モーリス  
地域 : 京都    年齢 : どこに出しても恥ずかしい63歳。
一言 : 
金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。          金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。          金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。          金がなくても心配するな。女が逃げてもくよくよすんな。俺の店は開いている。
月日 距離 内容 タイム メモ
12/01 日 0.0   さぼりの夕べ
鴨川にて京都小学生駅伝観戦
午後鴨川にて京都小学生駅伝の観戦。参加校が多いから男女別でさらに何組にも分けてやるものだから、見ていても途中で何が何やらわからなくなってくる。ノムと純太のチームを見て帰宅。録画しておいた福岡国際マラソンを視る。優勝したマサシは、30kmまで相当力を温存していたと思う。やはりフルは、30kmを越えるまではジョグをしてるぐらいの余裕で走らないとあとが持たない。日本人一位の川内は安定しているなあ。大崩れやリタイアしたのを寡聞にして知らない。メンタルな部分もマラソン向きなのだろう。
12/02 月 16.0   原谷スペシャル(千束上り)
しょうざん裏6℃
課長とスペシャル。毎日走っていると気温の変化に敏感になる。今夜も少し暖かいし、いつもより2℃ほど高めかなと思っていたらぴったりだった。夜半YouTuveでACDCのライブを見ると止まらなくなり深夜。ACDCは長年食わず嫌いで損した。ボーカルもギターも見た目は普通のおっさん。ボーカルは腹は出てるし、ギターはハゲ。オヤジバンドそのものなのだが、演奏が始まるとメチャクチャカッコいい。ロックは痩せてなきゃなんて言うやつには、それがどーした?何か文句あっか?俺らの音を聴けって感じ。最近はディープパープル(初期)の良さを再発見してるし、音楽の味わいも年齢と共に変わってくるようだ。 
12/03 火 16.0   原谷スペシャル(千束上り)
しょうざん裏5℃
またまた課長とスペシャル。エロスの伝道師のような課長だが、献血マニアという意外な一面を持っている。何と通算70回以上献血で社会貢献しているそうだ。100回になると表彰してもらえるとか。献血も一回に400ccもの血を抜かれるし、もちろんその後はランなど出来ない。小さなことかもしれないが、継続しているというのはホンマに偉いと思った次第。
12/04 水 12.0   本能競走部練 二条城×3&河原町松原往復  帰宅後筋トレ(スクワットなし)
初参加の四年生長谷川君を引っ張ってラスト9'35
業務後本能競走部練習。多分20名ぐらい。顕太パパ、御大&久。最近は金曜日はグランド練習が多いので、出来るだけ水曜日は距離を走るメニューにしている。今日も30分間走の予定でスタート地点に行くと、七月に爽楓と競わせたN小の飯田さんがお父さんと来ていた。ひょとしたら待っていたのかもしれないし、一緒に練習に入ってもらうことにした。飯田さんも七月に一緒に走ってからどんどん強くなってるようで、エスビーでは5年生女子で2位という素晴らしい結果だった。今日は一周目だけは全員でアップペース。二周目から各自フリーで久に引っ張らせることにした。丁度半周ほど走ったところで秋田君が合流したので先頭は秋田君に任せて俺は初参加の長谷川君と一緒に行くことに。二周目に入ると予想通り飯田さんがペースを上げ、爽楓や優介たちが後を追いかけてあっという間に先に行ってしまった。俺は長谷川君を引っ張って、彼もきっちり三周完走。水泳をしているからか、スタミナがある。ゴールして秋田君に聞くと、やはりトップは飯田さんで三周目で7分19秒とか。次からは6年男子Aと同じメニューで丁度いい強さである。さすがの爽楓も優介も着いて行けなかったようだ。本能後御大と河原町松原を回ってジョグ。帰宅後筋トレ。
12/05 木 0.0   拾得にて遠藤ミチロウライブ
完全休養
業務後ライブハウス拾得へ。初めての遠藤ミチロウのライブ。遠藤ミチロウといっても、よほどコアなロックファンでないと知らないかもしれない。80年代に人気のあったスターリンというパンクバンドのリーダーでボーカルだった男だ。スターリンが一躍脚光を浴びたのは、その過激なステージからだった。客席へ豚の臓物や爆竹を投げ入れることから始まり、ステージ上での放尿、挙句の果ては自慰行為まで及んだ。その過激さはマスコミの格好の話題となり、スターリンは一躍最も危険なパンクバンドとして有名になった。スターリンというバンド名からもわかるように、過激なステージもとにかくメディアに取り上げられるための演出という側面があったことは事実だと思う。しかしメチャクチャだけのバンドなら、とうの昔に忘れ去られているはずで、30年たった今でも熱烈なミチロウファンがいるという事実が、彼のアーティストとしての稀有な才能を証明している。実はミチロウを見るのは初めてだった。何気にYouTuveで見た彼の、天国の扉に衝撃を受けてライブを見たいと思ったのだ。ライブはミチロウが一人でのアコースティック弾き語り。歌もギターも上手いとはいえないが、やはりその存在感たるや別格のものがあった。客は30人足らず。彼のような才能のあるミュージシャンでも、これが現状だ。音楽で食べて行くというのは至難の業だと思う。実物の遠藤ミチロウは、かっての過激なステージとは正反対の、非常に物静かで礼儀正しく、知性を漂わせた人だった。狂気を秘めた人ほど、普段は物静かであると思う。ミチロウのソロCDを買って帰宅。結局走らず。
12/06 金 5.0   本能陸上G練習 堀川高校往復ジョグ
グランドにて学年別リレー
今日がクラブとしては今年最後の練習。学年別にリレーをして残り30分はお遊びで終了。脚を痛めていたという風花も元気に走っていたしひと安心。クラブとしては年明け1/10までが冬休み。競走部練習は、28日にあらひがマラソンがあるので直前の27日までとなる。本能クラブの場合、夏は祇園祭という大きなイベントのある地域だし、七月の初めから九月まで二ヶ月近い休みとなる。冬も一ヶ月の冬休みになるので実質一年のうち三ヶ月は練習がない。これでは強い選手を育成出来ないし、二月の大文字駅伝に出る場合冬休みは重要な練習期間となる。それで夏休み、冬休み特別練習というのを始めた。結局それがいつの間にか定着して競走部になったようなものだ。今日は五年生女子の長谷川さんが、競走部の練習に参加したいと言ってきた。男子でも数人が行ってみたいと話していたが、友達が行ってて楽しそうだからという感覚ではもたないので必ず、グランドで走っているのとは違ってきつい練習ですよ。と言うようにしている。夜半高校時代からの親友吉川君と銭湯。帰宅24時半。
12/07 土 0.0   磔磔にてバウンドライブのため走らず
ランニング原理主義者論
フルマラソンで結果を出したい場合、レベルにもよるが相当な時間を練習に費やす必要がある。サブスリーで考えた場合も、仕事以外の余暇を全てマラソン中心に考えるようにならなければ、目標達成は難しいと思う。たとえば飲み会と練習会が重なった場合には、躊躇せず練習を優先するということだ。私はそれをランニング原理主義と呼ぶのだが、レースで年代別上位入賞者などは、ほぼ皆このランニング原理主義者であると思う。付き合いの悪いやつ、あいつは変わってる・・・などと周囲から言われるぐらいでなければ強くはなれないかもしれない。今週はどうして行きたいライブが二つあったのでランよりそちらを優先した。人生の残り時間も多少考えるし、ランとラン以外の好きなこととのバランスも取って行こうかなと思う。
12/08 日 26.0   自宅〜愛宕山中腹往復
ゆっくり〜適当ペース
午後から思い立って愛宕山。丸太町をひたすら西へ。さすがに清滝のトンネルの中を走るのは嫌なので試峠を越えたが、結構いい筋トレになった。愛宕山の上り口まで11km。半分ほど上ったが、頂上まで行くと帰りは真っ暗になりそうだったのでリターン。頂上までは4.2km。秋田君はマッソウと頂上までの往復を3本やったそうだが、信じられんわ。それだけで24kmだ。自宅から自走で行って頂上まで上がると丁度30km強。たまにはいいかも知れない。しかし冬は、下とかなりの温度差がある。中腹でもかなり寒かった。900m以上ある山だし冬場は注意が必要だ。
12/09 月 12.0   筋トレ&清水ノーマル
課長にフラれ雨に降られて一人清水
東山マウンテンマラソンでお疲れの課長にフラれ、一人スペシャルでも行ってこましたろと外へ出れば驟雨。仕方なく筋トレをしてから外へ出るとやんでいた。天気も怪しいので清水へジョグ。ライトアップも終了し、清水界隈はひっそりとしていた。コース途中にあったラブホテル、デミアンが更地になっていた。昭和の生き残りのような建物で、ラブホというよりも連れ込みホテルと呼ぶ方がピッタリくるような風情だった。また昭和が姿を消していく。
12/10 火 16.0   原谷スペシャル(千束上り)
1'16'28(実走時間)  しょうざん裏6℃
課長にフラれ一人スペシャル。日曜日の疲れか脚は重かったが、気まぐれに走行時間を計ってこましたろとスタートしたら結構いいペースになってしまった。ラスト5kmは丁度22分で終了。
12/11 水 13.0   本能競走部練 二条城×3&河原町松原往復
ラスト8'40ぐらい。五年金田
業務後本能競走部練。22人ぐらいと御大&久。正直人数が多過ぎるのだが、すぐに六年は卒業になるし、今から四年、五年生を鍛えておく必要がある。今日は五年の金田が初参加。そこそこ走るし、何より練習態度が真面目だから、一度水曜日に来いと声をかけていた。金田は兄貴も教えていたが、最初は二条城を8分も切れなかったのに、最後は6分50秒ぐらいまで強くなった。いつも通りの三周走で、一周目は全員できっちり10分ペース。二周目からはフリーにして、先頭は久に任せ俺は初参加の金田を引っ張った。二周目で辛そうだったのでやめるか?と訊くと行きますというのでそのまま三周完走。距離に慣れたら強くなりそうだ。競走部練習終了後いつものように琢登と爽楓を送って、御大の帰りに付き合い河原町松原往復。
12/12 木 12.0   原谷ノーマル(千束上り)
しょうざん裏0℃
業務後課長と原谷。私には、寒いときに寒い方へ走りに行くという奇病があって、本日もゴーイングトゥ原谷。しょうざん裏は0℃でこの冬最低気温だった。原谷峠からの下りは、低温で空気が澄んでいるせいか、夜景がいつもより綺麗に見えた。壊れた機械式時計のように、夕方になると狂ってしまう頭を修正ランして今日も一日が終わる。
12/13 金 11.5   本能競走部練 二条城TT&河原町万寿寺往復&帰宅後筋トレ
@鷹士6'39A琢登6'46B顕太7'01C新菜7'02D龍星7'02E夏乃香7'11F純太7'14G優介7'19Hノム7'42I爽楓7'42J若井7'47K金田8'05L風花8'07Mツボ8'07N梓8'44O魁夢8'45P家原8'46Q爽風8'47R真由8'50S菜月8'58
業務後本能競走部。秋田君と久が来てくれるというので、急遽TTをやることにした。顕太パパも来てくれたので、最後尾はパパに、先頭は秋田君、久は優介を7分20秒切りぐらいで引っ張ってくれるように頼んだ。六年はしばらくぶりのTTだったが、予想通り鷹士は6分40秒を切る好タイム。新菜、夏乃香も驚くようなタイムだった。新菜はこのまま調子をキープして平城京マラソンに臨めば、充分一位が期待出来る。抜群の素質があるのに未だ一位を獲れてないので、是非表彰台の一番高いところに立たせたい。あとは三年の菜月の頑張りが際立っていた。顕太パパがうまく引っ張ってくれたのだと思うが、一ヶ月前から約1分近くタイムを縮めた。菜月は練習熱心で、自信もあったのか、早くTTをやりたいと話していた。純太も自己ベスト。今日のペースで2.5kmを走れたら平城京で入賞出来る。本能終了後河原町万寿寺まで往復ジョグ。忘年会シーズンで烏丸界隈はどこの店も結構な客入り。メシばかり食ってダイエットに励む人たち。
12/14 土 0.0   サボリ
ギターの夕べ
ラジオ派とテレビ派がいるなら、私は完全にラジオ派である。ラジオといってもいつも聴くのはFMなので、音楽中毒といった方が適切かもしれない。たとえば風呂に入るときでも、脱衣所に置いたラジオを聴いている。亡くなった親父はTVが好きだった。朝起きるとまずTVのスイッチを入れ、見るともなくつけていた。先日FMを聴いていると、女性パーソナリティー(アナウンサーでも司会者でもなくパーソナリティー。って何か意味わからんネ)が、ホノルルマラソンを9時間かけて完走(完歩)したとかで、フルマラソンの魅力について得々と話していた。ブームというのはそういうものと理解していても、その底の浅さと恥じらいの無さには本当にうんざりしてしまう。僕は。
12/15 日 16.0   原谷スペシャル(千束上り)
しょうざん裏3℃
日ごろお世話になってる顧客にお歳暮をと思い、京都でも有名な老舗精肉店へ。予算は送料を入れても一万円以内なのだが、それを伝えると、慇懃無礼で高飛車な店員の態度に感情の火災。そんな安物なら他で買っておくれやすというような態度で、結局予算内で注文したのだが、二度とこんな店は利用するかいと思わせるのに充分な接客であった。たまたま当たった店員が悪かったのかもしれないが、本物のプロなら、細切れの肉を買う客も特上の霜降り肉を買う客も同じ接客をしなくてはなるまい。老舗の有名店と言われるところほど、プライドばかりが高く、このようなケースが多いように思う。夜半三十年来の友人である流れ板晴次とはなふさイースト。帰宅25時。
12/16 月 12.0   清水ノーマル
後半成り行きペースアップ
帰路、西木屋町〜四条河原町〜寺町京極〜三条通り。夜半、里の前のパチャンガでタコス。
12/17 火 0.0   サブトラにて月例小学生ナイター記録会 帰宅後筋トレ
800mTT
お客さんへ行って帰ったのが18時。着替える間もなく、自転車をブッ飛ばして四条大宮へ。西京極サブトラにて月例のナイター記録会。今回は17名が参加。六年生は大文字&平城京の練習に全員1500mを予定していたが、押し並べてテンションが低く、結局800mに変更した。今日は顕太の弟の依央君(二年生)も初参加。3分30秒ぐらいだったが、良い練習になったと思う。TTのあと女子と五年の優介、魁夢を入れて2チーム作りマイルリレーを行った。マイルリレーは良い練習になるのだが、サブトラは暗いし、利用者が多いときはバトンの中継が非常に危険である。21時半ぐらいに帰宅。結局走らず筋トレでお茶を濁す。
12/18 水 6.5   本能競走部練 三条×4
6'00/km〜5'00/km
業務後本能競走部練習。御大&顕太パパ、それに久しぶりに黒岩君が来てくれた。晴れていたら堀川遊歩道を走って平安女学院のイルミネーションを見て帰る予定だったが、あいにくの雨模様なので三条を四本のジョグ。
12/19 木 10.0   三条×6

男三条一人旅。
12/20 金 16.0   本能競走部練 平女イルミネーションラン
自宅〜部長宅〜堀川一条〜平安女学院〜部長宅〜清水〜部長宅〜自宅
業務後本能競走部練。19名&久。不安定な天気だったが雨も上がったので、二条城を7分切れたら連れて行くという琢登との約束通り堀川遊歩道をジョグして平安女学院のクリスマスイルミネーションへ。ロームとは比ぶべくもないが、近いし意外に穴場だと思う。子供たちが喜んでいたかどうかはわからないけど。今は自宅に立派なクリスマスツリーを飾っているところも多いし、この時季家族でルミナリエやUSJに出かけたりもする。子供の目も肥えているし、それほどの感動はなかったかもしれない。最近はクリスマスが家族や恋人同士の一大イベントとなり、イブの夜は残業や付き合いも断って家族サービスに努めるお父さんも多いようだが、言うまでも無く俺は正反対のタイプだった。ただ、そんな天邪鬼さも年齢と共に変化するようだ。まあサンタクロースの格好をして子供を喜ばそうとは思わないが。
12/21 土 0.0   筋トレのみ(スクワットなし)

秋田君、黒岩君とかつかつとんとん〜王田珈琲。その後中井師範と王田珈琲〜ラーメン横綱。豚カツのあとにラーメン&餃子はキツおます。帰宅25時。
12/22 日 12.0   原谷ノーマル(千束上り)
しょうざん裏3℃
年賀状を元旦に届けるためには年末のクソ忙しいときにやらねばならず、以前はPCで作ったりもしてたが、そんな時間も惜しいので最近は印刷屋に頼んでいる。商売屋なんて大晦日まで目一杯仕事だし、悠長に年賀状を書いてるヒマなどないのだ。賀状は正月休みの時間に余裕のあるときに書くのがいいと思う。三が日あたりはニューイヤー駅伝と箱根以外にろくなTVもないし、外へ出ても店は休みだし、家でゆっくりと相手の顔を思い浮かべながら賀状をしたためるには最もいいときだと思うのだ。年が明けてもいないのに明けましておめでとうなんて書くものおかしな話しだし、年賀状は年が明けてから書いて、15日ぐらいまでに届けばいいというふうにならんのか。なんてボヤキながら、全く年賀状に手を付けてない私。うくく。
12/23 月 16.5   二条城 200×10&河原町万寿寺往復
37-38-37-36-35-36-34-34-36-32
以前誰かが、どんなスピードでもいいから毎日一時間のランニングを365日休まず続けると、フルマラソンで三時間を切れると言ってたことがある。そのときはマラソンに興味もなかったし、そんなものかと思って聞いていたが、今そのような練習で本当に一年後に三時間を切れるのかと訊かれたら、私の答えはノーだ。本人の資質、一時間走るペースにもよるとは思うが、それがキロ5〜6分のジョグであるなら、まず一年後のサブスリーは無理だと言わざるを得ない。サブスリーの平均ペースはキロ4分15秒。いくら長い距離を走っても、それがジョグやLSDでばかりであれば、1km4分15秒というペースで三時間続けて走れるようにはならならないのだ。人間の体はうまく出来ていて、最初は苦しいことでも続けているうちに少しずつ楽になってくる。いわゆる耐性というものだが、その耐性のレベルをいかに引き上げていくかが長距離に強くなるポイントだと思う。1000mにつきわずか2〜3秒速くなるだけで途端に苦しくなるのは、そのわずかな差が自分の耐性のレベルを超えているのである。それは心拍数に限らず体の動き(筋肉、神経)についても同様で、ゆっくり走る練習ばかりしていると、筋肉も運動神経も速い動きを忘れてしまうのだ。インターバルトレーニングは、心拍数を上げて追い込むだけではなく、緩めの設定タイムでも、速い動きを忘れないようにする。といった動き作りの観点からも重要であると思われる。
12/24 火 0.0   ヒデの誕生日でさぼり
秀晃21歳になりました
課長にフラれ腑抜けギタリストに成り果てていると妻から、ヒデの誕生日だからたまには一緒にディナーをされてはいかがですか。と穏やかではあるが、有無を言わさぬプレッシャーをかけられ、気が付けば夕餉の食卓に小さく鎮座して俺。21歳といえば陸上選手なら一番勢いのある年頃だろう。どうにか5千mで16分半ぐらいまで戻ってきたようだが、大学で陸上中長距離をやってますというなら、せめてあと1分は速くならないと話にならない。今練習しないでいつやるねん。夜半堀川丸太町に新しくオープンしたイズミヤへウォーキングを兼ねて買い物。
12/25 水 12.0   本能競走部練習 400m×4&河原町万寿寺往復
86-87-80-74
業務後本能競走部練。16名&御大。そして今日は黒岩君が来てくれた。彼は秋田君と同じ東洋大の陸上部だった男で、高校のときは群馬県代表で全国高校駅伝出場。エース区間の一区で区間四位という実績を持つ男だ。今日は土曜日のあらひがに向けて400mを4本。黒岩君には五、六年生を75秒で引っ張ってもらった。三四年の女子は俺が85秒でペースメイク。これは爽楓に合わせたものだが、ラスト二本は六年の夏乃香が入ったのでペースが上がった。今日は手首を骨折した秋田君もタイムキーパーで来てくれた。またクリスマスということで、練習後にグミのお菓子と秋田君と黒岩君が用意してくれたランニンググッズを子供たちにプレゼント。たくさやを送り、御大の帰りに付き合い河原町万寿寺を往復ジョグ。
12/26 木 0.0   雨のため筋トレのみ
スクワットあり 30kg×120&ヒンズー×300回
二月に来日するローリングストーンズのチケットがGC(ゴールデンサークル)と呼ばれる優良席で8万円。一番安い席でも1万4千円だとか。これが安いか高いかは人それぞれだと思うけど、コンサートも不況で、ストーンズ級の大物でもそうそう満員御礼ソールドアウトというわけには行かないらしい。15年前に来日したときは、友人のストーンズファンクラブ関西支部長のおかげで、正規の料金で大阪ドームの前列から10番目ぐらい見ることが出来た。今ならさしずめ8万円のお席といったところだろうが、そのときでも二階席などはガラガラで、幕が張ってあったようだ。結局ストーンズのファン層も中高年が大半だし、多少高くしても見たいやつは買うだろうという料金設定という気がする。今最もチケットが取りにくいのは何といっても嵐だとか。ファンクラブに入っていてもなかなか買えないらしい。この嵐のファンクラブの会員数が凄まじく、148万人を越えているという。ファンクラブの料金が一人5千円だから、それだけで年間70億円を超える売り上げである。これは嵐が若年層だけでなく、老若男女に渡る幅広い層にファンがいるということだ。ジャニーズ恐るべし。
12/27 金 17.0   本能競走部練 三条×2 &清水コース七条回り
三条 5'00/km〜4'00/km
またしても雨。明日があらひがなので、三条を快調ペースで二本で終了。ラストは3分45ペースぐらい。優介が着いて来てると思ってゴールして見たら鷹士だった。練習後いったん帰宅して、雨がやんでいたので清水へ。明日は晴れてくれたらいいが。
12/28 土 2.0   第三回あらひがちびっ子マラソン
入賞者1-2年男女-大上、3-4年女子-爽楓、爽風、菜月 4年男子-優希 5年男子B-優介 6年男子A-鷹士 6年女子-新菜
午後より嵐山東公園にて第三回あらひがちびっ子マラソン。今回は何と230名以上の参加者だったようだ。本能からは22名が参戦。8名が入賞で、爽楓が四年女子で一位を獲ってくれた。四年女子のSBチャンピオン、ララが不参加であればまず他の女子に負けることはなく、ぶっちぎりの一位だった。三年の菜月も初入賞。練習熱心な結果が出た。四年生と競っての入賞は本人も自信になったと思う。六年生は午前中に学校の大文字練習に参加してから来たやつが多く、全体的に低調だった。いくら回復力の高い子供でも、朝練してからレースに臨んで勝てるほど甘くは無い。それに六年生はこの時期、どこの学校でも大文字練習をしている。だからレベルもどんどん上がってきてるのだ。最後の方はみぞれが降り、非常に寒かった。次は年明けすぐに平城京マラソン。大きな大会なので、今度はきちんと調整させて何とか結果を出したいと思う。
12/29 日 12.0   原谷ノーマル(バイカル上り)
しょうざん裏0℃
夕べは夕刻からボタ雪。今日は今年最後の北山30km走の予定で楽しみにしていたが、晴れてもこれでは持越峠以北は厳しいと判断。中止にした。持越〜京見峠のコースはサイクリングコースとして京都北山の定番だが、この季節は自転車で何度も痛い目にあっているのだ。うちのあたりで薄っすら雪が積もれば、雲ヶ畑あたりはかなりの積雪&凍結だと思わねばならない。またこの時季、極寒の山の中を長時間走ると体が冷え切ってしまう。俺や軍曹ならまだしも、御大や上野君のように責任ある社長業をしてる人に何かあれば大変である。本日は業務。夜は極寒なれど原谷の激坂練。原谷上り口の温度計は何とマイナス1℃。案の定峠を越えて山へ入ると、道はスケートリンク。氷点下の真っ暗な山の中で白い息を吐きながら走っていると、俺はいったいこんなところで何をしているのかともう一人の俺が訊く。帰宅後、冷え切って硬直した体を風呂で解凍。
12/30 月 19.0   二条城×5 鷹士&純太 特別練習&清水往復
43'33(8'49-8'46-8'41-8'38-8'38) AV 8'42(4'31/km)
あらひがで六位だった鷹士がよほど口惜しかったのか、休みの間も一緒に走って欲しいと言ってきた。練習開始まで十日間の休みに入るし、子供とはいえその間全く走らなくなってしまうと走力を落としてしまう。こちらとしては、平城京で狙える子供は正月返上で走らせたいのだから丁度いい。純太も参加して二人を連れて二条城へ。今日は初めて五周走に挑戦させてみた。もちろん初めての距離なので、比較的余裕のある4分30秒位のイーブンで引っ張った。純太は四周まで、鷹士は五周走り切った。さすがにキツそうだったが、その表情は満足気だった。一つの自信になったと思う。平城京では、純太は入賞、鷹士は一位しか考えていない。2.5kmのレースだが、本番での入賞ラインは9分50秒(3分56秒ペース)位だと思う。一位を獲るには9分前後(3分36秒ペース)のタイムが必要になるだろう。1月8日の練習では本番と同じ2.5kmのTTをやって仕上げたい。
12/31 火 12.0   鷹士と二人練 200m×10      37-36-35-35-35-34-33-33-33-32      帰宅後筋トレ スクワットあり30kg×120
終日業務。私が子供の頃は、商店街のどこの店も月の休みは二日ぐらいだったように思う。もちろん大晦日なんてのは稼ぎ時だから、夜中の0時ぐらいまではどこの店も開けていた。大晦日はいつも店にTVを持ち出して、紅白歌合戦が終わると店を閉めていた。皆よく働いたし、何より街にも活気が満ち溢れていた。今はもう大晦日なんて日が暮れると静かなもので、隔世の感がある。
さて晦日なれど鷹士が待っているので、19時半に鷹士宅へ。今日は純太もおらず、二人だけの練習となった。予定通り今日は200mを十本。10km近く走らせた次の日にあえてスピード練習でさらに追い込むというのは、小学生ではトップの走力を持つ鷹士だから出来ることだ。並みの小学生にはとても出来ない。二条城一周で200mを三本走る変則的なインターバルで、タイムだけ見れば速いようだが人の多い東側はつなぎのジョグなので、レストは90秒から長いところは4分にもなるし、緩急走と言った方がいいかもしれない。しかし鷹士は根性がある。苦しくても決して音を上げない。もちろん鷹士を引っ張るのはこちらも余裕などないのだが。ただ、鷹士のように根性のある子供は、痛いところがあっても我慢するので故障してしまう危険性がある。そこは充分注意して見なければならない。長く本能陸上のコーチをしているが、大晦日に一緒に練習した弟子は初めてだ。ライバルが遊んでいるときにこそ頑張ればいいのは、頭でわかっていてもなかなか出来ることではない。その努力のベクトルを、きちんと成果へと導いてやりたい。
走行距離 302.5  km