸)で水分補給!となると、川端通を渡って自販機に行かないとダメなのがちょっとツライ…でも、川の環境保全にはこのくらいでいいのかも!
A夜の大学図書館…ひっさしぶりぃ♪(~o~)
この時期、あちこちで「夜のライトアップ」があって、どこに行ったらいいか迷ってしまう…で、今日はそんな中「なら燈花会」の最終日ということで、奈良までGO!とたくらんでいたが、そういえばこのイベントを振り切って学問にいそしんでいた「2年前のわたし」が脳裏に甦り、行き先変更。
2年前にさっさと行っとけば、あれこれいろいろな意味で良かったかも…という余計な回顧がアタマをグルグルしたが、まぁ仕方ない。
8/15 金 40.0   「海と富士山を見に行くRUN」…っていったって、琵琶湖と三上山と北斎展なんだけど!(~o~;)
おまけに午後からは大学へ!「よく遊び、よく学べ」…う〜ん、学生のカガミッ!(~o~)キュウキョクノ、ジガジサン
京都〜山中越〜佐川美術館〜堅田〜(電車)〜北大路〜ぶだはっ
ホントは坂本から比叡山に登って、最終日のライトアップで締めるか!と思ったが、「イカンイカン。汝にはガクモンが!」とサイチョ〜はんに怒られそうなのでやめた。
これは「挑戦シリーズ」でも「根性物語」でもない企画であるからして、いつでもリタイヤ・ワープOKよ!と気楽に進んだら、ゴールできちゃっただけのこと。「ひょっとこ」が長渕や永ちゃんや杏里、ソウルヘッドなどを熱唱しながら、ペットをグビグビ飲み干しながら、ガンガン走った。…クーラーの効いた「リッター200円弱の車窓の人々」からは、「メッチャおかしなやつ」と思われたに違いないが、この暑さなら「刃物持ってるわけじゃなし、それもアリか」で収めてもらえただろう。
【それにしても】水分補給総量約5リットル、しかしトイレ1回(だけどドック検診にも足りないような程度)、しかも終了後体重2キロ減!…気温35度で4時間もRUNすることの「体の循環・反応」のスゴサ(ヘタすりゃ恐怖)を強く実感。今日の場合「結果オーライ」だが、トラブれば「ただのアホ」である。思えばこのような「異常熱波関西RUN」は過去に3回ほど経験しているので、「うまくいった」は今回で4回ということになる。しかしそんな履歴は「実績にも自信にもしてはならぬ」、である。その都度あらゆる事情や条件は変化している。今後も、絶えず自分に問いかけながら「次の一歩」を踏んでいきたいものだ。
だから、こういう書き方をする…「【今日は】とっても楽しかったにゃ〜♪」で、よかったにゃ〜♪o(~o~)O
服で覆われているところまでホテッているので、うちに帰ったら「昔の幽霊話」でも読んでヒンヤリしませう…ちょっとばかり、鴨川夜RUNしてみたい気もしているが、バスでおとなしくさっさと帰りましょ〜ヽ(~o~)/(ゴゴ9ジマデ、キャンパスライフマンキツチュ〜☆)
8/16 土 17.0   ついつい、「あそこに」「ここに」…と心躍ってしまうのだが…普通コースで収めておく。(~_~;)
保津峡まで行って、イカダで帰って来るなんて楽しそう!なんて思うのだが、今日こそはマジで午後から豪雨とか?おとなしく、読書にいそしむとしませう…★
早朝RUNから帰って来てひと段落したところで、予約してた本を取りに市立図書館へ。RUNスタイルで行くとまたまたよからぬことを考えそうなので、ゲタでカラカラ歩いていった。たくさんの本を目の前にすると、1冊だけ持ち出すのではすまなくなるのが毎度のこと。今日も余計に2冊追加してしまった★
8/17 日 0.0   おやすみ
半年で2回の電池交換&修理等施すも、時計またもや動かず…「呪われた時計」は2年チョイでその寿命を終える…と思うとなんだか喜ばしくもある♪(~o~)
しかし、おしゃれ時計だけでは何かと、かなり、相当、不自由なので早速新品を買いに行く!メーカー、シリーズは元のやつと同じだが、今度のほうがムダな機能がなくていいかもかも!ヽ(~o~)/これで今からすぐにでも、ゆでたまごもそうめんも作れるわよ〜ん♪(そもそも、想定している用途が違うような気もするが…)。じぶんで買おうと思ったら、K様が買ってくれた(*^。^*)ウヒョヒョ。お礼に掃除機を買ってあげよう!と思ったけど、7万もするのでそのまま黙って帰ってきた…(~_~;)
【ところで】珍しい苗字が好きなわたし。最近TVから耳に入ってくる「スエマエ」という人名をいいなぁ…とか思っていた。しっかし、よくよく詳しく見てみれば、それは「末なんとかさん」と「前なんとかさん」の組み合わせだった…同じ種目で「おぐしお」と呼ばれていたのと同じ手法での「コンビの呼び方」らしい。そういうのを作った側と使う方は楽しんでいるのかもしれないが、本人たちはあんまり気分のいいモンじゃないのでは?と思ったりする。だいたい、その「名づけ方」が自分たちを無視したような中でクローズアップしてチヤホヤしてきたペアの「2番煎じ」だし(強豪中国に勝ってようやく話題に乗り始めたのもイヤな感じだ)、そもそもオフィシャルな場面で、人名など気安く省略するものではない。失礼なことだろう。一方では「歩実」を「歩美」と表記間違いしただけでクレームをつけたり、「深くお詫びいたします」とアタマまで下げて訂正したりすることをしながら、四六時中「あだ名呼ばわり」することに抵抗を感じない神経というのもおもしろいものだ。
ちなみに、「スエマエ」をきちんと分解してみると「末綱・前田」ということらしい。「スエツナ」は珍しい苗字だ。やっぱりうらやましい…(~_~;)
8/18 月 20.0   京都第二ポピラーコースならびに小路グチャグチャコース(地図解読能力から見て、二度と再現できない行き当たりばったりコース)
16日に借りた本3冊、とっくに読み終わった。今日を逃すと新しいのを借りるのが明後日になってしまうので、今日は「下京図書館」を組み込んだコースだった(*^^)v
「万寿寺」「室町」なんていうあたりの通りは、観光の人にはほとんど縁のない道だろう。フフフ(~v~)…って、別に地元民を装って自慢ぶりたいわけじゃないが、こういう通りこそ、京都人の究極の日常暮らしを垣間見ることのできるポイントだったりするのである。新橋品川あたりなら、「SISがあ〜だこ〜だ」とか「PEACHがどう〜したこ〜した」とか、およそ自分の手に負えない次元の理論をシタリ顔で語りがちな机上空論サラリーマンと同年代と思しきオッチャンが、「○○はんとこ納めなならん襦袢があってな…」だとか「半襟がなんだかんだ…」とか、地元ならではの、なおかつ「人の暮らしに密着した仕事」をこなすために、この暑い中を腕まくりの汗をかきかきで自転車を漕いでがんばっている風景を見ることができたりする。京都的には「差し障りのない社交辞令のひとつ」と言われたりしている「暑ぅおすなぁっ!」のコトバも、本当に心からの労いの気持ちが込められた「エエコトバ」に聞こえる。…仕事に大小貴賤がないことなど百も承知の上でも、こんな地味でありながら誠実堅実・現実的な姿こそ、「ホントに仕事している男の図!」のような気がするもんである。京都の文化伝統もつまるところ、こんな何気ない人たちの流す汗と努力の結晶で成り立っている…そのDNAを見たような気になるのがウレシイものだ(~o~)
かたや…言わせてもらえば、京都のおばちゃんらの表情の悪さが目立つのも、こういう「日常のみち上」なんである。この暑い日差しのせいか、はてまた生活上のアレコレのせいか、まちを行きかう京都のオバチャンたちには、絶えず「しかめっ面」の表情を呈している人がヒジョ〜ウに多い!日本中どこにでも底意地の悪そうなオバちゃんてのはいるもんだが、見た目上ここがいちばんじゃないか?と思えてしまうほどだ…(~_~;)★うっかり目を合わそうものなら、「ケンカでも売っとんのか〜!」という反応をしたくなるほどスゴイ。…しかし、もしこれが「日差しのためやむなく」こうなっていることだとしたら、わたし自身にも「いずれこうなる」危険は高い。日焼けの前に日差しよけのために、RUNにはグラサン・帽子は必須である!…と、意外な場所から教訓を得る。…そんな「お得学習効果」も得られるのが、「コテコテ京都の小路」の日々なのである★(-_-;)
8/19 火 18.0   京都第一ポピラーコース+第二コース(富小路寄り道つき)
「ラップって何?」と、何も知らない人に突然目の前で聞かれたら…即座に正確にコトバで詳しく説明できるか?っていうと…けっこう難しい★(~_~;)「空気って何?」「野菜って何?」…そういえば、アタリマエに使っているものほど別の言葉を使って説明が出来ないことは意外に多いものだ。
「私って何?」「生きるって何?」なんて、およそ答えの見つからない問いに迷うより、そんなふうに身近で、だけど言われてみれば必要な「意味」を考えることのほうが、人生には大切だし楽しいだろう…と、ふと思う。(-_-)
で、サランラップやクレラップも「ラップ」だけど、RUNでいう「ラップ」ってのは、ある程度の長距離を走る中で、それを1キロとか5キロとか10キロに区切ったとき、それぞれをどのくらいのスピードで走るかっていう細切れタイムのことを言うんだよ〜♪(~o~)「ラップは心霊現象!」とボケようと思ったら、そのネタ、サッサとパクられていたので、最初から正しい答えを解説するのだ。…と、ブログのコメントの回答をこっちでしてしまう★これでちびママちゃんも今夜ゆっくり眠れるだろう!…スミマセン、ホカノヒトヘモ、オヘンジシマス(>_<)
そんなじぶんも、「RUNビギナー」の頃には「サブってなんですか?」とランナーズ編集部に電話質問した人間だ。これまた別のおかしな編集部に間違ってかけていたら、トンデモネエ回答が返ってきそうな質問だわなぁ〜(~_~;)ヒャハッ!
それと話は別だけど、昨日近所のおばちゃん(とかいいつつ、たったひとつ上なだけ)に、「京都は、大路小路のせいで信号がやたらと多い。だからイライラも事故も多い」という見解を話したら、人生40ン年にして初めてそれを「知った」ように驚いていた。「そうなんや!京都は信号が多いんか〜?」…「無知の知」とはソクラテスの名言であるが、「知らないということを知っている」「知らなかったということを知った」ということは、とても素晴らしい成長のポイントになると思う。さらにそれが「調査する・質問する」という態度に転じることで、はなから「知ったふりをしている」「既成概念に固まっている」人間たちよりもより賢い者になれるのだ。わたし自身これからも、知らないこと、知りたいことを正しく追い続けられるような人間でありたいと思う。
【ヒサビサ!本日の一言】「転んだ先にも杖」
「転ばぬ先の杖」とは、人生や生活上における失敗を避けるよう、用心ある準備や心構えを持っておくべし…ということである。が、そうは言っても転んでしまうのが人の世というもの。しかし不本意にもそのような事態に見舞われたときに、本当に人間は転んだまま立ち上がれないものか?といえば、決してそんなことはナイ。必ず「救いの手」「持ち直す方法」というのは見つかるものなのである。ウソゴマカシだらけの結果でも転んだあとにスグ拾ってもらえることすらあるのだから、誠実で真面目な行為の結果の「図らずも」であればなおさらのことである。そこから再び手に入れた「杖」は、最初から何もなく過ごすために持っていた杖の何倍も頑丈で、今度はちっとやそっとじゃ倒れることはない。少なくとも、堕ちた者をただあざけ笑うような「勝者(のつもり)」にはならない精神的成長はあるだろう。(前者の場合、ますます増長した性悪になれるということになる。これまたある意味、メデタイこっちゃではないか!)。
…であるとすれば、「何も起こらないように」「自分はイイコでい続けよう」としながら…等々、必要以上にビクビク制御したり回避しながら生きるより、少しくらいの度胸や思い切りや冒険もよいではないか、思うままに本音でド〜ンと行こうぜ!っていうことになるのである。むしろ一度くらい勇猛果敢に転んでみようじゃないか!なのである。…言っとくけど、「程度」「常識」ってもんはある。
8/20 水 10.0   気分がサエナイので少しだけ(-_-;)
どんな気分でも鴨川に行くのであった。
全国的に有名な「鴨川の風景」。河岸に座ってひとり静かに本を読む風景、そして、昼間から人目憚らずいちゃいちゃしまくるバカップル。近頃「羞恥心」というトリオが大人気らしいが、実際最近の若者にはそんなもの死語みたいだ。うぬぬぅ〜っ!うらやましいぞ!…いや、イチャイチャが、じゃなくて、あんなところに「虫刺され」も気にせず長期滞留していられる「体質」が、だよ☆
【ところで】じぶんの出身地、出身校などに「有名人」がいると、ちょっとした話題になったり、関係ないはずなのにちょっと誇らしい気分になったりすることもあるだろう…例えば福岡なんてところはやたらとそういうひとが多かったりするので、「福岡出身」のひとと話をすると、かなりの確率で「それオレの先輩たい!」なんてことになる。…わたしはそういう「有名人多産地」には縁のない人間だが、テンテンとしてきた土地や通った学校それぞれに、ど〜ゆ〜わけか、「イヤでも誰もが知っている系」の超ド級の有名人がけっこういるんである。だからなんとゆ〜ことではないが、今日知った「新情報」にはちょっとブッタマゲたので、こんなことを書いてみた。最近はネット情報がスゴすぎるので、それらのひとの名を書いたら同時にわたしの出身校履歴書が出来上がってしまう。だから書けないのがなんともつまらない…「キ○○○○○」は、わたしの後輩なんだぞ〜!「よ○○え○○○」なんか、卒業アルバムでうちの弟のとなり写ってるんだじょ〜!「○○」は、わたしの先輩なんだぞ〜!「○ー○」なんかこっちが1年遅れて入学しなかったら同級生だったんだぞー!」「た○○○か○○なんか、わたしの団地のとなりの高校に行ってたんだぞー!」…ふ〜、別にどってことないけどこんな感じだ★(~_~;)
伏字の正しい使用方法…「わかる人にはわかるかも、な手法」にて○字にしました。
8/21 木 20.0   京都第一ポピラーコース+第二コース(暮らしの道にて探し物つき)
京都(関西)だけの現象か、最近の全国的傾向か、「キンチョウ」製品を扱っている薬やさんが少ない!コマッタモンダ★(-_-;)
マンションの10Fとゆ〜のは、「蚊」がいないらしい…ひじょ〜にウレシイことなんであるが、だからといって夏の間ずっと「蚊シェルター!」とかいって篭城しているわけにもいかない…(-_-;)以前から外出時には虫除けスプレーが必須だったが、今年は「外出用蚊取りマット」を愛用中☆6〜8畳分の威力があるとかいうものを身につけて、少なからず吸い込み続けて…っていうのもドコカ心配な気もするが、わたしの場合さされたあとのひどさを考えるとまぁ仕方ない…となる。しかしこのテの製品、どこもかしこも「アース製」のオンパレード★たまたま入手した「キンチョー」の「お取替えマット」がなかなか見つからず困っているんである(-_-;)
…だいたい、「まつもと」っていうところはこんな感じの品揃えが多いのが難点。今回は「本体」があって「中身」がナイ、っていうことだが、他のもの(洗剤など)では「取り替え用パック」があるのに「本体」がナイっていうこともあるのだ。おっかしぃ〜(~o~;)
こんなモンダイを解決するのに、いつもよりあちこちRUNしてきたのだが、悲しいことにわたしの「ポピラーコース」上には該当商品がなく、またまたまつもとで本体から購入するハメに(-_-;)…あとになって、「それ、ハナにやったらようけあるえ。」という情報にいきあたったが、とき既に遅し。ちなみに「ハナ」とは、わたしは通常「ジャスコ」と呼ぶスーパーなのだが、この辺のひとはみんな「ハナ」と呼ぶ。なぜそんなことになっているのか、あまり使っていないからよくわからない(-_-;)
8/22 金 52.6   京都六地蔵めぐり
京都移住初の「夜遊び系旅RUN」!サイコ〜ヽ(~o~)/クセニナリソウ…♪
夜RUNの良いところは、日中気にしなければならない「日焼け&虫除け」の手間が半減するということだ…つまらないことのようで、こういう細かい注意を払う作業というのは長いRUNには結構ストレスになっていたりするもんだが、今日はその分、ラクラクスイスイ♪(~o~)
背景が夜だから…かもしれないが、道中、「ここは京都だったわなぁ」としっかり再認識しないと誤解しそうな「あそこに似た場所」が数々現れた。六地蔵から観月橋までの街道は「まるで鶴川街道」、他のところはあちこちに「うわ、上溝みたいだ!」「田名みたいだ!」なんていう、かつての「地元夜RUNコースのポイント」がたくさんあって、ちょっと面白かったんである。
8/23 土 0.0   おやすみ
帰宅が4:00じゃ、当然か。
けっこう前から思い続けていること(もしかしたらもう書いたことあるかもしれない)…おそらくそれは、サッカーのワールドカップが始まったころに起こった現象であるように思っているが、何かのスポーツの大会での「日本チーム」を「カントク名+"ジャパン"」と呼ぶことに、なんとも違和感があって仕方ない。まぁ、なんとなくカッコよく聞こえるっていうことで伝播したのだと思うが、どうしてマスコミの人っていうのは「言語表現におけるバカの一つ覚え」みたいなことを繰り返して喜ぶのか理解できない。(17日記述のスエマエの件、○○王子等々…もしかり)
「総括・管理」としての役割を持つ「カントク」のありようがチーム全体の実力や勝敗に大きく影響することはわかるが、実際にそのショウブの場所で「動く」のはメンバーひとりひとり。実質上すべてのカギを握る主役は「監督」ではないだろう。失敗も成功も、そのときその場のメンバーの動きが決めることだ。カントクがラジコン操作で戦略どおり人を動かして云々ってわけじゃあるまいし、すべての「理由・原因」がカントクにあるかのように印象づけられてしまう「特定個人名を冠するチームの呼び方」を、アタリマエのように使用するのはイイカゲンやめてもらったほうがいいんじゃないか?と思う。
なんとなく…だけど、今回のオリンピックって事前にあれこれ騒がれた人(チーム)ほど、そうでもない結果になっているような気がする。でもって、あまり話題に乗らなかった人がひょっこりすごい成果をあげたりして、あわてて後追い取材をしているような気がしたものだ。このようなジャンルの報道は元々、「ヒーロー・ヒロインを作りたい」意識がイチバンに立っての取材姿勢がミエミエなところがあるが、最近は特に、本来的な実力履歴の緻密な分析・取材力がきわめて乏しくなり、簡単にだれもが食いつくような「ルックスがいい」とか「かっこいいコピーで修飾できる」ことが露出の第一条件になり過ぎているように感じられてならない。対応する側もそれに乗せられ踊らされているような場面がある。…悪いことにこのような現象は、「なんでもないただのひと」にまで、「生きるうえで何らかの言語表現ドラマがあること」を是とする風潮まで生み出している。しかも、どこかで聞いたようなコトバとシナリオのパクリみたいなもんばかりで。くだらない。
もうひとつ敢えて言わせてもらえば、「異常な期待をかけられていながら負けてしまったひと」が、その後無視されたかのように話題にならないのも納得がいかない。「本人の気持ちを考えて」というのかもしれないが、「はじめた以上終わりまで」であり、取材した側された側双方に「説明責任」が残っていると思うのだが(これが、政策の話題であったら大問題になるような"雲隠れ"ではないか。別にどっかの国みたいに糾弾せよとかそんなことをゆ〜てるのではない。)…成果があげられなかったらハイオワリ、みたいな使い捨て商品のように人間が扱われているようなことを「報道のフツウ」にしてしまって良いのかどうか。これまた、「挫折や失敗」に必要以上の嫌悪感を与え、「何かの賞賛評価を得ること=人生の価値」ということを暗に人々の心に植えつけているような姿勢であるように思う。
…「ことばと現実」「見た目と事実」のギャップは、本質を見失った虚飾によって生まれるものだ。「責任と誠実さ」がない場合にもそれは生まれる。結果的に、「矛盾や批判」を生むに過ぎない不必要な「ことば飾り」は放出しない方がいいだろう。ここまで「来てしまっている」マスコミはもう手遅れかもしれないが、せめて個人的レベルにあって「何かを言う時」は、「ことばにならない対話」をまず自らの中で交わしきってからの結果としてであるようなもので繋いで生きたいものだと、わたしは思う。
8/24 日 13.8   年に一度のお楽しみ?抹茶ソフト食べた〜い!なRUN。
今回のソフトは、石塀小路のツジリソフト。10年来の憧れ、産寧坂の七味も買い込み、ラッキー♪
清水寺、平安神宮などを背景に休日ジョグ…なんていうと、いかにも「京都らしいユッタリRUN」の雰囲気を想像される人も多いだろうが、ドッコイ!宮ケ瀬や丹沢に向かうRUNのほうがよっぽど緊張感の解けた静かな中でできる!と言いたくなるくらいのアレコレがあるものだ。円山公園では、なんだか知らないけど右翼の兄ちゃんオッチャンたちがワラワラ集まって集会の準備みたいなことやっているし、二条通ではもう見飽きたって言うくらいの「またか!」な自動車事故。そして、烏丸通りはなんだかのイベントを妨害しようとする右翼カーの大パレード。…考えてみればここは京都の府庁所在地。神奈川なら横浜、東京なら新宿みたいな位置づけにあるわけで、しかたないことなんだろうか?いずれにしても、こんな風景は「日常的な京都RUNレポート」には楽しいネタになるような、さりとて「ブッソウな風景」でもあるような、複雑な思いがするもんである(-_-;)
細かいことだけど気になったのは、右翼のうるさいまでにがなり立てる主義主張と矛盾する態度。勢いがいいのはスピーカの音だけで、実は中身は何もないんじゃないの?と思うようなところが散見されたことだ。パレードのクルマのギョーレツを、RUN後のマクドナルドで見学することになったのだが、特に言えばその中に、「めぐみさん」や「ダライラマ師」の写真が貼りだされているのが目に入ったことがひじょうに気になったんである。彼らの根本的な主義主張は深く知るところではないが、なにかの便乗手段として、これらの問題を採用して欲しくはないものだ。「めぐみさん=拉致事件問題」「ダライラマ=チベット問題」は、年老いた親が必死に訴えたり、何千人もの命が奪われているような、それぞれに独立した重い問題なのだから。
少なくとも、茶髪派手派手の彼女がゲラゲラ笑いながら化粧直ししているのをそのまま堂々臨席させたり、こどもがふてくされた表情で窓から外を覗いているような緊張感のない「戦い(彼らナリの)」の状態で扱って欲しくはないのだよ。わかったか!(ー_ー)!!
8/25 月 25.0   京都第一ポピラーコース+第二コース+野望RUN(結果的にダンネン)
なんと、7/10にクリーニングに出したK様のズボンが、今日の今日まで放置されていた!
どこかでウッカリ、預かり票を捨ててしまっていたらしい…今日はお弁当もってクリーニング屋サンに入りびたり探索状態か?と思ったが、あっさりスンナリ、見つかってしまい、かえってヒョウシヌケ…(~o~;)
「感動」というもの。細かく分解すれば「感情が動く」と書く。多くの場合、「良い方向性のある感覚の変化」をさすようであるが、厳密には「嬉しい」とか「喜ぶ」という代弁語に当たるばかりではない意味があるのではないか?、いや、それよりもっと深いところにある何かが表現されるべきコトバなのではないか?ということを想起させる出来事がここ数日のうちに何度かあった。真の「感動」とは、決して人に理解されない部分に起こり、自分の何かの部分に応用咀嚼されてから生かされるものなのではないか。この意味において、何かを見た、触れたときに短絡的に「感動を与える」「感動をありがとう」などと口にするのはやはりどこかおかしいものだ。
@映画(レンタルDVD)『潜水夫は蝶の夢を見る』一部始終。A六地蔵めぐりRUNにて考察されたあれこれ。Bたまたま見た「坂本龍一」の「戦メリ」ピアノ演奏。Cこれまたたまたま見た「サザンラストコンサート」。
特にBを例にしていえば、「その中の何が、どのように影響した結果、"感動"と表現するに至ったのか…ということが、まったく不明なまま現在を迎えている典型例である。初めて耳にしたのが20年以上前で、以降未だに「MP3」に収めるほどの「私的名曲」なのであるが、@単純にそれが「そのころのわたしを思い出すきっかけになるから」なのかA戦闘状態の緊迫の中にあっていたずら坊主のような純粋な感じの笑顔で「メリークリスマス!」と話しかけたタケシ演じる軍曹の「人間らしさ」を見た瞬間のBGMだったからなのかB坂本龍一の天才的音楽性に対するものなのか…等々、分析しだすときりがないほどの「きっかけになりそうな要素」というのがテンコモリに出てくるのである。
こ〜ゆ〜ことを言うと、「難しい」だとか「変わってる」とか言われることは重々承知、覚悟のうえで言うことだが、実はこういう「深く考える」作業や表現の場所が社会や学校教育から排除されたことを大きな要因としてまとめられる社会問題というのはかなり多いように思われるのだ。
8/26 火 16.0   京都第一ポピラーコース+第二コース(サラリと軽く寄り道ナシ)
ちょいと雨が降っていたりしたが、六地蔵めぐりの「雨の快感よ再び」てなもんでなんてことナシ!にスタートしたのであった。
【本日、B型・てんびん座・七赤金星・天王星人(+)・ヒノエウマはモテモテの日?…そんな占い見なかったけど!】
とある場所で出会った少年(見た目U5ってとこ)は、ひと目見た瞬間から、ずっとわたしから目をそらさず、きわめて情熱的な視線を送り続けていたのである…いやぁ、まいった!って、冗談抜きで照れちゃうほどのスゴサだった。顔は将来「ジャニーズに行けそう!」なかっこよさ(かわいらしさ)だったし、悪い気はしなかったが…残念ねぇ、ボク、登場が25年遅かったわよ〜ん…イヤ、キチントジブンニアワセルナラ、35ネン、カ?(~_~;)
…かと思えば、これまたとある場所で、わたしにニワカに近寄ってきて、「お元気ですねぇ、失礼でっけど、年はおいくつくらい?…へぇ、ぜんぜん見えませんわ!」だの「お勤めしてはりますの?」だの「お酒は強いんでっか?」だのクダラネェ質問をバンバン投げてくるウゼェおっさんに付きまとわれて、まいったまいった(-_-;)…おっさん、これまた登場が15年遅いんだよ〜んってか!(ー_ー)!!(おっさん、ゆ〜ても同じような歳だったと思うけど。)
・・・・・・・・・・
「知らない人に近寄っちゃいけません!」と、徹底的にこどもに躾する親が増えたことを、どこか悲しいところもあるものだと日ごろ思っているのだが、実は同じことが「おとなの関係」においても言える世の中になっているのだろう。このおっさんだって、単純に「知り合になりたい」だけのことだったかもしれないけど、わたしは今日必要以上に警戒しているじぶんを感じていた。正確に言えば、昔はこんなじゃなかった、ザックバランに対してザックバランな対応が簡単にできなくなっているのだ。いいことか、悪いことか…★(-_-;)
8/27 水 16.0   京都第一ポピラーコース+第二コース(またもやサラリと軽く寄り道ナシ)
京都移住初!1年半ぶりの「断髪式」決行!…って言ったって、超ロングをたった5センチ切っただけでな〜んも変わりナシ。
「観光でない・暮らす京都」にあって、イチバン困ったのは、世間評などのリアルな詳細情報が得られない【ふたつのビョーイン問題】であった。1つ目の「病院」の方は、緊急を要するものだけに、その都度どうにかこうにか切り抜けて、今ではじぶんに関わりそうな科目に関する「じぶんなりの名医」みたいなものをみつけたが、ふたつ目の「美容院」のほうは、「別に行かなくてもなんとかなるっしょ」な存在なので、ここまでノビノビになっていたのだ。んが、「長いから」なりのデレデレ感やだらしなさがなんとなく気になってきて、ようやく思い切ったという次第。これでも日ごろのRUNやネット検索などでアレコレ調べながら「このあたり?」というところに行ったのだが、やっぱり、案の定「バンナイセンセイ」のようにはいかなかった(-_-;)…といっても、いちいち往復含め総額5万円もかけて髪の毛いじるほどセレブになるには、あと10年くらいかかるしなぁ…って、そんな風になるつもりかい!?(自分でツッコミ入れておく)
【別件】「わぁ〜、毎日走ってはるんですかぁ?健康的!」「わたしも、何かやらないと!と思っているんですよ。」「ぜひ、これからご一緒させてください、何時ごろ待っていればいいですか?」…と、ここまで積極的に友達になろうとしてくれる人がいれば、フツ〜なら喜んで「じゃぁ、朝5時に松原通りのここで!」なんて返事をするものだろう。しかし断った。…相手が「化粧品販売系エステティシャン」だったからだ…申し訳ないが、この「京都人らしからぬ」不自然に愛想の良すぎる入れ込みようには絶対ウラがある!と読ませてもらった。RUN距離の数字が伸びるほど、要らぬ出費が増えそうな気がする…アア、ヤダヤダ。冒頭のセリフが本心なら、人を誘わずともまずはじぶんひとりではじめてみなさいって。
「RUN」をキーワードにすれば、「誰でもなんでもいいひと・いいこと」は決してナイ、とゆ〜ことは学習済み。「同じ過ちを2度繰り返すのは愚か者のすることだ」ですよね、なつこパパ!
8/28 木 0.0  
8/29 金 0.0  
8/30 土 0.0  
8/31 日 0.0  
走行距離 548.1  km